アメリカ移住への第一歩
こんにちは、テック デザイン フォーラムのテクノです。本日も
いよいよからお送りします。この チャンネルでは、タイプデザイン
や海外でのデザイナー生活など についてお話をしています。ということで
今回は、僕がアメリカに来ることが 出来た方法についてお話しして
みようかなと思います。というのも テック系の内容をこのチャネル
では話してるんですけれども、なかなか 人の話を聞いてるとそうじゃない
アメリカでの生活の話とか、声だけ、 音声だけでも伝わるような内容
の方がいいのかなと思うことが時々 ありまして、やっぱりビジュアル
がないっていうのもそうですし、 早口でいろいろテクニカルなことを
話されてもちょっと理解ができない っていうことも慣れてない人だと
あるのかなという気もしたので、 今回はアメリカに来ることが出来た
体験談を通して ベッスンってほど でもないんですけれども、こういうこと
がキーになったなってことをお話し してみようかなと思います。僕は
東京でもともと広告関係の会社で 働いてたんですよね。10年以上前
なんですけれども、その都兵衛の 2、3年前から関わった仕事で海外
のプロダクションの人たちと直接 ではないんですけれども、関わる
みたいなことがあったんですよね。 その海外のプロダクションのブランディング
のアセットを元にいろいろデザイン するとか、映像の制作する会社
が海外で、僕はその映像は制作は しなかったんですけれども、その
やり取りをする中で英語でやり取り するとか、そういった機会があって
そういったことを海外について も考えておりました。またこの後
2、30年この業界でやっていくって なったときに、すごく吸収する
ものがなくなってきてるなという 感じはしたんですよね。30年まだ
残っているんで、もう少し新しい 経験をしてみたいなということも
あって、海外のデザイン会社でちょっと 働きたいみたいな、そういうことは
ずっと思ってたんですよね。思って たって言っても、20代の中盤とかは
全然思ってなくて、本当に後半に そういうことをちょっと考え始め
たっていうぐらいだったんです けれども、そんな中テレビを見て
いたらAKB48の篠田麻里子さんだった と思うんですけれども、辞めた
ときの会見かなんかをやっていて その中で新しいことを始めるみたいな
ことを口に出してたら本当になった みたいなことを言ってたんですよ
ね。結構前なんでかなりうろ覚え なんですけれども、そんなような
ことを言ってたんで、自分もやって みようかなと思って、そのとき考えて
た海外に行きたいみたいなこと を仕事の中で上司とかに話して
たんですよね。そしたら、その上司 が別の同僚に話したりとか、上司
の上司に話したりとかして、僕が 自らいろんな人に行ったっていう
わけではなかったんですけれども 話が話でつながってて、その会社
は割と大きかったんで、海外に支社 なんかもあって、それでいろいろ
情報を教えてくださったりとか 人を紹介してくださったりって
いうことがありました。なので 今回の話すなゆの着物になる一つ
としては、一つやっぱり人に話す っていうことですね。それがぶっちゃけ
本当にやるかどうか分からなくて 後から引っ込めてもいいかなとは
個人的には全然思っていて、ただ 人に話しておいたほうが、一つは
そういった人の協力を得られる っていうこともありますし、もう一つ
は自分に対してのプレッシャー になるっていう意味でも、人に話す
生活費の現実
っていうのはやっぱり大きなファクター になるのかなと思います。またその
人に話していたときも思ったのは 何がしたいっていうことを伝える
と、他の人もそれがはっきりしてる と他の人も何を応援すればいい
のかっていうことがはっきりするん ですよね。なので応援してもらいやす
くなるっていうことがあるかな と思います。これはもっと深掘って
話すのもあるかなと、別の機会で 話すのもあるかなと思うんですけ
れども、とにかくそんなにプレッシャー に感じなくてもいいから、とにかく
人にアウトプットするっていうのは いいことかなと思いました。中には
前の仕事辞めるときには裏切るのか とか甘いよとか、そういったこと
言われたりもしたんですけれども 90%の人は応援してくださったり
とか、そんなことがありました。 もう一つが、アメリカに来た後
とか来る前も関係してくるんです けれども、アメリカに逃兵する
前に、大学の同級生がすでにニューヨーク に住んでたんですよね。最初の逃兵
した2ヶ月は、彼女の家にステイ させてもらって、自分の家を探す
ってことをしてたんですけれども その際に来る前に聞いてた話として
は、200万円ぐらいあれば何とかなる よって言われたんですよね。ぶっちゃ
けて言うと、そんな全然200万円じゃ 足りないって来て、後分かったんですよ
ね。最初の1ヶ月とかで、新しい 場所の家賃とか払ったのもある
と思うんですけど、もう50万円以上 一気になくなっちゃって、わーと思
ある意味、ちょっと騙されたと言えば 騙されたなんですけれども、逆に
なんかそれぐらいの勢いがあれ たから来れたっていうところはある
のかなと思います。後来たら来た ですね、当時学生ビザで来ていて
働けなかったので、かなり当時は 節約していてですね、一度も外食
もしなかったりとか、そんなことも してましたし、ある意味そういう
場面になっちゃえば、恥とか我慢 とかができてしまうっていうところ
はあるのかなと思います。また当時 はお金足りなかったって言っても
当時民主党政権だったので、円高 で1ドル75円ぐらいだったときも
あるんですよね。今となっちゃ かなりお金の価値が違うなっていう
感じなんですけれども、それだって タイミングを見計らってきたっていう
わけでもないですし、そういう意味 では本当にラッキーだったなあ
と思います。またアメリカに渡った 後はですね、働けるそのコネとか
ビザ取得のプロセス
は特になかったんですけど、ビザ も必要ですしね。日本にいるとき
に紹介してくださった方に連絡 を取ったところ、会社を経営して
いてですね、席が空いてるからそこに しばらくいて使っていいよみたいな
感じだったんですよね。そこで 調べ物とかしていいよみたいな
感じで行ったんですけれども、それで 無給でですね、ちょっとお手伝い
なんかをしていたら、その後ビザ スポンサーをしてくれることになって
それがですね、オーアンビザと呼ばれる アーティストビザとも呼ばれるんですけ
れども、そのビザの取得に繋がって いったっていう、そういった流れ
です。ということでですね、二つ 言いたいことがあるとすると、人
に話すっていうことが一つと、もう 一つ、やっぱりお金を貯めてくる
っていうのは大事だなって思います。 インスタグラムとかで全然知らない
方からご相談をいただいたこと とかもあったんですけれども、これ
ぐらい自分は持ってきたよって 言ったときに、そんなに貯めてくるん
ですかっていう返事が来たりも したので、これちょっと以前も話
したんですけれども、やっぱりそう いった事前の準備をしてこない
とですね、実際に来てから本来自分 がやりたかったことができなくなる
っていうことがあると思うので、 できる限り日本にいる間にそう
いった準備をされてくることが いいかなと思います。ということで
この辺りの話、いろいろコマゴマ とあるので、今後も話していこう
かなと思いますけれども、今回は この辺りにしておこうかなと思います。
ということで、もし今回の内容が 面白いと思っていただけたら、ぜ
ひ高評価やフォローお願いします。 またこの放送は日本時間の日曜午前
をメドに配信していますので、ぜ ひまたお聞きください。今回みたい
に不定期で配信するときもある ので、その辺りはプラスアルファ
ということでご了承ください。 最後におまけトークになります。おまけ
トークなんですけれども、抹茶の 話について話そうかなと思うん
ですが、日本に帰ったときに、京都 に行ったっていう話は前回の放送
で話したんですけれども、そのとき 抹茶を買ってきたんですよね。結構
楽しみにしてたんですよ。せっかく 京都で買ってきたものだし、ということで
楽しみにしてたんですけれども、 2つ持ってきてですね、実際に飲んで
みたら、京都のやつのほうがおいしく なかったんですよね。もう開けた
ときに、もう色からしてあんまり 緑色がきれいじゃないなっていう
感じで、実際に飲んだらちょっと 苦いし渋いしみたいな感じだったん
ですけれども、抹茶って一括りに 行ってもやっぱり味の違いがあるんだ
なっていうことを、2つ飲み比べる とよく分かるなと思いました。他で
外で飲んだときはもっとすっきり してたなと思うんで、やっぱりちゃんと
したやつを買うと思うと高いんです けれども、そういったところが味の
差になってくるのかなと思っています。 また昨日ですね、別のポッドキャスト
でレイ野本さんの放送を記事したん ですけれども、その中でですね、空前
抹茶っていうプロダクトを開発された 元サントリーだったと思うんですけ
れども、の方のお話をされていて、 それがすごく面白かったですね。
それは抹茶って僕らが買うときって 既に粉末状になっているんですけ
れども、それは石筆でひいたりとか もっと安価なものだとミキサー
みたいなものですごくしてるらしいん ですが、その空前抹茶というプロダクト
かな、会社なのかちょっとはっきり わかんないんですけれども、その
機械はですね、抹茶を粉にするっていう ところを家でできる機械なんですよ
ね。なりそうでなかった系ですよね。 なんかそれがすごく面白くて、開発
費用のときもですね、コロナのとき に大変だった話から始まって、その
プロダクトを作るときにプロダクト デザイナーを探さなきゃいけなかった
りとか、テクニカルな部分で専門家 の方を探さなきゃいけなかった
とか、そんな話もすごく面白かった です。概要欄に貼っておこうと思う
ので、もし興味のある方は聞いて みてください。ということで本日も
最後までお聞きいただきありがとうございました。 また次のトークでお話しします。
ではまた。