エミコラボの開始
あ、おはようございます。
おはようございます。
これで大丈夫かな?
【ウサギ年生まれ】さん、聞こえますか?
はい、聞こえます。
よかった、ありがとうございます。
すいません。あ、これも始まってますね。
そう、なんか、そうそう。
で、ちょっとまだスタイフに慣れてない第二弾となってますが。
なんかさっき始めて、
なんか後からライブ配信とかってできるのか、
ちょっとよくわかんなくてですね、もう配信しております。
はい。
そうなんですね、すごい。
もう聞いてらっしゃる方いるかもしれないってことですよね。
いるか、え、でも聞いてたら多分参加してくださる方が
こうコメントに、
え、わかんないでどうなってるんですかね。
多分今は誰もいらっしゃらないかな。
どうなんですかね。
わかりました。
はい。
なので10時からなんですけど。
あ、そっかそっか、まだ10時じゃないってことですね。
そうそう、一応心の準備は。
ちょっとあのね、私あの事前のあれちょっと思い出した。
でもあの、今回ね、あの、
エミューコラボさんの今回のこの企画というか、
企画の趣旨というのはちょっとあの、
どういうものかなーっていうのはある程度
伺ってはいるんですけど。
何て話したらいいのかなーっていうのをね、
なんかずっと考えたんですけど。
ちょっと私の方からね、いろいろ質問させていただいたり、
あの普通のいつも通りね、おしゃべりしながら、
あの方の力を抜いて楽しく、
はい、参加してもらえたらなと思ってます。
はい。
じゃあもうすぐですね。
もうすぐですね。
あ、なんか音楽流れるよね。
あ、そうそうそうそう。
なんかね、多分ね、
あのライブ中はない方が聞きやすいのかなと思って、
後であのー、
入れるんだ。
そうそう、配信する時に裏に入れようかなっていう感じですね。
ちょっとなんか、まず使いこなせてね、
誰か教えてくださいって。
あれすごい良いよね。
ほんとラジオっぽいですよ。
あ、そうそうそうそう。
なんかあのー、すごい良いなーって聞いてました。
はい。
なので、じゃあ10時になりましたので、
自己紹介とキャリア
はい。
始めますね。
じゃあというわけで、
3,2,1って感じですけど、
これでいいのかな。
はい、おはようございます。
おはようございます。
今日はもう2月ですね、2月の2日。
月曜日。
未来を編むホームルーム学びのウィーバー、えみこです。
ウィーバーとは糸を紡ぎ編む人のこと。
今日はその糸を、
うさぎ年生まれさんと一緒に編んでいきます。
はい。
このチャンネルでは、
ママ・子ども・学校・地域をつなぐ視点から、
日々の気づきや学びをお届けしていきます。
ママの笑顔、子どもの笑顔、
全国のママたちへ、
今日はコラボパワーを送ります。
ということで、はい。
拍手。
ありがとうございます。
最初ね、あの、
今日のコラボ、
みゆきさんに続き第2弾ということで、
うさぎ年生まれさんの紹介を、
ちょっと私からさせてください。
うさぎ年生まれさんはですね、
あの、去年、
ん?もう10年?
あ。
2000、あれ?
去年じゃないですか。
去年か。
去年の、でも10月、
そう、キャリアコンサルタントを、
あの、私が資格取得するにあたっての、
その前段階の養成講座の中で、
あの、出会った仲間の一人です。
はい。
その学び結構な大変だったんですよね。
あの、ずっともう毎週火曜日、
長くズームでね、
もう朝9時、あれ?9時でしたっけ?
9時から、
9時6時じゃないですか。
ね、9時6時を毎月ね、
毎月?
毎週です、毎週。
毎週だよね、そうだよね。
毎週火曜日じゃなかったかな。
毎週火曜日だよね。
毎週火曜日9時6時で、
ズームでもう何時間もね、
共に、
お!
4号が起きたかな?
あ、起きてないな。
はい。
はい、仲間。
何人くらいいたんでしたっけね?
その時の養成講座。
20名くらいいらっしゃったと。
そうですよね。
20名くらい、
5画面越しに初めましての方も、
あの、ズームなので、
地域はいろんなところの方とか、
あと振り替えで、
ホットで単発で入ってくる方とかもいて、
そういった中で、
みんなで学んでいくっていう時間があって、
その時に、
初めてお会いしたんですよね。
そうですね。
オンライン上でね。
そう。
でも絶対、
うわ、絶対来合うなみたいな思って。
まさかのね。
思われていただいてたみたいでね。
こっちからね、思ってたんですけど、
それも試験会場ですね。
3月2日の。
そうでしたね。
試験会場の、
まさかの後ろの席っていう、
奇跡的な、
再会なんだか何回目なんだか、
わかんないですけど、
初めましてなんだか、
再会なんだか、
話したけど、
出会っても、
その日試験の後、
お茶して、
ご飯まで行っちゃう、
みたいなところから始まっていて、
でも何度か、
いろんな話をしたりする中で、
今日に至るっていう、
そんなね、
うさぎ年生まれさんになります。
今日、
うさぎ年生まれさんの、
キャリアとかも、
今の生きてる姿が、
本当激アツでしてね。
ぜひ、
おみくらもやってたら、
もうやって、
って言ったらもう、
快諾してくださっての、
第2弾っていう風になっております。
そうですね。
付け足しあります?
何々?
付け足し?
付け足しは大丈夫です。
ご紹介いただきまして、
誠にありがとうございます。
海外経験の影響
じゃあちょっと、
うさぎ年生まれさんの方から、
自己紹介で、
今どんなことやってるのかなとか、
その辺ざっくり、
お話聞いてもいいですか?
はい。
自己紹介。
名前の通り、
うさぎ年生まれなんですけど。
アイコンネコだけどね。
アイコンネコなんですけど、
アイコンはちょっと快諾。
うさぎ年生まれっていうだけでね、
うさぎ年生まれの代表みたいな感じになっちゃう、
ということではなくて、
ただうさぎっていうのを使いたかったっていう、
ただそれだけなんですけど、
そうですね。
うさぎ年生まれって、
大体年齢わかっちゃうかなと思うんですけど、
私の紹介を最初から言って、
今現在、
会社を経営させてもらっていて、
代表取締役という形で、
参画させてもらってるんですけど、
人材紹介を主に、
授業としてやらせていただいております。
お話の中でね、
今なんでそういう風な形に至ったのか、
みたいな話になってくと思うんですけども、
学生時代だったりとか、
その時から海外に行くバランスだったりとか、
そういうことも経験が多々あって、
そういうところも含めて、
その中で自分の中でいろんな経験とか、
そういうのを紹介していった中で、
今に至るみたいな感じになっているのかな、
とは思っているんですね。
ただ、3、4年前とか、
今回会社を立てたのは、
1社目の会社を立てたのは、
もう3、4年前。
3年前とかになるのかな。
そのちょっと前まではね、
自分で会社やろうとなんていうのは、
一つも思ってなかったんですよね。
まさか自分の会社をやるっていう風には、
全く考えていなかったので、
今まで積み重ねてきたものが、
今形になってきているのかな、
という風には思っていますね。
かっこいいですね。
なんですかね。
えみちゃんもそう言っていただけるという感じなんですけど、
かっこいい大人が好きでした、
若い学生の時から。
学生の時からかっこいい大人が好きなんですね、おきさん。
好きだったと思いますよ。
うさぎとしんわりさんですね。
ばれましたね。
ばれましたね。
大丈夫です。
そういうところもとから性格的にあったのかな、
という風には思いますけどね。
ちょっとその辺も、
今まさかだったみたいな話もあったし、
学生の時からの海外経験とか、
そういったところも今の生き方、
働き方につながっているのかな、
という風に自己紹介からも感じられたんですけど、
エミコラボの際、
事前に対談者の方に事前アンケートさせていただいているんですが、
そこにも書いてあることもお聞きしながら、
またこうやってね、
対話の中で私が聞きたくなったことを聞いて、
うさぎとしんわりさんを深掘りしていく、
という風な時間にしたいと思いますので、
もしこれから聞いている方とか、
こんなこと聞きたいよっていうのはありましたら、
コメント欄で教えてください。
今は聞いてて思ったんですけど、
学生時代から海外経験のところちょっと、
それが今の人材派遣の会社経営というところに、
繋がっているのかなって聞いてて思ったんですけど、
その辺ちょっと詳しく聞かせてもらってもいいですか?
はい、そうですね。
多分海外経験というか、
いろんなお仕事、
海外を行ったり来たりして仕事をやっている方も
たくさんいらっしゃると思いますし、
そういう方と比べて別に多いかどうかっていうのは
また分からないんですけど、
まず高校3年生の時ですね、
台湾の方に交換留学という形で行かせてもらって、
1年前から留学する先について勉強したりとか、
オリエンテーションをやったりっていうのをするんですけど、
一応語学留学という形じゃなくて、
国際診前という形での交換留学だったので、
行き先を選べなかったんですよね。
それに参加するっていうのに。
国際交流をするっていう。
名目で言うと国際ロータリークラブという
辞典団体があるんですけど、
そこのプログラムの一つとして、
青少年交換プログラムの一つとして
私は台湾に行くことになるんですが、
それの勉強期間が1年間ぐらいありまして、
高校2年生の時に
いろいろやっていくんですけど、
その中で、
アメリカ留学への思い
行きたい国っていうのを3個国選べるんですね。
ただそれは、
希望を出せるだけで決まるわけじゃなくて、
必ずそこに行けるっていうわけではなくて、
希望を出せるっていうだけだったんですね。
私がその勉強期間の中で、
いろんな国に行った先輩たちの話を聞いたりとか、
国際ロータリークラブとかどういうことを
してるのかとか、
実際、高校生が海外に行って
ホームステイするっていう形になるので、
いろいろ考えながら話を聞きながら、
当時は私は海外とか外国って
アメリカしかないと思ってたんですよ。
アメリカしかないって思ってたんですね。
アメリカしかないって思ってたの、当時。
中高生の時ね。
私はアメリカに行きたいと思ってたんですね。
アメリカに行きたいってもともと思ってらしたんですね。
そうなんですよ。
へー。
それもね、今考えたらすごいなーっていう感じあるんですけど。
で、もともと上に兄が2人いるんですけど、
兄も海外の音楽だったりとか、
そういうのがすごく好きで、
学生時代に短期で自分で留学したりとかしていた。
影響もあったんで、
自分も行きたいなーみたいなのがあったんですよね。
で、アメリカしかないと思ってたので。
当時アメリカしかないって思ってた当時の
うさぎとしまるさんはいくつぐらいですか?
17歳じゃないですか。
17歳の時はアメリカしかないって思ってたんですよね。
思ってたんですよ。
アメリカに行きたいし、アメリカの文化に触れたいというか、
どういうものなのかみたいな感じだったんですよね。
当時って多分、ALTの先生ぐらいしかこう、
そういう欧米文化の方と触れ合うなんてことは
なかったんじゃないかと思うんですよね。
確かにそうかもしれない。
あとはなんかクラスにいるね、
ハーフの友達とかそんな感じですよね。
帰国子女の子とかね。
東京とかだったら多分そういう方、
多分いらっしゃったと思うんですけど、
あの埼玉、私埼玉田舎出身なんですよ。
土井田舎出身で、その帰国子女って名前は知っていたものの
実際そういう方とかもいなかったと思うんですよね。
じゃあ本当にアメリカしかないって思ってたじゃん。
本当だかもしれない。
先生、外国語の先生ぐらいしかいなかった中で
そう思ってた当時の。
そうですね。
すごいあれですよね。
降参の時に、そしてなぜ台湾にってとこも。
そうですよね。
なんか当時いろんな国に、
アメリカどこの国だけじゃないんですっていうね、
一応国際新全団体なんで、
なんかいろんな国と連携しながらやっていたので、
アメリカももちろん、カナダとかオーストラリア、
あとヨーロッパも含めてスイス、フィンランド、
あとアジアはタイと台湾と、
いろんな国に先輩方が行かれてたんですよね。
で、その私の台湾の時は、
アジア圏が台湾しかなかったのかな、行ける。
オカンで行けるところが。
で、いろいろ皆さんの話を聞いてて、
外国はアメリカだけじゃないってことは分かったんですよ。
まして、その先輩たちも楽しそうだと。
ヨーロッパにいた先輩たちも、
いろいろ皆さん苦労されて苦労話も聞いたりとか、
でもこういうことも楽しかった、こういうこともあったみたいな話も聞いて、
なんかアメリカだけじゃないし、
むしろ文化がこんだけあって、
せっかくの機会だし、
違う国に行くのもいいんじゃないかなと、
考え始めて、
もはや最後はどこでもいいぐらいな感じだったんですよ。
世界はアメリカだけじゃないってことを言ったら、
選択肢広がってもどこでもいいぐらいな。
そうですね。
広がって、でも希望を出さなきゃいけないんで、
とりあえず第一志望はアメリカで、
第二志望にヨーロッパのどっかの国に入れましょうと思って、
その時やった候補が確かスイスかな。
スイスがあったんで、スイス希望を。
で、3番目に入れましょうと思って台湾って書いたんですよね。
台湾への経緯
同期参加者の中で台湾って希望書に書いたのは私だけだったんですって。
はいはいはい。
それならじゃあ、うさぎ年さん行ってほしいよ、
みたいなのを言ってくださいっていうのが決まりまして、
そこで台湾に始めていくことが決まったんですが、
私はそこで台湾という国がどこにあるのかすら知りませんでしたね。
当時高3のうさぎ年生まれさんが。
なんとなくいろんな世界誌だったり授業の中で出てくる言葉ではあるので、
なんとなくぐらいにしか分かってなかったんですけど、
実際自分が行くってなるってことが決まって、
おやおやみたいな。
もともと海外にアメリカに興味があったっていうことと、
あとタイミングというか、台湾に行くってことは結構偶然に近い。
そうですね、偶然じゃないですかね。
私何も決めて、行きたいって書きましたけど、
決めたのは団体側なので、偶然じゃないですかね。
それもすごく面白いなって思って、
運命というか台湾に導かれてたのかもしれないなって聞いてて思ったんですけど、
まだ会社経営に至るまで全然先に行くんですけど、
台湾に行ったことっていうのは結構今につながってるんですか?
たぶん私の人生の中では分岐点の一つだと思いますよ。
やっぱりそうなんですね。
ターニングポイントですか?今で言う。
ターニングポイントってどんな世界からどんな世界にポイント?
時点感だったり、人生が変わったりとか、その変化についてちょっと聞いてもいいですか?
台湾に行って、これがうさぎ年生まれさんに与えた影響とかって。
多大なる影響が。
台湾に行くっていうことが、当時2000年代の前半だったと思うんですけど、2000年代入ってたんで。
国際情勢的にもって言うんですかね。
私の高校生だったのであまり理解してはいなかったんですけども、
日本のビジネス上中国というエリアは欠かせないところになってくるっていうのは、
世界の中ではいろいろビジネスが活発になり始めたっていうのがあって、
まずルダリ大団っていうことで、ビジネスをされている経営者の方たちが団体として作っているところなので、
学生を交換留学として台湾や中国圏に入れるっていうのは、
自然な流れではあったんですけど、実際高校生たちが行きたい国って、
みなさんやっぱりアメリカとか欧米に行きたいので、台湾に行ってくれって言われて、
嫌だって言われる可能性もあったんですけど、
なかなか行きたいって言う人に巡り合わなかったんで、
多分私が行ったみたいなところあったんじゃないかなと思うんですけど、
私も行くことが決まって、いろいろ調べてみたんですけど、
台湾に行くことが決まって、
巡り合わなかったんで、多分私が行ったみたいなところあったんじゃないかなと思うんですけど、
私も行くことが決まって、いろいろ調べるわけですよね。
現地の人たちがどういうふうな生活をしているのか、どういうものが生活習慣としてあって、
みたいなのがいろいろ自分の中で調べていって、
そういうのが宿題としてあるんですね。
行く前に事前に。
そういう発表とかもしていく中で、
台湾に行きますっていう話もしたりとかして、
行くまでの間に結構自分の中で台湾に行くっていうのは結構、
あまり実感というかね、
いろいろ調べているもののよくわからない感じはあったんですけど、
でも行ってみないとわからないだろうっていうのは根底になったので、
留学生活の実際
あまり考えず行くまで淡々と準備を進めて行ってみましょうみたいな感じだったんですね。
でも当時、言うても高校生ですから、
結構家族と離れて初めて、飛行機とかも初めて自分で乗るみたいな。
国内含めても台湾が初めてぐらいの?
たぶん国内は、旅行とか修学旅行とか乗った記憶はあるんですけど、
海外にお一人、海外に行くっていうのも初めてだったと思うし、
大冒険ですよね。
高3のウサギ年生まれさんに乗って。
親はね、仕事の関係とかいろいろ行ったりとかしてましたけど、
私は一緒に行ったタイミングではなかったと思うんですよ。
初めて乗って、初めて親と離れて生活するみたいな感じだったので、
結構自分の中の、すごい自立してみたいなすごく、
始まっていったんじゃないかなっていうのを今感じますね。
大人への一歩というか、親離れみたいな思いがあったかもしれないですね。
今のウサギ年生まれさん、私はまだ知らないですけど、
当時から、とりあえずやってみなきゃ分かんないですとかね。
新しい世界、台湾も新しい世界の一つだと思うんですけど、
新しい世界に飛び込んでみるっていう思い切りの良さとか、
勇気っていうのを今聞いてて感じましたね。
すごいですね。
そこからまた台湾留学を経て、その後もちょっと聞きたいんですけど。
時間大丈夫ですかね。ごめんなさいね。
全然大丈夫ですよね。
すぐるさん、おはようございます。ウサギさんに引かれてきましたっていうことで。
ありがとうございます。すごい、本当だ。ありがとうございます。
もし聞きたいことあれば、ぜひコメント欄でお願いします。
まだ学生後産から大人になってないので、その後もちょっと聞きたいですね。
でも、行くんですよね。台湾はホストファミリー4つお世話になりました。
4つ?
3ヶ月に1回変わった感じなんですけど。
どのくらいの期間を台湾に行って過ごしたんですか。
1年間ですかね。
1年間。
週に11ヶ月とかだけど、大体1年みたいな感じで。
その間ホストファミリーが変わっていくっていう感じ?
そうですね。やっぱり1つのホストファミリーで1年間留学、結構負担が大きいんですよね。
ホストファミリーの中でも。
それと合わせてやっぱり、いろんなホストファミリーの方たち、皆さん同じクラスの生徒さんのお家を回ったんですよ。
同じクラスの生徒さん。
同級生のお家でお世話になったって感じ、3ヶ月ごと。
留学先の学校、同級生の誰かん家に転々と行こうみたいな。
面白い。
そういった企画というか計画というか、いろんな準備は第一ホストファミリーのホストマザーとホストファザーがしてくださっていて。
入って初めての3ヶ月は第一ホストでお世話になったんですけど。
同じみんな忙しいっていうのと、あと学校との調整で、クラスの子たちもやっぱり外国人との関わりだったりっていうところをやるのもいいんじゃないかっていうところで、クラスのお家で。
有志って言うんですか、私を受け入れてもいいっていうお家。
台湾での生活と影響
集まってくださったホストファミリーの方。
ホストファミリーでやっていただいて、学校とかもそのホストシスターやブラザーたちと一緒に学校行くみたいな。
でも同年代のヤシタンの兄弟という家族の中で一緒に台湾生活を1年間過ごすっていう。
そうでしたね。
そこが今のうさぎ年生まれさんの性格、かなり高3って高んな時期でもあるし、そういったところもすごく影響きっとありますよね。
すごく影響ありましたし、あまり自分の中で消化はできてきてないんですよね。
なんせ高校生なので、とりあえずプランというか、次これやれこれみたいなのがあって。
ひたすら学校の調整とか、中国語を勉強しようみたいなところとかいろいろこなしていくだけではあるんですけど、
やっぱりなんせ高校生なんで、第二ホストかぐらいの時に結構ホームシックにかかるわけですよ。
やっぱあるんですね。
ホームシックについては話は聞いてたけども、これホームシックって言うんだみたいな。
自分の中で、これホームシックなんだどうしようというか、どう過ごすべきなのかみたいな。
でもやっぱり家族が恋しいという感じもあるし、やっぱ違う生活環境なので、結構いろいろストレスとか。
そうですね、文化も言語も。
文化も違うので、いろいろ考えるところもあったり。
毎日日記はつけてたんですけど、一年間日記だけはつけようって自分の中で決めた。
すごい。
日記なんて今まで学生の時っていつもつけたこともないし、その後行こうってやってないですけど。
いた時だけ日記をつけてたんですね。
日記ですね、その日記もすごいお宝ですよね、きっとね。
でもね、どこ知ってるのかな、あれ。
多分実家にあるんだと思うんですけど。
ホームシックっていうのはどんな感じでした?
何とも言葉に表現しづらいんですけど、第二ホストがですね、皆さんホストファミリーだったんですけど、
ただ家族、ホストファミリーでキャンプとか、お父さんが好きで一緒に行ったりとかして、夜空満天を見ながら涙が出てくるみたいな。
そんな経験なかなかない。何の涙だったんですかね、それね。
あれはね、分かんないです、今考えても。
今考えても、分かんないけど涙出たってことは覚えてます。
留学の意義とアドバイス
満天の星空ってめっちゃ綺麗だったんですか?
めっちゃ綺麗だったんですよ、外の山の方にキャンプに行くんで。
お父さんがキャンプほんと好きだったんですよね。長期休みになるとキャンプに行くっていう。
私あんまりそこまでキャンプとか好きな方じゃなかったんで、めんどくさみたいな感じですよ。
ほんとよくいる思春期の高校生じゃないけど、めんどくさそれみたいな。
そういうのもあったりとか、自分もやっぱり半年くらい経ってくると、いろんな言葉も理解してる部分もあるし、
ただ分かんない部分もあるし、言ってるのになんで伝わらないとか、なんで分かってくれないんだろうみたいな。
そういう部分もいろいろあったりとか。
自分の親なら反抗とか反発とかいろいろできても、またホストファミリーのお父さんお母さんに対してはそこまで言えないだろうしね。
でもね、結構私やっぱ態度出してたと思うんですよ。
でもすごいホストファミリーも心配してくれて、いろいろ私の気分転換を測ってくれるんですけど、私はそこまで乗れないみたいな感じでしたよね。
そうなんです。今の話聞いてても、言ってる価値は毎日いろんな感情ができたのかなとか思ったんですけど。
そんな感じですかね。
星空眺めてた時の涙っていうのは、喜怒哀楽でどの辺に近い感情なんですか?寂しいとかそういう嬉しいとか。
完全にネガティブな感じだったと思うんですよ。
帰りたいかって言われると、そこまでではないんだけど、結局不自由な生活の中じゃないですか。
そういうところで、不自由な生活ってお風呂が入らないとかそういうことじゃなくて、自分の考えを持っていることが伝わらないとか。
自分の立場にいる人って自分しかいないから。みんながね、これは台湾の人だし。
日本人の方もあんまりいなかったんですよね。いたんですけど、頻繁に会うとかそういうこともなく。
唯一楽しいのは、台湾のテレビ、ケーブルテレビの中に日本のテレビ番組を専門で流している番組があって。
台湾、結構日本人の方もたくさんいらっしゃるって聞いた。
基本的にはすごく新日なので、別に何かどうっていうのはなかったんですけど。
それを見るとか、これしかなかったんですけど。
ちょっと後で今生きる子どもたちへっていうメッセージもいただくんですけど、
今例えばね、留学迷ってるとか、海外にアメリカに行きたいって思えてる。
もし高校生とか小学生とか子どもたちいたら、
うさぎ年生まれさん、今どんな声かけたり、こんなことしとくといいぞとか、
そういうのってありますか?メッセージ。
留学したいなとか、今海外行ってみたいって今燃えてるとか、思いがある子どもたちにどんな一言かけられますかね。
行きたいなら行ったほうがいいと思いますし。
たぶん私が学生の時に行ってた時代と、今の留学っていう環境が、
私は別に専門家でも何もないので、どういう状況かはわからないんですけど、
結構身を安全守るっていうのは結構ハードルが高くなっているような感じがするんですよね。
当時よりも。
昔も本当に危ないとこ危ないっていうのはあったと思うんですけど、
なんかやっぱり今はすごいちゃんと電波を張ってないと結構危ないっちゃ危ないですよね、高校生が海外一人で行くっていうの。
行ってる方もきっといらっしゃるんで、生活拠点とか学校だったりとかいろんな連携の中で、
ちゃんと安全な生活圏っていうのを確保しながらやってるかなと思うんですけど、
そういう部分はちゃんと人などの調整をちゃんとしてやる分にはどんどん行ってもらったほうがいいし、
そういう守られた環境でさえ、もうやっぱ海外に行く、外から日本を見るとか、
日本以外の国があるんだよとか。
日本とアメリカ以外のね。
そういうとこも含めて、日本は日本だけで成り立ってるわけではないだろうし、
そういう部分も含めて見ていくっていうのは損にはならないと思うんですよね。
ただ私当時もいたんですけど、確かに海外にみんな頑張って行ってきてっていう方も当然いるんですけど、
行って帰ってきた方の中には、やっぱりもう行きたくないですみたいな方もいらっしゃるにはいったんですよね、結構ね。
それは多分ご自身のいろんな考えや思いとかがいろいろあったんだけど、
それの違いを楽しめなかったっていう部分じゃないかなと思うんですけどね。
きっと出会いとかもあったり、キャンプに行って連れてってくれるファミリーとかにね、
台湾料理店との出会い
ホスペリーの4家族の中で怖い思いしたとかあったり嫌だったりとかね、
いろいろあると思うけど、うさぎ年生まれさんにとっては行ってよかったっていう、
自分の今にすごくつながってるファミ学ってことだったんですね。
なんかちょっとここまででも36分経過してる。
まだ高校生なんだけどね。
でもなんかそれが本当にきっと大きな転機なのかなって思いました。
そうですね。
じゃあちょっとその後ちょっと、ちょっと短めに。
そこからどんな、きっとまたその後も転機とかね、
今ママとしてもあると思うんですけど、
生のキャリアっていう面からもちょっとそういったところ、今につながる部分ってちょっと、
ちょっと短めにお話していただいて、いっぱい聞きたいことあるけど。
ごめんなさい。
でもなんかごめん、ちゃんと答えられてるかな?大丈夫かな?
答えられてますよ。
よかったよかった。
ちょっとこの後は帰ってきて、じゃあ大学受験するかどうかみたいなことですよね。
で、私行く前は確か大学をそこまで真剣に考えた記憶はなくて。
その後が大学受験、そうか。
高3の何月まで行ってたんですか?
高3の夏に行って、帰ってきたのが5月、6月7月とかだったのかな。
夏休み入る前みたいな。
そうなんですね。
で、私の同級生ではみんな卒業したってたんですよ。
そうですよね、その時系列だとね。
でも私は一応席はあって、1校下の学年のクラスに入ってたっぽいんだよ、席自体は。
留年みたいな形で、席は。
で、一応公立の高校だったんで、その単位をどうするかみたいになって、
私立の学校とかだと、またその留年なんで、もう1年帰ってくださいみたいなとこあったっぽいんですが、
私一応公立高校を、台湾に行った学校との単位をそのまま持ってこれるというところで、
そのまま6月か7月くらいに卒業したんですよ。
卒業っていう単位を取ってくださった。
単位を取ってくださった。
で、校長室で1人だけ卒業式やるみたいな。
えー、なんかそれもすごい経験。
かなり不思議な体験というか、こういうもんなんだ、しょうがないなみたいな感じでやっていて、
で、その後私は大学受験を考えるんですけど、
自分が台湾に行くまでの間にいろんな人に会うわけですよね、地元の人に。
私ちょっとこれから台湾に行くんだけど、中国語をちょっと教えてくれませんか?っていうのがあった方とか。
家の地元に中国料理店を経営する方がいらっしゃって、中国人の方なんですけど、
北京から来てたんです。
台湾に行くんです。
それちょっと母親の知り合いだったんですけど、
行くんですって言うんで、ちょっと空いた時間で中国語を教えてくれませんか?みたいな。
実際、北京の方なんで、北京の方が話す中国語と台湾の方が話す中国語、
ちょっとニュアンス的な違いが出てくるんで、
そうなんですね。
こういうもんなんだな、ぐらいにしか思ってはなかったんですけど、
その方の影響もあって、
その方、中国料理店を経営しながらも、
同胞ですね、いろいろ中国から日本にお仕事しに来ていらっしゃる方とか、
いろんな方の支援というか、
中国料理店を経営する方はやられていて、
あと、地元の商工会の方とかのお手伝いとか、いろんなところで、
外国人の方の支援を。
中華料理屋さんのウサギトシマリさんが、
中国語を習ったその方がってことですね。
そうですね。
そういう方をいろいろ見ていて、
すごいなというか、
そのところの深さは何なんだろうというか。
その方もかなりキーパーソンですね。
かなりすごく影響を受けたし、キーパーソンだし、
何て読めるんですかね、影響を受けましたよね。
視野が広がったというか、そういう方がいるんだというか、そういう大人が。
行く前にしても、そういう方と出会ってる人。
そうですね。
その方の影響もあって、その方が法学部出身だったんですよ。
日本の大学を出てらっしゃったんですけど、
その方もいろいろ右翼を刺さって、中華料理店をやってたんですけど。
右翼抑制でありそうですね。
ウサギ年生まれさんの教育観
見てみたい。ミクロもしたいけど。
私も大学を選ぶときに、
中国語を勉強する専攻として、外語大学とかで勉強するのもすごくいいなと思ったんですけど、
台湾の留学の中ですごく思ったのは、
言葉も重要ではあるんですけど、
やっぱりいろいろ社会的な側面、
その国の良いとこ悪いとこ、
どの国もどの場所にもいっぱいあると思うんですよね。
やっぱりそういう包括的なところでいろいろ社会を見たかったっていうのがきっと大きかったと思うんですけど、
その中でいろいろ外国人の方の支援を直接的にいろいろできることができるのって、
すると法律なのかなみたいな。
中国語の中華屋さんの方、男性かな、マスターかな?
が法学部学んでたことと、台湾留学で見た世界みたいなそういうところから、
それでそれで?
法学部に受験するのがいいんじゃないかなって思い始めたんですよね。
法律を勉強するっていうのが、一応どういう進路になったとしても、
いろんな面で役には立つんじゃないかと。
法学部入る、でもやっぱり中国は捨てきれないから、
やっぱり中国語も勉強するっていうのも入れたいなみたいなところもあって、
一応それを単位上両方取得できるプランというか、
プログラムがある大学があったので、
たまたま見つかってそこを受験して大学に入るという形なんですけど。
ただもうその時にはもうやりたいことっていうか、
その方向性みたいなのが点と点はあって、
それどっちも達成できるような大学進路先、進学先を選んでたみたいな。
すごくそういうふうな観点で見てた記憶があります。
それだけ自分の人生で真剣に、将来真剣に選択してる高校生、
今の高校生たちの中では少ないんじゃないかなって聞いてて思ったんですけど。
そうですよね。
今の、私元小学校の先生なんですけど、現場の子どもたちとか、
高校生と最近絡む機会はないんですけど、
やっぱりどこかね、成績は毎回定期テストでいい点取んなきゃ、
お母さんに怒られるぐらいな感じで勉強して、
でも先生にも進路決めろって言われるけど、
何やりたいかわかんないとか、
そういう子どもたちとか、どこに自分が何になりたいのかすらも迷ってる子どもたちとか、
あと親側もね、とりあえず大学行っとけみたいな方とかも結構多いのかなって思う中で、
その辺りに対してね、
おさぎ年生まれさんから、今多分ご自身も子育てしながらだと思うんですけど、
こういうことみたいなのってありますか?
すごくあります。やっぱり今は結婚して子どもがいる立場ではあるので、
すごく理解できます。とりあえずいい大学行っとけじゃないんですけど、
一般的に言えばやっぱり、環境を与えたいじゃないですか、親は。
最大限環境を整えてあげたいっていうのが、
親の一つの責任なのかな、みたいなところもあって、すごくそう思うし、
ただなんか、自分はそういういろいろ予約とか、そういう経験を得て、
いろいろ選択してきたっていうのはあると思うので、
結構そこの乖離があるので、
どういうバランスをとっていくべきなのかなっていうふうにすごく感じてはいるんですけど、
そうですよね。親としての期待とか、こう会ってほしいとか、
そういう環境もこっちの方がいいんじゃない、みたいな思いがね。
すごく感じますよね。
ただやっぱりなんか、私は高校3年生のタイミングで、
そういうふうにタイミングポイントだって思った部分が出てきたわけ。
たまたまそうだったっていうだけなんですよね。
みんながみんな同じタイミングで、同じようなタイミングが来るわけではないし、
その人にとってどういうタイミングでどんな分岐が来るかなんていうのは、
みんな違う、それぞれ違うと思うし、
親としての期待と葛藤
私自分の子供たちも、子供も含めてそうだと思うので、
必ずしも、どうしたらいいよっていうようなことを言うのは難しいのかなっていうふうに思ってるんですよね。
さっき年生まれさんと2人でリアルで会って喋るときも、
子育てについて、本当にねとかいう話をしながらね、
本当に正解は分からないし、
なんだけど親の思いっていうのもありながらも、
やっぱり葛藤とかしてるねって話をよくしてるんですけど、
聞いてくださる方の中で、
ママたちっていうのも多いんじゃないかなって思うんですけど、
子供たちが今置かれてる環境とか状況とか、
あと出会う大人たちって、
私の中ではもうちょっとワクワクして生きてる、
かっこいい大人たちにたくさん合わせてあげたいなっていうのはすごくあるんですけど、
その点について知事アーケードでもお伝えした、
お聞きした、学校教育についてっていうところで、
今のうさぎ年生まれさんの思いとかって聞いてもいいですか?
そうですね、学校教育。
自分の子供の教育がどうという感じというより、
私は自分が学生の時から思ってきた部分も少しあるんですけど、
私が行ってた高校は職業寄りの高校だったんですよね。
商業高校だったので、
ほとんど9割9分ぐらいの学生たちは就職するんですよ、高校を卒業すると。
多分他の普通の学生だったら専門学校行ったりとか大学行ったりっていうのがあると思うんですけど、
そういう職業系の学校だったんで、大体みんな就職する。
先生たちも当然学科の先生たちが就職するもんだと思って、
3年生、2年生あたりから準備をするんですよね。
就職支援というか、地元の企業さんと採用活動をやったりとかして。
大学進学するというのはクラスに一人いるかいないかとかで、
それの割合なんですね。
思った当時はね。
実際私が大学行った時に、
大学に行くという選択肢を、
そういう選択肢の提供は当然初級高校なんで、ないというか少ないとは思うんですけど、
今でいうから障害賃金みたいなのがあったりするわけじゃないですか。
学歴のあれとか。
今後AI時代ってなってくるとどうなってくるかまた分からない部分であるんですけど、
私の時間を戻してみると、
高校を卒業して就職した人と、大学に卒業して就職した人の障害賃金というのは、
かなり広い、長期的に開いていくっていうところが大人になってきて、
そういうのが分かってきて、
やっぱり大学とか教育っていうところに対しての価値っていうのを、
価値があったわけですよね。
価値を期待しているのかしていないのか分からない大人たちが高校の先生として、
学生たちには就職しなさい、就職しなさいっていうことを言うわけですよ。
結構これ不思議だったんですよね。
高校卒業して大学行ってる間とか大学卒業した後就職したっていうのも、
結構その、
人たちがそれを言ってしまう、
商業高校なんてしょうがないって言ったらしょうがないし、
むしろ商業高校の売りが就職率だったりとかね、いろいろあると思うので、
別にそこを否定する気はないんですけど、
1人の子供の将来とか、
そういうのを長期的で見るっていう視点は、
どこへ行ったのかなっていうのはすごく感じた気はするんですよね。
当時も商業高校のキャリア教育っていうところでは、
やっぱり商業高校だから大体学校就職するみたいな形。
それも選択肢を与えるじゃなくて、
一緒に子供たちと考えるような時間っていうのはあんまりなかったんですかね。
と思うんですよね。
私ちょっと3年生の途中でいなくなったんで何とも言えないんですけど、
同級生たちは就職、銀行系とか組合とか金融系とかに就職したりとか地元のね。
ちゃんも学校行く子は行くし、就職する子はするしみたいな形でやってたので、
商業高校なりのキャリアはいろいろあると思うんですけど、
必ず商業高校に行ったからといって、
就職しなきゃいけないっていうことは誰も決めているわけではないと思うんですよね。
本人が望むか望まないかも別として。
そうですよね。
やっぱり一人一人が持っている、考えている、思っていることとか、
将来こういうことやってみたいとか、そういう部分も含めて、
高校生って可能性しかないじゃないですか。
もう可能性、子供たちって可能性の塊ですよね。
そういう意味だと思うんですよね。
私はたまたま留学をきっかけで大学受験して、大学に行く進学を考えて今やってるわけです。
やっぱり高校生で就職する、職業選択の半分以上決めてしまうっていう部分では、
すごくもったいないって言えばいいんですかね。
そういうのね、なんて言えばいいのかな。
そういうところでも、もう少し教育する側というか、
学校側が子供たちに見せてあげられるコンパクシーってまだあるのかなっていうのは、
私も今聞いてて思ったんですけど。
商業高校のキャリア教育
いろいろ家庭の事情とかもあってね。
きっと進学は難しいし、就職していくっていう家庭もいろいろあると思うんですけど、
ただ就職の先にもっとこういう道もあって、
就職してお金も貯めたりとか、
お金を作って大学進学することも社会人に入手とかもいろいろあると思うし、
もっと長い視点でキャリアを見ていくっていう部分をやるっていう体制はなかったと思うんですよね、
私が行ってた高校では。
今の話聞いててすごく、私とうさぎとしまるさんの共通点ってキャリコンだと思うんですけど、
キャリコンの養成講座で学んだことともすごく近い、
やっぱり人生100年時代の中で長い視点を見て今を決めていくライフデザインの感覚って、
そことすごく似てる共通点あるなって今聞いてて思ったんですけど。
そうですね。
やっぱり私も今の仕事をいろいろ進める中で、
企業様が地元の高校生から採用をとって、高校生就職するっていう方もあるんだけども、
やっぱり、目的に就職というよりは、やっぱりやってみて、自分に合わないと思って辞めちゃうみたいな、
結局お互いの礼儀になっていかないみたいな部分もあるっていうことは、
どういう割合であるかはまだ分かりませんけど、数字であるか分からないんですけども、あるっていうことは伺っていて、
私の同級生、高校生の同級生を見ても、高校の時に就職した会社に今も勤めてる方の方が少ないと思うんですよ。
いろいろね、だいぶ時間も経ってるので、
その就職後にどれくらいお勤めしていたかがまた別として、
いろんなキャリア選択があっていいとは思うんですけど、
そこの時点で、高校卒業の時点で納得してそこを務めるみたいなのって、
結構それはそれで難しいんじゃないかなっていう。
だんだん材料も少ないだろうし。
そうですよね、取ってくれるから行くみたいなところがあるだろうしね。
なので、もっと学生生徒さんの一人一人っていうところを見た長期的なキャリアっていう部分で、
別にプランドになる必要はないと思うし、
キャリアと成長の重要性
いろいろやってみて、いろんな選択がまた増えてくるっていうのはあると思うので、
自分はそれに関してはそういうふうに感じてましたね。
学校のキャリアとか、学校教育に関しては。
キャリアってところではなくていいんですけど。
その当時、高校生とか、自分は進学を選んで、
結構な子たちが就職を選ぶっていう環境にいた、
うさぎ年生まれさんが思った感想みたいな感じですよね、今のお話ね。
そういうふうに感じている、もしかしたら今商業高校に通っている子どもたちもいるかもしれないってことですよね。
そうですよね、実際いると思うんでね。
そういう生の声っていうのも聞いて、
私もじゃあ今大人にできることないのかなっていうのを今考えながらお聞きしていたんですが、
じゃあちょっともう残り時間も11時に終えようかなと思っているので、
そんなうさぎ年生まれさん、最初の冒頭でね、
人材紹介のお仕事で今会社経営なさっているっていうところだったんですけど、
今の現在地での目標とか、お仕事におけるキャリアにおける今の目標みたいなのってあったら教えてください。
はい、そうですね。
えっと、やっぱり自分一経営者としていろんな成長するっていうのはやっぱり会社のためになっていくかなっていうところにあるので、
その部分を大きくしたいっていうのはすごく感じますね。
一経営者として大きくっていうのはその個人。
そう、私個人が成長することが会社の成長になるかなっていうところには感じてるんですよね。
かっこいいですね、私の成長テーマなので。
もう頭に成長したいって今思いましたけど。
すごく、みんな成長してると思うんですよ日に日に。
そうね、ほんとそうです。
いろんなフィジカルな面でもね、精神的な面でも。
ただなんかこう、やっぱり経営者として見なきゃいけない部分っていうのも当然あると思うんですよね。
今やってる仕事が外国人労働者といった人材派遣といっても海外の方とかそういったところなんですかね。
そうですね、当初は外国人の方向けっていうふうに思ってやってたんですけど、
お客さんの要望だったりとか、やはりマッチングっていう部分を強化するべきなのかなっていうところもあって、
外国人の方問わず、その企業様が求める人材にマッチした方っていうところで対応させてもらってるっていう感じですかね。
今の会社のビジョンみたいな、求める先にある社会みたいなのって何かあるんですかね。
そうですね。
どんな社会とか、どんな世界が広がってるのかなっていう理想のビジョンみたいなのを聞きたいなって思ったんですけど。
そうですね。
いろいろこう、昨今ね、外国人の方がどうのってことは、地元で言われてらっしゃるんじゃないかなっていうふうには思うんですけど、
アメリカにおいてはその多様性っていうのが分断じゃないかみたいな、広告しているみたいなところがあって、
すごい世界になってしまったなっていうふうにはすごく思うんですけど。
そうですね。
日本という国を歴史的に見ても、単一民族っていうふうには言われているものの、いろんな文化を取り入れて成長してきた国だと思うんですよ。
なので、少なくともそれを止めるっていうのは、日本の成長していくのは大変になっちゃうんじゃないかなっていう。
どうやっても大変なものは大変なんですけど、多様性を取り入れても難しい、大変な部分たくさんあると思うんですけど、
もっと違いや多様性を取り入れて成長していけるような、経済成長していけるような社会だったりとか、
私たち会社としてできることといえば、やはりそういう部分で多様性を入れることによってイノベーションが起きて、
会社にとっても社会にとっても、いろんなところで個人に対してでもいろんなメリットが生まれてくるような社会だったり、
そういう世界観が望ましいなっていうのはすごく感じてますね。
今お聞きして、私の心に残ったのは、違いを成長につなげるっていうところですかね。
それって外国人とか外国人じゃないとか日本人とか、そういうのも飛び越えてというか、
個人個人の違いとか国同士もそうですけど、違いをお互いのプラスにしていけたらいいなっていうのはすごくありますよね。
ちょっと壮大なイメージになりましたけど。
いやいやいや、でもなんかその壮大な先の、きっと思ったのが最初の台湾留学だったり、
中国語学ぶってことになって、マスターに出会ったりっていう、
そういうのが一個一個ターニングポイントとか、一個きっかけになっているのかなっていうのは、
今日のエミコラボでお聞きできるかなっていうふうに思います。
もっともっと聞きたいこと盛りだくさんなんですけど、しかも台湾に帰ってきてね、
その後もきっとね、いろいろ就職したとか、結婚したとか、子供だとか、いろいろキャリアのポイントになっている部分って、
あるにもかかわらず3つも喋り足りないって言って解散する我々なんですよ。
最初に言っておけばよかったよね。終わりませんってことはね、そうだね。
最初に言っておけばよかったね。時間じゃ終わりません。
喋り足りないんだよね。もう永遠に喋ってられるぐらい本当に楽しいんですけど、
続編みたいな形でまたね、台湾から帰ってきてでで?みたいな、
その後もちょっとね、いろいろお聞きしたいところがたくさんあるんですが、
今日えみコラボで第2弾でね、うさぎ年生まれさんとお話しした中では、
まず1個高校生の時のうさぎ年生まれさんがアメリカに憧れっていうのがあったけど、
おやおや台湾へっていうそのまさかのね、
あんなことが偶然とね、あと自分の思い必然と偶然と、どっちも重なって今がある。
あと出会った大人とか、そういう多感な時期を経た、過ごした高校での進路のこととか、
あと行った先での経験とか、欲しくなった自分のね、日本とか家族とか、
いろんなところに対する思いみたいな、いろいろ合わさって今のね、
うさぎ年生まれさんのその熱い生き方につながってるのかなって思いました。
多様性と経営ビジョン
ありがとうございます。
今日どうでした?えみコラボをちょっと。
一旦今日はこの辺で閉じていこうかなって思うんですけど。
もう十分だと思います。
これはもう時間かけないと。
かけないとね。
無理なんですよね。
もうね。
いつもね。
そうなんですよ。
そもそもがね、いいと思います。
またね、機会があって、えみコラボの第百何十なんだとかね、なって。
もう一周ね。
もう一周したあかつきにはね、私の卒業、大学生以降ね、話ができればみたいな。
ほんとそうですよね。前回もそうだったんですけど、聞きたりないっていう感じで。
だったんですけど、もうぜひね、留学迷ってる子どもたちとかにね、教えにして。
エアスですか?今ね、海外に行くのがちょっとみたいな方もいらっしゃると思うんですけど。
でも私が学生の時とかは、もっと高かった、エアスだった記憶あるんですけど。
そうなんですね。だからもう今、今週日曜日も選挙ですけど。
選挙ですね。
もう中国との外交みたいなところも結構ね。
出てきますね。
出ますけど、その辺はね、ちょっとここで話すよりは飲みの場でって感じですけど。
まあでもそんなことも、ザック・バランにいろいろ話せる、このうさぎ年生まれさんとの出会いが私にとってもすごく大きくて。
いやー、本当かっこいいなって思いながら、こうやってNestive エミコラボリクエストさせてもらったんですけども、
今日の放送からも、私が学校でやっぱりこういう大人いるぞっていうのを改めて伝えたいっていうのは、
かっこいい大人いるぞ、ここにっていうのを伝えたいって思いましたしね。
きっかけですね。
きっかけになったなと思うので、本当にありがとうございました。
いやいや、こちらこそこの機会をいただきまして本当にありがとうございます。
いやいや、ありがとうございます。
じゃあ最後にちょっと子どもたちに、さっきは留学する子どもたちに向けてでしたが、
今生きてる赤ちゃんとか高校生とかいろいろいるんですが、子どもたちに今のうさぎ年生まれさんから一言何か伝えるとしたら、どんな言葉をかけますか。
そうですね。
なんかもう息子ちゃんを思い浮かべてもいいんですかね。
そうですね。
大人の言うことを。
なんだ?
私自分の息子にすごく大人の言うことを聞けっていうような感じはしてるんですけど、
やっぱり一瞬回ってみると、自分で考えろっていうところかなって感じます。
自分で考える。
自己考慮と未来へのメッセージ
自分で考える。
大人の言うことを聞けじゃなくて、自分で考えるっていうのを意識してもらうのがすごくいいんじゃないかなと思います。
深いですね。
大人の今の聞いて、私も自分の頭で考えるっていうキーワードをすごく単にしてた時から子どもたちに伝えていた言葉でもあるんですけど、
いろんな大人の意見聞くのも大事ですよね。
自分で考えるにも選択肢がないと考えられないと思って。
あの人こうやって考えてる、この人こういうの考えてる、いろんな意見を聞いた上で、やっぱり自分の頭で考えろっていうことなのかなって今聞いてて思ったんですけど、そんな感じですかね。
そういう感じですね。ちょっと端的で大変申し訳ないんですけど。
うさぎ年生まれさんが自分で考えるって、この人なんでこんなこと言ってんだろう、すらも自分で考えろっていうことですよね。
そうですね。
私あんまり、もっと子どもたちにいろんなことを話してみたりとかっていうのすごくいいと思うんですけど、やっぱり子どもが興味を持って自分でやることのほうが身につくと思うし、
結構な経験値になっていくと思うんですよね。誰かにやれって言われるよりは、っていう部分で自分で考えてやってみようみたいなところのほうが、自然なのかなっていうふうにはすごく感じました。
本日も素敵な言葉をいただいてありがとうございます。自分で考えてやってみようって。そう思って見守ってくれる大人が近くにいるっていうのも大事なことだなって思いました。
もうちょっといっぱい過ぎてしまいましたが、うさぎ年生まれさん、今日はアユミコラボ来ていただいてありがとうございます。では100人超えた先にまた続編があるということで。
ありがとうございます。
きっかけとしてあれば、いつでも質問やいろんなお話チャンスはどんどん私もしていきたいと思ってますので。
ありがとうございます。キャリコン仲間としても、これからも成長っていうキーワードが今日出てましたけど、一緒に未来盛り上げていきたいなと思っておりますので。
本日もよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いしますし、ありがとうございました。
ありがとうございました。聞いてくださった方もありがとうございます。
ありがとうございました。
じゃあまた。
失礼します。
今日も元気にいってらっしゃい。
バイバイ。