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ツキを呼ぶ、ツイてるを口癖に本の話を中心にガヤガヤと語り合う番組です。今回は読書会モードの第1回。メンバーみんなで西和彦さんの「反省記―― ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと」を読んだ感想を語り合います。本を読んだ皆さん、@tsuiteru2020 で感想を語り合いましょう! #ツイてるブッククラブ #ツイてるポッドキャスト

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はい、皆さんこんにちは。ファッションフォーザーフォーチャーの橋本です。
今日はですね、皆さんと一緒に本について語る第1回のわけですけれども。
選んだ本が前回も紹介した通り、西一彦さんが書いた反省記。
ビルゲイツと共に成功をつかんだ僕がビジネスの地獄で学んだこと。
という本、みんな読んだかと思うんですけれども、これについて語ろうじゃないかと思います。
たぶん一番最初に読んだのは私じゃないかと思うんですけども。
これ何で知ったかっていうとね、私デジタルハリウッドで教えてるわけですけども、教員室っていうところがあって、職員室ですね。
で、私の後ろに座っているのが福岡俊博さんと言って。
出てきましたよね。
編集長。これに出てくる人で。
で、福岡さんがフェイスブックでなんかちらっとつぶやいてたんですよ。
確か福岡さん自身はまだ読んでない大会で紹介してたと思うんですけど。
それで私じゃあ先に読んじゃって、で、今度福岡さんに会った時の挨拶にしようと思ってたんですけども。
話のネタ。
実はね、そんなに興味なかったんですよ。
西一彦の名前は知ってたけど、最近聞かないし。
そんなに興味ないはずが、読んでいったら引き込まれてしまって。
自分のね、少年時代の、マイコンの時代のこと、その裏側がよく詳しく書かれてて。
最初から最後までノンストップで読んじゃって。
なんという面白い本なんだと、面白い人なんだと思ってですね。
で、フェイスブックに紹介したらすごいたくさんいいねもらって。
西一彦さんも気が付いていただいて、フレンドになっていただいたりしてですね。
交流できて面白かったなと思いました。
で、だから私の興味は最初は福岡さんが出てくるところっていうので、
比較的後半でね、西一彦さんが、福岡さんが編集している週刊アスキーの編集方針に文句というか注文をつけに来るわけですね。
社長だから。
で、ヌードを入れるというシーンがあって。
伝説の話ですよね。
裸だ裸だって。
そうそう。500万持って行ってブラジャー取ってもらえと。1000万持って行ってパンツ脱いでもらえと。
で、それを掲載すれば週刊アスキーめちゃめちゃ売れるぞという話をしたら、
そんなふたできませんと福岡さんが反論して喧嘩になって、結局やらなかったんだけれども。
まあ週刊アスキーは結果すごい売れて、そんなヌード入れなくてもよかったって話なんだけれども。
そういう話も面白かったんだけれども。
でもむしろね、私一番感動したのはどこかというと一番最初の方で、
マイクロソフトっていう会社がアメリカにあることを知って、
いきなりマイクロソフトに電話をかけてビル・ゲイツと話すっていうところがやっぱりすごいなと思いましたね。
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今だったらそんなにすごい人がいるから電話をしてみようとかメールをしてみようって、
そんなに普通の人でもやるかもしれないけど、
当時国際電話を使ってわざわざ海外へ英語で電話をかける知らない人に、
しかも大きな会社の社長にすでに。
ちょっとなかなかありえないぐらいの行動力だった気がしていて。
英語ができたっていうのもすごいし、その時点で。
それでどんどんマイクロソフト早期の役員の一人になって、
年2本立ち上げてっていう展開になっていくのがすごいなと思いました。
ということなんですけれども、順番に皆さんのまず感想を聞いていこうかと思うんですけれども、石谷さんどうでしょう。
僕は実はちょっと社会人成り立てぐらいの時に一時期アスキーで仕事をちょっといただいていたりとか、
あと僕の場合に結構日産と働いてた人が多かったりとか、
そういうのもあって結構僕は特に後半の話っていうのは結構知ってる話が多かったんですよ。
だいたいみんな口揃えて言うのはやっぱり天才だと。天才西和彦っていうのは聞いてて。
じゃあその西和彦はいつから西和彦になったんだっていうのが僕は読みたかった理由だったんですよ。
なので僕は前半がめちゃくちゃ面白くて、要するに大学受験の時点でもう西和彦じゃないですか。
で、なんだっけ、僕一番やっぱ衝撃だったのが大学受験一回失敗するんですよね。
で、その後に結局浪人することになって、神戸の実家から浪人するところが寮なのかな。
神戸の実家から寮に向かって出て、そこから基本実家に帰ってないっていうね。
もうそこからその時点でもうこの人は西和彦出来上がってるなっていう。
やっぱりそのぐらいでその人の個性というか行動力の部分ってのは結構高校生ぐらいでやっぱりある程度出来上がってんだなっていう。
もちろんね、いくらでしたっけ、150万でしたっけ、電子レンジを分解して怒られない家っていう。
実家が太い案件でもあるわけですけど、うちだったら間違いなく怒られますよ。
実家は学園を経営してるんですよね。
関西ではかなり有名な学校ですね。
だからそこの親御さんたちがみんなそこの学校の経営者で、食卓が経営会議になってたっていうのも、
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そういう環境からやっぱり日産みたいな人が出てくるんだなっていうのは、前半が僕はめちゃくちゃ面白かったですね。
後半は結構、なんだっけな、僕は中学生ぐらいだったかな。
MSX買ったりとか、いわゆるマイコンブームの時の直撃世代でもあるので、その当時から西和彦っていう名前は知ってるんですよね。
でも実際にその表に出てきて、当時は表に出てなかった話っていうのを読むことができて、
青春時代のみたいなところもあり、だから今は若い人たちが改めて読むと、
いわゆるおじさんの話っていうのとはまたちょっと違う、本当に何もなかった時代っていうのはこうだったんだっていうのはね、
今でもたぶん新しいジャンルでは同じことがきっと起きてるはずなんですよね。
そういうのも含めて前半後半で、前半は西和彦がいかに西和彦になったのかっていう話があって、
その後半は天才西和彦は実際何をやったのかっていう話があって、非常に面白かったですね。
これは本当に読んでよかったなと思いましたね。
前半と後半で西和彦がどうできてきたかと、何をやったかっていうことが分かるんだけれども、
なんか私の長い間の印象って西和彦って独裁者で怖い人、話と話なんか全然聞いてくれない、
怒鳴ってる人っていう印象があったんだけれどもね、
このタイトルからしてちょっともう反省期っていって、
書いてることもなんか茶目っ気のあるというか、
今だから語れる色んな素直に語ってるところがあって、
それすごく人柄が見えて面白かったなと思いましたね。
だからやっぱなんかビジネスマンじゃないですよね、この人ね。
もちろんビジネスマンではあるんだけども、いわゆるビジネスマンじゃやっぱないんだなっていうのはありますよね。
イノベーターとか起業家っていう方ですね。
西子さんはどう読まれましたか。
そうですね、僕もタイヤさんや石谷さんと結構近い部分が印象に残ってるっていうか、
後半の方になるとちょっと自分と比較できないので、
あまりよくわからないけど、前半の方は高校時代とか大学時代はある程度比較できるじゃないですか。
自分の高校の頃だったらこんなことできるかなとか、
大学生の頃こんなのじゃなかったなとか思って、やっぱり高校生の頃、大学生の頃かな。
大学生の頃に雑誌とか、エレクトロニクスの会社とかやったりして、すごいなと思ったり。
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あとタイヤさんも言った、英語でいきなりフィル・ゲイツに電話をかけるとか、
そういうところがすごいなと思ったり。
高校の時に何かエレクトロニクスの見本市みたいにいきなり神戸から羽田に飛行機で行って、
日帰りで帰ってくるっていうのがあって、
僕高校の頃例えば車が好きだったけど、東京モーターショーとかにいきなり飛行機で行ったりするようになったりできるかなって。
そもそも一人で飛行機にも乗れたのかなっていうのがあったりとかですね。
日産、そういう話多いですね。確かにヘリコプターで乗りつける話も書いてありますね。
そうですね。ヘリコプターの話もありましたね。
そういうのがダイナミックな人ですね。
あと雑誌を1ヶ月で出すっていうのもすごいなと思って。
あとさらに本屋さんで置いてもらうために、
一人が置いて、一人がトイレ行って客のフリをして、これ欲しいですみたいにやると、
本屋さんが渋々置いてくれるみたいな話があったり、
作る情熱もすごいし、売る情熱もすごいから、
人間どっちか結構片っぽだけって人ならいると思うんですけど、
開発だけとか売るだけとか、両方できるようになってくるんじゃないかなって。
MSX派だったんですよね、セイコーさんも。
MSX派ですね。最初4万ぐらいだったかな。
2万ぐらいですよね。やっぱり安かったんですよね、MSXは。
ニッサンたちが提唱した統一企画のOSっていうのが、
おそらくそこから出てくるんですよね。
じゃあ次で、辰夫さんはどう感じましたでしょうか。
私は本職がプログラマーなんですけど、
実際にプログラマーの仕事をしているんですけど、
実際にプログラマーの仕事をしているんですけど、
後で、私の仕事をしているんですけど、
私は本職がプログラマーなんですけれども、
もともとは、やっぱり最初はMSXだったんですね。
しかも自分では持ってなくて、
友達の鈴木くんが買ったという。
鈴木くん家に行って、それでゲームをして、プログラムっていうのは作れるんだよっていうんで、
ベーマガとか当時そういうプログラムを出すとかを見ながら、
自分の自宅でプログラムを紙に書いたんですね。
結構100行くらい。
昔はそうでしたね。
それを鈴木くん家に持って行って、一緒になって入力して、
ランって押したら動かない。
それを修正するんで、毎日鈴木くん家に入り浸ってっていうのが原点だったんですね。
この本の話でも、MSXは失敗だったけどみたいな話もあったりするけれども、
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MSXの名誉のために行っておきたいことがあるみたいなところの話があって、
10年くらい過ぎてからプログラマーに会って、
私が初めて出会ったコンピューターは父親が買ってくれたMSXでした。
出会いがなければ私はコンピューターの仕事をしていませんって話があって、
さっきダイヤさんがおっしゃったように、
裾野を広げるっていう意味では、
本当にMSXがあると、僕みたいにMSXを買ってもらえない人でも
プログラマーになるんだみたいな心差すくらいの、そこまでの影響力がある。
そういうものを作るっていうところがやっぱり打ち方がありがたいなっていう感じがします。
僕自身は日産自体あまり知らなかったとか、あまり興味がなかったっていう、
アスキーの偉い人だなくらいのイメージしかなくて、全然知らなかったんですけど、
実はこんなこともあって、その前のマイクロソフトとの話も知らなかったしっていうので、
そういう面から、こういうパワフルな人がガチャガチャと頑張ってMSX作って、
それのおかげで僕があるし、しかもその後また日産がガチャガチャして、
今があるという感じで、非常に感慨深く読みました。
まさに同じ時代を生きて、直接じゃないけれどもMSXって形で日産からインスピレーションを受けて、
今の仕事をしているっていうところで、非常に読んでよかったなと思いました。
ただ実際に言うと、やっぱり経営者には向いてないんだなとか、
もう同時しないとか、同時ないとか、度胸があってパワーでガンガン押していくぜ系な人で、
多分戦国時代とかだったらどんどん出世するような人だろうなみたいな、
そういうようなのはあるんですけれども、
細かいお金感情は向いてなかったりするので、
やっぱり最終的にはアカデミックなところで今やられてるってことなので、
そっちの方は確かに向いてるのかなっていう気は、本人の話から見たら思いました。
ただうちうちにすごいパワーは秘めてるので、
多分なんかちょっとね一歩でもかけ間違えれば、
その本当にビルゲイツみたいな感じになったのかなっていうのもちょっとこの本を見て思いました。
多分短期すぎるからうまくいかなかったみたいなことなのかもしれないですけど、
反省っぽい話を見るとそういう感じですよね。
すぐ喧嘩別れをしてしまったって話ばっかりじゃないですか。
お金儲けが目的じゃないっていうことが分かりますよ、読むとね。
やりたいことがまず先にあって、
それをやるためにはお金があるっていうビジョンがあって、
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それに向かってちょっとずつ申しんじゃないけれども、
どんな手を使ってでもやるんだ。
確かに孫さんに似てるかなっていうのは感じましたね。
なんかでも孫さんと対決みたいな話も出てくるんですけど、
なんかこう性質としては似てると思いました。
だからそこからではそれをお金と結びつけれるかどうかってところが、
ちょっとなんか性格の差なのかな、
なんかそういうところがちょっと反省、気の反省点なのかなっていうふうに思いました。
でもビジネスマンとしての反省ですよね。
あくまでもね。
世の中に対する影響力とかビジョンを浸透させるとか、
そういう意味は別に成功してるんですよ。
だからMSXは失敗だと書いてあるんだけど、別に本当に失敗じゃなくて、
それは別に当時のビジネスは失敗かもしれないけど、
それは長い目で見たら些細な話なんで。
なんかね、さっき話まで言ってたけど、
高校生の時点で飛行機に乗って行くわけじゃないですか。
だからなんかそのご実家の環境が良かったっていうのは多分あるとは思うんですけど、
なんかもう見えてたんだろうなっていう、
何かが見えてないとその行動力って多分出ないと思うんですね、いくらなんでも。
確信がないとそういう思い切った行動は、
そもそも出ないし。
で、出たとしても多分一回一気に終わっちゃいましたよね、普通の人だったり。
そうですよね。
普通の位置の人だったり。
だからなんか多分相当で、
そうそうそう、だからあれがすごかったじゃないですか。
アスキーの関東文、
コンピューターはメディアになるみたいな話が、
あの時代でも既に見えてたんだなっていうのは、
やっぱりちょっと感動しますよね、あれね。
新しい、今年出る雑誌の関東弦でも別にあんまおかしくなかったですよね、内容的に。
そうですね、当時のマイコンのユーザーたちというのは、
もっと視野が狭かったというか、
そうですよね。
オタクですからね。
プログラムを作ることが好きとか、ゲームを作ることが好きで、
動いて楽しいっていうレベルだったのが、
これがね、なんか世の中を変えていく力になるとか、
メディアになるとかは全然おかしくなかったですよね。
そこまで見えてるからこそ、今足りないものが見えてきて、
じゃあ今、子供たちが触れることができるパソコンがない。
じゃあ作る。OSがない。じゃあ作る。
先が見えてるから足りないものが見えてきて、
先が見えてるからこそ、早く行かなきゃってなるじゃないですか、やっぱり。
うーん。
うん。
うん。
だって俺がいきたいのはMSXを出すことではなくて、
もっと先にやるわけじゃないですか。
実際にやりたいことっていうのは。
で、それのために詰めていってるだけのことだと思うので、
いやいや、やっぱその、この言葉で片付けちゃいけないんですけど、
やっぱり天才ですねっていう感想になりますよね。
なるほどね。
天才石和彦。
はい。
はい。
はい。
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はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
なんかその、通信だとかネットだとかの話はなんかちょっと、
かわいそうな話、感じがしましたね。
だからその、コンピューター同士でつながって通信するみたいな未来を描いてたんだけれども、
そういうのが本格的に、来る前にもうその辺、退場しちゃってみたいな感じになった。
あのアスキネットの話はね、なんかちょっとやっぱ読んでてつらかったですよね。
うん。
これからっていうのに、あーこれを切り捨ててしまうのか。
そうそうそうそう。
他にもなんかMSXにもなんかそういう通信のも入れたかったけれどもとか、
なんかいろいろそういう話がちょこちょこ出てきてましたね。
でもあれですよね、僕もちょっとそんなに詳しいわけじゃないですけど、
MSX2ってかなり長いこと使われたんですよね。
うん。
結構組み込みとか、あとなんだっけな、何かが組みやすいんだよね。
だから結構機械の制御とかにすごい向いてて、
MSX2って結構相当長い時代、期間使われてたはずですよ。
で、機械で使うやつとかって一回作っちゃえば、動いてる限りはそのまま使うんで、
なんか結構ね、そういうところで実はずっと働いてたっていうのは、
何度か聞いたことがあります、その工場系の人に。
西一彦は天才だというところで、結論だったのかなと思います。
日産のこの本に対してまた違った考えを持ってる人も多分いて、
その後社長になった古川さんとかなるけさんとかは、
またちょっと違った考えを持っていたんだろうなと思ったりしてね。
この世代がこれに反応して、いろんな人たちが反省書いてくれると面白いなと思いましたね。
あれですよ、ラショウモンみたいになっていいですよね。
いろんな視点がね。
冒頭の視点だとこれ、武士の視点だとこっち。
ビルゲイツがどう思ってるのかとかも知りたいところではありますけどね。
まあ言わないでしょうけどね。
それでは第1回ご視聴ありがとうございました。
もし反省記を読んでる人がいたらですね、一緒に語り合いたいので、
ツイッターとかシャープついてるポッドキャストっていうハッシュタグをつけてつぶやいてみてください。
お返事したいと思います。
それではこんな感じで皆さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。
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