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2021-02-14 30:16

「主は私たちの避けどころ」2021年2月14日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年2月14日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

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今日は、主は私たちの酒と黒という対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
最近、国家非常事態宣言、
国が非常事態を宣言するまで、今非常にコロナによって皆さんが苦しんでいる状態であります。
ところが、本当に私たちが苦しんでいるのは、
コロナではありません。 もっともっと苦しむのは、私たちの罪と過ちのゆえに、私たちがもっと苦しんでいるところです。
牧師も過ちが多いんです。 最近、記憶力があまりなくて、
息子から、パパ、認知症じゃない?と言われています。 覚えるべきものを覚えられないということは、
やっぱり周りの方々、いろいろ指摘されますね。 年を重ねているところで、
これからもっともっと私たちの過ちということは、仕方がないかなと思います。 本当に私たちが苦しむのは、コロナではありません。
過ち、また罪を犯したら、もっともっと大変になります。 コロナは、体だけ被害を与えるんですけど、
過ちと罪は、私たちの霊と根、 全てをためにするものだからです。
この過ちだらけの私たち、 私たちを憐れんでくださる方がいるのでしょうか?
神様だけです。 今日、私たちは弱いです。過ちと罪だらけです。
しかし、私たちの避け所になられる主がおられます。
ですから、主に委ねて、私たちの弱さを乗り越えていきましょう、 というメッセージを、皆さんと分かち合いたいと思います。
まず一番です。 今日、一緒に分かち合いたいという、この聖書は、詩編の3編ということです。
詩編の3編は、ダビデの詩です。 ダビデの人生の中で一番苦しんだ時、ダビデが書いた詩編です。
ダビデは、神様に一番愛される王様ですけど、 ダビデがこんなに苦しくなった理由があります。
ダビデの復興の始まりは、 バッドセイバーとの会員の知見でした。
サムエル経の中1章に見ますと、 ダビデの国が強くなって安定になっている時、
兵士たちは戦場に送り出して、 ダビデは怠け者のように朝寝坊して、また昼寝もして、
03:02
そして夕暮れぐらいに、 宮廷の屋上から他の家の覗きをするんです。
そこである女性がシャワーを浴びている場面を見るようになるんです。 それから始まって、
彼女のことと、間違いを犯したり、 またその旦那さんを殺す、殺人罪まで犯すようになります。
それによってその以降、 ダビデの王系は復興が続きます。
じゃあ皆さん、先ほど私たちは主の祈りを一緒に分かち合いましたけど、 主の祈りの私たちを試みに合わせないで、
悪からお救いください。 この祈りがどれほど大事なんでしょうか。
ダビデのこの試み、 罪を犯したこのことによって、
ダビデの王家はこれからずっと復興が続きますけど、
初めはバッドセイバーが産んだ子供が亡くなります。 またダビデの息子たち、
息子の間に下院の事件があります。 息子王子の一人、アムノンという人が、
ダマルという妹を交換します。 このダマルということは、アブサロムの妹になったんです。
ダビデが適切な懲戒をされないことに、 悔しいアブサロムは復讐を決心するんですけど、
このアムノンという王子を殺し、 ついにはダビデの王にまで反逆するようになります。
その話を聞いてダビデが逃げながら書いた詩編が、詩編の3編です。
これすべてはダビデの過ちと罪のゆえに、 そのことがすべて行ったことです。
ダビデはある時はうまくやりました。神様が褒められました。 しかしダビデはこんな罪と過ちによって、
ダビデの王国は崩れてしまうのでしょうか。 このことに対する人々の評価が2節3節です。
アブサロムの反逆を避けて逃げていくダビデに対して、
国の人々はアブサロムの味方になってダビデを非難するんですけど、 その非難の声を聞いたダビデがどれほど恐怖感を感じたのか。
これが先ほど読んでくださった2節3節です。 私は読んでみましょう。
主よ、私を苦しめる者はどこまで増えるのでしょうか。
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ダビデの周りにはみんなダビデを苦しめる者しかないので、それがますます増えていくということです。
多くの者が私に立ち向かい、多くの者が私に言います。 彼に神の救いなどあるもんか。
ダビデに神様の恵み、ありえない。 彼は裁かれるべきだという。
そのような非難。 ダビデの従った人が入り立ちして、アブサロムを従う。
群れを作って反発をする。 怖がって逃げるダビデ。
どんな話ができますか。 じゃあ、ここでダビデの王国は滅ぼされ、ダビデは死ぬべきでしょうか。
この場面を見たら、誰でもダビデは終わりだと思うしかないでしょう。
もし皆さんにこのような状況になったとしたら、皆さんどうされますか。
自分の過ちによって、自分の家庭をうまく収めることができなくて、 息子が父親に反逆して、
皆さん、こんな話は恥ずかしくて他の人に言うことができないんじゃないですか。
このようなことをされたら、自暴自棄をして、死のことだけ待ちましょうか。 私は終わりだと。そして自分の人生を終わりにしましょうか。
ところがダビデは違ったんです。 ダビデはこのような状況で、神様に
委ねたんです。 彼はどんな面目で神を求めますか。
ここで 別面美、ダビデという気持ちになりますけど。
じゃあ2番です。そうです。 それだとしても
私たちが逃れる場所は、 恵み豊かな私たちの主、イエス・キリスト・タケです。
神様は私たち人間をよく知っておられます。 ですから聖書をこう言います。エペソー2書1節。
さてあなた方は以前は自分の過ちと罪のために死んでいた。 過ちと罪のために死んでいたものだということです。
じゃあその者たちのために神様は何をされましたか。 ローマ書5書8節。
しかし私たちがまた罪人であった時、 キリストが私たちのために死んでくださったことにより、
神は私たちに対する愛を示された。 こんな罪人に対して神様は愛を示された。
これほど素晴らしいことありますか。 皆さんそのような神様の前で私たちは何を出せばいいでしょう。
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罪人である私たちが、私たちがこれをよくやりましたよ。 よくやりました。そんな選考を神様の前に出しましょうか。
そうではありません。私たちの罪、過ちをよく知っておられる神様には、 罪を悔い改め、許しを求めることだけなんです。
そうです。神様が喜ばれるのは、詩編51編、集9節。 しかし神の求める生贄は打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いの心を、神よあなたは侮られませんと言います。
私たちは悔い改め、死の前にひれ伏すなら、 主は私たちを侮られない。
私たちに目を向かって助けてくださいます。 ここに私たちの人生の希望があります。生きる道があります。
このために私たちを助けてくださる三密体の神様、 父なる神様の愛、
イエスキリストの恵み、 聖霊様の助けの働きがここにあります。
これを断的に示してくださったことが、イエスキリストの十字架の事件です。
私たちの罪と過ちのために、私が死ぬべきその場所に、 イエスキリストが書かれて死んでくださった。
この愛、この愛を知って忘れないことが何より大事です。
恵み豊かな神様は、私たちが私たちの罪、過ちのゆえに、 死んでしまうことを願っておりません。
神様に進み出て、許してもらって、新しい命をいただいて、 また私たちの人生を改めて、
頑張ってもらう。 神様の願いはそれだけなんです。
反面、サタンはどうしますか。 私たちが滅ぼされて、私たちがダメになること、死ぬことを願っています。
これはサタンのです。 神様は私たちに恵みを与えてくださる。
私たちを助けてくださり、またすべてのことを与えてくださる方です。 私たちの罪がないなら、なぜ救い主が必要ですか。
一人でうまくできるとするなら、なぜ助け主が必要でしょうか。 人間は過ちと罪しかないんです。
だから救い主、助け主が必要でしょう。
神様がこの世になさるのには、もっと深い意味があります。 過ちと罪によって死んでしまった私たち、
それを生かしてくださった。それは恵みだった。 なぜ恵みを施してくださったのか、エピソード2章10節を見ますと、
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その恵みを悟って、 その恵みに自分のすべてを返す意味で、
神様が前もって準備された良い業をさせるために、 神様はもう代価もない恵みで私たちを救われたと言います。
私たちがダメになったのに、ダメになった私たちはわざわざ救われた。 その意味は、
皆さん、ここに神様の大きな説理があります。 ダメになってみた人が、
ダメになろうとする人の心がわかります。 痛んでみた人が、痛みを持っている人の心がわかります。
罪と過ちによって死んでみた人が、 罪の過ちしかない人々をうまく助けてくださるからです。
ですから主はこう言われます。 死んで地獄に行くべきものが許されて、
生かされたのですから、 これからは
救ってくださった神様に、神様よく拝んで、 またお前の同じように仕方がなく罪を犯して仕方がなく
過ちばかりやっている人々を助けるものになりなさい。 これがイエス様が
人を、魚を捕る漁師じゃなく、人を捕る漁師になりなさいと言われたその意味なんです。
皆さん、100年しか生けないこの世の中で、 私たちがやるべき一番大事なことは、聖書は第一の今しめ、第二の今しめと言います。
第一の今しめ、神を愛すること。 第二の今しめ、隣人を愛すること。
これが神様が願っておられる良き技なんです。 これは罪の許しの恵みをいただいてみた人だけが、
純粋な心で担うことができます。 神様、これを私たちが行うことを願っておられます。
無理やりやりたくないのに、無理やりやりなさいということではありません。 救われ、罪を許してもらい、全ての力を新たに生まれた人だったなら、
感謝して、自ら行うようになっているということです。 100年も生けないこの世の中、
すぐ、もう過ぎてしまいます。 この時間、時間、
私たちは何をやっていますか? 自分の過ちの罪のゆえに、
落胆して挫折して、落胆挫折するのに時間を無駄遣いしないで、 また自分の弱さに対して悩むことで時間を無駄遣いしないで、
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罪人を許してくださる神様に出てきてください。 主は私たちを待っておられます。助けるために待っておられます。
それを信じて、ダビデは祈るんです。 三書五節でこう言います。主に向かって声を上げれば、聖なる山から応えてくださいます。
ダビデは、私たちが神様に純粋な心で求めるなら、主は私たちに応えてくださることまで、
自分は確信をしているんです。
では、3番目です。では、ダビデはどうしてこんな図々しい祈りをすることができますか。
今日、私たちはダビデから何を学ばなきゃいけないんですか。 ダビデがこのような祈りができた理由は何でしょうか。
ダビデは神様との長い深い交わりを通して、
神様はどんなお方なのかをよく知っていたんです。 彼が知って信じた神様は、
罪と過ちによって死ぬしかない罪人を生かすことを願う、 助けることを願っておられる神様だということを、彼は確かに知って信じたんです。
ですから彼は神様に進み出て、救ってくださいだけではありません。 祝福をしてくださいと祈っているんです。
また彼は過ちによって面目がない、そして頭を避けている人々を、
頭を開けてくださり、新しい力をくださる神様も信じたんです。 ですからダビデは自分の罪と過ちによってためになっている今の立場からも、
自分が知って信じているその神様に、信仰によって図々しい祈りをしているんです。
皆さんここで大事なことがあります。 私たちは結局、私たちは知る神様、
私たちが信じる神様の恩恵で生きるようになっています。 しかし皆さんはどんな神様を知っていますか?
私たちはどんな神様を知って、どんな祈りになるのかは、ダビデがどのように祈ったのか、
今私たちはどんな祈りをしているのか、それを比べてみたらよくわかります。 皆さんは今まで信仰生活しながら、
神様がどんなお方だと知って信じてきたのでしょうか? もしかして、
罪を犯したら絶対許してくれない? また神様は、神様は自分に良くしている人、信者だけ愛する、
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そのような神様だと知って信じたのでしょうか? どう言い出しまして、神様はそんなお方ではありません。
ですから、ヨハネ17章3節、 永遠の命は神とイエス・キリストを正しく知ることだと言います。
正しく知るとき、永遠の命を自分が味わうことができるんだということでしょう。 またヨハネ17章4節には、
神様は私たちが真理を知って、すべて生かされることを願っておられるんだということも、聖書は言っています。
ダビデは神様を正しく知りました。 ですから彼は、そのみびっとも生かしてくださるその方を知って信じて、
そして大胆にそのような祈りをしたことなんです。 これから見ますと、私たちが神様を誤って信じているなら、私たちはダメになります。
正しく信じるなら、私たちはいくらでも生かされることができます。 ですから私たちもダビデのようにこのような祈りをしてみましょう。
私がどれほど悪いこと、どれほど罪、過ちだらけだとしても、四節、主よ、それでもあなたは私の盾、私の栄、
私のアダムを高く上げてくださるお方、 いかに多くの民に包囲されても、決して恐れません。
主よ、立ち上がってください。私の神よ、お救いください。
救いは主のもとにあります。 あなたの祝福が、あなたの民の上にありますように。
私たちはこの神様を信じるだけではなく、この神様を全世界に述べ伝え、この神様を誇りましょう。
救いは私たちの神にあります。 彷徨うことなく来てください。
特に罪ある人よ、主のもとに来てください。 皆さん、100年しか生けないこの世の中、
この世の中の100年は、落胆して挫折して生きるのには、100年が短すぎる。
今までうまくできなかった、私の過ち、罪がこんなにたくさんあるから、後悔しているんだ。
このような嘆きをするのに、時間を無駄遣いしないで、 主の前に進み出て、許してもらって、新しい力をいただいて、
これから人生やり直しをしましょう。 以前、息子から聞いた話です。
ある方が65歳になって、 会社から定年退職したそうです。
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会社からお仕事を辞めてから、
お仕事がないから、 ああ、これから私の役割が終わったなぁ、
そして私はこれから死の準備をしなきゃいけないかなと思ったそうです。
それから、その人は死のことを待っているんです。
ところが、今歳が90歳だそうです。
65歳から死のことを待っていたのに、90歳の時に、今も死のことを待っている。
皆さん、その人は30年。 65歳と30年。
人生の3分の1ですよね。 死の準備をして、無駄遣いをしてきたんです。
その30年間、どれほど不安で、 絶望で、挫折しながら、自分の弱さに対して自分を責めたり、
どれほど暗い時間を過ごしていたんでしょう。
私たちは決してそうしてはいけません。
私たちの命は、私たちが勝手にできません。
命の主人は神様です。 私が生きるか死ぬかは、神様が決められるんです。
しかし、自分自身が私が死ぬ時を待っているんだって、 とんでもない話でしょう。
私たちは、いつもその神様の栄光のために、希望を持っていかなければなりません。
ですから、その神様は、93歳になった今、 新しい人生を始めようとして、
海国語を勉強しているんだそうです。
皆さん、私たちがやるべきこと。
大勢の方がこう言います。 職場の生活が終わったら終わりだ。
いいえ、そうではありません。 職場の生活は、私たちは人生のすべてではありません。
皆さん、私たちはお金を稼ぐために、 この世に来たのではありません。
私たち人間がこの世でやるべき一番大事なことは、 聖書が教えてくださる第一の今しめ、第二の今しめです。
何でしょうか。 神を愛すること、隣人を愛することなんですけど、
神を愛して礼拝者として生きる。
人を愛して、教えて、述べ伝えて、癒して、救済して、 使える使命人になることです。
これをどこを通してやりますか。 これをやるために神様は教会を作ってくださったんです。
ですからこれを分かりやすく、 教会に奉仕する、教会に使えるということは、
第一の今しめ、第二の今しめを私たちがうまくできるように、 神様がそのように作ってくださったんです。
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これから私たちは日本におられるすべての人が救われ、 また神様によって命をいただく、その働きを助けるために、
私たちの人生を尽くすこと、 これが人生の中で一番大事なことです。
これは赤ちゃんでも小学生でも職場の人でも老人でも、 天国に行くときまで熱心にやるべき、
これが神様が前もって準備された良き技なんです。 これは職場の生活よりはるかに大事な働きなんです。
教会は何をするんですか。 教会は皆さんが第一の今しめをうまくできるように、
神を愛して、神に出会うことができるように、 礼拝を設けて、礼拝を導いてあげます。
また皆さんが第二の今しめ、隣人を愛することをうまくできるように、 教えて、述べ伝えて、癒して、交わりをして、
使えることを、私たちが美言葉と精霊によって助けていく働きをしているんです。
今、伝道師さんと私はその働きをするために、 今まで神様にどれほど訓練を受けたこと、皆さん全部見てご存知でしょう。
私たちはこのようにして、 日本のすべての方々がイエス様を信じて救われることをできるように、
私たちは使える働き、謙信すること、 これよりもっと価値ある働きはありません。
この働きは職場の働きよりは遥かに大事なことです。 なぜでしょう。
この働きはこの世だけではありません。 天国まで永遠に祝福され、報いてもらう働きだからです。
また神様はこのような働きをされる人には、 全てを加えてくださるんだと、マタイ六書33節で教えてくださいます。
僕氏は僕氏の過ちと罪によって、 以前の教会から追い出されたと言いましょうか。
まだ直されている宣教団からも憎しみを受けて、 それで私は僕会を辞めようとしてたんです。
私の人生終わりだと思いました。 しかし大切な方々に出会って、今新たに始まるようになりました。
これはなんという恵みでしょう。 またアメリカから来られたサン先生が私の要件の祈りをしてくださいながら、
これから神様が私たち教会同士で、 神様の新しい新しい新しい働きをするようになると、
これからあなたたちはこれから始まりだと言っているのにびっくりしました。 神様に感謝し、全ての集まってくださった方に感謝し、
27:07
これからよろしくお願いいたします。 私は私の年が去年66歳、今66歳になりました。
去年65歳になった時、私は全て終わりだ。
私の日本選挙という人生はダメになったと思いました。 本当に絶望的でした。
それから見てますと、私は本当に神をよく知っていない。 本当に知っていないものでした。
神様は私に過ちと罪があるんだって、神様は私を諦めないで、 また生かして新しい力を与えて使おうとしているのに、
私は諦めようとしていたんです。 私は今まで墓会をしながらも、
ダビデが知っていた神様を知ってませんでした。 また、ダビデが持っていた信仰も持ってませんでした。
私は大きく悔い改めて、これからでもダビデが信じたその神様を新しい受け入れ、
またダビデが捧げたその祈りを、私は信仰を持って捧げたいと思います。
資本説でこう言うでしょう。 主よ、それでも、
あなたは私の盾、私の栄、私の頭を高く上げてくださるお方です。
また旧説に、救いは主のもとにあります。 あなたの祝福があなたのための上に豊かにありますように。
面目がないから頭を下げていった私たちの頭を、高く上げてくださる神様を賛美し、
ぜひとも日本のすべての方々が、このイエス・キリストを知って、信仰によって新たな力をいただいて、
生き返られるように説に祈ります。
皆さん、イエス様を出会えば、いつでも人生をやり直しできますよ。
様を呼ぶこと、その世に時間を無駄遣いされないで、
イエス様に来てください。来てください。お願いします。
お祈りいたします。
主よ、過ちと罪しかない私たちを憐れんでくださって、
本当に賛美いったいの神様の恵みと愛と助けによって、
私たちはいつまでいつまでもやり直しができるように助けてくださる神様に感謝します。
私たちはこの素晴らしい神様を日本全国の方々が知るように信じるように延ばして、
私たちみんなが日本を助け、このコロナの緊急事態から、
30:04
全ての人が信仰を持って乗り越えることができるような、その働きができる教会にならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。アーメン。
30:16

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