唯我独尊の起源
YAMATAROFARMの唯我独尊でございます。
本日は12月の18日かな、19日か、違うわ、20日だ、20日でした。
20日で、時刻はお昼の12時半を少し待ったところですね。
今日は土曜日、一応仕事をしております。今からね。
今日は雨なので、すごい何か仕事をすることはせずに、
後天場にちょっと機械の部品を買いに行ったり、種を買いに行ったり、
そういうことをしようというふうに思っております。
そういうところで、後天場に向かっている最中で録音をしております。
今回の唯我独尊については、一周間が一巻のLINEオープンチャットで
適当に書き込んだやつを適当に拾って話をしておるんですけども、
結構いろいろいただいたので、唯我独尊とキャンペーン島で一つ、
それから太平天国と違いで一つということでお話をさせていただこうかなというふうに思っております。
さてさて、唯我独尊、改めて調べてみると、
お釈迦様が生まれた時に天上天下唯我独尊とお話をされたというところがスタートのようです。
言葉でいくと、ただ自分一人が尊いという言葉で読めてしまうので、
ちょっと高慢な意味に使われがちな言葉というふうに出ておりました。
ただ一方で本来の意味でいうと、我というのが人、みんなみたいなのを指して、
みんな一人一人尊いみたいな、そういう意味だとか、
我というか、みんながみんなっていう、そういう意味かな。
我というのを読み換えるということではなくて、みんながみんなみたいな、
ちょっと細かいニュアンスかもしれませんが、そういうところがあったりだとか、
あとは、尊いから優しくできる、そういう意味があるんじゃないかということでGoogleで出ておりました。
自分も優位が独尊という言葉を使うことはまずないですね。
その中でいくと、お釈迦様がお生まれになって初めて喋った言葉だよ、みたいなストーリーが、
一般的に天上天下優位が独尊という言葉の大元になっているというふうになってると思うんですけど、
これ本当かね、みたいな、そういうところもちょっと思ったり。
かつその言葉の意味がこんな感じで、今となっては2つに捉えられてしまうと、
意味が大きく反対で2つに捉えられてしまうということに対して、
本来はっていうのが一体どういうことなのかっていうのが、
本当にストーリー通り、お釈迦様が生まれて一番最初に話した言葉ですよということであるならば、
その時に発した言葉の意味を言っていない限りは、結局は解釈の問題なのかなということを思いましたね。
お釈迦様が真の意味で、どういう意味で天上天下優位が独尊ということをおっしゃられたのかっていうのは全然わからないし、
やっぱりその時いらっしゃった人なのかわからないけど、後々の人がどういうふうに解釈をするのかみたいな、
そういったところで意味が変わってくるのかなというふうに思います。
仏教の作法について
このご時世というか最近のみたいなのでいいかわからないですけど、
天上天下優位が独尊ってどことなくヤンキー感の漂う言葉で使われてるような気もするので、
やっぱり社会的風潮みたいなところが大きく意味の受け取り方として関与してるんじゃないかなということを思ったりもしております。
お釈迦様ということで、仏教の言葉になると思うんですけども、
仏教や入られて天上天下優位が独尊っていうのを発言する機会ってあるのかなというのはちょっと不思議で、
仏教、別に自分はすごい詳しいわけではないんですけども、
悟りを開いて世界を救うみたいなところが仏教の本界になるのかなというふうなことを考えると、
優位が独尊という言葉を仏教を志す上で使う場面っていうのは、
よっぽどな人じゃないと使えないんじゃないかなということもちょっと思ったって感じですかね。
なかなか難しいというか、そもそもなんでこんな言葉が残っとんのやろって、みたいな不思議に思う言葉でもあります。
仏教でいくと、最近ちょっとおつやが続いてたよっていうお話があって、
おつやに行ってきたんですけど、例えば手を合わせるということに関して、
これが正しい作法なのでこうやりなさいみたいな、そういうことを言われたことがあったんですよね。
確かに修行というか作法というか、そういうところって、
この葬儀、おつやと、特に葬儀関係ですよね。
お話をされたりとか、逆に聴聞者というか、いろんな参列される方が気にする内容かなみたいなことは思うんですけど、
結構最近は、こうしなさい、これが作法ですよ、みたいなところが、
そういうことを言うこと自体が仏教的にはどうなんだろう、みたいな。
そうした方が悟りを開けますよ、みたいな、悟りに近くなりますよ、みたいなことなのかわからないですけど、
なんか修行して、修行して、修行して、悟り開けるかわからない、みたいなものだと、
今自分は認識しているんですけど、その中で言うと、そういう細かい作法って、
全部やれて当たり前みたいなところだと思うんですけど、修行されてる方はね。
このご時世で修行してない方に、それを求めるっていうのもまた、
自分からするとそれって執着なんじゃない、みたいなことをね、ちょっと思ったりもするみたいなのを思いましたね。
人にこうやりなさい、これが正しいやり方です。
そうじゃないやり方は亡くなられた方に失礼です、みたいな。
結構そういう言い方をされたお坊さんだったんですけど、
昔はもうみんながみんな、神とでっていうのがすごいわかりやすい時代があったと思うんで、
すごい時代だったかな、わかるんですよ、本当に。
わかるんですけど、その昔っていうのもちょっとね、ファジーな表現でどうなんだろう、
室町時代とかになるのかな。
やっぱり今は、それぞれのうちがそれぞれのどこかの宗派とかに属していたりとか、
ってのはありますけど、例えばうちは外宗ですし、あるんですけど、
実際問題はそうでもないと思うんですよね。
めちゃくちゃ信心深くなんかしてるわけじゃないしっていう。
これをね、どう捉えるかみたいなところもあると思うんですけど、
やっぱり、とはちょっと強くは言えないかな、みたいな。
人にその作法を説くのは、こうした方がいいっすよ、みたいなのはわかるんだけども、
こうしなさい、こうしないと失礼ですっていう言い方は、
なんとなくそれは人に、こうするときはこうするもんですっていう、
なんでやらないんですか、みたいな。
執着が垣間見えるようなニュアンスに自分は聞こえてしまって、
なんかそういうもんだっけ、みたいなことを思った記憶があります。
現代の執着と受け取り方
これはなんだろう、そういうもんですって言われたらそうですかっていう感じなんでですね、
なんともわからないというか、感覚の違いみたいなのも大きいかもしれないし、
少なくとも同じ集まりに散列しているので、
そこは志を同じくしようよ、みたいな。志を同じくするものです、みたいな。
そういうのかもしれないし、いろいろやっぱり受け取り方あるかなというふうに思うんですけども、
なんかすごいちょっとした違和感ですね。
仏教って自分の捉え方、今のところね、ただそんなに詳しくもない人間がこのイメージです、みたいな捉え方でいくと、
仏教と運動の考察
自分のための修行みたいな、そういうイメージ、捉え方をしているので、
あんまり他人にどうこう言う、みたいなのはなかなかイメージが湧かないというとこかなと思いました。
教典みたいなものを読んだこともないですし、
反逆信仰も、もちろん反逆信仰というものは知っているんだが、
中にどれだけいろんなことが書いてあるのかというのは、別に詳しく知っているわけではないし、
その中で、天上天下唯我独尊という言葉に複数の意味があるというところを見たときに、
修行としての仏教だけじゃなくて、それが大前提ではあると思うんだけども、
やっぱり生活様式としての仏教みたいなものがあったり、
目的とか意味みたいなのが複数あって、場合によって使い分けというか認識の仕方がある、
みたいなことがあるのかなって思ったという話です。
続きまして三転倒立ですね。
三転倒立、小学校ぐらいの時にやったことあるかもしれないけど、全然できなかったですね。
体育の時に、いわゆる赤白帽ってやつを被るのが比較的ルールとしてあったんですけど、
赤白帽のてっぺんにポチッと縫い目を合わせてとか、
三転倒立って頭も使って倒立すると思うんですけど、帽子しながらやるとめちゃくちゃ痛いし、
みんなそれを我慢してやるのが、なんでそんなに我慢するの?みたいな驚愕をした記憶がありますね。
そもそも自分が運動全然できない子供だったんですよね。
走るのも遅いし、何するにしても基本的に運動はできないタイプの子供だったので、
今もそんなにできないんですけど、運動関係。
ちょっとでも嫌なところがあると、なぜそこまでして?みたいな。
やることに対してのハードルが爆上がりして、そのハードルを超えようと全然できないみたいな、
そういうところが精神的にあるので、あんまりチャレンジしようとした記憶もないって感じですね。
あとめちゃくちゃ指が痛かったですね。
小学校とか結構太ってたので、今もそんなに痩せちゃないですけど、
三点倒立も含めて、全般的に運動はすごい苦手意識が強いです。
とはいえスポットスポットで走ってみたりとかあるんですよね。
そういうシーズンが来たりはあるんですけど、今のところは最近はないかな。
運動中ことはないですけど、
何か腕立てとか、プランクとかスクワットとかっていうのをちょっとやってたんですよ。
本当に別に何か重いものを持ってとかじゃなくて普通にやってたんですけど、
仕事でめっちゃ歩くとかめっちゃ重いものを運ぶみたいな、
めっちゃ歩くは普通か、そんなに特別じゃなく、
仕事するときは歩かないとできないから歩くんですけど、
人参運んだりとか、女性とかですごい何歩も歩くとか、
そういう作業をした後っていうのはもう全然できなくて、
それでもやってた、やってみようと思ってやってたらものすごい疲れちゃって、
なかなか気づかなかったですね。
今は本当にストレッチだけやってます。
ストレッチもできない時もあるけども、本当は毎日やりたいんだけど、
やった後、起きた時体がすごい楽なんで、
比較的続いてますかね、
3点倒立というテーマに関してはあんまり結局しゃべることはなかったんですけど、
運動全般苦手ですっていうそういう話でございました。
山太郎ファームの福利厚生
山太郎ファームの福利厚生本題、本来のタイトルが山太郎ファームの福利厚生なんですけども、
この福利厚生というところを別の漢字四文字の言葉に変えてお話をするということを最近やっております。
お題書き次第やってるっていう感じで定期的にとかではないですね。
ただ2日に1ペースぐらいでジョージ・プルーニーからお題が来るので、
少なくとも2日に1ペースぐらいでは配信をしております。
今回は一周くんからユイガ独尊と3点倒立というお題をいただきましてお話をさせていただきました。
次回も一周くんからいただいた、今度は太平天国。
これも知らなかったですね。
太平天国、それから紫外宝圏。
なんかそういう本読んでるのかな、今一周くん。近代史的なのを読んでる。中近代史みたいな。
そんなお話をまたさせていただこうかなというふうに思っております。
ということでお聞きいただきましてありがとうございました。