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2021-02-07 31:24

「御国が来ますように」 2021年2月7日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年2月7日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

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今日は美国が来ますようにという態で メッセージを分かち合いたいと思います。
国から緊急事態を1ヶ月間延長する そのような決断をされました。
どれほど苦痛の決断かなと、私はリーダーの立場と考えるときに 私たちが従わなければいけないんじゃないかと思います。
その意味で、教会は放送で主日礼拝を 1ヶ月間延長することを決めました。
まだ今本当に不安で、皆さん難しい日々を過ごしていらっしゃるでしょう。 そのような時期に私たちが望むべきことは何でしょうか。
これが今日のテーマである美国、神の国です。 神の国はどんなところなのか、ローマ書中4章中7節には
生理によって与えられる義と平和と喜びの国だと言います。 神の国は他の言葉では天国です。
皆さん、美国はどこにあるんですか。 あと私たちが死んでいくところですか。
また、空の上、天の一番高いところにあるところですか。
イエス様は今日朗読してくださったルカの中7章でこのように言われます。 神の国は見える形で来ることではない。
実に神の国はあなたたちの中に、間にあるのだと言います。 この意味は
今もこの美国を私たちの間で成し遂げることができるし、 私たちがそれを味わうこともできるんだということです。
今、不安と心配が満ちあふれ、 喜びがなくなっている今のところです。
今のところで、義と平和と喜びの神の国、美国が私たちの間に来ること、 本当に本当に願っています。
では、美国はどのように成し遂げられますか。 イエス様が教えてくださった主の祈り、
その中で今日一緒に祈りましたけど、 美国が来ますようにと求めなさいと言われています。
天の神のところには 美国がいつもできています。
しかし今私たちが住んでいる今を、 その美国が来ますように、美国が成し遂げられますようにと、祈りなさいと言います。
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それは、神の国は天国に行かなくても、この世でも、 神の国を成し遂げていかなければいけないよということです。
それで私たちは主の祈りで、いつも決まり文句のように言ったらいけませんけど、 私が美国が来ますようにと祈っているでしょう。
今本当に美国が来ていますか? 私たちは美国が来ることを願っています。
では、今のコロナの地域の中でも私たちは、 気と平和と喜びがあふれる天国の生活ができるとイエス様が言っています。
ですから今日は、美国が来ますように、美国がどのように来ますか? ということを一緒に分かち合いたいと思います。
まず一番です。 神の国、美国はどんなところですか?
先ほど申しましたけど、ローマ書中4章中7節に、 神の国は飲み食いではない、たくさん食べて満腹して、
ああ嬉しい、というところではないということです。 精霊によって与えられる気と平和と喜びがあるところだということです。
今、不幸、不安、悲しみではなく、気と平和と喜びの国。
本当に本当にその国が早く来てほしいですね。 じゃあ、美国に対して聖書で一番難しい部分があります。
これがイザヤ書中1章の6節から9節に、このような記事があります。 私が何節読んでみましょう。
狼は子羊と共に宿り。 狼と子羊が共に宿られますか?
ヒョウはコヤギと共にふす。 コブシは若慈子と共に育ち。
小さな子供がそれを導く。 また、8節には、血の巫女はコブラの穴に賜り、
幼子は魔虫の巣に手を入れる。 私の聖なる山においては何者も害を加えず滅ぼすことはない。
これが神の国、美国はこのようになると言います。 要点から申しますと、
何者も害を加えず滅ぼすことはない。 皆さん、これが今本当に必要ではないでしょうか?
目史録では美国は涙も嘆きもないところだと言いました。 涙も嘆きもない。
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また福音書では、美国が成し遂げられるなら、 神の子供たちにどんなことが現れるのか。
マルコ16章17節18節に、信じる者の集まりには、 次のようなものの印が伴う。
彼らは私の名によって悪霊を追い出し、 そうです、美国には悪霊がいるはずがない。
新しい言葉を語る。 手で蛇をつかみ、また毒を飲んでも決して害を受けず、
病人に手を置けば治る。 本当に
この世で、この美国は天国ではないんです。 天国で行って味わうのではなくて、この世でも味わえるということです。
この世で美国が成し遂げられるなら、 毒を飲んでも害を受けない。
いやー、これが今私たちの間に成し遂げられるということです。
では皆さん、今コロナで非常に怯えていらっしゃるでしょう。 非常事態と言われるところなんですけど、
私たちには決して害を受けないということを信じますか? 私はその美国が早く私たちの間に成し遂げることを切に祈っているところです。
では2番です。 ところがそのような美国、神の国はどのように成し遂げられますか?
皆さん、国になるということは3つの要件が必要です。 これは私たちぜひやりましょう。
主権、国の国民、また領土です。 この3つのことが国になるためには必要な条件です。
まず主権。 民主主義は主権は国民にあると言いますけど、
神の国は主権は神様にあります。 その国は神様が主人であり王である国です。
神様が統治される国です。 ですからそこにはサタンも
災いも病も呪いも苦しみも悲しみもありません。
神様が許されないんです。神の国でこんなことがあってはいけない。 神様が統治されるから
正しい義、平和と安息、喜びがあります。
なぜなら神様が統治されるからです。 全知全能の神様が統治されるからです。
不幸と不安と悲しみ、そんなことはありえません。
ところがその国になるためには主権が大事です。 今ほとんど主権を私たちが握っています。
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しかし私たちが神様に完全に譲らなければなりません。
皆さん主権を私じゃなくて神様に譲る覚悟ができてますか? 神の国、未国のためにはまずこれが必要です。
2番目、国民です。 未国の国民は
神様を主人として拝み 神様に従う民です。
神様に従うということは神の御言葉に従うことと同じです。 私たちが神様に従うなら未国、神の国ができます。
反対に私たちが悪魔に従うなら悪魔の国になります。
創世紀3章でアダムとエバが誰に従いましたか? サタンの御言に従いました。
ですから全世界が悪魔の国になって今この世の神ということは悪魔だということを聖書で書かれてあります。
3番目、領土です。 この領土ということは神に主権を譲り
また神様に従う国民ができている ある個人の心、また共同体の集まりの間に
これが領土です。 未国は
ある家庭で成し遂げる場合もあります。 業界で成し遂げる場合もあるし社会の中で成し遂げる場合があります。
これが一人一人の合成人の心の中からそれができれば2人が集まったらまたそれは未国、3人が集まったら3人が未国。
ですからルカの中7章20節21節にパリサイ派の人々の質問にイエス様は未国は見える形に来るのではない。
ここにある、あそこにあると言えるものではない。 実に神の国はあなたたちの間にあるのだと言われました。
皆さん、未国は外部的な条件、環境がどうであれ関係ありません。
一人一人の心の中で神様を王として主人として拝み、
私が神様の御言葉に従って生きるなど、そこに未国が成し遂げられます。
これは個人が味わう場合もあるんですけど、みんなが作っていくなら私たちの家庭、私たちの教会も未国になります。
もし日本の方々がみんなこのように生きるなら、日本が未国になるのです。
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ですからその国は、未国は神様だけが作るものではないんです。私たちが協力して生きるんです。
神の主権、私たちの理解と従順、そのような協力によってできますけど、
それができるためには聖霊様の働きが大事。聖霊様は未国がある。
未国をこの世に成し遂げるんだということを悟らせてくださり、私たちにそれができるように助けてくださる恵みが必要です。
ですから聖書は聖霊によって与えられる、喜と平和と喜びの国が未国だと言われています。
ここで大事なことは、未国がこの世に成し遂げるためには、ただ、
牧師が大事なんですけど、牧師のメッセージがただ皆さんが喜ばせるメッセージをするならいけません。
必ず未国の福音が述べ伝えなければなりません。
じゃあ皆さん、イエス様が伝えてくださった福音を、聖書はどんな福音だというのか、
マタイの4章23節にイエスはカリライの中に回って諸カイドウで教え、未国の福音を述べ伝え、
また民衆のありとあらゆる病気を、患いを癒やされたという、じゃあここでイエス様が伝えてくださった福音は未国の福音だったんです。
未国ができる福音、未国ができない福音ではありませんでした。またマタイの24章14節には、そして未国のこの福音はあらゆるための証として全世界に述べ伝えられる、それから終わりが来る。
聖書はイエス様は未国の福音を述べ伝えたと言います。じゃあここで皆さん、未国の福音はただの福音と何が違いますか。
マルコ1章15節、悔い改めて福音を信じなさい。大事なのは悔い改め。悔い改めというのは、皆さん気が悪くなっているそのところに聖霊様が来てください。
聖霊様が来られて、今日私が皆さんに申し上げた神様が主権を持って、私たちはその主に従う群れになるように、その弟子になるように助けてください。
教えてください。その時皆さんが自分を捨てて、自分の十字架を背負って、イエス様に従う、そのような群れになる。そのためには代価の支払いがあるでしょう。
やりたくない。いいえ、代価の支払いを払って、神様が主であり、私は従う群れだということを、そのような生活ができれば、
御国が成し遂げられるんです。皆さん、これぜひとも理解していただきたい。
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ところが、この世の中で御国の姿は、どこで見つけることができますか?
これは信じる信徒たちの家庭で、また信者たちが集まっている主の教会でできます。
三陛下で、この三陛下があるでしょう。
感謝せよ、今沼へ、主に仕える和歌谷。
これがまさに、家庭が御国になる、その姿です。
また、イエス様が主人であられ、信徒皆さんがイエス様に従う教会になるなら、教会が御国になります。
ここで、イエス様が主人でない教会もあるんですか?
たくさんあります。
私は何年間、何箇所の日本の教会で奉仕したことがあります。
ある教会は、代表主事が主人です。主権を持っています。
その方が気持ち悪ければ、牧師も追い出します。
やはり怖かったですね。
また、信徒たちが主人である教会もあります。
そのような教会は、牧師が信徒たちを喜ばせるために説教します。
なぜなら、信徒が主人ですから。
その教会が人気があって、聴きたい人がたくさん集まるかもしれないけど、
そこにはイエス様が主人としておられない。
御国はできません。また、そこには主の教会ではありません。
牧師録三書で、ラオテギア教会というところがありました。
そのラオテギア教会は、最後の時の教会の典型的な姿だと言います。
典型的な姿ということは、ほとんどの教会がそのようになるんだと言いますけど、
その教会の特徴は、足りないことがないんです。豊かな教会です。
しかし、イエス様は外で追い出されています。
イエス様がいなくても、いくらでも教会は自分だけで豊かにできる。
しかし、イエス様がおられない教会は、主の教会ではありません。
私たちは絶対そのような教会になってはいけません。
伝道師さんと私の役割がそれなんです。そのような教会を許してはいけません。
なぜなら、そのような教会には御国、神の国がありえないからです。
ですから、教会論が大事であり、正しい教会を立てなきゃいけないんですけど、
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これが私たちの教会の使命でもあります。
正しい教会として教会回復ができれば、リバイバルが来るということです。
私たちは、新しい武道士を新しい革袋に入れるべきだと表現するでしょう。
そうするとき、神様がおられる御国が私たちの中で成し遂げられるんです。
ですから、ただ、有益を得るために、慰めてもらうために教会に来る。
また、教会に来て何か偉そうに尊敬されたい。
そのために教会生活する。とんでもないことです。
それはダメなんです。
私たちは神の子供として、神の御棟を成し遂げてあげるために、教会生活するんです。
そうするためには、神様が主である王だと。
私は神に従う群れ、御言葉だったら絶対的な考え方を持って従う。
そうするとき、天の神様が皆が崇められ、栄光を受けられ、喜ばれます。
そのように従う群れがその御国の民であり、そこに御国が成し遂げられ、きっと平和と喜びがあるのです。
これは天国に行って味わうのではなくて、今、私たちが今もできます。
結局、主の教会が正しく立てられ、そのような教会が拡張、拡大していくことによって、
この世の中で御国が来ますようにという祈りが成し遂げられるのです。
では、もっと具体的に3番です。
どうすれば神様が主人である教会ができますか?
皆さん、それを一目で見て分かるところはどこか。
それは礼拝なんです。 神の国、御国の核心は礼拝です。
皆さん、礼拝とは、糸高きところにおられる三味一体の神様に、
私たちが恐れ敬う心で礼拝する民、
その礼拝は自発的に心を尽くして拝む行為です。
その礼拝が行われることは御国の基本なんです。
歴史上、このような礼拝が一番美しく成し遂げられたところが、旧約聖書のダビデの幕屋でした。
また神様が私たちに見せてくださったところが、目白く4章5章にある天上の礼拝です。
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天国に行って礼拝することが私たち、さらっと見ました。
一行伝15章16節17節には、神様が新約の教会に、旧約のあらゆる教会の姿の中で、
私たちは何をこれからやらなきゃいけないんですか?と言ったときに、ダビデの幕屋の礼拝にならなければいけないと言いました。
ダビデの幕屋は、神様の御臨在の中で、主を崇め、感謝し賛美する無礼。
そのときに、主からの御声と預言の御言葉が与えられ、そのところが神様の栄光が豊かにありました。
ダビデはその礼拝の中で御声を聞いて、指示される通り国を建てていきました。
そのとき、イスラエルは一番繁栄気を迎えることができました。
そのとき、神様とダビデの間の愛の告白、ダビデの祈りと賛美がどれほど豊かだったのか。
詩編の70編以上、ダビデの詩です。
まだ詩編の150編です。その中で残りもダビデの幕屋のリーダーたちの詩編です。
ほとんどがダビデの幕屋から出てきたと言っても過言ではないでしょう。
神様はその時がどれほど良かったのか。
いつもダビデのような王、ダビデの国、ダビデの幕屋、そのようなお話をされるんですけど、
その後、誰もそのような神様との親しい関係がうまくできなかったということですね。
ダビデもその時の神様の親しみがどれほど素晴らしかったのか。
詩編の27の4節に、ダビデはこのように告白します。
一つのことを主に願い、それだけを求めよう。
命ある限り主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得。
要するにこれは何ですか。これは礼拝なんです。
礼拝。その時、よとし彼は礼拝をした。
その宮で朝を迎えること。これが自分の一つの願いだと言いました。
ダビデは礼拝を捧げること、それがダビデの願いでした。
ダビデの心には神様に礼拝する、これしかなかったんです。
礼拝者、まごとの礼拝者でした。
神の国の革新はまごとの礼拝です。
ヨハネ4章23節に、神様は今もそのように神様に礼拝する人を探し求めておられると言います。
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皆さん、礼拝を捧げるとき、御国が望みます。
喜怒、平和と喜びが与えられます。
またその時間を通して、神の御声を聞こえるし、癒しが伴うし、慰めが与えられるし、
神の栄光の中で豊かに沈む時間になります。
私たちはそのような礼拝をいつも夢見てきました。
もう一度申し上げましょう。
神の国は御国は神様が主人として、王として統治され、
私たちはその民として神を恐れ、敬う心で拝む、礼拝する。
そこに神の国、御国が成し遂げられるんですけど、
それが一番うまくできるところが、礼拝捧げるときなんです。
ですから、まごとの礼拝、非常に大事なんです。
じゃあ、礼拝を捧げる神のためには、マルコ16章17節のように、
毒を飲んでも害を受けず、これは当たり前として与えられます。
皆さん、まごとの礼拝、神の栄光が満たされているそこには、
サタも来ません。コロナも来ません。
神の恵みと祝福が満ちあうれるところなんです。
今、私たちにこの御国がどれほど切実に必要なんでしょう。
これは皆さん、ただの理論ではありません。
今も神の御前で、まごとの礼拝として生きる人は、
神様が保護して下さいます。導いて下さいます。
恵みと祝福を与えて下さいます。
私たちキリスト社は、当たり前として、このような生活をしなければなりません。
今、手術、礼拝を放送で捧げること、これを1ヶ月間、もう延長しながら、
伝道師さんと私は一番恐れていることは、儀式と本質について。
今、礼拝の儀式がコロナのゆえにうまくできないから、
どうしても本質さえも不忠実ではないかとなるのではないかという恐れがあります。
もちろん本質が大事です。儀式より本質が大事です。
しかし、儀式がなければ器がないので本質も難しいのです。
どうすればいいでしょう。このような時期、私たちお一人お一人、
以前、集まる時よりもっと集中力を持って、神を愛する心、この一心で、
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どこにおられても、神様を探して求めていく、まごとの礼拝ができることを祈っています。
私たちは開拓の時から、ダービデの幕屋の礼拝をここで行うのは難しかったので、
肩こむ精神で礼拝を捧げてきました。
肩こむ礼拝ということは、皆さんご存知でしょう。
ローマ帝国の時代で、地下に入って静かに神様に礼拝する場面だったのです。
今、私たちがまさにそのようなところなんですけど、そこでも神様の恵みがありました。
皆さん、イスラエル民がバーベロンの捕虜として連れて行かれた時、
そこでダービデの幕屋のような賛美できますか?
また、皆さん初代業界の肩こむの中で賛美できますか?
賛美して捕まえたら殺されますよ。
しかし、神様が言われます。
エレミーア29章、中2節、中4節です。
あなた方が私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。
私を尋ね求めるならば見出し、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう。
そうです。神様は私たちを見出して、
そしてその心を聞いてくださり、私たちの願いを聞いてくださり、
神様が私たちに出会わせてくださるんだということです。
その約束なんです。
バビデの捕虜の時には、ダービデの幕屋のような偉そうな賛美ができませんでした。
しかし、心から神様を求めた人々、
バビロンの国ではダニエル、エズラ、ネーミアは異邦の国に行ったんですけど、
みんな神様に出会いました。
異邦の国でも大きな祝福をいただきました。
まだ初代業界の片子物の中で、初代業界の信徒たちは精霊によって満たされました。
なぜでしょう?美国が来たからです。美国が来たからです。
ぜひとも私たちも、今各家庭で心を尽くして真言の礼拝を捧げるなら、
神様が、美国が来ます。
美国が来るなら、神様の栄光と光の中でいるので、
暗いこの世の中で、皆さん、いろいろな悩み、心配、問題を、
美国の栄光が解決してくださることを信じます。
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ぜひとも、家庭で行われる放送礼拝だとしても、
美国を来ますように、美国を経験することができますように、
皆さんのためにお願いします。
また1ヶ月間放送で礼拝するしかない今の状態を、非常に残念だと思い、
伝道師さんと私はいつも皆さんのために、とにかく祈りを絶えず捧げていきたいと思います。
皆さんもぜひ、美国が来ますようにという願いを持って、
コロナの時期を乗り越えていく皆さんになってください。
お祈り出します。
神の子供は、この世の中でも、美国を経験していきなさいと、
イエス様は、主の祈りで、美国が来ますようにと祈りなさいと言われました。
主よ、ぜひとも、美国が愛する信徒の皆さんと、ご家庭の上へと、
私たちの教会、また日本の隅々どころまで臨んでくださって、
非常地帯の中でも保護され、天国の生活ができるようにしてください。
イエス様の皆を通してお祈り致します。
アーメン アーメン
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