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とるにたらんRadioあそび
日本の片隅から中毒気味なエンタメ愛を叫ぶ番組
とるにたらんRadioあそび
通称とるたラジオへようこそ
いつでもポップとサブのカルチャーの合間を絶えたっているパーソナリティーの花田花です。
さて今回、とるたラジオエピソード44ということでお届けしていきますけれども
何事もなかったかように始めましたが、実はね
本来であれば今回は2月17日金曜日の夕方5時から定時配信するはずだった分のエピソードになります。
私がね若干先週体調崩してて収録をする中、テンションを持っていけなかったんですよね。
ガタガタに体調崩してて寝込んだとか声が出なかったとかそういうことではないんだけど
ちょっと配信の準備をするまでの体調に至らなかったテンションに至らなかったっていうのがあって
ちょっと先週金曜日はお休みをさせていただいたんですが
週1本ペースを守りたいっていう私のわがままなんですけど
先週分を今回の配信分エピソード44で補填をするという形をとって
そしていつも通り2月24日金曜日今週の金曜日の配信分ですね
こちらは夕方5時にいつも通り配信をしたいと思っております
日があまり明かないで配信が続くと
私みたいな毎週1本ペースで決まって配信をしている収録は次が聞かれないんですよ
次というか1本前がなかなか聞かれないっていう傾向にあるんですが
私が本数ペース守りたいってほんとそれだけなので
一応その次回の収録の時も前回上げてるので
よかったらこっちも聞いてねっていう話はちょっと冒頭でしようかなと思うんですが
この収録が始めましての人も絶対いると思うんですよね
次回収録が始めましてになる人もいると思うし
エピソード1からずっと聞いてくださっている方とか
元をたどればラジオトーク時代から聞いてくださっている方とかもいると思うのでね
出会いはどこになるかわからないっていうのが
こういう配信のいいところでもあるので
出会ったところから好きなところから聞いていただければいいかなと思います
あんまりどのエピソードがめっちゃ聞かれたとか
私気にしないようにはしてるんだけど
やっぱり自分の収録の中で
伸びるもの伸びないものってあるんですよね
これもう自分で気づいてる時点でちょっと気にしてるんじゃないのって
思うところもあるんだけど
今ねこのトルタラジオを配信している媒体Anchorという媒体を
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使ってるんですけどAnchorのスマホアプリ
iOS向けアプリを使っていつも収録をしてるんですね
AnchorのiOS向けアプリってすごい親切な設計ではあるんですけど
アプリを立ち上げると最初に
1回エピソードこれだけ聞かれてますよっていうアナリティクスが出るような仕組みになってるんですよ
だから次の回の収録をする時に
パッと開くと前の回がどれぐらい回ってるかっていうのが
数値的に見ることができるんですけど
前回収録回ってなくてですね
私の通常の今まで聞いてくださってる
リスナーさんたちが回してくれていた
傾向とはプリキュア全然違うから
でもこれ本当にラジオトーク時代からずっと続いていることなんだけど
私その時のテンションで話したいことをネタとして喋ってるからさ
だから邦画の話とか日本の俳優さんの話
推しを中心に話をするっていうのが
私の番組作りのベースではあるんだけど
それに乗っかって国内のアニメの話をすることもプリキュアとかもあるし
それとか他にも海外の洋画の話をすることだってたまにはあるし
それ以外のカルチャーの話をすることだってあるので
聞く側は取捨選択して
ピンポイントで好きなところを聞いてくれたらいいなっていう
教科書通りの答えと
なんかいつも頑張って喋ってるんだから全部聞いてくれたらいいのにっていう
これは喋ってる側のエゴなんですけど
気が向いた時にいろいろ聞いてもらえたらいいなっていう気持ちで
やってるなもうすぐ音声配信し始めて
3年経つからね3年目が
3年目というか丸3年4年目に入るのがそろそろ見えてきてるので
今年の夏で丸3年になるんですよ
音声配信やって2年そこそこ経つと
いろんなものが自分の傾向として見えてきてるなっていうのはあるんですけど
ポッドキャストの海の端っこの浅瀬の方をジャブジャブ泳いでいる
底辺ポッドキャスターとしてもいろいろ自分の番組に対して
考えることもあるんだけどね
その時その時で喋りたいこと喋りたいもの喋ってるので
どこかの誰かに喋ったことが一つでも刺さってくれたらいいなという気持ちで
今も続けています
今回お話しするテーマって割と聞いてもらえるテーマなんですけど
こびてるみたいになってきた
違うんだよ私がね今回喋りたいのはやっぱり
新作映画の話なので今回はタイトル見てもらえれば分かる通り
今回は映画エゴイストの話をすることになってるんですが
この後ねこの後ねっていうかこれエゴイストの話は実はもう収録済みなんですけど
オープニングトークこれ今回差し替えてるのであれなんですが
06:01
映画エゴイストの話は
映画エゴイストの話だったりとかそれとか今日本のコーナーでお話しする
俺ではない炎上っていうねちょっと去年バズった本の話をするんですけど
こういうのって聞いてもらえるんですよ正直
来週も実は新作映画の話をしようと思っていて
推しが声優をやった映画が公開されましたので
ちょっとその話をしようかなって来週は思ってるのと
その後ザファーストスラムダンクも控えてますので
映画公開終わるぞって感じなんだけど
スラムダンクはね絶対どこかでちゃんと時間を取ってお話をしようと思ってますので
なんかちょっとねこの先割と
最近バズったコンテンツみたいなさそれとか
方画好きが気になってるコンテンツ俳優好きが気になってるコンテンツの話を
ここ2,3週間はしようかなと考えてるところなので
いつも聞いてくれてる人たちに
聞きたいやつかなって思うと同時に
そこが初めましての人も絶対いるんだぞっていう気持ちを
ずっと持ち続けてなきゃいけないなと思ってるんですよ
常連さんがいて当たり前だと思っちゃいけないなっていうのは
ラジオトークでライブ配信をやってた時にすごい思ってたことで
私ライブ配信すっごい苦手だったっていうのは今までも何回かお話をしてるんですけど
本当に苦手だったのライブ配信が
何であんなに苦手意識があったのかわからないけど
人のライブ配信聞きに行くと
コミュニティがあるじゃないですか
コメント欄の常連さん同士のコミュニティとかもあって
コミュ障にはそれが辛かったんだろうね
私の陰キャのところがすごい出ちゃうんだけど
そういうの辛かったのかなと思うんだけど
そういう感じのある収録っていうのが私は心地いいのかなって
自分が喋ってても一元さんにでもいつも聞いてくれてる人にでも
フラットに対応できるっていうか
フラットに接してる気持ちに自分がなれるのが収録だと思ってた
っていう節が多分あるんだろうね
なので自分には収録が向いてるって気持ち的に
自分の気の持ちよう的に収録が向いてるっていう風に
思ったんじゃないかなって今喋ってて自己分析しててちょっと思ったんだけど
そんな感じで一元さんにも優しいラジオを目指していきたいと思ってるの
なんだそれ
好きなところからピックアップして聞いてくれると
嬉しいし
トルタラジオって毎週カロリー高いじゃないですか
本当に毎週毎回毎回
1時間近く1時間超える回もちょこちょこあったりするんですけど
本当毎回毎回懲りもせず一人でベラベラベラベラ喋りやがって
09:01
っていう感じのコンテンツになってるかなと思うんですが
お耳の隙間にどこかで生活の合間に
私の声を入れてくれると情報として入れなくても聞き流してもいいから
私が思ったことを耳に入れてくれると嬉しいなという気持ちで
今回もトルタラジオやっていきたいと思いますというわけで
今回のメインコーナーここからお話をしていきたいと思いますので
ぜひ最後までお付き合いください
このコーナーでは私花田花がエンタメ作品の記憶
つまりメモリーを地球問わず語っていきます
今回お話しするテーマはこちら
映画小説エゴイスト
さて今回お話しする作品エゴイスト
映画作品として先日公開されたばかりということで注目をされていますが
エンタメモリーのタイトルコールの部分で
私がエゴイストのことを映画小説
というふうにご紹介したのには理由があります
この映画作品エゴイスト原作は数々の
名コラムを世に送り出してきた高山誠さんの
自伝的小説エゴイストです
この原作がすごい良かったんですよ
私このエゴイストという作品にどういう順番で触れたかっていうと
まず原作読んだんですねこの映画があるっていうのが
分かった時にちょっと原作先に読んどこうかなと思って
作品によるんだけど原作記録の状態で行った方がいいのか
全く何にも本当に見り知らぬ状態で行った方がいいのか
ちょっと迷うんだけど今回このエゴイストという作品は
原作を考えた時にちょっと事前情報を入れといた方がいいかな
と思ったので原作気になってたのと
あと著者の高山誠さんっていう方が
私が結構その時代背景的に
その頃好きだった方と信仰があるんですよというのがそれが誰かというと
松子デラックスさんなんですけど
まだテレビにあんまり出てこなかった頃の
ものすごい絶望鋭かった頃の松子デラックスさんと仲良しだったんですよね
松子デラックスさんといえば
今もすごい結構独舌というか
しっかり言いたいことを言ってくれるキャラクターとして
テレビで認知されてるじゃないですか
テレビにまだあんまり出てなかった頃のコラムニストとしての松子デラックスさんって
今よりももっとびっくりするほど絶望鋭かったんですよね
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口が悪かったって言ったらちょっと語弊があるのかもしれないんだけど
もう本当に言いたい放題言いまくる感じの人で
その頃の松子さんが書いてたエッセイとか
すごい私好きだったんですよ
その頃に対談をしてたりとかたまに名前が出てきてたのが高山誠さんなんですね
私高山誠さん自身の著書っていうのは
読んだことがなくて何かで
ウェブ媒体かなんかで松子デラックスさんと
対談してるのを読んだことがあったときに
すごい似てるなって思ったんですよ
外見的というかビジュアルの問題ではなくて
言葉のビジュアルって言ったらいいのかな
読み物としてのビジュアルのときにすごい似てるなって思うのが
松子さんも高山誠さんも一人称が一緒なんですよね
高山誠さん自身も
松子さんみたいに
自分のこと一人称をあたしっていうタイプの
お姉タイプのゲイの方なんですよね
こういう表現が正しいのかどうかわからないんだけど
あたしっていうタイプなんですよ自分のことを
すごい口が悪いの二人とも
その絶望鋭い感じがただの悪口じゃなくて裏に
愛情があるというか言いたいことを
しっかり世に伝えるための絶望鋭さだなって思うと
二人ともとっても愛おしいなって思うのが松子さんと高山誠さんだったんですね
それですごく私の中で記憶が
あったのと高山誠さん昔
一冊の本ですごいバズったことがあるんですよ
羽生ゆずるくんに関する著書があるんですけど
羽生ゆずるは助走をしないだったかな
助ける走るで助走の本の助走ね
羽生ゆずるは助走をしないっていう本がベストセラーになって
それで一躍有名になった方なんですね
40年近くフィギュアスケートを見てきた
もう本当に言うなればフィギュアスケートオタクだったからこそ
言うことができる羽生ゆずるくんについての
考察だったりとかそういうことを書いてる本で
今でも絶対多分この本どこの図書館に行ってもあるんじゃないかな
っていうぐらいすごい本当にめちゃくちゃ売れに売れた本なんですけど
それを書いた人なんですよ
ただそういうコラムニストだったりとかの背景がすごく強い人で
もともと女性誌の編集者の方なんですよね高山誠さんって
なんだけどブログがすごい面白いという噂は聞いたことがあったんですよ
なんか噂は聞いたことあるぐらいの時点で
実は高山誠さん2020年に亡くなってるんですね
お亡くなりになっててなので表舞台にもちろんお亡くなりになった後
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出てくることないですし
それ以前にちょっとラジオに出てたりとか
そういうのを聞いたことはあったにせよ
そこまで高山誠さん自身を私自身深掘りすることがなかったので
今回映画になるタイミングで
しかも出演者が私とっても気になってたので
なので先に本を読もうと思って原作を読んだのが
エゴイストとの出会いでした
なのでまず原作小説を読んでいます
その後先日映画公開最初の週ですね
映画を実際に劇場に行って見てきたんですけど
よかったのよ
今回このエゴイストという作品をまず原作と映画を見た時点で
原作から削られたエピソードっていうのが結構あるんですね
削られた登場人物っていうのも結構いるんですよ
私は原作のエピソードの中ですごく好きなエピソードがあって
そこがもうまるっと全部なくなっていたことに
ちょっと衝撃を受けたんですね
ちょっとショックだったんですよ
そこを映像で見たかったなっていう気持ちが若干あって
ちょっと残念だったなという気持ちを抱えつつも
映画作品としてのエゴイストもすごく良かったので
これは映画を見た後の感想で
もう1回原作に触れようって思ったんですけど
小説が手元にあるんで
もう1回原作小説を読み返してもよかったんだけど
ちょっと違う形で原作に触れようと思って
3回目エゴイストに触れたのが
実はオーディブルなんですよ
オーディブルで朗読されているエゴイストがありまして
オーディブルで3回目聞きました
なんか読書体験とも違う
そして映像体験とも違う
音声としての体験のこのエゴイストという作品も
またすごく良くて
3回通して全部いい作品だったなって
エゴイストについては私思ったんですね
削られたエピソード欲しかったなっていうところも
含めて今回お話をしたかったので
映画小説としてのエゴイストという作品全体
だからこういう言い方をして
正しいよね
メディアミックスとしてのエゴイストという作品について
今回お話をしたくて
タイトルコールのような言い方をしたっていうことなんですけど
ここまでの説明で6分くらい使ってますね
そんな感じで私が本当に良かったと
参集した作品として
今回はエゴイストについてお話をしていきたいと思います
で今更なんですが
あらすじお話をしたいと思います
14歳で母を失い田舎町でゲイである自分を隠して
鬱屈とした思春期を過ごしたコウスケ
今は東京の出版社でファッション紙の編集者として働き
18:00
自由な日々を送っている
そんな彼が出会ったのは
シングルマザーである母を支えながら暮らす
パーソナルトレーナーのリュータ
惹かれ合った2人は時にリュータの母も交えながら
満ち足りた時間を重ねていく
亡き母への思いを抱えたコウスケにとって
母に寄り添うリュータをサポートし
愛し合う時間は幸せなものだった
しかし彼らの前に突然
思いもよらない運命が押し寄せる
というようなあらすじの作品になっているんですけれども
主人公である斉藤耕介を演じたのが鈴木良平さん
そして恋人の中村リュータを演じたのが宮沢飛雄君
もうこの2人の時点で私はすごい見たいと思ったんですけど
それ以外にも飛雄君演じるリュータのお母さんを演じたのが
まさかの阿川沢子さんなんですよね
阿川沢子さんってさ
作家さんでありエッセイストでありキャスターであり
文化人の側面がすごい強い方で
女優さんじゃないじゃんこの人
なんだけど色々ね
なんだっけ
映画作品でもショーを撮ってたりとかするんですよね
映画版のカラフル
最近アマゾンプライムビデオでバズった方のカラフルではなくて
もともと1回目に最初に映画にされた時のカラフルに
お母さん役で出演をした時が映画初出演で
あとドラマにもいくつか出てたりとかするんですよね
結構存在感のある役者さんなんですけど
今回リュータのお母さんっていうのが
割と貧しいというか
病弱で貧しいお母さんの役柄なんだけどさ
この人って結構なお嬢様じゃないですか
阿川沢子さんって
ご本人慶應義塾大学の文学部を卒業していらっしゃって
その後結構ね
お嬢様街道を突き進んでいらっしゃるというか
裕福な方なのでこういう言い方はあれなのかもしれないけど
貧困のかけらも見えない方なので
そういう人が凄いしょぼくれたお母さんというか
本当そういう役柄をしているのが不思議だったんだけど
すごいストンとハマっていてめっちゃ良かったんですよね
もう一人親御さんの役で今回良かったのが
鈴木良平さん演じる斉藤浩介のお父さん
田舎にいるお父さんを演じていた
江本昭さんなんですよ
本当にちょびっとしか出てこないんだけど江本昭さん
ただ一番私にとっては存在感のあるセリフを
言った人だなと思っていて
21:01
お父さんの存在っていうのが
康介にとってちょっと原作と映画違うんですよ
ここの映画と原作のお父さんの違いに関しては
後からお話ししようかなと思いますが
田舎にいるお父さんっていうのを
すごい味わい深く江本昭さん演じていらっしゃったんじゃないかなと思います
あとキャスティングですごい意外性があったのが
ゲイである康介の2丁目にたくさんいるお友達っていうのが
いろいろ出てくるんですね
お友達と一緒に居酒屋さんで飲んでるシーンがあるんですけど
そこでの振る舞いがすごい康介がゲイゲイしいゲイで
楽しそうなんですよね
生きててすごい充実してるんだなって
ハッピーなんだろうなっていうのが見えるシーンなんですけど
そこの康介の友人がたくさん出てくるシーンの中にいる
友人たちがどのくらいいるのかな
想定で5,6人くらいいるのかななんですけど
全員本当にゲイの方たちなんですよ
ゲイを売りにしていろいろメディアに出てらっしゃる方だったりとか
あとは普段はバリバリのメイクをして
ドラッグクイーンとして活躍している方が
すっぴんで出てたりするんですよね
結構今回舞台挨拶とかに出てた
ドラッグクイーンのドリアン・ロロ・ブリジーダさんっていう方がいるんですけど
今回舞台挨拶にも出てたし
あとパンフレットでも対談とかやってたんですよね
原作者の高山誠さんのご友人だったっていうライターの方と対談をして
その高山誠さんについて語るっていうのを
ドリアン・ロロ・ブリジーダさんがやってるんですけど
そんな感じでガチのお姉の方が普通に出演をしているっていうような作品なんですよね
この辺は多分製作サイドもすごく気を使ったというか
リアリティに寄せたかったっていう部分と
本当に原作者である高山誠さんのセクシャリティだったりとか生活だったりとか
存在っていうのを本当に極限までリスペクトしたんだろうなっていうのが見える作品だなと思いました
この作品監督を務めていらっしゃるのが松永大志監督なんですが
松永大志監督がかなり撮影の前にリサーチをいろいろしたっていうことで
高山さんについてのエッセイを
高山さん自身が書かれた著作のエッセイなんかもかなり読まれていて
その高山さんが持っていたユーモアだったりとか
その棘の部分だったりとかそういったところを魅力として
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人間性を練り上げて映画を作っていきたいっていろいろ考えられたっていうところだったりとか
あと高山さん直接知っている方たちに取材をたくさんやっていったりとか
その中でリアルのゲイの方たちにお会いをして
映画に起用をしたりキャスティングとして起用したりとか
あとこの作品すごく先進的だなというか
そういうところにもしっかり気を使ってるなって思ったのが
LGBTQプラスインクルーシブディレクターっていう役職の方がスタッフの中にいるんですね
このLGBTQプラスインクルーシブディレクターっていうのが
どういうことをしている人なのかっていうと
LGBTQプラスについてしっかりとした知識を持っている方が間に入ると
LGBTQプラスについての監修をやったりとか
あとコンサルティングをしていたりとかキャスティングにも関わっていらっしゃるし
キャラクター造形とかLGBTQプラスに配慮をした宣伝をするとか
多岐にわたるこの作品エゴイストという作品全体についての
LGBTQプラスのマネジメントをするという役職の方が入っていらっしゃるということで
今回ちょっとセンシティブな問題になってくるのが
同性間のラブシーンっていうのがそこそこ出てくるんですよね
この同性間のラブシーンっていうのが
コウスケとリュウタの間の愛情を確かめるためのセックスというものはもちろん何回か出てくるんですけど
彼らにとって彼らの心の交換であるためのセックスのシーンっていうのがあるんですよね
そのシーンっていうのがすごい多幸感があるというか
やっぱり2人が幸せなんだなっていうのを
気持ち的にものすごくよく描いている部分なんですけど
もう一つこの作品においてのラブシーンというか
これはラブではないただ単純にセックスシーンとだけ言った方がいいのかもしれないんですけど
リュウタが実は仕事として売り線をしてるんですよね
リュウタは平たく言えばゲーム系の風俗の仕事をしてるんですけど
こういうシーンもあるので男性同士の絡みのシーンっていうのが結構出てくるんですよ
やっぱり女の子が風俗で働くっていうセックスワークに関して
最近よくついている日本の作品でも結構最近ついている役職の方が
今回この作品のディレクションの中にも入ってるんですけど
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インティマシーコーディネーターっていう方が今回この作品では
スタッフの中にいらっしゃいます
インティマシーコーディネーターって何ていうのかな
辞書的な意味で言うとキスだったりとかヌードだったりとか性的なシーンなんか
親密なシーンって言われるものですね体を重ねるシーンだったりとか
そういうシーンの表現方法について制作サイドがやりたいことと
俳優さんが実際に体を張ってやることの間に入って
その強度だったりとかやり方だったりっていうのを調整する専門家なんだそうです
最近だと日本でもネットフリックスの作品で結構導入されてき始めているんですよね
今までもそういう性的なシーンの是非ってずっと国内の作品でも問われ続けていた問題で
そこに対してちゃんと専門家として介入できるようになったっていうのが
インティマシーコーディネーターのお仕事なんですね
演者が望まない演技を強いられることを防いで
身体的精神的な安全をサポートするという面でとても重要な役割なんですが
やっぱり性的なシーンでの動きだったりとか感情だったりとか表現方法だったりっていうのを
制作サイドがやりたいことと俳優サイドがやりたいことやりたくないことっていうのをしっかり調整した上で
かつ監督がしっかりリサーチをしていた部分にあったのが
セックスワークについてなんですよ
異性間でのセックスワークだったりとかそれとか今回この作品で描かれる
つまり同性間でのセックスワークっていうのが本質的には変わらないんじゃないかっていうことは
松永大司監督は思っていたらしいんですが
ただそれが実際に自分が体験したことではないので本当に一緒かどうかがわからないと
なので実際にセックスワーカーとして働いている男の子たち
リアルのウリセンの男の子たちに話を聞かせてもらったそうなんですね
そういうところでの取材もインティマシーコーディネーターが間に入ることで
感情表現だったりとかやりたいことで監督がやりたいことっていうのをしっかり組んだ上で
俳優さんにちゃんと回していくって俳優さんがやりたいことやりたくないことを監督に戻して
きちんと調整がうまくいくというようなやり方を取っていたということでね
なので結構ラブシーン強烈なんですけど見慣れていない人にはかなり強烈だとは思うんですけど
この作品ではそれが必要だったんですよね
HGBT級インクルーシブディレクターの方が入っているということで
男性同士のセックスについての監修もあったということで
割とリアルになっているのではないかと思います
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のではないかっていうのはね
だって私は知る余地もないわけじゃないですか
結局リアルの男性同士がどういうふうになっているのかっていうのは分からないんだけど
でもそういう監修が入っていたりとか安全性に配慮されていたりっていうのがあると
ちょっと安心だなって思いますよね見てる方も安心だなと思うし
その安心だけどリアルになっているんだなって思う部分があるなっていうのはすごく思いました
やっぱり監督がここまでリサーチだったりとかにこだわっているということが
考えたら分かる通りかなりねドキュメンタリータッチなんですよ
このドキュメンタリータッチがどういうところに来ているかというと
その話の作り方でリアリティを追求しているという部分にもあるんですが
かなりね映像もいい意味でも悪い意味でもドキュメンタリータッチだなっていうふうに感じました
まあそれは接写をすごく多用しているんですね
演者さんの顔のズームが多いっていうのは何となく最初からすごく思っていたし
あと手ぶれのあるカメラというか手持ちカメラで撮影している感じがすごいするんですよ
なのでズームだったりとかカメラが横動きするパンっていう動きっていうのがグラグラするんですよね見てて
なのでこれ多分結構映画の公式としてはいいだと思うんですけど
公開初日か次の日ぐらいに画面用意に注意してくださいっていう注意喚起が映画公式から発表されたぐらいに
そのカメラワークというか映像の動きに特徴がすごくあるんですよね
ただこれは表現方法としてすごく良かったと思うんですよ
一番それが見えたのがコウスケとゲインの友達たちのものすごいフランクなお酒を飲んでギャーギャー言っている
お姉言葉で喋り続けている楽しそうなお酒の席と
あとコウスケとリュウタが部屋で2人きりですごく楽しそうに過ごしているシーン
この2つのシーンがカメラワークすごく特徴的でしかも印象的になるシーンだったなと思います
すごい喋ってる人の顔がアップになる時があるんですけど
その顔をズームで抜いている時っていうのはその人が喋っていることを何よりも伝えたいって
多分制作サイドが思ってるんだろうなって思わせてくれるんですよ
かつシーンによっては喋ってる人映さなかったりとか
それとか大胆に表現を削ぎ落とす場所があったりとか
そういうところで伝えたいところ私たちが伝えて見てほしい
私たちに見てほしいところ
視聴者にとってどこに目を当ててほしいのかっていうのが
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カメラワークでかなり一目瞭然だったんですね
多分これはエゴイストの制作の問題というか
制作側の条件がちょっと制限があったみたいな部分があるのかもしれないんだけど
ロケ地がすごい少ないんですよこの作品
数えるほどしかロケ地がなくて
でもそれを感じさせないんですね
これはドキュメンタリータッチの映画だからっていうのがあるのかもしれないし
顔のアップがすごく多いから
あんまりいろんなところで場所を点々として長回しとかで撮ってないので
場所が移り変わらないことをあんまり気にしなくてもいい作品だったなっていうふうに
後から考えるとすごい思ったんですよ
だから予算がそんなに多くなくても
ロケ地が多くなくても背景のバリエーションの無さに不満感がないみたいな
そういうふうなことを思ったりもしましたね
途中でリュウタがコウスケをスマホで撮影しているものを
そのまま映像に落とし込んでいるシーンがあるんですけど
このシーンが本当に可愛くてね
ここはすごい幸せに満ち溢れてるシーンなので
これ映画エゴイストの公式アカウントで
ちょこっとだけそのシーンが公開されているので
よかったらぜひそちら見ていただければと思います
なんか手持ちカメラの撮り方っていうのもすごいよかったし
スマホでムービーを撮るっていうような
日常の本当に恋人同士がやりそうなことっていうのを
映像に落とし込んだシーンっていうのも
すごい多幸感に溢れていて素敵だなというふうに思いました
監督が本当にドキュメンタリータッチっていうことに
力を注いでいるっていうのが伝わってくる映像
そしてリアリティを追求するその姿勢っていうのが合わさって
エゴイストっていうこの半分フィクションなんですよね
自分と本当に高山誠さんに存在した
恋人 年下の恋人っていうその関係性を
ベースとした一応小説っていう扱いになってるんですけど
だから主人公は高山誠さんではないんだよね
斎藤浩介さんが主人公なんだけど
だから半分フィクションのこの世界が
やっぱりそこにあるんじゃないかなって
なんとなく思ってしまうような
見ているこちら側もエゴイストの世界にぐっと引き込まれるような
ものを世界観を作り上げてきたのは
やっぱりこのドキュメンタリータッチであり
リアリティを追求するその姿勢だったなというふうに思いました
やっぱりこの素晴らしさもあって
エゴイストという作品はですね
映像作品としてはアジア版アカデミー賞と言われる
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アジアフィルムアワードに3部門
主演男優賞 鈴木良平さん
女演男優賞 宮沢ひよくん
そして衣装デザイン衣装 篠塚奈美さんという方が
今回衣装デザインに関わってらっしゃるんですが
この3部門でノミネートされるという
アジア全域版のアカデミー賞と言われるものなんですが
ここにも名前を残しているということで
それだけでも作品としての素晴らしさ
エゴイストも伝わるのではないかなと思います
このエゴイストという作品に
3つのジャンルで通して触れて
私がずっと通して考えていたことっていうのが
愛とは何なのかっていうことなんですよね
主人公の康介がきっと生きていく中で
大切に思っていたのって愛なんですよ
その愛は恋人である
リュータに向けたものだけではなくて
亡き母に向けたもの
そしてリュータのお母さんに向けたもの
田舎のお父さんに向けたもの
いろんなジャンルの愛が
康介の中にはあったと思うんですよ
康介はその愛というものを
エゴだと思っている節があって
だからこれを愛と呼んでいいのかみたいなところで
すごい葛藤している部分がたくさんあったんだけど
大切な人を心から思うのって
エゴじゃなくて愛なんじゃないかなっていうのは
私はすごくこの作品に触れてから
悶々と考えていたことで
誰かを愛した時に
その人のことを大切にしたい
幸せにしたいって思う気持ちって
生きていれば誰しも持っておかしくないというか
そういう沸き上がる強い思いっていうのは
きっとあるんじゃないかなって
その対象である誰かを幸せにした時に
自分も幸せな気持ちになることができる
だからこうウィンウィンの関係になれるっていうのが
愛じゃないかなって
だから一緒に幸せになることが
つまりは最上の愛の形なんじゃないかな
っていう風に思ったんですよね
でも一緒に幸せになることが
最上の愛の形であるって考えると
結局は自分が幸せになることにつながっていく
ということになってしまうので
詰まるところを自分の幸せのために取った行動
っていうのはエゴなのではないかと
なんかこうそこがずっとぐるぐるぐるぐる
堂々巡りしていて
私が考えていたことって
もしかしたらコウスケも同じように考えていたんじゃないかな
っていうのをエゴイストという作品ずっと通して見ていて
思ったんですよね
この作品の中で
リュータが若い頃から厳しい生活維持するために
もちろんお母さんには内緒で
いうことなんてできない売り銭というね
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体を売るっていう仕事を続けていたわけなんですけど
これをリュータにやめさせたいと
だから売り銭で稼いでいたお金には
もしかしたら足りないかもしれないけど
自分の可能な額をリュータにあげるからと
だから自分がリュータを買うよっていう形で
解決しようとするんですよね
そのお金を出すリュータを買う
恋人であるリュータを買うっていう行為は
なんか決してなんかこう
なんていうのかな
世間一般的に認められる行為ではないと思うんだけど
でもそのコウスケの行動っていうのは
彼を支えたいという気持ちから湧き上がってきているものであり
かつ自分の亡くなった母親と状況が被っている
リュータのお母さんのことも支えたいという気持ちから出てるんだよね
だからそのリュータを支えたいっていう気持ちと
リュータの心を支えたい
だから経済的にも精神的にも
リュータのことを支えて幸せにしてあげたい
それをすることによって引いては
彼の後ろにいるお母さんのことも支えて幸せにしてあげたい
っていう気持ちから出てきてるんだけど
それが最終的には自分の心を救うことにもなるんだ
彼らのことを救うことにもなるし
お母さんに自分の実の亡くなった母親に
できなかったことを今やってるんだっていう
満足感につながってるんですよね
だからこれってもしかしたらエゴなんじゃないかっていう
若干の罪悪感に彼は苛まれているっていう部分があったんですよね
ただリュータはそれで
こうすけには言えない葛藤みたいな部分だったりとか
それとか収入部分で大変な部分とかもあったりして
彼は完全なるヤングケアラーなので
高校も中退して病気がちなお母さんのことを
経済的にも支えてっていうようなことをずっと続けてきているので
やっぱり体がもうついていかなくなってしまうってね
それでちょっと物語の中では悲しい結末を迎えてしまうんですけど
そういう結末になったことすらも
こうすけ自身は彼の生活に介入してしまったこと
だから自分自身がやっぱり巻き起こしてしまったこと
引き起こしてしまったことなんじゃないかなって苦悩するようになってしまうんですよね
だからそういうことになったことで
リュータを愛したことすらも自分のエゴではなかったのか
だから自分自身は本当にエゴイストだったのではないか
っていうふうに自分を責めてしまうんですね
でも自分を責めるからこそ沸き上がってくる
彼が持っていた愛情っていうのがあって
見ている側としてはそこで彼が持っていた愛情っていうのが
さらに浮き彫りにされてちょっと切ない気持ちになってしまうな
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っていう部分はあるんですよね
こうすけがリュータをお金で買って
リュータたち親子のことを経済的にこうすけが支えるっていう
この歪な状況と私ちょっと劇中で気になったのが
同性婚もちろん日本ではまだできないわけなんですけど
パートナーシップ制度っていうのはあるんだけど
まだ婚姻とは全然違う制度なので
いろいろと物議を醸している部分ではあるんですが
パートナーシップ制度ではなく結婚がしたいというか
結婚ごっこがしたいみたいな
こうすけのお友達が劇中で出てくるんですね
それでカップルで区役所に婚姻届をもらいに行って
2人で書いて壁に貼ったんだっていう
のろけ話とも笑い話とも取れるような
飲みの場での軽い話題っていうのが出てくるんですけど
その婚姻届を出すつまり制度としての結婚として
カップルが認められるっていう状況と
こうすけたちの状況っていうのを私は
重ね合わせて見てしまったんですよね
これって多分見る側に少し考えさせるための仕掛けになっているのかなって思ったんですけど
もし日本でも同性カップル同士に
パートナーシップ制度ではなく結婚という
世の中に認められる選択肢があったとしたら
そしてこの劇中でこうすけとリュウタがそれを選べたとしたら
こうすけとリュウタとそれとリュウタのお母さんには
また違った形の幸せが訪れた可能性があるのではないかって思ったんですよね
こうすけが実はそのリュウタのお母さんに
後々提案することとかもあったりするんですけど
そういうのも多分違和感なく
もし結婚していたとしたら受け入れられたことだったと思うんだけど
それができなかったのも
結婚という制度の中に彼らがいなかったからではないかと思うんですよね
私は結婚が全てではないと
人生において結婚が全てではないと思っているので
自分の人生経験上いろいろあるからね
それこそあんまりちょっと深い話は
今日はしたら話が逸れちゃうのであれなんですけど
私の性的指向と今までの人生経験上
結婚はベストではないと思っているので
こういうLGBTQに触れる話をするとき
そういう話もしたいなと思うんだけど
今日も長くなるのでちょっとそこは割愛しますけど
私の個人的な感情の上で
異性同士の付き合いが至上ではないと思っているし
かつ結婚って恋愛の最終到達地点ではないと私は思っているから
だから結婚という選択肢が
一番いいことではないと私は思っているんだけど
この二人にとっては婚姻制度があったら
もう少し楽に人生を送れたんじゃないかなって
思ってしまったんですよね
45:01
この婚姻届の話があったから
愛だけでは片付けられないもの
社会や制度の下で支えられることができる愛情っていうのも
仕方ないんだけどあるんじゃないかなって
思っちゃったんですよね
やっぱり経済的精神的に支える下雑愛になるためには
なんか結婚しちゃった方が楽なことってあるんだなって
悲しいかな
彼らに対してはちょっと思ってしまいました
なので誰かを愛した時に相手の大切なものだったり
大切な人だったりを守って守ってもらえる
お互いにシェアして守り合える
ようなことが約束できる選択肢っていうのが
現状の日本では婚姻であって
かつ同性カップルではまだそれが難しい
しかもこのエゴイストの世界っていうのが
2000年代初めなんですよね
2006年とか2008年とかそれぐらいの時代なんですよ
だから今よりも法制度がまだ整備されてないし
LGBTQプラス法案とかも全然まだ通ってなくて
同性婚の制度とかも全然まだ日本では
整備されてない頃なので
余計に彼らにとって厳しいんですよね
だからもっと制度が整備されていけば
悲しい思いをする人も減っていくんじゃないかな
っていうのはなんか深く深く考えてしまいました
生活基盤を一つにしたら楽になるっていうのが
結婚の理由になる異性カップルもいると思うんですよ
ヘテロの人たちにとっては選択肢の一つだと思うんですよね
だからヤングケアラーだったり
ワーキングプアだったりとかする
相手を支えたいっていう同性カップルにとっては
今は辛い現状がもしかしたらあるのかなっていうのを
今回エゴイスト見ていてすごく考えてしまいました
同性同士だと選択肢が一つ少ないのかとかね
でも結婚がベストではないから
結婚したところでもしかしたらできないことはあるのかもしれないけど
でも選択肢としては1個減ってるよねっていうのは
思ったっていうのと
婚姻届を書いたゲイの友達の最終的な到達地点を考えると
結婚がベストではないなっていうのは私は思ったのね
その話って笑い話で1回出てくるんじゃなくて
その後でオチが出てくるんですけど
そのオチを聞くと
もし婚姻制度が同性同士でこの世界の中であったとしても
コウスケとリュウタそれを選んだのかなって言われたら
もしかしたら選んでないかもしれないよねっていうようなことも考えたりもしました
なんか誰かを愛して行動したっていうことが
48:02
最終的に自分のためだったって思えば
それは自分ではその愛はエゴだって呼べばいいのかもしれないけど
でもその愛情を受けた側にとっては
感謝するべきことになっているかもしれないんですよ
だから受け取った側は
もしも愛を与えた側が自分のこれはエゴだったって
ずっと言い続けていたとしても
受け取った側はいやそれは愛だったんだよって
言っていいんじゃないかなって思ったんですよね
コウスケは自分がエゴだと思っているリュウタたちに与えた愛情っていうのを
エゴだって思ってこの先の人生も歩んでいったのかもしれないけど
それによってコウスケ自身が苦しまないで
その先の人生を歩んでいってくれていたらいいなって思いました
でも実際著者の高山誠さん自身は
恋人が亡くなったのが2006年ぐらいだったかな
それぐらいなんですよね
その後10年ちょっと経った2020年に
ご本人も亡くなっていらっしゃるので
10年ちょっとの間に少しでも苦しまずに
納得して生活をしていっていたらいいなって
でもやっぱり恋人を失った喪失感だったりとか
愛情を与える相手が亡くなった喪失感だったりとか
いろんなことを考えて
その先の人生を歩んでいったんじゃないかなって思うんだけど
それはコウスケがきっとものすごく優しくて
ものすごくピュアで
ものすごく愛情深い人だったから
そういうふうに考えたんじゃないかなって思うので
そんなコウスケに出会ったリュウタであり
そしてそんなコウスケに
リュウタを介して出会ったリュウタのお母さんだったり
そしてそんなコウスケに愛されていた両親だったり
そういうところを考えると
彼に出会った人たちっていうのは
私はきっと幸せだったんじゃないかなっていうふうに
この作品を見て思いました
原作から削られたエピソードで
私がこの愛と英語別で考えた話があったんですけど
ネタバレしないように一生懸命喋ってたのに
高山誠さん自身の話をすると
ネタバレになってしまうんですけど
リュウタが亡くなってしまうんですね
途中でリュウタが亡くなって
呆然実質になっているところ
劇場版実写版の方では
自力でちゃんとおつやなりお葬式なりに
コウスケは足を運んでいるんですが
小説版の方では本当に呆然実質となって
家に帰ることはできても
そこから一歩たりとも動けなくなってしまうんです
それを助けてくれたのが
結婚している友達だったんですね
自分の友達と奥さんが
コウスケの身の回りの世話を全部してくれて
51:00
おつやまでの間ずっと付きっきりで
どっちかが奥さんなりその友達なりが
ずっと一緒にいてくれたっていうエピソードがあるんですよ
だから寝床を与え食事を与え居場所を与え
ずっと付きっきりで心のケアをしてくれたっていう夫婦がいて
私その友達が助けてくれたシーンで
原作を読んだ時にものすごい泣いちゃったんですよ
コウスケにこういう人がいてくれて良かったねと思って
やっぱりリュウタを突然失った喪失感っていうのは
とっても辛かったと思うし
本当に誰にも補いきれないものがあったと思うんですよ
ただ誰にも補いきれなかったとしても
その穴を自分が塞ぐまでの間に
塞ぎきれなくてもね
その穴が少しでも埋められるまでの間に
誰か一緒にいてくれる人がいて
誰か支えてくれる人がいるっていうのは
コウスケにとって愛を受け取る時間だったと思うし
彼らの愛ももしかしたら
その友人夫婦にとっては
コウスケに対してのエゴだと思ったかもしれないんですよね
でもコウスケからすると
その時間ってものすごい感謝に満ちた時間だったと思うんですよ
そしたら愛とエゴの関係性って
コウスケとリュウタの関係性とか
コウスケとリュウタのお母さんの関係性とかを考えると
なんかちょっと逆になっているなって
逆向きになっていて
愛を受け取りエゴを送っているっていう関係性が
友人とコウスケの関係性を見た時に
一方的に愛を送る人じゃなかったのコウスケ自身がね
一方的に愛を送る人じゃなかったんだなっていうのは
分かるエピソードだっただけに
ここが削られたのはちょっともったいなかったなっていう風に思いました
あとね原作から大きな改変部分で言うと
コウスケのお父さんが再婚したりとかするエピソードもあるんですけど
ここは追加することによって
映画にしたらめちゃくちゃ冗長になってしまうと思ったので
えもとあきらさん演じるコウスケのお父さんが
独り身だったのは映画版ではよかったのかなとは思いました
全然新しいお母さんって言うまでもないんだよね
大人になってからお父さんが再婚しているので
お父さんと新しく奥さんになった人っていうのもものすごくいい人で
コウスケの人生に害を与える人物でもなんでもなかったので
そこは別に映画では描く必要がなかったから
ちょっとカットされたかなっていうのはあったんだけど
そこもちょっと改変点だったのでね
でもお父さんが映画版では一人で生活をしていて
でコウスケとゆっくりご飯を食べるシーンっていう
そこで話す一言っていうのがすごく私にとっては心に残った言葉だったので
ここは了解編だったなというふうに私は思いました
この映画小説エゴイスト
愛した人と出会い
54:01
そんな愛した人と過ごし
愛を贈り合った大切な記録っていうのが
切実に記されている物語だなというふうに思いました
恋人との愛
恋人対恋人の愛
そして息子と親の愛
そして母から息子への愛っていうのをすごく感じる作品だったので
私自身の今の立場を
今自分が代入できる立場っていうのを考えると
自分が愛した人たち
自分が誰かの恋人だった時っていうのを考えると
対恋人としての気持ちもすごくよく分かるし
自分が誰かの子供である
自分の両親と私との関係性を考えた時の愛情だったり
そして私自身母親なので
母として子供との関係性を考えた時
しかも私息子がいるんでね
息子が2人いるんでね
息子との関係性
特に考えた時に
自分を代入するとすごい切ない気持ちになるなっていう
だから私は3つの立場に自分を代入することができたので
すごく感情移入ができるストーリーだなっていうふうに思って
もう一回見たいなっていうか
何度でも見返したいなと思える作品になりました
というわけで映画エゴイストはまだ現在劇場で公開中ですので
機会があったらぜひ足を運んで見てみてはいかがでしょうか
原作そしてオーディブルの方もとてもおすすめなので
ぜひぜひチェックしてみてください
花田花の今週の一冊
最近読書が習慣している私花田花が
今週読んで面白かった本をご紹介するこのコーナー
今週は朝倉明成さんの俺ではない炎上をご紹介します
まあこの小説推理小説としてめちゃくちゃ面白かったです
この朝倉明成さん就職活動を題材にした
6人の嘘つきな大学生という作品が
去年ですね2022年の本屋大賞をはじめ各種文学賞に
いろいろとノミネートされた方なんですが
その直後に発表された作品というのが
この俺ではない炎上という作品でした
デビュー10年目の挑戦として青春ミステリーの書き手として
名を馳せた朝倉明成さんが
青春というイメージから脱却するために書いた作品といっても
過言ではないかもしれません
SNSが炎上するって今やわりと当たり前じゃないですか
SNSの炎上のニュースなんてもうしょっちゅう聞いても
57:00
こっちも耳にタコができてるんじゃないかなっていうぐらいの感じなんですけど
そんな今やもしかしたら誰に起きてもおかしくないような
そんなことをきっかけに自分は何にも悪くないのに炎上して逃亡犯になってしまう
そんな50代のサラリーマンっていうのが今回の主人公です
絡まっていく謎ありそして逃亡劇あり
そんな過程が鮮やかに描かれています
なんか私最初読み始めこの本すごいページをめくる手が進まなかったんですよ
なんでかっていうとしんどかったんですね
あまりにもリアルすぎてネット民の反応っていうのが
私もツイッター好きだしよく見るけど
ネットの人って追っかけ始めたらすごいしつこいじゃん
それがすごいリアルに描かれてたんですよ
なんていうのかな
脊髄反射で叩くって言ったらいいのかな
もうすぐ叩いちゃあ晒しちゃあもうこいつが犯人だって言っていってしまうような
そんな描写がちょっとしんどかったり
あと捜査をしている警察官が出てくるんですけど
この警察官のうち一人が決めつけで犯人だって
主人公のことを追ってるんですよね
もう捕まえて吐かせてしまえばもうそれでいいだろうと思っている警察官がいたり
なんかそんな展開が序盤しんどくって
本当最初3分の1くらい読むのきつかったんだけど
読んでるうちに面白くなってきて
これどこから面白くなってきたかっていうと
主人公が炎上に気づいて
しかもその主人公がめちゃくちゃインターネットとかSNSに疎くて
自分に何が起こってるかわかんないんですよ
わかんないんだけどとりあえず逃げなきゃどうしようもないっていう状況に
追い込まれてから解決の糸口をたどっていく
そういうステージに登ったところでようやく失踪感のある感じになってくるので
その様子に引き込まれてからはマジで全部一気読みしてしまいました
なんかねその俺ではない炎上っていう
俺ではないっていう言葉にこの作品ものすごくいろんな意味が込められていて
多分その
冤罪だからねまずね
自分じゃないのに追いかけられている主人公の立ち位置っていうのも
俺ではないっていうのが含まれていると思うし
私すごい思ったのがネット民たちの反応なんですよ
自分関係ないから
自分から離れたところで起こっている事件だから
俺じゃないからとりあえず晒して叩きゃ別に楽しければそれでいいでしょみたいな
なんかそういうところがうっすら透けて見えて
その俺ではないっていうね
なんか自分悪くないし
でその自分悪くないし俺悪くないしっていうのは
実はね
主人公も持ってる気持ちなんですよ
その俺ではないっていう言葉を最終的にラストで
1:00:00
主人公が手放す瞬間が来るんですけど
この俺ではないを手放した後
ネットにも疎ければ周りの気持ちにも疎い
主人公のおじさん
どうやってその先の人生生きていくんだろうなっていうのを考えると
先を読みたいわけではないけど
その先の人生に思いを馳せてしまうような作品になっているなと思いました
これ話しちゃうと面白くないので
ちょっと詳しくは伏せておきますけど
この作品文章中に含まれているトリックっていうのもね
騙されたって私思っちゃいました
久しぶりに騙されたって思っちゃいました
こういうトリックを使っている作品をちょっと久しぶりに読んだので
懐かしくも騙された気持ちになってしまって
それもすごく気持ちよかったので
ぜひぜひ俺ではない炎上を読んでみてはいかがでしょうか
というわけで今回は朝倉明さんの俺ではない炎上をご紹介しました
エンディングです
はいというわけでエピソード44いかがでしたでしょうか
ちょっと遅れての配信になったので
どのタイミングでみんな聞いてくれてるかなっていうのはちょっと心配に思いつつ
いつものトルタラジオでお送りしました
そしてまたすぐすぐお会いすることになるかと思いますが
24日金曜日はまた夕方5時に配信をすることにしております
あのねすっごいよかったのこの話は来週するけど
本当にブルージャイアントめっちゃよかったので
よかったらさお休みの間にブルージャイアント見てきてください
推しが頑張っております
真宮翔太郎の声がめちゃくちゃよかったです
それとさ星降る夜に本当にいいんだよ
いいんだよ千葉雄大の話をめちゃくちゃしたいんだ
千葉くんも頑張ってる
頑張ってるし春会があったんですけど
以前ねちょっとお話ししたんですけど千葉くん演じる佐藤春がメインの会があってですね
まあいろいろあったんだけど
セリフの中にさ太ったって言われてるセリフがあって
分かってるけど
ネタにされてんの
それどこまで本気でネタにされてんのかなって思うと
なんか切ない部分もあったんだけど
いや面白いなっていう風に思いました
あのねちょっとね今いろいろ話したいエンタメの話があってさ
自分の中でどれから喋ろうかなってごちゃごちゃしてるんだけど
私今すごく気になってて
次のどこか休みとか見れるタイミングで見ようかなって思ってるのが
ネットフリックスで最近公開された
スマホを落としただけなのにの韓国バージョンっていうのが出てるんですね
もうほんとつい最近まだ配信開始されたばっかりのやつ
多分17日くらいから配信開始されてるんですけど
1:03:02
これが日本版のねそれこそ千葉くんも出ている
スマホを落としただけなのにのエッセンスだけ取って
だからスマホを落としたっていうスマホを落としただけなのに
事件に巻き込まれるっていうそのエッセンスだけを持ってきて
ものすごい面白くなってるってなんか評判なんですよね
たださなんかそのすごい面白くなってるみたいに言われると
あの原案版っていうかその日本版のスマホを落としただけなのに
しかもあの2の方ね囚われの殺人鬼の方では主演をやってる俳優のオタクとしては
すっごい悔しいものがあるので
でもなんか韓国版めっちゃ面白いらしいので
とりあえず見てやろうというね
嫌なオタクの立ち位置になってるんだけど
どこかのタイミングで見てまたそれも軽くお話ししようかな
なんていうふうに思っていたりもします
皆さんなんか最近面白いエンタメないですか
よかったらお便りとかで教えていただけると嬉しいです
というわけでまた近々になりますが
また金曜日夕方5時にお会いしましょう
トルに足らんラジオ遊びは
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DMとかでも送ってくださる方最近ちょこちょこいて
すごく嬉しいですありがとうございます
励みになっています
ツイートとかでまた投稿してくれるともっと嬉しいので
ぜひよろしくお願いします
では今週はここまで
今週じゃないな
今回はここまで
エンタメには中毒性がございます
予報要領を守って正しくお楽しみください
お相手は花田花でした
ではまた今週はもう一回お会いしましょう
またね