渡辺健一郎さんと著書「自由が上演される」
渡辺健一郎さん、おはようございます。
渡辺健一郎さん、おはようございます。
渡辺健一郎さん、今日もよろしくお願いします。
渡辺健一郎さん、何で笑いますか?
渡辺健一郎さん、あえてマイクに口を近づけて喋るアワノさんの姿が、
渡辺健一郎さん、キュートだったので、
渡辺健一郎さん、可愛いでしょ?
渡辺健一郎さん、可愛かったので、笑ってしまいました。
渡辺健一郎さん、年始ですよ。
渡辺健一郎さん、そうですね、収録。たぶん、構想は2月とかぐらいになると思います。
良い年にしましょうね。
そうですね。
難しい始まり方をした年だなと思いますけど。
そうですね、1日からね。
大変だな、お手伝いできることがあるといいなと思いながら、
我々もね、幕年式の過程で大変なこともあったりとかしつつ、
比較すると大変とは全然違うんだろうけど。
そうですね。できることをやっていくと。
そうですね、まずは。
さて、明けまして一発目。
はい、読書の時間、34冊目ですね。
本日は。
本日はなかなか聞いたことがある方はないと思うんですけども、
書籍名が自由が上演される。
不思議なタイトル。
渡辺健一郎さん。
作というのをアップアップなの。
どんな?自由が上演される?
上演系?演じる系?
そうですね。渡辺健一郎さんは早稲田の院修了で、
メディアとか演劇のことをやったんですよね。
哲学が専攻なのかな?勉強したのかな?
その後は演劇系のワークショップ、演劇教育というのをね、
ずっと携わっていらっしゃって、
この本も第65回文造新人評論賞を受賞されたという。
評論賞。すごい。
この本が受賞。
この本というか、文造に投稿した元の内容ですかね。
それを加筆して、平田織田さんについてのところを加筆して、
本として出したんですね。
平田織田さんとか、やっぱり演劇だからね。
に対してもちょっと批判的な内容で。
そうなんだ。
演劇×教育って聞くと、ついそっち同じ類の人なのかな?
と思っちゃうけど。
批判っていうところがいきなり横道ですけど、
批判ではないと思うんですけど、ただ一向の余地があると。
今回扱う予定はなかったので、ざっと話すと、
平田織田さんは、現代社会でいかになんとかして生きていく力を養いましょうということで演劇を使う。
演劇はツールですってことなんですね。
渡辺謙一郎さんは、今の時代を現実をなんとかうまくやっていくっていうのは、
結局現実を肯定していることですよね。
そこをまず疑うところから考えた方がいいんじゃないですかっていうことを、この中でちょっと言っている。
今のものを肯定して適応するんじゃなくて、
肯定自体から考えておこうということを言っていらっしゃる。
別にすごく強く批判とかいうわけじゃないんですけど、
そういう考え方もした方がいいんじゃないかっていうのは、
自由が上演されるっていう本の、そこに通廷する。
そこに行くと言わざるを得ないんじゃないかっていう、編集者かな。
周りの方が言われて賞を取ったものにプラスして平田織田さんについての論考を入れたみたいな。
あえて入れたっていうのはなかなかの思い入れですね。
思い入れというか、それを入れなきゃダメでしょって言われたみたいですね。
それを外せないよねって演劇教育だったら、
たぶん、星野さんおっしゃったみたいに平田織田さんを外せないんじゃないか。
なるほどね。ありがとうございます。話す予定のなかったところをとても簡潔に教えていただきました。
自由の定義と教育
星野さんは今回の編集のきっかけはどんなものだったんですか?
もともとは、32冊目にあったネガティブ・ケイパビリティできるっていう、その本の中に一行だけ出てくるんですよ。
自由促進型権力っていうことが出てきてて、あったんですよ。
これ何だろうなと思って色々本を調べていって、これに当たったっていう感じですね。
自由促進型権力。
たぶん2週目ぐらいにちょっと出させてもらうと思うんですけど。
あと、自由が上演されるって変な題じゃないですか。
普通自由を上演するとか、上文なんだろうっていう。
受け身だしね。
それを知りたいなっていうのはありますね。
3つ目であえて言うなら、星野さんのピンポンプロジェクトっていう往復書簡メールやりとり。
世紀のプロジェクト?
21世紀を代表する。
今ね、青野さんと星野と交換メールをしているっていう。
組織化に向けてやってると形になるかちょっと分かんないですけど。
中では結構教育って出てくるじゃないですか、テーマ。1回やったのかな。
ちょっとこの自由が上演されるっていうのも演劇教育から教育とか自由について話す、語られている内容など。
ちょっとこれを扱って深めてみてもいいかなっていうのが。
なるほどね。
分かりました。ありがとうございます。
読んでみてどうだったの?なんか良かったの?
いやーすごいなと思いましたね。渡辺健一郎さんまず。
30代半ばで、別に哲学者でもないのに、どちらかというと演劇教育のワークショップとかやってらっしゃる現場の人ですよね。
なんですけど、教育とか自由にっていうものすごく抽象的で難しいテーマについて上手くまとめているなっていうのは、すげーなと思いましたね。
まずもって。こんな書けないって。渡辺さんはそう言ってなかなかですね。
いやいや、このページ数もそんな多くなくて、120、30ページ?コンパクトに読めるのすげーなと思いましたね。
長く書くのはできると思うんですよ、いろいろと。っていうところがまず1個。
シンプルな感想ですかね。
あとやっぱり題名にもかかるこの自由が上演されるっていう、この2週目3週目でお話になると思うんですけど、結構その自由を上演するじゃないっていうのがポイントになっちゃうんですよね。
なるほどね。なんか聞いた感じでいくとその自由を上演させられるみたいなことになってるのかな。
そこで言うと、自由っていうのをまず2つ分解してみると、自由っていう捉え方なんですけど、これぞ自由っていうものではないと。
絶対の自由とかじゃなくて、自由っていうのはもういろいろだし、それを目指していくものだって考え方がしたら簡単に言うと。
上演されるっていうのは、あくまで舞台が上演されると一緒で、すごく限定的なもので捉えてくださいっていう話なんですよ。
普遍的に何かをそれが良しとするんじゃなくて、あくまですごく有限の限定的なものとして自由を上演される。
すごく誰かに憧れるとか、これが定解じゃなくて、ただ一つのいくつもあるうちの一つですよっていう考え方なんですよね。自由が上演されるっていう題名に込められてる。
そこが今の僕の考えにしっくり来るかなって思いますね。
後来に詳しい話がきっと2週目に来るのよね。
おそらく。
生に得で始まってるんで、非常に詰まりながらの説明になっちゃうんですけど。
とはいえ、読んだ感じとしてはそんなところなわけね。
読書を通じた学び
そうですね。
でもまたネガティブケイパビリティからの流れでこちらに来てるよね。
来てるというか、そっちに今僕は寄り過ぎてる影響を受け過ぎてるのかなと思うんですけど。
承知いたしました。ありがとうございます。
今回も2週目にある程度内容に触れつつ進めていく形かしら。
一応定一の通り、キーワードを3つ挙げさせてもらいましたね。
一つ目がですね、教育ってところに、演劇はちょっと僕わからないので、教育ってところにわりとフォーカスするような内容になりますけど。
一つ目が、知性を放棄した意思による教育。
知性を放棄、意思による教育ってちょっととても気になるね。
固い感じですね。
二つ目が、ワークショップ化する社会。
六つ目が、上演としての教育。
の3つで考えたんです。
ひらたおりささんの話は、二つ目のキーワードが何かにくるのかな?
ひらたおりささんの話は出てこない。
すみません。扱ってもよかったんですけど。
話す予定ないって言ってたもんね。
了解。
でもこの知性を放棄した意思による教育っていうのは、なんか気になるね。
知性じゃねえんだ。
知識とかっていうのを読み換えてもいいのかもしれませんね。
意思っていうのはルールみたいなイメージなの?
意思はね、どっちかというと情熱かもしれないですね。教師側の。
教師側の情熱。
オーライ。
ちょっとここら辺でコメントのところですけど。
OKです。ありがとうございます。
ちなみにね、そういえばちょっと言っておこうと思って。
今日はね、再収録なんですよ。
ね。緊張感が。
オーディエンスがね、後ろに盛り途中からヤジとか飛んでくるかもしれないし。
30人くらいいらっしゃいますもんね。
珍しく。
珍しく青野さんが盛りましたね。
15倍。
一つ目標としてね、後ろの人を吹き出させたいっていう目標があったりもしますけど。
いやでも、渾身で何か言ったら聞いてくださってるかわかんない。黙々と影を立てながら。
忙しいな。
できることは牛乳を口に吹くんでね。聞いていただきたいところではありますが。
見えへん奴だけで声を発さない。
奥行かしい方だった。
奥行かしい方だね。
まあね、途中でなんか声とか物音とかおならの音とか入るかもしれませんが。
そこら辺の外力とか。
ではでは、こんな紹介は。
じゃあこんなこんなで、今回もどうぞよろしくお願いいたします。
お願いします。