運命の出会いについて
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、
エンタメでもファンタジーでもない リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、運命に出会いたい人へ。
パチパチパチパチ。何がパチパチだろうね。
運命の話は、いろいろしてきていると思うんですけれども、
運命の出会い。
今年で言うと、私は猫さんたちとの出会いが運命の出会い。
そう言えますが。
今年は、いろいろと嫌だなという体験もたくさんありました。
でも、その嫌だなという体験すらも、実は運命の出会いである。
そのように捉えています。
そういうふうに、なんだろうな。
腹の底から捉えられると、運命に翻弄されるというより、
運命を自分でさらに運んでいく、つないでいく。
こういうふうになっていくんですよね。
やっぱり、人生はついでにゆるっと覚醒しちゃおうという話なので、
頑張ってね、覚醒するぞ、みたいな人は絶対に覚醒なんかしないんですよ。
覚醒についての定義が、いろいろ人によって違うと思うので、
そこはちょっとゆるっと優しくふんわり聞いててほしいんですけど、
それは覚醒ではないとか言いたくなる人もいるでしょう。
覚醒とは何かの話ではなく、そして悟りとは何かみたいな話でもなく、
ゆるっとその人が楽に自分らしく、その人らしく生きる。
その人らしくって何かって言ったら、力みがなく葛藤がない状態ですね。
ギャップとか差とか、うまく思ったようにいかないなということも含めて、
自分らしさになっているような、ある種、資座が高い。
上から見たらね、全部一緒やん、みたいな。
娘、息子には厳しかった人が孫には優しくなる、みたいな形で、
経験値とか資座が高くなるって言い方が分かりやすいかなと思うんですけど、
そのような状態とも言える。
そうすると人生というのを見た時に、その地点から見た時に、
全てが点が線につながって面になって立体になってっていう構造が見えてくるんですよね。
運命の観点から見る選び方
でもその辛い過虫とかにあると、点の世界でドラマの中に入ってしまう。
ドラマに翻弄される役者Aみたいな状態が一番辛い状態ですよね。
例えば恋人がいてうまくいかなくて、でもそればっかりに世界がなっちゃう、
若かったあの頃は、みたいなね。
あの頃は若かったか。
そういう点、足元しか見えてない、みたいな。
そういう感じ。
これはある種ね、一つの体験でとして成長の意図なんですけど、
そこで運命に翻弄されている状態ってことは、つまり足元しか見えてない状態。
でも運命っていうのは命運ぶって書くので、やっぱり自分でいかようにも変えられるんですね。
このスピリチュアルをいっぱいね、いろんな本とか読んでたりしている人はもう、そんなの知ってるよ、みたいな。
なんならバシャール言ってた、みたいな。
私あんまりバシャール詳しくないんだけど。
みんなバシャール好きな人、そんな感じかなと思って。
あとはね、バシャールぐらいしか知らない。
あと誰が有名なんだろうね。
わかんないけど、何々さんが言ってたとか。
だいたいみんな言っていることは同じなんですよ。
なぜなら、ある種地球上での真理と言っていいようなことを、手を変え品を変え、人物を変え、言っていて、
それにしっくりするっていうのはね、何らかしっくりするっていうのは、本質的に自分もわかっているからなんですよね。
だから、しっくりしないことをしようとしたら、人は興味すら持たないっていうのと同じですね。
私がお相撲さんになろうなんて、これぱっちも思わない。
その素養もないし、その人生もないからですね。
だから自分の金銭、何らかピンときている。
どんな言葉であれ、どんな人からの気づきであれ。
結局自分が選んで、自分で納得するように自分が運んでいる。
その自分は足元しか見えない自分ではなく、超上から見ている私。
ハイヤーセルフとか言ったりしますよね。工事の私。
だからハイヤーセルフは全てを見渡せていて、
アドバイスとかメッセージとか伝えてくれるわけですね。
つまり、資産を高くするってなると、役者という楽しみもありつつも、
監督目線になる必要があるんですね。
脚本家、あるいは原作者、物語を作る役割。
ここが結構見落としがちで、役者になろうとしてしまう人が多いんですね。
よく言う何かになろうっていうのが、この役者になろうみたいなとこですよね。
何者かになろう、こういうふうに生きようっていうのは、その役を担う、その役に入る。
こういうことなので、そうするとその役回りの人生を生きる、ストーリーを生きる。
そのストーリーは変えられないという思い込みがあって、
なぜか妻だから、夫だから、何とかだからっていう役割に入ってしまうのと一緒ですね。
何とかだからっていう役割に入った時に、自ら分かって入るのと、
それを自ら分かってっていうのは、高い視点から、今自分が監督や演出家で、
役者がいないと、自分がやるしかない、みたいな感じで入るみたいなね。
プレイングマネージャー的な、そういう役者さんっていらっしゃいますよね。
自分で監督もして、自分で役もやって。
そういうふうにやっているという意識がある場合は、これは自分らしく生きている。
こういうふうになるんですけど、監督の指示に従い、時間も拘束され、
シナリオ通りにやらなきゃいけないみたいな、そういうふうに思い込んでいる。
音楽で言ったら、よく、よくじゃないか。
能動的な運命の掴み方
音楽好きな人は音楽でいいんですけど、楽譜通りに弾く、弾かないとかね。
弾く、弾かないとかね。
なんか、ショパンコンクールとかだと、いろんなドラマがあるよね。
ピアノの森っていう漫画とか読むと、なんかわかるかもしれません。
秀才くんと天才くんの物語なんだけど、簡単にというか、一つの側面で言うとね。
決められた譜面通りに弾くことが正解というコンクールもあれば、
そこから自分らしさを表現して、アートに昇格していくみたいなところかな。
それが良しとされる。
それ、コンクールでそれがあるのかな。ちょっとわかんないけどね。
結局、どっちを選択するかによって人生って変わるんですね。
で、やっぱり運命的な出会いって、なんかドラマチックでワクワクするじゃないですか。
またなんかね、やっぱ嬉しいしね、そういうのね。
ああ、やっと出会えたとか。
ああ、やっと出会えたは、結局どこかで出会いたい、出会うことがわかっていて、
いつかな、いつかなって、街の状態ってことだね。
街の状態がいたっていうのは嬉しいけど、
でも実際はね、本当に待っている状態じゃないと思います。
猫さんとの出会いも、猫さんを飼うっていう意志が働いていて、
猫を探すになるでしょ。
猫さん拾ったんですって人もいるわけなんですけど、
それはそれでね、出会うはあって、そこから拾うかどうかはその人の選択なわけですよ。
出会っちゃったからっていうのはあるんだけど、
それは結局ね、自分がどこかで求めていて、引き寄せている。
つまり何が言いたいかっていうとね、
運命的な出会いとか運命に出会うっていうのは、
受動的だと思い込んでしまいがちですが、
意外と能動的にやっていくといいよって話なんです。
運命は掴み取るもんだみたいな言葉があった気がするけど、
まさにそうですよ。
どの運の川に流れたいかは、
自分で一回陸に上がってまた川に入るみたいな、
そういう感覚でいると非常に楽だと思うんですね。
ただ人生にはというかね、
この世界、変えられることと変えられないことっていうのは確かにあります。
何か悩んだときに、
自分でも立ち返るというか、
一回立ち止まったときにまずここを考えるんです。
自分で変えられることかと。
自分で変えられないことは悩んでもやろうとしても無理だから、
変えられることがないか探すんですね。
なので、例えばこの間猫さんが虚勢をしまして、
虚勢はね、洗濯なんですけど、
虚勢後にね、
エリザベスカーラーというのをするわけです。
男の子だから。
切った部分をなめなめしないように、
エリマキトカゲになるわけです。
そのときに、
傷がだいたい一週間ぐらいで閉じると。
コトラさんがお膝の上にいるんですけど、
重たくなってきて、なかなか今、
ちょっとね、しんどい。暴れてはないが、
なんか変な体勢でいる。
コトラさんが、
初っ端なめちゃったんですよね。
細かいことは省きますけど、
ちょこっとだけ傷がパカッとしてて、
あーっと思って。
一週間経ってカラー外して、
かしわは閉じてるんだけど、
コトラはちょっと外してまたなめたら、
コトラくんとの関係
ちょっとだけ赤くなっちゃったので、
延長したわけですよ。
エリザベスカラーを。
なのでこのね、傷なめちゃって開いちゃって、
コトラくんだけカラー延長。
これはもう、どうしようもないことなんですよね。
どうしようもないというか、
カラーするしないは選べるんだけど、
なめちゃう、なめちゃわないというのは修正で、
コトラくんがやりたいことをやってるから、
どんなに危なくても、
私はそれを止めることはできない。
止めることはできないけど、
傷が開いちゃいやだということだけなので、
それはバイキンとか入ったり、
余計に傷が広がったりしたら、
また大変だからね、コトラくんがね。
それは阻止したいと。
そうすると私にできることは、
カラーを巻きつけるっていう。
あとカラーを巻いてないときは、
もうずっと頑味ですよね。
なめ始め、いろんなところやっぱなめるのが、
ストレス解消なので。
ずっとつけてたからね、
やっぱなめなめしたいわけですよ。
ずっとなめなめしてて、
いよいよどこまで、
もう逐一お尻を眺めながら、
まだいけるかなとか、
そろそろちょっとお腹周り赤いぞとか言って、
カラーつけるわけです、ササッと。
つけたり外したりっていうことをやってたんですが、
結局怪我っていうのは、
自然の治癒を任せるしかない。
私はコントロールができない。
コトラくんもコントロールができない。
だからこそ、お互いできることをやる。
こういうことですね。
幼少期の体験
自分自身の、
私はやっぱり小さい時、
すごく喘息がひどくて、
死ぬのかなと思った時があるんですよ。
マジで息吸えない。
本当に息吸えない苦しみはね、
恐怖でしかなかったよね、昔ね。
まあまあ、あとなんだろう、
階段登ると本当に息が上がって、
吸えなくなるので、
階段登りきれなくて途中でね、
うずくまるみたいな。
それで、中学の入りたての時で、
みんなにやいのやいの、
バカにされてみたいな。
なんでそんなね、苦しんでて上がれないんだから、
当然じゃんと思うんだけど、
不思議だよね、子供時代はね。
まあまあ、置いといて。
やっぱり体が、
歪みもひどいし、
歪みって見た目全然、
大したっていうかね、
専門家じゃない限りわからないと思うんですけど、
まあ大変だったんですよね。
成長期にやっぱね、
正座をずっとするとか。
うちはね、もう本当に、
戦前戦後みたいな、
生き方をさせられてきてたのでね。
いやいやいや、
結構ね厳しい家だったのと、
埃とかも本当、
大人になって、
結構ひどい環境にいた方と話した時に、
私の家こうだったんだよねって言ったら、
うちもって言われて、
なんかこんなに、
私と事情が一緒な人初めてって言われて、
よくよく考えたら、
確かにすげえ家だったなと思ったんですよ。
台所の下がドマーだよね。
台所の下の床開けると、
祖母が防空壕に、
嫁に入ったっていうあれで、
たぶん防空壕の後なのかな。
昔の人は、
土を掘って貯蔵してたんだと思うんですけど、
床下、キッチンの床、
キッチンとも言わない、台所なんだけど、
床下側開くんですよ。
開くって言っても、
板を剥がすというか、板をずらすと、
下が空洞っていう、土っていう。
東京のど真ん中です。
うち自体が建築屋さんで、
材木とか、家を建てたのもおじいちゃんなんでね。
昔、本当に昭和初期の、
戦前からの家なんで、
戦後か、おじいちゃんが建てたのはね。
それで、何が痛かったかって、
みんな田舎とか行かないと体験しないんじゃないの?
今はないと思う、そういう家。
で、開けると、ある日、
何か音が聞こえるんです。
何だろう、何だろうって。
開けたら、そのキッチンの下を開けたら、
ニャンコがね、子供を産んでて、
健康への実践
お母さん猫は亡くなっちゃってて、
5匹ぐらい、ちっちゃいタワラみたいなのが、
ミーミーミーミーって言ったんですよ。
それの声かって言って、
ちょっと私もちっちゃかったから、
どうしたのか、保健所に電話しなきゃって、
どこまでは覚えてるんですけど。
そういう猫が子供を台所の下で産んでたりとか。
で、ネズミ出るしね、
風呂入ってるとネズミ、
あの、何だっけ、
ドブネズミが出てきてびっくりしたり。
で、ネズミのフンが結構ね、あって。
で、大きな木が隣にあったので、
大きな木っていうかね、
大きな木なんですよ。
だからね、もうずっと毛虫が入ってくるんですね。
虫はすごいいっぱいいるし、出てくるし、
だからとにかく虫が嫌いなんですよ。
触れないし。
でもね、触れてた時期、
団子虫をひたすら集めるっていう、
幼稚園、保育園時期があったんですけど、
でも多分そのトラウマかは分かんないけど、
もうマジ、あれだよ、
本当にネズミ捕り捉えて、
おばあちゃんがどうやって駆除するかって、
熱湯で殺すっていうね、
いろいろ今考えると、
超絶危険な状態だったんですよね。
衛生的には非常に危険ですね。
だから喘息になるよね、それはね。
ステロイドでシュッて胸を開く、
シュッて小学校の時から使ってたからね。
今は全く大丈夫なんですけど、
本当にね、小学校まるまるその家にまでいて、
そこから引っ越したのかな?
引っ越したって言っても2軒先なんだけど、
そこからね、少し体調がやっぱりもう
大丈夫になってはきたんですが、
長く私の話をしてしまいましたけれどね、
その体、体のことはある程度は
気をつけたり予防したり、
自分のできることってたくさんあるけれど、
その幼少期からの育った環境とかはやっぱり、
大人にならないと変えられない。
こういう縛りはあるよねっていう話ですね。
これ聞いてくれてる人は子供じゃない気がするから、
大体ね、4,50代の方が多いんですけど、
ちょうどね、第二の人生というか、
これまで培ってきたことを
自分らしく広げ、そしてその先、
社会に向けて働きかけるっていう、
なんて言ったらいいの?
生育歴じゃなくて、発達段階みたいな。
そういうね、4,50代でちょうど中年クラシスとか、
言われたりします。
第二というかね、これまでの人生、
それでよかったのかって振り返る時期ですね。
時代的にもそういう方は年齢問わず多いけど、
大体その年齢はやっぱり経験値が積まれてきて、
このキャリアというか経験をどう生かしていこう。
たとえずっともう20代から主婦でしたって人でも
起こり得ます。
うちのママ、母はそうですからね。
まあまあ、体の話しようと思ったのになんかね、
いろんな話になっちゃいましたけど、
その体のことでもやっぱりどうしても
歪みの蓄積で不具合っていうのは出ます。
これ出ます。
なのでね、そこと結構ね、30代ぐらいか付き合ってて、
治らないって言われて、
ずっと薬飲んでくださいなんて言われてね、
相当ショックだった時があったんですけど、
でもね、絶対治してやると思って。
ふざけんなと思って。
そのギャップがすごいよね。
1回すごいズーンって落ちたんだけど、
医者のくせに何を言ってるんだってだんだん
怒りが湧いてきてですね。
ちょうど30代だね。
で、一生橋本さん薬飲まないとダメな病気ですって言われて、
そうなんだって思ったけど、
もう薬飲みたくないから、
飲まないって決めて、
別に飲まなくたって死には死ねえなと思って。
調子悪いだけじゃんと思って。
調子悪いのは、そういう体質だと思えばいいじゃんって思っちゃいけないんですけど。
思っちゃいけないんですけど。
そこはね、後々ちゃんとね、
その原因がやっぱりわかんないから、
そういうふうに思うしかなかったんね、当時ね。
ジプシーしてたわけですけど、
やっぱり原因がわかって対処ができるようになると、
何の対処って栄養ですよ。
それがちゃんとできるようになると、
数値がね、血液検査でね、見ていくわけですね。
運命と自己成長
結構変動があるわけ。
その変動によって薬の量とかが変わるんだけど、
その変動の数値が、
一部ちょっとね、高かったり低かったりとかはあっても、
なんだろうな、
潜在的な状態みたいなところまでなってるんですよね。
つまり治るってことはあるかどうかわかんないんだけど、
ただその数値として、
これはもう病名がつきますねっていう段階と、
ちょっと病名つけてもいいけど、
まあまあ基準値だよね、みたいな状態ってあって、
その基準値まで、
基準値っていうか、
薬出す人もいるだろうけど出さない先生もいるぐらいまで、
回復したんですね。
これは何にしたかって栄養です、単純に。
本当にね、体、
それでもやっぱり不具合っていうのは、
長く生きてれば、いろんな歪みがあるので出ます。
やっぱりそこの付き合い方っていうのは、
もう本当にもうね、どうしようもない場合は、
どうしようもないんですけど、
できることはやっぱりやるといいよね。
運命の話でね、
つらつらつらつら自分の、
なんか思い出話みたいなのもしちゃいましたけど、
ボロ屋敷的なところに住んでいたことだったりとか、
そこでの苦しかった体験、
それは肉体的にね、
そんなにね、病気するような感じじゃない、
健康っぽい雰囲気なのに、
喘息もちってなんか不思議だなって。
そりゃハウスダストにもなるさっていう環境だったんでね。
そりゃなるよ。
超絶危険だよ。
マジ超絶危険ですよ、そんな。
ねぇ、ねぇとか言って。
でもそれも一つの運命で、
その体験があったからこそ、
そして身体が思うように動かないとか、
前どこかで話したな、
自分のね、胸からした、お腹からしたぐらいが、
本当にね、自分の身体のという認識がずっとできなかったりとか。
だからね、そういう、なんだろうな、
スピリチュアルな人だとね、宇宙人だよねーとか言って、
一言で終わって、なんかちょっといいよねぐらいな感覚で話されることかもしれないけど、
何にもいいことないから。
そんな、なんていうのかな、不安定さで生きるのは超絶しんどいんでね。
だから、体乗ってもどうしても変えられないことは、
あまんじて受け入れて、そして自分にできることをすると、
実は変わっていくんですよ、っていう話だった。
だから自分次第なんです、本当に自分次第。
みんな言うしね、みんな頭ではわかってるけど、
やっぱり腹の底からそうなった時に、
自分の人生のストーリーを自分で作るっていうフェーズに入ってきます。
やっぱり楽しいよね。
いろんな人生体験して、
この世の体験をしまくったら、
さあ終わりだー、みたいな。
ほんとすばー、みたいな、なんだろうなーと思いますね。
それがいいかどうかって話じゃなくて、
個人的にはそういう生き方をすると、
結局本当に人類への貢献になってくるんですよ。
ちょっとスピリチュアルというか、ちょっとグッと踏み込むとそうなってきます。
簡単に言ったら、一人一人自分らしく生きる、
自分の人生に自分、自己責任を持っていく。
これだけで、社会貢献だとか、
世界平和とか、私は未来貢献と世界調和ですけど、
そうなってくんですよ。マジでなってくんですよ。
誰かに何かをしよう、したいっていうのは、
自分の幸せのためというかね、
それが自分に幸せをもたらすことであるから、
やりたいともなるし、
自分の幸せのために人に何かする、
こういう言い方に極端にしてしまうと、
反発が出る方もいるかもしれないんです。
でも自然とそうしたいなと思ったら、
勝手に貢献になってくるんですよね。
そこから湧いてくる、やること、やりたい、
運との欠けているのを埋めたいじゃなくて、
もうやる、やるっていう気持ちしかない状態。
この状態で行動していくっていうのが、
本当に近未来の肝だなというふうに感じています。
また長くなっちゃった。カードは明日に回します。
というわけで、今日のお話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
人生のストーリーを作る
また今日のお話ね、意外と大事なことを言っているように感じます。個人的には。
何か気づいたこととか、あと自分ではこんな工夫してますよみたいなことがあったら、
ぜひぜひレターで教えてください。
皆さんの工夫がまた誰かのサポートになっていきますので、
ぜひお便りください。
というわけで、また皆さんお会いいたしましょう。
それではまた。