アンナ・カヴァンと作品背景
はい、tantotの時々読書日記第35回です。 今日はですね、
アンナ・カヴァンの氷、
シクマ文庫です。 こちらについて話したいと思います。
えっとですね、 こちらは、アンナ・カヴァンっていうのは
イギリスの作家で1901年生まれ、この氷という作品は1967年の作品なんですけど、
それが日本語に翻訳されて、結構少し複雑な経緯で、1985年にサンリオSF文庫で出されて、
2008年に改訳・復刊されて、さらに2015年にシクマ文庫で再刊されています。
こんな感じで、ちょっと複雑な経緯をたどっている本です。 で、このアンナ・カヴァンという作家、全然実は恥ずかしながら知らなかったんですけど、
たまたまちょっと人から紹介されて、
読んでみようかなというところで、読んだものになります。 実は1年くらい前に、1年前くらいかな、1回読んで、最近ちょっとふと思うところあって再読したんですけど、
まあ なんてすごい不思議な
小説なんですよね。 ちょっとどこまでうまくしゃべれるかわからないですが、話してみようと思います。
氷の世界観とテーマ
えーとですね、 氷という作品は、
舞台は地球なんですけど、なんかどこの国とは名言されていない場所、どこでもないような場所が
舞台で、 どうやらこの世界では
何らかの核戦争なのかなという雰囲気なんですけど、何らかの人類の戦争だか何だかによって、
なんか地球の気候が大きく変わって、氷が
どんどん氷河みたいなものなのかな、氷がどんどんどんどん迫ってきていって、人の住んでいる、住める場所、住んでいる場所に
どんどんどんどん減ってしまっている。で、その世界の中で、 どうやら戦争、いろんなところで戦争が起きていたりとか、
で、結構週末ものみたいな感じで、ディストピア感のある感じなんですけど、ただ
説明が全然されないんですよね、そういう背景についての。 説明はされずに、なんかこう
すごく不思議。しかもその現実と、この主人公私、語り手の私なんですけど、
妄想みたいなものが入り組んでいて、何か真実で、
普通の字の文で話が進んでいたと思ったら、あれどうやらこの部分は私の妄想だぞ、みたいな。
そういうのが、いつの間にか入り込んでいて、で、次の段落ではまたこう、現実の話に戻るみたいな。
なんか、虚構と現実が入り混じって、なんだかよくわからなくなっているというような感じです。
これも序文で書かれているのが、 スリップストリーム文学というふうに分類されることがあるらしくて、
1980年代の終わりにアメリカで提起されたアイデア。
当時のSFの、いわゆるSFの宇宙ものみたいなものではない、
戦衛的なSF作品みたいなものを妄想のように呼ぼう、みたいな感じで。
いろいろそういう分類もされたりするらしいんですけど、
この分類自体はあんまり、
ちょっと上手くないところもあったみたいで、そんなに定着しなかったっぽいんですが、
この序文に書いてあるところで、なるほどなと思ったのが、
ちょっとマジックリアリズム的な作品、いわゆる最近まさに流行っている、
100年の孤独のガルシア・マルクスの、みたいなとか、
いわゆるラテンアメリカ的なマジックリアリズム。
虚構と現実があっという間に、簡単に壁を越えるような。
その世界では、それは虚構と現実なのではなくて、すべて現実なんだよっていうような、
そういうのがマジックリアリズムだと思うんですけど、そういうマジックリアリズムと通じるもので、
ある意味、北の方の国の人たちがマジックリアリズムを書いたら、
そういう隠蔽な作品になるのかな、というような作品です。
やっぱりマジックリアリズムの、特に100年の孤独みたいな作品って、
やっぱりラテンアメリカ的なって言うとあれかもしれないですけど、
やっぱり突き抜けた、結構あれも暗い作品ではあるんだけど、
突き抜けた乱雑さとかわい雑さみたいなのがあるんですけど、
この氷も確かに同じく、何が真実で何が虚構なのかわからなかったりとか、
なんか魔法みたいなのが出てきはしないんですけど、
長官というすごく怖い人物が出てくるんですけど、
長官と私の関係性とか対峙した時の様子とかが、
なんか現実感のない感じ、なんかふっといきなり魔法、
魔術的な世界に行ってしまうみたいなところとかはマジックリアリズムっぽいんですけど、
ただめちゃくちゃ暗くて陰鬱で、そしてなんていうかシャープって言うのかな、
シャープって言うと変な、やっぱり尖った繊維的な感じの技術なんですよね。
なんかラテンアメリカっぽいごちゃごちゃ感みたいな感じではなく、
氷っていう作品だからこそかもしれないですけど、
スッと冷たい視点、引くような視点みたいな感じなのが特徴的なのかなというふうに思って、
これは多分北のマジックリアリズムなのか、
別にこのアンナカマンという作家が出るときに、
イギリスの作家なんてめちゃくちゃ北の方の人だけでもないんですけど、
そういうふうに捉えると、なんか一つ面白いかなというふうに思います。
話としてはどんな話かというと、そのさっきの世界観の話はそうなんですけど、
その世界の中で私っていう人物が、出てくるのは私と少女と長官という3人しかいないんですけど、
私っていう人物が少女、これはすごく青白くて、アルビノっていうふうに書いてるんですけど、
その少女を追い求めていく。
その少女を追い求める私が、なんかもう世界中を飛び回って追い求めていく。
その私の前に立ちはだかる長官という、マスキリニティの傍りみたいな、
悪の言語みたいな長官に常に阻まれる。
その少女との関係性も、追いかけるんですけど少女に拒絶されたり、
その少女もなんで拒絶するのかわからないけど、受け入れそうで拒絶されるみたいな。
ひたすら私が少女を追ってあるところに行く。
そこには必ず長官がいて、長官が私を威圧するような感じで、少女に会えたりとかするんですけど、
一寸手のところで、すっと私の手の内から少女が抜け出してしまって、また別のところに行ってしまって、
私はなんとかして、そこの次、またその少女のところにたどり着こうとするという、そういうような話であります。
っていう話をしても、たぶん全然この物語のごくごく一部の要素しか伝わってないと思うんですけど、
大きな筋書きとしてはそんな感じですが、たぶんこの話は筋書きに意味があるような話ではなく、
やはり追っていくっていうのと、氷がどんどんどんどん人の居住しているところを迫っていくような終末的な世界観と、
その虚構と現実が入り混じるような不思議な空間、不思議な描写という、
その読書体験というか、その世界観に突入する体験を楽しむ、というタイプの本なのかなと思います。
物語の構成と読書体験
で、このアンナカワンって最後、ヘロインを常用していた、最後その薬物、死因もちょっと薬物関連なのかなと思うんですけど、
なのでやっぱりそういう、ヘロインを打ちながら見えている世界を描いているみたいな側面もあるのかなと思うので、
そういう一種、普通ではない世界にある種没入する、もしかしたら麻薬みたいな本、言えなくもないのかなというふうに思います。
決して読みやすいと本ではないんですけど、
まあありきたりの本に飽きちゃった、だとちょっと飽きて、なんか今までにないものを読みたいなっていう時が意外と良いのかなと。
私もこれ読んでみて、もう少しちょっとこのアンナカワンという作家を掘り下げてみたいなと。
幸いなんか日本語薬もいくつかはあるみたいなので、ちょっと読み進めてみようかなというふうにちょっと思える作家さん、作家の一人に出会えて、
本当こういうふうに知らない世界、知らない作家に出会える、まだまだ新しい作家に出会えたら、こんなに面白い世界、不思議な世界があるんだっていうのを知ることができるっていうのは、
読書好きにとってすごく喜びだなというふうに思いました。
こんな感じで、川上博美さんが帯を書いてるんですけど、見たこともないような美しく冷酷なものに絡めとられると帯に書いてます。
まさにそうです。美しく冷酷、まさにその通りだなというふうに思います。
はい、ということで今日はアンナカバンの氷、チクマ文庫、山田和子さん役、こちらの本についてお話ししてみました。
意外とうまく話せたかもしれない。 ということで、ではまたお会いしましょう。
ありがとうございました。