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【オッペンハイマー】を見た時の感想です。
私たちは、iMAXで見ました。普通のiMAXレーザーで、GTじゃない方で見たんですけど、
これは、iMAXで見るべきかっていうところを、ちょっと映画好きの友人にも相談していて、結果的にどうでした?
絶対AMAXがいいと思う、これは。
なんで?なんでそう思ったの?
え?なんか、すごいアクションシーンとかあるわけではないけど、その表現が、やっぱりiMAXじゃないと感じられないものがあった、多分。
例えばどの辺?いいよ、これ一応ネタバレ含むにしちゃうから。
でも本当に初回、始まった瞬間からそれ思ったけどね。
やっぱその音楽の入りから、やっぱそのオッペンハイマーの心情を表現するシーンとかもそうだし、
あとはやっぱりそのゲーム、トリニティ実験だね。
いやもうそこだね、あそこ含め、やっぱその、なんかこう、その表現によって伝えたいものが、やっぱiMAXのガツンと伝わってくる感じが。
これ多分iMAXだから泣いたりとか心揺さぶられたんだろうなって思うし。
なんか、まあ、iMAXを迷った理由としては、会話のシーンが多いからっていうところだったんだけど、
なんか私個人的には、ノーランの作品をほぼ見てるので、本当に劇場公開してる作品は全部見てる人間からすると、
まずBGMの作り方がめちゃくちゃiMAX向き、低音使ったりとかしてくるのが向きだなって思ってたのと、
あと、まあ私が、まとしふみも多分そうって言ってくれたるって思うけど、なんか映画の雰囲気が、メモにも書いてたんだけど、
そのトリニティ実験っていうのを、すごいターニングポイントとして作品の雰囲気がガラって変わっていくので、
トリニティ実験って、まあこれはネタバレを含むから、多分見てない人は聞かないと思うんだけど、原爆の実験なので、
つまりは爆発が起きるわけですね。なのでその爆発が起きた瞬間に、
なんか、やっぱりその光と、あと爆音と、なんかそこからポーンって、やっぱ彼の人生も変わったし、作品の雰囲気も変わったっていうところを見ると、
他がもう最悪無音でもiMAXで見たらいいと。 そうだね、絶対そうだね。
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違いない。 と思った。 そう。 違いないね。あれは、
ね、iMAXじゃないと感じられ…泣いたもんね。やっぱりそのトリニティ実験あたりから。 あれすごかったね。
泣いちゃうよね。なんかさ、そんな泣かせる感動させるシーンじゃないのに、 泣いてしまうのは日本人なんだな、自分もって思った。
え、なんで日本人なの? なんか
なんで泣いたかっていうと、なんかまあ、僕が泣いたタイミングで言うと、トリニティ実験が、
まあその、 ボタンを押してバーンって爆発したシーン。
で、ちょっと涙ちょろっと出たのと、あとやっぱその後のさ、オッペンハイマーがスピーチするじゃん。スピーチっていうか、
成功したぞっていうスピーチをするまでの一連の流れ。 あの町でね、町の中でね。
で、あのスピーカーで広島に落とした。で終戦になりました。 ラジオのあれをスピーカーで教えて。 20万人亡くなりましたみたいな。
で、そこでさ、オッペンハイマーが立ってさ、俺たちやったぞ!みたいな。 あそこらへんの一連の流れから、なんか涙がなんか
止まらないというか、止まらないというか、 その瞬間の瞬間ずっと心が震えている感じがしていて。
要はさ、そこの一連の、 そのオッペンハイマーが過ごしていた時間の裏でさ、
日本で何が起こってたかっていうと、やっぱその原爆が落ちて、その火の海になって、 で、そこから逃れた人たちもどんどんどんどん死んでいってっていうのさ、
ちっちゃい物心をついた頃から何回も何回も聞かされているさ、 その
歴史というかさ、そのシーンがさ、やっぱ脳内で再生されるんだよね。 このスピーカーで話されているこの間に日本はこうなっているんだろうなとか、
その終戦になってオッペンハイマーが語っている時の、その日本の風景とか、やっぱ脳内でフラッシュバックして、
いたんだと思う。今考えると。 本当にそこのリアルタイムで考えてたかどうかというとわかんないんだけど、
やっぱその潜在的にそういうのを考えちゃって、 やっぱ震えるものがあった。
そのリアリティを感じたというか、やっぱ遺伝子レベルでそういうものが自分の中に刻まれているんだっていうのを感じて、
ここ日本人なんだなって思ったね。 私はリアルタイムで思ってた。自分が今まで以下に、
裸足の弦とかも小学生で習ったりとか、 その反戦ドラマ、なんかその終戦日の近くにやるドラマの話とか、
なんかいろんなことを日本人としてインプットされてきて、 あとその原爆ができた、実験で完成した、で2つ
その爆弾をトラックで運び込んでいく時に、 これ帰りの電車の中でも話したけど、
私の小学6年生の時の担任の先生が、 もう幕末が一番好きだったけど、激アツの毎日、
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なんかその、クラスだよりを書くぐらい熱い先生が、 戦争がいかに虚しいかっていうところを伝えた時に、
なんかその原爆につけられた名前、 各々の原爆につけられたファットボーイっていうのと、
あのリトルボーイっていう名前をつけられたんだっていうところを、 なんか私はすごく思い出していて、
これがファットボーイとリトルボーイなんだって思った。
トラックから出てくるあのシーンね。 そうそう、あの2つの爆弾が。
で同じように、その時の本当にオッペンハイマーの顔もそうだし、
ずっとこうなんか不安でうずうずしてたのもさ、 多分オッペンハイマーも何が起きるかを理解してるからこそ、
16時間前にとか言われて、多分めっちゃイラついたと思うの。 16時間前のこと今ラジオで言うなしみたいな。
そうなんか、 それはすごく思った。
そう、なんか全くそういう描写ないけどさ、 めちゃくちゃやっぱ脳内再生されてるね、あの時間に。
後だよね、その後、その村でいいのかな、 そこの中の集会で、
その観衆が、なんだろう、表現としてね、すごく引っ張って、
そう、それがさ一瞬ドロって溶けるって見えるとか、 なんか、
それをめちゃくちゃはだしのゲンを思い出したし、 爆心地近くの人ってもう影しか残ってないから、
し、 っていうのはすごく思った。
なんか、前半にさ、あの足バタバタみんながしてるところを、 オッペンハイマーが思い出すところがあるじゃん。
あのバタバタってなんだろうって思ってて、 最初はなんかオッペンハイマー自身のことを責めてる足のバタバタさせてるのかなって思うけど、
あ、これって賛美だったんだ。 賛美だったけど彼にとっては賛美じゃなかったんだっていう、
その表現の仕方にめちゃくちゃ涙してしまって。 そう、わかる。
その、本人も多分そのやってる間さ、
Winnyの話にも近いかもしれないけど、 もう多分目の前に山があったから登ってるだけで、
ただ登りきった瞬間にふと冷静になると、 自分ってなんてことしちゃったんだって、やっぱなっちゃうんだよね多分。
それがトリニティ実験だったんだよね。 そうそうそうそうそう。
で、見送るわけじゃん。これがもう日本に落とされるんだと思いながら、 あれが運ばれていくのを見送るわけ。
で、それが落ちて。で、多分そこにいる人たちはさ、そんな想像できないからさ、 これでアメリカ勝った、やったーっていう感情でしかないんだけど、
あそこの中で唯一オッペンハイマーだけが、どういうもので、 何が起こるのかを全部知ってるわけだからさ、リアリティを持って。
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彼だけじゃなく、多分学者のみんなもそうだけどね。 だから、そこのこう、やったこと自体は意味があるとは思っているし、
それによって科学が進歩したっていうふうに思ってはいるけど、 じゃあ実際それによって起こったことって取り返しのつかないことをやってしまったっていうその、
ね、ぐちゃぐちゃになった表現、 すごーって思った。
結果的にさ、あの時はまだ放射能ってどれだけ、 後世にとか、何日後何ヶ月後レベルの話じゃなくて、
何百年とか何世代にわたっての被害をもたらすかっていう話を、ことが全然わかってなかったから、
っていう点でも、やっぱその辺もちょっと 話をしたいなーって思うのは、
やっぱりこの映画がなぜ延期された? 公開が延期されたっていうところをどう話そうかなぁ。
なんかその延期された理由で言うとさ、 延期したのってさ、日本の配給会社なのかな? そう。
日本だけ延期されたかな。 日本の配給会社が見て、これは延期した方がいいって判断した。 じゃないかなぁ。
だから見たのも日本人ってことだよね、たぶん。
延期する気持ちは確かにちょっとわかる。
たぶん本、その見た人もきっと同じような感情を抱くと思うんだよね。
めちゃくちゃ多分他の国の人たちは感じえないこのリアリティを、やっぱその人も多分感じて、
それがやっぱ良い方に倒れるか、悪い方に倒れるかわからんなって思ったと思う。
実際わかんないじゃん。これって僕たちはすごいこれ見た方がいいって思ったりするけど、
他の人たち、もっとさ、例えば近い当事者に近い人たちが見たらどうかとか。 確かに。
やっぱそこってそのどこまででも行く可能性があるから、そうなるといったん見送りたくなる気持ちはわかる。
その良い意味でも悪い意味でも、そのメッセージ性が強すぎるよね。 そうだね。
まあ戦争を助長するかとか、なんか
原爆を落としたことを正当化しているかとか、なんかそういう意味で言われると、全然もう
食い気味でノーと答えたい。 そういう部分に対しての、問いを全く投げているわけではなくて、
この作品そのものが持つ威力。
やっぱね、こんなんだって本当に当事者が見たらさ、メンタルやられるレベルじゃないじゃん。
本当にもし見れる人が今も生きてたとしたらさ、PTSDとかのレベルじゃないじゃん。
そんだけ威力を持って作品ではあるっていう。 なんかそこに対して別に何か主張があるわけではないんだけど、それそのものがやっぱ力を持って
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しもっているというか、そんだけの威力を持っているっていう。
ところなんじゃないかな、延期された理由で言うと。 やっぱ出し方とかもちょっと考えないと、
って思うのはすごい気持ちがわかる。 まあそうね。
ただ、あとバービーと一緒で悪い出され方をしちゃった。 まあそうね。
バービーと一緒になったことによって。 ちょっとSNSで炎上したもんね。
それも良くなかったかなと思っていて。
でも日本人としてすごくいろいろ響くものはあるから、私もその日本人として戦争はダメだとか、
もちろんそれは習ってきたし、もう そう言われるくらい
もう暴力も苦手なくらい、本当反戦っていうか、本当争いが苦手人間、平和主義者になるとして育ってきたけど。
じゃあなんでアメリカがそんな残虐なことをしようと思ったのかっていうことに関して、私たちはほとんど習ってこなかった。
だからそのアメリカ側の意見を知ることができたっていうのはすごくでかいなぁって思っているんだよね。
なんかかつ大統領役がゲイリー・オールドマンなんですけど、ゲイリー・オールドマンがあんな顔されたら
あんな顔されたら、確かに出演時間あれだけでもめちゃくちゃなパワーを持ってたじゃん。もちろんセリフもそうなんだけど。
負けないじゃん。ノーランファミリーだからあの短い出演時間に許してくれたのかなぁとか、ノーランオタクは思うんだけど。
それがやっぱりそのオッペンハイマー自身の、ある種仮初めの罪悪感みたいなのを振り払う一打になったっていうのは、すごかったね。パワーがあったね。
なんかあれを見た、あのシーンを見た時に、ラショウもちょっと思い出した。
本人がその罪悪感みたいなのを抱えながら大統領のところに行って、お前何を考えてるんだって。
君の責任だって考える人は日本人一人もいないみたいな。
あれ言われた瞬間から修羅の道に落ちるじゃん。やっぱオッペンハイマーが。
もう、俺はもうそれでいいんだみたいな感じで行っちゃうじゃん。どんどん。
あそこが、羅生門を感じた。羅生門みを感じた。
悪の道に行ったわけではないんだけど、やっぱ自分の中で振り切っちゃった感じ。そこで。
吹っ切れて。
それが良い道なのか悪い道なのか、なんかわかんないけど、あの瞬間にパチって切り替わった感じがするじゃん。
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それがあれなのかな、ダークナイトのさ、ジョナサンが書いた脚本にちょっと繋がってくるかな? そうそう、そういうのに近いかもしれない。
ちょっと待ってね。 もう修羅の道っていう表現以外できないんだけど、修羅に落ちた感じというか。
ヒーローとして死ぬか、生き延びて悪に染まった自分を見るかっていう。 そうそうそう。
やっぱりなんかこのセリフ、私この映画見る前に何かの記事で読んだんだけど、これがやっぱノーラン本人にも刺さりながら作ってたみたいな。
刺さるーって思って。
刺さった。 修羅の道行ったよね。
その後の裁判じゃないよ、聞き取りだよっていう。 イライラしたね。 イライラしたね、めちゃくちゃ。
人の恨みが。 なんか裁判ってさ、
裁判ってさ、みんなこうなんじゃない?って思う気がする。
例えば、他の映画、シカゴ7裁判、
私がちょこちょこ出してくる。あれも本当に、なんか強い権力の前に立てつこうとした若者たちが、
立てつききれないけどめちゃくちゃかっこいいっていう映画だったりとか、もしくは実際でも
ちょっと失礼るけど、ジョニーデップ対アンバーハードの裁判も、なんか、
あとは落下の解剖学っていう映画も裁判ものなんだけど、裁判ってどちらが正しいかを暴く場ではなくて、
そのどちらがより
裁く側の人を同情させられるかっていうバトルな気がして。
映画を見れば見るほど虚しくなっていく。
どこまで行ってもやっぱりこの裁判ってロジカルではないよね、全然。
最後決めたよね。だからこそ日本でもね、その裁判官って
めちゃくちゃ権力を持っている一方、その下ろせるっていう権利も国民が持っているぐらいさ、
強力な力と責任を持っているから、全然ロジカルではないよね。本当に感情の戦いだよね。
そう、それがなぁ、と思うところでは。
まあでもしょうがないよね。だって人間なんて、結局感情で生きているわけだからさ、全て。
そもそも何かを裁かないといけないっていうもの自体の理由もさ、感情に近いじゃない。
そうだね。何が良い悪いっていうのはさ、
まず法自体をある種感情で作っているみたいなもんだよね。人を殺してはいけないとかね、仮に。
感情とやっぱりその全体での、マクロで見た全体での、
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享受できる利益みたいなね。誰でも殺してオッケーですよっていうルールになっちゃったとしたらさ、
要はさ、気に食わない人がいたら殺しちゃう人がどんどん増えてくるわけじゃん。
人口が減っていっちゃう。そうすると種としての繁栄はちょっと衰退しちゃうよねっていう。
だからそういうルールを設けているみたいな、いわゆるゲーム理論的な側面あると思うんだけど、そもそもその
そういうルールがなかったら人が人を殺してしまうのって感情じゃない。
殺したいという感情を人は持ってしまっているからこそ殺しちゃう。
そもそもそんなものを全く持っていなかったら、人を殺したら敬意になりますみたいなルールなんて必要ないはずなんだけど、
それを人は気持ちとして持っててしまう恨みっていう形。だからこそそういうのが必要っていう。
どこまで言ってもやっぱり全てのルールとかって人の感情がこうベースにはなっていると思う。
物を盗んではいけないとかもそうだと思うし、嘘をついてはいけないとかもそうだよね。
オッペンハイマーに話を戻すと、主犯格がロバートダウニーJrなわけなんだけど、役者の名前でごめんなさいね本当に。
でもなかなか今回登場人物がかなり多くて、私たちも予習はしていたけど、主要な物理学者だったり量子力学の学者さんたちについて勉強していったんだけど、
その裁判シーンになると名前だけ出てくる人がすごく多くなって、ついていくのでいっぱいいっぱいになった部分はあるよね。
だからトリニティ実験前は結構しっかり描いてくれるけど、その後は結構あっさりだから、
その後恨みを買ったとか、その後ちょっといざこざがあった。それこそ例えば水枠のこととかね。
っていうのはやっぱりしっかり予習しないといけなかった。 難しいところだったね。
結局そこら辺はね、ちょっと予習外だったからね。水爆実験の話とかね。
でもそう、一人一人がさ、めちゃくちゃ重厚すぎてさ、全員映画にしてくださいませんか?って思ってた。
なったよね。 全員が主人公を描くだったよね。
やっぱそれだけの人たちが関わると、こんだけの出来事が起こるっていう。
時代変わるんだね。 そんだけのものがイベントとしてそこに存在していたっていうのがあるよね。
そこに変わってた人たちにだってそんだけスポットが当たるってことは、やっぱそんだけ歴史の中でもターニングポイント的な出来事だったんだろうなっていう感じがする。
なんかアインシュタインがさ、結局なんか、発明をした人は一度は自責して、一度は他人に責められて、
で最後にその称賛されるもう一度みたいな、なんかその歩みを必ずしていくんだよみたいな定観。
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ちょっとでも安心はした最後にね。 っていうのもあるかな。
最後のやっぱ印象で言うとやっぱりそのさ、 話の中に出てきたその世界を全部燃やし尽くしちゃうかもしれないみたいな可能性。
それが結局そうではなかった。 けれど自分は燃やし尽くしてしまったって言って終わるじゃん。
でさ、それが物語の完結としては確かに良い締めだけどさ、 リアルで考えると本当にそこでさ、冷戦が始まってさ、
核保有国がどんどん増えていってさ、今も核抑止力でさ、 逆にそこで均衡を保つみたいな時代になっているっていう。
そんなのもうさ、戻れないわけじゃん。 全員が一気に核兵器をなくさない限り、核なんてなくなるわけないじゃない。
っていう時代に突入してしまったっていうその、 もう不可逆的な変化を起こして、今ここの現代があるんだっていうことの
ゾワゾワ感は凄かった。 これってファンタジーじゃないんだ、やっぱり。 ファンタジーじゃないし、フィクションでもないし、電気でもないよ、今だもん。
その瞬間までやっぱ物語としてさ、見ちゃってる自分ももちろんいたんだけど、
あ、これって全然過去の話じゃねえって最後なって終わるって。 それでエンドロール流れ出してる。 ポッカーンだよね。 ポッカーンだし、なんか胸にゾワゾワ感すごいみたいな。
でも、もし核が落ちてなかったらってちょっと考えるのよ。 だから、核って今でこそ広島長崎があったからこそ、
ああなるぞ、ああしてやるぞっていうための核を持ってるわけじゃん。 でもさ、
いわゆる最初の物理学者たちが集まった最初のシーンもそうじゃん。 私たちはこれを見るだけで、この黒板を見るだけで何が起きるかを想像することができる。
だけど一般の人たちにはこれが想像できないっていうことを言って、 実際にそれを象徴的なシーンでトリニティ実験の後の集会のシーンでも表したじゃん。
で、何話そうとしたんだっけ。 もし本当に原爆が落ちてなかったら、私たちはその歴史でその悲惨さを知ることができる。
何が起きるかを知ることができる。 もちろん広島長崎だけじゃなくて、トリニティ実験が行われたアルバカーキもそうじゃん。
今何世代も発癌率とかに悩んでいるし、草木が生えないとか悩んでるわけじゃん。
それが起きなかったら、じゃあ今この冷戦はあったのかっていうところとか、今みんな核を持ってたのかっていうところも気にならない。
核持っててもさ、みんな価値わかんなかったわけじゃん。 これが包丁だぞって言ってたら、包丁なんて何するんだよみたいになる可能性もあったわけじゃん。
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そういう世界ってあったんかな。 核が一度も落ちなかった世界線ってことだね。
この前にポツダム宣言を受け入れて、 終戦してたらどうだったかな。
逆に落ちた場所が増えたかもしれないね。
あの瞬間2個しかなかったから、2個しか落ちなかったと思うんだよ。 もし10個あったら10個落としてるよね、絶対に。
あの瞬間に2個あって落とした。 で、想像以上に威力が出てしまった。
で、それによって何世代もいろいろな問題が起こることがわかった。 っていうのがわからない状態で、これはたださ、すごい爆弾なことはわかってたわけだ。
これはもう、現代最強の兵器だから、とりあえずいっぱい作っておこうって、 落とすのが落とす前が絶対になってたわけだったよね、たぶん。
で、その冷戦とかになった時に、その官人袋が威力が想像以上に低い評価をしてたら、 もっと低かった可能性あるよね。
もっと低いタイミングで一気に撃っちゃったりして、 それで想像以上のとんでもないことが起こっちゃったっていう世界はもしかしたらあるかもしれないね。
たとえばここでダメだったら、ベトナムで落ちてたかもしれないよね。 その時は、もっと海量とか数が増えて、本当に国ごとなくなっているとか、
今はそこにも入れないぐらいの被害が起こってた可能性あるかもしれない。 じゃあ水爆はなんでさ、こんなに原爆より有名になってないの?水爆は地球半分って言われてない?
なんかやっぱりその象徴的なあれはあるんじゃないかな。 その原爆っていうもの自体が持っている威力とか、それ以前に、やっぱこれがこの人間の歴史の中で使われた最強の兵器。
見てるからなのかな、みんなやっぱり。 だからそれ自体がプロパガンダ的な役割を持っているのはあるかもしれない。
水爆は理論上もっとすごいかもしれないけど、それが使われた世界を見たことはない。 だけど原爆が落ちたところはどんなに悲惨だったのかっていうのは、写真でも被害の人の様子でも、それを残した証言の人たちでも残っている。
あれは悪魔の兵器だってみんな言っている。 その悪魔の兵器を持っている。それ自体に意味があるのかもしれない。
ということはやっぱり広島と長崎に落とされたことにはすごく後世にも渡る意味があるじゃん。 もともと劇中でも落とすのはある種見せしめのためだ。
一発目は見せしめで、二発目は続けるぞの意味っていう話が出てて、それは今でも80年とか経った今でも起きる、今でもある全世界への見せしめ。
そうだね。後世、未来、永劫を続く見せしめになったね。 その瞬間はそこまで考えていなかったと思うけど、
それがやっぱり最後オッペン・ハイマーが言っていた、世界を破壊し尽くしてしまったって言葉なんだよね、多分。 そうだね。
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結局30本話すじゃん。 無限に話せる。 無限に話せるよ。
やっと見えます。 はーい。