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明けましておめでとうございます。
たなけんです。
明けましておめでとうございます。
こばちえです。
てくてくラジオは、同僚であるたなけんとこばちえが、
仕事の合間にするようなゆるい雑談を配信するポッドキャストです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、新年一発目の配信になります。
今日はもう1月の半ば、1月16日に収録してるんですけど、
そうですね、ちょっとね、年末バタバタして、
配信してからちょっと間が空いてしまいましたが、
今年も引き続きやっていこうと思います。
はい、よろしくお願いします。
よし、じゃあ、今日は僕がネタ出しの日ということで、
まず新年の挨拶したんですけど、
いわゆる、僕昨年このエピソード、
てくてくラジオでもお話しした通り、
妻のおじいさんだったりおばあさんだったりが亡くなってて、
母虫といわゆる言われるものに該当するのかなって思ったりして、
調べていたんですよね、ちょっとだけ。
うん、そうですよね。
で、母虫っていろいろ諸説あるんですけど、
二親等以内だと言うことが多いみたいな、
ちょっといろいろ、そうですね、ググったんですけど、
諸説あるんですが、
二親等以内の親族が亡くなった場合が一般的に母虫といわれるらしい。
けれども、同居してる場合は、
同居してる場合は三親等までも母虫とする方もいるよとかっていうので、
あんまり明確な決まりはないらしいんですよね。
うんうんうん。
で、僕の場合は妻のお父さんのお父さんだったり、
お母さんのお母さんだったりするんで、
三親等なんだなとかって、
で、なんかじゃあ母虫なのかどうか、
この微妙なラインなのかもなと思いつつ話してるんですが、
で、ちょっと前々から疑問だったのが、
母虫のときにあけましておめでとうって言ってはならないみたいなやつ。
うん。
あるじゃないですか。
そうですね、はい。
よくわからないな、なんでだろうと思っていて、
昨年、人が亡くなったことと新年に挨拶することのつながりというのが、
よくわからないなというふうに思っていたんですよね。
そうですよね、確かに。
そう、なのでちょっと調べようと思って調べたら、
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えっと、なんだっけな、その、
神道、神の道って書く神道っていう概念、
僕はあんまり全然この辺詳しくないんですけど、
その神道においては、死、亡くなるということが、
穢れであるというふうに捉えられて嫌われるらしいんですよね。
はいはい。
その穢れというのは汚れていますということではなくて、
気が枯れている、気持ちが枯れている、
気力が枯れているというふうに書く、
穢れというふうに書くらしくて、
それは命が亡くなってしまうということは、
気力が枯れている状態であるというので、
その穢れというものは周囲の人に移ってしまうものなんだというふうに考える、
という考え方があるらしいんですよね。
うーん。
なので、周囲の人にその穢れを移してしまわないように、
挨拶とかそういうのを控えましょうというような意味があるんだそうです。
へー。
そうですね。へーですね。
そう。なので、
なるほど。はい。
なんか、いわゆる一般的な、僕のもともとの認識だと、
亡くなったことを悲しんでいたりして、
お祝いするような心持ちになれないから、
そういう腹筋心っていうあれなのかな、分かんないけど、
そういう感覚で、あまり挨拶とかしないでおきましょうね、
っていうぐらいのスタンスかなと思ってたんですけど、
一応こういう振動という概念の中では、
穢れを移さないようにするという考えがあるんだということを知りましたね。
なるほど。
なんかあの、念賀状とかも、
末中の葉書を年末とかにいただいたりして、
なんか念賀状送らないとかっていうのもありますよね。
ありますね。
でもなんかこの、なんだろう、挨拶とかをするっていうか、
他の人との関係を少なくするみたいなことなんだなっていうのは、
ちょっと知らなかったので、なんかへーって思いました。
へーって思いましたよね。
でもなんか、念賀状は送らないけど、その代わりにあの、
寒中未満、お未満みたいのを送ったりするじゃないですか。
うん。
なんかそれは、
あれはいいんだ、みたいな。
そうそうそうそう。
でもこの浸透的には、ちょっとそれまでは入ってないんですかね。
うんうんうん。
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そこまでは、なんだろう、浸透では決まってなくて、
寒中未満はきっと、とはいえなんか関係もあるから、
その、なんだろう、人のお付き合いとしてやってる感じなんですかね。
なんですかね。
ね。
いやー、わからんなーと思いつつ。
いやー、でもなんか改めてこういうのを知れると、へーってなって面白いですね。
面白い。
だから、今日も明けましておめでとうございますっていうので始めようか、
ちょっと悩んだ部分もあったんですけど、
僕はこの浸透っていうものには疎いし、
まあ三浸透の方が亡くなったっていう状況なんで、
まあそのあんまり気にせずに、明けましてをめでたくしていこうというふうに思ってます。
はい。
めでたくしていきましたね。
2022年のめでたくね。
はい。
それで、まあ2022年になったよっていうので、
今年どういうふうに過ごそうかなーっていろいろ考えてたんですけど、
その中でちょっと気になった記事が1個あったので、紹介しようと思います。
はい。
記事のタイトルは、
日本に足りないのはめっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさんだという記事ですね。
サブタイトルっぽい感じで、
欧州で目撃した勝利を真剣に目指す大人たちっていう記事ですね。
この記事は、
ナンバーウェブというウェブサイト、記事のサイトのページで書かれている筆者の方が、
中野良太郎さんという元プロサッカー選手の方らしいんですよね。
はい。
サッカーという1個のスポーツに対して、どういう考え方があるかみたいな話をいろいろしてるんですけど、
これに関してちょっとこれ読んで、僕が面白いなーと思ったので、
ちょっとメモしたものがあるんで、それを見ながら話そうかなと思うんですけど、
この方は日本でサッカーをやられてたんですけど、途中で海外に行かれて、
欧州でサッカーをやっていたと。
サッカー選手はいろいろいたんだけれども、
当然自分よりも上手い人もいれば、自分よりも技術的には劣っているっていう人も、
選手の中にはたくさんいましたと。
ただそういう技術的に劣っている選手であっても、
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そういうの関係なく、もっとこうしろとか、
君はここがダメだからもっとこうした方がいいよとか、
そういう意見をたくさん言ってくると。
それに対して、不意に堂々と、自分より下手であっても堂々と意見を言ってくる人に対して、
むしろこっちがドキドキしてしまうというか、
結構言われたことがまとえていたりすることもあって、
その意見を言ってもらって、
お互い意見を言い合いながら楽しくやっていましたというようなところからスタートしているんですけど、
その周囲の人たちは、
自分の技術力とか周りにどう評価されているとかは関係なく、
自分には意見を述べる権利があるということを、
しっかり理解して意見を述べてくれるという、
そういうスタンスがあるよということをまず言っています。
そこで、自分の評価が低いとか技術が低いから、自分は意見を述べる権利がないですって、
結構、日本とか僕自身も思い当たることはあるなと思っていて、
なんかちょっと僕はあんま詳しくないからとか、
この辺うまくないから言うのやめとこうみたいな、
いうふうに思っちゃうことがあったなと思うんですけど、
そういう考え方で固定してしまっていると、
いざ自分自身で自分の主張を伝えなければならないっていうシーンに遭遇したときに、
自分の意見を述べることができなくなるよというふうに筆者は言っていました。
そうすると結局言われたことしかできないっていう選手になってしまうんだということを、
記事の中では言っていて、
なのでその自分の考えを述べる権利っていうものと、
をしっかり誰かから与えられるものではなくて、
自分の権利としてそもそも持っているものなんだっていうのを、
ちゃんと捉える必要があるよということを言ってますね。
っていうちょっと真面目な話から始まるんですけど、
記事のタイトルはめっちゃ楽しそうにサッカーする下手なおっさんが必要だって言ってて、
これが何なんだっていう話につながっていくんですよね。
で、じゃあまあ僕もさっき言ったように日本では結構、
そういう意見、自分下手だから意見を述べる権利がないなっていうふうに、
考えてしまう人多いんじゃないかっていうことを言っていて、
で、まあ僕もここら辺りあるなあと思いながら読んでるんですけど、
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そうするとその上手い人だけ発言ができて、
上手くない人は発言する権利がないっていうような、
そういう序列関係が出てきてしまうよねというふうに言ってて、
その序列を逆転したいってなったら、
さらに権力のある監督とかそういう偉い立場の人に認めてもらって、
権限をもらう、発言権をもらうっていうので初めて、
下手くそでも発言権もらって発言できるみたいな、
そういう構造になりがちなんだというふうに言っています。
で、じゃあそういう中、見えない序列の中で過ごしてきた人たちは、
サッカーをやってきた人たちは、
じゃあサッカーを一生やっていくぞ、生涯にわたってサッカーをやっていくぞっていうふうになるでしょうかっていう問いをしていて、
どうしても周囲の評価が高い、上手い人だけが序列の上の方に行くっていうふうになると、
上手くない人はそのコミュニティに居づらくなるというか、
序列が低いから自分は下手くそだし意見する権限もないし、
楽しくないよなっていうふうになっていて、
サッカーから離れていっちゃうんじゃないかっていうようなことを言ってるんですよね。
で、これってサッカーを例にしてこの記事は書かれてますけど、
サッカーに限らず見えない序列関係があると、
まあ面白くないよな、面白くないって感じる人がきっと多いよなと思ってて、
どんどんそういう場所から離れていってしまうよな、
というようなことを感じながら読んでました。
なるほど。
それが日本はそうなんじゃないかっていうことを筆者は言ってて、
欧州ではどんな感じなのかというと、
本当に技術の低い下手くそなおっさんたちが楽しそうに真剣にサッカーをしてるんだと。
週末だったり仕事終わりだったり、
みんなで汗だくになりながらサッカーをしていると。
で、それを若い世代の子供たちがいつも目に見えるところでそういうのをやってると。
なんでその子供たちにとっては、
このおっさんみたいに下手くそでもサッカー楽しそうに続けていいんだっていう風に思える瞬間がたくさんあると。
それが欧州の特徴ですよって言ってて、
それを見た子供たちはやっぱりこのおっさんたちみたいに将来自分もなっていいんだと思えるから、
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これは一生サッカーというスポーツを愛せるなっていう風に感じると。
そういう選択肢を与えることができるっていうのを筆者は言っているんですよね。
なのでこの話から、僕はサッカーは全然やらないのでサッカーは不運って感じなんですけど、
それ以外の例えばソフトウェア開発だったり、
自分の趣味の何かは別のことでも何でもいいんですけど、
そういうのを継続的に発展させていきたいなっていう風に思うんだったら、
自分が上手いとか下手とか気にせずにどんどん発言することだったり、
そうすることによって上手い人だけ発言できるというような序列的な構造を作らないようにするっていうのが結構大事なんだなという風に思っている。
で、その何かサッカーだったりソフトウェア開発だったり、
例えばRubyだったりっていうものが将来愛するに足るものだよというものを伝えるためには、
自分が別に上手くなくても真剣に取り組んで楽しくやってるぞっていうのを、
実際楽しんで取り組むっていうこと自体が大事だし、
その姿を周りの人に見てもらうっていうのが大事なんだなという風に感じて、
これはいい記事だなと思って紹介しましたという感じですね。
うん、いい話。
確かに、なんか本当に私もサッカーわかんないですけど、
これって何でも共通する話な気がしますね、本当に。
なんか楽しそうにする姿を見せるっていうのは、やっぱすごい大事だなと思って。
なんか今、これでやっぱり僕がパッと思いつくのは、
Rubyコミュニティの人たちがすげー楽しそうにしてるっていうのが、
僕の中では大きくて、
で、なんかそれってでも外からって、どこを外、外の人たちっていう風に定義するかにもよるんですけど、
僕はなんかやっぱRuby会議とか行って、
この人たち、よくわかんないけど楽しそうにやってんだみたいなところを感じたのが、
参加して一番大きかったなって思ってて、
それ参加しなかったらあんまりわからなかったな、見えてなかったなと思ってて、
Rubyはちょっとは書いてたけど、なんか参加して初めてわかったなと思ってて、
なんか楽しんでやっている人たちがいるぞっていうのを、
もっと伝えていけるといいのかもなって思ったりしましたね。
本当ですね。
Ruby会議は結構、
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発表される話の内容とかも難しいじゃないですか。
なので、なんか私もRuby始めたばかりの頃は、
Ruby会議に参加してもきっと言っている内容とか理解できないかもしれないし、
なんかちょっと私には早いなみたいに思ってた時があったんですけど、
でも実際に参加してみたら、話の内容はほとんどわかんなくても、
やっぱりそこに参加している人たちの楽しそうにしている雰囲気とか、
あと、懇親会とかも多いから直接お話をしたりとかっていうのに、
自分が参加して触れることで、楽しいな参加してるなって、
自分も参加できてるなって思うことができたなって思っているし、
そもそもRuby会議を開催している運営チームの人たちも、
なんか参加者のレベルとかって全然本当にこういう人を想定してますみたいななくって、
なんか参加したいと思ったら参加してください。
いつまでもあると思うな、Ruby会議みたいな感じで。
そうそう、それはさっきよく言ってましたね。
やっている間に参加したい時に参加してくださいみたいなのをよく言っている話なので、
やっぱりね、そうやって今参加している人たちがそういう心持ちで楽しそうにしているところを、
新しく参加したい人に見せれるっていうのはすごい良いコミュニティだなって思いますよね。
いや、本当に。
なんかそういう意味でも大事なものな、大事な活動なんだなって思うんで、
継続して、いつまでもあると思うなと言われつつ、継続していきたい。
継続することに協力していきたい活動だなって思いますよね。
ですね。
いや、まったくです。
はい、確かに。
なので、今年2022年になって、
なんかこういう、とにかくじゃあ自分にできること何かなと思ったら、
なんか真剣に楽しんで何かに取り組む。
下手でも上手くても関係なく、おもろーって言いながら取り組むみたいなのが、
結構2022年の自分の行動計画というか、行動指針のヒントになるなと思いながら、
この記事を読んだんですよね。
うん。
で、それを踏まえて、今年の僕はちょっとテーマを決めたんですけど、
今年は、たくさん失敗するという行動指針を立てました。
おー、いいっすね、はい。
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で、その心はということなんですけど、
去年1年間は、自分ができそうなことを楽しくやるっていうような感じだったなと振り返って思って、
お仕事面では、自分がすでに持っている技術、ある程度、
RubyだったらRuby on Railsかけるよっていう中で、
より正確に厳密にしっかりと物事を進めるっていうようなお仕事が多かったですよね。
で、なるべく失敗しないように、何か失敗のリスクがありそうだったら吐き回りするとか、
それは当然お仕事なんでやったほうがいいんですけど、
そういうのを最も重要視するような、そういう類の仕事が多かったんですよね。
うん。
で、お仕事以外の生活面とか、趣味の開発とかでは、
チュートリアル的なものを、友人たちとGoogleプロしてやってみるとか、
改めてRubyの勉強をして、自分はRubyが好きだし、
自分がやってる言語の中では得意な方なので、
それをもうちょっと伸ばすためにRubyを勉強してみるとか、
だいたいこれやったらうまくいきそうだなって思えるようなものを楽しくやるっていうのを、
割と手堅くやってたっていうのが2021年だったかなというふうに思うんですよね。
それ自体は良かったし、それ自体楽しんでやってたんで、
2021年楽しかったなと思うんですけど、
なんかもっと失敗して、下手くそでいいんじゃないかというか、
失敗していいんじゃないかなっていうふうに思っていて、
なので、たくさん失敗するっていうのを動詞人としてみようかなと思ってます。
いいですね。
なんか実際これで過ごして2週間ぐらい経ってるんですけど、
なんか自分がやったことない難しいこととか、
経験したことないことにやってみようと思うインセンティブになるというか、
失敗したこと、まだやってないですけど、たくさん失敗することっていうテーマなので、
失敗したことを2022年は記録していこうと思っていて、
失敗した物事の数が多ければ多いほど成功みたいな、
失敗することが成功みたいな、
不思議な話になってくるんですけど、
やっぱりやったことないことに挑戦すると失敗する可能性は高いので、
お得じゃんっていう気持ちがしていて。
お得じゃん、いいですね。
なので、なんかなるべくやったことない話とかに、
少しでも興味持ったらやるっていう、で失敗するっていうのをやっていこうかなと思ってます。
ナイストライを。
そう、ナイストライをね。
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やっていくってことですね、はい。
ただ一方で、じゃあ、これポジティブすぎるなと思ってて、
挑戦するぞみたいな、何でも新しいことに挑戦するぞみたいなやつをずっとやってると、
1年間継続できるのか分かんないし疲れちゃいそうだなって思ったんで、
もうなんか全然だらしない失敗もやっていこうと思ってて、
やっていこうというかちゃんと記録していこうと思ってて、
そうそう、たくさん失敗することっていう行動計画にしてるのは結構あえてそうしてて、
さっき言ってた難しいことに挑戦しようみたいなことだけにフォーカスするんだったら、
たくさん挑戦するっていう行動指針にすればいいんですけど、
あえてそうしなくて失敗する方にフォーカスして行動指針を立てたんですよね。
それは何でかっていうと、挑戦ずっとしてるとやっぱ疲れちゃうからっていうので、
なので、なんかだらしない失敗もしていいじゃんっていう風に思ってて、
ただ失敗したら、じゃあ何で失敗しちゃったんだろうねとか、
何でこれだらしなくなっちゃったんだろうねっていうのを考えて、
次同じようなことがあった時に失敗しないように少しでもなんか前進できるといいなというので、
そういうようなスタンスでたくさん失敗するっていうのを、
今年はやっていこうかなというふうに思ってます。
いいですね、はい。
そんな感じですね。
やっていきですね。
そう、で、なんか今年はそのたくさん失敗するっていう行動指針の中で、
もうこの2週間でやっていたこととしては、
僕はラストという言語をお仕事でもプロダクトで使っているので、
やろうやろうと言いつつずっとやってなかったですよね。
で、ちょっとRubyとかとは考え方の違う言語になるので、
そういう新しいもの、今までやったことないような、
静的片付けの言語に取り組んでいく、
コンパイル型言語に取り組んでいくっていうのをやっていて、
ラストの文法を勉強しながら、
共有的プログラミングの問題を解くみたいなのをやっているとか、
あとはそのラストを使って、何か今までやったない、
今まではウェブ系をずっとやってたんで、
ウェブじゃない何かもやりたいなと思って、
ラストの組み込みをやってみたいなと思っていて、
そういう本を買ってちょっと勉強しようかなと思っていたりするっていうのが、
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直近2週間の失敗に向けたアクションですね。
失敗に向けた。
失敗しないってこともありますからね。
そうそうまあそうですね。
そうですね。それがね、すごく身を結んでいくってこともあるから、
失敗するかどうかはあれですけど、でもいいですね。
ラスト、私も同じプロダクトを、
田中園さんと同じプロダクトを仕事でやっているので、
必要になる場面がきっと来るに違いないと思っているので、
やりたいなと思いつつ、できてないので、私もやりたい気持ちはあります。
楽しいですよ。結構やってみて。
本当ですか。
ちょっとそう、チュートリアルみたいなやつからちょっと見てみたいなと思いつつ、
そうですね、なかなかまだ手をつけられてないです。
今年はレールズ7をまずレールズニューしてみたいみたいなところまでやってますね。
そっか、その辺な。今年までやってないな。
そうなんですよ、なんか、私はレールズガールズっていうワークスターのコミュニティもやっているので、
レールズガールズのガイドを更新しようと思って、
最近は休みの日にそのレールズ7とか、
2年間ワークショップやってないんで、ガイドの更新もあまりできてなかったんで、
この2年間分の更新をちょっとやり始めてますね、最近は。
そうですよね、あれ開催するたびに更新するみたいなところあったから。
そうなんですよ。
いやー確かに確かに、僕も東京、どこだ、福岡の方の高知かな、直前の時とか、
準備の時にこれ動かないねとか、
なんかいくつかのクラウドプラットフォームで動かせるようにみたいな、
違う、AWSのクラウド9みたいなやつかな。
そうですね、そういうのもありますね。
で、僕その記事を更新したりしてたんですけど、
いやーなんか、そうですよね、その、
コーチ陣が準備をする時に気づくとか、
そう。
直してたから。
ワークショップが全然ない、この2年間開催できてないので、
ガイドのね、更新もされて、ほとんどされてないんですけど、
でも、そろそろね、もしかしたら、
この波が落ち着けばできるのでは、みたいな期待を込めて、
やり始めているので、
個人的にはその、レイルズガールズみたいなコミュニティとか、
他にもコミュニティがあるので、
コミュニティの活動は継続して今年もやっていくぞ、とは思ってます。
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確かに確かに。
はい。
いやーなるほどな。
でもいいですね、なんか、
この失敗するぞを、このテクテクラジオでも、
田中園さんのこの失敗の状況を、
引き続き追っていけたらいいなって思います。
そうですね。
はい。
報告をしていきたいと思ってます。
そうですね、こんな良い失敗しました、みたいなのをぜひぜひ。
うん。
うん。
いやーまあ小さい失敗はいくらでもあるんですけどね。
全然コンパイル通らないとか。
それは失敗じゃない。
まあそうですね、失敗とはみたいなところはありますけど。
まあ学んでいくっていうチャンスだと思うんですね。
何かにつまずくっていうのは大事にしたいなっていうふうに思ってます。
はい。
はい。
そんなところかな、今日は。
はい。
はい。
じゃあエピソード13、今日は挨拶でちょっと夢中とは何なのかみたいな軽い話をした後、
日本に足りないのはめっちゃ楽しそうにサッカーする下手なおっさんっていう記事に関して紹介してみたよという話と、
あとはたくさん失敗するというお話についておしゃべりしました。
はい。
じゃあエピソード13は以上にしたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
バイバイ。
バイバイ。