修練者の到来と自身の修練期
とまぴーのポッドキャスト、こんにちは、とまぴーです。 このポッドキャストは、カトリックの信仰や修道院での暮らし、日々の出来事などを緩やかにお話ししていく番組になっています。
さて、この7月から、四地屋修道院に、なんと修練者が2人やってきました。 四地屋修道院の修練院と呼ばれる場所がこの度できまして、そこでこれから2人の修練者が1年間修練期を過ごします。
若い人が増えたので、修道院の雰囲気もちょっと変わったような、変わっていないような、そんな感じです。
私自身はといえば、実はあまり実感がありません。 もともとあまり喋らないので、そういう感じなのかもしれませんが、なんか未だに修練者とは会話らしい会話をしていません。
1年、修道院の中でマスクをしているのも多分私だけなので、単純に怖がられている可能性もあります。 あの1年あるので、そのうち少しは話せるようになるんじゃないかと思っています。
ちなみに修練者というのは、修道会への正式な入会を目指して、修道院で共同生活を送りながら準備をしている人たちのことです。
祈りや共同生活、そして修道会の精神を学びながら、自分が本当に修道生活に向いているのかを見極めるという大切な期間であります。
そんな修練者たちを見ていて、今回は私自身の修練期のことを少し思い出してみようと思いました。
過去の修練期の記憶
修練者を出してみたのですが、正直なところ、すごく昔過ぎてあまり覚えていません。本当にびっくりするくらい覚えていないんですね。
私が修練者だったのは、当時八王子にあった修道院なんですけれども、修練者は私を含めて二人いました。
しかも、もう一人は中学時代から一緒だった同級生でした。
修練期は一年間です。午前中は勉強、午後は作業という毎日だったと思います。
午前中はパオロ会の歴史や霊性、修道生活について学んでいたはずなんですが、具体的に何を勉強していたのかをあまり覚えていないのです。
そして午後は作業という修練時代でした。
八王子の修道院は山の方にあったので、自然が豊かで環境整備がよく行われていたんですね。
草を買ったり、木を切ったり、修練期はなぜかビニールハウスを作ったという記憶はあるんですけれども、
今思うとこれは修練なのかな?道具作業なのかな?という感じもしています。
そういうのもあって、当時の私はずっと不満気な気持ちを持っていて、
修練って何なんだろう?と思いながら過ごしていた記憶も蘇ってきました。
もちろん修練には意味がありますし、大切な機会なんですが、当時の私にはその意味がよくわかっていませんでした。
修練長も結構80代ぐらいだったと思うんですけれども、
なので、世代の違いというのもありましたし、組まれているカリクラもしっくりこないんですよね。
修練期を過ごしていて、これは修練だなという感じでは実はなかったんですね。
なので、こういうことでいいのかな?と思いながら1年を過ごしていたように思います。
誓願と同期の辞退
ただ、今振り返ってみると、そういう時間も含めて修練ということだったのかもしれません。
そんな修練期は1年間なんですけれども、それが終わると有機製がん、いわゆる発製がんへ進みます。
修道者として製品、締結、従順の3つの誓いを立てる段階なんですけれども、
当時一緒に修練していた同級生もいたので、当然一緒に発製がんをするものだと思っていたんですね。
中学の時から一緒に過ごしていたので、ところが直前になって、その同級生は修道会を辞めることになりました。
なんで?という感じだったんですけれども、修練期というものが進むかどうかを見極める期間なので、
それはそれですごく大切な絆をしたんだろうなと思っています。
そういうことで、自分の心の中がぐちゃぐちゃな感じになりながら、進むしかない感じになっていたので、
発製がんは一人で立てるということになりました。
ところが、その一年後に今度は私が修道会を辞めることになってしまいます。
お前もかという話なんですけれども、人生ってわからないですよね。
その辺の話を始めるとまた長くなりそうなので、別に引っ張っているわけではないんですけれども、
それはまた別の機会にお話しできればいいかなと思っています。
YouTube動画と修道師の生き方
そういえば最近、YouTubeで今さら聞けない修道師とは新婦シスターとの違いを優しく紹介という動画を公開しました。
ありがたいことに思っていた以上にたくさんの方に見ていただいています。ありがとうございます。
修道師って教会に通っている方でも意外と説明が難しかったりしますし、
私自身がちゃんとわかっていないというものがあったりもしたので、調べたり整理しながら作った動画になります。
ただ、公開した今でもあの説明で本当に大丈夫だったかなと少し思っています。
修道師をやっている本人が言うことじゃないのかもしれませんが、修道師という生き方はなかなか一言では説明できないんですよね。
なので今回みたいに自分の修練機の話なんかを通して少しでも修道師という生き方を身近に感じてもらえたらいいかなと思ったりしています。
聖トマス使徒の祝日と自己反省
さて話は変わるんですけども、7月3日は聖トマス使徒の祝日でした。
修道会では聖元命の祝日をお祝いする習慣がありまして、私の聖元命はトマなのでお祝いのメッセージをいただいたりしました。
送っていただいて皆さんありがとうございます。
ちなみに聖トマスはイエスキリストの十二使徒の一人です。
復活したイエスを見てもすぐに信じることができなくて、その傷に触れなければ信じないといったことから疑い深いトマとして知られています。
聖トマは疑い深いトマということで、私はそこにすごく人間味を感じて、私も結構疑い深い性格な部分があったりするので、ちょっと似ているかもしれないと思って聖トマを聖元命にいただいたんですけども、
それにしようと思ったのは修煉器の時なんですね。
発生眼の前に立てる前にどの聖人がいいかっていうふうにちょっと考えて、この聖人にしようかなって思ったんですね。
なので、そういう修煉器が実はちゃんとわからないままフワフワとしてやってしまったっていうことがあって、
今思うとちょっと反省するというか、もうちょっとしっかりしておけばよかったかな、そしたらもうちょっとちゃんとした大人になったかもしれないと思ったりもしております。
リスナーへの問いかけと締め
そういうことで、皆さんは最近何かよくわからないけど、とりあえず続けてしまっていることってあったりしますか?
なんかそういうのがあったらお便りとかでもしくはコメントで教えてください。
ということで今回はこのあたりにしておきます。
番組では皆さんからのお便りやメッセージをお待ちしています。
概要欄のリンクからお気軽にお送りください。
それではまた次回お耳にかかりましょう。
ではまたね。