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2021-07-14 14:44

#231 TRPGって価値観とか生き方出ますね。

2度目のTRPG「懐胎」にチャレンジしました。

物語への没入感とか新鮮で面白かったけど、だからこそゲーム中に選択を迫られると焦るというか生き方出ますね。。

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この前の週末に、以前お話ししたTRPG、トークロールプレイングゲームっていうのを、第2回参加したんですよ。
東京と名古屋にいる友達とオンラインで繋がって、実際に画面を見ながらトークで物語を進めていくっていうロールプレイングゲームなんですけど、
前回確か1時間ちょっとだったんですけど、今回6時間やったんですよ。
まあ、ヘトヘトだったね。6時間も喋って、実際に自分が物語の登場人物となって、いろいろと何かを行うわけで。
まあ、これが6時間やるとクタクタなんですけど、不思議と6時間っていう時間の間隔、休憩入れたら多分トータル8時間ぐらい稼働してるのよ。
だけどその時間は感じなかったなあ。物語への没入感がすごいというか、やってることはアナログなのに、実際にこう。
例えばドラクエとかだったらさ、この樽の中を調べます。樽をボーンって割ったりとか、町民に話しかけるとかっていうのがあるわけじゃないですか。
これを全部人でやるわけですよ。じゃあこの部屋のこの壁を調べます。何かありますかとか、この人に話しかけます。
どういう言葉返ってきますかっていうことを宣言して物語が進んでいくんですけど、そういう手間をかけて実際に自分がやっているからか、
物語への没入感っていうのが不思議とあって、面白かったですね。
子供の頃にはまったゲームブックに近いのかなと思って。ゲームブックの人を飼いすばんっていうんですか。
ゲームブックってわかります?小説じゃないけど、俺が好きなのはトルネコの不思議なダンジョンだったんですけど、
本読んで何ページに行くとか言って、実際にそのページの数字振られている項目のところに飛ぶんですよ。
これをアイテムを持っていたら何ページの何々のAに飛べとか、モンスターからダメージを食らった1HPを減らすみたいな、
そういうゲームブックっていうのは今もあるんですけど、昔あって小学校の時にこれにめちゃくちゃハマって楽しんでたんですけど、
これに近しいものがあるなと思って。もちろん今VRだったりとかARとかデジタルツールを使った物語への体験っていうのもあるんだけれども、
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こういう人を飼いして人が想像したものを実際にビジュアルっていうか具現化する。
それはバーチャルだろうが、AR端末を通した中での現実世界、拡張現実っていうのもいいんですけど、
人間の想像力とか余白を使った脳の小説とかも自分の頭の中で想像して保管できるじゃん。
ああいう感じを使ったコンテンツって面白いんだなっていうのを気づき始めた最近っていう。
面白いんですよ本当に。やってみてすごく楽しいなと思って。
ただ6時間はちょっと長いっていうのと、単純にプレイ時間だけ6時間くらいやってて、間に休憩1時間ずつ挟まってたんで。
昼過ぎからやっても終わった頃には日付変わってたんで、結構時間やってたなっていうのと。
あれね、生き方出るね。それもやりながら怖これと思ったんですけど。
ゲーム、これ面白いなと思ったのがもちろん物語。キーパーと呼ばれる司会者、物語の語り手がいて、
その人に色々とやり取りする形で物語が進んでいくんですけど、決断を迫られたりするんですよ。
その決断を迫られて、戦闘があったら戦闘で。ドラクエと一緒ですよね本当。
ターンが来ました。戦います。誰狙いますか?とか。相手は攻撃してきます。誰々に攻撃します。これどうしますか?
カバーいますか?その登場人物に防御してもらいますか?っていうのをいちいち口で宣言してやっていくんで。
手間っちゃ手間だけれども、それをやっていく流れで、物語への参加度っていうのが変わってくるという。
能動的に動いているからなのかな?不思議な感覚なんですよ。
ゲームでもドラクエだったらビアンカルートとかフローラルートとかあるじゃないですか。
ああいう感じで選択を迫られることがあるんですよ。
それがプレイヤーの生き死に関わってくる。ゲームのクリアに関わってくるっていう選択を幾度となく迫られるわけなんですよ。
その時にふっとよぎるのが、プレイヤー、ゲームキャラクターを自分で作るんですけど、これがね、一度死んだら生き返らないの。
これがやっててすごい面白いなと思ったところなんですけど。
ゲームだったらセーブポイントに戻って生き返るとかできるじゃん。
このRPG、トーク、TRPGでもそういうのができるのかなと勝手に思ってたんですよ。
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だけど、例えば僕がキャラクターを作ったとして、このキャラクターをスーパーマリオに登場させますと。
自分のこのキャラクターでスーパーマリオのゲームをプレイします。
このスーパーマリオでゲームオーバーになって、ライフゼロになって死んでしまったら、今自分が作ったキャラクターを他のゲームでも使えなくなるんですよ。
これ面白いなと思って。もちろんこれを生き返らせるためのシナリオゲームっていうのもあったりするらしくて、それも面白いなと思ったんですけど。
この一度死んでしまったキャラクターを復活させるかどうかっていうのも論争があるみたいで、調べてみると結構。
それはゲームなんだからアリなんじゃないかっていうのと、そんなことをしたら軽蔑しますと。
このルールを守って楽しむのがこのTRPGであってみたいな、ちょっと両極端な意見もあれば、すごく限りなく中立に近い肯定派、否定派っていうのもいたりとかしてですね。
いろんな意見があるんですよ。面白いな。ただ生き返る生き返らないっていう手法はともかく、このゲームで死んでしまったキャラクターはもう使えないっていうルールが大前提としてあるっぽくて。
これがすごく面白いなと思って。キャラクターを自分で作っていくんですけど、能力値とか触れるんですよ。HPいくつとか。
あとは知能。ドラクエのパラメータみたいなもんですよね。あれって鍛えられるけど、それを脳筋、マッチョな格闘タイプに振るのか。
頭脳を使ってクレバーで、でも体力は弱いけど魔法が使えるとかっていう魔法使いタイプによるのかみたいな。
そういう能力値とかを考えながら、さらに深く掘り下げるのであればキャラクターの背景。どういう人生を生きてきて今に至るかっていう背景も書いたりとかしてですね。
キャラクター作りから始まるので、思い入れがあるキャラクター。意外といいキャラクターできたぞってなると、このキャラクターを死なせたくないわけですよ。
っていうところに緊張感が生まれて、しゃべりながらやって。もちろんBGMとかね。あと画面を見たりするんですよ。パワポじゃないけど、今こういうとこにいてこういうのが出てきましたっていうスライドとか出てくるんですよ。
だから完全にしゃべりだけではないんですけど、実際にやってるRPGを人とパソコンの画面とかスライド、音楽を使ってやっていくっていうような形で。
すごく決断に迫られてた時に、ドラクエのゲームだったら決断に迫られる前にセーブをして、1回ミスったら戻りゃいいじゃんって思うじゃん。でもTRPGそれができないから、
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どたんまで本当に自分の今まで生きてきた人生観というか価値判断が出るんだよね。今逃げれば問題ないけど、でもこいつの目の前に敵が追ってきたらどうしよう。
もうちょっとやっとくかと。自分が犠牲になれば確実にこいつは倒せるけれども、でも例えば自分を犠牲にせず他の人も犠牲にせず、みんなで助かる道も模索したい。
ギリギリまで粘ろうと思ったら結果全滅したとかっていうこともあったりするわけですよ。ここら辺に本当に日頃の決断が出る。いやーすげーなーと思って。
もちろんゲームをずっとやっていくによって、僕TRPGが2回目っていうのもありましたから、現実とゲームを切り分けて、いいんじゃん別にガンガン行こうぜっていうのもできるかもしれないんですけど、生事故を自分が入り込んでるから不思議と迫られたときに出るんです、そういう決断が。
自己犠牲をするって言ってはいるけど、でもできれば死にたくないなと。どっかで模索できねえか。じゃあ模索するならギリギリのライン狙おうとか。それが中途半端で冷酷な決断をできないと結果全滅することになったとか。
っていうのが出てきてね、これ丸裸にされるな怖ーと思いながら、ちょっとね僕昔演劇をかじっていたので、そういう演技をして実際に遊ぶっていうところの楽しさっていうのもね、なんかこう感じたりしてですね。
演じるっていうことを日常に取り込んで遊んでいくっていうことに関してはすごく面白いなっていうのを感じましたね。なんかもっとこういう遊びが気軽にできればいいのになと。今はちょっとそういえばボドゲ界隈だったりとか、あとはそういうサブカルじゃないですけど、そういうものが好きな人たちに深く入っている。
言い方悪いとちょっとオタクに好かれるというか、そういう懲り小な方々が楽しめる趣味なんですけど、これがもうちょっと気軽に遊べるコンテンツとして広がると、すごく日常的に演じるっていうことを遊びに組み込めるっていうのはすごく素敵だなと思って。楽しかったですね。
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あとね、これはもう本当自意識の問題。自意識過剰なんですけど、僕演劇に一応大学入って、そこから役所を目指した時もあったので、計7年くらいやってたんですよ。もっとそれを7年をギュッとすると、多分5年とか4年なんですけど。
その期間演劇をやっていたっていうのもあって、TRPG、ロールプレイングゲームっていうぐらいだから、自分が作ったキャラクターになりきるんですよね。そういうところで変な自意識が出るというか、臭いセリフ言えないんですよね。
命がかかっていて、助けに行く約束だみたいな、そういうところでね。これは本当に良くないところなんだけれども、演劇やってない人の臭いセリフって鼻にくっつくんですよね。
自分がそれが分かっているからこそ自分もやるの嫌だみたいな。お茶をあけて、お茶を濁して、笑いを取りに行く方が自分の性格には合っているから、そっちをしちゃうんですけど。
でもキャラクターとしては、物語のストーリーとして、空気としては、絶対に生きて帰る。だから君も俺たちを信じて生きてくれみたいな。病気で手術すれば治るんだけど、その勇気がない少年に、俺があの試合でホームランを打ったら君、手術を受けてくれるかい?っていうぐらいの臭さがあるんですよ。
それが難しくて、これを乗り越えたらもうちょっと面白くできるんだろうなと。そんなことも思ったりしました。でも、臭い芝居をやるのは苦手であって、しっかり構成、例えば台本とかで積み上げていって、物語をちゃんと積み上げていった上で、そういう臭いセリフを言うのは全然抵抗ないんですけど。
急に出てきたから、えーっと思ってテンパったんですけど。ただでもそういうのも、僕も演技っていうのをやらない人恥ずかしいじゃないですか。っていうのに近いんだろうなと思うと、そういうものを変身願望じゃないですけど、日常的に舞台っていう場じゃなくて、遊びっていう場でごっこ遊び、演劇を、お芝居をやるっていうのはね、すごくね。
日常生活とかでもすごくいいと思うんですよ。なのでぜひぜひ機会があればですね、TRPGやったことない人やってみてほしいですね。本当にまた新しい体験、新しいエンタメというかですね、なんかすごく良かったのでぜひぜひやってみてください。はい。
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