人文知と経営の関連
こんにちは、TimeTreeラヂオです。本日も私、代表の深川ウレットのひとりがたり会です。
今日は、スティーブからお題で、人文知とかリベラルアーツみたいな、そういう学問、教養というかが、
ウレットにとってどんなものなんですか?経営とか組織運営とか、そういうのに役立ちますか?必要ですか?みたいなお題をもらったので、
そういうことについて話してみたいなと思います。最近、哲学とか社会学とか文化人類学とか、そういう人文系の学問がビジネスの文脈でもよく耳にするようになったなと思って、
古典ラジオさんとかすごい人気じゃないですか。あちらは歴史をテーマにしていらっしゃいますけれども、深井さんもお会いしたことはないですけれども、
ビジネスマンに人文知が必要な理由みたいなノートを書かれていらっしゃって、非常に面白く配読しました。
僕、哲学クラウドでサービスをやっていらっしゃる株式会社シルベさんとか、ポッドキャストの日本一楽しい哲学ラジオとかも人気で、
結構その哲学とかそういうものをテーマにしていらっしゃったり、ビジネスとの接続の観点でも世の中の興味関心が結構集まっているのかなというふうに感じます。
それがなぜビジネスにも必要なのか、あったほうがいいのかというのは結構人それぞれ捉え方が違うような気もするんですけど、
僕が今日思うところで話してみると、まとめたことないんで難しいんですけど、組織って全然違う考え方の人が集まって一緒に議論したり何か物事を作っていったりするわけですよね。
そもそも他人って、それが例えば近い人であっても妻であっても息子であっても、どんなふうに世の中のこと、世界を認識していて、
何を考えているか、何を感じているかとかって本当にわからないものだと思うんですよね。
ラーメン食べておいしいと感じているか、おいしくないと感じているかとか、それがわからないというレベルよりも、
もうラーメンの感じ方自体が私と一緒なのかどうかもわからないぐらいわからないものだと思うんですよ。
それがたくさんそんな人が集まって組織でやっていくって本当に難しいことだと思っていて、
そんな中でやっぱり同じものを目指したり認識を揃えたり、たまに時には衝突したり、
だけどそれを合わせて落とし所を見つけてとか、違う意見に消化してとかってやって一緒にやっていくって本当に難しいことで、
その時に僕は人文知は僕から見る世界っていう見え方以外の見方っていうのを掴む訓練というか、
そういうものとして捉えている、必要だと考えているという感じですね。
何かあった時に僕からしか見えない見え方で、僕から見て世界はこうなんだからその意見おかしい、こうじゃないって言ったとしたら、
組織運営における人文知の役割
世界の捉え方自体、感じ方自体が全然違う人からしたら何のこっちゃ何言ってんのっていう全くコミュニケーションにならないと思うんですよね。
でも人文知、哲学とか私とは何か、世界とは何かみたいなことを問ったり問いたり問う学問であったりしますが、
そこで自分はこう思ってたけどこんなふうな世界の捉え方があるんだ、世界ってこう、現実ってこうっていう理解の仕方があるんだってことを
たくさん触れて頭に悩ませると何か他者にわからないところがあった時にこの人はこういう見え方をしているのかもしれない。
例えば哲学で言うと誰々のような見え方をしているのかもしれない。
わからない、ソクラテスのようなとかニーチェのようなとかかもしれません。
そうやって自分とは違う見え方があってそこにもいろんな方があったりタイプがあったりとかっていうことを知ると、
他の人から見たときのその人からの世界の見え方ってことで想像を及ばすことができるかなと思って、
それだけでもたくさんの人を接続して協調して物事を進めるってことにすごく役立つかなと思っています。
ですかね、はい。
組織についてもそうですけど、プロダクトも僕同じように考えてて、
ユーザーさんから見た、ユーザーさんも一人一人違いますよね。
ユーザーさんから見たタイムツリーっていうアプリ、現実、日常とかが僕が見ているように捉えているとは絶対違うはずで、
じゃあどういうふうに捉えているのかな、感じているのかなっていうフレームワーク自体の想像をするっていうことが
押し付けじゃないプロダクト作りとかを可能にするんじゃないかなって思っています。
ベース、自分とは全く違う人と仕事をしていったり、自分とは全く違う人に向けてプロダクトを提供したりしていく必要が絶対にあると。
その中で自分とは違う世の中の捉え方っていうものを想像して歩み寄って対話するために
人文地は僕は重要なんじゃないかと考えているみたいな感じですかね。
あとはもう一つは、悩みみたいなものへの付き合い方みたいなのが上手になるというか、何とかなるために必要なのかな、人文地って思います。
特に経営とかしていると悩みがない状態とかはもちろんなくて、常に複数悩みを抱えていてみたいな状態だと思うんですけど、
その時にやっぱり悩みっていうのも自分から見た視点でぶつかっているハードル、課題みたいなことであって、
それを乗り越えたり、それでいちいちダメージを受けないようにっていうのでは視点を変えるっていうのが一番いいと思うんですよね。
視点を変えたからといって問題が消えるわけじゃないんですけども、解決策が出ない状態、答えが出ない状態にも耐えて抱えていけるみたいな感じかなと思います。
そこでもやっぱり今自分が見ている世界の捉え方とは違う捉え方があるって、
いろいろ想像を及ばせるだけで悩みとの付き合い方が楽になる、上手になるかなと思っています。
結構これは別に経営者じゃなくてもみんなにとっていいことじゃないかなと感じていて、
というのは経営では悩みが尽きることないって言ったけど、それは別に経営じゃなくても人生でもそうじゃないですか、悩みのない人なんていないし、
悩みがあるイコール辛いことで、悩みがあると即海に水に例えると溺れた状態になってしまうとすごくしんどいですよね。
でも哲学とかに触れるとその悩みに直面したときに即溺れるではなくて、付き合い方、多少泳げるとかそういう状態になれる気がするんですよ。
なので人生の悩みを消すことはできないけど、上手に付き合う泳いでいけるために哲学というものを介して、
今目の前にある問題、自分が取られている見方をずらす、変えていくということはすごく有益かなと思っていますね。
今結構速度が速い時代だと思っていて、あんまり答えが出ない状態ということに体制がどんどんなくなっているような気がするんですよね、僕も含めて。
だからコンテンツも速いものが多くて、オチまで速攻であるとか、漫画とか映画って実は劇的でドラマティックではないつまらないところを延々と味わうというほうが本質なのかもしれないとかって思うんですけど、
でも割と今すぐ答え、オチがあるみたいなものがあって、それは悩みでいうとすぐ解決する状態を求めているみたいな。
でも映画やショート動画の悩みはすぐにオチがきますけど、実際の人生の悩みはそんなにパッパパッパ解決するものじゃないから、
耐える、長くどうにかこうにか付き合っていくみたいな体制、体力みたいなものがあったほうが楽なんじゃないかなと思って、それをもたらしてくれるのは人文知、哲学だったりするかなと思います。
人文知みたいなものが組織の中で具体的に、例えばどんな時に生きていると感じるのっていう点なんですけど、
さっきね、それぞれの世界のそもそも見え方、感じ方も違っている中で、でもそういう組織っていうものをまとめて運営していくって大変なことだみたいな。
その中で、それぞれバラバラだからねだけだと実際動くには難しいわけですよね。
その中でそれぞれがこう見えているって見え方を集めて、何か正解をもたらすわけではなく、ここにおけるみんなの現実みたいなものを可視化するっていうイメージで僕運営してまして、
それが社内だと結構KPTみたいなボードにそれぞれが課題に思うこととかいろいろ書き出して、アイデアボードじゃないですけどそういうものを作る。
みんなでそれぞれ思っていることを書き出すっていうのをやるんですけど、あれが結構そのまま現実、タイムツリー社におけるこれに関しての現実みたいなものの輪郭かなと思っていて、
それぞれが見える、見え方でこう感じる、こうなんじゃないかっていうものを出すわけですよね。
それを見て他の人はこの人からこんな風に見えてるんだって言って、ちょっと相対化される。
その運動の集合みたいなのがKPTのボードだったりして、それを頻繁に繰り返すことで僕は何となく相互の対話、理解を可能にするし、
タイムツリーとしての大まかな現実の輪郭みたいなものが安定するのかなと思って、そういう意図であれをやってたりしますね。
悩みへの付き合い方
KPTみたいなみんなの思っていることを書き出すみたいなものですね。
この辺が結構わかりやすく具体的な影響だったりするかなと思います。
というわけで、今日は人文地、リベラルアーツがどんなふうに今必要なのかな、ビジネスにどう関係するのかなっていうことを僕なりに考えて喋ってみました。
ありがとうございました。