また聖書で繰り返し繰り返し語られるメッセージは非常に大事だということです。
聖書の中で神を愛しなさいということは繰り返し繰り返し、旧約聖書も現れ新約聖書も現れ、
聖書全体的に神を愛しなさい、隣人を愛しなさい、繰り返し出てきます。
これは非常に大事で、新明紀6章4節5節、こう言います。
聞けイスラエルよ、我らの神主は唯一の神である。
あなたたちは心を尽くして、魂を尽くして、力を尽くして、あなたの神主を愛しなさいと言う。
心を尽くして、魂を尽くして、力を尽くして、正直に心を尽くす、魂を尽くす、力を尽くす、
正直にどうすればいいのかよく分かりませんけど、
これを3回繰り返し繰り返し言われたということは、全身全霊で神を愛しなさいという意味。
神を愛することよりもっと大事なことはないよということと同じです。
じゃあ今日は、神を愛する人は、この神を愛するゆえに何をするのか、
また神を愛する人に神様はどんな祝福を与えてくださるのか、
これを一緒に考えながら、2025年度、私たちは神様を最も愛する教会になりたいと思います。
まず皆さん、神を愛するということはどんな意味かはご存知でしょう。
これは、十字架の福音を学びながらたくさん分かち合いました。
神を愛するということは、神様だけを愛するということです。
神を愛するということは、まあ夫婦関係と同じです。
妻を愛するということは、他のいろいろな女性も愛するけど妻も愛するんじゃなくて、
他の女性じゃなくて妻だけを愛することを意味します。
愛ということは、鬼、ただ、神様だけ、妻だけ、この言葉を理解しなければなりません。
なぜ神様だけを愛しなさいというのか、
神様以外に、世の中で私たちが心を奪われるものがたくさんあるからです。
マルコ中小29節を見ますと、私のため、また福音のために、
家、兄弟、妻、母、父、子供、また畑、いろいろなことをじゅーっと並びます。
これは何かと言いますと、神様以外、福音以外、イエス様以外に私たちが大切にするものがこんなにたくさんあるということです。
しかしこれを全て、これを愛しないで神様だけを愛する、これが愛なんです。
世の中で私たちが欲しがるものはどれほどたくさんあるんですか。
たぶん今の子供たちに携帯というものがなかったら、子供たち大変になるでしょう。
携帯が大事なのか、神様が大事なのか、そうしたら子供たちは何と答えるでしょう。
このように私たちの心を奪われるものが世の中にいっぱいあります。
この世の中にいっぱいある愛するもの、好きなものじゃなくて、
私は神様だけを愛しますということをどのように表現するのか、
これがヨハネ中四章二十一節、今日読んでござったヨハネ中四章二十一節は非常に大事な説書です。
私の掟を受け入れ、それを守る人が私を愛する人だ。
愛の表現はどうするのか、その人の言われたことを守ることです。従うことです。
皆さんいろいろ結婚した方は経験があるでしょう。
妻が妊娠した時に、真夜中で何が食べたいと言います。
いやーもう疲れてるから早く寝ろ、じゃなくて、その話を聞いたら男性たちはみんな飛んで行きます。
どこかにいて、必ずそれを持って行きます。なぜなら愛するからですね。
だんだん冷めていくかもしれないけど、まあ初め、妊娠した時は子供のことを考えて、
妻のことを考えてみんな飛んで行く。それが純粋な愛なんですよ。
愛の表現で一番いいのは、愛する人が言われたことを従う、
そのことを尊重する、大切にする、これなんです。
忠純と愛はイコールなんです。
聖書のそれと考えて、聖書の初めの部分に人類歴史上一番大事な事件が発生しました。
神様がエデンの園を設けられて、人間に2章17節、
ただし、チェンアクの知識の木からは決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまおうと言いました。
その時、蛇として悪魔、蛇が昔現れた悪魔の存在ですけど、
悪魔が現れて、こう言います。
園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。
そうしながら、チェンアクの知識の実を食べても死なないよ。
神様みたいになるよ。食べて食べて、と言います。
じゃあここで、私たちは誰の話を聞くべきでしょうか。
神様の話を聞くべきでしょうか。悪魔の話を聞くべきでしょうか。
ここで人間がどのように反応したのか、これは非常に大事で、
人類歴史上一番大事な事件が発生しました。
神を愛していたなら、そんなこと言うな。神様食べてはいけないと言われたよ。
そして食べなかったら、今私たちはエデンの園で生きているかもしれません。
それを人間が食べてしまったのです。
蛇の誘惑を受けて、それを見てみると、いかにおいしそうで、いかに賢くするように。
だからそれで食べてしまったのです。それを自分が食べて、また夫にも与えたので、
アダムとエバー、一緒に食べてしまいました。
それを食べてから、神様との関係がダメになり、人間が悪魔の奴隷になりました。
それによって、これはあっという間なんですよ。
あっという間にその罪を犯してから、アダムとエバーはどれほど後悔したのでしょうか。
しかし、こぼれてしまった水、取り戻すことができないでしょう。
皆さん、旧約聖書の十回というものがあります。
その中で、十回の中で、第1から第4までが、神様と私たちの間に守らなければいけない大事な今しめです。
これは古いものではないです。今も大事です。
私が読んでみましょう。
これは、シチュエジプト二重章の二節から十節までの中で何節ですけど、
私は主あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたには私を置いて、他に神があってはならない。
これは第一です。
第二は、あなたはいかなる城も作ってはならない。
上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にあるいかなるものの形も作ってはならない。
あなたはそれに向かって比例をしたり、それに仕えてればならない。
また、七節に、あなたの神主の名を乱に唱えてはならない。
八節に、安息日を心に留め、それを清別せよ。
無以下の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目はあなたの神主の安息日であるから、いかなる仕事はしかともしてはならない。
じゃあ、安息日は何をする日ですか?
休みながら神様に礼拝する日でしょう。
皆さん、神様を愛する人の一番初めの特徴は何か?
礼拝なんです。
神を愛するなら、主の日を楽しみにします。
一週間の間にきれいな献金を作っておいて、
それで早く行って礼拝したい、礼拝したい。
一週間ずっと主の日を待ち望んで、待ち望んで、待ち望んで、
主の日になれば早く教会に行って、それで礼拝を守る。
この礼拝を守ることを見ていますと、
この人が神を愛しているのかがすぐ分かってしまうほどです。
じゃあ、ここでなぜ私たちが神を愛しなければいけないんですか?
まず神様は全てを作られた創造主だからです。
私たちも作られた神様だからです。
ところがそれよりもっと大きな理由があります。
私たちが罪を犯して神から離れることによって悪魔の奴隷になり、
罪によって罰を受けるべき、結局地獄に行くべき私だったんですけど、
私たちを救うために三味一体の神様、
これよ、神様がご自分を犠牲しながら私たちを救ったからです。
言わね三書中六節、
神はその一人子を与えなったほどによく愛された。
一人子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためであろうという、
地獄に行くべき私たちを救うために、
一人子イエスキリストがこの世に来られて、
十字架で死んで復活されることによって、
私たちを罪と死と地獄とサッタンから救ってくださったんです。
また聖霊様を助け主として送ってくださって、
私たちが天国に入るまで細かく細かく細かく、
教え、助け、守り、導き、そして天国まで近くと案内していきます。
私たちは何をしたから神様はこのような恵みを与えてくださったんですか。
いいえ私たちはもう何もしたことはありません。
罪を犯したことしかありません。
しかし神様の一方的な愛によって全てを恵みとして与えてきた。
この恵みをいただいた者として、
どのように神様を愛さずにいられることでしょうか。
神様がまず愛を施してくださったから、
私たちはこの愛をして、それから私たちは神様を愛すること、
これはもう基本の基本ではないでしょうか。
ではどのように愛を表現することができるか、
その時どんな祝福があるのか、
これがヨワネ14章21節に細かく書いてあります。
私たちが神を愛しています、
その表現は私のおきてを受け入れ、
それを守る人は私を愛する人です。
では神様のおきてを受け入れ、守ることです。
その時神様はどんな祝福をくださるのか、
私を愛する人は私の父に愛される。
私もその人を愛して、その人に私自身を表す。
これはどんな話でしょうか、良い事例があります。
これがパベロンの捕虜に連れて行かれたユダのダニエルと3人のお友達の事例です。
ダニエル一書にこんな記事があります。
パベロン王ヌブカネツアルは大きなパベロン帝国を統治しています。
人材が必要です。
人材を選ぶためにエルサレムから奴隷として連れて来られたこの人材の中で、
若者の中でここで偉い人がいるのか探しました。
これは人材を大切にする人、これはやっぱり王様は違いますね。
イスラエルの中で頭がいい人がたくさんいるからその中で選ぼうとして、
ダニエルと他の何か少年たちを集まりました。
その中で王様がいろいろ良いものを食べさせ、またパベロンの教育をさせて、
そして最後に王様の前でテストしてそこから選ぼうとしたんです。
皆さんこれは捕虜として連れて行かれたイスラエル民族、
パベロンの中で出世する唯一のチャンスです。
これ以上のチャンスがない、絶好のチャンスです。
自分が捕虜として一生涯死ぬか、パベロンの何か上で管理になって、
それで王様から愛されながら、それで一生涯パベロンで過ごすか、
これが書かれている大事なチャンスなんですよ。
だから私だったらこのようなチャンスをくださったパベロンの王にありがたいから、
必ず忠誠心を示して選ばれたいと思っているのではありませんか。
しかしここに問題があります。
パベロンの国は偶像に捧げられたお肉と食事を人々が全部食べるんです。
それをダニエルと友達にも食べさせようとするんです。
私だったらもう食事だから仕方がないんじゃないかと思って、
食べるかもしれませんけど、ダニエルはそれが駄目だと思ったんです。
これが10回の第2の今しめで禁じられていることです。
じゃあどうしようか。
今しめを守ることが神を愛することなんで、
今しめでは食べてはいけないと言うんですけど、パベロンには仕方がない。
どうしましょう。この少年たちは決めました。
絶対食べない。死ねば死ぬ。食べない。
その時神様は地獣鳥に恵みを得るようにしてくださった。
だから地獣鳥は、これはダメなんだけど、
あなたが食べたくないなら野菜だけ食べなさい。食物だけ。
そして野菜だけ食べてテストしてみました。
他の人より元気、健康が最も良かった。
また神様から恵まれて、他の人に比べられて10倍の偉い知恵と知識が与えられた。
それでダニエルは4代続けて総理をします。
ノブカネチャロー、ベルササル王、次はダリオス王、そしてクキューロス王。
4人の世代に総理として続けられるこの知恵と知識、素晴らしさ。
神様から与えられました。
皆さん大事なのは今しみを守ろうとするダニエルに神様が大きな祝福をして
捕虜として連れて行かれたバベルの誰もダニエルと比べる人がいなかったということです。
子供たちがぐっと立派な信仰者として変わる、その瞬間が来るんです。必ず来るんです。
親の信仰、涙の祈りは、必ず子供を立派にさせるパワーがあるんです。
なぜ子供たちが、神を一番愛する人になるべきなのか、
神を愛する人に与えてくださる祝福が一番高いから。
皆さん、イエス様はなぜ再臨されるんですか?
イエス様が再臨される理由は何ですか?
私たちのために、天国に居場所を用意しておいて、私たちは連れに来られるんです。
だから、イエス様が来られる理由は、子供を愛する人を連れに来られるんです。
私たちはイエス様を愛するなら、イエス様はその時来られて、私たちを連れて行くでしょう、天国に。
天国に入る条件、神を愛する、イエス様を愛する、愛なんです、愛。
是非とも是非とも、私たちも神様を愛しなければいけないし、イエス様を愛しなければいけない。
子供たちも、神を愛する人になるようにしてください。
祈ることは一番大事。
ですから、ユダヤの人々は、神明記六章四節が、
聞け、イスラエル、我らの主、神、主は唯一の神で、
あなたたちは心を尽くして、魂を尽くして、力を尽くして、あなたの主、神を愛しなさい。
私たちも同じです。
聞け、私たちの子供たちよ。
聞け、私たちの愛する人たちよ。
神を愛しなさい。神を愛しなさい。
それしかない。
それさえできれば、その次は神様が全て与えてくださる。
この世だけじゃなくて、永遠の天国まで、一番いいことをたくさん私たちに与えてくださる。
その秘訣は何か。神を愛する。
私たちが世の中で唯一やるべきこと、一つ。神を愛する。イエス様を愛する。
それをぜひぜひ、私が実現して、そして子供たちのために祈って、子供たちを教えて、
子供たちが神を愛する、そのところを作っておいてから、私たちは天国に行きましょう。
そうするなら、子供の心配もご無用。
子供たちは神様が全部与えてくださると信じます。
世の中で私たちはやるべき唯一のことは、神を愛する。イエス様を愛する。
ぜひ実践して、私たちの教会が神様から一番愛される教会になりましょう。
お祈り出します。神様、私たちは神様とイエス様を一番愛する人になりたいです。
そのために、精霊様、イエス様をもっともっと照らしてください。もっともっと知らせてください。
そして、この世の中で神を一番愛し、天国に行って永遠に永遠に愛して生きる私たちにならせてください。
特に私たちの子供たち、私たちの子供たち、私たちのあきれつ犬です。
子供たちを、ぜひイエス様を愛するものとしてください。助けてください。
イエス様の皆を通してお祈り出します。
アーメン、アーメン。