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2021-02-21 28:41

「大きな光として来られたイエス様」2021年2月21日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年2月21日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

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今日は、大きな光として来られたイエス様代で メッセージを分かち合いたいと思います。
最近、世の中本当に暗いですね。 全て暗い話だけです。
全世界がコロナワイルスの恐怖の中で、怯えています。 経済は深刻になり、
1年も延期してきたオリンピックをしなければならないのですが、心配が多いのです。
また、教会もいつ再び集まって礼拝ができるか、よく分からない状況です。 本当に国を運営するリーダーたち、
難しいだろうなぁと思います。 このような時、私たちの信仰って何でしょう。
世の中が難しい時こそ、 信仰の進化を発揮しなければならないではありませんか。
私たちは神様を知らない人のように、恐れるばかりしてはいけないでしょう。 世の中が難しい時期こそ、信仰が働く時期なんです。
初代業界ローマ帝国の迫害の中で、 信徒たちはローマの皇帝を恐れて何もできなかったとするなら、
どのようにローマ帝国がキリスト教の国になり、 ヨーロッパに福音が述べ伝えられたでしょう。
そのような苦しみの中でも、信じる人たちは違ったんです。 福音の力は役割を発揮したのです。
黙示録は最後の時、全世界に20項目以上の災いがあると言われています。
7つの封印、7つの落葉、7つの八の災いが注がれるんだと言うんですけど、
その中でも、マタイの24章14節、 御国の福音は血の果てにまで述べ伝えられ、それから終わりが来ると言っています。
しかしこの働きは誰がしますか? 最後の時のキリスト社である私たちがやるべきものなんですけど、
私たちが怯えているばかりとするなら、 どのように神の御言葉が述べ伝えられるでしょうか。
私たちは国家の方針に協力する意味で、 法曹で礼拝を捧げているんですが、
スピリットだけは初代業界のような強い信仰で過ごすことができればと思います。
今日の聖書でイエス様は大きな光として来られたと言います。 そして光として来られたイエス様は、
民たちを解放され救われました。 今コロナによってみんなが恐れています。
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闇に覆われているということでしょう。 しかしいくら濃い闇に覆われているとしても、
光が来るなら闇は消えていきます。 イエス様の大きな光の前で全てが消えていくでしょう。
私たちが大きな光であるイエス様を信じることによって、 今の暗闇を勝ち抜き、
任された主の使命を全うすることができればと思います。
今日は大きな光として来てくださったイエス様は何をされたのか、
また私たちがどのようにその大きな光の力を背負うことができるのか、 一緒に考えていきたいと思います。
まず一番です。大きな光として来られたイエス様。 これはマタイジョンション12節から16節までの記事です。
イエス様が交渉会を始めるとき、 一つの事件が行われました。
神の人、先霊者ヨアネが捕まれて盗獄されたんです。 なぜ盗獄されたんですか。
ヘルデ王が自分の弟の妻を盗られたということは 正しくないと指摘したからです。
ここで、宗教が政治に関与していいのかという 進学的な問題があります。
宗教と政治の関係。 皆さんはどう思いますか。
いろいろとお話があると思いますけど、 イエス様は神の人先霊者ヨアネの救命運動をなさらなかったんです。
政治に介入なさらないで、彼らやに行かれました。
先霊者ヨアネの恵みをいただいて、 世の中に紹介されたとにもかかわらず、
また、正しくない政権の対象として、 それは戦わなければいけないんじゃないですか。
先霊者ヨアネは戦ったのに、 なぜイエス様は戦わないんでしょうか。
それは各々与えられた使命と関係がありますけど、 イエス様は政治権力と戦うために、
ご自分の使命をないがしろにすることは できなかったからです。
今は、御国のために 御言葉を述べされることが最優先的でした。
ですからイエス様はどこに行かれたんですか。 中二説に見ますと、カリラヤに行かれたと言います。
しかし、カリラヤはイスラエルの領土にもかかわらず、 中古説には違法のカリラヤと書いてあります。
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なぜそのように呼ばれたでしょうか。 旧約時代、イスラエルがアシリアとバベロンに滅ぼされてしまった時、
彼ら地域には違法人たちが移住してきて、 一生に過ごしてからです。
ですから彼ら地の状態は、 違法人とユダヤ人たちが根決されていた状態。
ですから、先民意識を強調するイスラエルのためには、 嫌がられた存在でした。
彼らたちは、神の民の正当性を失った地域出身、 田舎者だという色眼鏡で見たんです。
ですから、イエス様の弟子たちもそうだし、 当時パリサ人たちもこう言いました。
ヨワネ7章52節、 カリラヤで何か良いものが出るはずなのか、
カリラヤには良い人物が出るはずがない、 このような偏見を持っていました。
彼らたちは、もう見捨てられた状態だったんですね。 いつも敗北意識を持って、
カリラヤ出身ということだけで、 夢も希望も持つことはできませんでした。
ですから、彼らたちは、暗闇と死の影に覆われて 過ごしていたものだったんです。
彼らたちには、光が必要でした。 その光は誰ですか?
イエス・キリストなんです。 ヨワネ8章12節、
イエスは言われた、私は世の光である。 私に従う者は、暗闇の中を歩かず、
命の光を持つ。 大きな光として来られたイエス様は、
この世に来られて、初めて光を照らされたところが、 一番暗い地域、カリラヤでした。
このように、イエス様の目はいつも暗いところ、 苦しんでいる人々に向いていました。
ところが、彼らたちに望んでいた暗闇が、 どれほど濃い強い暗闇なのか、
小さな灯火としては、追い払うことができませんでした。 ですから、大きな光が必要だったんです。
人々が苦しんでいる理由、光がないからですけど、 今は大きな光が来ました。
この光は、全知全能の神の栄光の光であり、 全世界を創造された創造主神様の
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恵みと真理の光、力であり、 罪ある人間をこの世に愛され、
憐れんでくださった愛と憐れみの力であり、 神の御一人として忠実化で成し遂げる
許しとあがないの力、 その力で暗闇の悪魔を滅ぼし、人間を肝心に救うことができる
神の栄光の力だったんです。 ですから、使徒ヨアネはイエス様に対して、
ヨアネ1章14節、言葉は肉になって私たちの間に宿られた。 私たちはその栄光を見た。
それは父の日取子としての栄光であって、 恵みと真理とに満ちていたと表現しました。
今はこの大きな光が来られています。 生きるためには受け入れなければいけません。
光を一度だけ受け入れることだけはなく、 光の中で過ごさなければなりません。
光の子になれれば、闇に勝ち抜くことができるでしょう。 じゃあ彼らたちがこの光を得るためにどうすればいいですか。
また4章17節に、悔い改めてイエス・キリストを信じることでした。
これが御国の福音です。 今まで暗闇に縛られている理由が、過ちと罪のゆえなんですけど、
それを悔い改めて大きな光であるイエス・キリストを受け入れるなら、 彼らたちの心の中に光が照らされます。
そうするなら闇は消えて、生きるようになるのです。
福音を受け入れるのは、決して難しいことではありません。 正直に悔い改めればいいんです。
謙遜に受け入れればいいんです。 そのような心でイエス・キリストを受け入れた人は生かされました。
人々が苦しむ理由は、人生の問題が難しくて苦しむこともありますけど、
自分の罪を悔い改めないで、 その心に光を受け入れないからです。
ローマ書2章9節にこう書いてあります。 全て悪を行う者には、信者であり、未信者であり、
苦しみと悩みが下りと言います。 皆さん、罪によって私たちの心に苦しみと悩みが下ります。
また、罪には罰と呪いが伴いますけど、 誰がそのような苦しみの中で耐えることができるのでしょうか。
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2番です。 大きな光として来られたイエス様は、自分自身をついてくる弟子たちを通して、
この世に光を照らされようと思いました。 イエス様は大きな光です。
しかし、体を持って来られたイエス様は、 その体は一つだけなんです。
しかし、この世は広いし、光を照らすべきところは多いんです。 またイエス様は3年半、
高生涯を終えるなら、昇天されなければいけなかったんです。 ではその後、全世界は闇に覆われているところですけど、
持続的に光を照らすためには、どうすればいいでしょう。 ですからイエス様は、高生涯を始める時から弟子たちを呼ばれ、
弟子たちと共に働きながら、彼らたちに光であるイエス様の御国の福音、 その福音を伝えることを継承しようと思われたんです。
皆さん、この働きは私たちの教会にも、 これを主に考えなければいけないことです。
神の御業は継承しなければなりません。 私たちの代で終わってはいけません。
その継承の準備をすることが、私たちの大きな役目なんです。 ですからイエス様は誰を呼ばれたんですか。
両子たちを呼ばれたんです。 また4章18節から20節、先ほど読んでくださったんですけど、
イエスはカリラ夜行のほとりを歩いておられた時、 二人の兄弟、ペトルと呼ばれるシモンと、その兄弟アンデルが、
湖で雨を打っていることをご覧になった。 彼らは両子であった。
イエスは私についてきなさい。 人間を取る両子にしようと言われた。
二人はすぐに網を捨ててしたがった。 両子たち、
本当に熱心がありますね。 誠実で一日中働いて、その日食べる人たちでした。
真面目で誠実で熱心であることはいいんですが、 夢がないことが問題でした。
特に人間を作られた神様の身むね、 使命を知らないことが問題でした。
彼らたちはカリラの海辺で魚を捕って食べながら、 死んでいく人でした。
皆さん、神様が彼らたちをこの世に送られた理由が、 魚を捕って食べて生きるように、その働きのためにこの世に送られたと思いますか?
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そうではないでしょう。 神様が人間を作られた目的は、皆さんもご存知通り、
創世紀1章28節、 埋めよう増えよう、地に満ちて地を従わせよう。
また、全ての生き物を支配せようという、 この世の中を管理するために人間を作られて送ってくださったのに、
現在のもとにある人間は、使命を失って、 食べて生きることばかり考える生活人として転落したということです。
それをするために人間が存在することではありません。 ですから、使命を回復してくださるイエス様、
人間を捕る漁師になりなさいと言われました。
皆さん、生活人は、リスが回し車でぐるぐる回るような人生です。 その中で少しの生き甲斐とか、自己実現はあるかもしれませんけど、
食べるために生きる人生は退屈な人生です。 しかし、人間を捕る漁師、使命人は、死の海から人間を救い出して、
神様が使わされた使命を回復し、祝福の源として用いられるものにすることです。 それを助ける働きです。
このような人たちには、マタイ6章33節、 全ての事を加えてくださる神様の保障があり、
タネイロ12章3節のように、多くの者を救いとなった人々は、 常に星と輝く、
神の称賛と永遠な祝福があるのです。 ところが、弟子になるために一番大事なことは、
忠順ですることです。 ですから、4章20節、22節には、すぐに網を捨ててしたかった、
すぐに、すぐに、ということを聖書は強調しているのです。
それだとして、皆さん、今職場を捨てて神学に行ってください、 ということではありません。
神様の招きということを感じたら、すぐに従う心、 これが弟子の生活で一番大事だということを申し上げることです。
また、魚を捕る漁師は、魚に対してよく知らなきゃいけないように、
人を捕る漁師は、人に対して深い理解と愛が必要です。
良い牧者としての内面性、謙遜と入和で、 我慢してあげ、待ってあげる、イエス様のこの良い内面性が必要です。
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これを私たちは、良い牧者であるイエス様と交わりをしながら、 熱心に学ばなければいけません。
では、3番です。
弟子たちと共に大きな光を照らされるイエス様。 どのように光を放つことになりましたか?
まず、ヨハネ1章4節には、 言葉の内に命があった、命は人を照らす、人間を照らす光であったと書いてあります。
この光は、人を生かす命だということなんですけど、 大きな光であるイエス様は、まず人々を探し回られたんです。
また、4章23節、イエスは狩りらや中を回って、 諸カイドウで教え、御国の福音を述べせたり、
また、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒されたと言います。 教え、述べせたえ、癒す、このような働きは、命と光を分け与える方法です。
そうしたら、今度は彼らたちが光と命をもっともっと受けたいと思って、 これからは自分たちが探して、イエス様のところに来たのです。
ここで福音書に不思議な記録パターンがあると申し上げたでしょう。 イエス様がどこに行かれても人々は集まった。
では、イエス様は教えた、教え、述べせた、癒された、 この道の働きをされたということです。
ところが、なぜ集まったんですか? 問題が多かったからです。
じゃあ、当時どんな問題があったんですか? 彼らたちは、まずローマの植民地として、ローマの支配、抑圧がありました。
怖かったですね。 立法と宗教の国として守らなければいけない、義務規定が人々に大きな重荷でした。
また深刻な貧困。 イスラエルにはお金を稼ぐことができる産業がなかったですね。
また当時、病がいろいろありました。 体の病、精神的な病、様々な病がありました。
そこに霊だけの問題、悪霊に取り憑かれた人たちも大勢いたんです。
それは、どこに行っても解決できない、 そのような解決してもらえない人々。
しかしイエス様は、この全てを直してくださったことですから、 おびただしい人々が集まってきたんです。
まだ集まってきた人たちが、どこから来たのですか?
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これはカリラヤで述べているのに、カリラヤだけではなく、デカボリ、 エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側からも人々が集まりました。
全国から人たちが集まったんです。 その人たちどうすればいいんですか?
ですからイエス様は集まってきた人たちに仕えるために、 食事をする暇もなかったと言います。
ところが皆さん、もともとこの働きは誰がやらなきゃいけないんですか?
その働きをするために立てられた人たちが、宗教指導者たちなんです。 しかし彼たちは儀式だけ執行して、
民たちの本当の悩み苦しみには関心がなかったんです。 彼たちの関心は宗教的な特権で自分の利益ばっかり求める、
そこに関心があったんです。 気の毒ですね。
ここで私たちも反省しなければいけない部分もあります。 人々の問題は当時もその時代も今も同じでしょう。
みんなが闇を追い払ってくれる光、生かしてくれる命を願っています。
ところがなぜ今の人々は教会に来ないんですか?
ここに人々は不思議とよく知ってますね。 スーパーから馬券セールをするなら少し安くても人々が集まります。
優れた優れたお医者さんがいるなら、その病院に人々はどこから聞いたのか集まります。
皆さん、利益があるかないか、生かすことができるかないか、人々はよくわかります。
ですからイエス様に集まってきたんじゃありませんか? ところがなぜキリストの教会、
イエスキリストを述べ伝えている教会には集まらないんですか? 闇を追い払う光が見えないから、
まだ人々を生かす命が見えないからでしょうか? それで来ないとするなら
主教会の私たちは本当に嘆いて悔い改めなければいけない問題です。
では私たちはどうすれば光を放つことができますか?
まず知らなきゃいけないことは私たちが光ではありません。 私たちの中には何を持っても何をしても光を作り出すことはできません。
光はイエスキリストなんです。 それも大きな光であり、全世界の暗闇を追い払う強力な光です。
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私たちはまずこの光であるイエス様を私たちの心に受け入れなければなりません。
そして私の中にいるその方を 表して見せてあげることです。
じゃあそれをどうすればいいんでしょう? それは私の内におられるその方の見声に聞き従うとき、
その時その方が私たちを通して光を放ち働かれるんです。
私たちは私たちの内におられる大きな光を表して見せてあげることで 日本に真っごとの光を照らすことができます。
先週金曜日、鳥名式起動の時間でコロサイ3章3説
イエスキリストの命、その光が今は隠されているということを申し上げました。
私の中におられるんですけど、それが隠されています。 じゃあ私の中にいるその栄光の光をどのように現れるべきでしょうか。
それはその方の見声を聞いて従って愛を実践するとき 隠されていることが現れるんだということを申し上げました。
ですからここで最後に隠されているイエスキリストの光を表す方法 一つだけ実践してみましょう。
皆さん今週1週間の間 私が言いたい話をなさることではなく
私の内におられるその方が 私にくださるその
見声を聞いてそのことを私たちが語って見ていきましょう。 私もなかなかうまくできなくて私も皆さんと共にやっていきたいと思いますけど
このようにやってください イエス様こんな時はどんな話をすればいいですか
この問題はどのようにすればいいですかとイエス様に質問することです そしてイエス様が声をかけてくださるときまで少し待ってその感動に従って語ることです
これをどうすればいいかわからないのであれば このようなことはどうですか
イエス様ならこんな時どんな話をされるかな またどんな働きをされるかなと考えてみて
その時与えてくださる感動に従うことです そのようにするならイエス様は私たちにどうするべきなのか
知らせてくださることであり イエス様は私たちを通して光を照らしてくださることでしょう
27:08
その時皆さん戦勝をしておられるなら この働きがやりやすいと思いますけど
私たちがこれ一つだけうまくやるんだとしても 私たちを通してその方が大きな光を照らしてくださるでしょう
また私たちを通して人々が生かされることを 見るようになるのではないかと思います
私たちを生かすために来られた大きな光であるイエス様を賛美します
私たちを通して私たちの教会を通してコロナによって苦しんでいらっしゃる 日本の地に大きな光を照らしてください
お祈りいたします イエス様今全世界は暗闇が覆われ支配しています
人々は怯えています恐れています この時信じている私たち
光の子として呼ばれた私たちが イエス様の大きな光を照らすことができるように祈ります
初代業界の神徒たちのような強い信仰 精霊充満なスピリットを持つことができるように私たちを助けてください
イエス様皆を通してお祈りいたします アーメンアーメン
28:41

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