岡澤陽子のキャリアの始まり
働き方ラジオ始まります。株式会社セッション・クルー代表、働き方エヴァンデリストの田中健士郎です。
このラジオは、誰もが自己表現をするように情熱を持って働く、そんな世界を目指す仲間づくりをしていくポッドキャスト番組になります。
皆さん、自己表現していますか?
はい、ということで、今日のゲストはですね、ブランドマーケティングコンサルタントで、ポッドキャストダイヤルカフェのパーソナリティでもある、岡澤陽子さんにお越しいただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ということで、普段ポッドキャスト仲間でもあるというか、実はダイヤルカフェっていうね、ポッドキャストの僕の元上司の田中佑子さん、田中佑さんとよっこちゃん2人でやっている方には、もうちょっと前かな半年以上前ぐらいに出させてもらって、そこからのいろいろつながりだったりもするんですけど、
ダイヤルカフェの話もまた今日いろいろ後半で聞ければと思うんですけど、パーソナリティの2人が陽子ちゃん、佑子ちゃんって呼び合ってて、その感じがすごく、あれ、もともと同期コンビなんでしたっけ?
そうなんですよ。もともと失足の会社の同期で、もう20数年の付き合いになって、寄り方変わらないですよね。
本当に親しい2人っていう感じで、それも聞いてて、僕もなので、佑子ちゃんで勝手に呼ばせてもらってるので、今日はそのまま予備名でいきたいと思います。
お願いします。
ということで、まず、佑子ちゃんの自己紹介的なところというか、特に働き方、仕事のキャリアみたいなところを、まずどんなことを今までやってきて、今、ブランドマーケティングコンサルタントということで、割と今独立もされてやられていると思うんですけども、その辺の話も聞いてもいいですか?
はい、大丈夫です。今、メインの仕事としてはブランディング、それからマーケティングのコンサルタントがメインで、あとはマーケティングの中でもリサーチのお仕事とかもしたりしてるんですけど、特にリサーチだと、いわゆる訂正調査っていうインタビュー。
インタビューをして、分析をしたりっていうようなこととかもやっていて、私のこれまでのキャリアの話をすると、まず新卒でトヨタ自動車に入りまして、そこでの動機が、ポッドキャストのパートナーの田中佑子ちゃんになるんですけれども、私はトヨタで最初の配属が調査部っていうところだったんですね。
その調査部というのが、トヨタの中にある社内コンサルみたいに近いような組織で、いくつか役割はあるんですけど、そのうちの一つは商品企画、新しい車の企画を立てますとか、コンセプトを作りますというときに、マーケットを調べたりとか、ユーザー調査をしたりとかして、
その出てきた内容とかインサイトを元にコンセプトをさらに作っていく、ブラッシュアップしていくみたいな形の仕事があって、なので商品企画と一緒にその調査部のメンバーがユーザー調査もやって、一緒にコンセプト企画のほうに貢献していくみたいな仕事がまずあって、そういうのをやってました。
それから調査部の中には、マーケット予測をするチームもあって、年間とか3年とか中長期みたいな形での販売計画を営業部とかが立てていくときに、その前提となる各国のマーケットがどうなっていくかみたいな予測を立てたり、そうするような部署があり、
かつ自動車って経済とかインフラとか政策とかにも結構関わるので、経済分析とかをするチームもあったり、なので、私結構その調査部が長かったので、新卒で配属されて、育休2回入ったので、
10数年調査部に足掛けたので、3つとも全部やっていて、最後は50年予測と書いてました。
50年。やっぱりトヨタの規模になると50年予測するんですね。
当然、50年後なんて明確に描けるわけではないんだけれども、いろんな未来本だったりとかトレンド本とかいろんなのが出ている中で、いろんな情報を集めていて、シナリオを作る。
なるほど。
いくつかのシナリオを作っていって、今の状況を基にすると例えば確実性が高いとか、確実性は低いかもしれないけれどもリスクのあるシナリオ、これが来た時には会社としてはなかなか厳しい状況になるかもしれないけど、
じゃあその時はどうすればいいのかみたいな形でシナリオをいくつか作っていって、そのシナリオの中でトヨタがどういう価値を出していくのかみたいな議論をしていくというか。
っていうので、そんなちょっと変わった仕事もしたりしてました。それがトヨタのキャリアの前半。
レクサスでのグローバルブランディング
なるほど。まず新卒で割と社内コンサルっぽいところに行くっていうのもかなり稀なケースなんじゃないですか。
新卒配属はあったんだけど、配属の面談?配属前の面談あるじゃないですか。
はい、ありますよね。
面談でいろいろ話をしてたら、人事の人がふと、車好きですかって聞いたんでしょうね。
でも私、好きですって言えなくて。
で、ん?って詰まって、好きではないですけど、みたいな。
でも商品として興味を持っていますと、詳細として非常に面白いと思っていますと、
なぜなら車ってインフラ的な移動手段でもあるし、インフラにも関わるし、だけれども思考性もあるし、趣味のものにもなれるし、
高額なので購入時に考えて購入するし、しかもデータが取れるっていう中で、
詳細としては非常に面白い詳細だと思っています、みたいなことを言ったら、調査部に配属になりました。
中には、車大好きですっていう、本当にトヨタ大好きでとかいう人もいた中で、
ちょっと客観的なところから車について語ったのが良かったのかもしれないですね、そこに。
私自身もその調査部は第三希望ぐらいに書いてたのかな、配属希望で。
ただもう少し詳しく、いろいろ分かってから行った方がいいのかなと思って第三ぐらいに書いたんですけど、
でも何か俯瞰的に物事とか状況を見たりすることとかは、多分若い頃から好き。
なんかそれはずっと繋がっている感じがする。
確かに。
そこで新卒から割と社内でも客観的にリサーチをしたり予測をしたりの部署に入って、そこからまた変わっていくんですか?
そうそう、それでそこで2回行く気を取って、本当はもっと早く変わりたかったんだけれども、
調査部っていうのは東京の部署なんですね。
豊田自動車って東京にある部署がめちゃめちゃ少ないんですよ。
愛知ですよね。
ほとんどやっぱり豊田市だし、それから名古屋なので、東京の部署が少なくて。
でも途中子供も生まれたりとかって家族の事情もあるから、やっぱりできれば東京にいたいっていうのもあり、
なかなかちょっと部署に変わりたかった、新しい経験したかったんだけどなかなかできないみたいなのでちょっと長くなった。
ところでレクサスが2012、2013年くらいから結構大きくリブランディングをしようということで、組織体制を変えていて、
2013年に新たにレクサスのブランディングをグローバルでちゃんと確立させようっていう部署ができたんですね、東京に。
で、ちょっとそこを率いてた人が高田さんって言うんですけど、私のプロキャストに来てもらった人で、今でも仲良いお世話になった人なんですけど、
高田さんとは昔から知っていて、引っ張ってもらって2014年にレクサスに移動したんですね。
ちょうどグローバルでのブランド戦略を策定するっていうタイミングだったので、そこのプロジェクトリードという形で入って、
そのグローバルでのブランディングをやって、後半、最後辞める前の3年、4年くらいかな、後半はそのブランド戦略を実際にどういう施策、
マーケティングだったりPRとかどういう施策に落としていくかっていうところでの施策側のリードをやっていくという感じです。
レクサスっていうと国内っていうよりむしろ全世界で出していくブランドなので、
もうマーケットも完全に海外とかが多くなってくるってことですよね、やっぱり。
そうですね、もともともちろんトヨタ自動車の中のブランドだけれども、一番最初にアメリカで立ち上げているので、
そうでしたよね、逆輸入っぽいイメージがすごいあったので。
そうなんです。アメリカで立ち上げて、そこからヨーロッパとかで受け始めて、
日本と中国に出したのが2005年とかかな、結構後なんですよね。
そうなんです。なので、アメリカがすごい強くて。
なのでグローバルでブランディングしていくって言った時には、私たちはヘッドクォーターで本社なんだけれども、
やっぱり主要地域をしっかり巻き込んでいかないと、戦略の合意がそもそも取れないので、
なのでグローバルのブランディングやってた時とかも、本社のチームとアメリカ、ヨーロッパ、中国、
あと日本の国内のチームと人を出してもらって、みんなでワーキングプロジェクトみたいな感じで進めていったっていう感じです。
ちょっとあんまり想像できないというか、僕もブランディングとかは、新規事業とかやるとやっぱり言って考えることはPRも考えるんですけど、
一つの日本のマーケットの一つのターゲットに対しても、結構中小度が高かったりする領域でメンバーとも擦り合わせ大変なのに、
それをグローバルで多国籍のチームで割とブランドっていう領域を扱うのって、どんなことになるんだろうなみたいな。
地域によって文化も違ったり、意思疎通というか相互理解というか、すごい難しそうだな。結構その辺は大変だったんですか?
めちゃめちゃ大変でした。
ブランディングって結局、もちろんアウトプットも大事なんだけれども、こうしましょうって打ち立てたものを信じて地道にやって、その後の方がめちゃめちゃ大事だったので、
やっぱり一旦決まったこれを信じてやっていこうっていうふうに思う。そのプロセスであることが大事だったと思うんですね。
なので、やっぱり関わる人がキーマン、意思決定者じゃないとダメですし、出てないとその後下に落ちていかないので。
なので各国のワーキングチームも、基本的にはブランディングとかマーケットのトップ、各国のトップの人に入ってもらって。
出てくる。
そうそう、その人たちがもうほぼ主要メンバーで入って、かつその本社の方も技術のトップ、デザインのトップ、商品企画のトップ、ブランディングのトップで、その上の役員も全部入れて、各国の方も作業メンバーというかワーキングメンバーはブランディングとかマーケットのトップなんだけれども、各国のレクサスのトップの人たちも適宜入ってもらって、
その人たちの本を全部取ってっていうことでやっていって。
なので、誰を巻き込むかっていうこともすごく大事になってくるし、あとはやっぱりさっき田中健さんまさに言ってくれたみたいに、各国のマーケットでのレクサスの状況っていうのもそれぞれ違うので。
違いますよね。
そう、それも違うから、じゃあそれを踏まえた上でグローバルで何をどういう方向に持っていくべきなのかみたいなところとかをやっぱりすり合わせていく必要がすごいあるので、ただなんかそのすり合わせていくためにやっぱりそれぞれの各国の状況がどういうことなのかっていうことをお互いが理解するとか、
あとはその今のマーケットの状況を理解するとか、今後の方向がどうなっていくかっていうその今後の目線に対して皆の認識を合わせていくとか、その周辺がすごい大事。
ブランディングと信頼の重要性
ブランディングって言うとちょっとコンサルじゃないけど、最初にどういうコンセプトを作るかみたいな、そこのハウに割と目線が行きがちですけど、どっちかというとまずみんなで合意をして決める、でその決めたことを全員が信じられるかどうかっていうことの方が大事。
そうそうそう。
なので、プロジェクトも1年ぐらいかけたのかな、1年ぐらいかけて議論を進めていって決めて、最終的な発表とかもレクサスの世界大会みたいなのがあるんですけど、各国のディストリビューターが集まるような場で、
本社のトップから発表してもらうみたいな感じでやったんですけど、その前段階ぐらいで決めた方針みたいなのを説明に、一人では行けないからいろんな人たちに頼んで、みんながいろいろそれを説明しに行くんですけど、
ある人が聖書みたいだなって言ってました。
なるほど。
やっぱり無条件に1回これを信じようじゃないけど。
いやー、そうっすよね。ある意味、信仰のようにみんなが本当に心から信じられるかどうかのほうが、その後の成果に。そこがやっぱりブレて、各国各メンバーがバラバラの動きし始めるとうまくいかなくなっちゃいますもんね。
そうそうそう、そうなんですよね。ただなんか、やっぱりあの、例えばトヨタとかに比べるとレクサスのほうがブランディングっていうのをやりやすいなというふうに私は思ったのは、ラグジュアリーブランドなので、やっぱり世界観っていうのが大事だっていうところにまず共通認識がみんなあるし。
あ、そこにね、確かに。
そうそうそうそう。だし、あとそのレクサスのお客様っていうのは、じゃあ例えば日本のことしか知らないのかとか、他の国でレクサスに触れないのかって言ったらそんなことは決してなくて、やっぱりそのグローバルな情報にも触れるって言ったときに。
確かに。
例えばすごくかなりラグジュアリーでも、エクスクルーシブルなラグジュアリーと思ってたのが、ここの国ではめっちゃフォーダブルなラグジュアリーみたいな感じになっていると、やっぱりそこはチグハグ感がどうしてもお客様には伝わってくるっていうところで、ある程度なので、その国だけではなくグローバルでしっかりブランドの作る世界観っていうのを統一した。
方がいいっていうところの共通認識が持ちやすいっていう意味ではやりやすい。勝ったと思います。
確かに。そっかそっか。だからうちの市場は全然違うんだとか、世界観よりも機能性でしょうとか、いろんな価値観が共存している場合よりはやっぱり世界観が大事で、かつグローバルで同じブランディングをすることがまず大事だよね。
じゃあそれをどうしようかっていう、スタート地点がまだ揃っているっていうところはやりやすい部分はあったっていう。
そうそうそうそう。もちろんね、現場に行ったらいろんなことが、とはいえいろいろあるんだけれども、トップの人たちの基本認識みたいな、理想というか、部分はわりと握れていたのがやりやすかったかなと思います。
グローバルな意思決定プロセス
それに比べると、例えばトヨタとかは、もうほんと何十年も前だけれども、その国のトヨタへみたいなことをスローガンで掲げていたこともあるぐらい、やっぱりローカルにしっかり入っていくっていう。ローカライズ。
ローカライズでいくっていうことがとても重要なブランドだし、当然その税制も違うし、だからその価格帯も全く違うから、ほんとにすべて高級みたいなマーケットだって、やっぱり価格帯的にはなってしまうマーケットとかはあるので、
そういう意味ではグローバルで作るのは結構難しいブランド。
その意思決定、みんなで決めるっていう、これでいこうっていう、何でしょうね、瞬間というか、何でしょう、会社だったら最後は社長が決めるとかもあると思うんですけども、そのグローバルの場の意思決定ってどうされるんですか、ちょっと純粋に興味で聞いてるんですけど。
はいはい、でもこれは一番最初に意思決定ルールを合意しました。
そういうことか。
まずはワーキングチーム各国、各国って言っても全部の国からメンバー入ってもらうのは難しいので、主要のアメリカ、ヨーロッパ、中国、日本と本社っていう、5社のワーキングチームがまずは進めていきます。
そこで合意をして提案をして、各国はそれぞれの上にあるレクサスのヘッドには適宜報告をしてください、適宜確認を取ってください。
そのワーキングチームでの最終決定というか最終提案をレクサスの本社のプレジデント、さらにそのときのトヨタ自動車の社長だったトヨタ競争さんに最後は承認を取って。
提案して承認。
提案して承認取って、それで確定っていうことの、その意思決定図みたいなのは作って。
先に、そこをまず決めるみたいなことを。
そうそうそうそう。
そういうことですね。
そうです。
これでいくよと。
あとこういうタイムラインでいくよと。
はいはいはい。
ここで発表するよと。
だからここで決めないといけないみたいな。
いやー、ものすごいプロジェクトですよね。
なんかもう決めるっていうこと自体がプロジェクトというか。
確かにね。
普通の会社だったらその最後決定するがプロジェクトの最後ですですけど、なんかもう決めること自体も一つのプロジェクトになるというか、本当に。
あと最近は働き方ラジオだと町工場さんのコミュニティ作りとかセッション来るって会社で今やってるんですけど、やっぱり町工場さんとかも今後やっぱり海外市場に展開していきたいっていうやっぱり思いを持って皆さん頑張ってる中で、
やっぱり国を越えてコラボレーションする力みたいなことがすごく求められるって話、結構この働き方ラジオでもしていて、やっぱりその時に大切なのが異文化理解というか相互理解みたいなことで、そこにハードルを感じる会社さんっていうのもすごく多いので最初。
なんかすごく今の話は、多分リスナーさんにもなるほどっていうのと、なんかもしかしたらいつか陽子ちゃんにちょっと入ってもらって、なんか町工場プロジェクトとかやっても面白いかもしれないなって今勝手に妄想しました。
本当なんかその自分と相手は違うっていうことを前提で考えないといけないと思うし、今振り返ると本当にもっと上手いやり方がいっぱいあっただろうなっていうふうに反省もたくさんたくさんあるけれども、
例えばレクサスでいうとアメリカのチームとか、本社機能は日本にあって、ただ日本にあるけれども本社のメンバーも多国籍でアメリカから逆すっぽって想像してる人とかもいるので、別に日本人だけではないんだけれども、
アメリカの側は自分たちが育てたブランドだっていう自負がものすごくあるし、日本の場合は言っても部署のローテーションがあって、例えば入社からずっとレクサスに関わってますという人はすごく少ないんだけれども、アメリカの場合はずっとレクサス一筋みたいな人もいるわけですよ。
立ち上げからいますみたいなおじさんとかもいたりして、やっぱりそういう方たちからすると自分たちが一番わかってると。なんか本社がうるさいこと言い始めたみたいな。
そういうのももちろんあるし、でもその気持ちは全くもって事実だし、しかもすごく尊重される思いじゃないですか。
だからやっぱりそこに対して敬意を払うことはとても大事だと思うし、しかもその方たちがレクサスに対する愛があることも事実だから、じゃあその愛をどういう形で同じ方向にみんなが向けられるかということがとても大事だったなと思うし、
それをすごく意識してた。めちゃめちゃなので、人間関係というか、すごく意識してたなというふうに思うし、国内の方も技術とかはやっぱり、私は全く技術の人間ではないので、知識がまず足りなかったんですよね。
異文化理解とチームワーク
しかもそのレクサス、調査部からレクサスに移動してきてプロジェクトリードだったので、それまでのレクサスの流れとかもちょっとよく分かってない中で入っているから、なんかこいつ全然分かってないだろうっていう、まず見られ方をしてしまうと。
で、なった時に、本社の技術とかデザインの人たちとかを巻き込んで、彼らが心を開いて議論してもらうためには、やっぱりこの人だったら自分たちのことを分かっているっていう人にならないといけないんだけれども。
確かに確かにそうですよね。
そう、だけれども時間、その時間がないなと思ったんですよ、プロジェクト。
いやー、そうですよね。いつまでに、そのさっきのね、ここまでにこれを決めてっていうのは迫ってるわけですよね。
そうそう。なので、私よりも上の人だったんですけど、その人をくどいてプロジェクトに入ってもらって、準メンバーですとか言って。
で、その人は技術の人、技術ずっと仕事をやっていて、技術の人たちともすでに信頼環境を築いているので、なので、本社側のワークショップみたいなのを各機能の部長さんを集めてやった時とかには、その方にファシリテイト、ワークショップのファシリテイトをしてほしいということをお願いをして、なのでそういうキーの人を入れる。
なるほど。
でもやっぱりその、自分たちを分かってくれる人がいるっていうのがあるかないかで、全くその議論のオープンさとか深さみたいなのが変わってくるので、なので自分がそれができる人であれば、それをできる人がいるっていうことでやってて。
そっかそっか、だからもう全部自分でやろうとせずに、うまくこう周りの力も借りて、信頼関係、相互理解を進めていくみたいな。
うんうんうん。そうですそうです。大変でしたけどでもね、すごい面白いプロジェクトに関わらせていただいて、すごい、なのでトヨタの経験を本当にありがたいなっていうふうに思います。
確かに20年。
聞いてるだけでも、すごくエキサイティングな仕事だったんだろうなっていう、結構ドキドキしそうっていうか。
そうそうそう、エキサイティングでしたね。
そんな感じですよね。やってる希望感と、しかも社長とかも出てくるような話だと思うので、トヨタのなんか痺れますね。聞いてるだけでも。
いろいろ、痺れる局面がいっぱいあります。
痺れますよね。これ間に合わないとか言って、あそこの国の人の合意取れないとかなんかいろいろ起きて。
そうそうそう、トラブルとかもね、やっぱり起きたりとかすると、お子ちゃんさんーっつって、月曜日ぐらいに、ちょっと木曜日からアメリカ行ける?みたいな。
え、ちょっとじゃあ、夫と確認します。家族とまず確認します。
なるほどねー。
ちなみにそれをやってた時は、私子供がレクサスの時に、レクサスにいる二人いて、移動した時に上の子が小1で下の子が2歳かな。
結構手がまだまだかかる。大変な時ですよね。
なるほど、いやー、でもそんなエキサイティングな仕事をして、そこから独立というか、会社を辞めてっていう感じになってくるんですかね。
そうなんです。そうなんですよ。で、めちゃめちゃ楽しかったんですよね、エキサイティングなので。
マネージャーの仕事も私は結構好きで、チームも最高のチームですごい楽しかったんですけど、いくつか理由があって、仕事の面でいくと、
リードとかマネージメントみたいな管理側の面白さと現場の面白さみたいなのをやっぱり感じられるのが課長クラスっていうか、それよりどんどん上になってきたら、なんかちょっと離れるなっていう感じもして、現場を離れるというか、
トヨタでのキャリアの変化
じゃあその自分はどういうキャリアをトヨタで築きたいのかなっていうところのちょっと先が見えなくなってきたっていうか。
なるほど。
あとはそのやっぱりブランディングとか、結局その最初の調査部も大きな括りで言うとマーケティングなので、そのマーケティングブランディングみたいなこの領域で20年やってきて、
ここを自分の専門領域としてやっていくのもありなんじゃないかなっていう。現場も楽しいし。
はい。
そういうところで軸を変えようっていうのがまずキャリアの方のところでは一つあって、あとプライベートの方では、私は仕事が忙しかったっていうのもあったんですけど、夫がそんなに子育て得意じゃないんですよ。
適正的にっていうことですね。
本人もそれはめちゃくちゃ自覚してるのであったんですけど、という中で私も仕事が忙しいので、お互い助け合って分担し合ってやってたんだけれども、ちょっとそこの限界も来ていて、その限界が結局子供にしわ寄せが来ちゃった。
で、子供への影響みたいなこととかを考えたときにも、少し家庭の立て直しというか、もう少しちょっとこっちに私の軸足を置いた方がいいなっていうのも家庭の理由としてはあって。
なので、一旦キャリアとしてもちょっとこの中でずっとという感じでもないなってところもあったから、一回やめて考えようと思って。
本当にコロナの時、コロナ直前。
コロナ直前だったんですね。
2019年の末にはやめて、オフィシャルにはちょっと有給の証価とかがあったから。
うん、ありますよね。
うん、あるんだけれども、出社は2019年の末でトヨタは卒業っていうのを取ったんですね。
独立と家族経営の実現
で、独立するときに夫が先に起業していたので、その5年ぐらい前に。
その夫の会社に入るという形で起業しましたと。
起業というか独立しました。
はい。
なので、今は私と夫がそれぞれのクライアントを持って、それぞれ仕事をして、それぞれ売り上げを一つの会社に入れて、
お給料をもらうみたいな。
夫婦で各事業、事業部みたいな感じの。
なるほど、かっこいいですね。
構成なんですけど。
ただ、私が辞めた当初とかはずっと家庭の建て直しっていうのもあったので、
基本的に私ほとんど仕事してなくて、特にコロナっていうのもあったし。
で、そうすると同じ会社だから、仕事も家族も全部ワンチームっていうか。
そうですね。
経済的に稼ぐ、家事する、育児するみたいなのを、
全員みんな同じチームで、じゃあ誰がどう分担するかみたいな感じになって。
でも、本当は家事はすごい得意なんですけど、育児はそんなに得意じゃないので、
育児負担が自分からなくなって仕事に100パー行けるっていうのは、彼は彼で、やっぱりなんか久しぶりにエンジンがかかるというか、
ブレーキを踏まずに好きに加速していいっていうか、楽しさというかあったみたいで。
なので、ご不満でしたらお給料をもう少し上げますみたいなぐらいの感じだった。
なんでしょうね、うまく合意されてるってことですね、そこはちゃんと。
そうそうそうそう。
なので、それはやっぱり一旦、家事も育児もかなりやっているから、
それが、仕事並み、時には仕事以上に大変であるっていうことも分かってるし、
そうなんですよね、はいはい。
だし、かつ、だからそれは、経済的な収入を稼ぐという、何かしらの経済対価があるものではないけれども、
時間とエネルギーを使う、しかもその重要度みたいな、とか責任とかそういうこととか考えると、
別に何ら、いわゆる経済的な仕事と遜色あるものじゃないし、しかも適性もあるし。
そうそうそうそう。
だからなんかね、家族運営みたいなことをワンチームで考えたときに、
全く違和感が多分なかったんだと思う。
それはちょっと面白かったなと思います。
パートナーシップの重要性
めっちゃ分かるというか、まずお互い、仕事も家事も育児も一旦やってるっていうのがすごい大事だなっていうのは、
まさにやっぱりすごい大変だし、しんどいし、
あとさっきの適性って話ができるのもすごいいいなと思って、
やっぱりこれは得意だけどこれは得意じゃないっていうのは人それぞれあって、仕事だとそれってうまく分担するけど、
なんか家庭だと、いやなんかもうそれやらなきゃいけないでしょっていうので結構こう、
特に日本だと女性が自動的にやることになってたりとかっていう話もよく聞くんで、
やっぱりそこがうまくちゃんとこうある意味会社のように、
それ苦手なんだ、じゃあ私やるよ、その代わりこっちできるみたいな関係性があるのがすごいいいなと思いました。
本当でも今田中さんまさに言ってくれたみたいに、私この話をままともにしたときに、
彼女はあまり家事とかが得意ではなくて、旦那さんの方が家事が得意だから旦那さんの方がやるんだけれども、
すごくそこにひけ目を持っていて、
しかもたぶんひけ目が出ちゃってるから、子供がお母さんできない癖じゃないけど、
なんかちょっと攻撃的な言い方をしたりもしていて、
でもやっぱりそこにひけ目を感じさせない環境とかパートナーとの関係っていうのもすごく大事だと思うし、
けどそこはほっとくと女性は感じやすいと思うんですよね。
それは本当に無意識で私の仕事っていうことを、
本能的に社会環境的に吊り込まれてきているから、
だからやっぱりうちの夫が無邪気に、いや俺得意、適性ないからっていうように女性で言える人は少ないというか、
っていうことですよね。
そうそうそうそう。なのでやっぱりそこはすごく丁寧に夫婦での話し合いが必要だなって私は思います。
会話が大事ですよね、やっぱり。
それでもどっちも好きじゃないことは、じゃあどうするって決めて半々でやるとかね。
とかもアウトソースを考えるとかね。
アウトソースも考えたりとかなりますよね。
今日はリサさんもバックヤードにいるんですけど、入りますか?
入りますよ。
リサのうちも家族と働くこととかって結構混ざってる家だと思うんで、バイオリン職人の家なんで。
そうだね。
感じることあったかなと思って。
家の一室が原画機工房になってるんで、もはや生活も仕事もすべて一緒っていう中で子供たちも育ってきましたけど、
うちの場合は夫も私も家事、育児、好きで普通にできるっていうところで。
2人ともできる。
すごい。
そうだね。
ちょっと夫の方がどれぐらい好きかとかわかんないですけど、私は大好きなので、特に困ったこともなくやってきちゃったなとは思うんですけど、
いろいろ日本やイタリアやいろんな女性の方の話を聞いてると、やっぱり仕事したいのに家事の比重が多くてとか、
ちょっと周りから家事や育児を優先させてっていう圧があるみたいな人もすごく多くて、キャリアとのバランスって、
女性って特に限定していいのかちょっとわかんないですけど、大きな悩みなんだなっていうのはすごい最近感じますね。いろんな人と話してると。
なんだかんだで、世代が変わってきてる中で、私も40後半ですけど、今の30代前半とかのパートナーシップかなり変わってると思うんだけれども、
でも聞いてると、結構なマジョリティで女性の方に家事、育児が行ってる家庭の方がまだまだ多いんじゃないかなっていう気もします。
全体的にはこの30代ですけど、そうですね、一応割と半々ですね、平等性を重視する。バランスが崩れるとガバナンスがかかってますね。
ちょっと最近あれじゃないみたいな。
なんかおかしくない?
おかしくない?っていうのが定期で起きる。それが対話のきっかけになるんで、その瞬間は若干戦ってますけど、やっぱそれが対話のきっかけになるし、話すっていうのが大事なんだろうなとはすごい思いますね。
本当なんか私対話すごく大事だなというふうに思って、あとその関係性とか仕事の状況とかもやっぱり変わっていくじゃないですか。
子どもの年齢とか成長とか、保育園か学校かとかそういうことによっても違うわけだし、だからやっぱり都度都度話していくのがすごい大事だなって思ってるのと、
あと、私一回エクサスの時かな、まだ夫が起業する前で会社勤めで、すごい夫が苦しそうだったんですよ。
最初はその育児・家事とかの分担とかが苦しいのかな、嫌なのかなって思ってたんですけど、
でもなんか話をいろいろ聞いてると、なんかどうも違うなと思って。で、なかなか本人は認めなかったんですけど、今の仕事に満足してないんじゃないかなって思ったんですよ、彼が。
で、それを突っ込んでいったら、最初は認めなかったけど、ようやく認めた後に、でも、その時の彼の仕事っていうのは割と早く帰れる仕事で、なので育児とか家事との両立もしやすい環境。
で、私はエクサスですごい忙しい出張もあって、みたいなところで、彼のほうが結構割合が増えてた時期だったんだけれども、でも自分がこれ以上忙しくなったら、あなたの仕事が回らないでしょ、みたいなことを言われたんです。
で、その時に私は、自分の仕事がつまらないのを人のせいにしないでくださいと。で、私はあなたの仕事はできない。
だから、やっぱりあなたが仕事がつまらなくて、すごくうつうつとして、家の中でもうつうつとしてるよりも楽しくして仕事をしてくれてる方がもう100倍いいと。で、それで回らなくなって難しくなったら、その時にまた考えればいいじゃないっていう話をして。
で、そしたらその1ヶ月も経たないうちに会社辞めたわって言って。
会社にうつうつとする状態っていうのは、チーム全体も望んでないし、チームのモメントというか、空気にも良くないから。
そうですね。
そうそうそうそう。なんかね、そんな話もありました。
確かに。やっぱり全員が生き生きと楽しそうにしてる方がね、子供にとってもきっといいでしょうからね。
そうなんですよ。絶対そう。
そこで独立してね、男性も結構40代50代とかって結構ね、ミッドライフクライスとかいろいろ大変な時期って聞くんで、僕も逆にこれからなんじゃないかなと思ったりしてるんですけど。
そういう時に対話してくれる相手というか、やっぱり理解者がいるっていうのはすごい心強いなと思うし、家族がそれができてるっていうのは本当に素晴らしいなと思いますね。
40代ってそういう年頃なんですよね。
なんかそうみたいですよね。
年頃じゃない。なんかこのままでいいんだろうかとか。
ですよね。
やっぱり経験も積んで、スキルとかもそれなりにできてきた中で、ちょっとふと立ち止まって、社会に対してとか、自分は何ができるのかとか、どういうふうに貢献。
社会に対してより貢献していきたいみたいな思いが強くなったりとか。
なんか多分そういう時期なので、だからこそちょっと冷静に考えるのも大事かなというふうに思うんですよね。
そこで家事を完全に変えるのも一つの選択肢だし、冷静に考えた時に今の会社に残って、
違う役割を果たしていきたいとか、今の会社でやっていきたいんだって強く再確認するっていうのも全然ありだと思うし。
年齢とキャリアの重み
でもね、とはいえ会社勤めもそんな一生できるわけではないから、
会社という組織とはまた違う軸を育てていくみたいなのも大事だと思うし。
そういうのを考える年齢なのかなって気はします。
なるほど。
僕は割とそれぐらいの年の方が周りに多くて、
そのぐらいの年で社会に貢献する方とか、自分らしくいようって振り切った人ばっかりが周りにいます。
ちょうどそうなので、年齢的には上の方々の仲間が結果的には多いし、
でもやっぱりそういう方っていろんな経験してきてるから、
本当に一つ一つの経験とかセンスの良さとかってすごい光るんで、
僕はもういろいろ学ばせてもらえますね、そういう方々から。
そうですよね。
私、昨日誕生日だったんですけどね。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
48になったんですけど、
でも40代もすごいいいなっていうか、良かったなって。
私、20代に戻りたいとか思ったこと一回もないんですけど、
やっぱり年齢を重ねていくその時間と同じように、
自分の中にいろんなものが積み重なっているし、
それがあることによってできることとか選択が増えていくことの方がありがたいなって思うので。
中田健さんの周りに結構上の年齢の人たちがいる。
多いです、多いです。
いろいろ学べるのもいいですよね。
そうなんですよ。
もう皆さんが持っているものが本当にそれぞれ素晴らしいものばかりなんで、
もう学びばっかりですね、本当に。
ありがとうございます。
ちょっとそんな感じでいろんなキャリアを歩んできた陽子さんなんですけど、
ここから、さっきの割と女性に関しての話とかも結構出てくるんですけど、
ポッドキャストダイアログカフェ。
ポッドキャストダイアログカフェ
これまさに対話っていう言葉入ってますけど、さっきのキーワードの一つで言うと。
それを始めて、もう2年ぐらいですかね。
1年半ぐらい。
1年半ぐらい。
超えましたね。
ちょっとこのダイアログカフェについても教えてもらってもいいですか。
はい。
今回もお聞きいただきありがとうございました。
ちなみにこの番組は、読むポッドキャスト働き方ラジオとして、
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番組への感想は、ハッシュタグ働き方ラジオで投稿いただけると嬉しいです。
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