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2025-06-12 15:14

#80 「プロレス愛」後楽園ホールスタッフから記者へ|ゲスト: 村上謙三久さん

【今月のゲスト】

編集者・ライター 村上謙三久さん

【今回のトークテーマ】

・「プロレス愛」後楽園ホールスタッフから記者へ

・インタビューとは「白黒つけるのではなくて濃淡の具合をつける」


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。

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サマリー

村上謙三久さんは、プロレスとの出会いや高楽園ホールでの経験を経て、プロレス記者になった過程について語ります。プロレスやボクシングの現場で得た知識やインタビューの面白さについて深く掘り下げています。また、プロレス記者としての活動やラジオの企画に関しても触れ、プロレスと声優の関係性についても言及しています。特に、声優とラジオの歴史的なつながりや、取材を通じて得た知識の重要性が強調されています。

プロレスとの出会い
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT。
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思うさまざまな人たちが遊びに来ます。
情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
こんばんは、小篠光洋です。
今週も引き続き、ライター・編集者の村上謙三久さんをお迎えしております。
今週もよろしくお願いいたします。
村上さんは、ラジオとプロレスを専門分野にされているライターということで、前回はラジオの話を伺ったんですが、今回はプロレスのお話からスタートしたいと思います。
さて、プロレスとの出会いというのは、言い方もちょっとあれですけど、それはどういう時ですか。
これは中学校のテニス部に所属した時に、仲良くなった部員の人に勧められて見始めたというのが最初ですね。
彼に連れられて会場に観戦しに行って、どっぷりハマったという感じだと思います。
プロレスの集団はどこで見に行っていたのか。
見に行っていたのは、全日本プロレスという団体ですね。
だから、高楽園ホールとか日本武道館によく行っていましたね。
まだババさんが頑張っていた頃の全日本プロレスですね。
そうですね。ババさんの現役時代の試合は、メインイベントには出ていないですけど、休憩前あたりとかで面白い、おかしくやるようなプロレスをやっていましたね。
もうちょっとコメディみたいな感じですね。
永元遥さんとやっていた時代だよね。
主力はジャンボ鶴太。
ジャンボ鶴太さんも病気して、現役時代見てますけど、一戦をシリーズに行われているような感じでしたね。
そうすると、三沢小橋。
三沢川田小橋、田植という四天王というのがいまして、スタン・ハンセンとかスティーブ・ウィリアムスとか英国人選手もやっていたという感じですね。
そのぐらい少しハマったプロレスなんですけど、
プロレス具合が半端じゃなくて、高楽園ホールの係員バイトっていうのがあったら即座に応募して働いた。
そうですね。
高校卒業した時に、前回ちょっとお話ししたんですけど、とんがってたんで、高校時代は結構新学校だったんですけど、大学行くのは気持ち悪いみたいになったんですよ。
で、フリーターをやろうと思った時に高楽園ホールっていうのを見つけたんですけど、すでに高校時代から高楽園ホール、月2回ぐらい見に行って、高楽園ホールの立ち見を持つ階段っていうのがあるんですけど、そこで試験勉強とかしてたぐらいなんですよ。
なるほど。
これやれるしかないじゃんと思って、高楽園ホールの係員になって、そこから6年間、年間300日ぐらいプロレスとかボクシングの工業に携わるようになったって感じですね。
係員としての経験
具体的に係員のバイトってどういう仕事をするんですか?
掃除とか接客とかが中心なんですけど、僕が長年やったのもあって、ボクシングのリング作りとか、あとグローブ管理とかやってたんですよね。
すごいじゃん。結構重要なというか。
そうですね。チーフみたいになってたんで、ボクシングの工業とかキックボクシングの工業でロープの硬さを決めるのが僕で、あと、KOされた選手の単価とかも運んでましたね。
リング作りって話があったけど、競技によってリングの作り方って違うでしょ?
例えばプロレスだとバカーンって跳ねる音がするように入れるんでしょうね。
コラケンホールには常設のリングがあるんですけど、すごい特殊で、真ん中で真っ二つに分かれて、下に車輪がついてて動かせるんですよ。
プロレスの時には客席の一部になってるんですよ。
ボクシングの時にはそれを合体させてリングにするって感じなんで、プロレスは団体ごとがリングを持って作るって感じなんですよ。
そのことはホールの係員はやらないの?
ボクシングはホールの係員がやるっていうことでね。
そうなんですか。年間300日以上の工業っていうことはさ。
すっごい働いたよな。
でも夕方からだったりするんで、工業は夜なんで。
だからひどい生活してましたよ。朝起きてパチンコを打って、もう夕方になるかって言ってコラケンホールでバイトして。
日々によってはそのままオールでカラオケ行ったりしてみたいな。それが青春でしたね。
夢のような生活だね。素晴らしいね。
で、趣味が工事手っていうよりももっとプロフェッショナルな感じがしますけれども、その後プロレス記者におなりに。
プロレス記者の道
そうですね。日本スポーツ出版社。
行った後。
そうなんですけど、プロレス好きだったんでプロレス会場で稼いだお金で地方を見に行くとかまでやってたんですけど、6年やったときにいっぱい見たなと思ってちょっと飽きたんですよね。
たぶん一生分見たみたいな感覚になったんですよ。毎日見てればそうなるじゃないですか。
そうなったときにそういえば高校時代スポーツライターになりたいとか思ってたなって思ったんで係員として知り合いになった関係者の人に仕事ないですかって振ったら一緒にやるって言われてプロレス記者になったって感じなんですよ。
なるほど。普通不安として見るのがお腹いっぱいになったらそこでなんか違うものに行くんだけど、そこでプロレス記者っていうライターっていう方に行ったっていうのがなんか青春時代本をいっぱい読んでたっていうのが頭をもたげてきたって感じですね。
そうですね。
なるほど。これ実際記者ライターになられてインタビューの面白さがモチベーションになって。
そうですね。
それはどういうこと?
プロレス記者になって1,2年でプロレス記者っていうものの仕事の天井が見えたって感じがあったんですよね。
やっぱそんなレベルが100ぐらいあるんじゃなくてレベル10ぐらいまでしかなくて、このままプロレスってことだけを頑張ってもモチベーションが持たないなって思ったときにレスラーのインタビューを始めるようになったんですけど楽しかったんですよね。
インタビューをすることがモチベーションになったって感じですね。
形式的な読者受けするような作られたストーリーでただ書いていくっていうんじゃなくて、やっぱりその中にいる人に着目してそれを深掘りしていくみたいな。
そうですね。
そういうことですかね。
もともと記者になった段階ではインタビューなんて想定してなくて。
そうなんだ。
自分は絶対できないとか思ってたんですよ。
前任者の人が全く知識がなくて、この人聞くなら俺聞いた方がいいだろうみたいなところから始まってるんですけど、やっぱりそこで人となりを知ったりとかキャッチボールしていく楽しさみたいなところからインタビューが好きになりましたね。
そうですか。
一番最初にインタビューした人って覚えてる?
そうですね。覚えてますね。
プロレスラーの池田大輔さんとムハメドヨネさんっていうのを2人インタビューしたんですよ。
サムライTVっていうテレビ局の控室でしたんですけど、全くうまくいかなかったんですよ。
打っても打っても響かないみたいな感じで。
ちゃんと答えが返ってこないみたいな。
それって結局池田さんってその後仲良くなるんですけど、そこが打っても響かないタイプの人なんですよ。
それが分かっていればなんとも思わないんですけど、分かんなかったんで焦るだけ焦っちゃったんですよね。
でもそういう経験をしていく過程で、いろいろ面白さを感じていった感じですね。
鈴木実選手って分かりますか?
ちょっと分からない。
プロレス界一性格の悪い男っていうキャッチフレーズで怖い人なんですよ。
その人と20代前半の時に喫茶店で二人っきりでインタビューすることになって、
睨まれたりしてビビり倒したんですよね。
でもその人のプロフィールの中にライバルは弱い自分って書いてあって、
これ何なんですかって聞いたら、ふとその表情みたいに見せて、
そういう自分で強がってる自分が嫌いだとか意識してるみたいな話をした時に、
この人の心の根っこみたいに触れた感覚があって、
そういうとこから好きになっていったんですよね。
なるほど。
それはもしかしたら中学時代、明るいみんなに会わせるべく自分のキャラを変えてやってて、
一方で一人で秘密基地で自分を見つめてみたいなことをやってた。
ご自身とも重なったみたいな。
プロレス記者の活動
そうですね。だから良くも悪くもだと思うんですけど、
僕全てのイメージ良い人って裏側があると思ってるんですよ。
例えばファンサービスの良い有名人がいるとして、裏から見るとスタッフからすると、
ファンサービスばっかりやってるから時間が計算できない人っていう見方とかもあるじゃないですか。
絶対裏と表があって、そのどっちもあるから面白いって感覚なんで。
だから尊敬してますみたいな人っていないんですよ逆に言うと。
どっちもあるから面白いって感覚いいよね。
つまりどっちはいいけどどっちは悪いじゃないんだよね。
両方があるから人間面白いし、それ一人だけじゃないんだから、いっぱいいるわけだからね。
しの黒つけたいんじゃなくて、脳炭の具合を探るみたいな意識でインタビューするようになったんで、
それでハマっていった感じですね。
なるほど。
でもすごく先ほども言ったけれども、村上さんが書かれてるものとかに、
スポーツライターってやっぱりどの方もそうだけど、
人に対する奥行きの部分にどれだけアプローチできるかによって、
全然文章の価値が変わるみたいなところがあるじゃないですか。
それはやっぱり感じられるっていうのは本を読んできたっていうことなんだろうね。
そうですね。だからインタビューとかもプロレスに関してもラジオに関しても読んでたんで、
Wikipediaに載ってるような発言だけのインタビューって本当に嫌なんですよ。
金返せとか思ってたんで。
だから自分がやるときになったらものすごく下調べをして、
人は知らない話を聞き出すっていうのはやっぱり気をつけてますね。
なるほどね。
さて、そういうことでプロレス記者として活躍を始められてということなんですが、
その間ちょっとラジオの話が出てなかったので少し離れておられたのかなって気がしますけど、
ラジオに戻るきっかけってのは何だったんですか?
巡り巡ってプロレスのウェブ系をやってたのがプロレス雑誌をやったりとか、
同時にアイドル雑誌の編集者を兼任したりとかしてたんですけど、
アイドル雑誌が休館になって企画をやらなきゃいけなくなったんですね。
出版社にいる人間として。
で、俺ができる企画って何だろうと思ってきたときに、
そういえばラジオを聞いてたなっていうところでラジオの企画を思いついたんですよね。
で、同時に知り合いのカメラマンから声優さんの本作りませんかって提案を受けたんで、
じゃあ声優とラジオで作ればいいんじゃないかと思ってMOOC本を作ったのが2012年のことですね。
声優とラジオの関係
そこからです。
なるほど。これがラジオ本の声優ラジオの時間の制作になっていくってことですね。
でも声優とラジオ、この関係どういう関係なんですか?
ラジオが生まれた瞬間に声優という概念が日本に生まれたといっても過言ではないんで、
いろんな見方があるんですけど、
一つの見方としてはラジオと同時に声優が生まれたっていう考え方があるんで、
だからラジオイコール声優って言ったっていいことだと思うんです。
つまりラジオっていうのは声だけで表現していく、
その表現力を磨いていくっていう、もしくは表現力のある人っていうのを探したときに、
一方で俳優っていう仕事があって、その人たちが声で表現するっていう風になっていった。
ラジオドラマとかが始まると、そこで声優という職業が生まれてくるという段階があるんで、
そこからですね、やっぱりラジオと声優の繋がると。
なるほど、その声優ラジオの時間というのは、実はその辺から紐解いていった。
後付けですけどね、最初は本当に僕はもともと声優って全く興味なかったんで、
編集プロダクションが中心にやって作ってもらったんですけど、
その人たちがラジオのニュアンスが分からなかったんですよね。
声優雑誌みたいに作ろうとしてたんで、これはこのままやっていくと無理だと思って、
僕は声優全く知らないんですけど、僕が編集長で完全に執業して作っていったんですよ。
そうやってその声優さんとの繋がりができてきて、
多分アニメ雑誌とか声優雑誌って好きな人がライターとか編集者になってるんですけど、
僕全く知らないって段階で取材しに行ったら、それを喜んでくれたところもあるんですよね。
アニメとか声優としての活躍は知らないけれど、
その人の番組はむちゃくちゃ聞き込んで行って取材しに行くってなると喜んでくれて、
そういうところから僕も声優を知って、歴史もひも解いていったっていう流れですね。
なるほど。さらにこの関係が、
先ほどプロデュース記事のモチベーションにもなったっておっしゃってたインタビュー。
これで一冊本を作っちゃったということで、
次回は100人へのインタビューを基に誕生した著書。
いつものラジオ。こういう本があるんですけども、
これについてお話を伺っていくということでございます。
はい。次週もぜひよろしくお願いいたします。
お願いします。
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