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2025-01-12 36:43

「新年、ソロモンから学びましょう」2025年1月5日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年1月12日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) マタイ-19 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」16. シモン․ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。17. すると、イエスはお答えになった。「シモン․バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。18. わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。19. わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

メッセージ題:新年、勝利の信仰生活の為に(マタイ-19)
*新年、勝利の生活、満足できる信仰生活の為に何より大事なのは・・・お祈りです。キリスト者に与えられている特権、皆が良く知っているお祈りについて、新年、改めて分かち合いたいと思います。*創造主、絶対的な神様の子供たちである私たちに、当たり前のことは勝利の生活です。
1.お祈りは、天の国の鍵です。
*私たちがイエス様を信じて信仰告白をするとき、神様が一番初めに与えて下さったのが天の国の鍵、お祈りです。マタイ16:16-19 なぜなら、人間の先祖、アダムとエバが蛇(悪魔)に騙されて罪を犯したからです。黙示録12:9,Ⅰヨハネ3:8、Ⅱコリント4:4この世の主人は?神様ではなく悪魔です。ヨハネ15:18,19この悪魔を勝ち抜く方法として与えて下さったのが、お祈りです。*しかし人間は自由意思があるので、神様が無条件、助けることが出来ず・・・マタイ7:7祈るとき#知ってもらいたいこと、創1:26この世のすべては神様が人間に任せたので、祈りがなければ神様が一番願うのは、祈る人!御旨通り祈ってくれる人!主の祈りで、御名が、御国が、御心が
*イスラエルのバビロンの捕虜の生活から解放?ダニエル9:2定められたとして?祈らなければ*祈るとき、気をつけること?天国で「ごみ」のような取り扱いされる祈り?神様が願われる祈りを
2.応答される祈り、勝利の祈りになる為に・・・
1)信仰の祈り、信じながら祈らなければ!成就されることを信じないのに祈る?神を冒涜すること!ヘブライ11:6,フィリポ4:6,7 祈ることは必ず成し遂げられると信じながら祈る。マルコ9:23
2)祈りは必ず成し遂げられますが・・・祈りを積み上げなければならない!祈っているが、なぜ早く、成就されないのか?黙示録5:8,鉢を満たされなければ。また祈りの邪魔が。それを突破しなければ。ダニエル10:12₋14・・・従って、イエス様が、ルカ18:1₋8弱いやもめの祈りを悪い裁判官が聞いてあげた理由?祈りを続けて鉢が満たされると?間違えた祈りをするときも?聖霊様の助けを*共同体の祈りの必要性!マタイ18:19何でも彼らの為に・・また、使徒1:14聖霊のリバイバルも
3)特に、強調したいこと!命令、宣言の祈り! ヨハネ1:12,マタイ16:18-19の意味?神の子供の権勢、教会の権勢を持っている私たちは・・・これ以上切に願い求める祈りだけでなく、命令、宣言の祈りをやりなさい!ヨシュア10:12-14で?切に願うのではなく命令を?マルコ5:8悪しき霊に?マルコ5:34長血の病の女に?マルコ5:41ヤイロの娘に?イエス様の働きの大きいな部分が命令、宣言でした。使徒3章でペトロとヨハネが3:6-8で、9:40、使徒14:10パウロが命令*これからは切に願うことも良いが、ときには命令、宣言の祈りを通して霊的な戦いで勝利を・・・
3.しかし、こんなに大事な、特権である祈りが・・・通じないときがあります。 二つの事によって!
*イザヤ59:1,2罪によって、Ⅰヨハネ3:21,22神様に責められることがあると!悔い改めながら
@新年度、勝利と確信の信仰生活の為に・・・天の国の鍵、神の子供の特権であるお祈りを正しく

サマリー

新年を迎えた2025年に、勝利する信仰生活を送るためには、祈りが重要な要素であるとされています。神様から与えられた祈りの特権を通じて、信者が神の意志を実現できることが強調されており、旧約のイスラエルの例も挙げられています。新年のメッセージでは、信じて祈ることの重要性と、祈りがどのように成し遂げられるかが語られています。また、共同体の祈りや命令の祈りを通じて、神の子供としての特権や教会の力を理解し、活用することの大切さも強調されています。2025年を迎えるにあたり、信仰に基づく命令と宣言の祈りの重要性が強調され、悪魔の縛りから解放される方法が示されています。神との関係を取り戻し、確信を持って祈ることで、信仰の力を活用し、勝利の年を目指すことが奨励されています。

勝利の信仰生活のためのお祈り
今日は、新年、勝利の信仰生活のために、という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
2025年度になりました。 2025年度は、2024年とは違う、
2025年度は、勝利の人生、 満足する信仰生活をやりたいと思います。
そのために、一番大事なことが何なのかと思った時に、お祈りではないかと思います。
キリスト者に与えられている特権があります。 このキリスト者に与えられている特権、これは何でしょう?
これが、お祈りなんです。 お祈りは素晴らしいものです。
ですから、このお祈りについて一緒に考えていきましょう。
創造主である、また、絶対者である神様。 私たちの父、天の父は、
全知、全能、絶対全能のお方です。 このような神様を信じている私たちキリスト者は、
当たり前ということが、勝利の生活です。 勝利の生活をどのように得られることができるか、
これがお祈りを通してです。 じゃあ、今日は信念の勝利の生活のために、お祈りについて一緒に考えていきたいと思います。
今日の聖書から見てますと、お祈りを天の国の鍵と言われました。
私たちがイエス様を信じて、信仰告白したばかりで、 イエス様が一番初めに私たちにくださったのは、
天の国の鍵です。これがお祈りです。 じゃあ、また16章、16節から少し読んでみましょう。
シモン・ペトロが、あなたはメシア、生ける神の子ですと答えた。 するとイエスは、
私はあなたに天の国の鍵を授ける。 あなたが地上で繋ぐことは天上でも繋がれる。
あなたが地上で解くことは天上でも解かれる。 と言いました。
なぜ、信仰を持ち始めたら、一番初めに天の国の鍵を授けるのか。
これは、人間の先祖アダムとエヴァが、
ヘビに騙されて、このヘビは目白く駐輪所を拒絶してしまったら、 これは悪魔だと言いました。
騙されて罪を犯すことによって、 悪魔がこの世を支配するようになりました。
この世の持ち主は、神様であることは当たり前ですけど、
地地述第2ゴリラと4章4節を見ますと、 この世の神は悪魔だと言います。
えっ、神様ではないのか。 神様の代理者アダムが、
サタンに従ったので、ヘビ、悪魔、サタンに従ったので、 それで全世界が悪魔の手の中に入ってしまいました。
悪魔が支配する世界。 この中で、神の子供が生きることは難しいです。
ですから、イエス様がこのように言われました。 要は、15章18節と19節です。
よがあなた方を憎むなら、あなた方を憎む前に、 私を憎んでいたことを覚えなさい。
あなた方が世に直していたなら、 世はあなた方を身内として愛したはずです。
だが、あなた方は世に直していない。 私があなた方を世から選び出した。
だから、世はあなた方を憎むのであろう。
では、この要は何でしょう? これは悪魔。 支配する世の中の持ち主になってしまった悪魔です。
このように、イエスを信じることになったキリスト者、 神の子供になった私たちは、敵の攻撃の的になる。
悪魔が誰を狙うのか。 自分の身内のものじゃなくて、自分の敵を狙うでしょう。
だから、悪魔は私たちを狙っているんです。 だから、私たちはどうすればいいのか。
だから、悪魔に勝てるように私たちに下さったことがお祈り、 天の国の鍵です。
ところが、私たちは神の子供だって、 神様は私たちを無条件助けることではありません。
何もしていないのに助けてくださることはありません。
なぜなら、ここに複雑な問題があります。 神様は私たちに自由意志を与えてくださった。
だから、自由意志をくださったから、 私たちが願ってもないのに、神様が助けてくださることはありません。
私たちは神を選ぶ自由もあるし、 悪魔に従う自由もあるんです。
だから、神様は私たちに自由意志を犯すことはなさいません。 私たちが願うとき助けてください。
これが難しいんです。 ですから、マタイ七章七説を読みますと、
求めなさい、そうすれば与えられる。 探しなさい、そうすれば見つかる。
門を叩きなさい、そうすれば開かれる。 求めないのに、くださることではありません。
私たちが勘違いしているのは、皆さん、親でしょう。 親は子供が何か、お母さんこれくださいと言わなくても、
お母さんが愛が深いから、子供が必要だと思っていることを あらかじめ何とかしやってあげる。
ここと勘違いをしてはいけません。 礼儀礼儀の法則はこれと違いますから。
だから、親が子供を愛するんだとしても、 何でも勝手にあげるような私たちと、
神様と私たちの関係は違います。 これは自由意思ということがあるからです。
神様が人間を作られた時、この世の中すべてを人間に任せました。
神様が人間に任せられたこのレベルは大抵どんなことでしょう。 完全に任せたんです。
創世紀1章26説、神は言われた、我々にかたどり、我々ににせって、人を作ろう。
そして世の中のすべてを支配させようとしました。
神様が全世界を作られて、全世界を人間に任せられた。
これは任せられたとしても、神様が何とされるでしょう。
違います。任せたとしたら、完全に任せられた。
ですから、神様さえもこの世に対して何かやろうとするなら、
人間からのお祈りがなければ、神様が勝手にできないということを考えていただきたいと思います。
なぜなら、人間に任せたから。 だから、人間をどうして働くことを考えなきゃいけない。
イスラエルの祈りと復帰
ですから、神様が一番願われる方は、祈ってくれる人。
特に、神の御胸通り祈ってくれる人が欲しいんです。
そうするとき、神の御胸がこの世に成し遂げられることができるからです。
かい、イエス様が私たちに、祈りを教えてくださいと言ったときに、
イエス様が教えてくださったのは、主の祈り。
主の祈りの始めは何ですか。
皆が崇められますように、御国が来ますように、
御心が天で行われたように、地でも行われますように。
皆さん、これが神様にはどれほど欲しい祈り。
そうするとき、神様が働くことができるからです。
ですから、神様が働くことができるように、
神様に祈ってあげる。 要請してあげる。
そうしたら、神様が働くことができるんです。
神様は、今私たちに、
あなたが繋ぐなら、私が繋ぐことができるし、
あなたが解くなら、私たちが解かれることができる。
ですから、私が働くことができるように、
祈ってくださいということは、
神様の切なる願いだと覚えてください。
この初めの事例として、
イスラエルが旧約聖書の終わりに、
パーベロンの捕虜になりました。
イスラエルの民がパーベロンまで連れて行かれて、
そこで捕虜になって、
捕虜ということは大抵難しい生活でしょう。
イスラエルが苦しんでいることを見ながら、
神様を苦しむでしょう。
なぜ神様をそのようにパーベロンに任せられたのか。
イスラエルが偽りの信仰、
誤った信仰をやりながら、
それを悟ることができないから、
ある期間を決めて、
イスラエルの人たちが悟るように、
パーベロンの国にイスラエルの人たちを任せられた。
この時間が無限じゃなくて、
70年ということを神様が定められました。
だったら、70年に過ぎたら、
もう自動的にイスラエルが戻ってくるのか。
そうではありません。
自動的じゃなくて、
70年になって戻ってくるためには、
地上から祈る人の声が必要です。
神様が決められたとしても、
祈る人がいなければ、その働きはできません。
ですから、エジケール36章、36節、37節でこう書いてあります。
主である私がこれを語り、これを行う。
しかし、再びイスラエルの家の祈りを受け入れて、
私はそれを行うと言われました。
イスラエルが祈りをしてくれ、
神様に祈る時、
神様はこの祈りを聞かれて働かれる。
ですから、ダネエルは1日3度も祈りました。
なぜ?神の身分を知っているから。
70年が今、もう眩しくなっているのに、
神様が働いて崩さなければどうするかと思って、
獅子の掘る穴に投げ込まれることを分かっていながらも、
1日3度祈るんです。
また、エルミア、エジケール、エズラ、ネーミア、
その種のしもべたちが切なる祈りを捧げて、
その祈りの答えとして、
イスラエルの人たちが帰還されたことを覚えていきましょう。
皆さん、私たちは預言の働きをします。
軌道支援機もやります。
そこで注意するべきことがあります。
なぜ預言の働きをするのか?
神の身分を分かったとしたら、
それで神様が自然にやってくださるんじゃないか?
違います。
預言の祈り、軌道支援機は、
神様の計画があるから、あなたが祈りなさいということです。
あなたが祈るなら、この計画が成し遂げられる。
あなたが祈らなければ、これは後々になって、
成し遂げるかもしれない。成し遂げられないかもしれない。
だから、預言の働きが私たちに必要な理由は、
神の身分を計画して、それをもって祈るためです。
だから、神様は私たちの祈りを聞いて、
働くことを、ぜひ覚えてください。
ところが、祈るとき、気をつけなければいけないことがあります。
ファン・カルロス・オルティス先生という、
南アメリカの先生ですけど、
その先生が書いた本があります。
私たちの祈りは、天国でゴミ扱いをされています。
私が祈っているのは、祈っているのに、
祈っていらっしゃる神様が、この祈りをゴミ箱にパッと入れてしまった。
そうしたらいけないじゃないですか。
ゴミ扱いをされる祈り、
その祈りをしてから、答えが来るようにと待っているのは、
これは間違えているでしょう。
ですから、神様が応えられる祈り、
神様が喜ばれる祈り、
その祈りをしなければなりません。
神様が応えられる正しい祈りは一体何でしょう。
まずはじめに、信仰の祈りです。
信じながら祈ることです。
これ大事なんです。
私たちが祈るなら、
私の祈りは必ず成し遂げられると、
信じなければなりません。
大勢の方は、祈るんだけど、
この祈りが成し遂げられるかどうなるか、
疑いを持って祈ります。
これは間違いです。
祈るんですけど、
不信仰の祈り、
心配の祈り、
不平不満の祈り、
それは大間違いです。
神様が一番願っていることは、
ヘブラリー書11章6節にあります。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。
神に近づくものは、
神が存在しておられること、
また、神はご自分を求める者たちに、
報いてくださる方であることを、
信じなければならない。
私が祈るなら、
必ず応えてくださる方だと信じてから、
祈らなければいけない。
祈るんですけど、
なぜ私にこんな辛いことをくださるんですか?
これ祈りですか?
神様に不平不満ばかり。
神様が一番嫌なのは、
信じてくれないで祈ることです。
神は全知全能。
神に不可能があるのか?
と言うんじゃありませんか?
ところが、
神を認めてくれない。
神を無視する。
神様を信じない。
そうしながら祈ることを、
神様はもう嫌がります。
ピリッポ4章6節7節。
どんなことでも思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、
感謝を込めて祈りと願いとさせる。
なぜ感謝を込めてですか?
必ず応えられるから。
そうすればあらゆるチンチンを超える神の平和が、
あなた方の心と考えを、
キリスト、イエスによって守るでしょう。
信じて祈る重要性
私たちは神様に感謝を込めて祈るということは、
できるから、必ず成し遂げられるから。
信じて祈るということです。
祈ってもできないこともあるよ。
大抵子供たちが少し祈ってみてできなかったとしたら、
祈らない。
できないんだもん。
このような話は、
これは子供、信仰がないからこの話をするでしょう。
私たちが祈るのは必ず成し遂げられると、
信じて祈ることは大事です。
マルコ9章23節。
イエスは言われた、
できればというのか、
信じる者は何でもできる。
できればというのか、
信じる者は何でもできる。
まずはじめに、
信じて祈る。
信仰の祈りをすることです。
信仰の祈りじゃなくて、心配の祈りは、
天国ではゴミ箱に入ります。
覚えていきましょう。
2番目。
祈りは必ず成し遂げられるんですけど、
祈りは積み上げなければならない。
これは、上のことと延長前像で申し上げることですけど、
祈るのになぜ早くできないのか、
これじゃないですか。
しかし、祈るところに、
祈りは積み上げなければいけない。
じゃあなぜなのか、ダニエル書でその答えがあります。
ダニエル書10章12節からずっと読んでいますと、
ダニエルが祈るとき、神様に聞かれました。
そして答えが来るんですけど、
それを妨げる勢力があるんです。
よくわからないこと、第1の点、第2の点、第3の点、
私たちもその世界よくわからないから、
神様に祈ったら、神様の答えが来るんですけど、
それがダニエル書で見ていますと、
答えが来るときに、これを邪魔する者たちがいた。
それを通してくるのに時間がかかったということです。
じゃあここで大事なのは、邪魔する者を突破する。
それを潰して、それで私たちのところに届くようにするためには、
祈りを続けていかなければならないことを覚えていきましょう。
イエス様もこう言われました。ルッカの18章1節2節。
落胆しないで続けて祈りなさいという意味で、
イエス様が例えを言われました。
ある悪い裁判官がいます。神も無視する悪い裁判。
その裁判官に弱いやもめが、自分のこの悔しい願いを
裁判官に求めるんですけど、悪い人ですから、
裁判官は聞いてくれません。
じゃあ、しかし裁判官は聞いてあげなきゃいけなかった。
どうしてですか。
いつも来てから煩わせる。
やってください、やってください、やってください。
だから、悪い裁判官だとしても、自分がこの方の祈りを
応えしてくれなければ、自分自身が耐えられない、つらいから、
早く聞いてあげようとする心で聞いてあげた。
だから、あなたたちもこのように祈りなさい。
悪い裁判、神様は悪い裁判官じゃないです。
良いお方です。
だから、あなたたちの粘り強い祈りを、
神様は必ず聞いてくださるんだよ、ということです。
皆さん、祈りを続けなきゃいけない理由があります。
続けて祈るなら、始めは答えがないとしても、
ある段階に届くなら、次々と答える。
私は息子のために、何年ですか、長い祈りをしました。
ある段階になったら、これを前に色々な辛さを持って祈ったことが、
この後、ずっと続き続き答えが来るんですね。
祈りは積み上げなきゃいけない。皆さん、心配しないでください。
アグスティンのために、モニカというお母さんが言い続けて祈りました。
アグスティンは、もう聖アグスティンになりました。
神学分野でキリスト教と、素晴らしい教父になりました。
皆さん、必ず祈りは答えられるんですけど、
積み上げれば積み上げるほど、
長く長く祝福が与えられることを考えていきましょう。
だから、祈りはやめてはいけません。必ずできるから。
祈りは諦めてはいけません。
また、続けて祈らなきゃいけないこと。
祈りの積み上げ
皆さん、祈り、私たちは祈るんですけど、
神様が見られるのに、これが正しい祈りなのか、
これは今の状況でいい祈りなのか、
私たちは分別できません。早くここに逃れたいから祈るんでしょう。
続けて祈るなら、神様が祈りを変えてください。これが大事です。
神の身群に合う祈りとして変えてください。
これ、続けて祈ってみない人は分かりません。
だから、続けて祈ることが大事だということです。
しかし、祈りは答えもこない、祈りを続けてやるのは非常に難しいです。
ですから、この祈りを共同体で、
家族皆さんと共に祈ることは非常に大事です。
神様は共同体の祈りを喜んでおられます。
また、18章19節にこう言います。
また、はっきり言っておくが、
どんな願い事であれ、あなた方のうちに二人が地上で心を一つにして求めるなら、
天の父はそれを叶えてくださる。
他の聖書では、あなたのために叶えてあげる。
私たちが二人が心を合わせて神様につくっと祈るなら、
共同体のために神様が聞いてください。
神様は共同体が大好きな方です。
神様ご自身も共同体として存在される。
共同体の祈りは素晴らしいです。
また、リバイバルがどこに行くのか。
1章14節には、彼らはみんな、夫人たちも、
イエスの母マリア、またイエスの兄弟たちも、
心を合わせて熱心に祈っていた。
そうする時に、ペンテコスのリバイバルが来ました。
そうです。私たちが心を合わせて、
熱心にリバイバルが来る時まで祈り続ける。
これは大事なんです。
諦めないで、持続的に祈る。
そうしたら、祈りが積み上げられ、積み上げられ、
積み上げられ、積み上げられたら、
この後、爆発的に答えが来るんですけど、
次々と答えが来る。
これを皆さん、イメージを持って祈ってください。
必ず成し遂げるから。
祈りが間違えたら、祈りの題目を変えてくださるほど、
神様が祈りを願っておられる。
ぜひ、信じて祈りましょう。
教会の力と宣言の祈り
最後まで祈りましょう。
ところが、今日、私が皆さんに申し上げたいのは、
この3番目のことです。
命令、宣言の祈りをしましょう。
言われ一書中二節、しかし言葉は自分を受け入れた人、
その名を信じる人々には、神の子となる資格を与えた。
信教同体。
しかし、神科学では、神の子供となる特権を与えた。
神の子供の特権とは一体何でしょう。
また、また一六章中八節から見てみますと、
私は言っておく、あなたはペテロ。
私はこの岩の上に教会を建てる。
黄泉の力がこれに対抗できない。
教会の力。
黄泉の力が対抗できない。
黄泉の悪魔、サタンでしょ。
サタンの力が対抗できないほどの、驚くほどのパワーが教会に持っている。
教会同士でそんな力を持っていますか。
教会の頭がイエス様だから。
イエス様を持っている力が、教会の力であり、
教会に直している私たちの力なんです。
じゃあ、これを持って何をすればいいのか。
これを今日一緒に考えていきたい。
これを持って繋ぐなら、天で繋がれる。
地上で解くなら、天上でも解かれる。
一体これはどんな意味でしょう。
それが命令、宣言の祈りです。
私は新たに申し上げたいのは、祈るといった時に、いつもお願いします、お願いしますじゃなくて、
これから大事なことがある。
神の子供の力と教会の力を用いて、これを持って宣言する、命令する祈りなんです。
聖書を読んでみてください。
たくさんありますよ。
旧約聖書、ヨーシュワ十章では、ヨーシュワがカナーンの5つの国の王たちと戦います。
戦争をして、神様はもう5つの国の王をヨーシュワの手に任せられた。
だからもうこれは勝つように決まっているという気持ちで戦争をしているんです。
日が暮れるんですよ。
太陽が沈む。
だったら明日戦わなければいけない。
どうする。
今日はこれを全部抜粋しなければいけない。
それでヨーシュワが何をするんですか。
太陽止まれ、月を止まれ、命令をします。
大自然に向かって命令します。
これが何ですか。
これが神の子供の健性、神の子供のパワーなんです。
だったら1日中、太陽が止まって、月が止まった。
地球が止まっちゃったんです。
宇宙が止まっちゃったんです。
こんなことがあり得るのか。
あり得ます。
イエス様の力が私たちにあるからです。
イエス様は全世界の持ち主、創造主、全世界の持ち主のパワーが私にあるので、
それを持っていながらも持っていないように生きている私たちが間違えているんです。
この力を覚えながら、これから宣言する、命令する。
イエス様が汚さの悪霊に取り憑かれた人に、
イエス様のところに来る時、イエス様は何て言うんですか。
汚れた霊、その人から出て行け。
イエス様に私たちはどう祈りますか。
神様、この人を憐れんでください。
この人から悪霊を追い出してください。
神様が追い出してください。
お願いをするのは慣れてますけど、
この悪霊を取り憑かれた人に、悪霊出て行けと命令するパワーが私にあるので、
なぜこの命令を使わないで切に祈ることばかり考えるんですか。
12年間長地の病気に患われている女性に、イエス様が何て言うんですか。
娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して生きなさい。
もうその病気にかからず、元気に暮らしなさいと宣言します。
そうしたら彼女が治っちゃった。
主よ、この彼女を憐れんでくださり助けてください。
こんな祈りをしてなかった。聖書を読んでみてください。
命令宣言なんです。彼女が治っちゃったんです。
また、やいろの娘、ダリダクームと言われた。
そして、少女よ、あなたに言う。起きなさい。
やいろの娘が死にかかっていく。
その時にイエス様に来たのに、イエス様に来た後に、
家から人が来て、もう死んでしまいました。
しょうがないですね、と言った時に彼女が落胆しました。
イエス様は何て言うんですか。
続けて信じなさいと言われました。
続けて信じ続けたら、イエス様が家に行ってダリダクームとして、
死んだ彼女を生かしてくださいました。
イエス様は何て言うんですか。
神様に助けてください、神様この人を生かしてくださいと言ったんですが、
イエス様は命令しました。ダリダクーム、少女よ、起きなさいと。
これなんです。
パン5つ、魚2匹で5千人が食べた。
子供がパンと魚を持ってきました。
これで、この人に何ができますか。イエス様は何て言うんですか。
これを救うくらいの祈りをして、分け与えなさいと言いました。
だったら、5千人が食べて、12箱が残りました。
イエス様の働きのほとんど、もう一度福音書を読んでみてください。
ほぼほとんどが命令、宣言でした。
いわゆる14章12節にはっきり言っておく。
私を信じる者は、私が行う業を行い、またはもっと大きな業を行う。
信じる者は、私がやることも自分でやり、これよりもっと大きなこともできるから、
これから私がやったとおり、やりなさいと言う。
イエス様は、お願いしますと祈りをより、命令宣言の祈りがはるかに大きい。
イエス様の働きはほぼほとんどでした。
ですから、人たちもイエス様から学んだことを、そのままやりました。
信仰に基づく祈りの重要性
始祷伝3章で、ペテロイヨワネがエルサレム神殿の美しい門に入ろうとするとき、
足がつかない人がいました。
この人に、金と金は私にない、私が持っていることをあなたに与える。
なされと、イエス・キリストを皆によって立ち上がりなさいと命令しました。
立ったら、彼が立ち上がりました。
喜んで喜んで、エルサレムはあちこち歩き回り、走り回りました。
それで、エルサレム全ての人が人たちの前に現れてくるのです。
命令でした、宣言でした。
始祷伝9章では、ペテロイヨワネが死んだ姉妹に、ダビデ、起きなさいと言われました。
お祈りします主よとじゃなくて、ダビデ、起きなさいと言いました。
命令したら、彼女は生き返られました。
シト・パウルは始祷伝14章中節に、ルストラで足がつかない人に、
彼が信仰を持っている人を見て、自分の足でまっすぐ立ちなさいと言われました。
そうしたら、彼が立ち上がりました。
喜んで歩き回りました。
何を言いたいのか、今年は切磋に祈ることもいいのですが、
神様に、イエス・キリストの力、教会の力、神の子供としての健性を持っている私たちですから、
イエス様は私がやったことを、私を信じる者がやるんだと言われたから、
私たちもこれから、命令、宣言の祈りをやりましょうということです。
これは、信仰を告白して神の子供になった私たちにくださった天国の鍵、その中で全部含まれています。
世の中で悪魔が縛っておいたものを、私たちが解いてあげなければいけない。
悪魔が断絶させたものを、私たちが繋がらなければいけない。
悪魔がやったことを全部、私たちが逆にやらなければいけないでしょう。
それを何を持ってするのですか。
命令、宣言でやるのです。
私たちはその祈りをこれから使いましょう。
今まで私もあまりたくさんやっていなかったんですけど、
皆さん、信仰の祈りも素晴らしいですよ。
最後まで祈り続けることも大事ですよ。
この上、命令の祈り、宣言の祈りをしましょうということです。
しかし、こんなに大事な祈りの特権ができない時があります。
どんな時ですか。
聖書、イザヤ59章1節2節。
主の手が短くて救えないというのか、主の耳が鈍くて聞こえないというのか、
むしろお前たちの悪が、神様とお前たちの間を隔てて、
お前たちの罪が神の御間を隠させ、お前たちに耳を傾けることを妨げているんだ。
ですから私たちは祈る前に、神様の前で私が隠されている罪がないのか、
神様の前で私が隠されている悪、悪いことがないのか、
これを考えながら徹底的に食い改めて、それで祈る。
徹底的に食い改める。
そうでしょう、私たちが自分の罪を公に表すなら、
神は真実で正しいお方ですから、私たちの罪を清めてくださる。
だから清い心で信仰を持って命令宣言、大事です。
もう一つは、第1話3章21節2節です。
愛する者たち、私たちは心に責められることがなければ、
神の御前で確信を持つことになり、
神に願うことは何でも叶えられます。
神様に何とか自分の悪いことをしたから、
神様に私が祈るんだって聞いてくださるかなと、自分が自分を責めています。
それに責められるような状況だったら、神様との間で何が問題なのか、
何で関係性がダメになっているのか、
なぜアダムとエヴァが、前悪の知識の木の実を食べてから、
神様が現れた時に自分の実を隠したでしょう。
なぜあなたは私を避けるのか、自分自身を隠すのか、
前悪の知識の木の実を食べてはいけないと言ったのに、食べちゃったから。
そのことがあったら早く悔いを改めて、
早く悔いを改めながら、神様との関係を取り戻しておいて、
祈る。
このことができれば、私たちの祈りを妨げるものはありません。
神との関係を取り戻す
悪魔も妨げることはできません。
ですから私たち今日、大事なポイントをしっかり覚えて、
今年は信仰の祈りをやりましょう。
不平不満、これは一番悪いことです。
心配しながら祈る、これはダメなんです。
信じて祈りましょう。
私が祈るのは必ず成し遂げられる。
信じましょう。
2番目、できるときまでやりましょう。
なぜ、答えが来るところで何か妨げるものを突破してくるように、
突破して私に届けるように、続けて祈りましょう。
3番目は、命令、宣言の祈りをやりましょう。
皆さんやってみてください。
親は子供に祝福する権利があります。
これは権制があります。
自分の子供を祝福しない親は、この親じゃないでしょう。
だから子供に対して思い存分祝福する。
もう昔、最初は最初の祈りがありました。
恋愛に懲られすべての人に祝福の祈りをしてあげるのは、
最初の当たり前のことじゃありませんか。
だからこの祈りを、命令、宣言、宣言すること大事です。
ぜひとも私たち今年、これを自分のしっかり覚えて、
家庭を生かし、子供たちを生かし、
教会を生かし、そして周りの方々を生かす。
サタンの縛りから解く。
すべて抑えられているところから解放される。
私たちになりましょう。
祈りのパワーがキリスト者のパワー。
これがないのにキリスト者と言えるでしょうかという、
私たちは今年これを徹底的に使って、
勝利の2025年になりますように。
お祈り出します。
主よ、私たちがイエス様を信じる神の子供だと言いながら、
世の中の人々と同じような生活をしてきて、
心配してきたことを悔い改めます。
信念は今日のメッセージのように、
正しい祈りを、信仰の祈りを、
神の子供らしく行って、
生きていって、勝利する信仰にならせてください。
イエス様の皆を通してお祈り致します。
アーメン、アーメン。
36:43

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