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2022-01-02 27:47

「救いの角、あけぼのの光であるイエス様」2022年1月2日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年1月2日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

聖書の箇所/ルカ-71父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。

168口語訳「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、

1 68 NIV) Praise be to the Lord, the God of Israel, because he has come and has redeeme d his people.

黙示録17:7すると、天使がわたしにこう言った。「なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。

サムエル下22:3わたしの神、大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔。わたしを逃れさせ、わたしに勝利を与え/不法から救ってくださる方。ルカこれは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、


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新年明けましておめでとうございます。 新年の初めのメッセージ、どのように伝えればいいのかと祈っているところで、今日のメッセージの体が与えられました。
救いの角、明け物の光であるイエス様という体をもって、今日メッセージを伝えていきたいと思います。
今日のメッセージは、私たちは
キリスト社の一番大事なことは何かと言いますと、イエスキリストを知ることです。 イエス伝道団という韓国の宣教団体があるんですけど、そこではただ2つの目標があります。
1つはイエス様を知って救われ、またイエス様を述べ伝えましょうという2つです。
皆さんイエス様を知って救われることは第一の今しめです。 イエス様を述べ伝えて大勢の人々を救うことは第二の今しめです。
ですから私たちはイエス様を知って救われること、自分自身が救われること、また他の方々にもイエス様を信じて救われることに私たちの役に立つ、助けるものになること、
これはキリスト社の2つの使命です。一番大事なことです。 じゃあここで私たちのポイントはイエス様をどのぐらい知ってますかということです。
今年はイエス様をもっともっと知りたい。 イエス様をもっと深く知りたい。これが私たちの目標になれればと思います。
そのために今日は 洗礼者ヨハネの父親ジャカリアがイエス様を救われることを
予言してそして語った見言葉があります。 これが今日読んでくださったルカの1章の67節から80節までなんですけど
その部分を用いて新年の初めのメッセージとして イエス様はどんなお方なのか知っていきたいと思います。
洗礼者ヨハネはイエス様を救いの角、 明け物の光と言いました。
救いの角、明け物の光ってどんな意味なのか、今日それを一緒に考えていきたいと思います。
神様の説理は本当に素晴らしいです。 皆さんクリスマスの直後、新年が始まります。
どんな意味でしょう。クリスマスで来られたイエス様を受け入れ、 その方とともに新年を始まりなさいということを神様の見胸ではないかと思います。
イエス様はどんなお方ですか。 イエス様はヨハネ1章14節には神様が人間になられたお方です。
私たち人間は何ですか。神の見姿で作られたものです。 ですから
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神様が人間になられた、私たちは神様の見姿だと言ったら イエス様が私たち人間の一番模範的な姿ではないかということがわかります。
ですから私たちはイエス様のようになれれば一番素晴らしい人になります。
ですからイエス様のようになるために福音書が4冊もあります。 イエス様をこのような色々な角度から見て立体的に学びなさい、
習いなさいということでしょう。 またイエス様が来られた理由はヨハネ3章16節。
私たちを救うために来られました。 皆さん人を救うためには力が必要です。
その力を先伝者ヨハネは 救いの角、
また明け物の光という表現を使いました。 じゃあ今日この意味がどんな意味なのかを一緒に考えながら信念、
私たちはこの素晴らしいイエス様を信じて2022年度を勝利に導きましょうということで今日のメッセージを伝えていきたいと思います。
まず初めにルカの1章68節、69節には神様がご自分の民をどのように救われるのかが書かれてあります。
これをまず考えていきましょう。 ルカの1章68節、55訳ではこう書いてあります。
主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。 神はその民をかえりみて、これらをあがなわれたと書いてあります。
まず神様は、神共同訳では自分の民を尋ねてきてくれたと言うんですけどね。
自分の民を尋ねてきてこられ、憐れんでくださるお方です。
羊飼いは羊を尋ねてきます。 お母さんは子供を尋ねていきます。
神様は私たちを尋ねてきて、憐れんでくださるお方です。 皆さん、創世紀3章で人間が罪を犯しました。
善悪の知識の木の実を食べるなぁと言ったんですけど、食べてしまいました。 食べたら色々なことが変わってしまって、怖くて恥ずかしくて、もう森の中で自分の身を隠しています。
皆さん、神様が人間を尋ねてきてくださらなかったら、アダムとエヴァはそこで終わりでした。
神様は尋ねてきてくださったんです。 そして、川の川で衣を作って来させてくださったんです。
素晴らしいですね。 エジプトでイスラル人たちが奴隷として苦しみを受けている時、神様はボーゼを通して尋ねてきてくださったんです。
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イスラル民が旧約聖書で色々苦しみを受けている時、神様は王を送ってくださり、預言者を送ってくださり、最初を送ってくださりながら、神様は自分の民を帰りみてくださったんです。
イエス様も、私たちのところに来てくださったんです。
見捨てられた罪人たち、超税人たち、娼婦たち、病者。
ヨハネ古書では38年間、生贄の傍れで見捨てられていた病者を尋ねてきてくださったんです。
神様は私たちを尋ねてきてくださるお方です。 これを信じてください。覚えてください。
皆さんが私は見捨てられたと思ってはいけません。 私たちが思いもしないところで、神様は来てくださるんです。
来てくださるお方、神様です。 そして、来てくださって、神様は私たちを救われるんですけど、救われる方法は何か。
あがなわれるお方です。 英語の聖書ではリリームという言葉を使いました。
その意味は、ご自分がその人のすべてのお夢をすべて返してくださる、報いてくださるお方だという意味です。
バベロンの捕虜になっているイスラエル民を救うために、神様は何をされたのか。
イザヤ43章3節に見ますと、神様はペリシテ、バベロンが滅ぼされて、次はペリシアになるんですけど、
ペリシアのコレス、キュリオスという王がいる時に、神様はエジプトを与えてくださる。その王に。
また、エチオピを与えてくださる。スバを与えてくださる。 だから、いきなり国が大きくなってしまいました。
だから、自分たちが奴隷として持っているこのイスラエル人は、帰れ、お前たちいらないから帰れと言って、イスラエル人たちをイエルサレムに帰還させてくださりました。
イスラエル人たちを送ってくださったのは、神様がイスラエル人の代わりに、たくさんのものをペリシテに与えたから、
ペリシテの王様であるキュリオスがイスラエル人を救って、解放してくれたんです。
同じです。イエス・キリストが私たちを救われる方法は、イザヤ・コズ3章、4節、5節にもありますけど、私たちの身代わりとして、
鞭を打たれ、 十字架にかけられ、釘を打たれ、そして血を流される。
そして、罪とサタンの奴隷である私たちを救われて、生かしてくださったんです。
神様は私たちの弱さをよく知っています。弱さをよく知っているから、あなたが頑張って、あなたがなんとかしなさいと言われないんです。
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神様が全部やってくださって、信じなさいと言うんです。
私たちに動力を神様が求めるんじゃなくて、私たちに求めるのは、私が全部やるから、あなたは信仰だけを持ちなさい。
信じなさいと言います。信じる人は救われて、救われてくださいます。
神様の救いの方法は、信じることです。あがなわれたことを信じなさい。
また、神様のすべての働きの根底には、憐れむ心があります。
人間は、罪を犯して、賢罪という、もうサタンの奴隷になって、そして弱い人間ということをよく知っておられます。
だから、人間を哀れに思って、助けてください。
目が見えないパール・デ・メオという人がいました。
その人が、ダビデの子孫に、イエス様よ、私を憐れんでくださいと言いました。
だから、イエス様は彼を憐れんで、目が見えるようにしてくださったんです。
そうです。私たちが神様に求めるのは、私たちを憐れんでくださいという言葉です。
神様は、私たちを憐れんでくださって、私たちの病気から、すべての問題から、すべてのところから、私たちを救ってくださるお方です。
神様は、私たちの弱さをよく知っています。
今も、神様は、訪ねてきてくださり、私の代わりにあがなわれ、すべてを返してくださり、私たちは憐れに思われ、助けてくださるお方です。
この方を疑いなく信じてくださればと思います。
2番目です。神様の憐れみによって、この世に使わされた方がいました。イエス様です。
三密体の第二の神様であるイエス様。イエス様は、この世に来られて、二つの役目を担いました。
その一つを、ジャカリアは、救いの角と言いました。
1章69節、我らのために救いの角、しもべダビデの家から起こされた。
皆さん、角ということは何ですか。これ、これ、これですよね。
この角がついている動物は怖いんです。ぶつかったら大変です。
角ということは、力を象徴します。
なぜ、角というのか、私たちを救い出すためには、力が必要なんです。
力がない人は、心はあるんだけど、助けられません。
そうです。その人を憐れんで、ああ、助けたいと言うんだけど、私は何も持っていない。
助けることはできません。
神様は、救いの角であるイエスキリストを送ってくださった。
イエス様は、救いの角を持って、私たちを助けてくださるんですけど、
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出中エジプトの時に、神様は、モーセを使わされました。
そして、パラオのもとに行って、私の民を通うしなさいと言いました。
そしたら、パラオは初めは、花であしらうばかりでした。
しかし、中項目の災いを次々と下された時、
パラオは、もうダメだと思いながら、早く帰りなさい、早く行きなさいと言いました。
力に負けたんです。
そうです。救いは力が欲しいんです。
1章71節を見ますと、
それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手から、私たちを救うためだと言います。
我らの敵は、どなたですか。
敵は、サタンです。
また、我らを憎む者の手ということは、
サタンに使わされて、我らを苦しめる世の中の人々を、
彼は、我らを憎む者の手と言いました。
そこから、私たちを救うお方が、イエス・キリストです。
目白く、17章7節に見ますと、
サタンは、頭が7つもあります。
私たちは、頭が1つしかないんですけど、
サタンは、頭が7つもあり、角が10本もあります。
サタンは、頭が7つで、何をするんですか。
サタンは、悪賢い、
ザークな仕業を、いつもくわたっています。
そして、私たちを、どのように苦しめるかを考えます。
サタンの角には、様々なものがありますけど、
憎しみの角があります。
情欲の角もあります。
妬みの角もあります。
不平不満の角もあります。
絶望の角、業務の角、様々な角があります。
そこに刺されたら、どうなるのか、そうなってしまいます。
自己比喩、自信感を失った、ビジョンを失った、
無気力になり、世の中で生きる希望、
生きる意味がわからなくなった。
これはなぜでしょうか。
絶望の角にぶつかったからです。
もう、自己比喩、今わからものの中で、
あなたは何になりたいのか、わからません。
ビジョンを全部失ってしまいました。
なぜ、サタンの角にぶつかられたからです。
だから、むなしい人生を過ごす理由は何なのか、
サタンにぶつかって、ぶつかって、
すべて失ってしまったからです。
このサタンの7つの頭、
10本の角に勝つ力はどこから来るんですか。
それはイエス・キリストの救いの角から来るんです。
15:01
イエス様はこの世に来られて、
ケラサの悪霊に取り憑かれた、
霊業に作れた青年を救われました。
ナナチュの霊に取り憑かれた、
悪霊に取り憑かれたマクダラ・マリオを救われました。
ナインの町の死んだ青年を救われました。
死んだヤイロの娘を救われました。
また、耳が聞こえない、目が見えない人々に、
バタッと言いながら、すべてを開いてくださいました。
そうです。イエス様の救いの角は、
私たちのすべてを救ってくださり、
生かしてくださり、開いてくださるお方です。
そして1章74節を読みますと、
敵の手から救われ、恐れなく主に使えるものにしてください。
恐れなく主に礼拝し、恐れなく信仰を持つ、
そして恐れがないから平安と喜びの中で、
人生を生きるようにしてくださるために、イエス様が来られました。
ダビデが最後にこう言いました。
サムエル経の22章3節、
私の神大岩酒所、私の盾救いの角、
砦の塔、私の逃れさせ、私に勝利を与え、
父母から救ってくださるお方だった。
ダビデの信仰告白を聞きますと、
ダビデにはイエスキリストが救いの角であることをよくよくして、
それを味わっていったことがわかりました。
2022年度、私たちもイエス様の救いの角をしっかり保って、
私たちは勝利していきましょう。
2番目、ザカリアはイエス様を明け炎の光と予言しました。
1章79節を見ますと、
神の憐れみの心によって、高いところから明け炎の光が我らを訪れと言います。
なぜ明け炎の光なのか、
死と呪いの陰に座っている人たちの心をご存知でしょうか。
裏寂しい心。
私は最近、引っ越しした家が寒い家で過ごしてみれば、
太陽の光が本当に求めます。
はぁ、光が照らされた。
もう私の家の入り口にいたら、前のアパートのこの3階のアパートが陰によって、
その中にいたら寒いと思われます。
本当にそうです。
人生のこの寒さ、家計に流れる呪い、人生の変な運命、罪の罰、死の影、
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その中でみんな不安で、悩みで、苦しみで、そして寒さで今、怯えています。
光がないから、見えないんです。
どうすればいいかわからない。
世の中の人々がたくさんいます。
実際の光が見えなくてもこんな寒いんで、
霊的な光が見えなければ、どれほど怯えるんでしょう。
皆さん、霊的な暗さの中で、もう寝ることもできない。
もういろいろ霊的な苦しみがあるんじゃありませんか。
私はできない。
何をしてもできない。
死にたい。
人生は無意味だ。
このような暗闇の中で過ごす人がどれほど大勢いるんでしょう。
しかし、明け物の光が照らされたらどうなりますか。
ずっとところから光が照らされています。
そうしたら、だんだん闇が消えていきます。
何かが見え始めます。
また、イエス様は太陽の光よりもっと強い光ですから、
イエス様が来られたら暖かくなります。
そして、光によって殺菌も行います。
病気も癒されます。
イエス様の光が照らされたら、信仰の確信がきます。
生きる希望が与えられます。
ビジョンが与えられます。
不安じゃなくて平安が与えられ、シャロームになります。
皆さん、どのようにすれば闇が消えますか。
どのようにすれば呪いが消えますか。
イエス様の光によって、闇も消えてしまい、呪いが祝福に変わっていくんです。
2022年度、明け物の光だけではなく、
太陽の光よりもっと強いイエス様の光によって生きる私たちになれればと思います。
3番目、ところがもっと大事なのは、イエス様はこの力をどのように使われるのかということです。
ルカの日書で見ますと、ローマの皇帝の勅令が下されたら、
もう未満をもって出産を前にしている母マリアは、別恋まで行かなければいけなかったんです。
今、子供を産んで、海の時期が近づいているんだけど、
強制的に別恋まで行かなければいけなかった。
ローマの皇帝は情け容赦がありません。
世の中の力は強制的に発揮します。
しかしイエス様はどうですか。イエス様はその力を謙遜と愛をもって使われます。
皆さん、謙遜と愛で統治ができますか。できます。
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罪と過ちによって死ぬべき人間、地獄に行くべき人間を代わりにご自分が死んでくださったイエス様の愛を悟ったら、
みんなが心から自発的に神様に従うようになります。
世の中の統治者たちは無理やり力で強制的に働きますけど、
イエス様は謙遜と愛をもって働かれるんですけど、イエス様の愛を感じた人は自分全てを捧げながら神様に用いていきたいと思います。
私たちはこのような強制ではない、謙遜と愛で働かれる救い主、助け主を
私たちは拝んで過ごしています。 このイエス様を私たちは毎日、毎週、礼拝を通して、デボーションを通して出会い、
その方の救いの角、また明け物の光、太陽の光を私たちは受け入れます。
だから皆さん、世の中の問題、世の中のいろいろな不安、呪い、全ての災いから私たちは救われます。
サタンより強いイエス様の救いの角の力、明け物の光、その力によって悟りが与えられ、癒しの力が与えられ、
その力をいつも背負っていく私たち、どれほど強いでしょうか。
皆さん、これがいつも、礼拝の時間を通して主に与えられることを信じて、
2022年度は、礼拝をしっかり守って、その力を全て受け入れる私たちになれればと思います。
3番目です。2022年度、私たちは、このイエス様を信じて過ごしましょう。
2021年度といったら、皆さん何が覚えられますか?
コロナ! コロナかい!
しかし、2022年度は、私たちに何が来るでしょう?
また分かりません。 何が来ても、私たちを救われる方はイエス様です。
何よりイエス様は、苦しむ私たちに訪ねてきてくださる方です。
訪ねて来られる方を、イエス様は私たちの玄関をドアをいつも叩いています。
そのイエス様を喜んで受け入れる、喜んで聞こうとする耳を持つ私たちになりましょう。
また私たちの身代わりに、全てを担ってくださいます。
だから皆さん、自分が何か頑張ろうとすることを下ろしておいて、主に委ねることを学びましょう。
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2022年度は、自分がやろう!私はなければいけないんだ! これはやめましょう!
自分ができることは何があるんですか? 神様、イエス様が助けるために来てくださったんじゃありませんか?
だからイエス様に委ねることを学びましょう。
3番目、イエス様は憐れみを持って、私たちを見守ってケアしてくださる方です。
皆さん、一番問題は何か? サタンの一番怖い角は何かと言いますと、偽りです。
サタンはこう言います。家で少し問題が起こったら、あなたは神様に罪を犯したでしょう。
神様、あなた愛してないよ!愛してないよ! 神様と私たちの距離を持つ。
サタンはいつも神に出会うことができない壁を作るんです。 そこに負けたら、神様ともっともっと遠くなります。
違います。神様は私たちが頻繁に罪を犯すことをわかっています。 私たちの弱さを知っています。
だから、憐れみを持って、私たちに立ち寝てきてくださって、全てを自分が担ってくださる方でしょう。
その方を私たちは信じましょう。 サタンに騙されないでください。
少しの問題が起こったら、神様、私は愛していない。 私は神様に会いたくない。教会に行きたくない。
サタンがそのように私たちを作るんですよ。それがサタンの角なんです。 そこに負けないでください。
イエス・キリストの角によって、サタン、出て行け! 私たちはイエス様を信じるんだ。
そして、私はイエス様の愛を信じるんだ。 弱さを全部わかっています。
罪を犯すことをわかっています。 罪を犯すほど、主に近づいていきましょう。
私の顔は、なんと言いますか、鉄面Pと言いますかね。 十々しい顔でもいいです。礼拝に来てください。
そして、神様に出会わなければいけません。 ぜひともぜひとも、礼拝を通して、神様を豊かに出会う私たちになれればと思います。
一番大事なのは、礼拝者という心です。 神をもっと知り、もっと愛し、もっと近づく。
そのようになれば、サタンが来ても問題ありません。 コロナよりもっと怖い者が来ても問題ありません。
人類の最後が来ても問題ありません。 イエス様は私たちを豊かに救ってくださるお方です。
救いのつくの、明け露の光であるイエス様。 そのイエス様を受け入れて、2022年度は勝利を収める私たちになりましょう。
アメン。お祈り出します。 主よ、2022年、新年になりました。
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2021年は、コロナによって全世界が苦しむ時期だったんですけど、 2022年度は何があるのでしょうか。
しかし、私たちには、救いのつくの、明け露の光であるイエス様が来てこられました。
イエス様は私と共におられます。 このイエス様を知って、信じて、イエス様の救いのつくのを支えて、
明け露の光、太陽の光よりもっと力ある光を使って、 勝利の2022年になるように導いてください。
恵みを与えてください。 イエス様の皆を通してお祈り出します。アーメン。
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