1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 【朗読YouTube】文字アーカイ..

朗読ってただ読んでるだけじゃん!とか、朗読技術が下手くそじゃん!ってホントそのままなんですが、実は奥深いかもしれないなーと思うフィードバックをいただきました。

そもそも本は「おはなし」を文字情報としてアーカイブしたものですし、それを「声」に変換してお届けすることで、リスナーさんの脳内で「解凍」されることがあるなら、それは、時間を使って作業する価値あることだと思います。ええ、私、ほんとうに幼少の頃から「おはなし」といっしょに育ってきたおはなし大好き人間ですから!

私のダンス動画はインスタで公開しています、よかったらご覧ください。
https://www.instagram.com/fusigi.neko

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こんにちは、Webを楽しむIKUKO Labo、金田イクコです。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
はい、それでは、本日は3月6日、月曜日。
時刻の方が午前11時25分ぐらいになりました。
お昼近いんですけど、今声がちょっとガラガラ声になっちゃってるんですけど、
これはなぜかと言いますとですね、
【朗読YouTube】の方の素材が、録音素材が本当に枯渇してしまって、
水曜日に配信する分の録音素材がないということで、急遽というか急いで読みまして、
2本続けて読んだら、声がガラガラ声になってしまいました。
あれ2月だったっけ、1月か。
インフルエンザ、多分推定インフルエンザになって、咳が1週間止まらないっていうことがあったんですけど、
体調の方はすぐに回復したんですけど、咳がなんか長引いてしまって、
癖になるっていうか、喉の調子がイマイチですね。
なんだっけ、とはいえ、読まなきゃいけないので読みました。
今日は月曜ですので、月下で1本編集すれば水曜の配信に間に合うと。
土曜日の配信については録音があるので、
水、木、金のうちに土曜日を編集すれば間に合うという感じで、
かなりスケジュールが追い詰められてですね、ギリギリな感じで最近創業しております。
その理由としてはですね、他のことをいっぱいしてるからですね。
編集までで言いますと、ポッドキャストで配信していた通り、ノーションのことを調べたりとか、
ノーションにデータベースを作りたい理由であるところの落筆行使名簿などを、
今はGoogleのスプレッドシート上にあるので、それを整理してみたりとか、
ということをごちゃごちゃごちゃごちゃやっておりまして、あっという間に時間が経つということですね。
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何事も、こういうことができるんだよとか、こういうふうに使うんだみたいなのが決まってしまえば、
あとはこのルーティンなので流れ作業でなんですけど、
初めてのツールを使うとか、今までしていなかったような整理方法を試すとかというときはやっぱり最初の方はもう試行錯誤だったり、
使い方もわかんないのでググったりとか、今GoogleとYouTube出てくるのでYouTube見たりとか、
そうするとそのYouTubeの関連動画欄に関連するやつがいっぱい出てくるので、そういうのを全部はしごしたりするので、
なんかこう調べるとあっという間に時間が経ちますよね。
でも自分が知りたいことっていうのはピンポイントで答えはわかったとしても、
関連動画的なやつちょっと違うんだけど、そういうこともできるのみたいに探していた以上の関連情報をついでにゲットできるのがやっぱり素晴らしいなと思うところですね。
やっぱりYouTube内においてそういう少し少し点もずらしただけど関連するようなことたちっていうのが関連動画に出てきやすくなってる気がしますよね。
これGoogleのキーワード検索だけだとなかなかなんていうか、そういう微妙なずらし方っていうのがなかなか出てこなくて、
同じ情報はいっぱい出てくると、同じ情報どれ見ても同じ解決方法が書いてあるみたいなブログが大量に出てくるっていうのが現在の現状になっているので、
そりゃあそこにはやっぱり情報への到達方法としてのYouTubeっていうのは強みになるよねと思いますね。
何の話だっけ、時間がかかるみたいな話の中で、それで最近そういうAI自動音声だったりとか、自動文字起こしとか、逆に文字を読み上げる、自動読み上げみたいなのが、
まだ完璧なものがあるとは思いませんけど、かなりできるようになってきていて、人間が喋らなくても良くなるんじゃないみたいな話ありますよね。
YouTubeで言えば、そういう情報提供チャンネルみたいな、何々の使い方を説明しますみたいなやつね。
すでにAI音声でやってる人たちがいるのにっていうか、でも顔出しでやろうとするとやっぱり人工音声ってわけにはいかないので、ご自身で喋ってらっしゃる方がほぼほぼですよね。
あれがいらなくなるんじゃないのみたいな話があるやに思いますけれども、私がやっているYouTubeの朗読っていうジャンルがあるんですよ。たくさんの人が朗読にチャレンジしてるんですよ。
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プロからアマまでいっぱいいるんですけど、これって自動で読み上げたら意味ないじゃんっていうやつですよね。今でも自動で読み上げて完璧っていうのは多分なくて、
アマゾンでやってるオーディブルっていうオーディオブックですね。読み上げたデータを聞くっていう、あれもプロのアナウンサーだったり、演劇する人、わかんないけど、ナレーターとかプロの人がやってるので、むちゃくちゃ完璧なんですよね。
完璧なんですけど、聞きたい、長いこと聞いてると疲れます。私も前オーディブル入っていたので、多分ですけど、本読むときって、私の場合は脳内で読み上げてるんですね。多分音声になってるんですよ。
例えば音楽を聞きながら本を読むとか、なかなかできづらいの。邪魔なんです、すごく。それがインストルメンタルの音楽でもやっぱり邪魔ですね。何か集中できないというか、どうしてかなって言ったら多分、文字に書いてあるやつをうっすら音声化して自分で聞いてるんじゃないかなっていう気がするんですよ。
っていうぐらいですので、こういう音声で聞きたいっていうのは自分の声ですよね。自分で読み上げてる。のに対してオーディブルだと完璧な男性のローローとした声とか、女性でも女性で自分とは声質の違う人の声が読むので、すごい違和感があるんです。声にね、声とかその読み上げ方に。
で、結局オーディブルは解約するんですけど、あれだったらまだ自動のAIのたどたどしい音声の方がまだ楽だっていうぐらい。
で、そう思っていたのですが、昨日私がこのお出かけしている間にYouTubeからコメントが入っていて、なんかその方は初めて私のチャンネルが出てきたらしくって聞いてみたらむちゃくちゃいいって。
それは眠くなるとかそういうこともあるかもしれないけどそうじゃなくて、浴用がなかったりとか、ただ読んでるだけなので、作意がないっていうか、作意を出せないんですけどね、技術的に。
なので、あの通勤途中で聞いてらっしゃったらしいんですけど、もう情景が目の前にありありと感じられたんですって。
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それどういうことかなっていう、その起きてる出来事を私が想像しがたいぐらい、とにかく声にアーカイブされた本物の、本家、本編の物語が何らかの形で声を圧縮されてそこから上手に回答できたんでしょうね、その方が。
私の声とは多分相性が良かったんだと思いますけど、そうやって相性さえ合えば、本来はご自身で読むのが一番想定されている文章で書かれた小説ですからね、文章が。
直接読んでいただくのが一番いいわけなんですけど、それを耳から聞いても同じように情景が浮かぶんだなっていうのは、初めてそういうフィードバックをいただいて、なるほどと思ったっていうか、そういうことって本当にあるんだなって思って、驚き半分、残りの半分はよしと思ったっていうとこですね。
この、多分ですけど声との相性だと思いますね。多分その方も私とよく似た声質なのかもしれないなと想像するんですけど、聞いていて違和感がない声ということで、これについては個人差しかないっていうことですよね。だってみんな声って違うでしょ。
で、その好き嫌いとか肌に合う合わないとかっていうのがもう生理的な問題だと思うんですけど、決まっているので、全然聞けないっていう人ももちろん多いでしょうし、逆にこれが楽だという人もいるだろうし、こればっかりはやってみないとわからないんですけど、もう鼻からダメだっていう人に向けて何を努力しても無駄なので、
そういういいっていう人のために続けていけばいいっていうだけであって、まあどっちにしてもね、いいっていう人からゼロでも続けるんですけど、なんかもう自分のルーティンになっちゃってるんで、全然問題なく続けていくのですけれども、
まあただルーティンで流れ作業でやってくるというだけじゃなくて、絶対これって肌の合う人っていうか耳の合う人っていうか、まあバイブレーションが合うって言ってもいいのかしら。音声ね波動ですからね。
そういう人にとっては、文字をそのまま読むのと同じぐらい、時としてそれ以上にお話の情景が、文字の形としてアーカイブされている本来の作家さんが書きたかった場面の情景とかが、聞いた人の脳内で回答されてばっと展開されるなら、
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こんなすごいことはないなと思って、それだったらちょっと頑張れるみたいな、なんて私としてはこのジュールベルノのねお話なんですけど、その人が聞いてくれたのは、ジュールベルノってそんな100年も前に死んでる作家さんの、でもこう文字の本の形で後世に託された、
言ってみればアーカイブされているようなものを、私が声に展開してお届けすることで、本来の作品世界がその最終的に聞いた人の脳内で再生されたんだったらすごくないっていう、時を超えたその情報伝達ですよね。
その一翼を担えるじゃないですけど、一つのルートとして、私のロードオブチャンネルも役に立つかもしれないみたいなことで、そのフィードバックによってやる気が出たとかなくなったとか出たとか全然そういう影響はないんですけど、そんな感じでできたらいいなと思ってたことが、本当にそういうことが達成した人が一人いたみたいな感じで嬉しかったです。
全員がフィードバックしてくれるわけじゃないので、たまたま通りすがりに聞いた人が一本だけ聞いて、なんかお話がちょっと蘇ったみたいなことで十分じゃないかと思っていて、もともと私お話が好きですからね。
幼少の頃はテレビぐらいしかなくて、ビデオがまだなくて、映像コンテンツが少なかったんですね、はっきり言って。なので本しかなくて、本を友達代わりに小学校、中学校、高校、大学行ってもそうだったかな、いや社会人になってからもそうだみたいな感じで。
一番の拠り所としていろいろな本を読んでて、役に立つ本ではなくして物語ですね、お話、お話専門で、どうかな、SF、ファンタジー、探偵小説、ハードボイルドぐらいのこのジャンルの境目ぐらいをこうウロウロとする感じで本ばっかり読んでいた。
これ本ばっかり読まなくなったのはいつかって言ったら、1995、6年インターネットができて以来、インターネットやり始めてから本より楽しいみたいな感じでネットにのめり込んでいるわけですけれども、
自分のルーツ的には数々の名作みたいなやつを読んで楽しく育っていたので、そういう体験をね、私は今読みながら楽しいっていうか思い出す、そういえばこの本読んでた頃はこうだったわみたいなのをありありと私は思い出したりして、
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自分の記憶を、記憶のアーカイブを展開しているような感じで読んでるんですけど、なのでなんだろう、不思議な時空を行き来する的な感じがね、本当時々しますね。
今赤毛の庵を読んでいて、今日読んだのも赤毛の庵の最後の2章を読んだんですけど、私赤毛の庵にドハマリしてて小学校の時、庵のように行きたいと思って、だけど今考えると庵って第一次大戦より前なんですよね。
そういうことは、第一次大戦前だから1900年とかその前かもしれない、まだ家に電気がひかれてないぐらいの感じの時、ろうそくとかランプとか使ってるっていう、なんかね電話的なものがあったらしいんですけどね、今回初めて気がつきましたけど、町には電話線がひかれてるっていう記述があって、
電気の線がなくて、なんか電話線しかないっていうのは電気はなかったのかみたいなことですけど、そんな時代の庵舎理のように振る舞いたいとか行きたいって言っても、なかなかにね、さすがに私がいくらあれって言っても昭和時代ですので、
うまいことなりきれなかったんですけど、それでもすごい影響されてたよねって、なんかちっちゃい時から絶対大学には行くって思ってたんですけど、なんでかなって、なんか最初から行くもんだって思ってた理由が庵舎理が大学に行ったからでしたね。
なんだ、そんなところでかみたいな、だから特に目的とかなくて、いや行くんだから行くんでしょみたいな感じで、気がついたら必死に受験勉強してましたので、いやーちっちゃい時のその、なんかもう無意識に入っちゃう擦り込みっていうか、思い込んじゃったことっていうのは理屈じゃないので、なんかもうそうしなくてはいられないぐらいの、
受験勉強しないではいられないぐらいの感じで、何のために行って、何が勉強したくてとか一切ないんですけど、とにかく庵が行ったんだから私も行かなくちゃみたいな、そんなノリで大学受験を目指してたなっていうのは思い出したりするんですよ。
自分のその大学受験の時の話なんて何にも思い出さないじゃないですか、普段生活してて。でもこの赤毛の庵を朗読することによって、全部の文章、一文字一文字を全部読むので、まあいろんな箇所ですごいびっくりすることが、こんなこと私は未だにとかね、守ってるとか信じてるとか思い込んでるとかいうことが随所に散りばめられる。
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まあ驚きました。
あの、なんていうんですか、洗脳っていうのはやっぱり相手がいて、誰かがいて、外部から何か情報を強制的に注入されるみたいなのが洗脳だと思うんですけど、こういう小さい時に、はまっているものって無意識に本当に入っちゃうんだなと思って、すごいなと思いましたね。
まあそれがいいか悪いかは別の話で、何にも入らないっていうこともないと思うんですよ。子供の頃って無垢ですから、いろんな情報がすぐプリントされちゃうんですよね。
それが何を入れといたらいいかなんてことはやっぱり判断できないので、これこそ偶然とか運とか運命みたいなことだと思うんですが、とりあえずそんなことをつらつら思っちゃうぐらい、昔読んでた好きだった本っていうのは思い出深いなというところです。
そんなことがありましたということで、昨日も一昨日もそうですけど、実は昨日3月5日にキッチンカーフェスティバルっていうね、まあそういうイベントですわ、大きな運動場みたいなとこで、それがありまして、その中のイベント出演者として1曲ステージで踊るっていうのが前々から決まっていて、
そのために練習組んで、毎週土曜日に練習してたんですね、この1ヶ月2ヶ月1ヶ月半ぐらい、それの本番が昨日だったので、前日4日も集まって練習してたし、昨日もご飯が炊けた音がしますが、
昨日本番でしたということで、なんていうのかな、うまくできたできなかったで言ったらまあまあ練習と比較してうまくできた方だと思うけど、自分の出来栄え点としては、いやもっとできたはずだみたいなのがなんだこれみたいなね、がっかり感もあったりして、ひきこもごもな感じなんですけれども、
まあそういう自分自身の反省点は置いといて、全体チームとして見るとすっげーうまくいったって感じだったんですよ、いろんな意味で、皆さんの満足度とかも含めてすごい良かったし、出来栄えも良かったし、何ならフォーメーションが良かったですね、
4人なのでね、立ち位置がちょっと取りづらかったりするんですけど、完璧な、ちゃんと均等な感覚で、形を変えてもまた均等な感覚で並べてたしすごいなと思って、私はそういう意味で満足感、達成感がありましたね、
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この気持ちをどういう風に表現したらいいんだろうって言った時に、ミッションコンプリートっていう感じですね、やろうと思ったことをやり遂げたっていう達成感、自分自身のこのタンスにおけるやりきった感っていうのはちょっとイマイチなかったりするわけですけど、
まあね、まあまあ、でもやらないよりはやって良かったって思ったし、こういう感じかって、こういう風にやっていったらこういう風に出来るんだみたいな、ちょっと掴めた感じもして、なるほどと思って、
毎回今までは偶然に、たまたま集まれた人たちで、いついつ何々があるから、じゃあそれまでに集まってやらなくちゃっていう、つけ焼きばあかん満載な感じだったんですよね、毎回。
なんですけど、やっぱり何があろうとなかろうと日頃からちゃんと練習しておくっていうことが、やっぱりいざという時に違いとなって現れるかなと思ったので、続けていかなきゃいけないなっていう風に昨日は思いました。
それはだいぶ前に話していた、そのコミュニティ運営をするんだとか、そういうこととはちょっと違う話で、やっぱりやらなきゃなっていう風に思ったっていう、素直に実感としてそう思った感じです。
それは誰の損得とかでもなくて、やったほうがいい、やるべき、何て言うんでしょうね、やれる余地があるっていうか、やったらいいものができそうな予感がするっていうか、そんな感じに思いましたので、
ちょっとそういう方向で考えてみようかなと思いますけれど、昨日の今日ですので、一旦休憩でね、のんびりしてからまた再度再出発って感じでできるかなとか思ったりしております。
というわけで、大きな一つの節目というか、3月5日まではみたいな、それが終わってからめんどくさいことはその後でって思ってたんですけど、昨日終わりましたので、いよいよ落室の講師さんたちと次世代の落室を考える会みたいなやつを企画しないといけないし、
やってもやらなくてもいいんですけど、これもやったら何かできる可能性があるっていうところで、せっかくできるチームというかメンバーさんがいるのに何もせず手をこまねいてただ放置したら、
普通のことしか起こらない。盛り上がるとこは盛り上がり、盛り上がらないとこは盛り上がらず、そしてツトムが引退したらすべてが消えていくみたいに。来た波が去っていった以上終わりみたいになるのはもう必要と思われ、
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一回来た波をさらに上の波にしていくっていうか、恒久的に消えない何かのムーブメントというか存在に高めていくために、もしかしたら今がそのチャンスが取っ掛かりがあるのかもしれないのに、何もしなかったら何もないので、
もしかしたらそんな取っ掛かりはないのかもしれないし、うまくできないのかもしれない。もちろんそうだけど、やってみる価値はあると思うので、やんなきゃなです。これもなんかやりたい、やりたくないとちょっと別な感じで、やっとかなかったら後で後悔しそうみたいな感じなんで、しかもこの何て言ったらいいか、この何をやるんですってことがはっきりしないっていう感じですよね。
将来におけるダオ的な何かを作りたいって感じです。今すぐとか全然無理だって思うので、何度も何度もいろいろチャレンジしてみて、失敗して失敗して、いつかこれだみたいなのにたどり着くのだろうと思うと、これが1回目とかのチャレンジですので、
失敗はやむなしと思いつつ、やってみるしかないかなと思っていますね。
とにかく現状で手をこまねいって何もせずに座して待つとかっていうのが、私的には一番ダメな生き方と思ってて、何かやった挙句、さらにひどいことになったとしても、それでもそれをやった結果ですので、自分としては納得して、自分の命が尽きるときに、
やることは全部やり切ったと思って、一生を終えていくためにも、力及ぶところまでは頑張ってやらないとなと思ったりしております。って感じで、何かやたら難しい感じの言葉になってしまうんですけど、
自分が今からやろうとしていることを、ちゃんとこれですというふうに言える言葉がないので、漠然としたことになっております。やっていくうちにだんだん見えてくるのかなとは思うけれども、ダンスにおいてもそうだし、楽室の講師さんのコミュニティ作りについてもそうだし、
私がやりまわして温度を取るとかっていうことが絶対違うと思うっていう、それだけは共通しているかな。さりとて、やっぱり運営者がいないと何事も始まらないし、継続しないし、消えていくということは確かだと思うので、
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消えないように時々かつ入れる、かつ入れる、かつ入れるっていう感じで、実際に動くのは周りの人たちみたいなふうになっていくべきものというか、していくんだっていうイメージはありますけれども。
というわけで、今日はちょっと技術的な話はありませんけれども、緊急報告としてダンス終わりましたということです。
概要欄がご覧いただける方は、一応私のインスタを書いておきますので、そちらを見ていただくと踊っている様子、動画がご覧いただけますので、よかったらインスタフォローお願いします。以上です。
お聞きいただきありがとうございました。
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