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2021-03-20 11:59

#06 公共事業のこれまでの歩みについてしゃべる

前回までに、公共事業の全体のフローや仕組みの説明をしたところで、時系列的な公共事業のこれまでの歩みについて話してみたいと思います。

今までの「説明系」と異なり、若干だらだら気味にしゃべっております。

なんとなく、これまでの営みを感じていただければ幸いです。

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建コンのアレこれの、建コンのアレです。よろしくお願いします。
これまで、第2回から5回にかけまして、公共事業の全体像ですとか、その中での建設コンサルタントの役割を話してきました。
今回と次回は、これまでの日本の公共事業の移ろいとか、それからちょっとこの先の公共事業というか、インフラがどういうふうになっていくかっていうのを、
ちょっと私の個人的な考えとか、といったところを思っているものを話していきたいと思います。
今回は、この回はこれまでの歩みを話していきたいと思っているんですけども、
私も含めて、結構新幹線とか高速道路とか、そういったインフラって当たり前になっている世代というか、
そういう時代に生きている人が、これ聞いてくださっている方の中にも多いんじゃないかなって思うんですけど、
ちょっと想像してみていただきたいんですけど、例えば新幹線とか高速道路がない暮らし、ない時代の日本ってどうだったかって想像してみると、
例えば野菜とかって、今より多分高かったんじゃないかなって思うんですよね。
高かったっていうのは、農業生産能力とかも変わっているので、本当に金額が高かったかどうかはわからないんですけど、
今の世の中に高速道路がなかったら、多分野菜の価格って高いだろうなって思うんですよね。
あるいは地域差が非常に大きくなる。生産地に近いところは輸送のコストが低いけど、高速道路がなかったら多分ものすごい渋滞をするはずなんですよね。
ああいったものを運ぶのに。同じようにガソリンも日本の中で限られた拠点でしかガソリンを陸上げって多分できないはずで、
そこから全国に輸送しているはずなんですよね。全国のガソリンスタンドに。
そうするとガソリンスタンドの価格も輸送費がもっとたくさん乗っかってくるんじゃないかと。
日本の輸送品目みたいなものを調べたんですけど、機械類の輸送っていうのが結構多いみたいなんですよね。
これは多分いろんな産業があっちで作った部品をここで集めて組み立てるとか、自動車でもそうですけど、
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タイヤを作る会社とランプを作る会社と、中のメーターを作る会社とシートを作る会社とかボディを作る会社とか、
全部違うんですよね。それを運んで集めてそれで組み立てをするっていうものなので、
私たちのよくわからないいろんなものがきっといろんな輸送に支えられていると思うとですね、
多分新幹線とか高速道路とかない日本ってもはや考えられないというか、知らず知らずのうちにこういう交通網に支えられているんだろうなって思うんです。
で、よく有名なものとして東海道新幹線、これが開通したのが1964年です。
っていうと、40年20年足して60年前ぐらいですかね、55年前ぐらいですかね。
東名高速道路が1969年。それからですね、橋梁関係でいくと本州と九州を結ぶ関門橋、これが1973年。
瀬戸大橋は1988年。ここではもう私生まれてますね。瀬戸大橋とか、あと青函トンネル、北海道に陸路で行くための。
青函トンネルも同じく88年。それから赤石海峡橋は1998年。
日本に本州、四国、北海道、九州とあって、それぞれ陸路でつながったのは1980年代なんですね。関門橋だけ70年代につながってますけど。
っていうことを考えると、いろんなものを陸路で運べるようになったのって、意外と最近ここ3、40年の間で発達したっていうことなんですよね。
つまり何が言いたいかっていうと、前回までで説明をしてきた、その公共事業の土木インフラの営みっていうのは、
かなり多くのものが、ここ最近、最近っていう意味は、5、60年、40年、50年、60年以内に作られていて、昔から当たり前にあるものではないってことなんですよ。
で、我々建設コンサルタントの役割も、それからゼネコンさんとか建設業者さんの役割も、この今までの4、50年の間っていうのは、新たなものをたくさん作るっていうことが日本中で命題になっていた時代だと思うんですよね。
地図に残る仕事っていう、テレビCMなんかもあったと思うんですけど、そういう時代だったと。
だけど今では、結構そういったたくさん作るっていうフェーズ、日本中にどんどん整備するっていうフェーズは終わりつつあるという認識は、多分インフラに関わっている人はおおむね一致してると思います。
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で、かつてはですから、世の中が欲しいと思うものがたくさんあったわけなんですよね。
やっぱり当然、車が普及したら車で四国行きたい、車で九州行きたいって思うわけですね。
電車で行きたいって思うわけですね。船乗らなきゃいけなかったわけですから。
それ、船乗らずに行きたいって思うわけですね。
それを作ることには多分ほとんど意義がなかったというか、困る人、局所的にいるとしても、あったらありがたいって思う人多かったんじゃないかなと思うんです。
だけど今、本州と四国を結ぶルートって3つあるんですけど、4つ目欲しいかっていうと、4つ目も欲しいと思う人は多分減ってるんじゃないかと思うんですよね、当時に比べれば。
これはつまりどういうことかっていうと、昔は課題がたくさんあって、欲しいものがたくさんあって、それを作るってことに合意を形成しやすくて、しかも相対的に便益が高いものだったんだと思うんですよね。
いろんな場所をつなぐとか、あと交通の話ばっかりしてますけど、水害とか地震に対してより強くする建物の建築の構造に求める耐震性の基準なんかも年々変わってますけど、同じようにインフラも地震や水害が起きても市民生活が続けられるように整備をしていった時代だったんですけど、
この災害については交通報道をやり切ったって言えなくて、災害に対するインフラっていうのは今後も引き続いていくものだと思うんですよね。
いろんなものを作ってきた時代だったということ。さっきの本州四国のルートの話もそうですけど、やらなきゃいけないことがいっぱいあるときに、まず何から手をつけるかっていうと、ローコストでハイリターンのものからやっていくと思うんですよね。
東京と名古屋、名古屋と大阪をつなごうとかっていうのも、ある意味その時考えられるコストの中でリターンが大きいから規模の大きい都市をまず結ぼうと、その後にどんどん東京にしても大阪にしても名古屋にしても放射状に交通網を発達させていくと。
最近はその次の課題として環状道路っていうのをどんどん整備している最中にあると思います。
っていうように時代が最近変わっていって、かつてはローコストハイリターンのものから順番にやっていったんですけど、ローコストハイリターンのものは一通り達成しつつある。
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そんな中でこれからの公共事業っていうのは多分、一つは残された課題みたいなものに向き合っていく部分があるんじゃないかなと思うんですよね。
これは当時ハイコストでハイリターンだったもので、今は技術革新なんかが進んで、今ならできるっていうものも結構あると思うんですよね。
大震度地下のやつはちょっと今いろんな話題がありますけれども、地下の深い場所を開発するっていうものも技術革新のなせる技という部分もあると思います。
あともう一つ大事なのは、ここ4,50年でたくさん作ったものを使い続けなきゃいけないんですけど、40年も50年も経つとやっぱり老朽化してきているものがたくさんあって、それを補修したり維持することにも結構いろんな活動を伴うんですよね。
直さなきゃいけなかったり、そもそも状態を把握しなきゃいけないんですけど、いっぱい作っちゃったものだからそれを点検するにも結構大変なんですよね。
これからのインフラのフェーズっていうのはまずいっぱい作ったものを使い続けること、残された課題を何とかすること。
3つ目に、我々の社会の暮らし方も変化していくと思うんですよね。
デジタル技術が普及したりなんかして、テレワークとかみんながするようになると、じゃあ交通の意味とかも変わってくるし、
ウーバーみたいに、当時はわからなかったニーズですね。ここからここに行きたいと思っている人がいるっていうのは誰も知りようがなかったんですけど、
今タクシーの配車アプリあるように、ここからあそこに行きたいと思っている人がいるってことはアプリを使えば誰かに知らせることができるんですよね。
じゃあタクシー向かわせますってアプリで人を向かわせることができるんですよね。
そういう状態になった時に、じゃあ交通のインフラのあるべき姿って変わってくることないのかなとか、
そういう社会の変化に対してインフラがフィットさせていくような、そういう取り組みも今後はあるんじゃないかななんて思っています。
今日はここまでにして、次回は今ちらっと話した今後の公共事業について個人的な思いを引き続き語っていきたいと思います。
最後までお聞きいただいてありがとうございました。
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