デザインの停滞とセンスの喪失
はい、こんばんは。始まりました、TEPPEN.fm。今日もデザインやマネジメント、日常のあれこれについてゆるっとお語ります。
はい、私パーソナリティを務めますデザイナーのkabuです。
同じくデザイナーのmineoです。よろしくお願いします。
はい、本日もよろしくお願いします。
早速なんですけど、今回は、何で見たんだっけな?Xで見たのかな?
デザイナーとしてのゆるやかな死というタイトルで、僕は名識はないんですけど、
モンブランさんという方が、昔ノートに書いていた記事がピックアップされていて、
それを見た時に、いやーこれめちゃめちゃわかるなーっていうところがあったので、
今日はこのデザイナーとしてのゆるやかな死というものについて、
僕もちょっと直近で思い当たる節があるなーっていうのがあったので、
それも交えながらお話できるといいなと思っております。
はい、かなり気になるタイトルですね。デザイナーとしてのゆるやかな死。
そうだよね。
普段業務をしていて、僕も株さんもお互いマネジメントという立場にいて、
若干プロダクトとか自らクリエイティブすることが離れてきてはいるじゃないですか。
なんかこの記事を書かれているモンブランさんっていう、
あれなんで全然別件になっちゃうんですけど、このモンブランさん自体も
デザインミックスパブっていうポッドキャストをやられてるらしくて、
収録が公開される時にURLとかもくっつけておけるといいなと思っております。
このモンブランさんがこのゆるやかなデザイナーの死っていうのはどういうことを書かれてたかっていうと、
もう本当にその通りではあるんですけど、
この話自体はモンブランさんが体験したというよりは、
モンブランさんの周りにいる方に起こった話らしくて、
以前働かれていた会社でもすごく憧れになるようなデザイナーの先輩の方がいらっしゃったんだけど、
どこかのタイミングで作るものっていうのが、
似通った単一化されたようなものが増えてきたなみたいな感じがあって、
ちょっとしたタイミングでこのモンブランさんの上司っていう方がその人が作ってるものを見て、
センスなくなったなーってボソッと言ってたらしいんですよ。
モンブランさん自身はセンスってそもそもなくなるとかいうものなの?っていうことにまずちょっと衝撃があったらしくて、
本当にセンスの塊だったって思ってた人でもどこかで、
信頼貯金に出てセンスで持っている貯金額がどんどん使うことで減っていって、
センスってなくなるものなんだっていうことに驚きだったっていうところを取り上げていました。
ご自身としても同じように緩やかな仕っていうのが近づいてきたことがあるらしくて、
本当に忙しくて忙殺されていてデザインっていうものを考え直す時間もなかったっていう時らしいんですけど、
そういう時にふとデザイナーとして同じようなものしか作れなくなってしまうっていう現象のことを緩やかな仕と呼んでいて、
最後にモンブランさん自身がお伝えしていることで、
僕も本当に確かにそうだよなと思ったのが、とにかくインプットをやめないこと。
インプットをやめると近づいてきた死に、死というか近づいてくる死神に巻き取られて、
デザイナーとして死を迎えることになってしまうっていうことがあるので、
とにかくインプットをしていって、その中から日々学習するとか失敗して、
それをさらにどうすれば改善できるかみたいなことを考えて、
センスの貯金額っていうのを増やしていく行為っていうのもしていかないとだよねっていう話をされてて、
自己反省とインプットの重要性
これ僕冒頭につい最近、自分にも死が近づいてきたなって直近で感じた出来事があって、
それがですね、僕の年代って40代後半じゃないですか。
僕がデザイナーとして本当にやり始めた頃って、
デザイナーの人ってみんな自分のサイトとかを持ってたんですよ。
どこかの企業がやって、今だとノートとかでみんな書いてたりするけど、
だいたいデザイナーだと自分でデザインしたい欲とかもあるから、
ドメインを取得してレンタルサーバーを借りて、
ワードプレスを使ったり、ムーバブルタイプを使ったり、
本当に昔だとフラッシュで自分でサイトを作ったりみたいなことをすることが多かったので、
そういうのが多かったんですよね。
今ほどデザイナーの役割としてもこんなに広がってなかったっていうところもあるので、
結構本当に自分でサイトを作って公開するみたいなことをやることがよくあったんですよね。
よく言うのだと、デザインもしてマークアップもして、
ちょっとしたことなら自分でプログラムするぐらいの、
オールインワンみたいな感じのデザイナーが多かったんですけど。
僕もつい最近ちょっとしたサイトを制作するツールを触って、
その中でマークアップをする機会があったんですよ。
なんですけど、本当に自分でサイトを作るっていうことから、
多分自分でマークアップするのとかで本当に5年以上してないと思うんですよ。
なので出てこなかったのが、割とマニアックなタグじゃなく、
もう王道中の王道みたいなHTMLタグが、あれこれなんだっけってなって、
こういう時に使うあのタグの名前なんだっけみたいなのって出てこなくなってた時に、
このままだと自分でサイト制作とかって本当にできなくなってしまうわっていう風に感じたことがあって、
ちょっと自分でも結構な驚きだったんですよね。
昔だったら普通に書けてたじゃんっていうのが書けなくて。
触れなくなるとそうですよね。
いや本当にちょっと自分の中ではかなりの衝撃でそれが。
そういうことがあって、今回のこのデザイナーとしてのゆるやかなしという記事を見た時に、
いやこれまさに今俺がきっと忍び寄られている状態なんだなって思って。
なるほど。
なので本当にこうインプット、どんなにこうマネジメントしてて、
実務的な部分はメンバーにどんどん任せていかないといけないっていうのも自覚しつつも、
何かしらで自分の力量を使う場所みたいなのを持っておかないといけないなっていうのが本当にちょっと感じました。
気をつけてるつもりなんだけどね、自分的にもね。
確かにですね。
この話ってゆるやかなしっていうふうなタイトルがついてるがゆえにマイナス面みたいな話にも聞こえつつも、
捉え方を変えると別の意味にも捉えられそうだなと思うんですよね。
話としては、要はインプットをやめてしまったらセンスが枯渇する。
センスだからいわゆるセンサーですよね。センサーを常に広げておいてトレンドとか新しい技術を取り入れていくセンサーみたいなのを磨いていかないと、
センサーが枯渇していってゆるやかなしを迎えていくっていう捉え方もできると思うし、
今までやってたことができなくなるみたいなこともありつつ、
でもきっとそこでやらなくなった、インプットしなくなった理由が絶対あるじゃないですか。
それはもちろん単純な飽きかもしれないし、もしくは自分の役割とかが変わったからなっていうのも確実にある。
それをしなくなった分、別の専門性が伸びてるっていうところもあるかもしれないし。
このラジオの中でも何回か話したと思うんですけど、それがアイデンティティの再形成みたいなところでもあったりするみたいなところがあるから、
確かに昔の自分はデザイナーとして持ってた、その時のデザイナー像みたいなのはゆるやかなしを迎えつつも、
でも多分第二の自分のアイデンティティがそれを屍に目立ちつつ、目が出つつあるみたいな状況なのか。
俺の屍を超えていきつつ来たときのやつですね。
きっと前の自分は栄養になってるんだなというところもありつつ。
そうね、多分そういうのはきっとあるんだろうね。
たぶんこうやって本当デザイナーだけじゃなくて、何の職業でも多分アンテナ立てることをやめたり、
自分で学びをしなくなったら、もちろん成長はそこから先ってないからあれなんですけど、
きっとこれデザイナーからすると株さんが言っているように、きっとインプットとしてもデザイナーとしてのインプットじゃなく、
違うことのインプット量が増えているから相対的にそっち側のインプットする時間が少なくなってきて、
アイデンティティの再形成
こっちに新しく転生を始めている状態なんじゃないかっていうことだと思うんですけど、
なんかやっぱり僕今でもそうなんですけど、どこか自分がデザイナーでいたいっていう気持ちも結構あるから、
なんかそこが特に、特にじゃないのかな、やっぱりこれさっきも言ったように何の職業でもそうなのかな、
プロフェッショナルであればあるほどそのプロフェッショナリティにしがみつきたいところも結構あるじゃないですか。
そこがすごく難しいところですよね。
確かに。自分が今まで持ってた強みとか専門性がそこにあるがゆえに、それを持って自分と思ってたものが、
そうすると思い返した時になくなってるっていうのは確かにちょっと怖くありますよね。
そうだよね。今までこの分野だったら自分はうまくやれていたはずなのにっていうところが、
気がつくと、あれ?もしかしたらもう得意って言えないジャンルになってきてしまっているのかもしれないみたいなところもあったりするから。
そうですね、わかります。本当に些細なことかもしれないですけど、僕もマジでフォトショップとか全然触んなくなって、
フォトショップを起動した時に何からしたらいいかわかんなくなっている時にやばいと思いましたよね。
それもだいぶですね。
デザイナーとしてのアイデンティティの変化
まず何からしていればいいんだっけって思った時に、やばい、確かに今皆さん言ってるように死んでるかもっていうのは確かに感じたことがありますね。
そうなんですよね。しかも僕、今回のこの話で言うと、マークアップする時のHTMLのタグが思い出せなかったっていうのも、
僕多分自分の中では結構マークアップも含めて自分でも好きな領域だったんですよ。
マークアップを正しくアクセシビリティとかも考えたりしたり、
そのHTMLの中にキーボードのタブキーを押した時に次どこにフォーカスをするかみたいな順序とかもあったり設定できるんですけど、
そういうアクセシビリティとかも考えて、
HTMLタグの意味も含めてちゃんと正しくマークアップすることとかって自分の中でも結構好きなジャンルだったのに、
にもかかわらず、いやこのタグ出てこなくなったかっていうのがマジで衝撃だったんですよね。
おっしゃるようにね、多分自覚もあるけど自分の中でデザイン以外のところのマネジメントのスキルだったりのところに特化しだしてるところはあるから。
そうですね、そっちの方向のいわゆる緩やかなしっていうところと、
もう一つありそうなのが、話聞いてて思ったんですけど、最近よく言うのは静かな退職っていう言葉があるじゃないですか。
なんかそっちの方向のしもあるような気がするんですよ。本当にそれはもう、なんだろう、全く情熱がなくなったみたいな感じで、
もう本当最低限のことしかしなくなるみたいな。
そうですね。
緩やかなしの工程において静かな退職があるのかなっていう気も、話はちょっと思いましたね。
確かにその方向って、長く会社にいるとなのか、僕も前に転職した先でこのままこの会社にいると静かな退職っぽく、
なんかもうとりあえず言われたことをそれなりにぽくやるけど、
あとは定時で帰ってさっさとプライベート充実させた方がいいのかもなみたいな会社にいたこともあるので、そういう側面もあるよね。
まあ決して静かな退職は悪いってわけじゃないと思うんですけど、自分の生き方の問題ではあるので、それはそれで全然ありだと思うんですけど、
なんかその方向性として、アイデンティティの再形成っていうところで起こっているのか、静かな退職の方向で起こっているのかみたいな、なんか違いはありそうな気がしますね。
そうだね、そこってもしかすると途中までは同じなのかもしれないですよね。
緩やかな死が近づいてきたタイミングで死んでしまうと、それが静かな退職に繋がっていって、
そこで何か気づきを得るか、違う側面のインプットを増やして死神を遠ざけることができると、またその静かな退職には繋がらない形で仕事をすることができるのかもしれないですよね。
静かな退職についての考察
通過点は同じところにありそうな気がしますよね。
最初に多分人間は絶対に同じ作業をずっとしてたら飽きると思うので、その飽きたタイミングでどっちに分かれるかみたいなところはありそうな気がするね。
そこって、この緩やかな死というインプットをやめずにしがみついて頑張ろうねみたいなところの共感もすごくあるけど、何がどこが境界線なんだろうね。
まあもうこんな感じでいいかっていう結論を出すタイミングってどんな時なんだろう。
どうでしょうね。自分は本当になんでこんなことやってんだろうみたいなって考えた時に、自分がそれを始めた本質に立ち返れるかどうかみたいなところなんじゃないですかね。
そうだね、確かに。
なんかそれが飽きるってことは多分今の自分はその手段よりも本質のところで別の表現ができるんじゃないかみたいなところに立ち返った時に第二の自分を始められるかみたいなところなのかもしれないですね。
なんか結構そういう、なんかやっぱだからいろいろつながってきますよね。
なんかそういうさデザイナーとしてなのか、自分はなんでこういうことしてるんだろうなーってなった時に、いかに自分が何をしたかったのかって、それこそちょっと前に話をしたコーチングとかで一番聞かれることじゃん。
はいはい、確かに。
それが叶った時ってあなたはどういう感情になりますかとか、なんか結果だからやっぱりこう何かする時に自分がその事象に対してどう感じているかを確かめるっていう行為はとても必要な行いなのかもしれないですよね。
そうですね、確かに振り返ることは重要ですよ。
あとその振り返れる余裕があるかっていうのも重要かもしれないですね。
確かに。
全くその仕事に防殺されているような状況で、全く余白のない状況だともうそこは考えられないみたいな、ただもうそこから離れたいみたいなことは起こり得ると思うので、やっぱり余白を持てるようにすることみたいな。
そうだよね。
向き合う時間もなければ、インプットする時間も持てなくてってなったらもうどうにもならないですもんね。
会社側だったりマネジメントする方はそこを組織として余裕を持たせて、余白を少し持たせるような仕組み見つけみたいなのはあると、緩やかな市だったり静かに退職みたいなところは防げるのかもしれないみたいなことは考えられるかもしれないですけど。
自己反省と再形成
いやなんか結構そこが難しい。なんか頭で考えるとやっぱり難しいよね。なんか今のもさ、市がデザイナーとしてなのか、この自分の専門領域に対して市が近づいてきたときに、余裕がないと考えることもできない、インプットの量を増やすこともできないってなるのは理解できるけど、
じゃあ今やらればならぬ仕事のところで、余白を作ることがいい行いなのかみたいなところを考えると、なんだろう、多くの人、個人、僕個人っていう目線で考えると、余白を作ることで自分を振り返ることができる時間を取るっていうのはすごく大事なことだけど、
日本の多くの会社の中で一人一人余白を持つってことはサボってんじゃねえかみたいな捉えられ方にもなってくるじゃん。
うん、ですね。
なんかそこのバランスの取り方っていうのはなんかすごく難しい。
だから決して何か余白を持たせるっていうのは、暇な時間を作るっていう意味じゃなくて、何でしょうね、脳みその中、頭の中に少し余白を持たせるみたいなイメージというか、いっぱいいっぱいになってないような状況というか、自分の目標、役割がはっきりしてる状況があるだけでも、余白は生まれるのかもしれないし、難しいんですけどかなり。
難しい。難しいけど、なんかきっとやっぱり自分だけで処理する問題なんだろうね。
その周りの会社的に考えるとこうなんじゃないかとか、こういうふうに見えるんじゃないかっていうところは一旦ちょっと置いておいて、
自分の中で今この時間が必要な時間なのだとしたら、周りからちょっと何かあんまり何もしてないんじゃないかって見られてもその時間を取ることがきっととても大事なことなんでしょうね。
だってね、僕らの仕事だとさ、インプットとして例えばウェブサイトを見ているとか、すごく大げさな例で言うとさ、何かYouTubeでアニメを見ていて、もうそれってインプットにつながることもあるじゃないですか。
だから、ただそれってさ、周りから見たらさ、ただただあいつはYouTube見てサボってるようにしか見れないようなところもあるからね。
本当に自分単体としてしっかりした考えを持つっていうのが一番大事なのかもしれないですね。
そうですね、そこはもう自分の持ちを考え方次第っていうのはかなりあると思うので、そうですね。
僕本当この記事見たときに何回も言ってるように結構自分でも今がそうなのかなって思う節はあって、HTMLのタグが思い出せなかったってこともそうだし、
僕多分株さんとかにも、株さんがまだバリバリデザイン制作をしているときにも、もしかしたらこのワードって聞いたかもしれないと思うんですけど、僕結構インプット量も自信はあったんですよ。
多分俺チームの中で一番デザイン見てると思うみたいなのも言ったこともあるし、なんかそのくらい自分でも誇れるぐらい、ひたすらフィードリとかに登録、デザインのポータルサイトとか登録してそこに毎日上がってくるデザインの確認とか、
なんかちょっとでもいいなと思えるようなデザインがないかみたいなのも探すぐらい、本当胸張って言えるようなものっていうのが、ふと現時点の自分から過去の自分を見たときに、最近そういうの胸張って言えないレベルでしか見てないかもしれないみたいになって、
なんだっけこれ、なんかこういうのってあれだよね、なんかアイデンティティクライシスみたいな言われ方するのもありますよね。
そうです、もうミドルエージクライシスみたいな。
そうそう、なんか一時期それ話題になったよね。
はい、もうそれが再形成が始まってからゆえの。
まあまあまあ、けどね、それが再形成にちゃんと繋がってるならいいことだと思うし、静かな退職にならなければいいなとは思いますけど。
そうですね、なんか緩やかな死とは言いつつも、そこにある死とは言いつつも、そこから新たな自分がまた再生されたりとか、
そうですね。
っていう方向もありつつ、そのまま本当に死んでしまうっていうこともあるという。
そこは自分の考え方次第で、本質に立ち返れるかみたいなところが割と大きいんじゃないかみたいなところですよね。
誰しも必ず経験する段階なんじゃないかなと思いますけどね、この死みたいなところは。
ある意味で特にマネジメント領域に特化をしていくと、自分が死ぬことの良さもあるじゃないですか。
デザイナーとしての転生
ここであえて自分が死ぬことでこの領域をメンバーに託していくみたいなところも出てくる部分もあるので、ある意味もう無限に転生してるみたいな感じになるんですかね。
緩やかな死を迎えるけど新しいものに生まれ変わって。
僕も転職したときとかこの感覚は結構ありましたよ。業種が全く変わった状況で。
僕も元々映像をやってて、今の会社にいるときデザイナーに。
デザイナーなんてやったことなかったから、1から始まったときに。
でも1からデザイナーっていう自分が形成されるのと同時に、今までやってきてた映像の専門性っていうのが本当に緩やかに死んでるっていう感覚がすごくありました。
それを同時にこう。
でも最近、またデザイナーとして、じゃなくてまた次はマネジメント側みたいなところを再建するときに、
今だからこそ昔の映像をやってた頃の自分に立ち替えたときの自分、あのときの映像に対する思いだったりとか。
そういうのが最近すごく再燃してきて、そっちをまたちょっとやりたくなり始めてる自分がいたりとかするんですよ。
なんかそこ結構ね、死んでは生まれて死んでは生まれてみたいなのを繰り返していくんじゃないかなって今思いましたね、みなさんが言ってたように。
そうですね。
株さんもちょっと前に話してた中で、なんか映像の仕事またやれないですかねみたいなの言ってたもんね。
いやですね、そうなんですよね。
いやそうよね。
なんかそれも多分余裕が生まれてるわけじゃないですけど、なんか技術がどうにでもなるなみたいなところは結構あって、
技術は確かにもう一回取り戻さなきゃいけないんだけど、でもなんか今までよりは物をもっと俯瞰的に見れるようになったりしてるから、
今までより良いもの作れるっていう自信だけはあるんですよ。妙な。
なるほどね。
だから技術はやればついてくるみたいなところもあるから、なんでしょうね、今までのところが悔しいなってて、
決して完全になくなったっていうよりはもう一回組み立てればいいんだみたいなところがあるからそう思えるみたいなところがありますね。
僕の周りの人たちって意外と一つの仕事に縛られずに働いている方がちらほらいるんですよ。
会社を辞めて自分で起業していろいろなジャンルにチャレンジしている方もいるし、
もちろんメインになるお仕事っていうのはあるとは思うんだけど、そこに席を置きつつも複数の企業に関わりを持ってお仕事をするっていう方が多いので、
そういうのももしかすると、一つ市を遠ざけるための手法にもなるのかもしれないですよね。
例えばだけど今の僕たちの会社であれば、この会社でやるべきこととか求められていることってマネジメントの領域なのでそこで役割を果たすけど、
一方で違うところでデザイナーとして少しお手伝いをして、デザイナーとしての市も近づけさせないようにするみたいなやり方をすると、
もしかするといろんな方面で死神が寄ってこないような働き方っていう可能なのかもしれないですね。
サードプレイスを持つみたいな感覚と似てますね。第三の居場所を持つことで全てがうまく循環するみたいな。
それと結構似てるのかもしれないですね。
そういう方法もあるのかもしれないよね。
この記事の中でモンブランさんが自分が近づいてきた時にどうやって解決したかっていうと、無理やりにでも休みを取ってとにかくインプット量を増やしたらしいんですよ。
とにかくそのジャンルにおいてインプット量を増やすことで死を遠ざけたっていう手法があったんですけど、
本当にそれも一つの解決方法になるんだろうし、
もしかするとサードプレイスを見つけていろんなところでいろんな側面を持つっていうのも解決方法なのかもしれないですね。
確かに共通してない?ちょっと余裕を、自分にとって心の余裕を持たせるみたいなのは共通してるのかもしれないですね、手法として。
そうだよね。そんな感じで今回はちょっとX上で目に留まったデザイナーとしての緩やかな死というテーマでお話をさせていただきました。
今日は結構真面目な回でしたね。
そうだね。なんか久しぶりにこういう感じの話をしましたね。
では今日もてっぺんFMにお付き合いいただきましてありがとうございました。
皆さんの明日が少しでも楽しくクリエイティブになりますように。ではまた次回お会いしましょう。おやすみなさい。
おやすみなさい。