1. 飛鳥山の窓から -TOKYO NORTH MOVEMENT-
  2. #10-1 山野楽器社長の学生時..
2024-09-05 12:52

#10-1 山野楽器社長の学生時代は、とある一流野球選手と野球に打ち込む少年だった?! (ゲスト: 山野政彦さん)

【今月のゲスト】

山野楽器代表取締役社長 山野政彦さん


【今月のトークテーマ】

山野楽器社長の学生時代は、とある一流野球選手と野球に打ち込む少年だった?!


東京商工会議所北支部会⻑である越野充博が

王子飛鳥山の邸宅の談話室で、北区内外の多彩な起業家、経営者の方々をお招きます。

情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。

グラスを傾けながら、北区の未来を語り合います。


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00:06
TOKYO NORTH MOVEMENT-飛鳥山の窓から
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠三宏さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すんでしょうか。
TOKYO NORTH MOVEMENT-飛鳥山の窓から
パーソナリティを務めます小篠三宏です。今、私がいる場所は、大寺飛鳥山にある邸宅の談話室。
こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、グラスを傾けながらじっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
今月のゲストは、株式会社山野楽器代表取締役社長、山野正彦さんをお迎えしております。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
それでは早速、山野社長に色々とお話を伺っていきたいと思うんですけれども、
山野さんに私がご縁をいただいたのは、先日8月に開催をされた、山野ビッグバンドジャズコンテスト。
こちらに私ども、少しお手伝いをさせていただくというようなことで、ご縁ができてということなんですけれども、
これは、いつからスタートされたコンテストでしたっけ?
昭和で言った方が、すごくわかりやすいんですが、昭和45年。
1970年ですね。
からスタートしまして、今年で55回目ということなんですね。
ですから、これ実は後ほど詳しくお話を触れさせていただきますけれども、
言ってみれば、ビッグバンドジャズ界、大学のビッグバンドジャズ界の甲子園みたいな、そういう大会というような感じで、
私も参加させていただいて思いましたけれども、
そういう文化貢献というようなものも含めて経営の中に取り入れられている山野社長に、今回は色々とお話を伺っていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
それでは、山野さん、山野楽器という楽器を扱うお仕事とお商売としては、非常に規模が大きいというふうに私は思っているんですけれども、
改めて事業内容をお伺いできますでしょうか。
はい。今、規模が大きいとおっしゃっていただきましたが、それほどではないと思っているんです。
歴史を言う前に、まず現在、今一番音楽事業でも力を入れているのが音楽教室事業。
本来は楽器からスタートしまして、それからレコードですよね。レコードからCDというふうに取り扱う商品も変わっていったんですが、
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気が付けば、時代とともに今は音楽教室事業をメイン事業としまして、それから楽器の販売、あと楽譜もまだありますね。
一部、先ほど申し上げたCDなどのAVソフト販売ということもやっております。
なるほど。音楽教室というのは対象となる方というのはどういう、やっぱり子どもさんとかが中心ですか。
うちの場合はですね、大人の生徒さんが多いですね。
そうですか。それは年齢層とか、男女とかするとどんな感じですか。
そうですね。まず男女比で申し上げますと、女性の方の方が多いんですが、やはり20歳超えて20代、それから30代、気が付けば40代、50代、70代超えた方たちもいらっしゃるということで、
本当にまんべんなくと言いますが、大人の方にたくさんいらしていただいているというのが現状ですね。
確かに私たちの世代の仲間というか、友達なんかでも、急にサクソフォンを吹き始めたとかですね、
昔やってたピアノをもう一回やり始めたとか、そうやってちょっとずつ聞いてみると、実はねというのは多いですよね。
そうですね。本当に大人の方がとにかく多いというのが、要はあれですね、今おっしゃったように、もともとやってた方、
要するに昔やられた方が、またやってみようということで復活された方もいらっしゃいますし、あるいは時間とお金ができたので、
昔からやってみたかった楽器をやってみようということで、5年前の方が始めたりとか、そういうことが多々見られます。
ミッキー・カーチスさんというアーティストがいらっしゃいますので、ミッキーさんと僕ちょっと話したことがあって、
おっしゃってましたけど、最近の素人はよ、俺たちよりよっぽどいい楽器使ってんだよなっていう。
もうすげえの使ってんだよ。まさにそういう、もう憧れの楽器を使ってみようなんていうのも一つ、
ある程度シニアが楽器を始める動機にもなるんでしょうかね。
そうですね。だいたい弊社も、どうせ長くやられるなら、いい楽器をお求めになられた方がいいということでお勧めをしていますし、
逆にいい楽器をお求めになられた方の方が長続きするってこともあるんですよね。
これだけ投資しちゃったんだからみたいなのもあるかもしれないですね。
そうですか。現状そういうことで、音楽教室というものを一つ軸にしながら、
販売の方も広げてやってもらえるということなんでしょうかね。
はい、そういうことでございます。
それではここでですね、山野正彦さんとはって、ここに現行のところにクエスチョンがあったりしてですね、
山野さんご自身のことをちょっとお伺いしていきたいと思うんですけれども、ご出身はどちらでいらっしゃるんですか。
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出身といえば、生まれたのは銀座のすぐ隣の築地の西六波病院で生まれました。
ああ、そうなんですか。
昔は山野家はみんな、うちの父の代までは銀座に住んでましたから、その関係もあると思うんですけど。
でも私の場合は西六波で生まれましたけど、育ちはずっと大田区の田園町府で生活しました。
なるほど。学生時代は部活動とかそういうのをやられていたんですか。
そうですね。子供の時は小学校では草野球をよくやっていましたし、
小学校ではバスケットボール部、高校では空手部、それから大学の時は大会はもういいということで、先輩に引っ張られまして、テニスのサークルに入ってという感じですかね。
結構なかなか音楽を代表される社長さんですけど、スポーツマンでいろんなことをやられたんですね。
いや、スポーツなんて好きですね。
実は大変ある有名人の方が同級生というか。
ああ、いますね。一人一人いますね。
はい。どなたでしたっけ。
長島和重さんですね。
長島和重さんの長男でございますけれども、長島さんとは草野球で一緒にやってた?
そうですね。特に小学校の時に、同じクラスの時に、もう本当に学校から帰ってランドする家に置いてからすぐに多摩川のグランドに行ったり、
あるいは園長部のカトリック教会がありました。そこのグランドでいらしていただいたりとやってました。
なるほど。どうですか。和重くんはプレーヤーとしてはどうでした?
いや、昔から体力がありますから、もう球も速いですし、とにかく当たればと言いましたけど、
彼は小学校4年の時にリトルリーグに入ったんですね。それからすぐ伸びまして、
ドラフト1位でヤクルトに入るまで、とにかくちゃんとした実力を持ってやった人だというふうに思っています。
そうですか。やっぱりお父さんがすごすぎるから、やっぱり才能のある人なんですね。
いや、もちろん。プレーヤー級に入って最初に打ったヒットがホムランで、ジャイアンツのガリクソンから打ったんですよね。
あれだったら実力がなかったら打てませんから。
打てませんから。
なるほど。すみません、ちょっと余談になっちゃいましたけれども、
本当に球のあの風景が思い浮かぶような素敵な少年時代を送られたなという感じがいたしますけれども。
さて、そういうスポーツマンだった山野社長ですが、いつ頃から音楽には触れておられたんでしょうか?
楽器屋の息子ですから、当然小さい時から強制的にピアノを鳴らされていました。
あ、そうだったんですか。それは今に至るまで続けておられるんですか?
正確に言いますとですね、やっぱり小さい時って要するに強制的に鳴らされるので、面白くもなんともないですよね。
ですから途中で小学校入った時、小学校3年かな。
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で、一旦辞めたりしまして、それからまたやったりやらなかったりを繰り返しまして。
ですからもう学生の時はほとんどずっとピアノに触れずに過ごしまして。
で、それで結婚してから、たまたま家内が全く楽器と縁がない人間だったと思うんですが、
たまたまCM見てて、これだったら弾けるよってことで弾いてあげたのが、またピアノを復活するきっかけになったんですけど。
へー、じゃあ今は続けられて。
いやそれがまた終わりまして。
それから本当にもう十何年ですかね、また離れてたんですが、今回のコロナ禍で自宅で練習する時間があったということで。
じゃあということで、久しぶりに昔買った楽譜を引っ張り出してきまして。
で、また自分でやって、そうしましたら今度はたぶん初めてちゃんとハマったんですね。
おー、なるほど。
ですから今はもうピアノは自分の趣味にしようということで。
そうですか。
ですからね、これだけ生きてきまして、ピアノを趣味と言ったことはずっとなかったんですけど、今初めてピアノを趣味と言えるようになりました。
そうですか、それは是非また山の音楽教室でブラッシュアップしていただいて、一度社長のライブみたいなの聴きたいもんですね。
ありがとうございます。
山野社長、そういうことでもう本当に何代目になられるんですか?
私は山野楽器として4代目ですね。
4代目、私も実は4代目と言っているんですけれども、いつ頃から社長というものをご自身の中で、つぐんだというのを意識されたものでしょうか?
もうこれはですね、本当に生まれた時から、私は3歳まで祖母が一緒なんですが、
祖母が亡くなったんですが、その後もですね、祖父から、
祖父から、あなたのおばあちゃんはね、あなたが西洋館で生まれた時に、まだ名前もついていない時に、最初にかけた言葉が、4代目さんって声をかけたんだよって、そこからずっと聞かされていまして、
だからあなたは4代目なんだ、4代目なんだっていうことを、ずっと家族からも言われて育って、ですからもうそういうもんなんだっていうことはもう洗脳ですね。
そうですね。
そんな感じで育ちました。
なるほどね。でもやっぱり、世襲とかって批判的に言われることも、僕らもそういう立場にいて感じるんですけれども、
でもやっぱり、そうやって小さい頃からいろんなことを聞かされて、父親の背中も見てっていうことの中で、だからこそできることっていうのがね、いろいろあるんじゃないかなって感じますね。
思います。
はい。ここまでいろいろご要請のところから原田さんのお話を伺ってまいりましたけれども、
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次回はもう少し今の経営のところとか、その辺を深掘りをさせていただければと思います。
また次週もよろしくお願いいたします。
はい。よろしくお願いいたします。
12:52

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