今日は、新年、勝利の信仰生活のために、という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
2025年度になりました。 2025年度は、2024年とは違う、
2025年度は、勝利の人生、 満足する信仰生活をやりたいと思います。
そのために、一番大事なことが何なのかと思った時に、お祈りではないかと思います。
キリスト者に与えられている特権があります。 このキリスト者に与えられている特権、これは何でしょう?
これが、お祈りなんです。 お祈りは素晴らしいものです。
ですから、このお祈りについて一緒に考えていきましょう。
創造主である、また、絶対者である神様。 私たちの父、天の父は、
全知、全能、絶対全能のお方です。 このような神様を信じている私たちキリスト者は、
当たり前ということが、勝利の生活です。 勝利の生活をどのように得られることができるか、
これがお祈りを通してです。 じゃあ、今日は信念の勝利の生活のために、お祈りについて一緒に考えていきたいと思います。
今日の聖書から見てますと、お祈りを天の国の鍵と言われました。
私たちがイエス様を信じて、信仰告白したばかりで、 イエス様が一番初めに私たちにくださったのは、
天の国の鍵です。これがお祈りです。 じゃあ、また16章、16節から少し読んでみましょう。
シモン・ペトロが、あなたはメシア、生ける神の子ですと答えた。 するとイエスは、
私はあなたに天の国の鍵を授ける。 あなたが地上で繋ぐことは天上でも繋がれる。
あなたが地上で解くことは天上でも解かれる。 と言いました。
なぜ、信仰を持ち始めたら、一番初めに天の国の鍵を授けるのか。
これは、人間の先祖アダムとエヴァが、
ヘビに騙されて、このヘビは目白く駐輪所を拒絶してしまったら、 これは悪魔だと言いました。
騙されて罪を犯すことによって、 悪魔がこの世を支配するようになりました。
この世の持ち主は、神様であることは当たり前ですけど、
地地述第2ゴリラと4章4節を見ますと、 この世の神は悪魔だと言います。
えっ、神様ではないのか。 神様の代理者アダムが、
サタンに従ったので、ヘビ、悪魔、サタンに従ったので、 それで全世界が悪魔の手の中に入ってしまいました。
悪魔が支配する世界。 この中で、神の子供が生きることは難しいです。
ですから、イエス様がこのように言われました。 要は、15章18節と19節です。
よがあなた方を憎むなら、あなた方を憎む前に、 私を憎んでいたことを覚えなさい。
あなた方が世に直していたなら、 世はあなた方を身内として愛したはずです。
だが、あなた方は世に直していない。 私があなた方を世から選び出した。
だから、世はあなた方を憎むのであろう。
では、この要は何でしょう? これは悪魔。 支配する世の中の持ち主になってしまった悪魔です。
このように、イエスを信じることになったキリスト者、 神の子供になった私たちは、敵の攻撃の的になる。
悪魔が誰を狙うのか。 自分の身内のものじゃなくて、自分の敵を狙うでしょう。
だから、悪魔は私たちを狙っているんです。 だから、私たちはどうすればいいのか。
だから、悪魔に勝てるように私たちに下さったことがお祈り、 天の国の鍵です。
ところが、私たちは神の子供だって、 神様は私たちを無条件助けることではありません。
何もしていないのに助けてくださることはありません。
なぜなら、ここに複雑な問題があります。 神様は私たちに自由意志を与えてくださった。
だから、自由意志をくださったから、 私たちが願ってもないのに、神様が助けてくださることはありません。
私たちは神を選ぶ自由もあるし、 悪魔に従う自由もあるんです。
だから、神様は私たちに自由意志を犯すことはなさいません。 私たちが願うとき助けてください。
これが難しいんです。 ですから、マタイ七章七説を読みますと、
求めなさい、そうすれば与えられる。 探しなさい、そうすれば見つかる。
門を叩きなさい、そうすれば開かれる。 求めないのに、くださることではありません。
私たちが勘違いしているのは、皆さん、親でしょう。 親は子供が何か、お母さんこれくださいと言わなくても、
お母さんが愛が深いから、子供が必要だと思っていることを あらかじめ何とかしやってあげる。
ここと勘違いをしてはいけません。 礼儀礼儀の法則はこれと違いますから。
だから、親が子供を愛するんだとしても、 何でも勝手にあげるような私たちと、
神様と私たちの関係は違います。 これは自由意思ということがあるからです。
神様が人間を作られた時、この世の中すべてを人間に任せました。
神様が人間に任せられたこのレベルは大抵どんなことでしょう。 完全に任せたんです。
創世紀1章26説、神は言われた、我々にかたどり、我々ににせって、人を作ろう。
そして世の中のすべてを支配させようとしました。
神様が全世界を作られて、全世界を人間に任せられた。
これは任せられたとしても、神様が何とされるでしょう。
違います。任せたとしたら、完全に任せられた。
ですから、神様さえもこの世に対して何かやろうとするなら、
人間からのお祈りがなければ、神様が勝手にできないということを考えていただきたいと思います。
なぜなら、人間に任せたから。 だから、人間をどうして働くことを考えなきゃいけない。
最後まで祈りましょう。
ところが、今日、私が皆さんに申し上げたいのは、
この3番目のことです。
命令、宣言の祈りをしましょう。
言われ一書中二節、しかし言葉は自分を受け入れた人、
その名を信じる人々には、神の子となる資格を与えた。
信教同体。
しかし、神科学では、神の子供となる特権を与えた。
神の子供の特権とは一体何でしょう。
また、また一六章中八節から見てみますと、
私は言っておく、あなたはペテロ。
私はこの岩の上に教会を建てる。
黄泉の力がこれに対抗できない。
教会の力。
黄泉の力が対抗できない。
黄泉の悪魔、サタンでしょ。
サタンの力が対抗できないほどの、驚くほどのパワーが教会に持っている。
教会同士でそんな力を持っていますか。
教会の頭がイエス様だから。
イエス様を持っている力が、教会の力であり、
教会に直している私たちの力なんです。
じゃあ、これを持って何をすればいいのか。
これを今日一緒に考えていきたい。
これを持って繋ぐなら、天で繋がれる。
地上で解くなら、天上でも解かれる。
一体これはどんな意味でしょう。
それが命令、宣言の祈りです。
私は新たに申し上げたいのは、祈るといった時に、いつもお願いします、お願いしますじゃなくて、
これから大事なことがある。
神の子供の力と教会の力を用いて、これを持って宣言する、命令する祈りなんです。
聖書を読んでみてください。
たくさんありますよ。
旧約聖書、ヨーシュワ十章では、ヨーシュワがカナーンの5つの国の王たちと戦います。
戦争をして、神様はもう5つの国の王をヨーシュワの手に任せられた。
だからもうこれは勝つように決まっているという気持ちで戦争をしているんです。
日が暮れるんですよ。
太陽が沈む。
だったら明日戦わなければいけない。
どうする。
今日はこれを全部抜粋しなければいけない。
それでヨーシュワが何をするんですか。
太陽止まれ、月を止まれ、命令をします。
大自然に向かって命令します。
これが何ですか。
これが神の子供の健性、神の子供のパワーなんです。
だったら1日中、太陽が止まって、月が止まった。
地球が止まっちゃったんです。
宇宙が止まっちゃったんです。
こんなことがあり得るのか。
あり得ます。
イエス様の力が私たちにあるからです。
イエス様は全世界の持ち主、創造主、全世界の持ち主のパワーが私にあるので、
それを持っていながらも持っていないように生きている私たちが間違えているんです。
この力を覚えながら、これから宣言する、命令する。
イエス様が汚さの悪霊に取り憑かれた人に、
イエス様のところに来る時、イエス様は何て言うんですか。
汚れた霊、その人から出て行け。
イエス様に私たちはどう祈りますか。
神様、この人を憐れんでください。
この人から悪霊を追い出してください。
神様が追い出してください。
お願いをするのは慣れてますけど、
この悪霊を取り憑かれた人に、悪霊出て行けと命令するパワーが私にあるので、
なぜこの命令を使わないで切に祈ることばかり考えるんですか。
12年間長地の病気に患われている女性に、イエス様が何て言うんですか。
娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して生きなさい。
もうその病気にかからず、元気に暮らしなさいと宣言します。
そうしたら彼女が治っちゃった。
主よ、この彼女を憐れんでくださり助けてください。
こんな祈りをしてなかった。聖書を読んでみてください。
命令宣言なんです。彼女が治っちゃったんです。
また、やいろの娘、ダリダクームと言われた。
そして、少女よ、あなたに言う。起きなさい。
やいろの娘が死にかかっていく。
その時にイエス様に来たのに、イエス様に来た後に、
家から人が来て、もう死んでしまいました。
しょうがないですね、と言った時に彼女が落胆しました。
イエス様は何て言うんですか。
続けて信じなさいと言われました。
続けて信じ続けたら、イエス様が家に行ってダリダクームとして、
死んだ彼女を生かしてくださいました。
イエス様は何て言うんですか。
神様に助けてください、神様この人を生かしてくださいと言ったんですが、
イエス様は命令しました。ダリダクーム、少女よ、起きなさいと。
これなんです。
パン5つ、魚2匹で5千人が食べた。
子供がパンと魚を持ってきました。
これで、この人に何ができますか。イエス様は何て言うんですか。
これを救うくらいの祈りをして、分け与えなさいと言いました。
だったら、5千人が食べて、12箱が残りました。
イエス様の働きのほとんど、もう一度福音書を読んでみてください。
ほぼほとんどが命令、宣言でした。
いわゆる14章12節にはっきり言っておく。
私を信じる者は、私が行う業を行い、またはもっと大きな業を行う。
信じる者は、私がやることも自分でやり、これよりもっと大きなこともできるから、
これから私がやったとおり、やりなさいと言う。
イエス様は、お願いしますと祈りをより、命令宣言の祈りがはるかに大きい。
イエス様の働きはほぼほとんどでした。
ですから、人たちもイエス様から学んだことを、そのままやりました。
始祷伝3章で、ペテロイヨワネがエルサレム神殿の美しい門に入ろうとするとき、
足がつかない人がいました。
この人に、金と金は私にない、私が持っていることをあなたに与える。
なされと、イエス・キリストを皆によって立ち上がりなさいと命令しました。
立ったら、彼が立ち上がりました。
喜んで喜んで、エルサレムはあちこち歩き回り、走り回りました。
それで、エルサレム全ての人が人たちの前に現れてくるのです。
命令でした、宣言でした。
始祷伝9章では、ペテロイヨワネが死んだ姉妹に、ダビデ、起きなさいと言われました。
お祈りします主よとじゃなくて、ダビデ、起きなさいと言いました。
命令したら、彼女は生き返られました。
シト・パウルは始祷伝14章中節に、ルストラで足がつかない人に、
彼が信仰を持っている人を見て、自分の足でまっすぐ立ちなさいと言われました。
そうしたら、彼が立ち上がりました。
喜んで歩き回りました。
何を言いたいのか、今年は切磋に祈ることもいいのですが、
神様に、イエス・キリストの力、教会の力、神の子供としての健性を持っている私たちですから、
イエス様は私がやったことを、私を信じる者がやるんだと言われたから、
私たちもこれから、命令、宣言の祈りをやりましょうということです。
これは、信仰を告白して神の子供になった私たちにくださった天国の鍵、その中で全部含まれています。
世の中で悪魔が縛っておいたものを、私たちが解いてあげなければいけない。
悪魔が断絶させたものを、私たちが繋がらなければいけない。
悪魔がやったことを全部、私たちが逆にやらなければいけないでしょう。
それを何を持ってするのですか。
命令、宣言でやるのです。
私たちはその祈りをこれから使いましょう。
今まで私もあまりたくさんやっていなかったんですけど、
皆さん、信仰の祈りも素晴らしいですよ。
最後まで祈り続けることも大事ですよ。
この上、命令の祈り、宣言の祈りをしましょうということです。
しかし、こんなに大事な祈りの特権ができない時があります。
どんな時ですか。
聖書、イザヤ59章1節2節。
主の手が短くて救えないというのか、主の耳が鈍くて聞こえないというのか、
むしろお前たちの悪が、神様とお前たちの間を隔てて、
お前たちの罪が神の御間を隠させ、お前たちに耳を傾けることを妨げているんだ。
ですから私たちは祈る前に、神様の前で私が隠されている罪がないのか、
神様の前で私が隠されている悪、悪いことがないのか、
これを考えながら徹底的に食い改めて、それで祈る。
徹底的に食い改める。
そうでしょう、私たちが自分の罪を公に表すなら、
神は真実で正しいお方ですから、私たちの罪を清めてくださる。
だから清い心で信仰を持って命令宣言、大事です。
もう一つは、第1話3章21節2節です。
愛する者たち、私たちは心に責められることがなければ、
神の御前で確信を持つことになり、
神に願うことは何でも叶えられます。
神様に何とか自分の悪いことをしたから、
神様に私が祈るんだって聞いてくださるかなと、自分が自分を責めています。
それに責められるような状況だったら、神様との間で何が問題なのか、
何で関係性がダメになっているのか、
なぜアダムとエヴァが、前悪の知識の木の実を食べてから、
神様が現れた時に自分の実を隠したでしょう。
なぜあなたは私を避けるのか、自分自身を隠すのか、
前悪の知識の木の実を食べてはいけないと言ったのに、食べちゃったから。
そのことがあったら早く悔いを改めて、
早く悔いを改めながら、神様との関係を取り戻しておいて、
祈る。
このことができれば、私たちの祈りを妨げるものはありません。