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2024-02-05 09:37

地元紹介 酸っぱい話・・・ミツカン

会社員をしながら自家焙煎コーヒーをドリップバッグに詰めて売ってます。

大好きなコーヒーや、大好きなビールについて放送します。
不定期でライフワークの空手や古武道についても話していきます。

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00:06
朝のコーヒー、夜のビール、ときどき武術。
こんばんは、Takeです。
今日も楽しく話をしていきます。
今日は番外編です。
愛知県が誇る食品メーカー、私の故郷でもある、
千田半島のユー、英雄のユーのミツカンという会社の功績について話をしてみたいと思います。
これは、津川さんにテーマをいただきましたので、
少し自分で復習してお話したいと思います。
ミツカンという会社には結構縁がありまして、
私が住んでいた生まれた常名市の隣町の半田という町で、
昔からある歴史ある食品会社です。
そして、私の父親、ヒロウさんが勤めていたので、
しかも母親も昔勤めていましたね。
なので、縁が実は結構ある会社でもあります。
父親は、たまたま偉くなったりとか、
その会社で重要な地位を占めたりするようなことはなかったんですけれども、
私も父親がそういう会社に勤めているのは知っていたし、
いろんな話を聞かせてもらって育ってきたので、縁が結構あると思っています。
早速行ってみましょう。
前、津川さんと喋っていた中で、ミツカンの話も出まして、
どんな会社か話してみようかなと思いました。
ミツカンって結構すごい会社なんですよ。
なぜかというと、日本の食文化の歴史を2回もしくは3回ぐらい変えているんですよね。
特に大都会で変えています。
どういうことかというと、もともと歴史が古い会社で、
1800年代から会社としては存在しています。
もともとは作り酒屋の会社で、ミツカンって、
ちょっと前まで会社の名前は、中野酒店という名前でした。
中野の野は、木々土と書く草みたいな字ですね。
その中野酒店の商品として、今あるラインナップがあるわけですね。
03:11
お酢も含めてそうです。
酒と酢って結構近いものがあるんですね。
酒を失敗して、もしくは発酵させ切ると、お酢になってしまうというのが、
共通点ですね。醸造という。
どういうことかというと、糖類を発酵させていくと、
エチルアルコールをさらに発酵させると、作酸ができるんですね。
最後のOHのところがCOOHになると。
なので酒屋と酢屋っていうのは近いものなんだけども、
酒屋さんにとっては、お酢って別に作りたいものではなかったわけです。
むしろ失敗するとお酢になっちゃうみたいな印象があったはずですね。
水館のすごいところ、中野酒店のすごいところは、
東京で早寿司という文化が流行った頃ですね。
早寿司って分かりますか?いわゆる今の我々が言う寿司ですね。
江戸前寿司というか寿司か。
江戸時代になるまでの寿司って何かというと、
なれ寿司というお米と魚介を発酵させた船寿司みたいなものが一般的だったわけなんだけど、
江戸時代になると米酢を使って早寿司と言って、
米にお酢を混ぜて魚と一緒に食べるみたいな文化が生まれてきたんですね。
それを後押ししたのが水館、中野酒店だったわけです。
その時代にある技術革新を起こして、
酒粕から大量のお酢を作ることができるようになって、
その技術を持って、しかも半田市から船で東京に大量に重いお酢とか、
そういったものを運ぶことができたので、江戸の文化を支えた、
もしくは寿司文化を作ったに近いくらい広めていったわけなんですね。
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一回目の世の中を変えたのがここですね。1811年と言われています。
220年前ですね。210年間。
そして2回目。
僕が知っている限りでは1864年、ポン酢醤油というポン酢味付けかな。
いわゆる味ポンですよね。それを開発じゃなくて広めたのが正しいかな。
もともとは北九州もしくは福岡のあたりのポン酢醤油という調味料を取り入れて、
自分のところで作って、それを日本中へプロモーションして、
鍋の季節には欠かせないものになったわけですね。
私が小さい頃も味ポンといえば、ポン酢なんて言葉よりも味ポンの方が有名だったわけですね。
味付けポン酢ですね。
なので三館はここで2回目のブームを起こしているわけですね。
そして今まで続くポン酢という食文化を作っています。
私は今でもポン酢大好きです。味ポンじゃなくてもいいんですけどね。
自分で作ったのも美味しいですよね。
そして最近のブームではないけれども、大きい動きとして日本の納豆の50%くらいのシェアを三館は持っているはずです。
私の父親がまだ在職中に納豆の会社を結構買収しまして、日本で一番大きい納豆メーカーになっているはずです。
そして三館の納豆は海外でも買うことができたりします。
日本の文化を広めてくれているし、日本自体の食味みたいなのをアップデートしていっている愛知県半田市の素晴らしい企業ですね。
中身はあまりよく分かっていませんが、なかなか日本の食べ物に対しての貢献度は大きいと思っています。
今日は珍しく地元の話、地元の企業の話をしてみました。
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もう少し深く勉強したいなと思える感じですね。
もう一回、久しぶりに三館のオスミュージアムに行ってみたいなと思いました。
今日はここまでです。
週の始めになぜか酸っぱい話をするという始まりでした。
では、おやすみなさい。バイチャ!
09:37

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