今日は、小羊の婚宴という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
アドベント第3週目です。 アドベントの期間、私たちが待ち望むのは、イエス・キリストです。
イエス・キリストが来られることです。 ところが、イエス様はすでに来られました。
イエス様が初めに来られたのは、もう2000年前でした。 イエス様はなぜ来られたんですか?
人類の救いのために。 救いの御業のために大事なのは、十字架の支障だった。 これをメッセージしました。
これからイエス様は再び来られます。 再び来られる目的は、救いの御業をお締め、終わり、まとめるためです。
また、最後の裁き、そして後一時の婚宴、結婚式のために来られます。
ですから、再臨のために来られるイエス様を、私たちは今、待ち望んでいるところです。
イエス様の再臨については、先週、第1テサロニケ4章、16節、17節を通して、
イエス様の再臨の姿を、いろいろな段階があるということを、皆さんに申し上げました。
まず、イエス様が雲に乗って、空中で再臨されます。
その時、地上に何が起こりますか? 今まで死んだ人たちが、よみがえられます。
よみがえられた神徒たちと、私たちが、それで生きている間に、天に、空中に引き上げられます。
これ、軽挙と言ったでしょう。それで、空中でイエス様に出会います。
その時、地上には、引き上げられなかった人と、また、未信者たち、また、ユダヤ人たちが、大観覧の中で、信仰が試されます。
それが終わった時に、イエス様が地上に再臨になります。空中の再臨、また地上の再臨。
それで、地上で裁きが行われ、そして、その裁きの結果、天国か地獄に行くようになります。
このメッセージを知ったんですけど、ここで、曖昧にしたことがあります。
これが、コイチジの根源は、一体どの辺りにあるのか、これをもっと正確に皆さんに伝えるために、先週一週間、いろいろ資料も見てみたり、いろいろ工夫しました。
そうしながら、もっと大事なことを、私が築くことができました。
これを、今日、今週、皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。
もっと大事なことは何かというと、聖書全体は、神様と私たちのラブストーリーということです。
もっと大事なこと。神様は、人間を作る前に、神様は人間を想定して作るために、全世界を作られたと思っていいでしょう。
天地創造が目的ではなく、神様は愛する人間を作って、人間と一緒に暮らす世界、これが全世界だと、作られたんです。
その人間に、神様はエデンの園を作ってくださり、人間には神様だけが持っているすべてを自由にする、自由意志を人間に与えられたんです。
なぜなら、皆さん、私が愛する方が、自分が願って私を好きで、私と結婚したり、私と恋になることは、本当の恋でしょう。
そうじゃなくて、ロボットを作っておいて、プログラムで私を愛します、愛します、これいくら言っても、本当の愛ではないですね。
本当の自分の心で、私を本当に好きだと思って尊敬して、愛に陥る。
神様はそれを願われたので、神様と同じような自由を人間に与えられたんです。
これが皆さんの大事な、創世記2章16節、17節。
そのすべての機から取って食べなさい。ただし、知識の機からは決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。
これは私たちが結婚するときに制約と同じことです。
結婚の指釈をされる方が、神道にこう聞きます。
世の中に女性はたくさんいます。しかし、あなたには、本当のあなたを愛する女性は彼女しかいません。
あなたはこの彼女を死ぬまで彼女だけを愛することを約束しますか?と聞きます。
これが、全悪の知識の機を置かれた理由であり、それを食べると死ぬんだということと同じような結婚制約のことがこれなんです。
そのとき神道は何と言ったんですか?
はい、と言いました。だから結婚が成立しました。
神様と私たちも同じです。
神様、創世紀2章16節17節を言ったときに、私たちは受け入れますと約束したから、
その約束のもとで神様と私たちの間の結婚、まあ結婚というか、愛の生活がこれから始まるようになったんです。
神様はその印としてエデンのその豊かさ、幸せ、もう世の中のすべてを私たちに任せられる。
代理者になれ、もうすべてがあなたのものだと思って、もうこのように神様のすべてを私たちに与えてください。
私たちはそれを持って最後まで最後まで幸せと祝福の中で過ごせばよかったです。
ところが、創世紀3章で蛇が現れ、私たちは誘惑して人間が全悪の血しのき、
これを食べてはいけないと言ったのに、それを食べてしまいました。
ある意味から見たら神様を裏切ったと言っていいでしょう。
じゃあ皆さん、罪を犯したらどうなりますか?
礼儀的な法則、第一王女3章8節、罪を犯す者は悪魔に直します。
神の愛であり神の代理者である人間が悪魔の奴隷になって、悪魔が支持する通り生きるようになりました。
皆さん、私だったら、もし私がすべてを任せた一番愛した人がもう悪魔の奴隷になって悪魔に騙されて、
また私が任せられたすべてを奪われてしまったと言ったら、
私がその人に対してどうすればいいんでしょう?
罰を与えるだけじゃなくて、もう殺したいと思うのは当たり前じゃありませんか。
しかし神様はその人間を救おうと思われた。
なぜでしょう?
愛するから、愛するから。
これが創世紀3章中古説です。
神様は女の子孫を送ってあげて、悪魔を滅ぼし、人間を救い、または人間のすべてを取り戻してあげたいと計画を立てられたんです。
この女の子孫がイエス・キリスト、神の一人子なんです。
この以来、神様の計画が変わりました。
神様は天地万物を創造されるときには、天地万物の中で人間と共に何かがあるから天地万物を創造されたでしょう。
ところが人間は罪を犯してしまって悪魔の奴隷になったから、この計画よりまず人間をサタンの支配から救う。
それが一番大事なことになってしまった。
神の計画は狂って変わって、人間の救いの計画が神の計画を見たようになってしまった。
それを一番よく表してくださる聖書は、ヨアネの福音書3章16節。
神はその一人子を和太になったほどに要愛された。
一人子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を受けるためである。
全世界はアダムの堕落によって神から離れ、悪魔の支配下で苦しむようになりました。
その悪魔の支配下で苦しむ人間を救うために神様が考えられたのがアブラームという人なんです。
神様が一人の人、アブラームを選ばれて、彼を通してそのすべてを取り戻すんですけど、
その時アブラームに与えられた訓練があります。
これが信仰の訓練です。信頼の訓練です。
どんな状況にもあなたは私を信じるのか、私を信頼するのか、どんな状況にも私に従うのか、これなんです。
これがアブラームに与えられた信仰の訓練でした。
訓練を長く25年、それでイサクを与えてくださり、それからイサクが大きくなった時に神様がどのような最後の訓練、
創世紀22章2節、みなさん22章2節、マルコー2章22節、222って本当に大きな意味があるんですね。
これは何かと言いますと、モリアさんのところに行って、あなたの愛するあなたの一人子を私に生贄として燃やして、それで私に捧げなさい。
その時、ダメです。私はイサクをもっと愛するからできません。
これはもう神を愛するよりイサクをもっと愛することになりますけど、
アブラームは何の話もしないでイサクを連れてモリアさんに行って、
それで本当に殺して焼き尽くす捧げ物として神様に捧げようと思ったんです。
その時神様は分かった、あなたの信仰、あなたが私を愛するのは分かった。
それを通してアブラームは信仰をパスしました。
神様はアブラームの信仰、愛を確認してから、アブラームを通して大きな一つの民族を作られるんですけど、その民族はイスラエルなんです。
その時神様は誇らしく言われる言葉があります。
彼らは私の民になり、私は彼らの神になろう。
もう神様はどれほど喜ばれたんでしょう。
しかしイスラエルはこのような神様の喜びと神の御心を知らなかった。
イスラエル人たちは大きな国を作るためにエジプトに行ったりカナンに戻ってきたりするんですけど、エジプトの文化を見てもう惚れてしまいました。
またカナンに戻ってきたからはカナンの宮城を見て、わあいいなと思って誘惑されてしまいました。
イスラエル人の心の中で神様を愛するんじゃなくて、イスラエル人の心の中ではカナンの文化、またエジプトの文化、エジプトの宮城、カナンの宮城、それがもともと愛するもの、誇らしいもの、それになってしまったんです。
その時神様はイスラエル人に立法を与えてください。立法で一番大事な神明記六章四節五節。
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の神である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、あなたの神、主を愛しなさい。
これがイスラエル人たちがようよう限りなく伝えるべき私の身胸であろうと教えました。
それを受け止めて本当に神様だけを愛する人もいました。
ヴォーセ、サウメール、ダビデ、しかしほぼほとんどの時期、ほぼほとんどの人は神様より世の中、空城を愛しました。
もう神を愛するふりにはします。これ一割の信仰ですね。それをしますけどイスラエル人の心には神様がいなかった。
世の中のこと、空城がもっともっと好きであり恋するものになりました。
このイスラエル人たちの心をよく見せてくださるところがホセアショです。
神様はホセアに乱な女、コメルと結婚するようにしました。
コメルはホセアと結婚しながら何かがあったら家から出てしまいます。また他の男たちと共に浮気をします。
ホセアが連れて戻ってきたらまた何があったら出て行ってまた浮気をします。
ホセアの心がどれほど辛かったでしょう。それを通して旧約聖書全体的に神様がイスラエル人を愛するこのイスラエル人たちが神を愛してくれないことに対して神の痛みを神の辛さを表してくれた。
結局旧約聖書の結論は人間は神を愛してなかったとこれです。
時が来た時神様が約束された通り女の子孫としてイエス・キリストを送ってくださいました。
皆さんイエス・キリストを送ってください。今日のクイズにも子供のクイズにもありましたけど。
その中でイエス様がこの世に来た時にまた一章二十三節に美を乙女が身こもって男の子を産むその名をイマヌエルと呼ばれる。
イマヌエルの意味は神は我々と共におられるという意味です。
イエス様の名前はイエスの名前もあるしイマヌエルという名前もあります。
イマヌエルは神様が私と共におられる。
これが事実人間が言ったんじゃなくて神様が言っている。
神様の願いは人間と共にいたい、過ごしたい、愛したい、これなんです。
それを叶えるためにイエス・キリストが来られた。
イエス・キリストが来られた目的イコールイマヌエル。名前イマヌエル同じことなんです。
イエス様が来られて初めの奇跡は何ですか。
イエス様がこの世に来られて行われた初めの奇跡これがヨハネ二章でカナノコンエインです。
カナノコンエインで何があったんですか。
コンエインの時に葡萄酒がなくなった。
葡萄酒は喜びなんです。
コンエインのところに問題が生じた。
喜びがなくなった。どんな意味ですか。
創世紀初めに結婚式のように幸せに神様と人間との祝福の中でエデンの園に永遠に幸せになるべきそのところで
葡萄酒がなくなった事件があった。
だから今神様と人間の間にトラブル問題が生じたということです。
それを解決するためにイエス・キリストが来られた。
イエス・キリストはどのようにやりました。
水を葡萄酒に変えて、天国の葡萄酒によってコンエインのこの結婚式がもともと盛大に喜ばれるものになったということです。
これが一言で言いますとイエス・キリストが来られた目的、イエス・キリストの使命であります。
イエス様はその御言葉通り教え延べ伝え癒しながら人々を助け最後に十字架で死んでくださいました。
十字架で死んでくださいながら贖いの地によって神と人間を和解させてくださった。
これ大きいです。
今トラブルによって問題によって今敵の状態だった。
この状態をイエス・キリスト地によって和解させてくださった。
またイエス様の贖いの地によって悪魔の奴隷から神様の子供、神を愛する子供としてキリストの花嫁として私たちの身分を変えてくださった。
大きな働きをされました。
そして十字架を背負う前に大事な大事なお話をされました。
これを読んでくださったヨワネ14章1セッチから3セッチ。
イエス様離れるからみんなが心配する。
そのところでイエス様はこう言います。
心を騒がせるな。神を信じなさい。そして私を信じなさい。
私の父の家には住むところがたくさんある。
もしなければあなた方のために場所を用意しに行くと言っただろうか。
行ってあなた方のために場所を用意したら戻ってきてあなた方を私のもとに迎える。
こうして私のいるところにあなた方もいることになる。
イエス様は十字架を背負ってこれから復活を想定されますけど、それがあなた方のためだよということを教えてください。
またイエス様は想定されるの前にもっと大事なことを一つなさるんですけど、
これがイエス様がペテロに何と言うんですか。
ヨワネ21章15節。
ヨワネの子シモン、この人たちより以上に私を愛してるか。
はい、愛してます。
また、これ以上私を愛してるのか。
三度も確かめます。
あなたは私を愛してるのか。愛してるのか。
みなさんこれは何ですか。
花婿が花嫁に、あなたは私を愛してる?愛してる?愛してる?
オッケー、わかったわかった、あなたのために場所を用意して行くから、また戻ってくるよ。
あなたは私を待って、お願いお願いして、イエス様は昇天されたということです。
昇天されながら、使徒御伝1章11節。
あなたたちから天に挙げられた同じように、また再び戻ってこられる。
これまで神様が天使たちを通して、イエス様を口を通して、私たちを確かめてくださったところが今までなんです。
じゃあこれから、この約束いつ成し遂げられますか。
牧師録中級書、今日読んでくださったところです。
私たちは喜び、大いに喜び、神への栄光を称えよう。
公一寺の婚礼の日が来て、花嫁はいよいよ整えられた。
花嫁は輝く清い天の衣を着せられた。
この天の衣は聖なる者たちの正しい行いである。
それから天使は私に書き記せ、公一寺の婚宴に招かれた者たちは幸いだと言った。
じゃあこれは、イエス様は再び来られて、これからパーティーが、結婚式が行われることを教えてください。
じゃあ皆さん、私たちがこれを理解するためには、
ユダヤ人の結婚の風習を理解しなければいけない部分があります。
この世界で行われる全てが、ユダヤ人の結婚の風習に合わせてみれば、よく理解ができるからです。
じゃあ皆さん、ユダヤ人の結婚の風習は何なのか。
少し私が、これは少し編集して皆さんに申し上げたいと思います。
ユダヤ人は結婚をする前に、恋する男性と女性がいるなら、
この男女を結婚させるために両家のご両親たちが会って、それで結婚の約束をされます。
じゃあ、この親が出会って結婚の約束をする、これが結婚を決められる大事なポイントです。
その時、新郎のところで、新郎のところは新婦さんのところに地産金というんですかね、地産金、そのお金を払うところもあった、時もあった。
よく育ててくれて、私の何かところに嫁を送ってくださってありがとうございますという意味で、地産金を与える場合もあった。
聖書でマリアとヨセプは、この結婚の約束をしたところで何か見込むようになったんですけど、それが第1段階の中で今待っているところ。
じゃあ、結婚の約束をしたらこれから1年間、両家で新郎は新郎なりに、新婦は新婦なりに、親が結婚準備をさせる、新婦授業をされる。
これがある程度できたとしたら、親の方からこれから結婚してもいい、結婚するようにしましょうと。
その時に新郎と新郎のお友達が、じゃあこれから私たち結婚式がありますと言って、町の人々にお知らせしながら、結婚行進をと言っているんですけどね。
これを皆さんにお知らせをしながら、新婦のお家に行きます。新婦のお家で結婚式を行います。
結婚式が長く長く、ユダヤ人は1週間くらい続けるそうです。
この1週間が町の祭りのように行われるようにするんだそうです。
これが皆さん、中人の乙女のたとえがあるし、金の婚礼のたとえがあるでしょう。
これがこのような2段階、2番目の段階のこのことが書かれてあると言っていいでしょう。
それが婚礼の結婚式が全て終わったとしたら、新郎が新婦を迎えて自分の家に行きます。
それで用意された家に入り、そこで2人の結婚生活が始まります。
これを今、私たちの信仰生活にどのように適応できるか。
私たちの信仰生活は、イエス様との愛の関係で、イエス様は花婿、新郎。
私たちはみんな、イエス様の花嫁、新婦の状態です。
結婚は約束をいつしたんですか、皆さん、イエス様との結婚約束をいつしたんですか。
これはイエス様を救いのして受け入れ、悔いを改めて、バーボテスマを受けるとき、洗礼を受けるときに、イエス様と私たちは結婚の約束をしたんです。
ですから今、私たちはイエス様と結婚した約束をして、花婿を待っている状態の私たちなんです。
これは最も聖書通りに見ているのはこれなんです。
これからイエス様が再臨なさって、婚礼式が行われるんですけど、これが牧師録中級書の7節から9節まで。
これ、いつ、どこで行われるのか。
これはイエス様が空中の再臨なさったとき、私たちが引き上げられて、そこで行われます、空中で。
空中で私たちが結婚式をするときに、地上には大観覧、大観覧が行われるようになるでしょう。
この結婚式が終わったら、イエス様は私たちを連れてどこに行かれるのか、神様が用意されたお家で連れて行くんですけど、
それが牧師録21章の2節から4節。
さらに私たちは、聖なる都、新しいイエルサレムが夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとから離れ、天から下ってくるのを見た。
そのとき私は玉座から語られる大きな声を聞いた。
見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民になる。
神は自ら人と共にいって、その神となり、彼らの目を涙をことことく拭いとってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも、嘆きも、苦労もない、いうような状態が天国で私たちが続けるようになるということです。
このような、これからイエス様と共に天国で永遠に行きます。
私たちはすでにイエス様と結婚の約束をしました。
バブテスマ、洗礼を通して。
それから私たちが待っているのは、イエス様が来られて行われる小一寺の婚礼を待っています。
これが終わったら私たちは天国に入って、神様が整えられたこの天国の家で住むようになります。
その時、神様は、イエス様は、私たちがこの地上で信仰を守るために、または教会のために、
本当に苦しみ、全てに対して涙を拭いてくださり、全ての苦しみに対して慰めてくださり、
そこでイエス様といつもいつもいつも幸せ、祝福の中で天国で永遠に豊かな中で過ごすようになろうと言います。
これが私たちの希望です。
ですから今私たちは、まあ世の中で辛い信仰生活をするのは大変、今日みたいに寒くて雨も降っているのに、
教会、礼拝、ああもうこれは面倒くさいと皆さん言うかもしれないけど、
その信仰を守るために苦労された全ては、イエス様が天国に行って、私たちは全ての慰め、祝福、全てを報いてくださる。
これを皆さん覚えておきましょう。
だから今辛いとか、信仰生活が難しいとか、いろいろなことがあってもそれを考えながら、希望を考えながら、
それを後になって、あなたその時辛かったでしょう、苦労したな、心さんと言われるイエス様の御声を覚えながら、
よくよくになっていきましょう。
じゃあここで、慶典の中で、二人が行って一人が引き上げられ、一人が残された。
と時に残された人はどうなるのか。
これは中仁の乙女の中で引き上げれ、婚礼に参加した婦人、参加できなかった婦人がいました。
この人のような状態です。またユダヤ人たち、今イエス様を受け入れていない状態。
また世の中の未信者たち、その人たちにはこの地上で患難があります。
これはものすごい怖くて怖くてたまらないほどの患難があるので、
それを乗り切る、耐えるのは本当にできるのかと思われるんですけど、
本当に難しい、信仰を試される試練が世の中にはあります。
この試練の中で最後まで信仰を守り抜いた人たちは、永遠な天国に入るようになります。
それを耐えられなかった、また信仰がない人たちは、永遠な罰である地獄に行くようになります。
ですから私たちはこのようなこと、ああこれから、もう間もないですよ、
これからこんなことが起こるだろうと思いながら、
私たちのこの地上の人生を、私たちはどうすればいいか、信仰をしっかり守らなきゃいけないことを考えていただければと思います。
結論を申します。
聖書はもともと、人間は神様が愛して、人間をために全世界を作られた、
また豊かなエデンの園の中で、永遠に幸せに生きればよかった、そのようになっている私たちでした。
ところがある時期、悪夢の誘惑によって罪を犯して、神の愛から離れる場合があったんですけど、
私たちの神道、花向こうであるイエス様が来られて、すべてを解決してくださって、私たちを救ってくださいました。
イエス様が私たちを救うために、しあらた犠牲、これはもう限りないほど、
自分の命、血を流しながら、私たちのために、すべてを担ってくださった。
嫁のために、花向こうがこれほど犠牲をしてくださって、私たちを救ってくださりました。
これから私たちは何をすればいいでしょう。
この花向こう、イエス様のこの愛に感謝する心で、これからいつまでもいつまでもイエス様の愛の中に留まる。
これが私たちがやるべき一番大事なことです。
皆さんここで、ヘプシバ、ピュロラという話を聞いたことがありますか。
これイザヤ62章3節4節に出てくる言葉です。
ヘプシバは何ですか。
我が喜びは彼女にある。
ピュラは夫を持つ人ということです。
私たちはある時、善悪の知識の木の実を食べて、神から離れて、それから私たちは見捨てられた、荒れ果てている状態の中で長く過ごしました。
私たちは見捨てられた、荒れ果てている、このような状態になった私たちを、イエス・キリストが来られて、私たち全てを回復してくださって、
ヘプシバ、彼女は私の喜び、またピュラ、彼女は私と結婚した状態ということをイエス様がやってくださったんです。
それで私たちを連れて婚礼式に入って、結婚式が終わったら、天国で永遠に永遠に、これからは二度も奪われない、悪魔がない世界、天国に入って、
私と一緒に幸せな祝福の神様が行うようにしてくださいます。
ここで皆さん、申し訳ないことを一言申し上げます。
この世の夫婦は、では何ですか。この世の夫婦は、この世を堅定です。
この世は難しいから、お互いに力を合わせて助け合って愛し合って、この世をうまく生きてくださいという意味で、
しばらく許された関係が、この世の夫と妻の関係です。
しかし、この世を百年終わったら、この関係はもうなくなります。
これから私たちの進路はイエス・キリスト。私はイエス様の花嫁になります。
イエス様が来られたら、私たちは正しい結婚は何なのか、正しい夫婦関係は何なのか、本当の夫婦の愛は何なのか、
家庭の幸せ、家庭の祝福は何なのかを、イエス・キリストによって知るようになるでしょう。
そして、家庭の素晴らしさ、夫婦の関係の素晴らしさを、天国で永遠に永遠にイエス・キリストを共に味わうようになるでしょう。
これを考えながら、これから残されたのは、イエス様を愛する花嫁としての私たち、この残された地上の人生をどのように過ごすべきなのか。
私たちはイエス様、これからも永遠に私たちの花嫁、母である神老であるイエス様を愛を考えながら、イエス様の愛の中で、主の内で永遠に永遠に主を愛し、イエス様を信じ、愛しながら永遠に生きることを私たちはもっともっと確信する、確かめる時期が、これが太古説というところです。
来週、この神老、イエス様が来られたことを記念する、また再び来られることを、この待ち望む礼拝です。
イエス様を、この本当に愛する心、それをもうイエス様に思い存分捧げる、来週のクリスマス礼拝になれればと思います。
お祈り出します。
主よ、今日のメッセージを聞きながら、恥ずかしいことしかありません。
私たちがやったのは罪しかありませんけど、神様は私たちを愛され、花向子であるイエス様が、私たちのためにすべての代価、支払いを、犠牲をもって支払ってくださり、