同期参加者の中で台湾って希望書に書いたのは私だけだったんですって。
はいはいはい。
それならじゃあ、うさぎ年さん行ってほしいよ、
みたいなのを言ってくださいっていうのが決まりまして、
そこで台湾に始めていくことが決まったんですが、
私はそこで台湾という国がどこにあるのかすら知りませんでしたね。
当時高3のうさぎ年生まれさんが。
なんとなくいろんな世界誌だったり授業の中で出てくる言葉ではあるので、
なんとなくぐらいにしか分かってなかったんですけど、
実際自分が行くってなるってことが決まって、
おやおやみたいな。
もともと海外にアメリカに興味があったっていうことと、
あとタイミングというか、台湾に行くってことは結構偶然に近い。
そうですね、偶然じゃないですかね。
私何も決めて、行きたいって書きましたけど、
決めたのは団体側なので、偶然じゃないですかね。
それもすごく面白いなって思って、
運命というか台湾に導かれてたのかもしれないなって聞いてて思ったんですけど、
まだ会社経営に至るまで全然先に行くんですけど、
台湾に行ったことっていうのは結構今につながってるんですか?
たぶん私の人生の中では分岐点の一つだと思いますよ。
やっぱりそうなんですね。
ターニングポイントですか?今で言う。
ターニングポイントってどんな世界からどんな世界にポイント?
時点感だったり、人生が変わったりとか、その変化についてちょっと聞いてもいいですか?
台湾に行って、これがうさぎ年生まれさんに与えた影響とかって。
多大なる影響が。
台湾に行くっていうことが、当時2000年代の前半だったと思うんですけど、2000年代入ってたんで。
国際情勢的にもって言うんですかね。
私の高校生だったのであまり理解してはいなかったんですけども、
日本のビジネス上中国というエリアは欠かせないところになってくるっていうのは、
世界の中ではいろいろビジネスが活発になり始めたっていうのがあって、
まずルダリ大団っていうことで、ビジネスをされている経営者の方たちが団体として作っているところなので、
学生を交換留学として台湾や中国圏に入れるっていうのは、
自然な流れではあったんですけど、実際高校生たちが行きたい国って、
みなさんやっぱりアメリカとか欧米に行きたいので、台湾に行ってくれって言われて、
嫌だって言われる可能性もあったんですけど、
なかなか行きたいって言う人に巡り合わなかったんで、
多分私が行ったみたいなところあったんじゃないかなと思うんですけど、
私も行くことが決まって、いろいろ調べてみたんですけど、
台湾に行くことが決まって、
巡り合わなかったんで、多分私が行ったみたいなところあったんじゃないかなと思うんですけど、
私も行くことが決まって、いろいろ調べるわけですよね。
現地の人たちがどういうふうな生活をしているのか、どういうものが生活習慣としてあって、
みたいなのがいろいろ自分の中で調べていって、
そういうのが宿題としてあるんですね。
行く前に事前に。
そういう発表とかもしていく中で、
台湾に行きますっていう話もしたりとかして、
行くまでの間に結構自分の中で台湾に行くっていうのは結構、
あまり実感というかね、
いろいろ調べているもののよくわからない感じはあったんですけど、
でも行ってみないとわからないだろうっていうのは根底になったので、
あまり考えず行くまで淡々と準備を進めて行ってみましょうみたいな感じだったんですね。
でも当時、言うても高校生ですから、
結構家族と離れて初めて、飛行機とかも初めて自分で乗るみたいな。
国内含めても台湾が初めてぐらいの?
たぶん国内は、旅行とか修学旅行とか乗った記憶はあるんですけど、
海外にお一人、海外に行くっていうのも初めてだったと思うし、
大冒険ですよね。
高3のウサギ年生まれさんに乗って。
親はね、仕事の関係とかいろいろ行ったりとかしてましたけど、
私は一緒に行ったタイミングではなかったと思うんですよ。
初めて乗って、初めて親と離れて生活するみたいな感じだったので、
結構自分の中の、すごい自立してみたいなすごく、
始まっていったんじゃないかなっていうのを今感じますね。
大人への一歩というか、親離れみたいな思いがあったかもしれないですね。
今のウサギ年生まれさん、私はまだ知らないですけど、
当時から、とりあえずやってみなきゃ分かんないですとかね。
新しい世界、台湾も新しい世界の一つだと思うんですけど、
新しい世界に飛び込んでみるっていう思い切りの良さとか、
勇気っていうのを今聞いてて感じましたね。
すごいですね。
そこからまた台湾留学を経て、その後もちょっと聞きたいんですけど。
時間大丈夫ですかね。ごめんなさいね。
全然大丈夫ですよね。
すぐるさん、おはようございます。ウサギさんに引かれてきましたっていうことで。
ありがとうございます。すごい、本当だ。ありがとうございます。
もし聞きたいことあれば、ぜひコメント欄でお願いします。
まだ学生後産から大人になってないので、その後もちょっと聞きたいですね。
でも、行くんですよね。台湾はホストファミリー4つお世話になりました。
4つ?
3ヶ月に1回変わった感じなんですけど。
どのくらいの期間を台湾に行って過ごしたんですか。
1年間ですかね。
1年間。
週に11ヶ月とかだけど、大体1年みたいな感じで。
その間ホストファミリーが変わっていくっていう感じ?
そうですね。やっぱり1つのホストファミリーで1年間留学、結構負担が大きいんですよね。
ホストファミリーの中でも。
それと合わせてやっぱり、いろんなホストファミリーの方たち、皆さん同じクラスの生徒さんのお家を回ったんですよ。
同じクラスの生徒さん。
同級生のお家でお世話になったって感じ、3ヶ月ごと。
留学先の学校、同級生の誰かん家に転々と行こうみたいな。
面白い。
そういった企画というか計画というか、いろんな準備は第一ホストファミリーのホストマザーとホストファザーがしてくださっていて。
入って初めての3ヶ月は第一ホストでお世話になったんですけど。
同じみんな忙しいっていうのと、あと学校との調整で、クラスの子たちもやっぱり外国人との関わりだったりっていうところをやるのもいいんじゃないかっていうところで、クラスのお家で。
有志って言うんですか、私を受け入れてもいいっていうお家。
満天の星空ってめっちゃ綺麗だったんですか?
めっちゃ綺麗だったんですよ、外の山の方にキャンプに行くんで。
お父さんがキャンプほんと好きだったんですよね。長期休みになるとキャンプに行くっていう。
私あんまりそこまでキャンプとか好きな方じゃなかったんで、めんどくさみたいな感じですよ。
ほんとよくいる思春期の高校生じゃないけど、めんどくさそれみたいな。
そういうのもあったりとか、自分もやっぱり半年くらい経ってくると、いろんな言葉も理解してる部分もあるし、
ただ分かんない部分もあるし、言ってるのになんで伝わらないとか、なんで分かってくれないんだろうみたいな。
そういう部分もいろいろあったりとか。
自分の親なら反抗とか反発とかいろいろできても、またホストファミリーのお父さんお母さんに対してはそこまで言えないだろうしね。
でもね、結構私やっぱ態度出してたと思うんですよ。
でもすごいホストファミリーも心配してくれて、いろいろ私の気分転換を測ってくれるんですけど、私はそこまで乗れないみたいな感じでしたよね。
そうなんです。今の話聞いてても、言ってる価値は毎日いろんな感情ができたのかなとか思ったんですけど。
そんな感じですかね。
星空眺めてた時の涙っていうのは、喜怒哀楽でどの辺に近い感情なんですか?寂しいとかそういう嬉しいとか。
完全にネガティブな感じだったと思うんですよ。
帰りたいかって言われると、そこまでではないんだけど、結局不自由な生活の中じゃないですか。
そういうところで、不自由な生活ってお風呂が入らないとかそういうことじゃなくて、自分の考えを持っていることが伝わらないとか。
自分の立場にいる人って自分しかいないから。みんながね、これは台湾の人だし。
日本人の方もあんまりいなかったんですよね。いたんですけど、頻繁に会うとかそういうこともなく。
唯一楽しいのは、台湾のテレビ、ケーブルテレビの中に日本のテレビ番組を専門で流している番組があって。
台湾、結構日本人の方もたくさんいらっしゃるって聞いた。
基本的にはすごく新日なので、別に何かどうっていうのはなかったんですけど。
それを見るとか、これしかなかったんですけど。
ちょっと後で今生きる子どもたちへっていうメッセージもいただくんですけど、
今例えばね、留学迷ってるとか、海外にアメリカに行きたいって思えてる。
もし高校生とか小学生とか子どもたちいたら、
うさぎ年生まれさん、今どんな声かけたり、こんなことしとくといいぞとか、
そういうのってありますか?メッセージ。
留学したいなとか、今海外行ってみたいって今燃えてるとか、思いがある子どもたちにどんな一言かけられますかね。
行きたいなら行ったほうがいいと思いますし。
たぶん私が学生の時に行ってた時代と、今の留学っていう環境が、
私は別に専門家でも何もないので、どういう状況かはわからないんですけど、
結構身を安全守るっていうのは結構ハードルが高くなっているような感じがするんですよね。
当時よりも。
昔も本当に危ないとこ危ないっていうのはあったと思うんですけど、
なんかやっぱり今はすごいちゃんと電波を張ってないと結構危ないっちゃ危ないですよね、高校生が海外一人で行くっていうの。
行ってる方もきっといらっしゃるんで、生活拠点とか学校だったりとかいろんな連携の中で、
ちゃんと安全な生活圏っていうのを確保しながらやってるかなと思うんですけど、
そういう部分はちゃんと人などの調整をちゃんとしてやる分にはどんどん行ってもらったほうがいいし、
そういう守られた環境でさえ、もうやっぱ海外に行く、外から日本を見るとか、
日本以外の国があるんだよとか。
日本とアメリカ以外のね。
そういうとこも含めて、日本は日本だけで成り立ってるわけではないだろうし、
そういう部分も含めて見ていくっていうのは損にはならないと思うんですよね。
ただ私当時もいたんですけど、確かに海外にみんな頑張って行ってきてっていう方も当然いるんですけど、
行って帰ってきた方の中には、やっぱりもう行きたくないですみたいな方もいらっしゃるにはいったんですよね、結構ね。
それは多分ご自身のいろんな考えや思いとかがいろいろあったんだけど、
それの違いを楽しめなかったっていう部分じゃないかなと思うんですけどね。
きっと出会いとかもあったり、キャンプに行って連れてってくれるファミリーとかにね、
ホスペリーの4家族の中で怖い思いしたとかあったり嫌だったりとかね、
いろいろあると思うけど、うさぎ年生まれさんにとっては行ってよかったっていう、
自分の今にすごくつながってるファミ学ってことだったんですね。
なんかちょっとここまででも36分経過してる。
まだ高校生なんだけどね。
でもなんかそれが本当にきっと大きな転機なのかなって思いました。
そうですね。
じゃあちょっとその後ちょっと、ちょっと短めに。
そこからどんな、きっとまたその後も転機とかね、
今ママとしてもあると思うんですけど、
生のキャリアっていう面からもちょっとそういったところ、今につながる部分ってちょっと、
ちょっと短めにお話していただいて、いっぱい聞きたいことあるけど。
ごめんなさい。
でもなんかごめん、ちゃんと答えられてるかな?大丈夫かな?
答えられてますよ。
よかったよかった。
ちょっとこの後は帰ってきて、じゃあ大学受験するかどうかみたいなことですよね。
で、私行く前は確か大学をそこまで真剣に考えた記憶はなくて。
その後が大学受験、そうか。
高3の何月まで行ってたんですか?
高3の夏に行って、帰ってきたのが5月、6月7月とかだったのかな。
夏休み入る前みたいな。
そうなんですね。
で、私の同級生ではみんな卒業したってたんですよ。
そうですよね、その時系列だとね。
でも私は一応席はあって、1校下の学年のクラスに入ってたっぽいんだよ、席自体は。
留年みたいな形で、席は。
で、一応公立の高校だったんで、その単位をどうするかみたいになって、
私立の学校とかだと、またその留年なんで、もう1年帰ってくださいみたいなとこあったっぽいんですが、
私一応公立高校を、台湾に行った学校との単位をそのまま持ってこれるというところで、
そのまま6月か7月くらいに卒業したんですよ。
卒業っていう単位を取ってくださった。
単位を取ってくださった。
で、校長室で1人だけ卒業式やるみたいな。
えー、なんかそれもすごい経験。
かなり不思議な体験というか、こういうもんなんだ、しょうがないなみたいな感じでやっていて、
で、その後私は大学受験を考えるんですけど、
自分が台湾に行くまでの間にいろんな人に会うわけですよね、地元の人に。
私ちょっとこれから台湾に行くんだけど、中国語をちょっと教えてくれませんか?っていうのがあった方とか。
家の地元に中国料理店を経営する方がいらっしゃって、中国人の方なんですけど、
北京から来てたんです。
台湾に行くんです。
それちょっと母親の知り合いだったんですけど、
行くんですって言うんで、ちょっと空いた時間で中国語を教えてくれませんか?みたいな。
実際、北京の方なんで、北京の方が話す中国語と台湾の方が話す中国語、
ちょっとニュアンス的な違いが出てくるんで、
そうなんですね。
こういうもんなんだな、ぐらいにしか思ってはなかったんですけど、
その方の影響もあって、
その方、中国料理店を経営しながらも、
同胞ですね、いろいろ中国から日本にお仕事しに来ていらっしゃる方とか、
いろんな方の支援というか、
中国料理店を経営する方はやられていて、
あと、地元の商工会の方とかのお手伝いとか、いろんなところで、
外国人の方の支援を。
中華料理屋さんのウサギトシマリさんが、
中国語を習ったその方がってことですね。
そうですね。
そういう方をいろいろ見ていて、
すごいなというか、
そのところの深さは何なんだろうというか。
その方もかなりキーパーソンですね。
かなりすごく影響を受けたし、キーパーソンだし、
何て読めるんですかね、影響を受けましたよね。
視野が広がったというか、そういう方がいるんだというか、そういう大人が。
行く前にしても、そういう方と出会ってる人。
そうですね。
その方の影響もあって、その方が法学部出身だったんですよ。
日本の大学を出てらっしゃったんですけど、
その方もいろいろ右翼を刺さって、中華料理店をやってたんですけど。
右翼抑制でありそうですね。
見てみたい。ミクロもしたいけど。
私も大学を選ぶときに、
中国語を勉強する専攻として、外語大学とかで勉強するのもすごくいいなと思ったんですけど、
台湾の留学の中ですごく思ったのは、
言葉も重要ではあるんですけど、
やっぱりいろいろ社会的な側面、
その国の良いとこ悪いとこ、
どの国もどの場所にもいっぱいあると思うんですよね。
やっぱりそういう包括的なところでいろいろ社会を見たかったっていうのがきっと大きかったと思うんですけど、
その中でいろいろ外国人の方の支援を直接的にいろいろできることができるのって、
すると法律なのかなみたいな。
中国語の中華屋さんの方、男性かな、マスターかな?
が法学部学んでたことと、台湾留学で見た世界みたいなそういうところから、
それでそれで?
法学部に受験するのがいいんじゃないかなって思い始めたんですよね。
法律を勉強するっていうのが、一応どういう進路になったとしても、
いろんな面で役には立つんじゃないかと。
法学部入る、でもやっぱり中国は捨てきれないから、
やっぱり中国語も勉強するっていうのも入れたいなみたいなところもあって、
一応それを単位上両方取得できるプランというか、
プログラムがある大学があったので、
たまたま見つかってそこを受験して大学に入るという形なんですけど。
ただもうその時にはもうやりたいことっていうか、
その方向性みたいなのが点と点はあって、
それどっちも達成できるような大学進路先、進学先を選んでたみたいな。
すごくそういうふうな観点で見てた記憶があります。
それだけ自分の人生で真剣に、将来真剣に選択してる高校生、
今の高校生たちの中では少ないんじゃないかなって聞いてて思ったんですけど。
そうですよね。
今の、私元小学校の先生なんですけど、現場の子どもたちとか、
高校生と最近絡む機会はないんですけど、
やっぱりどこかね、成績は毎回定期テストでいい点取んなきゃ、
お母さんに怒られるぐらいな感じで勉強して、
でも先生にも進路決めろって言われるけど、
何やりたいかわかんないとか、
そういう子どもたちとか、どこに自分が何になりたいのかすらも迷ってる子どもたちとか、
あと親側もね、とりあえず大学行っとけみたいな方とかも結構多いのかなって思う中で、
その辺りに対してね、
おさぎ年生まれさんから、今多分ご自身も子育てしながらだと思うんですけど、
こういうことみたいなのってありますか?
すごくあります。やっぱり今は結婚して子どもがいる立場ではあるので、
すごく理解できます。とりあえずいい大学行っとけじゃないんですけど、
一般的に言えばやっぱり、環境を与えたいじゃないですか、親は。
最大限環境を整えてあげたいっていうのが、
親の一つの責任なのかな、みたいなところもあって、すごくそう思うし、
ただなんか、自分はそういういろいろ予約とか、そういう経験を得て、
いろいろ選択してきたっていうのはあると思うので、
結構そこの乖離があるので、
どういうバランスをとっていくべきなのかなっていうふうにすごく感じてはいるんですけど、
そうですよね。親としての期待とか、こう会ってほしいとか、
そういう環境もこっちの方がいいんじゃない、みたいな思いがね。
すごく感じますよね。
ただやっぱりなんか、私は高校3年生のタイミングで、
そういうふうにタイミングポイントだって思った部分が出てきたわけ。
たまたまそうだったっていうだけなんですよね。
みんながみんな同じタイミングで、同じようなタイミングが来るわけではないし、
その人にとってどういうタイミングでどんな分岐が来るかなんていうのは、
みんな違う、それぞれ違うと思うし、
私自分の子供たちも、子供も含めてそうだと思うので、
必ずしも、どうしたらいいよっていうようなことを言うのは難しいのかなっていうふうに思ってるんですよね。
さっき年生まれさんと2人でリアルで会って喋るときも、
子育てについて、本当にねとかいう話をしながらね、
本当に正解は分からないし、
なんだけど親の思いっていうのもありながらも、
やっぱり葛藤とかしてるねって話をよくしてるんですけど、
聞いてくださる方の中で、
ママたちっていうのも多いんじゃないかなって思うんですけど、
子供たちが今置かれてる環境とか状況とか、
あと出会う大人たちって、
私の中ではもうちょっとワクワクして生きてる、
かっこいい大人たちにたくさん合わせてあげたいなっていうのはすごくあるんですけど、
その点について知事アーケードでもお伝えした、
お聞きした、学校教育についてっていうところで、
今のうさぎ年生まれさんの思いとかって聞いてもいいですか?
そうですね、学校教育。
自分の子供の教育がどうという感じというより、
私は自分が学生の時から思ってきた部分も少しあるんですけど、
私が行ってた高校は職業寄りの高校だったんですよね。
商業高校だったので、
ほとんど9割9分ぐらいの学生たちは就職するんですよ、高校を卒業すると。
多分他の普通の学生だったら専門学校行ったりとか大学行ったりっていうのがあると思うんですけど、
そういう職業系の学校だったんで、大体みんな就職する。
先生たちも当然学科の先生たちが就職するもんだと思って、
3年生、2年生あたりから準備をするんですよね。
就職支援というか、地元の企業さんと採用活動をやったりとかして。
大学進学するというのはクラスに一人いるかいないかとかで、
それの割合なんですね。
思った当時はね。
実際私が大学行った時に、
大学に行くという選択肢を、
そういう選択肢の提供は当然初級高校なんで、ないというか少ないとは思うんですけど、
今でいうから障害賃金みたいなのがあったりするわけじゃないですか。
学歴のあれとか。
今後AI時代ってなってくるとどうなってくるかまた分からない部分であるんですけど、
私の時間を戻してみると、
高校を卒業して就職した人と、大学に卒業して就職した人の障害賃金というのは、
かなり広い、長期的に開いていくっていうところが大人になってきて、
そういうのが分かってきて、
やっぱり大学とか教育っていうところに対しての価値っていうのを、
価値があったわけですよね。
価値を期待しているのかしていないのか分からない大人たちが高校の先生として、
学生たちには就職しなさい、就職しなさいっていうことを言うわけですよ。
結構これ不思議だったんですよね。
高校卒業して大学行ってる間とか大学卒業した後就職したっていうのも、
結構その、
人たちがそれを言ってしまう、
商業高校なんてしょうがないって言ったらしょうがないし、
むしろ商業高校の売りが就職率だったりとかね、いろいろあると思うので、
別にそこを否定する気はないんですけど、
1人の子供の将来とか、
そういうのを長期的で見るっていう視点は、
どこへ行ったのかなっていうのはすごく感じた気はするんですよね。
当時も商業高校のキャリア教育っていうところでは、
やっぱり商業高校だから大体学校就職するみたいな形。
それも選択肢を与えるじゃなくて、
一緒に子供たちと考えるような時間っていうのはあんまりなかったんですかね。
と思うんですよね。
私ちょっと3年生の途中でいなくなったんで何とも言えないんですけど、
同級生たちは就職、銀行系とか組合とか金融系とかに就職したりとか地元のね。
ちゃんも学校行く子は行くし、就職する子はするしみたいな形でやってたので、
商業高校なりのキャリアはいろいろあると思うんですけど、
必ず商業高校に行ったからといって、
就職しなきゃいけないっていうことは誰も決めているわけではないと思うんですよね。
本人が望むか望まないかも別として。
そうですよね。
やっぱり一人一人が持っている、考えている、思っていることとか、
将来こういうことやってみたいとか、そういう部分も含めて、
高校生って可能性しかないじゃないですか。
もう可能性、子供たちって可能性の塊ですよね。
そういう意味だと思うんですよね。
私はたまたま留学をきっかけで大学受験して、大学に行く進学を考えて今やってるわけです。
やっぱり高校生で就職する、職業選択の半分以上決めてしまうっていう部分では、
すごくもったいないって言えばいいんですかね。
そういうのね、なんて言えばいいのかな。
そういうところでも、もう少し教育する側というか、
学校側が子供たちに見せてあげられるコンパクシーってまだあるのかなっていうのは、
私も今聞いてて思ったんですけど。
いろいろやってみて、いろんな選択がまた増えてくるっていうのはあると思うので、
自分はそれに関してはそういうふうに感じてましたね。
学校のキャリアとか、学校教育に関しては。
キャリアってところではなくていいんですけど。
その当時、高校生とか、自分は進学を選んで、
結構な子たちが就職を選ぶっていう環境にいた、
うさぎ年生まれさんが思った感想みたいな感じですよね、今のお話ね。
そういうふうに感じている、もしかしたら今商業高校に通っている子どもたちもいるかもしれないってことですよね。
そうですよね、実際いると思うんでね。
そういう生の声っていうのも聞いて、
私もじゃあ今大人にできることないのかなっていうのを今考えながらお聞きしていたんですが、
じゃあちょっともう残り時間も11時に終えようかなと思っているので、
そんなうさぎ年生まれさん、最初の冒頭でね、
人材紹介のお仕事で今会社経営なさっているっていうところだったんですけど、
今の現在地での目標とか、お仕事におけるキャリアにおける今の目標みたいなのってあったら教えてください。
はい、そうですね。
えっと、やっぱり自分一経営者としていろんな成長するっていうのはやっぱり会社のためになっていくかなっていうところにあるので、
その部分を大きくしたいっていうのはすごく感じますね。
一経営者として大きくっていうのはその個人。
そう、私個人が成長することが会社の成長になるかなっていうところには感じてるんですよね。
かっこいいですね、私の成長テーマなので。
もう頭に成長したいって今思いましたけど。
すごく、みんな成長してると思うんですよ日に日に。
そうね、ほんとそうです。
いろんなフィジカルな面でもね、精神的な面でも。
ただなんかこう、やっぱり経営者として見なきゃいけない部分っていうのも当然あると思うんですよね。
今やってる仕事が外国人労働者といった人材派遣といっても海外の方とかそういったところなんですかね。
そうですね、当初は外国人の方向けっていうふうに思ってやってたんですけど、
お客さんの要望だったりとか、やはりマッチングっていう部分を強化するべきなのかなっていうところもあって、
外国人の方問わず、その企業様が求める人材にマッチした方っていうところで対応させてもらってるっていう感じですかね。
今の会社のビジョンみたいな、求める先にある社会みたいなのって何かあるんですかね。
そうですね。
どんな社会とか、どんな世界が広がってるのかなっていう理想のビジョンみたいなのを聞きたいなって思ったんですけど。
そうですね。
いろいろこう、昨今ね、外国人の方がどうのってことは、地元で言われてらっしゃるんじゃないかなっていうふうには思うんですけど、
アメリカにおいてはその多様性っていうのが分断じゃないかみたいな、広告しているみたいなところがあって、
すごい世界になってしまったなっていうふうにはすごく思うんですけど。
そうですね。
日本という国を歴史的に見ても、単一民族っていうふうには言われているものの、いろんな文化を取り入れて成長してきた国だと思うんですよ。
なので、少なくともそれを止めるっていうのは、日本の成長していくのは大変になっちゃうんじゃないかなっていう。
どうやっても大変なものは大変なんですけど、多様性を取り入れても難しい、大変な部分たくさんあると思うんですけど、
もっと違いや多様性を取り入れて成長していけるような、経済成長していけるような社会だったりとか、
私たち会社としてできることといえば、やはりそういう部分で多様性を入れることによってイノベーションが起きて、
会社にとっても社会にとっても、いろんなところで個人に対してでもいろんなメリットが生まれてくるような社会だったり、
そういう世界観が望ましいなっていうのはすごく感じてますね。
今お聞きして、私の心に残ったのは、違いを成長につなげるっていうところですかね。
それって外国人とか外国人じゃないとか日本人とか、そういうのも飛び越えてというか、
個人個人の違いとか国同士もそうですけど、違いをお互いのプラスにしていけたらいいなっていうのはすごくありますよね。
ちょっと壮大なイメージになりましたけど。
いやいやいや、でもなんかその壮大な先の、きっと思ったのが最初の台湾留学だったり、
中国語学ぶってことになって、マスターに出会ったりっていう、
そういうのが一個一個ターニングポイントとか、一個きっかけになっているのかなっていうのは、
今日のエミコラボでお聞きできるかなっていうふうに思います。
もっともっと聞きたいこと盛りだくさんなんですけど、しかも台湾に帰ってきてね、
その後もきっとね、いろいろ就職したとか、結婚したとか、子供だとか、いろいろキャリアのポイントになっている部分って、
あるにもかかわらず3つも喋り足りないって言って解散する我々なんですよ。
最初に言っておけばよかったよね。終わりませんってことはね、そうだね。
最初に言っておけばよかったね。時間じゃ終わりません。
喋り足りないんだよね。もう永遠に喋ってられるぐらい本当に楽しいんですけど、
続編みたいな形でまたね、台湾から帰ってきてでで?みたいな、
その後もちょっとね、いろいろお聞きしたいところがたくさんあるんですが、
今日えみコラボで第2弾でね、うさぎ年生まれさんとお話しした中では、
まず1個高校生の時のうさぎ年生まれさんがアメリカに憧れっていうのがあったけど、
おやおや台湾へっていうそのまさかのね、
あんなことが偶然とね、あと自分の思い必然と偶然と、どっちも重なって今がある。
あと出会った大人とか、そういう多感な時期を経た、過ごした高校での進路のこととか、
あと行った先での経験とか、欲しくなった自分のね、日本とか家族とか、
いろんなところに対する思いみたいな、いろいろ合わさって今のね、
うさぎ年生まれさんのその熱い生き方につながってるのかなって思いました。