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2023-03-26 19:20

#346 人生さえ代行してもらおうとしてしまうカニカマ社会で、自分はどうしたいか?を考えたい。

今回紹介しているVoicyの音声配信はこちら!

だんだんと「カニカマ社会」になっていく、という話 - 緒方憲太郎(Voicy社長) (https://voicy.jp/channel/1/495736?share.ref=https:%2F%2Ft.co%2F)


【note版】

推し、VR、そしてAI。だんだんと「カニカマ社会」になっていく、という話(https://note.com/ogaken/n/n601c14497e32)



代替品のクオリティがどんどん上がってきて本物でなくても、それなりに幸せになれるカニカマ社会。

手軽に幸せになれる一方で、自分の人生を真に生きていないような虚しさを感じて怖くもあります。


今日はこのカニカマ社会について、自分が感じたことを少しだけ書いてみようと思います。



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先日ですね、ちょっとものすごい音声配信を見つけてしまいまして、これ聞いてとっても面白かったんで、ちょっと今日はこのことについてお話ししたいと思います。
それがですね、あのボイシーで配信されている、ボイシーの代表である尾形さんという方が配信されている回ですね。
だんだんカニカマ社会になっていくという話っていう回のですね、まあ音声配信がありまして、これがものすごく面白かった上にですね、ものすごくこう、自分はどうしたいのかっていうのをすごく考えさせられる、そんな内容だったんですよ。
ぜひですね、あのこれ聞いてほしいなぁと思います。
カニカマ、いわゆるカニではない、フェイク、偽物、代替品のクオリティがどんどんどんどん上がってきて、本物でなくてもそれなりに幸せになれると。
手軽にフェイクで幸せになれる一方で、自分の人生をこれでいいのかなってちょっと僕自身は思ってしまうような、そういうなんか虚無感とか虚無感っていうのがあって、
すごく怖かったんですよね。
なんかこう、本当にまあこうやっていろいろと、僕らが子供の時からまたさらに大きく変わってきたこのね、十数年とかで変わってきたこの中で、自分はどうやって生きていきたいのか、どうしたいのかっていうのをちょっとこのカニカマ社会について、自分が感じたことっていうのをちょっと今回は少しお話ししてみたいなと思います。
はい、というわけでどうも改めましてヨザッチです。
今回お話ししたいのはこのカニカマ社会。人生さえ代行してもらおうとするカニカマ社会において、自分はどうしたいのかっていうのをちょっと考えていきたいなと思います。
で、このカニカマ社会っていうのをもうちょっと詳しく説明すると、カニカマって本来カニの代わりになる、カニはそんなに頻繁に飼えないからそのカニっぽく作られたカマボコじゃないですか。
で、僕ら小さい時とかってカニカマはカニカマだったと思うんですけど、今やね、正月のさ、恒例の特番で格付けチェックでさ、本物のカニと食べ比べさせて間違える人が出るぐらいクオリティがめちゃめちゃ高くなったんですよね。
だからもう本当に手軽に、それなりの低価格で飼えて、それでいてそれなりの満足感がある。
で、本来カニ、高級な食品じゃないですか。
で、これじゃなくても、なんか生臭くもないし、気軽に食べられるし、美味しいから、カニカマでいいや、カニじゃなくて、カニカマで俺は満足ですよっていう人って多分結構、今いっぱいいるじゃないですか。
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で、そういった食べ物の世界では昔からあった代替品みたいなそういう流れっていうのが、食べ物以外にも見られてきたのがカニカマ社会、今そういった社会がカニカマと同じなんじゃないかっていうことで、このボイシーの尾形さんはですね、カニカマ社会って呼んでるんですけど、
これがね、言われてみると本当にそうだなぁと思って、このボイシーの配信の中でもこの尾形さんお話ししてるんですけれども、身の回りのものっていうものもどんどんバーチャルとかネット社会とかそういったもので、どんどん変わりが効くっていうことを言ってるんですよ。
例えば恋愛とかもね、実際の恋愛するのがめんどくさかったり、人間関係の煩わしさとかあったりするじゃないですか。で、初音ミクと結婚した人とかもいる話もしてましたし、それこそアイドルとかライバーっていうんですかね、配信者っていう人に課金したりとか、
あとはファッションとかも気軽にアバターとか、あとはそういった自分のスポーツ、自分でトレーニングしてスキル磨いていっても、自分には向いてないから気軽にゲームのキャラクターでいいやっていう感じで、どんどんどんどんいろんなものがリアルではない、手軽に置き換えられる。
いわゆるSNSで言えば自分のアカウントだったりとか、ちょっとリアルとは切り離されたネット上だったり、そういったVRとかの世界のバーチャルなものでアバターとかで代用していくっていうことを言ってるんですよ。
この流れっていうのは確かに全部が全部できるわけじゃないから、例えばいろんな分野があるじゃないですか。僕だったら演劇やってたし、ウェブ制作、今そういったITの仕事もしてるし、あとはライター、文章を書いたりするっていういろんなのがある中で、
例えば演劇は本格的な国立劇場とか世界のすごいシアターとかで立つような俳優とか演技者ではないけれども、それなりにやっていくっていう、そういった自分の中でのいろんな方面での折り合いがある中で、それは人によって多かれ少なかれあると思うんですけど、
この流れがいよいよ人生そのものを代行していく、自分の人生自体を置き換えていく、代替に任せちゃうっていう流れが今来てるっていうことが、このボイシーな尾形さんが言ってるんですよ。
これってめちゃめちゃ怖くないですか。僕は怖いなと思ったんですけど、押し勝つっていっぱい言われている中で、この押し勝つは人生の主役の代行業だっていうことを、この尾形さんは言ってるんですよ。
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押し勝つ、自分が主役になる、例えば僕もさっき言ったそうですけど、演劇で食っていく有名な俳優になるっていうのは、本当に下積みがいっぱいあったりとか、スキル磨いたり、体系維持とかあったり、お金かけてレッスンに通ったり、芸を磨いたりって本当に大変でめんどくさいことも多くて、
その上で多大なる努力、あとはメンタルの強さとかっていうのが必要なわけですよ。そういったものをしたくない、めんどくさいだったり大変だったりするじゃないですか。そういった自分の人生の主役というか、そういった目標だったり、そういう何か成し遂げたいことを誰かに投影する、代行してもらう。
だからそれこそこの配信の中で尾形さんが語っていた例として、今もうめちゃめちゃ盛り上がったWBCとかの大谷中村上選手とかの活躍、あれも応援することで自分ごとにして、自分が手軽に感動とかっていうのを感じてるわけですよ。
村上打てなかったら村上目覚ませみたいなこと言って、打ったら手のひらクルーってやって信じたぞみたいな感じで盛り上がってるあの感じ。人のパフォーマンスとか見て感動するっていうのは確かに素晴らしいことだし全然ありなんですけど、ただそれをめんどくさくて、全部丸ごと誰かに自分の人生っていうのを託して、それを勝手に自分ごとにして楽しんでいる。
でも頑張っているのは自分自身じゃなくて、投影している本人、向こう側なわけですよ。これってめちゃめちゃ怖いなって僕は感じたんですけど、皆さんどうですかね。
これぜひボイシー聞いてほしいんですけど、最近の若い人、若い人って言い方ですけど、もっとその傾向っていうのは顕著にあるらしいんですね。もう本当に推しが生き甲斐になっているとか、そういったことを言ってるんですけど、でも確かに言われてみたらアイドルとかそういったVTuberとかにめちゃめちゃ入れ込んでる人って、
それを言ってしまえば代行、自分の人生の拠り所とかそういったものをそこに委託してる、託してるっていうことを考えると、そりゃ自分の金で自分の人生の代わりに自分の主役っていうものを代行してもらってたから、
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そりゃ勝手に結婚されたりとかね、なんかいろいろされてしまったら、そりゃ起こるわなと思ったら、すげー怖えーなーと思って。僕は恐怖を感じたんですよね。
この人生の代行業っていうこと、尾形さんはこの中で、僕はこの恐怖を感じていたディレトピア的なデメリットの部分しか感じてなかったんですけど、メリットっていう方面でも尾形さんは語っていてですね、それなりに贅沢をしなければみんな幸せになれる社会がこのカニカマ社会だと。
それこそだって、今までは競争していて、勝者は一人しか、少数しかいなかったわけで、他の人は敗者になっていくわけですよ。でもそれが身近にある手軽な代替品で満足できるのであれば、もうそれだけでその人はその幸せを言ってしまえば見つけたわけですよね。
っていうことがあるんだよっていう、それをカニカマ社会と呼んで、じゃあどうなっていくんだろうみたいなことをこのボイシーで語ってるんですけど、僕はそのメリットはもちろんあるけれども、やっぱりすごく怖く感じたんですよね。
なんか以前、僕ゲーム好きなんですけど、そんなに昔ほどのめり込めなくなったことが今ありまして、そのきっかけ今でもはっきりと覚えてるんですけど、スマホゲームで格闘ゲームなんですけど遊んでたんですよ。
で、それなりに課金とかはせずに上位何パーセントとかのランクに入って、うわすげー俺めちゃめちゃこのゲームやりこなして、このキャラクターめっちゃ使いこなして強えじゃんみたいな感じで、ゲームの中で満足感感じてたんですよね。
すげーよっしゃーと思ってめちゃめちゃやり込んで、ある日ふとゲームやってる最中に携帯の充電、スマホの充電するの忘れてふっと消えちゃったんですよ。
あっと思った時に、そこに映ってるのは下向いてるからっていうのもあったんですけど、なんかちょっとくたびれたおっさんの顔がそこに映るわけですよ、スマホの画面に。
で、ゲームめちゃめちゃやり込んで、そこですげー自分の居場所じゃないけれども、ちょっと優越感というか強くなった、強者の空気というかそういったものを味わっていたけれども、
でも、俺、実際の今の俺に何が残ってるこれでって考えた時に、すげー虚しくなったんですよ。急に虚無感をめちゃめちゃ覚えたんですよね。
言ってしまえば、単なるデータであったり情報、僕はこれ本当によくない言い方なんですけど、死んだ時間なわけじゃないですか。何回やってもそれは電気信号だって変わらないわけで。
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それは世にある、例えばYouTubeとかのなんでもない動画だけでも、これ何回見たところでこの風景って変わらないわけですよ。
と思うと急にそういうのが虚しくなった時期があって、そっからなるべくリアルに体験しよう、いろんなことに挑戦してみよう、気軽に。
ちっちゃいことでもいいからって思って始めたのが、今書いてるブログテミターズっていうブログなんですけど、何かちっちゃいことでもいいからやってみた。
やってみたいことをやってみようっていうきっかけで、そういうふうに始めてみたんですけど、この流れっていうのは昔からあって、ブログとか僕が書き始めた2010年代とかも、
誰かの体験記事を読んで体験したつもりになってしまう。そういうところで体験を奪ってしまうみたいなことがあって、
それがブログのPV稼いでお金を稼ぐみたいな、ブログで稼げるみたいなと相まって、どんどん実際の体験離れみたいなのが加速してるんじゃないか。
もしくは二極化していく。実際に体験をしていって、一時情報でその場の空気感っていうのを味わう人もいれば、
それを見た人が書いた記事とか、その疑似体験できるもので満足して、結果でも僕自身の考えとしては自分の中に何も残らないって思ってしまうんですけれども。
そういうふうな、本当に二極化していくんだなと思うと、すごく怖くなってきまして、ちょっと今回こういうお話をしてみました。
ただ本当にこのボイッシーの尾形さんがこの配信の中で話されている通り、どっちも言ってしまえば悪くないことだと思うんですよ。
ただそれを知らずに、そのカニカマの幸せに知らず知らずに取り込まれている、絡め取られているとそれはすごく怖いなと思って。
やっぱりね、そういうどこか一側面で誰かに託すっていうものはあっても、やっぱり自分でハンドリングする部分っていうのは残しておかないと人生寂しいし怖いなと思う中で、
自分自身でカニを食うのか、カニカマを選ぶのかっていうのを選択していくっていうことはすごく大事だなと思うんですよね。
その中で、じゃあ実際に何をしていけばいいんだろうっていうことを考えると、やっぱり怖いけれども選ぶこと、そしてリアルな体験。
しんどいけど、この分野だけではリアルな体験として自分で体験していくとか、頑張っていくっていうことがすごく大事なんだろうなって思ったんですよ。
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これはまたこの前々回にお話ししたエブエブ映画、Everything Everywhere、All at Once、通称エブエブにも絡んでくると思うんですけど、やっぱりスマホの影響っていうのはやっぱりあるのかなと思って。
SNSとかでいろんな世界の情報、今僕沖縄のちっちゃい島国にいる中で世界のいろんなすごい人の情報が見れるわけじゃないですか。
そうやって自分が手に入れるかどうかは置いといて、自分もなれるかもしれないっていう無限の可能性を見る中で、まだ実際は手にしてないけど、その広がっていく無限の可能性。
もしかしたら北極に行けるかもしれないとか、もしかしたら海外ですごい活躍をしてるかもしれないとか、ここに行きたいっていう、自分は手にはまだしてないけれども、無限に広がっていく可能性の中で、
その可能性をどれか切り捨てていって、一つを選ぶっていうことが大事なんだろうなと思ったりしました。
それが捨てられないからこそ、全部この可能性を削りたくない、全部やりたいからこそ、全部限られた人生の時間の中でギュッとしてしまうことによって、
どんどん手軽に、例えばYouTubeでサバンナの映像を見て満足するとか、VRで旅した気分になるとか、そういったことをギュッとして手軽にやっていく。
気軽にかにかまに手を伸ばしてしまうのかななんてことを思ったりしました。
ただやっぱり大事なのは、そうやって自分の中に無限に広がっていく可能性っていうものを、捨て切れずに全部やろうとして、結果効率よく全部をこなそうとすることではなくて、
限られた可能性っていうものを、その中から全部切り捨てて、1個か2個、数少ないものを選び取って、それをしっかりリアルに体験して頑張っていくっていうことなのかな。
それがかにかま社会になっていく、この今の世界で、自分はこうしたいなあっていうことを強烈に感じましたね。
それもまた前々回のエブエブの回でも話したけど、難しいことではあるんですけどね。
今回の人生ではもうこれは出るっていう、もしくは超人になって全部できるように、全部高クオリティー、すごい高いクオリティーでできるような自分になる猛烈な努力をするしかないのかなと思いますね。
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なんか本当にすごく考えさせられる話でした。このかにかま社会について、あなたは実際、ボイシーぜひ聞いて欲しいんですけれども、聞いた上で俺はかにかまでいいや、もしくは自分はかにかまじゃなくてカニを食いたいとか、そういうことを多分人によって感じる部分はいろいろとあると思うので、
ぜひボイシーの尾形さんの配信、だんだんかにかま社会になっていくというお話、ぜひ聞いてみてほしいなと思います。
多分人によって感じるものは違うと思うので、ぜひあなたの感じたこととかをコメントとかご自身のツイッターで投稿してもらえると僕も嬉しいです。
というわけで、今回はかにかま社会について自分はどう生きていくかを考えてみたお話でした。最後までお付き合いいただいた方がいらっしゃいましたらありがとうございました。それではまた。
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