AIの進化と人間の役割
とまぴーのポッドキャスト
こんにちは、とまぴーです。
この番組では、修道院での暮らしのこと、教会のこと、日々の出来事などを、肩の力を抜いてお話ししています。
さて、最近AIを使うことが増えてきました。
文章を整理したり、調べ物をしたり、アイデアを考えたり、こうしてポッドキャストの構成を考える時にも、実は少し手伝ってもらうことがあります。
数年前だったら考えられなかったことです。
ただ、便利になったからといって考えることが減ったかというと、なんかそうでもありません。
むしろ以前より、人間にしかできないことって何だろうと考えることが増えたような気がします。
そんな時に、先日、教皇レオ14世の初めての回直、マニフィカ・フマニタスが発表されました。
AIについて書かれた回直だと紹介されています。
日本語版はまだ出ていませんが、少し概略のようなものを見てみました。
回直の中では、いくつかの心配事が語られています。
一つは、人間の判断や責任をAIに任せすぎてしまうことです。
便利だからといって、何でもAIに任せてしまうと、
人間が考えたり、決断したりする力が弱くなってしまうかもしれません。
また、人間が単なるデータや情報として扱われる危険についても触れられています。
私たちは数字だけでは表せない存在です。
その人の人生や経験、苦しみや喜びは、データだけでは測れません。
さらに、AIが監視や戦争のために利用されたり、
その恩恵が一部の企業や国に集中したりすることへの懸念も語られています。
もちろん、教皇はAIそのものに反対しているわけではありません。
技術の進歩を否定しているわけでもありません。
むしろ、その力を人間のために役立てることを期待しています。
ただ、そのときに忘れてはならないのが、人間の尊厳です。
技術が人間に使えるのであって、人間が技術に振り回されるのではない、
そんなメッセージを私は受け取りました。
実は、教皇レオ14世という名前にも少し意味があります。
産業革命の時代に、レオ13世という教皇は、
レールム・ノバールムという文章を出し、
労働者の尊厳や社会の在り方について語りました。
レオ14世もまた、AIという新しい時代の課題に向き合おうとしているように見えます。
時代は変わっても、人間を大切にするという教会の姿勢は変わらないのかもしれません。
私は昔から容量が良い方ではありません。
文章を書くのも遅いですし、何かを決めるのにもすごく時間がかかります。
動画編集ももっと早くできる人はたくさんいると思います。
なので、AIのような便利な技術を見ると素直にすごいなと思います。
でも同時に、人間は速さや効率だけで測れるものではないんだろうな、とも思っています。
怪畜を読みながら、そんなことをちょっと考えていました。
聖パウロへの思いと自身の変化
ちょうど今は6月です。
パウロ界では自然とパウロのことを考える季節なんですね。
ただ、こんなことを言うと怒られるかもしれないんですが、私は昔からパウロが少し苦手です。
嫌いではありません。尊敬もしています。
でも、なんかすごすぎるんですよね。
というのも、牢屋に入れられても占拠する。追い出されても占拠する。船がナンパしても占拠する。
私だったら途中で心が折れます。
今日はもう帰りますとか、もうダメです。と言いそうです。
しかもパウロは頭がいいのです。
手紙を読むと分かりますが、理論的ですし、議論も強いですね。
私はどちらかというと、だいたい無言で、頭の中でどうなんだろうと考えこの方なので、余計にそう感じるのかもしれません。
そして有名なのが、ダマスコ途上での怪神です。
復活したイエスに出会って人生が大きく変わる。
聖人伝を読むとこうした話が出てくるんですけども、私はそういう話を読みながら、自分にはそういう体験はないなと思っています。
神様の光というのを見たこともありませんし、天から恋を聞いたこともありません。
なので目から鱗が落ちるような出来事も特にありません。
なので昔は、自分は何か大事な体験をしていないんじゃないかと思ったこともあります。
でも今はそれほど気にならなくなっています。
ちなみに修道院に入ったのが中学生の頃なんですけども、もちろんその後どうなるかなんて分かっていませんでした。
将来何をしているのかも分かりませんでした。
まして、動画を作ったり、YouTubeをやったり、AIについて考えたりするようになるとは思ってもいませんでした。
もし当時の自分に、将来修道院で暮らしながら動画を作ってるよ、なんて言ったら多分信じないと思います。
最近は会心というのも人によって随分違うのかもしれないなと思っています。
パウロのように人生が大きく変わる人もいれば、自分でも気がつかないうちにだんだん変わっていく人もいる。
私はどうやらだんだん変わっていくタイプの人なのかもしれません。
伝えることへの執念とAIへの視点
ところで、パウロには一つ感心することがあります。
それは伝えることへの執念です。
パウロは旅をしました。
でも旅をするだけではありませんでした。
会えない人たちには手紙を書きました。
今では新約聖書の一部になっているのですが、もともとは各地の教会へ送られた手紙です。
ちょっと考えてみるとかなり面白いですよね。
パウロはその時代に使えるものを活用していたわけなんですけれども、
今で言えばメールとかSNSとか、もちろん動画配信とか、
何を使ったかはわかりませんが、新しいものは選挙にふさわしくないとは言わなかったような気がします。
使えるものなら使う。
その代わり届けたい相手を忘れない。
そんな人だったのではないでしょうか。
そう考えるとAIについても少し見方が変わります。
大事なのはAIそのものではなくて、何を伝えるか、誰に届けるのか、それが大事なのかもしれません。
1周年を迎えて
あと一つ全然変な話なんですが、古い文献に残るパウロの外見の話というのがあるんですけれども、
それによるとパウロは背が低くて、頭がはげていて、ガニ股だったそうです。
というのを読んだ時に、すごく人間らしいというか、そういうのをちょっと思ってしまって、若干親近感が湧きました。
未だに目から鱗が落ちるような体験はないんですけれども、でもそれで特に困ったことはありません。
気が付けば修道院で暮らしていますし、こうしてポッドキャストも続けています。
あ、このポッドキャスト、実はこの回で1年を迎えました。
1周年ということになるんでしょうか。
パウロみたいには到底なりませんが、それはそれでいいのかもしれません。
そんなことを思う6月です。
皆さんはこの6月をどんなふうに過ごしておられるでしょうか。
ということで、今回も最後までお聞きください。ありがとうございました。
感想などありましたら、マシュマロからお気軽にお送りください。
このポッドキャストはアップルポッドキャスト、スポティファイ、アマゾンミュージックなどでも配信しています。
それではまた次回。ではまたね。