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2026-09-28 47:27

THINGMEDIA誕生秘話をCEOとCOOが語る|田中博之・佐藤一樹(THINGMEDIA創業者)

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今回は、THINGMEDIAをつくったふたり、田中博之CEOと佐藤一樹COOに聞く特別回! 

薬師寺多聞とライター・田ケ原恵美さんが、中学時代の出会いと2人の歩みを掘り下げます。 

佐藤の“受注禁止”時代から、クリスマスの起業の誘い、Voicyの映像制作まで——

THINGMEDIA誕生の舞台裏とは?


📹毎週月曜更新


▼ep.13の主な内容

CEO・COOに聞く特別回/創業初期を知る田ケ原恵美/中学時代は“ジェルの量”で敗北/25歳で初めて起業した田中博之/「一人でやれることに飽きた」/共同創業者を選ぶ9か条/W杯観戦で最終面接に寝坊/トップの仕事を盗みに行く/プロデューサー“四皇”への売り込み/バイネームで仕事を取る/売上トップ10から受注禁止へ/“つくる”から“企てる”への挑戦/クリスマスに届いた起業の誘い/作品の評価と会社の評価/経費精算ができず社長賞取り下げ/史上最強のイエスマン/最初は動画メディアを構想/「THINGMEDIA」に込めた意味/創業数か月で事業転換/Voicyの映像に賭けた創業期


▼チャプター 

中学時代の出会いと田中博之の起業歴 

シング佐藤、AOI Pro.での11年半 

トップを見て学ぶ、プロデューサーへの道 

売上トップ10から“受注禁止”へ 

企画に向き合った日々とクリスマスの誘い 

“史上最強のイエスマン”と会社づくり 

社名の由来とVoicyの映像制作


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サマリー

THINGMEDIAの田中裕之CEOと佐藤和樹COOが、創業前から会社設立までの経緯を語る。中学時代に出会った二人は、田中が25歳で起業し、ウェブサービスの売却後に「一人でやれることに飽きた」ことから、共同創業者として佐藤に声をかけた。佐藤は青井プロで11年半働き、ワールドカップ観戦で最終面接に遅刻しながら入社し、上司や有名プロデューサーの仕事を盗みながらキャリアを築いた。社内でバイネームの仕事を獲得し、売上トップ10に入る一方、利益を度外視して制作したため「受注禁止」となった。

中学時代の出会いと田中の起業歴
最終面接で、まさかの、起きたら面接時間でした。
総務の方に連絡をし、ちょっと大変申し訳ないんですけど、ワールドカップを見て、ちゃんと言って。
したら、お偉い方の圧迫面接みたいなのが最後に、社長室のやつ。
多分間空いてたんでしょうね。着いたら15時ぐらいで、おい君かよ。
読んだ人が、実際の現実で、何かしらの行動に移すとか、にしたかったんです。
ちゃんと事化をするメディアを作りたので。
THING佐藤薬師寺の作らずにはいられないラジオ、始まりました。
THINGMEDIAの薬師寺田本です。
この番組は、映像プロダクションTHINGMEDIAがお届けするトークプログラムです。
今回は、ちょっといつもの配信とは少し趣向を変えまして、
スペシャル版ということでTHINGMEDIAのCEOとCOOにインタビューしてみる、という特別回をお届けします。
そして今回は、僕と一緒にインタビューを務めていただく方がいます。
ライターの田賀原恵美さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。田賀原恵美です。
田賀原さん、田賀恵美さんこと田賀原さんですね。
簡単にご紹介をしますと、ライターとして活動されているほか、小築芸能にも所属、
PRや広報の領域でも活動され、自治体の広報アドバイザーなども務めていらっしゃいます。
そして今回、田賀原恵美さんに来ていただいた大きな理由がありまして、
実はTHINGMEDIAの創業初期を知る人でもあるということで、
2018年THINGMEDIAがボイシーさんの映像を制作した際には、
当時ボイシーの候補パーソナリティだったと、田賀原さんもその時に出演されていて、
その後もTHINGMEDIAにまつわる記事を執筆するなど、
初期からTHINGMEDIAの会社を外側から、半分内側からも見てきていただいたような存在ということなんですが、
お二人でいろいろ聞いていきたいと思います。
よろしくお願いします。
改めて今回の作り人をご紹介します。
普段この番組では作品や仕事サービスなどで何かを作っている人をお呼びしていますが、
今回はズバリTHINGMEDIAそのものを作ったお二人に登場していただきます。
THINGMEDIA株式会社代表取締役CEO、田中裕之さん。
そして、普段はこの番組のMCを務めていますが、
今日は完全に聞かれる側、ゲストに回っていただきます。
取締役CEOの佐藤和樹さんです。よろしくお願いします。
さあ、THINGMEDIAについて改めて伺っていきましょうか。
創業当時から、もちろん田中さんもどんな動きをされていたかはご存知なんですよね。
会社を作るというのは聞いたんですけども、
もともと最後の、和樹くんが辞める最後の年、
僕が前職だった青井プロっていう会社のチームリーダーで、
僕のチームに和樹くんいて、
ワンオンワンみたいなやるじゃないですか。
あれやりたいとか、これやりたいんですとかって、
言われるんだけど、ダメみたいに。
言うことがむちゃくちゃだから、ダメって。
なんでダメなんですかって言われると、
大体言うことが会社がダメって言いそうなことばっかり言うんですよ。
それできないだろうと。
田中さんやってたじゃないですかとか、
あの人やってたじゃないですかって言うから、
その人たちいいですかって言ってやってないから。
そうなっちゃっただけみたいな話をしてたら、
うーんとかああとか言ってて、
で、僕会社辞めようと思うんですって言われて、
辞めんの?って。
中学の同級生と会社作ると思っていてって言うから、
いきなり辞めるって言っても大丈夫かなこの人と思って。
心配しますよね。
で、悠久が1日も使ってなかったんですよ、和樹くん。
なので42日。
12年1日も。
でもあの2年で消えていくからね。
12年1日も。
そんな。
大体みんなで使ったことある人いないんですよ。
それはそうですよね。
前の会社でね、悠久使ったことあるプロデューサーはほとんどいない。
2ヶ月くらい休めなかった。
で、丸ごと休むと2ヶ月、丸2ヶ月休める。
土日も入れると。
その時やってたの覚えてますよ。
それで、丸2ヶ月やってみてダメだったら帰ってくればって。
で、上司としては言ったんですね。
半分給食みたいな気分で、
したら2ヶ月後に戻ってきて、
なんか面倒ついたんでやめます。
ということですね。
ついてないけど。
そうか、じゃあ頑張れよって。
ありがとうございます。
まさに上司としてはそんな目線でシングメディアスタートしてるわけですけど、
お二人は同級生だったわけですよね。
そうです。
で、再びシングメディアを再開とかスタートさせるための、
再開のタイミングはいつだったんですか?
再開もないじゃん。
ずっと千代くん友達だから。
そもそも普段から年に1回ぐらい会ってた?
まあ、そうだね。
年に数回かなとかは変わらず会う。
会うっていうか、2人で会うっていうよりはみんなで。
大人やつらで年末集まったりとかで会うとか。
お互いの印象はどうだったんですか?
お互いの印象。
中学時代。
そうですね。
川月は学生の時は結構みんな言うと思う。
すげえモテた。一番。
こないだ言ってたよね。
そう、違う動画で言ってたんですけど。
ほんとに一番、たぶん全員川月の方が好きだった。
オーラ、オーラ、オーラ。
オーラ系男子。
いや、もう見たくなったけど。
雰囲気ですげえモテてて。
まあでもやっぱり一番人気は学校の中心になったんじゃないですかね。
川月さんはどうですか?田中さんの印象。
田中の印象は中1で同じクラスになったんですよ。
小学校別々で。
だからその時にちょっとドキドキするじゃないですか。
ちょっと緊張するじゃないですか。
なんか違うエリアからも苦しみが。
学広くなるからね。
やっぱりちょっとマウントとか最初の1日目重要じゃないですか。
で、パッと見渡したらジェルをピッチリつけた。
当時はジェルだからね。
こっち側にジェル誰一人ピッチリつけてるやついなくて。
ジェル量でちょっと負けた。
そんな事がもう初めて。
ジェル量がすごい奴がいるっていうので、こっちのエリアでは話題でした。
小学校は別で、中1が一緒になって、中1が一緒で、そこで仲良くなってって感じでした。
なるほど。
で、シングメディアを立ち上げるまでの間に、中学からのご縁があるんでお友達とも含めて何回かずっとお会いされてると。
企業に至るシングメディアを設立するにあたって、それまでのおのおのキャリアを改めて伺いたいんですけど、まず田中さんから伺っていいですか。
僕は25くらいまではアパレルずっとやってて、フルギアで働いたり、スケボーずっとやってたんで。
結構フラフラ。フラフラではないですけど、ちゃんと働いてましたけど、でも正社員とかになったことはないって感じでやってたんですけど。
最後セレクトショップとかも入ったんだけど、なんかちょっとこれは先なさそうやなと思って、とりあえず辞めようと思って辞めて。
でも本当次何するか決めてなかったんですけど、25の時にたまたまきっかけがあって、自分のお姉ちゃんがテレビでたりグラビアやったりとか、
ちょっと芸能関係で社長の周りすごい知り合いが多かったりとかで、こいつと一緒になんかできるんじゃないかなと思って。
すごいあさはかな感じの時は。なんか影響力あるし、なんかできるんじゃないかなと思って、姉ちゃんと一緒に会社を作ったんですよ。
25の時に1回目の起業をして、その時本当僕が実家の自宅でパソコンだけ枕買ってきて、いろんなサービス作って結構やりました。
5、6個やった中の1個が1年ちょっとでヒットして、ウェブメディアがヒットして、当時のアベマブログとかに提携が始まってからバーってこう伸びていって、
っていう会社を25で起業してから7年間渋谷で経営してて、ウェブサービスが2つでかくなって、それで1回売却、事業売却して、
その時30歳くらいだったかな。そこからもう1回次これやれば当たるって自分の中で明確にあったんで、自分で1人でもう1回ウェブサービス作って、
1年くらい家からいってずっとそこでコツコツやってたら伸びて、飽きちゃったんですよ。
1人でやって、この領域だともう1回絶対できるなと明確だったんで、売り上げも1人ですぐ上がったんで、
飽きちゃって、1人でやれることに飽きちゃって、もうストレス何もないんですけど、人との関わりも必要以上取る必要がないし、別のお金も十分あったし、
だったんですけど飽きちゃってやっぱりやめようっていうので、やめてサービス売却して、で、和木に連絡したと、クリスマスに。
なるほど。
クリスマス。
クリスマス。
じゃあたまたまで。
そのクリスマスプレゼントは何か。
クリスマスプレゼント?
何か受け取ったの?
何か言ってたの?和木。
絶対クリスマスですよ。
いやいや、なんかその、俺会社辞めようと思うんだよねとか。
全く全く。
全然。
そういう話をしてたわけじゃなくて、ちょっと話飛んじゃいますけど、僕の中で前職、前の会社やってた時に、いわゆる経営陣がいかに大事か。
大事かっていうのはやっぱストレスがいかにかかるかとか、やっぱちょっとずれてるといかに苦労するか。
結婚するのと一緒で。
するのは簡単、始めるのは簡単ですけど、やっぱレベルが、まあ言い方あれですけど、合ってないと相当苦労するようになったのを明確に実感としちゃったんで、
次会社やるなら、自分の共同創業者の休暇所ってのなんですけど。
ねー。
明確。それに当てはまる。当てはまる。それに合致する以外の人間とは絶対やらないと決めたんですよ。
で、それがたまたまいなきゃ自分でも一回ずつ一人だけでやろうと思ってましたし。
それがたまたまカズキやったっていうだけで、それがたまたま中学の同級生やったっていう感じですね。
自分の中ですごい考えてます。
対して、起業するまで、チングメイクを起業するまではどんな風に活動されてたわけですか?
カズキさんはね。
佐藤和樹と青井プロでの11年半
なんで、青井プロという会社に滑り止め合格ですよ、させてもらいました。
新卒でね。
新卒で入ってから、結果11.5年、11年半。もうザコい感じからなんとか。
ザコくはなかったですか?
インターンで現場に来たのを覚えてるので。
一番初めに?
そもそも面接寝坊したらしいですよ。
えー。
それは知らない。
当時、ベッカムのイングランド代表選がワルハプでね、ちょうど。
それを見てから行こうと思ったら、結構最終だったっけ?
2006年。
最終面接でまさかの、起きたら面接時間でした。
えー。
ベッカムのせい?
全部ベッカムのせい。
どうやってリカバリしたの?
本当にカッコよかったから。
いやもう、カーチェイスながらの車を走らせ。
えー。
総務の方に連絡をし、ちょっと大変申し訳ないんですけど、ワールドカップを見て、ちゃんと言って。
ちゃんと言ったんだ。
えらい。
したら、お偉い方の圧迫面接みたいなのが最後。
うんうん。
全員役員の方が、社長室のやつで。
もうなんか、たぶん間空いてたんでしょうね。
着いたらもう15時くらいで、もうなんか、おい君かよみたいな。
君がワールドカップの方みたいな。
でしょうね。
もう完全に落ちましたよね。
その瞬間。
重いよね。
落ちてるんですよ、実際。
あ、そうなんですか。
事実落ちてるんですよ。
で、僕の同じ大学のゼミだったやつが、はまたま受けてて受かってて、女性なんですけど。
で、そいつがちょうど迷ってるんだから、日テレ系も受かってみたいな。
うーんって思ってる。
選べていいよね、みたいな感じで。
行って、他の制作会社受かったんですよ。
で、そっち行くかって決めてたら、そいつが辞退する連絡を入れたって言って。
この話のくだり長すぎるのはあれなんですけど。
それで、俺のことを推薦しといてくれた。
へー。
そんなね、誰も信じれないじゃないですか。
就職活動の時期って。
いや、そんなね、もう俺決めてるよって。
で、その言ってる矢先で起きたと。
へー。
で、電話が来た。
めっちゃいい人ですね。
最終メッセージ遅刻されたとか言って。
あのワールドカップの。
いやもう。
そうですよね。
それはそうだ。
まあ落ちて、これはもう一回詰められる電話ですか?みたいな感じで。
こっちも目構えがね。
下よかりましたみたいな。
へー。
そのなんか推薦が聞いたかどうかはちょっと言ってくれなかったですけど。
行きますとか言って。
そこで何年勤めたんでしたっけ?
11年半ですね。
そうですね。
その11年半ご覧になってて、どんな人からどんな人になったとかあるんですか?タモンさんから見て。
いや、途中あんまり見てなくて、ずっと僕の下にいたわけじゃないから。
そうですよね。
そのインターンで来てた時から。
あれ震災の時はPVの撮影してたじゃん?一緒に。
初めてタモンさんと仕事ができる。
震災の前日に湘南で撮影してて。
5年6年目ですね。
6年住んでようやくインターンとかバイト一発目で教えてくれたスタープロデューサーと仕事ができるという最悪な仕事でしたね。
本当だよね。終わった後死んでたもんね。
今でも写真残ってるけど。
震災の時間にすら起きてないんですよ。
寝終わった後世界が変わった。
そう、震災で目が覚めなかったくらい寝てたから。
泥のように。
本当に。
もう天守行かなきゃみたいな感じで、どうやら行かなくていいらしい。
よし、みたいな感じで一回寝ましょう。
トップから学びプロデューサーになる
でも無茶苦茶な部署を経由して、無茶苦茶な部署から、僕の部署も無茶苦茶だったんで、月540時間働いてますみたいな人たちばっかりが集まってる。
ちょっとなんか変な。
ちょっとイカれた感じですね。
本当に真面目にやってたんですけど、やっぱりイカれた方々を見て。
田中のいう休暇所じゃないですけど、僕も考えがあってイカれてたんですよ。
もちろんポリシーみたいなのありますよね。
まずですよ、その会社に入った時に一瞬でわかったんですよね。
この会社は横を見ててもダメだと。トップを見ないとダメだと思って。
トップの人のやり方とか仕事の仕方を比較的自分で盗みに行かないと。
まずそもそも教えてもらえるものじゃないって感覚がしたんですよ。
手取り足取りっていうわけじゃない。
確かにそうですね。
それを通じて最初の2週間で一本やらせてもらったんですよ。上の方が辞める問題になって。
一本っていうのは自分で責任を持って制作進行をやっていくっていうのを一本っていう言い方するんですか?
それを面白がってくれてお願いしてくれたプロデューサーの方の度胸もすごいんですけど。
それでなんとか自営の博業な感じで3ヶ月何か。初めてだから猛調みたいな感じになったんですけど。
それで近場に住んでる同級生同期の奴らに話聞いてくれてスッキリするとかそれもあったんですけど。
それで一本やられて、でもやっぱりその後自方がないときついなと思って一回戻ったんですよ。
女子4に徹するって。それを1年半くらいやって。
なんかちょっと長いんですけど。
意外とロジカルにやってたんだね。
攻略しようと思って。この会社は攻略が大事だと思って。
だからそっから部署は変わったんですよね。
そこの部署も少し優しい系の人たちが多い兄貴系の銀ビルだったら最後のビルだったらそこの他入産部入って。
そこでまた飲み会が多かったんですよ。死ぬほど。
そこでまず目立つ。次も誘われる存在だろうと思って。
そこでまずはっちゃけて。その前人がひさまそうだったりするんですけど。
そいつを比べられるんですよ。
クソみたいな。
今の奥さんね。
っていうのを超えるって感じで。
あなたが一番できる新人だったよって言われたじゃないですか。
それをうまく勝ち取り。
その後赤坂についにA転ですよ。
赤坂っていうのがフィア城で言われる当時一番青いプロを支える主幹事業部って言う。
今でもそうなんですね。
そこでバン張ってる七部間みたいな人。
遠いんですよ。一平率からすると。
3年目で入って。
ほんと6ヶ月ぐらい帰らずにそこでやって。
そういうのも減って。
とにかくここは上の人を見て。
その人たちが受けてる好かれてるところを分析しながら。
自らで登っていかないといけないゲームっていうことなんだろうなと思ってやったら。
6年目ぐらいにちょうど全有名プロデューサーとやろうキャンペーンやったんですよ。
自分がね。
僕の中では。
回っていけるんですか?自分で死亡したら。
やりたいです。その人の下で仕事したいですって挙手をしてみる。
比較的やっぱり一人の人に信頼されるとその人続いちゃうんですよ。
会うんでこう続いていくみたいな。
それも比較的意外と周りから頼まれにくくなっちゃうんですよね。
あの人が囲ってるからかとか。
あの人のコーナーみたいになるから。
次来たら次これねって当たり前に頼まれるし。
そういうのも意外とないんですよね。
意外と部署があるような感じとかあったんで。
でその時にふと気づいたから。
そろそろキャリアも6年くらいも経って
プロデューサーをやる上で引き出しの足りなさに気づいて
これはもう大河シチュー会全員。
それを強いてやらないと4コートやらないとダメだと思って
4コートシチュー会全員に自分を売り込みキャンペーンをして。
それの一環で。
そのうちの一人ってことですもんね。
まあ光栄です。
全員の仕事をいっぺんにやって。
一番本当にいい経験でしたよ。
全員が自分勝手なんですよ。
自分好みにアジャストしてこいみたいな。
それまでの6年が試される。
青井プロって言うと外部から見ると青井プロなんだけど
社内はもうみんな個人焦点というか
もうAさんだったらAさん、Aプロデューサーのやり方で
青井の誰々ですとは言うけどやり方も違うし
そこにバイネームでお客さんがついてて。
みたいな。
それでも全員客が面白かった。
ちなみにそんな頃もちろんご友人なんかご存知なわけじゃないですか。
どんな風にご覧になったんですか?
いや会えなかったよ。
そもそも。
青井入ってるから。
本当に会えない。
いつどこ行ったんだみたいな。
みんな行ってたし。
しそうです。
集まるよって言ってても突然来なくなる。
本当に時間が行ってないし。
2、3年。
1回ぐらいあったでしょ。
2、3年ぐらいにやっと出てきた。
高校に行きましょう。
世の中に。
オリンピックみたいな。
ただもう信じらんないぐらい太ってて。
関係が本当にシュッとしてたんですよ。
めちゃめちゃ。
さっき言ったけど一番もってて。
30キロぐらい痩せてました。
びっくりした。
みんな本当にえ?誰?みたいな。
ガチでそうなるぐらい太ってて。
やっぱ寝ないと良くないですよ。
そうね。
太っちゃう。
本当にそんぐらい変わってたし。
やっぱ本当に会えなかった。
結構ずっと。
会えるんですか?
だいたいみんなガチでやってる人は
1回友達が全部リセットされるんですよ。
彼女とかもそうだし。
友達も。
付き合える人が夜食の人とかばっかりになっちゃって。
そして夜食で結婚したみたいな人もいますけど。
そういう人もいますね。
1回飲んだ時にみんなで遊んだ時に
なぜか葵に行きましょう。
確かに。
葵にコンプライアンスという言葉なかった。
葵に行ったっていうか
俺寝るからそこに寝て俺ら帰りました。
床で寝始めました。
ここからまだあるから。
なるほどね。
そんな感じでしたね。
そんなこともプライベートにやりながら
後半6年を過ごすわけですよね。
多聞さんからとか四皇からいろいろ学んで。
1チーム会から学んで
いろんな人たちいろんな良いとこあるし
逆に言うとダメなとこあるし
どこが受けてるかを割と自分なりに
結果だから自分がワクワクする人っていうか
その人の中の
本当に順位付け自分で
両難を成して
それで選んだっていうか
言い方はあれですけど
多聞さんの弟子というか
あれは弟になるんですか?
まあそう。
弟の前に。
弟分。
弟分のひさやさんっていう人に。
弟分って言ったら失礼かもしれないけどね。
ある意味弟子両なしな感じで。
惜しがんして。
ひさやさんが一番だったんだ。
一番楽しかったですね。
まあまあこうなるでっていう言い方が
大将、天下を取るよみたいな言い方だったから
それが一番若造には響くじゃないですか。
乗し上がるぞ。
そうそう、もう乗し上がるでっていう
そういう感じでしたね。
それでちゃんとプロデューサーになるには
引っ張り上げられないといけないルールみたいなのも
出世できないんですよ。
上をつかまないと。
明確にそういうのがあったから
だからある種
自分がつく肩を本当に
これ言われてないですよね意外と。
言われてない。
言われてないけど
でも上の人も下を育てないと
さらに上にはいけないし
プロデューサーが推薦してプロデューサーになれるんですよね。
そうではなくて
プロデューサーの推薦もあるけど
やっぱりお客さんから
彼プロデューサーにならないの?って言われるのが
その強化があるんですよ。
和木くんプロデューサーやってくれたらいいんだけどな
みたいなお客さんから
両方必要ってことですね。
タオルさん忙しいじゃないですか
みたいに言われて
いやいやとか言っても
こんな仕事をわざわざお願いするのもなんだからさ
和木くんとかダメなの?
プロデューサーしちゃえばいいじゃん
みたいに言われて
いいじゃん、彼がやってくれるんだったら
いいよそれで
何年目になったんですか?プロデューサー
結構遅くて
8年目やったっけ?
意外と溜めたんですよ
いやいやでも
プロデューサーって最速でも
7年目からとかそんなんだ
当時ちょっとひさまずとかもあった
なんかちょっと早かった
どんどんどんどん早まってた
その昔は8年目
9年目からプロデューサーとか
絶対ですよね
ちゃんと積んで
なんかチーフみたいな
そう6年目からチーフっていうのになって
チーフ2年やってからプロデューサー
みたいなのあったんだけど
その赤坂っていう部署を作った
もう亡くなっちゃった
藤原さんっていう人がいて
その人がすごい勢いでライジングしてて
ライジング?
そう
会社内でも業界でも
一気にこう駆け上がっていって
10年ぐらいで本当にトップの売り上げ
会社もトップになるぐらいした人で
その人の売り上げのスピードとか
増えていくスピードとか早すぎて
人が足りなくて
誰でもいいからプロデューサーやれみたいな
顔してればプロデューサーでいいみたいな
ぐらい雑にプロデューサーに
どんどんどんどんなっていったっていう
そういう意味では会社がすごい成長期の中で
一発で上げられるような形だったっていうことですよね
なるほど
でもその一通りプロデューサーも経験して
自分がどうしていけばいいのかとか
売上トップ10から受注禁止へ
肩が見えてきた中で
次のチャレンジをしようって
考えていくわけですよね
そこで一番重要なのが
田中の連絡に直結するんですけど
やっぱりその中で一年生を始めて
この上の人たちに
よろしくお願いしますって言ったとて
別にくれるわけでもないし
分けてやるようはワンチャンあるんですけど
売上げの配分とか
上司にとっては大事だからってあるんですけど
それをいかに奪うかをずっと考えた
なのだったら会社的に基本ながら
あの当時今でもそうかもしれないですけど
オリジナルを取ってくる人間と
取ってこれない人間っていう
大きく二つあって
沖縄上に行っている人たちが
オリジナルを取ってきた人たちなんですよ
直依頼ってことですよね
そのプロデューサーに
させていただいて
オリジナルっていうのはね
そのプロデューサーから仕事を受ける
LINEプロデューサー
第二プロデューサーとか言われてたんですけど
そういう人たちと明確に何かあったんですよね
その強さの基準って
当然ありますよね
当然あるじゃないですか
それがまず3年で
LINEネームで仕事を取ってる人の方が
やっぱり評価は高い
その時にとにかく
買っ飛ばそうと思ったんですよ
これはだから
ちょっとだけそこで行かれたんですけど
行かれた人たちを見て学んだのは
さっき言ったやっちゃったから
結果的にっていう形を
まず僕も先にやっちゃえばいいんだ
だから簡単に言うと
のきなみ予算を度返しするし
のきなみ問題を起こすし
のきなみ帰らないしとか
全てにおいて逆張りしたんです
優等生
会社からこうしよう
全てから逆張りして
全て仕事に全部打ち込んだんです
それをやったら
3年目で見事
僕的には嬉しかったんですけど
ランキングに乗ったんですよね
上位10人の売り上げランキング
社内の
出るんですよ
すごい
営業会社
1位から100位くらいまで出ますよね
出る
あらりとトップラインの
両方のランキング
2冠みたいなの抱えてきて
ずっと揺るぎない
トップ4はあんまり変わらない
常に4位にして
10位以内がずっとこうし続ける
そこに僕入った
ワールドカップのランキングみたいな
そこに17位
最後のプロフィスの3年目で
入って
出社つって
あらりランキングも意外と1位くらいあったんで
一応行ったんですよ
20位
32位くらい
全然そっちは低いんですよ
そうですね
とにかくトップライン
ってなったら
こっから
もっと花々しい未来があるから
っていう上に対してのプレゼンを
ずっとし続けてたんで
回収はずっとできますから
僕に貼ってくださいって言い続けるのが
結局最後のところ
必要な臨機所の
終わりに
それだけ言い続けて
いつか体制します
納得させるというか
事実オリジナルが来てるし
その型を抜かしてでも来るようになったから
その扱い方も増えてるでしょ
って話で結果が
数字で示せるってことをやってたら
いろんな
諸説あるんですけど
禁止になりました
そんなことない
禁止してたけど
受注禁止ね
受注禁止
お前が働くと
赤字になる
赤字プロ
働けば働くほど
お金を使ってしまう
会社としてはね
勝手に自己出逃しをしている
あんまりよく分かってなかったんですけど
その瞬間は
いいことをしてるってこと
オリジナルプロデューサーを
受けれる仕事を受けれるプロデューサーって
こういうことなんじゃないかって
個人のために
お前ら嘘言ってるぞって会社は
こういうことをキャリアを保証してるわけでもなくて
会社は会社の
手を出したいための
話しかないから
当時の青井プロって一部上場していたし
株主に対して
数字報告しなきゃいけないってのはもちろんあるから
じゃあこういうプロデューサーがいます
ここだけ数字すっごいあるのに
なんでですかって言ったら
こういうプロデューサーの俗人性ですって言ったら
それ正してくださいって言われるんで
当然ねコンプライアンス的には
ガバナンスどうなってるんですかってなっちゃうから
それは会社は言いますわ
時間ができたってことですね
時間ができた
11年目にして
10中禁止になるから
シングメディアの歴史じゃなくて
佐藤和義の歴史だった
9時5時
10時18時
最高っすよ
ダメかずきが出来上がっていく様が
でもやっぱ金もね
そんだけ赤字こう言ったら
金も全然ないから
俺はと思って
いろんな人たちと仕事してきた人たちと
怒ってくれと
飲みに行こうと
お前の金でだと
あくまで怒ってくれと
そうですね
それで禁止にもポジティブに捉え
いろいろ社会的に怒られてたり
田本さんにかなりかばってもらったりとか
いろいろあったんで
この話を面白おかしく言うのも
心苦しいんですけど
面白おかしいんで
ただいなる迷惑をかけながら
でもポジティブに
一社員としてはもう一回最強で
役員のところに
すいませんって言って
実は隠してたことあってって
二人で言いに行ったら
そんなことある?
これはピーです
ピーで
しかもお前が
お前が何とかしろって
お前が一番結構
ういって感じでした
そうなんだ
そっからだから
みんなやっぱりさっきの
リセットされるじゃないけど
自分には例えば地元の仲間とか
企画に向き合った日々と起業の誘い
そういう話でもなく
仕事をしてきた人たちだけに
飲みの誘いをしたら
60日間埋まったんですよ
60日
怒られ続けて
結果通風になる
なるほど
それで初めて発症するんですか?
これが通風の始まりであった
それで
ちょうど飲みにも行けないし
燃え尽いてる様子を
ちょうどスライドに
自分のうにうじした気持ちを
掻き溜めたんですよ
酒も飲めないし
企画してる人になろうと思って
企画だ
動けないからね
足動かないし
実際の
制作するっていう
制作の立場よりも
考えたり具合立てるっていう
そっちの方の能力を鍛えたらダメだ
みたいな感覚もあったんで
そっちだと思ってずっと企画して
企画作業とかに
案出しのヘルプとかやってたんですよ
それから1ヶ月くらい経って
かなりとはいえ
復帰もできない感じだったから
そういう時にちょうど
迎えたクリスマスに
田中から
マラヤキャリーの鈴の音とともに
笑
それをどう捉えたんですか?
ポジティブな意見というか
お誘いだなと思ったのか
何言ってんだと思ったのか
どうだったんですか当時は
クリスマスプレゼントだろう
何もなかったですもんね
前触れは何もなかった
近づきはどういう状況かも
正直知らなかった
その時に当てはまってること一つもないからね
田中の多分休暇所を
うじうじしてるとか
人の金を使い放題
ちなみに前の会社にいた時は
こんな饒舌じゃなくて
全然喋んなくて
何考えてるかちょっと分からない感じの
話しかけたら大丈夫です
今もそうじゃないですか
喋る時は喋るけど
意志表示はあんまりしなかった
意図的に
6年目の地下にいた時に
決めたんですよね
社畜っていうのは
喋らない
私スカしてるのかなと思いましたけど
そうじゃないんだ
社畜っていうのは妖怪ですし
社畜だな
社畜を極めてみようって思ったのは
多分僕だけじゃないですか
意外と共感してもらいたかったんですよね
社畜いいよ
共感はできないでしょうね
もう一個ありました
リマカブリで賞を取った時から
若手プロデューサーナンバーワンの賞を
取れたっていうのが
2年目の終わりか
あれがでかかったかもしれない
業界団体がね
日本一取った後に禁止になったの
日本一を
何にも会社は
称えてくれないんですよ
お金使っちゃってるから
会社としてはそういう判断
もう一度言ってもらってもいいじゃないですか
新年会とか
みんなはちゃんと収益も確保した上で
その残された
予算というか
予算でいいものを頑張って作ってるのに
残さなきゃいけない
お金も使っていいものを作っちゃってる
それはいいものできるよね
みんなそれできるよねみたいな感じになっちゃう
それもちょっと
僕の心には傷が
トラウマがある
しかも新年会あったじゃないですか
会社始め
仕事始め
その時に
みんな今年も頑張っていきましょうみたいな
年末いろいろありましたね
そこだけピックアップして
話し送りするじゃないですか
ない
取ったよ
ちょっと直ったらようやく
そんなにスルーされてた?
一切
これはね
やってんなと
なるほど
そこらへんから不審感はね
不審感というかそういう会社なんですよね
別にそんなの
タモンさんの言うように
トータルで会社に貢献した人間を
一つ評価するし
とか
後々分かるんですけど
そのちょっとしたことに対する
ブレがない会社って
すごいですよね
随分
後々
その
時代を経てきて
作ったもので評価されたとか
賞を取ったとか
業界で評価されたみたいなことに対しても
評価をするようになったけど
元々は数字をすごく評価する会社
僕が入ったばっかりの頃
株式会社でしょうね
だし
上場してたのもでかい
結構説明席に
相当あるので
一番最初に業界団体の中で
プロダクションが上場した
一番最初なんですよ
しかも当初一部に上場してたのって
青井だけだったんじゃないかな
他はジャスタックとか
当初二部とかあったけど
そういう背景もあると
余計にね
現場からしたらそんな意味わかんないもんね
当初一部って何みたいな感じだった
実際僕は
5年目ぐらいのとき社長賞みたいな年一で
表彰される
年末に一年頑張ったりの中でも
さらに頑張った人に送る
みたいな個人賞
全社集めた忘年会で
壇上に上がって表彰される
どんどん受かる
赤坂の人間たちが
そこに行かないと壇上にさえ上がれない
みたいな
ようやく僕も赤坂に行った
2年目ぐらいで
レギュラーをやらせてもらったときに
行けるチャンスが巡ってきたんですけど
行く道中に
今だからですけど
当時の取締役
西原さんの車に
乗って行くぞって言われて
行ったんですよ2人で
お前の社長賞取り下げといたから
だからお前
生産全くできてないから
ファイナンス面が
経費生産と事務省が
全くできないから
取り下げといた
社畜だからね
そこはね
思い出した
社畜だった
終始一貫してました
青井ってそういう会社だなと思って
そこまでずっと
し続けるんですよね
比較的僕もそれで評価上がらなかった
田野さんですら
僕がそもそも
収益度外して勝手にやっちゃうスタイル
それをみんな見てきてるから
真似させちゃったのかわからないけど
人生を挙げて
反省してると
それで言うと
実際声がかかりました
田中さんとしては
もちろん田中さん側から声かけたから
やりたいわけじゃないですか
そこからどうやって一緒にやっていこうとか
最初のプロジェクトがスタートするんですか
これは青井の
社群であった
イエスマン
史上最強のイエスマン
7か条があって
バリューみたいなことですか
行動指針
スピードコミュニケーション
の一つにあったと
一番最初に
史上最強のイエスマン
必ず実現せよって話なんですよね
ちょっと違うけどね
みんな曲解して
何でもイエスって言ってたから
どういう方法であれ
そのことを実現せよって
僕的には
やるしかないって意味
AプランであれBプランであれCプランも
含めてはいって
できない理由探さない
できる理由を探せ
瞬間的にやろうよ
いいねって
THINGMEDIAの会社づくり
どうやってスタートしていくんですか
そもそも
動画制作会社をやろう
僕がもともとインターネットメディア
やってて
その当時も個人で作ったのが
ある程度伸びてて
時代的に
もう少しコンテンツが
テキストだけじゃなくて立地化していくのは明確だったので
いわゆる動画化
今で言うショート動画みたいな
2017
17
17
16の多分クリスマスじゃないかな
多分ね
17
まだ動画がそこまでカジュアル化してなくて
してないですけど
絶対になる
ワンメディア
自分はずっとやってたんで
明確にわかるじゃないですか
アルゴイズムとかも
動きもわかってるし
動画化するな
リッチコンテンツ化しないとダメだなと思ったので
そのメディアを
テキストも含めて動画を
くっつけてリッチにしていくとか
分散型で
ウェブのSEOとか
そこだけじゃないと
この目元に行かなきゃいけなかったんですよ
今で言うYouTubeだったし
SNSXだった
Twitterとかもそうですけど
最初はそっちですね
動画のインターネット系を
やろうと思って始めた
それにもノリ
いいじゃんと
もういいよ広告は
広告を映像を作るのは
もう
自暴自棄にもなってましたんで
新しいことやってやるぞと
新しいことやるっつって
辞めた方がいいじゃん
同じことやるっつって
辞める人が多かった印象がある
独立して政策会社ってことですもんね
それしか分かんないっちゃ分かんないからね
辞めたい理由も
絶妙だなと思ったので
これはと思って
いざと思ってやるんですけどね
そこから
壁打ちずっと
クリスマスにそういう話をしてやろう
年始ですね
年始から毎週
土日どっちか忘れましたけど
一緒に集まって
8時間か10時間ぐらいじゃん
会議室にこっそり忍び込んで
そこでずっと
お前のことばーっと
やめるとかやめないとか言ってたの
6月とか7月とかそんな時期じゃなかったの
絶妙に
絶妙っすね
2017に僕が
ポケモンGOの第2弾とかVRとか
やってるんで
2018年の1月
意外と
すっごいスピーディな
そこから毎週
やるの
3,4回で
どういう事業をするとかどういう会社をするとか
株式の割合どうしようとか
そういう具体的な話もずっとしてて
社名も決まって
3月に作ってるんで
結構早い
悲しいから
年明けからプロデューサー
復帰って決まったんですよ
それもね
絶意感でしたね
どっちも
復帰というか
受験資を解くよみたいになって
それで恋にしてた人から
来て
3月に会社を
作りましたけど実際2人を揃って
できたの多分5月6月とか
多分その有給の期間とかもあって
使って色々やってた
5月にハワイのロケ行くって
やっぱ仕事落ち着くのも
ってので
秋口に辞めるわって
夏の終わりに辞めると決めました
5月か6月で初めて
よし今日からだって初めて
やれるってなった初日に
通風になって
どんどん大変ずつになって
最悪でした
もう35くらいは
ダメだなって
無理できないですね
32、3だったかな
4か5なんだよね
大食ポスト
35を迎える年だった
ちなみに
社名の意味とVoicy映像制作
シングメディアにはどういう意味が
あるんですか
僕がずっとメディアやってて
その時感じて
たのが
当時キュレーションメディアとかがめちゃめちゃ流行ってて
いろんなとこから記事パクってきて
くっつけて
情報の取得効率性がめちゃめちゃ高いんですよ
動画もそうじゃないですか
ショート動画とかまさにそうなんですけど
ただそれだけなんです
ものを知っただけ
だけどちゃんと
読んだ人が実際の現実で
何かしらの行動に移すとか
にしたかったんです
ちゃんと事化をするメディアを作りたかった
ただのそういうことだけじゃなくて
ていうのでシングメディア
なるほど
ほとんどメディア会社がやってた
たのがさんが買うから
そう
これだみたいになりましたよ
死ぬほど青を出しましたからね
出したけどこれだねって
結構すんなりになった
なるほど
登記して半年でも戻ってて
5月くらいからプロジェクトがスタートして
どっから本格的に
シングメディアとして動き出すんですか
6月
勝手に作ったのボイシーのあの動画は
いつなんですか
6、7月ぐらい
最初は
お金
2人で会社に入れて
お金も借りてきて
事業売却したら1000万とかも入れて
自分のやつ
2ヶ月ぐらい
やってたんですよ
いろんなショート動画作ってくれて
結構やってたんですけど
もちろんサービスもこのまま
いけるっていう実感はありましたけど
なんか違うなってちょっと思い始めて
言ってた通りなんですよ
情報の
人効率性を高めるような動画を
いっぱい作ってもらってて
でもこれって1年後に見たいかって絶対見ないんですよ
あくまでその時の便利性を
作ってるだけなんで
これをカズキの才能を
ここに使い続けさせるのは
意味ねえなと
なんか本当に価値のあること
やってないなって僕は感じて
いやこれ事業変えよう
やっぱりこう
人の心めっちゃ響くような
元々やってたようなところの
勇気やった方がいいんじゃないか
というので2、3ヶ月で
明確に決めました
それはよく覚えてます
それで辞めて
プロダクションやるぞ
でも僕たち何もない会社
誰も知らない
もちろん彼は代理の繋がりとかありますけど
ていうので最初ボイシーやったんですよ
ボイシーの
ボイシーは僕たち当時よく聞いてて
なんかこの人面白いな
この会社面白いんじゃないかなと思ってて
飲み会、小笠さん
飲み会やるっていうのを聞いて
行ったんですよツイッターで見て
そこで仲良くなって
その時小笠さんサービスとコース外すの
こういう時電車の中でお聞きかえりたいね
じゃあカズキが俺作ってきますよ
作らせてくださいって言って
本当にロケバス
借りてきて3日間ガチの撮影
300万くらい使って
勝手に作って
400万しかない
やば
買えないわけない
使うわーって
小笠さんもやっぱ
スタートアップ界隈に
ある程度知れてるんじゃないかな
ってその時思ってて
実際そうなんですけど
それでやって名を売ろう
ていうのでやったって感じですね
高谷美も知り合った
ボイシーの広報をやってた
そうです当時社員だったんで
そこが一番の
ブレイクスルーになって
今の起点だよね
なるほどね
今何期目ですか
今9期目
もう9期目に入ってるんですよね
逆にあんま最近のこと知らないよね
初期のことはすごい知ってくれて
広報もやってくれてたりとか
ここ3年ぐらいは逆に
知らないよね
ここ3年は逆に僕が知ってる
確かに
ちょうど
2人ですり合わせするとだいたい
前半は私で
ていう感じなんですね
なるほどね
まさに会社が変わっていく過程も
経験してっていうことだと思うんで
それは後半に
聞きますか
もうそんな時間ですか
まだね
シングミネが立ち上がったぐらいです
全然話は進んでない
そうなるとは思ってました
後半でいいですか
じゃあ後半も引き続き
シングメディアの田中佐藤に
インタビューしていきます
前半はここまでですありがとうございました
47:27

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