なぞみです。ゆんです。上水優輝です。
討論カフェは、お題についてみんなで語り合う価値観の交換の場です。
この番組を聴いている間、ほんの少しだけ余白を持って、
さまざまな意見に触れる時間を楽しんでみてください。
さて今回は、運命って信じる?というお題で価値観の交換をしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
お願いします。
運命ね、これはもう討論カフェの歴史の中でも一番使ってきたお題なんですよ。
意外ですね。
運命って信じますか?ってお題があったんだ。
はい。初期の頃からしょっちゅう使ってて、最近は全然使わなくなってたんですけど。
初めてしゃべりますよ。
でも運命って当時結構セレンディピティとか、ビジネス本でも流行ってたよ。
だから、両方の要素ありますよ。偶然とか、そういうもの。
最近、討論カフェのオンラインで話してて面白かったのが、決定論っていうのを話してる人がいて、
運命はもう決まってる。全て、自分がどこにたどり着くか決まってる、みたいな考え方をするか、
意志論って言って、ごめんね、ちょっとわかんないんだけど、自由意志、自分の意志で進んでいるって思うかで、
全く感覚が違う、みたいな話をしてて。
もう、永遠のテーマですよ、運命は。
決定論は結構ね、信じてるんですよ。
運命って。
実はそうなんですよ。いいよって。
さっき、女性の社長だから、みたいなこと言ってたのに。
実はね、そう。
そうなんや。
要するに、全部の行動には原因があるわけじゃないですか。原因があって結果があるわけじゃないですか。
原因と結果のすべて繰り返し、その原因をずっとたどっていくことができちゃうわけじゃないですか。
逆に言えば、結果をずっとたどっていくこともできるわけじゃないですか。
結果をたどっていくというか、原因の方に。
今、ここにこうしているのは、原因があるわけだし、
今、ちょっと手が動いてるけど、ちょっと手が動いてるのも原因があるわけじゃないですか。
神経伝達物質がどうのこうのとかっていう。
それを全部たどっていったら、何かにたどり着くと思うんですけど。
でも、原因から結果を導き出すことも逆に言えばできちゃうじゃないかって話。
それって運命ってことですよね。
じゃあ、脳的なものが世界にあるってこと?
世界を動かす何か。脳が結局この指を動かしてるよね。まではわかるんやけど。
この、ここに存在して、こっちの道を行ったとかも、全部何かどっかにつながってるってことでしょ?
イメージは、誰かが押した、神様だとしましょうか。
神が押したドミノ倒しが、今ずっと続いてる感じ。膨大に広がるドミノ倒しが。
あれみたいな、バタフライなんちゃらみたいな。
近いですね。
蝶が飛んだら、こっちで竜巻起こるみたいな。
確かに。
でも、それは私も全然、真っ向から否定する感覚はないよね。
だから、どっか運命を信じている気もするけど、抗おうとするタイプではある。
今ここで言ってる運命ってのは、変えられないものみたいなことをイメージですか?
宿命、いわゆる宿命みたいなことを運命って言ってるっていうこと?
もともとこのお題は、運命は変えられるかっていうお題が主流だったんですよ。
運命って言うのは、言葉の定義的には、そもそも変えられるものを運命って呼びますよね。
宿命が変えられないもの?
そうなの?運ぶ命?
そう。
じゃあ、ちょっとまず勘違いしてた、それは。
変えられる要素もある、運命はみたいな。
けど、別にいいんですよ。
それが宿命的なニュアンスの変えられない何かが決まっているものを運命として言っているということでいいのかなって確認したいね。
でも、運命は、そうね。一旦それでいこっか。
変えられないものを信じますか?
じゃあ、それでいこう。
変えられるって信じるとするじゃないですか。信じて行動するとするじゃないか。
それも、だから決まってたってこと。っていう解釈。
それが嫌だ。
でも運命というか宿命を信じるという状態はそういうことですよね。
それだけ。
その意思を持ったことさえも決められていたんだって考え方ですよね。
何かの刺激によってね。
でも別に、それは日々生きていく上で考える必要はまだないことではあるわけですよ。
神目線に立ったときにそういうこともあるよねっていうだけであって。
でも、もし全部決まってんだろうなと思うと、選択は楽になるのかな?
私は自分の意思で決めるみたいな感覚が強すぎて、1個1個の選択が大変なことは事実なんよ。
わかる?
今日食べるもの1個。
日々食べるもの1個で、もう10年後の健康も違うし、日々食べるもの1個で自分の幸福度合いも違うし、みたいな。
めちゃめちゃ自分の意思決定みたいなものに、もう意味も価値もつながりも感じちゃってるから、大ごとなの、すべての決定が。
でも、まあまあまあ決まってるしね。私がいつ死ぬかなんてぐらいに思えば、食べたいもの食べて、みたいなさ、たとえばよ。
っていう、すごいリラックスした人生なんじゃないかという気もするみたいな。
それは、人間目線から抜け切れてないですね。
なるほど、なるほど。
そういうこと?
神の目線から見たら決まってるわけであって、人間目線から見たら決まってるわけではない。
でも、やっぱり神っていうのは、神みたいなものがないと、運命みたいなものはないのかな。
神っていうよりあれでしょ、全部の連動性の話してるでしょ、たぶん。
私がここでカレーを食べるって決めたのは、全部の連動性の中にあるだけだよって話をしてるんじゃなくて、もう誰かが決めてるみたいな、そういうイメージ、神みたいな。
だから、最初に押した人、最初にドミノ倒し倒した人。
で、ドロロロロってずっと続いてるわけじゃん、その膨大に広がるドミノ。
その押した存在のことを今言ってます。
そこの視点はあんまないかったかもです、確かに。
そのドミノは、普通のドミノ倒しって、ドミノを先に置いてるじゃん。
で、倒してバーっていくじゃん。
今言ってるのは、なんかランダムにあるドミノを、ただ押した人がいて、今ランダムに何かが起こってるって考え方なのか、
本当になんか設計されてるものが言ってるって感覚で言うとどっちが近いんですか?
感覚で言えば、自動生成される。
例えば、風雷の試練とかってわかります?ゲームですけど。
ステージが自動生成されるんですよ、プログラムに従って。
それのプログラムを設計して、自動生成されるプログラムを設計して、
押す。
エンターをね。
それで言うと、私、自分が最初にエンターを押す人だと思い込んでるかも。
だから、大事な一歩って思ってる、自分が。
と思っているそうです。
人間目線はそれで全く問題ない。
人間目線はできない。
だから、自分はその連続性の中にいる感覚がめちゃくちゃ薄くて、
自分の一打が世界を変えるぐらいに思い込んでいる感じ。
だから、自分の一打を大事にするみたいな。
いいんです、それで。
人間ですからね。
そう、人間目線なんでね。
そっか。
でも、そこはもう生成されてる一部分ってことでしょ?私が言うからすると。
そうですね。プログラムに従って生成される一部分。
でも、そうだよね。なんだかんだ痛いとか感じるわけだからね。
痛いから避けるわけじゃない。
そうそうそうそう。寒いから家に入るわけだ。
って考えたら、じゃあ全てが自分の意思なのか、みたいなことを言われると、
やっぱ断食とかするしかないね。
だから、自分が思うのは、神の目で見たときに、
大体このぐらいのときに大きな戦争が起きるとか、
大体このぐらいのときにこんな兵器が発明されるっていうのが、
なんとなく見えるんかなみたいなところは思ったりはしますけど。
思ったところで、自分の意思決定が変わるわけではないし、
ただ、脳内の遊びでしかないんですけど、これは。
だから、決まっているものが運命だとしたら、運命は変えられない派ですか?
運命ってある?
それはむずいですね。
ある。
神の目からしたら変えられないけど、自分視点から見れば変えられる。
目の前の何を選択するかは自分の意思で変えられるみたいな。
でも、実は変えてると思ったけど、実はもう最初から、
こいつはこのタイミングで、これと出会って行動を変えるって決まってました。
そうよね。でも、そう考えるとすごい、確かに。
だから、そう考えた瞬間、自分の選択を一生懸命しなくなるんじゃないかみたいな気持ちになる。
一生懸命しなくなる必要もないし、一生懸命やるべきだし、
一生懸命何をすべきかを考える、ちゃんと分析して考えるべきではあるんですよ。
そこは変わらないけど、神の目線で見たら、
そんな一生懸命頑張ったとて?
いや、こいつはこのタイミングで一生懸命頑張る必要を見出して、頑張ってこの結果出すからって分かるみたいな。
なるほどね。
アインシュタインは生まれるべくして生まれてるみたいな感じでしょ?
別にアインシュタインが努力したとかじゃなくて、こういうやつ生まれる設定になってて、
これで何かを作る設定になっててみたいな。
でもそれを何十億分作ってるってすごいね、逆に。
意志なんかじゃないかもね。
でもみんな倒してるだけなんで。
でもそう考えると、AIって今意志ないじゃん。
そのレベルかもね、自分たちも。
一見意志があるように感じてるけど、全然、ただただ。
そんな感じしますね。それ結構近いかもしれない。
人間がAI見てる感覚、結構その感じかもしれないですね。
神が人間見てるのかもしれない。
でもAIが、私本当に思うんですとか言い出したら、
あー、出会った人がこれやったもんね、とかなっちゃうかもね。
人間がイネ見るとかも結構同じ感じかもしれない。
なんか、こういうおもちゃ大体好きやし喜ぶから、みたいな。
わかるじゃないですか、犬。
ある程度勉強したらわかると思うんですよ。犬の習性大体決まっててみたいなとかって。
人間も、人間の習性って大体決まってるよねって神の目線から見えるんじゃないかなって。
やっぱりドミノ最初に倒した人が神だって思ってる時点で、ちょっと微妙じゃない?
神という設定にしただけで、なんでもいいんだけど。
でも、AIを作った人がいるわけじゃん、今。
AIを作った人はある意味神だよね、今。設定とすれば。
AI界の神。
いや、そういうことじゃないですよね。
ただ、ドミノ倒しただけなんで。
一応、運命って信じるってなったら、信じて楽しんでいるってこと?
そうそう。
あー、オッケーオッケー。
ウェミズ君は?
信じる信じないと多分信じてなくて、偶然と思うようにしてるって感じかもしれない。
信じる信じないの話聞くと。
ただ、その偶然のことを運命って呼ぶ人がいてもいいから、運命だねって言われたら、運命なのかっていうのは大丈夫。
だけど、ニュアンスとしては偶然より、たまたまそうなってるんだなぐらいの。
決まってるわけではなくてね。
そうそうそうそう。決定論ってほど、例えば今目の前にお茶とコーヒーがあって、どっちを飲むか。
いや僕は今お茶飲もうと思ってたんだけど、コーヒー飲むことできるもんねみたいなことやって、それが決まってましたって言われると、別に決まってないだろうなって思ってるって感じかも。そこまでは。
けど、本当に、その、何でしょうね。
怒るべくして怒るじゃないけど、すごい巡り合わせってやっぱあるじゃないですか。
だいたい人との出会いとかって、なんでそこで出会ったとか、なんでそこで出会った人と、そこそこね、専門学校で一緒に会社やってるとかも、すごい奇跡中の奇跡みたいな話じゃないですか。
でも別にそれは偶然だと思ってるっていうか、運命とは思ってないっていう解釈では偶然と思ってる。
私はなんか探してたとかが強すぎて、あんまそういうのがないよね。
え、どういうことですか?
探してた、見つけたみたいな。
でも偶然見つけてるわけじゃないですか。専門学校に行けば絶対いると思って探し合ってたとかじゃないじゃん。
たまたま専門学校の仕事があって、行ったらこの人があってたまたまいたわけでしょ。
たしかに。
それも、これ人間目線の話ですね。
上水さんがこういう人間性だし、のんさんもこういう人間性だから、この2人が出会わなくても、それぞれなんか出会ってたと思うんですよね。
なんか面白いことに出会ってたと思うんで。
で、たまたまこれだったっていうのは偶然と言えるとは思うんですけど、
どの道なんかに出会ってたと思いますよ。
そういう人間性の。
じゃあ私運命信じてないかも。そんなどの道に出会ったりする?
どの道に出会ってたと思いますよ。だって探してたんですよね。
探してた。
パチンコみたいなものどの球が入るんですか?
いやいやいや、私はもうゴルフレベルやけど、一個しかない。球が一個しかないから。
なんかその、なんだろうな、ランダムの中に自分がいるっていう感覚がすごく薄い。
ランダムの中に一つその意思という変数を持ち込むことで、何か状況を変えられる要素がある。
ただその変えられる要素はあるんだが、変えたい方向に変わるとは限らない。
だからランダム性がいろいろあるからっていう感覚。
ただその意思を持つことで一個、何ていうかな、方向が変わるっていうのは信じてるけど、
思ったようになるとは思ってないって感じかな。
ランダムを認めることで結構混乱とか不安とかが起こりやすいんよ。
だから多分ランダムみたいなところを無視してる。
自分の意思だけみたいな、進みやすさで言うとね。
けど自分の意思だけでいって思い通りにならん時に、急にランダムを信じ出す。
きっと欲しいが、とかわかる?
そういう、なんかわかる?
ある程度意思で進んでんだけど、絶望した時に神の一つを信じてしまう。
まあきっとダメって最初から決まってたんだろうな、とか例えば。
こうなるって決まってたんだろうな、みたいな例えば。
普通にこの玉が詰まってもう一回ピッて押したら始まるみたいな感じ?
めっちゃ良くないけど、めっちゃ良いことは自分のおかげ。
悪いことは神のせい。
まあでも世界認識の問題だからね、パッとそこを切り替えれたらいいですよね。
ポイントポイントで。
だから悪いことは基本的には偶然だと思う。
だから例えば交通事故とかはもう絶対自分のせいだと思わないみたいな、例えば。
もうしょうがない、神様のせいみたいな。
偶然じゃなくてそれは神様のせいですよね。
運が悪かったら偶然ぶつかっちゃったな、じゃなくて、神様がこれをはじくんだよって、あって急に。
なんか寿命が決まってたんだな、とか例えば思うとか、例えばね。
なるほど。
そういう意味で言うと、なんか結構都合よくつかんでるね、運命をね。
まあでも都合よくつかえるのだと、それが一番いいんじゃないですか。運命のいいとこ取りできるとこでしょ、言うたらね。
あーでも、なんか自分の特徴としては、意思みたいなものを全部運命にすると、ちょっと苦手意識はある。
諦めみたいなものにもつながるんじゃないですかね。
そうそうそうそう、そう見えちゃうっていうかさ、こういう運命だからとか、しょうがないな、私はここに生まれたからとか言われると、なんか意思みたいなものをついつい。
そうじゃないですよ。
え?
だから本当に、諦めるわけじゃないですよね、だからその運命を使って。
ただそういうことも考えれるなっていうだけにしか、そうつかんちゃいけなくて。
自分がこの話をすると、頑張る意味ないじゃんって解釈するやついるんですけど、そうじゃないんですよね。
頑張ることも最初から決まってたし。
まあだからその、結果を出すためにはまあ、結局一生懸命考えて一生懸命やるっていう、そこは何も変わらないというか。
いやでもその、決定論信じるって、決定論信じた上で頑張れる人って逆にリスペクトだけどね。
私はほら、その決定論半分信じてないから、たぶん自分の意思の方を優先しちゃってるから、なんか例えば頑張るとかこっちに進むとかいう、なんかこうエネルギー使えるけど、
ある程度もう決まってんだよねって思いつつ頑張れるってそれ逆にすごくない?みたいな。
なんかね、結構とりあえず詳しいな言葉だと思うんですよ。
哲学遊びにしか使っちゃいけないと思うんですよね、要するに。
運命とかって。占いにも使っちゃいけないと思う。
ガンガン使ってるよね。
よく使われがちですけど、哲学遊び以外に使ってもいいことないんじゃないかなと。
でも想像以上にさっき言ったみたいに、ユンレベルの運命という構造じゃなくて、単純に自分にとって運命の解釈みたいなのを変えてると思うから、別に占いもそんなに深刻にならずに、
あなたの運命ですって言われた時に、だよね、あたしってこういう運命だよねって言う時にもうみんな解釈がバラバラというか、見たいように見る。
だから結局はそこには意思があるんだろうなって自分は思いがちだよ。
だからその運命でありたいと思うからその運命を信じるとかって結局意思がある。
最初に選択しますもんね。
そうそうそう。
信じる信じないよ。
でも逆にあなたそれが運命だからってその人の言うことをずっと聞いていくとか、そういうのはかなり危ういと思うんだけど。
だからつらい、救われたいみたいな時に危ないですよね。
そういう時こそとりあえず回収ですね。
だからそういう時ほど運命のせいにするんよなあたし。
慰めに近い。
まあそれで使えるんだったらいいですけどね。
たとえば親しい人を失った時とかに運命のせいにするとか。
でも野野さんみたいにだからそれで都合よく切り替えれたらいいけど、切り替えれないとそれを機に占いにはまって、
もうなんかお金を家族から借りまくって全部つぎ込みましたみたいな話になっちゃったりすることもあるじゃないですか。
本当はでも騙す方が悪いんだけどね。
いやそうですよ。それはもうそう。
でも騙す方も決まってたんだよ。
いや騙す方は何とでも言えるもんね。
そうそうそう。そうなっちゃうんですよ。
あなたは運命に逆らったんじゃないですか?って言えるもんね。
言えるよね。
先日車ぶつけたんですけど、2人目の子供が生まれたお宮参り。
だからお祓いをしてもらった後にぶつけたんですよね。
これもどう解釈もできる。
要はお祓いが意味なかったって解釈することもできるし、
お祓いしなかったら多分ちょっとぶつけただけですけど、
最悪死んでたかもよとも言えるかな。
ちょっと運命を都合よく使われると危ない。
絶対に原因があるんで、だから運命っぽさを感じますね。
どう?運命って使いたくなっちゃう瞬間。
人じゃないですか。僕は100人会って、数人しか仲良くならないので、
そういう意味で仲良くなったということは、奇跡的なものを感じますよね。
運命みたいな。
運命とは呼ばないけど、あえて言うなら運命よりの偶然というか、いい偶然みたいな。
人に感じやすいんだ。
だいたい僕人ですね。これね、東京から帰ってきて撮ってるけど、
町に帰ってきても何も思わなかったけど、こっちの人に会ったら、あ、福岡帰ってきたなみたいな気持ちがあります。
なるほどね。人で認識するみたいだね。
だいぶ人でいろんなものを認識してる感じがありますよ、僕は。
私はね、災害なんだよね。
なんか、自分が行った時に、私もこの一生の中で2回しかコーチに行ってないのに、地震にあったよね、コーチで両方。
2回とも?
そういうのとかを。
だって東日本大震災の時、東京に行ってましたよね。
そうなんよ。
出張で。
そうなんよ。
すごくね、地震のあたりに。
いや、やめて、怖い。怖い怖い怖い。けど、なんか、そういうの繋げがちって感じ。
本当は、もっと、私が行ったらたまたまこういうお祭りがあったとかもあるはずじゃん。
私が行ったらたまたまバーゲンがあってるとかがあるはずなのに、災害を一番そういうのに繋げがち。
でも、旅行で3回地震は相当持ってますよ。
そういう欲しが、たぶん。
でも、生き延びておけんね。
確かに。
それはあるかもね。
確かに、そういうなんか。
1回もないですもん、どこだってそういうの。
旅先で?
旅先で、なんかそういう災害が起こるとか。
でも、地震だけよ。なんか、別に、そういう、なんだろう、水害事故みたいな、なんか、洪水とかはないし、別に経験したこと。
そうね、確かにね。
でも、自然現象は結構、運命って言いやすいかもな。
神様っぽいっすもんね。
ぽいやろう。
なんか、最近、その討論カフェの、オンラインでやってる討論カフェで、結構、抽象度高いけど、宗教とかも話すよね。
その時に、もしかしたら、一神教っていうのが生まれたのは、太陽、砂漠地帯とかで、太陽みたいなのをよりどころにした人たちは、ある意味、太陽は一つだけだから、神様が一つって感覚になりやすいかもみたいな。
でも、日本とかに来てると、太陽もあるし、海もあるし、川もあるし、山もあるし、火山もあるし、みたいな。
なると、なんか、一個でなかなか説明がつかないから、多神教になったのかもしれない、みたいな何か仮説をみんなが話してて。
ぽ確かに、砂漠とかだったら、砂漠と太陽とオアシスの水。
そうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそう。
それはなんかね、自然って結構さ、説明でわかんないよ。科学者的に言ったらさ、説明めちゃめちゃつくはずだよ。
それはこうでこうでこうで。
自分が理解が難しい部分を、神様って呼んだり、運命と呼んだりするのかもな、みたいな。
だから、運命と言わず、私には理解が難しいですって。
自分の人生みたいなものも、結局、例えば今40ですけど、40年間を勝手に物語にしてるから、そうせざるを得ないというか、そうじゃないと、
すべてが起こったデータベースみたいなものは何もわかんないけど、それを勝手に統合して、こういう人生を歩んできて、今自分がいて、こういう認識だっていうのは、勝手にストーリー理解してるだけだから。
確かに。
ある意味、過去に関しては運命的になっちゃってますよね。
それで言うと、本当に2012年の6月5日とか、全部覚えてる人からすると、ストーリーとかないですよ。一日一日が、みたいになるよね。
し、仮にそれをどっかの記録しておいて、参照できたとしても、今の自分が、2007年の6月6日のやつを見た解釈だから、その時点で物語の中に取り込まれる過去になるから。
ある意味。
物語で理解するって、ある意味自然なことなのかもね、私たちが。
でしか理解できないんだよね。
だから、勝手に運命の中にいる感じがしますよね。勝手に作り出した運命の中に。認識できない運命。なんていうか、運命って思ったわけじゃなくて、記憶そのものが運命になってるっていうか。