ゲストの紹介とラジオ愛
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠三宏さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
パーソナリティを務めます、小篠三宏です。
今、私がいる場所は、王子飛鳥山にある邸宅の談話室。
こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話しする、そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
今月は、ラジオとプロレスを長く愛し、そして愛されている素晴らしいゲストをお呼びしております。ライター・編集者の村上健作さんです。どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。村上と申します。
私も初めましてなんですけれども、この前に打ち合わせでお話しがあったんですけど、僕たちの時代に黄金期だったラジオとプロレスというのを後世に伝えるために、降り立った天使みたいな人だなという感じがしていますけど、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さて、ちょっと前さばきとしてなんですけど、本当に遠いところに今日おいでいただいたんですけど、北区王子というのはいらっしゃったことはあるんですか?
いや、何回か来た記憶がありまして、というのも僕、練馬区と板橋区の間ぐらいに住んでいるので、そんなに遠くないんですよね。だからウォーキングとかで来た記憶があるんですけど。
すごいな、でも結構あるじゃん、距離。
2時間ぐらいですかね。でも、目的を持ってきた記憶がないなという感じですね。
でも、サンスクエアなんかにおいでになったというのは初めてですか?
いや、存在は初めて知りました。
あ、そうですか。結構ボーリング場なんかあるんで、行ったことあるよという人も多いんだけど、なるほど、そうですか。
はい。
そんな中にできたスタジオをここでこういうふうな形でやってますんで、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さてですね、ここで村上さんから簡単に現在のお仕事内容を含む自己紹介をいただきたいと思うんですが、よろしくお願いいたします。
職業としてはライター兼編集者という形です。長年プロレスをずっと20年ちょい取材してまして、同時にラジオの本とかあと著書とかをここ10年ぐらいで作っているっていう立場ですね。
なるほど。今日も実はスタジオには村上さんの著作がね。
学生時代のラジオ体験
ありがとうございます、本当に。
どれもみんなラジオ関連のね。
そうですね。
すごく僕としても興味を引くような。
はい。
そうですか、はい。さてですね、そういうお仕事に携われている村上さんですけれども、これ学生時代からラジオプロレスは興味を持ちだったんですか?
そうですね、中学生の時にどちらも大体興味を持った感じですかね。
なるほど。先ほどもね、その練馬板橋のあたりにお住まいだったっていうんですけども、やっぱりラジオにすごく接する時間が長かったっていう感じですか。
家にラジオは流れていたっていうのはありますね。祖父が野球中継とか競馬中継とか聞いていたっていうのもありますし、四つ上の兄が深夜ラジオにどっぷりとはまっていて、
はいはい。
ハマりすぎて、小学生の高学年の時に保健室に寝ていたらしいです。深夜ラジオを聞きすぎて。
わかる。あのね、もうまさに私たちの時代ね、TBSがパックインミュージック、文化放送がセイヤング、それから日本放送がオールナイトニューヨーク、三大地上派がみんなそれぞれに深夜放送枠を持っていて、
これが午前1時から午前3時までやって、オールナイトニューヨークは3時から5時までもやるし、TBSと文化放送はその後はトラック運転手さん向けの番組になっていく。パックインミュージックもそうか、3時5時のやつだね。
そういうような編成でしたから、ついついオールナイトニッポン第2部なんてやってると、朝の5時まで聞いちゃうみたいな。そういう時代でしたからね。それは朝起きられませんよ。お兄さんもちょっと僕らよりは若いけど、そこにはまってた。
そうですね。僕がラジオにちゃんと自分で聞き始めたのが、リンドバーグというバンドの渡瀬真樹さんというボーカルの方がオールナイトニッポンをやってて、僕はリンドバーグが好きだったので聞き始めたっていうのがきっかけなんですけど、小学校6年生の時なのかな、その時なんですけど、深夜3時からやってたんですよ。
だから必死にカセットテーブルで録音するしかないじゃないですか。小学生から深夜3時聞くのはちょっと無理があるんで。でも兄と共用のラジカセだったんで、なんか録音うまくいかなかったりとか、あとイヤホンが抜けてて深夜に爆音が流れたりとかしてて、毎週ちゃんとコンスタントに聞けなかったんですよ。
今のラジオ付き化すると信じられないかもしれないですけど、そういう状況って。
カセットに録音しとくんだよね。
そうですね。
それで僕たちの時代はまだ2時間枠全部録音できるっていう機械とかテープが希少だったんですよ。
だからね、それを録れる機械を持ってるとかいうのが録ってきて、翌日また教室でみんなで聞くいたりする。
そうなんですね。
それでね、夜寝ちゃってるやつも含めてみんなでもう1回ワイワイ聞きながら楽しむみたいなね。そんなこともしてたぐらいのラジオ時代でしたね。
カセットテープで何回も録音してると伸びてきちゃって、プレイヤーに絡まって台無しになったりとかあるじゃないですか。
録音もうまくいかなかったりしたんで、1年ぐらい聞いてたんですけど渡瀬真木さんのオールライト日本語。
何週か聞き逃してたんですよ。
で、やっと聞けると思って聞いたら知らない男の人が喋り出してて、実は終わってたっていうのがあったんですよ。
終了報告も最終回も聞けないまま終わっちゃったんですよ。
そういう悔いを残しながら小学校生活を終わったみたいな。
誰だこの男と思ったんですけど、実は福山正晴さんだったっていう。
なるほどね。
当時は無名だったんですけど。
そうかそうか。で、部活も中学の時は親指になってた?
そうですね。南式テニス部をやってました。
昼間スポーツやってるとなかなか夜起きてるっていうのはなかなか難しかったですね。
もともとは打ち気で引っ込み試合のタイプだったんですけど、好きな子にモテたいと思って中学時代からすごい頑張ったんですね。
それでその一環としてテニス部にも入ったんですけど、それが無理が出てきたんですよね。
学校のイベントとかで張り切ってやってるんですけど、もともとは打ち気なんで。
そうかそうか。自分も少し演じてたってことですね。無理が出た。
そういう時にラジオはあと一息つけるというか、逃げ場所みたいになってた感覚があったんでラジオにはまったんだと思いますね。
これもよくあるパターンなんだけど、部活終わられて夏休み時間もできて、ここで完全に夜型になっちゃった。
そうですね。夏休みぐらいしかリアルタイムで聞けなかったと思うんですけど、むちゃくちゃ聞いてたと思いますね。
部活を引退していざ受験勉強になった時の夏休みなんて、夜の10時から朝の5時までを毎日ラジオを聞きながら勉強してるんですけど、
多分勉強になってなかったはずなんですけど、中3の時の夏休みはラジオしか聞いてなかったみたいな感じですね。
ラジオの変化と世代の違い
年代でいうと何年頃になるんですか?
90年代中頃ぐらいですね。
そうするとその頃のハマってた芸人さんとかアーティストさんってのはどういう方なんですか?
ラジオでいうと、多分イジュインさんとかバックショー問題さんとか99さんが本当前世紀というか脂が乗ってきた時期なんですよね。
その辺を中心に、あとオンラインと日本の2部が女性アーティストが多かったんで、その辺の音楽を聞いてたイメージですね。
そういうラジオにハマってる村上さんのような方っていうのは、僕らの頃はさっき話したようにクラス中がみんな聞いてるみたいな感じだったんだけど、
村上さんの頃はどんな雰囲気だったの?
必死にラジオ好き探したんですけどいないんですよね。
村上さん何年生まれだっけ?
昭和53年です。
僕とちょうど20年違った。
じゃあその20年の差でもってそんなにラジオをそういう形で聞くって人が少なくなっちゃってた?
そうですね。だから共有したいとかラジオの話したいって気持ちは強すぎて、高校に入って放送部に入ったんですけど、ラジオの話ができる女性の先輩がいたんですよ。
もうすぐ好きになっちゃいました。ラジオの話できるっていうだけで。
ラジオとの出会い
なるほど。じゃあもうそういう意味では本当に少ない存在というか、ラジオ側から見れば貴重な存在としてのラジオ好きがそこで中学生の時に生まれてたっていうことだよね。
逆に言うと本当自分のものだったと思うんですよね。それの感覚はもしかすると世代によって違うと思うんですけど、
小島さんの時にはもしかすると自分のものって感覚はなかったんじゃないですかね。自分一人のものとか。
全然ないね。
僕は逆に自分一人のものって感覚なんですよね。
なるほどね。そのことがさっきもちょっとおっしゃったけども、学校でのキャラと本来の自分の帰りにちょっと苦しんでる感じがあったことが、
そういう自分の一人でいられる場所が確保できたっていうことで、それがラジオに救われたっていう感じですか。
なるほどね。中学卒業時の夢っていうのがそういう中で培われてたと思うんですけど、どういうことだったんですか。
プロレス好きだったんですけど、プロレッサーになりたいって一度も思ったことないんですよ。
だからプロレスの会社に入りたいっていうのと、ラジオに関してもパーソナリティになりたいなんて思えなかったんですよね。
ディレクターとかミキサーだかなみたいなのも将来に夢といってありましたね。
あと本も好きだったんで、本屋とか。これもまた本を書こうと思ってないんですよね。
だから全部、自分が主人公みたいには思ってないんですよね。
それはなんか僕の子供の頃からずっと、自分は脇役だみたいな意識があったんですよね。
でもその裏方の中でもって、いいものを作っていく、それぞれの分野のいいものを作っていく、優れた裏方になりたいっていう。
まあよく言うとそうですね。
ちなみにさ、本が好きだったってどういう本を調べた?
もともとは、篤井康隆さんとか、あと太宰治さんあたりを読んでましたね。
結構とんがってたっていうか、人間失格初めて読んだときに、これは俺だと思ったんですよね。
ほんと、あれ越野さんっておばあちゃん出てきたりする。
今見ると笑えるぐらいに冷静になるんですけど、当時はそのお面をかぶってる、仮面をかぶってる意識が自分であったから、
人間失格読んだときに、これは自分のことだみたいに思ったんだと思うんですよね。
本ってその前、小学校の時代からもう少しずつ読みながら、人間失格だったりっていうところに到達したんだろうと思うけども、
その中で本を読んできて、自分で何か学べたとか、本を読んできたということで影響を受けたことって何か感じるところはある?
ライターの仕事をすることになるのは、結局本をすごい読んでたからだと思いますね。
だからラジオと同時に本も逃げ場所になってたんだと思うんですよね。
オタク文化との関わり
やっぱり休み時間のために図書室に行って、いろいろ読んだりとかしてたんで、
今の文体とかを読むと、ダサいっぽい影響を受けてるんだろうなと思ったりしますね。
何だろうな、逃げ場所とか秘密基地とかっていう言葉がいくつか出てきたんだけど、
ラジオを聴いてるとか、本を読んでるとかいうことって、僕の感覚から言うと別に普通のことでね。
逃げてきた結果みたいなものでは全然ないのが、村上さんの世代になるとね、
それが逃げてきたって感じちゃうって、すごいちょっと不幸なことだなって気がする。
世代のギャップかもしれないですね。
つまり、表にあることっていうのがさ、全部明るく楽しくなきゃいけないみたいな。
だからそこにいる構成メンバーって、みんな明るく楽しい奴じゃなきゃいけないみたいな共生感があってさ、
そんなことないじゃん、人間って。
一人の中にもさ、明るい時もあれば暗い時もあるわけだし、
それから性格的にどっちかといえば明るくて楽しいっていうのもいたり、
少し陰キャっていう奴がいたりとかって、みんなでいるから楽しいんだけど、
ちょっと逆説的になるけどさ。
なんかそれが一つのキャラクターに染め上げられちゃうみたいな感じの世代なのかな。
今思うと、学生時代にイベントに頑張ってた自分も自分の一部だと思えるんですけど、
当時は思えなかったと思いますね。
あと世代的にオタクっていう文化が市民権を得る前なんですよね。
僕が学生の頃はオタクってダメなものみたいな扱いがあったんで、
どうしても日陰者みたいな意識があるんですよね。
だからいいとかダメとかが鮮明になっちゃったんだよね。
僕らの頃もオタクみたいな奴いて、決して俺たちと違うなと思ってたけど、
その後の世代みたいに徹底的にそれをネグレクトしたりとか、そういうんじゃなかったんだよね。
しかも僕、身長がずっと一番後ろだったんです。今も185cmあるんですけど、
大きいけど運動できないというコンプレックスもあったんだと思いますね。
そういうところからラジオや本を一人でも楽しむし、
いろんなことを感じることのできるものが作ってくれた。
そうですね。
そういう感覚をお持ちだということですね。
なるほど。プロレスの話までいきませんでしたので、
次はプロレスの話をしっかり伺いたいと思います。
また次回もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。