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2022-12-18 31:37

「インマヌエル」2022年12月18日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年12月18日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

マタイ1:23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

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今日は、イマヌエルという体をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
今はアドベントの時期です。 アドベントという意味は、到来という意味で
来られる、再び来られるイエス・キリストを 迎える準備をする期間です。
皆さんは、お家に大切なお客さんが来られる時に
どんな準備をされますか? クリスマスに私たちに来られるお客さんは、どなたですか?
その方はイエス・キリストです。 イエス・キリストってどんなお方ですか?
イエス・キリストは神様です。 神様が私たちのところに来られるということは、想像できますか?
神様が来られるということは、一体どんなことなのか?
もし、アメリカの大統領が私たちの家に来られるという話を聞いたら、皆さんどんな準備をされますか?
アメリカの大統領じゃなくて、また日本の首相が私たちの家に来られると言ったら
そうじゃなければ、皆さんの会社の会長様が皆さんの家に来られると言ったら、皆さんどんな気持ちになりますか?
ところがイエス様は、アメリカの大統領と比べられないほど意図高きお方です。
全世界を作られ、永遠に永遠に統治される、絶対的な主権者です。
この世の中で一番高い万王の王、万衆の主、絶対権力を持っておられる神様です。
その方が来られるのに、その方を迎える準備ができなかったとしたら、皆さんどうなると思いますか?
では、その方を迎えるために私たちはどんな準備をすればいいでしょうか?
問題は、今までイエス・キリストが来られる時の準備がほとんどできてなかったということです。
イエス様が初めに来られる時もそうだったし、再臨なさる時もそうだろうと聖書は私たちに言っています。
初めに来られる時は、イエス様が罪人を救うために、恵みを施すために来られたから、準備が足りなくても問題はなかったんです。
しかし、再臨の時は捌くために来られます。
また、ご自分の花嫁、神父を迎えるために来られます。
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では皆さん、捌くために来られる方の前で準備なしで迎える、これは捌かれるでしょう。
また、花嫁、神父さん、イエス様が来られて、あなたは私の神父ではないよ、あなたは私と関係ないよと言っちゃったら、
私たちの人生は本当に大変なことになります。
ですから、初めに来られる時は準備がなくても問題なかったんですけど、
再臨なさる時には準備がなければ大変なことがなります。
ではどんな準備をすればいいんでしょうか。これを今日一緒に分かち合いたいと思います。
イエス様が来られたのに、万王の王、万宗の主が来られたのに、準備がなかなかできなかった。
その理由は何なんでしょう。ではまず初めに、私たちの信仰生活する目的が問題になります。
では皆さん、なぜ信仰生活されますか。 私たちは何より第一の今しめ、
罪人である私たちを愛してください。 救うために、自分のすべてを犠牲された神様を愛して、
神様に仕えるため、神様に礼拝するために、信仰生活しなければいけないのに、
みんなが口では主要主要と言いますけど、実際は神様を愛するのではなく、自分自身を愛して、
自分のために信仰生活をするんです。 みんな自分の問題解決だけに関心があります。
言いすぎるかもしれませんけど、正直にイエス様に関心がないから、イエス様が来られてもわからないんです。
また2番目、私たちの期待とは全く違う姿で来られるから、
出会うことができないんです。 イエス様が初めに来られた時は、イスラエルは超巨大玉であるローマの植民地統治下にいました。
また、ユダヤ人の王様はヘロデです。ヘロデはエドモ人、
違法人なんです。違法人が王様として治めていました。 だからそのローマからヘロデから統治されることがどれほど苦しかったのか、
彼らは神様にメーシャーを送ってください、送ってください、いつも祈りました。
彼らはローマを倒して自分たちを解放してくれる、善能なお方を送ってくださることを期待しました。
ところが、メーシャーがベツレームの馬小屋で赤ちゃんとしてお生まれになったんです。
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誰もメーシャーがそのような姿で来られるのは考えもできなかったので、来られたメーシャー、イエス・キリストを受け入れることができませんでした。
皆さん、イエス・キリストを迎えるためには、私たちの観点が神様の観点を持たなければなりません。
自分の観点、自分の何か自己中心的な考えからイエス・キリストを迎えるのは、それはイエス様に出会うことができないということです。
それでも良かったです。なぜなら、初めに来られた目的は、失われた民たちを取り戻すため、
恵みを与えるために、救うために、目的を持って来られたから、大事なのは忠実化と復活、
それと信じてイエス・キリストを受け入れることが大事だから、その時イエス様は誰でもいいから、
主の皆を呼び求める人は救われるよ。だから信じて救いをいただきなさいという、イエス様が私たちに何か願う立場で来られたから、
私たちが準備ができなくても、当時は問題なかったんです。 これから大事なのは再臨です。
イエス様の再臨の時は誰も知らないと言います。 イエス様も知らない。神様だけが知っているということです。
時がいつなのか知らないから、準備するのに非常に難しいんです。
第1テサロニー家の古書1節から4節にこう言っています。 兄弟たち、その時と時期についてあなた方に書き過す必要はありません。
盗人が夜やってくるように、主の日は来るということをあなたたち自身よく知っているからです。
人々が無事だ、安全だと言っているその矢先に、突然破滅が襲うのです。
ちょうど妊婦に海の苦しみがやってくるのと同じで、決してそれから逃れることはできません。
イエス様再臨なさる時、私たちは知らないところに来られる。 そしたら私は裁かれるんですけど、そこから逃れる人が誰もいないと言ったから
誰も迎える準備ができない。 裁かれるのは逃れることはできない。
これはすごく厳しいお話です。 ところが4節にこう言っています。
しかし兄弟たち、あなた方は暗闇の中にいるのではありません。 ですから主の日が盗人のように突然あなた方を襲うことはないのです。
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これはあなたたちが
闇の中にいることではない。 それ意味は
光の中、主の中にいるということです。 正しい信仰を生活しているのなら
その時期をわかる。イエス様再臨なさることをわかるから、その人たちは心配ないだろうということを言っています。
ここで正しい信仰する必要、これが非常に大事です。 では正しい信仰というのはないでしょう。何でしょうか。
そのために私たちは何を準備するでしょうか。 このためにはイエス様が初めに来られた目的を
私はよく知らなければなりません。 今日教会学も同じところを今教えてくださって本当に感謝でした。
聖書はまた1章23節にこう言っています。 美を乙女が美ごもって男の子を産む
その名はインメヌインマヌエルと呼ばれる。 この名は神は我々と共におられるという意味です。
イエス様が初めに来られた目的が インマヌエルのために来られた。
その意味は神様が私たちと共におられることができるようにするために来られたということです。
これはどんな意味ですか。 創世紀3章以来
人間は罪を犯して神様から離れて悪魔の奴隷だったんです。
その意味で私たちは賢罪のもとで生まれ 賢罪をもって死んで悪魔についていって地獄に行く存在だった。
神の見姿で作られた人間が罪のゆえに悪魔の奴隷になり地獄に行くから 神様がどれほどどれほど気の毒だと思われたでしょうか。
ですからイエスキリストが神様の身群を知ってこの世に来られ 初めになさったことが
十字架で私たちの罪の代価を全部支払ってくださって 神の見姿である人間を取り戻すことでした。
そこに大事な聖書が第一ワネ3書8節です。 罪を犯す者は悪魔に直します。
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ神の子が現れたというのです。
それで悪魔の奴隷になった人たちを神様はどのように取り戻されるのか。
それは今まで私たちの人生がダメでした、間違えた、悔い改めて イエスキリストを受け入れる信仰告白によって神の子供になるということです。
それがヨハネ1書12節です。
しかし言葉は自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子供となる資格を与えた。
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神の子供となる特権を与えたと聖書が書いてあります。
このように初めに来られたイエス様の目的は失われた人々を取り戻して神の子供にならせて
そしてイマヌエル、神様と共にいるようにしてくださるためにイエスキリストは十字架で命を犠牲になられたんです。
神様は愛する人間を失ってそれで取り戻されたから
二度も失うことがないように4つのことをなさったんです。
まず十字架で罪の対価を全部支払って救うこと、それだけではなく
再び罪を犯す可能性がたくさんあるからその時どうするか、悔いを改めるなら十字架でどんな罪でも許してあげて
それで罪によって悪魔の奴隷になることをそれをイエス様は全部担ってくださったんです。
3番目、聖霊を送ってくださった、助け主を送ってくださってその人の中におられるようにして
この人は私のものだ、陰を押して
教えて悟らせて、悔いあらさめさせ、そして保護しながら天国まで導くように助け主をたたいてくださったんです。
また信仰協同体、教会を通して
救われた人は全部神様の霊的な家、霊的な家庭に招いて、その中で保護し助け、導き
その中で生活することによって天国まで安全に行く
だから20、30の安全装備を備えて2度も失うことがないように
そして神様といつも共にいるインマヌエルを続けることができるように助けてくださったんです。
皆さん、旧約聖書ではインマヌエルがうまくできませんでした。なぜなら罪のゆえにできなかったんです。
しかも旧約聖書でインマヌエルもありました。それがある独定な時期、独定な人にインマヌエルされたんですけど
その人は驚くほどの美技、また驚くほどの奇跡を起こしました。
海を分け、荒野に通り、そして敵との戦いで勝利をする。一番弱い民族が一番強い民族を破る。
その働きができたんです。それがすべてインマヌエル力、神様共におられ神の力でできたんです。
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しかしそれは旧約聖書は非常に制限的にそのことができたんです。
しかし皆さん、新約時代はイエス様の十字架の功労によって罪の問題が解決できるから
これからユダヤ人だけではなく、全世界のどんな民族でも悔い改めてイエスキリストを信じることさえできれば
神の子供になれるし、また信じるすべての人には聖霊様がおられて、共におられて
旧約聖書では独定な人が奇跡的な働きをしたとしたら
新約聖書は信じる誰でもその働きができるようにしてくださったんです。
また悪魔に昔は支配されたんだけど、今は悪魔を破る力、悪魔に勝つ力まで持つようになりました。
それがカラディア書3章13節14節
キリストは私たちのために呪いとなって私たちを立法の呪いから贖い出してくださいました。
それはアブラムに与えられた祝福がキリストイエスにおいて違法人に及ぶためであり、
またあなたたちが約束された聖霊を信仰によって受けるためでしたと言います。
神様が私たちにこんな素晴らしい特権をくださった理由は
一度失われた愛する人たちが二度も失うことがないように
神様の配慮、神様の特定な願いをイエス様が十字架で全て成し遂げてくださったからできることです。
十字架によって私たちは神様とのインマヌエルができるようになりました。
じゃあ皆さん十字架のイエス様のすべての見業を信じる私たちには神様が共におられます。
神様が共におられるなら何の心配もありません。
神様の恵みと愛によってどんな罪を犯したとしても
ごめんなさい、前に過ちました、悪いことしました、悔いを改めますと言うなら許されます。
そうしたら皆さん悪魔によって支配されることはありません。
悪魔の支配から誰でも逃れることになります。
また神様が共におられるなら心配、悩み、嘆き、涙それはありません。
だから信仰を持っている人はこの世を天国のように生きながら後に天国に行って永遠に幸せになるのです。
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ですから祭神のために一番大きな準備、大事な準備はインマヌエルをすることです。
またインマヌエルをできただけじゃなくてそれをいつまでも維持することです。
またインマヌエルの力によって主の御業に忠実に臨むことです。
ルカの復訓書中任書35節から44節まで、終末とイエス様の再臨と関係してこのような御言葉があります。
腰に帯を締め、灯火を灯していなさい。
主人が公園から帰ってきて戸を叩くとき、すぐに開けようと待っている人のようにしなさい。
主人が帰ってきたとき目を覚ましているのを見られるシモベは幸いだ。
はっきり言っておく、主人が帯を締めてこのシモベを食事の席につかせ、そばに来て休止してくださるだろう。
奴隷が主人に仕えるんじゃなくて、主人がイエス様が来れるのに待っているこのシモベを休止してくださると言います。
また主人が真夜中に帰っても夜明けに帰っても目を覚ましているのを見られるシモベは幸いだ。
あなた方も用意していなさい。人の子は思いかけないときに来るからである。
そして42節からです。
主は言われる、主人が召使いたちの上に立てて時間通りに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は一体誰であろうか。
主人が帰ってきたとき言われた通りにしているのを見られるシモベは幸いだ。
確かに言っておくが、主人は彼に主人の全財産を管理させるのに違いない。
再臨なさるイエス様の前で私たちがどんな姿を準備するかによって、後に神様のすべてをこの人に任せることもあるんだということです。
ここで大事なのは、主人がいつ帰ってきても迎えることができるように目を覚ましていること。
もう一つは、主人が私たちに任せてくださったこの御業に忠実に行うことです。
これが私たちが準備するべきことですけど、この働きをうまくするために私たちに持つべき考え方が
自己中心的、自分の観点から準備することはできません。 神中心的に神様の観点からこれを見なければ、これはできません。
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どうすれば私たちは神中心的な信仰をできるか、これが私たちが今いつも学んでいることでしょう。
今日は二つを皆さんお願いしたいと思います。 一つはカラディア二章二十節の言葉です。
私はキリストと共に十字架につけられています。 生きているのはもはや私ではありません。
キリストが私のうちに生きておられます。 私は今肉において生きるのは私を愛し、私のために身を捧げられた神の子に対する信仰によるものです。
私自身の自己中心性が死んで、信仰によって生きるとき、神中心、神様の観点で働くことができます。
神様の観点で見ることができます。 また、ヨハネ五章十九節二十節です。
イエスはお子たんになった。私の父が今もなお働いておられる。 だから私も働くのだ。
はっきり言っておこう。子は父のなさることを見なければ自分からは何事もできない。 父がなさることは何でも子もその通りにする。
父は子を愛してご自分のなさることをすべて子に示されるからであろう。 じゃあ皆さん、これが神を体験する生活です。
神様と共に生きる生活です。これがイマヌイルとして生きる生活です。
私たちの力では何にもできません。 皆さん、私たちは霊的な戦い、私が勝つことはできません。
私の力で大収穫を行うことはできません。 信仰生活のすべては主がなさいます。
私がやるんじゃありません。主がなさいます。 主はリバイバルとして力で来られてそれをなさるんですけど、私ができることは何かと言いますと、
主との親しみの中でPLOの生活をする。 プレイヤー、リスン、オベイ。
祈って聞いて従う。 私から勝手にやるんじゃありません。
祈って聞いて従おうとする。 そのような生活の中で神様が私と共におられる。
また働くことができるんです。 これがイマヌイルとして生きる方法であり、
神様が自ら働く方法であり、これが新しいカワブコロの教会の信仰生活であります。
今私はイマヌイル知っていますか? これを試す2つの例えがあります。
一つはルカの中号章の宝刀息子の例えです。 父の息子なんですけど、父の家を離れて
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今遠くの国に行って苦労して過ごしています。 父は豊かなのに自分は非常に苦労して
過ごしています。なぜでしょう? 父の家から離れているからです。息子だとしても父の家から離れてしまえば苦労するんです。
これはイマヌイルではありません。 イマヌイルするためには父の家に戻ってきて、父の秩序に従いながら
父との親しみの中で見声を聞いて従うこと、そうする時イマヌイルができます。 もう一つが
マタイの二重号章に10人の乙女の例えです。 御礼のパーティーを開かれるのに10人の少女がそこに参加して花婿が来ることを待っていました。
ところが5人は灯と灯火と共に油を準備したのに 残りの5人は灯火だけ持っていて油を準備していなかった。
じゃあ皆さん残りの5人はなぜ油が準備できなかったのか 信仰生活の目的と関係があります。
皆さん信仰生活はします。 信仰生活をなぜするのか
神様に対して信じるふりにはします。 形式を持っています。しかし中身がありません。
事実は神を愛するんじゃなくて他のことを愛しているんです。 神様には祝福くださいとだけ願うために来ただけだけど
自分の願い愛しているのは別にあるんです。 だから
油を準備することができなかったんです。 神を愛し神様だけを愛する人は灯火と共に油を準備するけど
この世を愛して 神様を愛するふりにしたからこの世を愛する人は肉の欲目の欲この世の奢り
いつもそれを求めているので 信仰の姿はあるけど中身がないんです。
その人が 愚かな婦人の処女のような人になるんです。
私たちがこれからやるべきこと いくら信仰生活を熱心にするんだとしても神様との親しい交わり
イエス様に対する愛がなければ イマヌイルができていなければその信仰は危ないんです。
イエスキリストが再現なさるならその信仰は危ないんです。 だから本質信仰の本質神を愛することを取り戻していきましょう。
最後に 創世紀古書で現れる絵の具から学びたいと思います。
創世紀古書21節から24節 絵の具は65歳になったときメドセーラを設けた。
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絵の具はメドセーラを生んだ後300年神様と共に歩み 息子と娘を設けた。絵の具は365歳5年生きた。
絵の具は神様と共に歩み 神様が取られたのでいなくなった。
世の中で生きているままで 天国にいた人が何人かいます。
旧約聖書で絵の具とエリア 新約聖書ではイエス様が初めに見られるんですね。
皆さん絵の具ということは本当に昔々の人です。 その人が何をやったんですか。
何をやったのかが聖書で書いておりません。 しかし絵の具の大事さは
子供を産んでから300年間神様と共に歩んだということも書いてあります。
絵の具はどんな身業に行ったのかこんなこと書いてありません。 聖書は何を言いたいんですか。
私たちの信仰は私益が大事ではないということです。 信仰の大事なのは親しみ
インマヌエルを一番大事に思われるんだということです。 イエス様はインマヌエルの生活している人を喜ばれ
その方たちを天国に連れて行くために再び来られます。 今私はインマヌエルをやってますか。
大きな身業、だから偉いことをやったから神様が喜ぶと思いますか。 私益ではありません。
インマヌエル、神様との親しみを神様が一番願っておるんだということをわかって
それで私たちの信仰生活は今のままでいいのか。 いつもこう言うでしょう開拓して4年目なのに教会がこんな状態
私たちの教会は何か立派なことをしなきゃいけないんじゃないか。 立派なことって何でしょうか。
立派な使役をすることでしょうか。いいえ 神様とのインマヌエルの中で留まることです。
インマヌエルの中で神様喜ばれ、神の御声を聞いて従おうとするその姿勢
これを神様が喜ばれるんです。 これを持っていけば私益が与えられる場合もあるし
私益が与えられなければ神を愛することだけで満足していつまでも神様と共に歩む
これで一番いいんです インマヌエルをする人をイエス様が
連れに来られます その人がキリストの神父でありキリストを一番愛する人だからです
じゃあ今アドベントの時期を通して私の信仰の目的は何なのか
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私は今本当にイエス様を愛しているのか これをもう一度
自分自身を振り返って見てそれを確かめる時期になれればと思います イエス様を愛しているなら
イエス様がいつ参りなさっても心配ありません その一番大事なのはインマヌエルだということをぜひ覚えていきましょう
お祈りいたします 神様
この世の終わりが近づいたと言います また私たちの人生終わりがいつ来るか誰も分かりません
私個人的には 父と母が亡くなることも見ました
本当に人は亡くなるものだということを分かりました
イエス様が参りなさるのは 裁くためにまたご自分の花嫁を連れに来られるんだということを聞きました
そのためにどんな準備をしなきゃいけないんでしょうか 今日学んだ通りインマヌエル
主を愛して主と共に生きる信仰生活をうまくできるように導いてください 教会の皆さんが
聖霊様インマヌエルができるようにしてくださり インマヌエルを維持できるように恵みを与えてください
次の週はクリスマスです 喜びを持ってクリスマスを迎えるようにしてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメン アーメン
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