最終面接で、まさかの、起きたら面接時間でした。
総務の方に連絡をし、ちょっと大変申し訳ないんですけど、ワールドカップを見て、ちゃんと言って。
したら、お偉い方の圧迫面接みたいなのが最後に、社長室のやつ。
多分間空いてたんでしょうね。着いたら15時ぐらいで、おい君かよ。
読んだ人が、実際の現実で、何かしらの行動に移すとか、にしたかったんです。
ちゃんと事化をするメディアを作りたので。
THING佐藤薬師寺の作らずにはいられないラジオ、始まりました。
THINGMEDIAの薬師寺田本です。
この番組は、映像プロダクションTHINGMEDIAがお届けするトークプログラムです。
今回は、ちょっといつもの配信とは少し趣向を変えまして、
スペシャル版ということでTHINGMEDIAのCEOとCOOにインタビューしてみる、という特別回をお届けします。
そして今回は、僕と一緒にインタビューを務めていただく方がいます。
ライターの田賀原恵美さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。田賀原恵美です。
田賀原さん、田賀恵美さんこと田賀原さんですね。
簡単にご紹介をしますと、ライターとして活動されているほか、小築芸能にも所属、
PRや広報の領域でも活動され、自治体の広報アドバイザーなども務めていらっしゃいます。
そして今回、田賀原恵美さんに来ていただいた大きな理由がありまして、
実はTHINGMEDIAの創業初期を知る人でもあるということで、
2018年THINGMEDIAがボイシーさんの映像を制作した際には、
当時ボイシーの候補パーソナリティだったと、田賀原さんもその時に出演されていて、
その後もTHINGMEDIAにまつわる記事を執筆するなど、
初期からTHINGMEDIAの会社を外側から、半分内側からも見てきていただいたような存在ということなんですが、
お二人でいろいろ聞いていきたいと思います。
よろしくお願いします。
改めて今回の作り人をご紹介します。
普段この番組では作品や仕事サービスなどで何かを作っている人をお呼びしていますが、
今回はズバリTHINGMEDIAそのものを作ったお二人に登場していただきます。
THINGMEDIA株式会社代表取締役CEO、田中裕之さん。
そして、普段はこの番組のMCを務めていますが、
今日は完全に聞かれる側、ゲストに回っていただきます。
取締役CEOの佐藤和樹さんです。よろしくお願いします。
さあ、THINGMEDIAについて改めて伺っていきましょうか。
創業当時から、もちろん田中さんもどんな動きをされていたかはご存知なんですよね。
会社を作るというのは聞いたんですけども、
もともと最後の、和樹くんが辞める最後の年、
僕が前職だった青井プロっていう会社のチームリーダーで、
僕のチームに和樹くんいて、
ワンオンワンみたいなやるじゃないですか。
あれやりたいとか、これやりたいんですとかって、
言われるんだけど、ダメみたいに。
言うことがむちゃくちゃだから、ダメって。
なんでダメなんですかって言われると、
大体言うことが会社がダメって言いそうなことばっかり言うんですよ。
それできないだろうと。
田中さんやってたじゃないですかとか、
あの人やってたじゃないですかって言うから、
その人たちいいですかって言ってやってないから。
そうなっちゃっただけみたいな話をしてたら、
うーんとかああとか言ってて、
で、僕会社辞めようと思うんですって言われて、
辞めんの?って。
中学の同級生と会社作ると思っていてって言うから、
いきなり辞めるって言っても大丈夫かなこの人と思って。
心配しますよね。
で、悠久が1日も使ってなかったんですよ、和樹くん。
なので42日。
12年1日も。
でもあの2年で消えていくからね。
12年1日も。
そんな。
大体みんなで使ったことある人いないんですよ。
それはそうですよね。
前の会社でね、悠久使ったことあるプロデューサーはほとんどいない。
2ヶ月くらい休めなかった。
で、丸ごと休むと2ヶ月、丸2ヶ月休める。
土日も入れると。
その時やってたの覚えてますよ。
それで、丸2ヶ月やってみてダメだったら帰ってくればって。
で、上司としては言ったんですね。
半分給食みたいな気分で、
したら2ヶ月後に戻ってきて、
なんか面倒ついたんでやめます。
ということですね。
ついてないけど。
そうか、じゃあ頑張れよって。
ありがとうございます。
まさに上司としてはそんな目線でシングメディアスタートしてるわけですけど、
お二人は同級生だったわけですよね。
そうです。
で、再びシングメディアを再開とかスタートさせるための、
再開のタイミングはいつだったんですか?
再開もないじゃん。
ずっと千代くん友達だから。
そもそも普段から年に1回ぐらい会ってた?
まあ、そうだね。
年に数回かなとかは変わらず会う。
会うっていうか、2人で会うっていうよりはみんなで。
大人やつらで年末集まったりとかで会うとか。
お互いの印象はどうだったんですか?
お互いの印象。
中学時代。
そうですね。
川月は学生の時は結構みんな言うと思う。
すげえモテた。一番。
こないだ言ってたよね。
そう、違う動画で言ってたんですけど。
ほんとに一番、たぶん全員川月の方が好きだった。
オーラ、オーラ、オーラ。
オーラ系男子。
いや、もう見たくなったけど。
雰囲気ですげえモテてて。
まあでもやっぱり一番人気は学校の中心になったんじゃないですかね。
川月さんはどうですか?田中さんの印象。
田中の印象は中1で同じクラスになったんですよ。
小学校別々で。
だからその時にちょっとドキドキするじゃないですか。
ちょっと緊張するじゃないですか。
なんか違うエリアからも苦しみが。
学広くなるからね。
やっぱりちょっとマウントとか最初の1日目重要じゃないですか。
で、パッと見渡したらジェルをピッチリつけた。
当時はジェルだからね。
こっち側にジェル誰一人ピッチリつけてるやついなくて。
ジェル量でちょっと負けた。
そんな事がもう初めて。
ジェル量がすごい奴がいるっていうので、こっちのエリアでは話題でした。
小学校は別で、中1が一緒になって、中1が一緒で、そこで仲良くなってって感じでした。
なるほど。
で、シングメディアを立ち上げるまでの間に、中学からのご縁があるんでお友達とも含めて何回かずっとお会いされてると。
企業に至るシングメディアを設立するにあたって、それまでのおのおのキャリアを改めて伺いたいんですけど、まず田中さんから伺っていいですか。
僕は25くらいまではアパレルずっとやってて、フルギアで働いたり、スケボーずっとやってたんで。
結構フラフラ。フラフラではないですけど、ちゃんと働いてましたけど、でも正社員とかになったことはないって感じでやってたんですけど。
最後セレクトショップとかも入ったんだけど、なんかちょっとこれは先なさそうやなと思って、とりあえず辞めようと思って辞めて。
でも本当次何するか決めてなかったんですけど、25の時にたまたまきっかけがあって、自分のお姉ちゃんがテレビでたりグラビアやったりとか、
ちょっと芸能関係で社長の周りすごい知り合いが多かったりとかで、こいつと一緒になんかできるんじゃないかなと思って。
すごいあさはかな感じの時は。なんか影響力あるし、なんかできるんじゃないかなと思って、姉ちゃんと一緒に会社を作ったんですよ。
25の時に1回目の起業をして、その時本当僕が実家の自宅でパソコンだけ枕買ってきて、いろんなサービス作って結構やりました。
5、6個やった中の1個が1年ちょっとでヒットして、ウェブメディアがヒットして、当時のアベマブログとかに提携が始まってからバーってこう伸びていって、
っていう会社を25で起業してから7年間渋谷で経営してて、ウェブサービスが2つでかくなって、それで1回売却、事業売却して、
その時30歳くらいだったかな。そこからもう1回次これやれば当たるって自分の中で明確にあったんで、自分で1人でもう1回ウェブサービス作って、
1年くらい家からいってずっとそこでコツコツやってたら伸びて、飽きちゃったんですよ。
1人でやって、この領域だともう1回絶対できるなと明確だったんで、売り上げも1人ですぐ上がったんで、
飽きちゃって、1人でやれることに飽きちゃって、もうストレス何もないんですけど、人との関わりも必要以上取る必要がないし、別のお金も十分あったし、
だったんですけど飽きちゃってやっぱりやめようっていうので、やめてサービス売却して、で、和木に連絡したと、クリスマスに。
なるほど。
クリスマス。
クリスマス。
じゃあたまたまで。
そのクリスマスプレゼントは何か。
クリスマスプレゼント?
何か受け取ったの?
何か言ってたの?和木。
絶対クリスマスですよ。
いやいや、なんかその、俺会社辞めようと思うんだよねとか。
全く全く。
全然。
そういう話をしてたわけじゃなくて、ちょっと話飛んじゃいますけど、僕の中で前職、前の会社やってた時に、いわゆる経営陣がいかに大事か。
大事かっていうのはやっぱストレスがいかにかかるかとか、やっぱちょっとずれてるといかに苦労するか。
結婚するのと一緒で。
するのは簡単、始めるのは簡単ですけど、やっぱレベルが、まあ言い方あれですけど、合ってないと相当苦労するようになったのを明確に実感としちゃったんで、
次会社やるなら、自分の共同創業者の休暇所ってのなんですけど。
ねー。
明確。それに当てはまる。当てはまる。それに合致する以外の人間とは絶対やらないと決めたんですよ。
で、それがたまたまいなきゃ自分でも一回ずつ一人だけでやろうと思ってましたし。
それがたまたまカズキやったっていうだけで、それがたまたま中学の同級生やったっていう感じですね。
自分の中ですごい考えてます。
対して、起業するまで、チングメイクを起業するまではどんな風に活動されてたわけですか?
カズキさんはね。
でも無茶苦茶な部署を経由して、無茶苦茶な部署から、僕の部署も無茶苦茶だったんで、月540時間働いてますみたいな人たちばっかりが集まってる。
ちょっとなんか変な。
ちょっとイカれた感じですね。
本当に真面目にやってたんですけど、やっぱりイカれた方々を見て。
田中のいう休暇所じゃないですけど、僕も考えがあってイカれてたんですよ。
もちろんポリシーみたいなのありますよね。
まずですよ、その会社に入った時に一瞬でわかったんですよね。
この会社は横を見ててもダメだと。トップを見ないとダメだと思って。
トップの人のやり方とか仕事の仕方を比較的自分で盗みに行かないと。
まずそもそも教えてもらえるものじゃないって感覚がしたんですよ。
手取り足取りっていうわけじゃない。
確かにそうですね。
それを通じて最初の2週間で一本やらせてもらったんですよ。上の方が辞める問題になって。
一本っていうのは自分で責任を持って制作進行をやっていくっていうのを一本っていう言い方するんですか?
それを面白がってくれてお願いしてくれたプロデューサーの方の度胸もすごいんですけど。
それでなんとか自営の博業な感じで3ヶ月何か。初めてだから猛調みたいな感じになったんですけど。
それで近場に住んでる同級生同期の奴らに話聞いてくれてスッキリするとかそれもあったんですけど。
それで一本やられて、でもやっぱりその後自方がないときついなと思って一回戻ったんですよ。
女子4に徹するって。それを1年半くらいやって。
なんかちょっと長いんですけど。
意外とロジカルにやってたんだね。
攻略しようと思って。この会社は攻略が大事だと思って。
だからそっから部署は変わったんですよね。
そこの部署も少し優しい系の人たちが多い兄貴系の銀ビルだったら最後のビルだったらそこの他入産部入って。
そこでまた飲み会が多かったんですよ。死ぬほど。
そこでまず目立つ。次も誘われる存在だろうと思って。
そこでまずはっちゃけて。その前人がひさまそうだったりするんですけど。
そいつを比べられるんですよ。
クソみたいな。
今の奥さんね。
っていうのを超えるって感じで。
あなたが一番できる新人だったよって言われたじゃないですか。
それをうまく勝ち取り。
その後赤坂についにA転ですよ。
赤坂っていうのがフィア城で言われる当時一番青いプロを支える主幹事業部って言う。
今でもそうなんですね。
そこでバン張ってる七部間みたいな人。
遠いんですよ。一平率からすると。
3年目で入って。
ほんと6ヶ月ぐらい帰らずにそこでやって。
そういうのも減って。
とにかくここは上の人を見て。
その人たちが受けてる好かれてるところを分析しながら。
自らで登っていかないといけないゲームっていうことなんだろうなと思ってやったら。
6年目ぐらいにちょうど全有名プロデューサーとやろうキャンペーンやったんですよ。
自分がね。
僕の中では。
回っていけるんですか?自分で死亡したら。
やりたいです。その人の下で仕事したいですって挙手をしてみる。
比較的やっぱり一人の人に信頼されるとその人続いちゃうんですよ。
会うんでこう続いていくみたいな。
それも比較的意外と周りから頼まれにくくなっちゃうんですよね。
あの人が囲ってるからかとか。
あの人のコーナーみたいになるから。
次来たら次これねって当たり前に頼まれるし。
そういうのも意外とないんですよね。
意外と部署があるような感じとかあったんで。
でその時にふと気づいたから。
そろそろキャリアも6年くらいも経って
プロデューサーをやる上で引き出しの足りなさに気づいて
これはもう大河シチュー会全員。
それを強いてやらないと4コートやらないとダメだと思って
4コートシチュー会全員に自分を売り込みキャンペーンをして。
それの一環で。
そのうちの一人ってことですもんね。
まあ光栄です。
全員の仕事をいっぺんにやって。
一番本当にいい経験でしたよ。
全員が自分勝手なんですよ。
自分好みにアジャストしてこいみたいな。
それまでの6年が試される。
青井プロって言うと外部から見ると青井プロなんだけど
社内はもうみんな個人焦点というか
もうAさんだったらAさん、Aプロデューサーのやり方で
青井の誰々ですとは言うけどやり方も違うし
そこにバイネームでお客さんがついてて。
みたいな。
それでも全員客が面白かった。
ちなみにそんな頃もちろんご友人なんかご存知なわけじゃないですか。
どんな風にご覧になったんですか?
いや会えなかったよ。
そもそも。
青井入ってるから。
本当に会えない。
いつどこ行ったんだみたいな。
みんな行ってたし。
しそうです。
集まるよって言ってても突然来なくなる。
本当に時間が行ってないし。
2、3年。
1回ぐらいあったでしょ。
2、3年ぐらいにやっと出てきた。
高校に行きましょう。
世の中に。
オリンピックみたいな。
ただもう信じらんないぐらい太ってて。
関係が本当にシュッとしてたんですよ。
めちゃめちゃ。
さっき言ったけど一番もってて。
30キロぐらい痩せてました。
びっくりした。
みんな本当にえ?誰?みたいな。
ガチでそうなるぐらい太ってて。
やっぱ寝ないと良くないですよ。
そうね。
太っちゃう。
本当にそんぐらい変わってたし。
やっぱ本当に会えなかった。
結構ずっと。
会えるんですか?
だいたいみんなガチでやってる人は
1回友達が全部リセットされるんですよ。
彼女とかもそうだし。
友達も。
付き合える人が夜食の人とかばっかりになっちゃって。
そして夜食で結婚したみたいな人もいますけど。
そういう人もいますね。
1回飲んだ時にみんなで遊んだ時に
なぜか葵に行きましょう。
確かに。
葵にコンプライアンスという言葉なかった。
葵に行ったっていうか
俺寝るからそこに寝て俺ら帰りました。
床で寝始めました。
ここからまだあるから。
なるほどね。
そんな感じでしたね。
そんなこともプライベートにやりながら
後半6年を過ごすわけですよね。
多聞さんからとか四皇からいろいろ学んで。
1チーム会から学んで
いろんな人たちいろんな良いとこあるし
逆に言うとダメなとこあるし
どこが受けてるかを割と自分なりに
結果だから自分がワクワクする人っていうか
その人の中の
本当に順位付け自分で
両難を成して
それで選んだっていうか
言い方はあれですけど
多聞さんの弟子というか
あれは弟になるんですか?
まあそう。
弟の前に。
弟分。
弟分のひさやさんっていう人に。
弟分って言ったら失礼かもしれないけどね。
ある意味弟子両なしな感じで。
惜しがんして。
ひさやさんが一番だったんだ。
一番楽しかったですね。
まあまあこうなるでっていう言い方が
大将、天下を取るよみたいな言い方だったから
それが一番若造には響くじゃないですか。
乗し上がるぞ。
そうそう、もう乗し上がるでっていう
そういう感じでしたね。
それでちゃんとプロデューサーになるには
引っ張り上げられないといけないルールみたいなのも
出世できないんですよ。
上をつかまないと。
明確にそういうのがあったから
だからある種
自分がつく肩を本当に
これ言われてないですよね意外と。
言われてない。
言われてないけど
でも上の人も下を育てないと
さらに上にはいけないし
プロデューサーが推薦してプロデューサーになれるんですよね。
そうではなくて
プロデューサーの推薦もあるけど
やっぱりお客さんから
彼プロデューサーにならないの?って言われるのが
その強化があるんですよ。
和木くんプロデューサーやってくれたらいいんだけどな
みたいなお客さんから
両方必要ってことですね。
タオルさん忙しいじゃないですか
みたいに言われて
いやいやとか言っても
こんな仕事をわざわざお願いするのもなんだからさ
和木くんとかダメなの?
プロデューサーしちゃえばいいじゃん
みたいに言われて
いいじゃん、彼がやってくれるんだったら
いいよそれで
何年目になったんですか?プロデューサー
結構遅くて
8年目やったっけ?
意外と溜めたんですよ
いやいやでも
プロデューサーって最速でも
7年目からとかそんなんだ
当時ちょっとひさまずとかもあった
なんかちょっと早かった
どんどんどんどん早まってた
その昔は8年目
9年目からプロデューサーとか
絶対ですよね
ちゃんと積んで
なんかチーフみたいな
そう6年目からチーフっていうのになって
チーフ2年やってからプロデューサー
みたいなのあったんだけど
その赤坂っていう部署を作った
もう亡くなっちゃった
藤原さんっていう人がいて
その人がすごい勢いでライジングしてて
ライジング?
そう
会社内でも業界でも
一気にこう駆け上がっていって
10年ぐらいで本当にトップの売り上げ
会社もトップになるぐらいした人で
その人の売り上げのスピードとか
増えていくスピードとか早すぎて
人が足りなくて
誰でもいいからプロデューサーやれみたいな
顔してればプロデューサーでいいみたいな
ぐらい雑にプロデューサーに
どんどんどんどんなっていったっていう
そういう意味では会社がすごい成長期の中で
一発で上げられるような形だったっていうことですよね
なるほど
でもその一通りプロデューサーも経験して
自分がどうしていけばいいのかとか