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2025-05-06 26:21

#21「なぜ私は映画を観れなくなってしまったのか?」

TEPPEN FM 第21回配信

  • 映画とのわたし
  • 窮屈さと映画
  • コミュニケーションとしての映画

 

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X、始めました。

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サマリー

映画を愛していたにもかかわらず、パーソナリティは最近映画を見ることができない理由を内省しています。仕事や生活の中で効率を求める変化や視聴環境の変化が影響していると考えながら、再び映画館に通うことで新たな体験を求める自分を見つめ直しています。映画館に行くこと自体が目的となり、その空間での没入体験を求めるようになったことが語られています。また、カオスな情報環境の中で自己の制御を手放すことから得られる発見と成長についても触れられています。

映画に対する情熱
こんばんは、始まりましたTEPPEN.fm。今日もデザインやマネジメント、日常のあれこれをゆるっと語ります。私、パーソナリティを務めますデザイナーのkabuです。
同じくmineoと申します。
本日もお気軽にお付き合いください。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
今日は話したいことというか、付き合ってほしいことがありまして、自分の中で内省したいことがあるので、それを自分の中で整理するために話しながらやれたらなと思っています。
何について話したいのかというと、タイトルは、「なぜ私は映画を観れなくなったのか?」という話です。
なるほど。
まずどこから始めようか。自分と映画との関係みたいな話を始めると、僕はものすごい映画が好きなんですよ。
子供の頃からずっと映画が大好きで、映画館に行くのももちろん好きでしたし、一番覚えているのは父親と週末になると一緒にレンタルビデオ屋に行って、毎週毎週借りていたっていうところが、やっぱり映画が好きになった一番の要因かなっていうところもあって、
かなりの映画を毎日のように見ていたので、それこそ小学生の頃から見て、大学生の時もずっと毎日毎日見ていたので、かなりの量を見てきたんですね。
大学とかも映画が好きだし、映画の作り方を学びたいって思ったんで、そういった芸大に行って映像学科っていうところに行って、そういった映像制作を学んだりしたんですよ。
それから自分の中でも映画ってものが大好きだみたいな、自分が形作ったものが映画だみたいな自己認識はあったんですけど、最近思い返すと映画を本当に見なくなってるなっていう自分がいることに気づきまして、気づいたといってももうだいぶ30代ぐらいに入ってからあんまり見なくなってるんですよね。
見なくなった理由
これはなんでなんだろうっていうのをちょっと最近考えてみたんですよ。考えるにあたって多分要因は2つあるなと思ってますね。見なくなった理由と見れなくなった理由があるなと思うんですよ。見なくなった理由っていうのは主体的な変化。
自分の仕事とか役割、役職みたいなところがついていく中で、自分の日々の優先順位が変わっていってる。自分の生活の大変が仕事っていうものを占めることが多い。
だから故に仕事に対しての実務に直結する情報を欲してる自分がいるというか効率を求めてるんですよ。
だからこれ映画だけに限って話じゃないですけど、今まで読んでた小説とか漫画とかがビジネス書に変わったりとか、見てたテレビ番組が経済ニュースに変わったりとか。
映画とかっていうのは求めてる情報というよりも、映画の2時間くらいある中の映画って自分の予測不可能な物語が展開したりとか、そういう体験ができるものだったりするじゃないですか。
そういったノイズみたいな情報を今求めてなくて、自分の関心が忙しさっていうところから、そういう効率を求める方に変わってきた結果なんだなっていうところ。
あとは見れなくなった理由が、もう一つ環境的な変化っていうのがあると思ってて、映画の視聴環境っていうのがもう10年15年前と全然違うじゃないですか。
要はレンタルビデオとか映画館で見てたものがスマホとサブスクに移行したじゃないですか。いつでも見られるっていう便利さが逆に集中力を削いで没入感を失わせてるなっていう。
スマホ端末で見ると通知が来たりして途中でやめたりするじゃないですか。
途中でやめても後で見れるかと思って、見ようとするんですけど、なかなか見なかったりとか。そこで没入体験が失われたりとか。
あとは映画館とかも、よく考えるとかなり特殊な空間じゃないですか。暗闇の空間に携帯電話とかも一切電源をオフにしなきゃいけなくて、真正面の画面だけに強制的に集中させられるみたいな。
ああいう強制力の価値があったりすると思うんですよね。そういった視聴環境が変わったことによって見れなくなってるなっていう要因もあるなと。
再び映画館へ
そういった要因があるんですけど、最近映画館に足を運ぶようになったんですよ。
なんで映画館に足を運ぶようになったのかなってちょっと考えてみて、たぶんそれはさっき言ったように効率的にすごく情報を得るようになってる中に、自分の中でどっか窮屈さとか不安感を感じてるんじゃないかなみたいな。
そういう自分が欲しい情報を欲しいときに、今AIとかもそうじゃないですか。この情報をちょうだいってそれを無駄なく送れるじゃないですか。
そういうところにたぶん窮屈さを覚えたりしてて、自分のコントロールできないノイズのような情報が詰まった映画のようなものを見たいみたいな。
だから映画がすごく見たくて言ってるというよりは、自分が自分ではコントロールできない予測できない刺激に触れたいみたいな感じでたぶん言ってるんだと思うんですよ。
映画館に行って、さっき言ったようにスマホを着て2時間ぐらい集中せざるを得ない環境を作って、いつもの自分の思考から逃げてるとか、ある種の自分への逆襲みたいなのになるのかなって今思ったりしてるんです。
ここまで延々と一人で喋ってるんですけど、これをさらにメタ認知した時に、これって映画の話じゃないなと思ってて、かつて夢中だったものから離れてしまって、そこにまた出会ってる自分がいる時に自分の変化が現れてるなと。
映画を見るっていう行為が自分の写し鏡になってるというか、僕にとっては映画ですけど、自分の変化を知るための手段が僕にとっては映画を見るっていう行為。昔の自分の見てるスタンスと今の見てるスタンスの、そもそも目的が違ってきてるから。
だから今の自分を見つめ直す鏡だなと思ったり。
なるほどね。
これが多分人によっては旅かもしれないし、音楽とか本とか、もしくは何か自分で生み出す創作活動かもしれないですと。
何が言いたいかというと、かつて夢中になったものに対して今の自分が何を感じるかっていうところを振り返ってみると、今の自分の状況がよくわかるんじゃないかっていう。
なるほどね。
鏡としての役割があるんじゃないかみたいなところを今考えてたっていう。
なるほどですね。
僕、株さんが今この話をしてくれたじゃないですか。
一番最初に同じじゃねって思ったものがあって、それがちょっと前にXとかでも流行ってたとか、よく見るワードだったものがあって。
何なのかっていうと、なぜ働いていると本が読めなくなるのかっていう本があるんですよ。
そう、三宅花穂さんの本ですよね。
割と近い感じなのかなと思って。
でもそれは、もちろん僕も読んだんですよ、その本。
自分にとっては何なんだ?自分ができなくなったことは何だろうなみたいな感じで振り返ってみた時に、最近でも映画見れなくなったのに、最近映画を観ている自分がいるみたいな。
これが何なのかみたいなところを内省してみたいな感じですね。
もともと株さんがよく見ていた、合わせてそれを自分が作り手になろうと思うぐらいまでの頃の映画って、株さんの中ではどんな存在だったんですか?
大事なことは漫画が教えてくれたみたいな。それと同じ方で大事なことは全部映画が教えてくれたみたいな感じだったんですよね。
もちろん映画から得るものもあったと思うんですけど、多分親とのコミュニケーションだったんだろうなと思いますね。一緒に見るっていう行為が。
今でこそ格闘技とかやってますけど、子供の頃はスポーツするような子供でもなかったので、親とのキャッチボールとかサッカーするみたいな話じゃなくて、多分映画を一緒に見るみたいなのがコミュニケーションだったのかもしれないですね。
親と見てた映画って、もちろん親となかなか行かなくなる世代になった時も、映画を見る時って割と誰かと見に行ってたんですか?一人でというよりは。
そうですね、基本は一人ですね。
一人なんだ、なるほど。
あまり友達と見に行かないというか、多分集中できないからですね。
そこの違いって何なの?だって親とのコミュニケーションツールだったってわかるんですよ、共通の。
子供だったら父ちゃんと遊びたいし、じゃあ遊ぶためにも父ちゃんが好きな映画一緒に行って、行くと楽しいとかそういうコミュニケーションツールだったっていうところから、
一人で見に行った時って、きっと株さんの中での映画の関わり方って違うものにアップデートされているのかなって気がするんですけど、それはどういう存在なんですか?
そうですね、映画館に一人で行くようになった頃には、ある程度アイデンティティが形成されたりとか、一人で出て歩けるような年齢になったみたいなこともあると思うんですよね。
その中で多分、今まで蓄積してきた映画の中で自分が好きなジャンルだったりとか、自分が好きな監督だったりとか俳優みたいなのが固定として生まれてきて、映画の中のどこかその要素を楽しみたいが上に行ってるみたいなところが多分あると思うんですよね。
この監督の作品だから見たい、この俳優が出てるから見たい、っていう行為に変わったから一人で行くようになったんだとは思います。
なるほどね。
本とかと同じで、仕事とそれ以外で割と映画が仕事には関係ないノイズみたいな感じに、どっかのタイミングでなってきたんですか?
仕事とは関係ないノイズみたいな感覚?
そうですね。確かにノイズと感じなかったものがノイズと感じるようになったタイミングは確かにあって、でもそれは働き始めてすぐとかじゃないと思うんですよ。社会人になってからすぐとかじゃなくて。
でも何でしょうね、ある種の責任感みたいなところが生まれてからそうなったのか、ノイズみたいな感じになったから一切見なくなったし見れなくなったっていうのはありますね。
なるほどね。
好きっていう気持ちは何も変わらないんですけど、でもこれ見たいなと思って見始めたけど最後まで見れないみたいな状況になってるのが結構長かったんですけど、最近でもそれが見れるようになってきてまた。
でもそこはなんでなんだろうみたいなことを考えた時に、これは自分自身への逆襲行為なんじゃないかみたいな。
そういうこと?
要は効率的な情報しか求めない自分に対して窮屈さを感じてたりとかするし、
何かちょっとこう何でしょうね、ある種の飽和状態になってるというか、自分でコントロールできない空間とかに行きたがってるのかなみたいなところを自分は無意識的に感じてるんじゃないかみたいな。
これは僕が株さんと一緒に働いていて、だからより感じるところがあるのかもしれないけど、あるのかもね。
株さんってさ、今の僕たちが働いている組織の中でロジカルな人っていうバイアスをみんなが持ってる人じゃん。
株さんが本来ロジカルかどうなのかは置いといて、多分みんなは株さんのことをすごくロジカルな人っていう考えがあって、もしかするとそれがあるからこそ株さん自身もロジカルな部分に応えなければならぬっていうのがあって。
それが今株さんの中だと、そうでもないんだけどなーみたいなところの、ある種その表面張力でこぼれるかこぼれないかギリギリなところがあるのかもね、もしかすると。
それは感じますね。あるんだと思います。もともとそう僕も思ってないからですね。一切自分が論理的かどうかなんて思ってないし、むしろ苦手だからこそやらなきゃと思ったみたいなところがあるから。
簡単に言ったら疲れてるのかなっていうところでありますけど、ただそれが今の効率を求めるやり方がすごく嫌だとか、自分の役割の変化、役職とかがつくことによって新たな情報を求めなきゃいけないみたいなところが苦しいというわけでもなくて、それはそれで楽しいんですよ。
だって新しいことに挑戦していれば成長実感あるからですね。それはそれで楽しいんですよ。だから別にそれが今が嫌ってわけじゃないから、それはそれでいいんですけど、じゃあ今再び映画館に足を運ぶようになった自分が昔とどういうふうな変化があるのかみたいなことを内省してみたときに、
映画館での没入体験
自分の中で映画館に、映画を見るっていうよりは映画館に行くっていう行為で行ってるんだみたいなところが感じられたというか、作品を見たいわけじゃない。俺は映画館に行きたいんだみたいな。
そうだね。株さんの中でその映画館に行くっていう行為だけを見ると、どういう行為なの?その映画、要はこの映画が面白そうだから行きたいっていうのと違うところに今目的があると言ってるじゃないですか。
それって何なの?何を主に目的になってるもの?
それは多分映画館の中ってスマホとか許されないし、人と話すことも許されないし、なるべく音を立てないでいかなきゃいけない空間じゃないですか。
一つのことに一点集中するみたいな行為を強制させられるところとして、情報を一回遮断したいんだと思うんですよ。
情報を遮断したいっていう言葉は違うかもしれない。むしろ自分のコントロールできない、一点集中してるんだけど自分が求めてるものかどうかわからない、自分ではコントロールできない情報の波に一回流されたいみたいな。
映画っていう行為、映画っていうストーリーだけじゃなくてセリフ、音楽だったりとか視覚表現だったりとか思いもよられるものがいっぱい降ってきたりするので、そこに没入したいみたいなのがあるんでしょうね。
自分でコントロールする、今って何でも自分でコントロールしやすくなってるじゃないですか。
そこから一回自分の今の過事を話したいんだと思います。
なるほど。面白い考え方でもありますよね。
普通はそういうカオスに巻き込まれたくないから、何とか自分で制御できる環境を作りたいっていう人の方が多い気がするんだけど、
カゴさんの今の話を聞いていると、あえてコントロールできないぐらいな力に巻き込まれて、ことが進められる状態とか、
自分ではこうしたいと思ってるのにそれに逆らえないような大きな力に巻き込まれながら、巻き込まれながらというか、そういう環境を推してるようにも聞こえるから、
それってそうなった時に株さんってどう感じるものなの?
もうこれでしかできないよね、みたいな。
スマホも何もなく、禅門道のところに行って座禅を組まされてる状態とかに近い体験じゃない?
自己の変容と発見
あれしかできません。無駄な動きもできません。
確かにそうっすね。
その時に何を感じてるの?株さんは。どう感じてるの?
制御できないけど何もしないこの状態が抗えないけど、それが心地いいと感じてるものなのか。
でも心地よさは感じてると思います。
でもコントロールできないし、全く予備情報なく見に行ったりするから最近は。
こんな考え方とかこんな世界あるんだみたいな、思わぬ発見があるみたいな。
なるほどね。
自分の中に余白を作っていってるから、余白の中に情報が入ってくる感覚があるみたいな感じがありますね。
なるほどね。
今はもうコントロールする情報としては整理整頓してここにカチカチカチカチカチと四角いマスの中に綺麗に入れていく情報というよりも、
ただ大きなバケツ一つ持ってすごいドワーッと流れ込んでくるだけの情報みたいな。
それがこんなものがあるんだみたいなのを楽しんでるような感覚。
なるほどなるほど。
聞いてて感じることとしては、全然本当に見当違いかもしれないけど、
率直に今僕が感じたことだけをお伝えすると、ある程度今のフローに成熟してきてるところがあるのかもしれないですよね。
だから、整えたりするようなところって多分株さんの中でも、こういう感じで調べながらこういう整え方をして、こういう伝え方をするとある程度前に進むよね。
それが好きか嫌いかは関係なく、そういうところが見えている状態になっていて、
逆に成熟してきてるけど、全然違う文脈とかで、
1から本当に想像できないようなところに手をつけてみたいっていう欲求の現れなのかなっていう感じがしました。
そうですね。あるかもですね。簡単に言うと刺激を求めてるのかもしれないですよね。
確かに成熟してくると、仕事の中で自分でヒリヒリする環境みたいなところを作らないと、なかなか刺激というか成長を得られないみたいなところがあるとは思うんですよ。
ヒリヒリとはちょっと違いますけど、そういったことの現れではある気はしますね。確かにこれは。
ちょっと着地点が見えないので、このままここで終わろうと思うんですけど。
はい、なるほど。
完全に航海ワンオンワンみたいになりましたけど。
そうですね。僕も話しながらコーチングしてるみたいな感じになってきたなと思います。
上司と部下のリアル航海ワンオンワンということで。
そうですね。僕からするとある意味聞けて面白かったなと思います。
僕が映画を見るという行為を鏡にしてみましたけど、たぶんこういうのって誰にでもありそうなことだと思うので。
なんか自分が昔夢中になってたけど、今はそうでもないものになってたんだろうみたいなことを振り返ってみると、意外と自己発見、自己の変容に気づく要因になるかもしれないなと思います。
そうですね。結構何にでも当てはまりそうだよね。それこそ本もそうだと思うし、なんで働いてると本が読めなくなるのかっていうのもそうだし。
旅行とか映画とかゲームとかもそうかもしれないですよね。同じような感じで。
なんかいろんな考え方はあるんだろうけど、割と僕何でも小さい単位でいろいろ手を出すのがずっと続いている状況ではあって。
だから、この本なんで読めなくなるのかっていうのも別に読まないわけでもないしなぁと思う。
確かにだけど株さんが言うように、物語としての本は僕もあんまり読まなくなってきてるなっていう実感はあって。
ビジネス書とか読む機会はあるけど、誰かのエッセイとかそれこそ架空の話としての物語とかって最近読まなかったけどまたちょっと読むようになったりもしたりするので、
いろいろそれをなんでなのかなって考えてみるのが面白いのかもしれないね。
結構深掘りしてみると思わぬ自分に出会ったりするから面白いですね。
なるほどね。
ぜひ内製方法として。
マジでこれすごいなぁ。本当にただのワンオンワンみたいなのをポッドキャストで垂れ流す感じになりますね。
そうですね。いいじゃないですか。他人のワンオンワンってなかなか聞けないからですね。
面白いよね。これ。なるほど。
ありがとうございました。とても頭が整理されましたね。
私も面白かったです。
じゃあこの辺で終わりましょう。
今日もてっぺんFMにお付き合いいただきましてありがとうございました。
皆さんの明日が少しでも楽しくクリエイティブになりますように。
ではまた次回お会いしましょう。
またねー。
26:21

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