2023-02-26 29:14

#乏しさ、豊かさ、強さ 23/2/26

ピリピ-13からの礼拝説教。 2023年2月26日録音。 パウロは「貧しくても豊かであってもあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」と述べて、試練の中にあるピリピ教会の人々に見習うべき秘訣を語ります。 貧しくても卑屈にならず豊かであっても傲慢にならない秘訣を1.乏しさの中での秘訣(パウロの言う「貧しさ」とは)、2.どんな境遇にも満足する秘訣(豊かさの中での秘訣)、3.とっておきの秘訣、の3つの点から学びましょう。

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新約聖書、フィリピチンへの手紙、4章、10節から13節をお読みします。
私を案じてくれるあなたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって、大いに喜んでいます。
あなた方は案じていてくれたのですが、それを示す機会がなかったのです。
乏しいからこういうのではありません。 私はどんな境遇にあっても満足することを学びました。
私は貧しくあることも知っており、富むことも知っています。 道足りることにも、植えることにも、
富むことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
以上です。今日はこのところから、「乏した、豊かさ、強さ」と題して見言葉を取り継ぎます。
みなさんおはようございます。
早いもので2月の最後の日曜日を迎えました。
パウルはここから、フィリピ教会の献金へのお礼を述べ始めます。
この中で彼は、貧しくあっても、豊かであっても、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていますと述べて、
試練の中にあるフィリピ教会の人々に、見習うべき模範を語っている、その見習うべき模範、あるいは秘訣を教えているのです。
ところで、昨日、日本で一つ話題になったことがありました。
野球の世界大会、WBCの日本の代表が、ソフトバンク・フォークスと練習試合、オープン戦を行いました。
その選抜が、この佐々木浪貴投手です。
2回を3心を含む、完璧に抑えた、関風です。
実はこの佐々木浪貴投手は、野球の名プレーヤーがよく夢に見る甲子園大会に一度も出ていないのです。
と言いますのは、3年生の一番最後の試合、岩手県の出身の大会ですけれども、岩手県大会で彼が投げて決勝まで行って、あと1試合勝てば甲子園に行けるというその試合で、
彼の監督が怪我を回避させるために、彼を投げさせなかったのです。
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彼はいわゆるエースで4番出しちゃったのですね。
彼は出なかった。その結果、決勝で負けてしまって甲子園に行けなかった。
一つ大きな物議を醸した事件、出来事でもありましたけれども、しかし彼はそんな中、千葉ロッテマリンズに入りました。
そこでも大事に育てるという方針で、1年2年、あんまり長く投げさせてもらえなかったんですね。
しかし皆さんご存知の通り、完全自愛というのを昨年でしょうか、達成し、そしてこの世界の
青年の代表にまで勝ち得る、そのようなところに選ばれるところまで、彼は成長したわけです。
ちなみに彼はですね、東日本大震災の時にお父様を亡くしています。
このようにですね、彼は甲子園の目前にして、文字通り涙を流してその夢を諦めました。
しかしその試練がですね、彼を強くして、このような今の日本を代表する党首にもなりつつあるというわけです。
このように試練を通して人が成長する、それは私たちクリスチャンの生活にも当てはまるわけです。
私たちイエス様を信じている人たちが、あるいは聖書が教えるその成長や試練を乗り越える秘訣、それはイエス様が目標であり、そのイエス様の十字架と関わりがあるということですね。
そのことをまず学びます。 最初はですね、
乏しさの中での秘訣、 パウロが言う貧しさとは何かということです。
ちょっと長いんですが、4章12節読めるかで読んでみましょう。
私は貧しくあることも知っており、富むことも知っています。
満ち足りることにも、飢えることにも、富むことにも、乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
このパウロの最初の12節の告白というか宣言、
レジュメに書いてないんですけど、これを言った背景はですね、
4章の10節にですね、ついにあなた方が私を心配している心が蘇って献金を送ってくれたことを感謝していますと言ってるんです。
でも彼はですね、別に物欲しさで献金を要求して言ってるんじゃないんですよと、
お礼はしてますけれども、私の根本的な生き様、姿勢はこのようなあらゆる境遇に対処する秘訣を知っています。
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乏しいから言うんではありませんと言っているわけです。
じゃあ彼の貧しさの中にある秘訣、別の言い方をするとですね、
ここの貧しくあるという12節の言葉、これは実はですね、単なる貧しさじゃないんです。
単なる貧しさではなくて、イエス様の下辺の姿を反映させた言葉なんです。
イエス様の謙遜さが反映された言葉で、それは、
2章の6節から始まる、イエス様を賛美するこの詩に現れた言葉です。
ちょっと長いんですけども、読んでみますね。 ピリピ2章6節から8節。
キリストは神の見姿であられるのに、神としての在り方を捨てられないとは考えず、
ご自分を虚しくして、下辺の姿をとり、人間と同じようになられました。
ここから読んでみましょう。3回、人としての姿をもって現れ、自らを低くして死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
実はこの、自らを低くしてという、タペイノシスという言葉だったと思うんですけど、
この言葉が実は4章8節の、貧しくあることという言葉と同じ言葉が使われています。
ワザとパウロはその言葉を使っています。 実はそれには深い意味があるわけです。どんな意味か。
それは、これまでピリピリとの手紙の中で学んだように、
クリスチャンの祝福はイエス様と同じ姿に変えられていくということです。
まず第一は、復活のイエス様と同じ姿に変えられて、やがて私たちが人生の旅路を終えた時に、イエス様ともう一回会った時に、
イエス様と直接会った時に、罪とか病気とか死とかと関係ない、完全な姿に変えられるということが一つ。
もう一つが、 復活のイエス様と同じ姿と、もう一つは受難と十字架のイエス様、
つまり、しむべとしてのイエス様と同じ姿になるという、この2つのクリスチャンの目標があるわけです。
どういうことでしょうか。実はパウロは、
自分の受けた試練、 後でも言いますけれども、
この手紙を書いている時はローマの極中にいました。家を借りた難勤状態とも言われていましたけれども、
福音の家の今の試練、 それを
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乏しさと言っています。でもそれは、 単なる試練じゃなくて、今の試練や乏しさ、貧しさ、それは
まさにイエス様の受難に預かること。 イエス様の十字架のお姿に自分も変えられているプロセスだ。
あるいはその同じ歩みだということを言っているんですね。 そのイエス様のしむべの姿であり、そのための訓練を今私は受けているんです。
そのように彼は捉えていたから、 このような試練の中、あるいは実際の乏しさの中にあっても、
彼はイエス様にあって、それを受け止めて満足していたということなんです。 ですから
大事なこと、 それはですね、私たちも何か試練に遭う時、
それはもちろん苦しいかもしれません。 しかしそれは、
イエス様と同じしむべの姿である経験をして、 あるいはそれもイエス様と同じすべての姿になっている。
あるいはそのための訓練を受けていると考えて、 私はイエス様と同じ道を歩んでいるんだなぁと考えて、
それによってその苦しい状況も、 いわゆるイエス様にあって受け止め満足する。
それがまず乏しさや試練の中での秘訣と覚えておいてください。 でね、佐々木陸じゃないですけれども、私たちはこの
佐々木大統領の姿ではありませんが、 イエス様の身姿へと変えられていくわけです。
それが一つ目。二つ目、 どんな教育にも満足する秘訣、
別の言い方をすると、 豊かさの中での秘訣、二番目です。
ちょっと遡りますが、11節を読める方は読んでみましょう。 前にありますね。
乏しいからこういうのではありません。 私はどんな境遇にあっても満足することを学びました。
これは、私は今ローマの国中にいて、 貧しいから乏しいから献金をありがとうって言って感謝してるんじゃないですよ。
もちろん感謝してるんですけども。 なぜなら、どんな境遇であっても満足することを学びました。
それとですね、さっき見た12節にはこうありましたね。 ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている。
似た言葉です。 実はですね、この満足する、どんな境遇でも満足する、
あらゆる境遇に対処する秘訣を得ている。 これはですね、
当時の時代の、皆さん聞いたことあると思いますが、 ギリシャ哲学ですね。ストア派と言いますけど、
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ギリシャ哲学の考えに似た言葉、その言葉そのものの単語を使っているんです。 満足って言葉と秘訣を心得た。
日本風に言うと、哲学的悟り、禅の悟りと似ているかもしれません。 正確には一緒じゃないんです。
ちょっと難しい言葉なんですけど、自己重則、 環境に左右されない、自己重則と環境に左右されない、静かな心を持っています。
そういうことがここで、 連想させる言葉なんですね。当時の哲学的な。
しかし、パウロはそれとは全く違った、もっと素晴らしいものを持っていると教えているんです。
それは何か?それは当然、皆さんがご存知のようにイエス様、神様にある大書の仕方だって言うんですね。
まあ今日、今は見ませんけれども、後で見てください。前学んだ3章でパウロは、自分の今で言えば東大を卒業するような、東大はなんてクイズ番組なんですけど、
そういう学歴とかですね、この社会的地位があったけども、それらをイエス様を知った素晴らしさに比べれば、知り飽くたなと思っている。
これパウロが言ってるからちょっと下品だけど言いますけど、文字通りの言葉は道端に転がっている犬の糞のようなものだって言ってるんですね。
それはイエス様を知っている素晴らしさを今持っているからだ。
それと同時に、実はここでもう一つ興味深いのは、パウロは、旧約聖書の教えから豊かさに対処する秘訣ということを示唆しているんですね。
それはどんなことか? それはですね、パウロは
興味深いことに、豊かさは否定してないんです。 貧しいことにも満足することもできるし、豊かさも対処する秘訣を知っているって言ってることは、
ある面、ちょっと間違って考えるとですね、 キリスト教は金欲主義で富を否定している、
財産を否定しているっていうかもしれませんけど、パウロは豊かさは否定してないんです。 大事なことはですね、
豊かさや祝福を受けた時に、どう考え、どうするかってことが、ここに見え隠れすると言いますかね、前提にあるんです。
それは実は旧約聖書のこのような教えなんです。 ちょっと長いんですが、
神明記、モーセを通して当時の イスラエルの民に伝えられたとされる、この注意書きの一つにこういうことを書いたんですね。
あなた方が食べて見慣れた時、アラノを旅して、やっとカナンという豊かな地に入った時の話です。
もしそうやって神の約束の地に入って食べて見慣れた時、主がお与えくださった良い地について、
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あなたの神、主を褒め称えなければならない。 気をつけなさい。私が今日あなたに命じる主の命令と、主の定めと、
主の掟を守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。 最後だけ読んでみましょうか。
あなたは心の内で私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだと言わないように気をつけなさい。
おそらくみなさん読んで汲み取ったと思いますけれども、 ここで大事なことはですね、
主を褒め称えなければならない。 もし豊かさを享受するならば、それによって、神様に感謝し、神様を褒め称えなさいと言っているのです。
そして その中で主の命令と主の定めを守らず、主を忘れることがないようにと言うのです。
豊かさの中で神様を忘れないようにしなさいと言っているのです。 そして、私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだと言わないように。
もちろん私たちは努力はします。いろんな良い評価を得ますね。 でもそれを私の力だ、
自分だけに栄光を捧げるんじゃなくて、これは一番最初に言った言外には、 神様のおかげで私はこの繁栄や、もしかしたら成功を体験しているんだと言って、
神に感謝し、神に栄光を捧げる。 そのように旧約聖書、新明記は教えている。そういうことがオパウロの信仰の背後にあるわけです。
だから、豊かになっても神を忘れない、神に感謝する。 そのように私は、豊かさにある秘訣も心得ていますと言っているんですね。
当然皆さんも知っているように、パウロはフィリピンにいた時に、 リリア何かから本当に豊かな寛大を受けたこともありました。
これが、豊かさの中にあっても自己満足しない。 それが神様に感謝し、神を忘れないという豊かさの中の秘訣だ。
先ほどは、乏しさの中にあってもイエス様にあって、それをイエス様への訓練と受け止めて満足する。
ここでは豊かさの中で自己満足に陥らない、そういう秘訣だと言えるかと思います。
そして最初のところに戻りますけれども、一方でこの 乏しさや試練の中で満ち足りる秘訣がイエス様にある。
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実はそのことをパウロは、4章13節で キリスト教の禁言の一つである、最も有名な聖訓の一つである
御言葉でズバリと言っているわけです。 それが最後の点ですね。
これが先ほどのまとめですね。 豊かさの中にあって自己満足しない、神様に感謝し、神様を忘れないということが豊かさの中での秘訣です。
そして豊かさの中ではもちろん乏しさの中での秘訣、それをズバリとパウロはこの名言で言い表している。
これが最後ですね。とっておきの秘訣、4章13節読めるかと読んでみましょう。
私を強くしてくださる方によって私はどんなことでもできるのです。 これも
教会生活長い方は何度も聞いたことあるし、とても よく知られた
パウロの宣言の一つです。 第一にこの言葉の意味するところは、今までパウロが語ってきた
この貧しさ、乏しさの中でもイエス様にあって満足できる そういうことを表しているし、あるいは豊かさの中でも自己満足しない秘訣ということで、そういう意味での
どんなことでもできるということです。
あの 私スピーツというバンド好きですけどね。イエス様信じれば空も飛べるはず
そういうことではないんですね。空も飛べるはずと言われますけど、そういう無謀なことの後押しする言葉じゃなくて、第一義的に何度も言いますけれども
物理的経済的な豊かさ貧しさの中でも対応することができる、それはイエス様の力だという、そういう意味が一つです。
その秘訣はまさに私を強くしてくださるキリストイエスである イエス様こそとっておきの秘訣だと
パウロはここで宣言しています。
そんな中でパウロがですね、こう言えた あるいは言わざるを得なかった
厳しい状況ということをですね、ある学者は私たちが忘れがちだと指摘しているんですね。それを目を止めなさい。
それが皆さんもご存知のコリントピトの手紙第2の12章23節から27節に書いてあります。
ちょっと長いんですけども、パウロが体験した乏しさ貧しさ試練ということを、ちょっととても参考になるし、心を動かすので読んでいますね。
彼はですね、パウロを貶めた偽教師たちと自分を比較してこう言ってるんです。
偽教師たち、彼らはキリストのしもべですか?
私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。 ロークしたことはずっと多く、ローに言えられたこともずっと多く、
無知打たれたことは遥かに多く、死に直面したことも度々ありました。 ユダヤ人から40に一つ足りない無知を受けたことが五度、これイエス様と同じ無知打ちなんですね。
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ローマ人に無知で打たれたことが3度、 これピリピの時もそうでしたね。
石で打たれたことが一度、難船したこと、船で遭難したことが3度、 一昼夜、海上を漂ったこともあります。
何度も旅をし、川の難、盗賊の難、 同胞から受ける難、
違法人から受ける難、町での難、 荒野での難、海上の難、
偽兄弟による難に遭い、老死苦しみ、 たびたび寝られずに過ごし、
上渇き、しばしば、食べ物もなく、 寒さの中に裸でいたこともありました。
これがですね、ファウラーが直面した実際の 貧しさ乏しさ試練です。
その彼がですね、どんな境遇にも対処する秘訣を知り、 あらゆる中でも満足する秘訣を知り、
私は私を強くしてくださるイエス様によって、 どんなことでもできるんです、と言っていることが
力強いメッセージですね。 まあおそらく私たちは今イエス様のように
これほどの災難を再体験することはないかもしれません。 だからこそこのファウラーが言う、
強めてくださるイエス様、その秘訣が私たちにとって、 どんな境遇にあったとしてもですね、私たちに最も
効果的なとか、とっておきの秘訣になるのでは ないかと思うわけです。
と同時にですね、ある学者が言うんですね。 ファウラーは決して超人ではなかった。
普通の人だった。 その証拠に彼は
人間として弱さを持っている。 そしてその弱さでイエス様によって支えられているということを
告白している。もう一つ同じ第二コリントの 12章の9節から10節
これ 最初だけ読んでみましょうか
3杯 しかし主は私の恵みはあなたに十分である。
私の力は弱さのうちに完全に現れるからであると言われました。 ですから私はキリストの力が私を覆うために、むしろ大いに喜んで
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自分の弱さを誇りましょう。 最後だけ私を言いますね。
ですから私はキリストの上に弱さ侮辱苦悩迫害困難を喜んでいます。というのは 私が弱い時にこそ私は強いからです。
これもですねまさに どんなことでもできる
私を強めてくださるイエス様ということはここにも明かしされていると思います 繰り返しますが私たちはパウロのような試練に今はあっていないかもしれませんね
けれどもこう考えることができるかと思います 私たちはこの復活のイエス様と同じ姿になるべくこの地上の旅路を歩んでいます
そしてその旅路を通してですねイエス様の計り知れない力を体験し続けるんですね パウロほどでなくても皆さん本当に真面目に生きていらっしゃる私もそうかもしれません
中でいろんな試練を体験し自分の弱さということを実感するかと思います でそんな中でですね私たちそれぞれが祈ったり聖書により頼んでですね
まさに 皆さん一人一人が私たち一人一人がこの生活の場において
イエス様の力を体験するということがあると思うんですね あるいはその
人生の節目節目でこの計り知れないイエス様の力を知るということがあるかと思います 実はそれがですね
クリスチャン生活の醍醐味でもあるんです そして私は立ちは強くなったり弱くなったり
豊かになったり乏しくなったりしながらそんな中でですね パウロと同じように私は私を強くしてくださいくださる方によってどんなことでもでき
ました それはパウロの言葉だけじゃなくて自分の信仰告白としてそう言えるようになっていくんです
言えるんですねおりに増え 言った後に挫折したりしてもいいんですでもまたいつかまた
パウロのようにですね私は私強くしてくださるイエス様によってできました って言える日が来ます
それを繰り返すことが私たちの信仰の旅路の醍醐味であると言えるかと思います 最後にまたこの
パウロのですね 信仰告白を見て終わりたいと思います
コリント人の手紙第2第2コリントのパウロはね本当に弱くてですね 弱いつるくら苦しいって言ってるんですそんながどれだけ
イエス様に支えられたかってことがいっぱい書いたり 第2コリント4章の16から18節パワーを告白してるんですね
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ですから私たちは落胆しません たとえ私たちの外なる人は衰えても内なる人は日々新たにされています
私たちの一時の軽い感軽い苦難はそれとは比べ物にならないほど 重い永遠の栄光を私たちにもたらすのです
最後読んでみましょう3はい私たちは見えるものにではなく 見えないものに目を止めます
見えるものは一時的であり見えないものは永遠に続くからです 第2コリント4の16から18
お祈りしましょう
天の神様皆を賛美いたしますパウロは 貧しさにも豊かさにも
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている どんな時にも
満足することができる 私は私を強くしてくださるイエス様によってどんなことでもできると力強く宣言しました
その信仰の姿をあなたにあって感謝いたします どうか私たちが日々の生活の中で
弱さや痛みを覚えるときにこのことを 勝手とすることができますよ
豊かさの中にある時どうかあなたに感謝しそのあなたを 称えることができますよ
このような人生の旅路の中でどうかイエス様にあって生きる喜び 生きる秘訣生きる力を体験することができますよ
そしてあなたを表すことができるようにどうか導いてください この願いと感謝を私たちの救い主
主イエス様のお名前によってお祈りします アーメン
それでは1分ほど言葉に応えて祈る時間を持ちましょう
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