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2022-12-04 37:24

「イエス様の初臨と再臨の意味」2022年12月4日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年12月4日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

使徒1:7-11 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

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今日は、イエス様の最初の降臨と再臨の意味について 一緒に分かち合いたいと思います。
今はアドベントの時期です。 アドベントということは、キリストであるイエス様が来られることを待望する時期です。
私たちはイエス様が来られたこと、最初に来られたところの意味と 再び来られることの意味を正しく知って、
それでイエス様を待ち望むこと、これが大事です。 今はクリスマスだから、お土産とかいろんなことを考えながら、
私たちはこの時期を過ごしてはいけません。 私たちは正しい、なぜイエス様が来られたのか、またなぜ来られるのか、
その意味をよくよく分かって、待ち望む心で今の時期を過ごすことが 神様が一番喜ばれることではないかと思います。
クリスマスは、クリスプラスマスという合成語です。 その意味は、キリストを礼拝せよ、キリストを礼拝するという意味なんです。
私たちがなぜキリストを礼拝しなければいけないのですか。 初めに、イエス様は神様だからです。
神様だから、礼拝を受けるのにふさわしい。 また、私たちを救うために来られました。
イエス様が来られることによって、罪と死、悪魔から救われ、地獄に行くしかなかった私たちを、天国に行くように導いてくださった。
だから、礼拝する。感謝の礼拝をしなければいけない。 また、私たちのために、私たちの罪の見代わりとして、十字架に架かられ、そして全ての苦しみ、私が受けるべき苦しみを、イエス様は全てになってくださったから、どれほど感謝でしょうか。
だから、私たちは、イエス様に礼拝することは、当たり前のことではないかということです。
ですから、クリスマス、クリストを礼拝する、これは本当に私たち、みんなが当たり前としてやるべきことです。
イエス様は、この全てのことを成し遂げられて、天に登られたんですけど、その時、今日の聖詩を読んでくださったところ、天使がその隣に立って、天に挙げられるイエス様の隣に、弟子たちに何と言われたのか、
十一節、私がもう一度読みましょう。
あなた方から離れて、天に挙げられたイエスは、天に行かれるのを、あなた方が見たのと同じ有様で、またおいでになるということです。
03:01
イエス様は天に登られたことと同じような有様で、イエス様は再び私たちのところに来られるということ。
天使が弟子たちにそれを約束として私たちに教えてくださったんです。
だから私たちは何をするんですか。再び来られるイエス様を待ち望むんです。
この時期をアドベントという時期です。
大事なのは本質です。
アドベント、クリスマス、ただ儀式的に守って、まだ楽しいことがないかなということを考えるよりは、
私たちは再び来られるイエス様を、なぜ来られるのか、その意味を深く分かってから、イエス様を礼拝しなければなりません。
じゃあ、イエス様がなぜ来られたのか。まずはじめに、イエス様が初めに来られたところの意味です。
旧約聖書の何千年間、イスラエル人たちはメシアを待ち望んでいました。
なぜイスラエル人たちはメシアを待ち望んでいたのか。
創世紀3章で人間が罪を犯したところ、罰する前に神様が創世紀3章15節で女の子孫を送ってくださる約束をされたからです。
罪の呪いの中で、私たち全人類がその罪の呪いから希望があるとしたら、
イエスキリストが来られる、女の子孫として来られることです。
だから私たちは初めに来られたイエス様を待ち望んでいました。
聖書のあちこちでメシアとしてイエスキリストが来られることを予言しています。
新明紀18章15節には、孟子を通してこう言います。
あなたの神主はあなたの中から私のような預言者を立てられる。
あなたたちは彼に聞き従わなければならない。
孟子があなたたちの中から神様は私と同じような預言者一人を立てられる。
これを信学者たちは最後に来られるメシア、イエスキリストだということを一致して話をしています。
だから孟子もイエス様が来られることを予言したのです。
また聖書のあちこちありますけど、一番多く現れるところはイザヤ書です。
イザヤ書にはもっと具体的に教えてくださるんですけど、イザヤ7書中4節にこう言います。
みよ、乙女が身こもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ぶと言います。
乙女が身こもって男の子を産むだろうと、インマヌエルとして来られるメシアだということです。
イザヤ9書6節と7節。
06:02
ひどりのみどり子が私たちのために生まれた。ひどりの男の子が私たちに与えられた。
権威が彼の肩にある。その名は驚くべき使徒者、力ある神、永遠の父、平和の君と唱えられる。
またイザヤ53書にはその方が来られて、私たちは罪を贖われるために苦しみを受けるということを予言されています。
その通りイエス様は来られました。
イエス様が初めに来られたこのことの目的です。
その初めはアダムがためにしておいたこの世の中のすべて。
アダムによって悪魔が王のようにこの世の中を支配するこの世界に神の国を建てられるために来られました。
ですからルカの1章78、79節には
高いところから明け物の光が私たちに訪れ、暗闇と死の影に座っている人たちに照らされたと言います。
高いところから光が現れ、死の影に真っ暗の中に住んでいる人々の間に光が来た。
光が来られることによって神の国がこの地上に初めて、それがますます拡張していく。
神の国がますます拡張していくこの初めがイエス・キリストが光として来られたことからです。
またイエス様が来られたのは、罪によって悪魔の鳥になった人間を救うために
罪と死を滅ぼし、命の道を開くために来られたんです。
要は、1章78、79節、盗人が来るのは盗んだりほぐったり、滅ぼしたりするためにほかならない。
私が来たのは羊に命を受けるため、しかも豊かに受けるためであろう。
第1話3章8節には、罪を犯す者は悪魔に直します。
悪魔の羽ばたきを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたと言います。
また3番目に、イエス様は信じて救われた者たちを神の子供にし、彼たちを教会に集めて保護され、お互いに助け合うようにして、また教会を通して全世界を救うために来られたんです。
このためにイエス様は救い主として来られ、助け主、聖霊様を私たちに送ってくださいました。
それは聖書のあちこちで書かれてありますけど、カラディア3章13節14節には、イエス様を十字架にかけられた理由は、
09:03
違法人である私たちをアブラムの子孫として祝福を受けるようにするためであり、また約束された聖霊を与えるために来られた。
またエペソン2章20節から22節までは、神の子供たちの共同体、教会の大事さを私たちに教えてくださいました。
違法人である私たちもアブラムの子孫になり、聖霊を受けるため、そして教会として集まって、その中から保護され育てられ、
それで教会を通して全世界を救うためにイエス様は来られたということです。
このためにイエス様は弟子たちを招かれ、御言葉によって養育され、そして全世界に神の力、栄光、
神様の奇跡を見せてあげ、そして十字架で全ての罪、呪い、サタンを滅ぼし、復活することによって神様だということを証明され、
救われた私たちのために天国の居場所を備えるために天に登られたんです。
じゃあ私たちはイエス様のこの御言葉をぜひ覚えていきましょう。
弱音中4章2節3節です。
私の父の家には住むところがたくさんある。
もしなければあなた方のために場所を用意していくと言ったではないか。
行ってあなたたちのために場所を用意したら戻ってきてあなた方を私のもとに迎える。
こうして私のいるところにあなた方もいることになろうと言います。
じゃあイエス様が天に登られたのは私たちのために、天国の居場所を用意するために天に登られたと言います。
そして戻ってきて私たちを連れて天国に入られるということです。
これが私たちが持っているサイリンのビジョンです。
じゃあイエス様が来られる理由は約束された通り、
自分の神父を天国に連れていて、永遠に天国で幸せにしてあげるために来られます。
イエス様はご自分の神父を連れに来られます。サイリンなさいます。
私はイエス様にふさわしいキリストの神父なのかは、ぜひ今の時期に考えなければなりません。
また今までこの世の中の王として役割をしてきた悪魔、また悪魔の家来である悪霊、
また悪魔に従っていた世の中のいろんな人々を裁かれるために来られます。
もちろん悪魔の攻撃の中で迫害を受けて信仰を守るために精一杯頑張ってきた神の子供たちに
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天国の祝福と報いを与えているために来られます。
テスカラヘブライ書、実書37節、38節はこう言います。
もう少しすると来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。私の正しいものは信仰によって生きる。
信者たちはこの世の中で迫害を受けます。なぜならこの世の中の神が悪魔だからです。
みんな悪魔に従うんですけど、悪魔に従わないで神を従う、神に従う群れたちは世の中から苦しみ、迫害、難しさを感じます。
それをずっと感じている神の子供たちを救うためにイエス・キリストは来られます。
だからもう少しすると来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。
私の正しいものは信仰によって生きる。だから信者あなたたちは最後まで信仰によって生きなさいということが私たちにくださるこの神様のメッセージです。
また3番目、アダムによってダメにしておいたこの古い世界を開始され、新しい天と新しい地を与えるために来られます。
ではイエス様の再臨はいつ行われるのでしょうか。誰も分かりません。
しかし神様は神様の子供たちには最後の時のヒントを与えてくださいました。
これがマッタイの24章中4節です。そしてミクニのこの福音はあらゆるための証として全世界に述べ伝えられ、それから終わりが来ると言います。
いつイエス様再臨なさるか、誰も分かりません。神様しか分かりません。
しかし私たちにはそれを教えてくださいました。いつイエス様再臨なさるか。
福音が地の果てにまで述べ伝えられたらイエス様が再臨なさるんだよということを私たちには教えてくださったんです。
ですからこの神様のお示しをいただいた者たちには大選挙命令に従って真実な下人たちは自分の人生の最優先目的として福音を伝えることを決めて、主の命令に従って今までずっと福音を伝えてきました。
私たちが勉強する時にも目的は福音を伝えるため、職場に入る時も目的は福音を伝えるため、家庭の主婦として生きている時にも子供を育ててこの大選挙命令に従う子供にさせたいという、
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ただこの焦点を大選挙命令に合わせて生きる人は本当に幸いです。
このすべての働きが神様から祝福されます。
神様はこの働きと関連して驚くほどの約束を与えてくださいました。
私たちが神様の命令に従う使命人として生けられない理由があります。
これは何か、私が福音を伝えるために会社に入り、福音を伝えるために勉強し、福音を伝えるために生きるんだとしたら、皆さんみんな思うでしょう。
世の中競争が激しいんで、だったら私たちどうなるんでしょう、生きることができるのか、心配があります。
福音を伝えるためにこの世の中で生きる、そうじゃないよ。
会社に行ってお金持ちになって、会社で立派に昇進して、上に登って、出世するために生きるんだという。
だからみんな使命人としての生活ではなく、生活人としての生活をするしかないんです。
それによって神様の御胸、神様のこの命令、使命を担うことができないことがないように、
マタイの6章33節に神様が約束を下さいました。
何よりもまず、神の国と神の機を求めなさい。何よりもまず、主の命令に従いなさい。
そうすれば、これらのものはみなこうやって与えられる。
何を食べるか、どこで住むか、これからどう生きるか、心配するな。
まず私があなたに命じたことを忠実にせよ。
そうするなら、あなたが食べるもの、生きること、あなたの生活のこと、全て私が全部やってあげるから、という神様の約束が私たちにあります。
主の第一選挙命令を受け入れた真実なしもべたちによって、地の果てにまで福井が土別されられているんですけど、
イエルサレムから始まった福井が、イエルサレムに戻ってくれば終わりです。
昨日佐野先生にもこの話をされました。
イエルサレムから始まった福井が、イエルサレムに戻ってくれば終わりが来る。
私たちは全く同じような考え方を持って、リバイバルを準備されるんですね。
今、皆さん、福井はどこまで行っていますか?
イエルサレムから始まって、アンディオキア、ローロッパ、アメリカ、
アメリカからアジアに来て、それで今、中国、ロシア、
それで今、オリンピック、今、ワールドクープ、サッカー競技が今どこでやってますか?
18:01
カタールというところでやってますよね。
今すべてがそこに集中されています。
ウクラネの戦争があり、すべてその近くに何か大きなことが行われています。
そこに以前は入れなかった、ロシアに誰が入ったんですか?
しかしソ連がロシアに変わってから、私たちの選挙団のメンバーたちはロシアにたくさん入りました。
福井がたくさん述べされられたんです。
だから中国、ロシア、それで今、中東地域に大変な行いがあります。
イラク戦争もあったこともありますけど、
そのことが全部、福井が述べされるその道なんです。
今、福井はどこに行っていますか?
今、中東にいます。
中東、その次はどこですか?
イェルサルムじゃありません。
今、非常に世界が行くところまで福井が進んでいるところなんです。
皆さん、これはパウルが悟った秘密なんですけど、
福井がイェルサルムに戻っていったら、どんなことが起こるか知っていますか?
これがローマ書中1章25節、26節にあります。
福井が最後にイェルサルムに行ったら、
今、ユダヤ人たちはイエスキリストを信じません。
ユダヤ人たちは旧約聖書だけを信じています。
不思議でしょう。
ユダヤ人たちがなぜイエスとも受け入れないのか、
ローマ書中1章25節、26節には、
異邦人が全て救われるまで、
ユダヤ人たちは今、ホールディングされている。
それで、福井が全世界を回って、
イェルサルムに戻っていったら、
イスラエルをみんなイエスキリストを受けるようになるんだということです。
不思議なことが最後の最後に、
イスラエルで行われるんです。
だから今、イスラエルのそこの中で、
宣教師が入って、
ユダヤ人たちに福音を伝える方たちがたくさん現れています。
最後は、ユダヤ人たちがイエスキリストを受け入れることによって、
世の全てが終わりになるんです。
それを考えるときに、福音がどこまでいるのか、
ユダヤ人たちが今まで固くならない心で、
イエスキリストを受け入れない、
十字架を受け入れない、
そのことが何なのかが、
福音の聖書の中で、福音の秘密として現れています。
不思議なのは、福音が入るところには、
文化が発達します。
もう豊かな国に変わります。
だから、ヨーロッパからアメリカから、
またアジアに来て、
日本、韓国、中国、ロシア、
それで、ずっと行くところどころ、
21:01
貧しい国が豊かな国に変わっていく。
この全ての働きとともに、
福音がますます力強く延び伝えられたんです。
その福音が今どこに行っているのか、
イエルサレム近くまで来ています。
その意味は、
最後の時が近づいていることを、私たちが理解できます。
私たちの教会は、今大事なのは、
神様の全ての働きは、私たちの力ではできません。
私たちが頑張って伝導する、
それを聖書は落ちを拾うレベルしかないんです。
聖霊のリバイバルによって伝導する、
それによって収穫を行う。
初めの収穫は、イエルサレムにペンテコステのリバイバルによって始まりました。
最後の時の大収穫も、最後の時のリバイバル、
これが天から雨によって、それができます。
私たちの教会の役目は何かと言いますと、
日本で最後の時のリバイバルが来るように、
新しい武道士は新しい川袋にいるんだという意味で、
教会が改復、本市中中心的に教会が変わっていく。
その働きを私たちが担っていくことです。
皆さん、これがどれほど大きな最後の時の歴史的な意味があるんです。
私たちはそれをプライドとして持っていって、
その夢、そのビジョンを実現していくのを、私たちが祈っていきましょう。
先週の決勝までのところでも同じでした。
日本でリバイバルを行うあちこちのところで、
私たちと同じような考えを持っていることを、その先生から聞きました。
ああ、私は夢ができました。
今まで大勢の方々に出会ったんですけど、
本当にこの方たち、リバイバルに関心があるのか、
ただ自分の業界の成長、うまくなること、そればかり考えるのかと、
本当に私たちはつまずいていました。
その先生に出会ってから、日本にもこれを目指して、
祈っている方がいるんだということを、
昨日、正直に夢ができたと言いましょうか。
ああ、今まで私たちがやってきたことは間違いなかった。
日本でも偉い先生たちは、みんなそれを考えていらっしゃるんだ。
力を合わせよう。
それがやっと昨日、私は心がすっきりしたと言いましょうか。
力を合わせる人が見えたと言いましょう。
祈ろうということが昨日できました。
本当に私は感謝しているところです。
皆さん、この最後の時のリバイバルは、
私たちいつも言っているでしょう、これは神様の偉大な働きです。
24:04
偉大な働きには大きな霊力の戦いがあります。
大きな霊力の戦いには、大きな代価の支払いが必要です。
代価の支払いがあるところで、皆さん、誰がそれをやりますか。
それをやろうとしたら、自分のたくさんのことを犠牲にしなければいけないでしょう。
これは誰がやりますか。誰でもできません。
イエス・キリストの神父、神路を待ち望んでいる神父だけが、
犠牲を支払いながら、イエス様来てください、来てください、この働きができます。
だから、イエス・キリストの神父の働きを私たちはやっていきたいと思います。
イエス様が再現されるときに何があるのか、聖書には具体的に書かれてあります。
マタイ24章29節から31節、私が読んでみましょう。
その苦しみの日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺れ起こされます。
その時、人の子の印が天に現れる。
そしてその時、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見る。
人の子は大きなラッパの音を合図にして天使たちを使わす。
天使たちは天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。
皆さん、最後の時、イエス様が祭りになる時、今見ている大自然界、自然界が変わるということ。
太陽が光を放たず、星が落ちる、信じられますか?
このことが起こるということです。
ぜひとも信じてください。
天地創造の時、何もなかったところで全世界ができました。
だらぐっていた全世界、神様が新しい天と新しい地に変えるために、太陽が光を放たず、星が落ちる、天体が揺れ動かされる、ものすごい怖い時期が来るそうです。
その時、イエス・キリストの祭りの印が現れ、天使たちがラッパと共に天の果てから果てにまで救われるべき人たちを集める。
皆さん、ここに私が含まれるのか含まれないのか、これが最後の時の私たちの運命を決められる大事な瞬間です。
その時、イエス様に注目していきましょう。
27:01
この時に、皆さん信仰が怠けになったらいけません。
一番大事な時期です。
また、イエス様が来られたら、最後の裁きを行われる。
その姿を目白く20章15節からここに書かれてあります。
まず、全人類を騙しておいた悪魔が、火と硫黄の池に投げ込まれた。
そこには、あの獣と偽物たちが、偽予言者がいる。
そして、この者共は、昼も夜も、ようよう限りなく、せめ、さいなまされる。
私はまだ、大きな白い玉座と、そこに座っている方を見た。
皆さん、最後の時の裁きは誰がしますか?
神様ではありません。イエス・キリストが裁き主なんです。
白い玉座にイエス様が座っております。
天も地も、その見前で握っていき、行方もわからなくなった。
私はまた、死者たちが、大きなもの、小さいものも、玉座の前に立っていることを見た。
いくつかの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。
それは、命の書である。
死者たちは、これらの書物に書かれていることにもどついて、彼らの行いにも応じて裁かれた。
死も病みも、火の池に投げ込まれた。
この火の池は、第二の死である。
その中、命の書に記されていないものは、火の池に投げ込まれる。
最後の時に、書物がいろいろあった。
その書物が何か、みんなが人生を生きている時に行われた、すべてが書かれてある、その書物があった。
もう一つの書物があるんですが、それが命の書であった。
その命の書に名前が記されていないものは、全部地獄に投げ込まれた。
じゃあ、命の書に私の名前があるんですか?
どなたですか?
イエス・キリストを受け入れた人、信じる人、それだけでは、またまた足りない。
イエス・キリストを愛する人、キリストの神父が、名前がそこに書かれてある。
皆さん、私は信じますと言ったのに、イエス・キリスト様、私はあなたを知らない。
最後の時、理性預言者、偽者たちは、主よ主よと言いながら、自分は救われたと思うでしょう。
でも、イエス・キリスト様、私はあなたのことを知らない。
知らないと言ったら、終わりなんです。
だから、イエス・キリスト様は私を知っているのか、私は知っているけど、イエス・キリスト様は私を知っているのかが大事です。
誰がイエス・キリスト様を知っていますか?
30:01
イエス・キリスト様が愛する人は、その名前をしっかり覚えています。
私がイエス・キリスト様を愛する人なのか、イエス・キリスト様が私を知っているのか、これが最後の最後に一番大事なことです。
このように、全てのことを裁かれ、地獄に投げ込まれた後、悪魔もない、罪もない、苦しみもない、呪いもない、
エドのソノのような新しい天と新しい地に、イエス・キリスト様を愛する人たちと共に、
神様がもともと天地を作られた、天地万物を作られた目的を、その時から改めて始まるんです。
聖書が現れたことには、
最悪の知識の木の実を食べてから、人類が堕落したから、救いが目的だったんですけど、
最後の時の、この新しい天と新しい地は、神様の身むねを成し遂げる、素晴らしい世界が開かれることを、今、望んでいます。
じゃあ、3番です。ところが、今、この世の中には、この世の中の終わり、イエス様の再臨を信じる人は、ほとんどいません。
今、世の中で、誰が、この世の中が終わりが来るんだということを信じますか?
イエス様の再臨を信じますか?信じる人は、ほとんどいません。
では、彼らが信じないということで、再臨がないんですか?そうではありません。
再臨がなければどうなるのか。これは、第1コリント15章に、もし復活がなければどうなるのかと言いながら、復活が必ずあるということを証明したように、
再臨がなければどうなるのかを質問しながら、再臨が必ずありますということを申し上げたいと思います。
皆さん、再臨がなければ、イエス様が初めに来られて、十字架と復活を通して成し遂げたこと、意味がなくなります。
また、信じる人たちのために、天の居場所を用意して、踊ってこられると言っているのに、再臨がなければ、天国も意味がありません。
また、最後の裁きもないことになりますので、相変わらずサタンが支配者のように、王のように自分の役割をするでしょう。
また、この世の中の罪、呪い、苦しみ、問題、一つも解決できないまま、世の中の呪いはそのまま続けられる世界になります。
また、福音を伝えるために精一杯頑張って、迫害を受けて、苦しんでいるこの世の真実家の侍達は無駄なことをやってきたんです。
イエス様が再臨に来ると書かれた聖書は嘘の本です。こんなことはありません。だから再臨は確かだ。
33:09
十字架が確かだということを復活で証明したように。
イエス様の再臨が初めに来られて、すべて行われた福音の御業は再臨によって証明されます。
ですから再臨は一つに大事です。
ですから私たちは今の時期、再臨なさるイエス様を礼愛せよ、このことはどれほど素晴らしいことでしょうか。
今私たちはクリスマスは再臨なさるイエス様を礼愛せよという意味で受けるのは非常に大事だと思います。
神様の計画、これからの計画が見えてきたでしょう。
その中で大事なことは、リバイバルとして地の果てにまで福音が述べ伝えれ、大収穫を行われて、その時イエス様が来られ、
裁きが行われて、悪魔と悪魔に従ったすべてのものを地獄に投げ込まれ、新しい天と新しい地が与えられ、その世界から神様の御業が新しく始まれられる。
その素晴らしい計画の中で私たちは今何をやっていますか。
最後のリバイバルを準備する大事な働きが私たちの中にあるんです。
日本でリバイバルが来て、神様が日本を救ってくださいますように、日本を通して世界地の果てにまで福音が述べされますように。
その大事な大事な働きが私たちの夢であり、ビジョンであり、そのために働く私たちは幸いな人たち。
神様から用いられる素晴らしい役目をやっています。
ぜひともこれをやっていきましょう。
教会学のメッセージの中で、ジャカリアが口が聞けなくなった。
なぜなのか。神様の素晴らしい御業、イエス様が初めに来られる御業のために、先伝者ヨハネが生まれる前に、
ジャカリアが不信仰の話、変なことを喋り続けるなら、神の大きな御業がダメになるから、口が聞けなくなった。
同じように、最後の時のリバイバル、大収穫、その素晴らしい御業の目の前にして、私たちが変なことを喋ってはいけない。
不信仰の話をしたらいけない。神の御業、素晴らしい働き、それが私たちに与えられ、私たちはそのために選ばれ、
その働きをすることができる、この名誉です、神様から褒められる素晴らしい御業が私たちにあることだけでも、どれほど素晴らしいこと、主に用いられる存在ということはどれほどプライドでしょうか。
36:07
この大事なことが私たちにあるから、それをビジョンとして持って、最後の時、私たちの人生を尽くしながら、完全燃焼して主に用いられていきたい、主に捧げていきたい、それなき心が私たちの中で豊かにありますように、
その心を持って、祭りになさるイエス様を礼拝せよ、クリスマス、迎えることができますように、お祈り出します。
主よ、再びクリスマスシーズンになりました。キリストを礼拝するクリスマス、
全てを成し遂げて、私たちに天国を与えるために来られるイエス様を喜びを持って礼拝し、迎える準備をうまく成し遂げる私たちにならせてください。
私たちの家族の中で一人もイエス様を迎える準備ができていない人がいないように、どうかどうか私たちに恵みを与えてください。
特に子どもたち、女性たち、健老の皆さんの上に、豊かな信仰を与えてください。イエス様の源を通してお祈り致します。アーメン、アーメン、ありがとうございます。
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