山尾悠子『飛ぶ孔雀』を読みました。
今回は、私にとって「不明を恥じる」ほどの衝撃となった、山尾悠子さんの『飛ぶ孔雀』をご紹介します。かつて京都の恵文社一乗寺店で、その不思議な表紙と「火が燃えにくくなった世界」というあらすじに惹かれて手にした一冊。当時は理解できず本棚に眠らせていましたが、数年越しに腰を据えて読み返したとき、その凄まじさに圧倒されました。
本作の魅力は、AIには決して真似できない、論理的でありながら四分五裂するような独特の言葉のリズムと世界観にあります。初読では意味が分からなくても、2回、3回と読み進めるうちに、パズルのピースが嵌まるように物語の骨格が見えてくる――そんな稀有な体験を味わいました。幻想文学の巨匠が紡ぐ唯一無二のコスモス(宇宙)を、ぜひ皆さんも心して覗いてみませんか?
感想
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サマリー
本エピソードでは、山尾悠子氏の幻想文学作品『飛ぶ孔雀』について語られています。語り手は、独特な表紙とタイトルに惹かれ、あらすじを読んでも理解できなかったものの、その不思議な世界観と巧みな言葉遣いに魅了されたと述べます。作品は現実世界とは異なる原理で動く世界を描き、読者は何度も読み返すことでその構造や深遠さを理解していく体験を語っています。AI時代だからこそ価値のある、唯一無二の作家による作品として強く推薦されています。
『飛ぶ孔雀』との出会い
はい、tantotの時々読書日記第50回です。
今日はですね、問題作なんじゃないかと思うんですけど、 山尾悠子さんの『飛ぶ孔雀』という本についてちょっと話したいと思います。
まず山尾悠子さんという作家を、この『飛ぶ孔雀』という本で初めて知ったんですけど、
ジャンルで言うと幻想文学みたいな言い方をされるんですかね。
SFマガジンでデビューしたりしているので、大きな括りで言うとSF。
ただSFと言ってもサイエンスフィクションというよりは、割と不思議な世界を描く、
そして不思議な、何故か日常の世界とは違う原理で動いているような、
ちょっと不思議な世界を描く幻想文学というジャンルになるのかなと思います。
何か泉強化文学賞とかが起こったりするので、そういうところから何となくイメージ。
これ『飛ぶ孔雀』って、僕全然山尾悠子さんのこと知らなかったんですけど、
読んだきっかけが、これだいぶ前なんですけど、京都に市城寺経文道書店市城寺。
非常に建物自体もすごく雰囲気のある有名な本屋さんがあるんですけど、
そこをどうしても取って行きたくて、何とか時間を合間を縫って行った時に行って、
非常にその本の店の中の雰囲気と、置かれている本の戦書みたいなところも、
非常にグッとくる感じで、何時間でもいられるなという感じだったんですけど、
そんな中で見ていく中で目についた、たぶん平置きになっていたんだと思うんですけど、
目についたのがこの飛ぶ孔雀。
表紙をちょっと見ていただくと分かるんですけど、
なんかもう表紙からして不思議な、何なんですかね、白黒の…
これなんか点描というか、あれですね、銅版画っぽい雰囲気もあるような絵なんですけど、
その絵からしてちょっと不思議な雰囲気。
なんかこの世のものとは思えない、この世のものとちょっと違うような。
ただ、おどろおどろしいというよりは、白黒なので精筆な感じなんだけど、
すごい不思議な世界観の絵というところでまず心を惹かれて、
飛ぶ孔雀というタイトルもいいじゃないですか。
孔雀はそりゃ飛ぶだろうけど、孔雀が飛ぶってあんまりイメージない。
言われてみたらイメージないですよね。
そこで飛ぶ孔雀という、すごく短い言葉なのにちょっとした違和感を感じる。
この組み合わせ、言葉の組み合わせがあるという違和感を感じるような、
その言葉の強さみたいなところもあり。
で、決め手はですね、文庫の後ろにあらすじ書いてると思うんですけど、
作品の世界観と導入部
あらすじ読んでも全然意味がわからないんですよ。
あらすじ読んでみますね。
石切り場の事故以来、火が燃えにくくなった世界。
真夏の夜の庭園の大茶会で、火を運ぶ娘たちは苦弱に襲われる。
一方、男は大蛇がうごめく地下世界を遍歴し、
きらめく言葉が気になる世界へと読者を誘う。
不誠室の幻想作家による泉強化文学賞、日本SF大賞、
芸術宣章文部拡大臣賞、三冠達成の傑作小説。
ということで、石切り場の事故以来、火が燃えにくくなった世界で何を言っているんだと。
で、これを見て、僕、結構ファンタジーの話だと思ったんですね。
なんか、世界において火が燃えにくくなるなんていうのって、
いわゆるこの現実世界で起きる話ではないと思うんですけど、
ところがこれを読んでみると、
普通に現実の日本がちょっと古い時代かなと、
思いつける雰囲気的に、が舞台の話。
古い時代と言いつつも、普通にみんな車に乗ってたりとか、道路があったりとかするので、
時代的には山尾裕子さんからすると、
同時代の日本のどこかと思われる街が舞台なんだけど、
最初の導入の一節、柳小橋界隈という込み出しがあって、
渋谷山の石切り場で事故があって、火は燃えにくくなった。
大人たちがそういうのを聞いて、少女の問いはそうかそうかと思っただけだったら、
火は確かに燃えにくくなってきた。
全く燃えないというわけではないのだが、とにかくしんねりと燃えにくい。
みたいな感じで、実際、火が燃えにくくなっているんですね。
この後の話を読んでいても、
実際に火が前に比べてだいぶ火が燃えにくくなったので、
煮炊きするのも大変になったし、
場所によってよく火が燃えるところと燃えないところ、燃えるようなホットスポットがあったり、
そういうのをこの世界の人たちは当たり前のように受け入れているんですよね。
それだけ、日常、非常に現実の世界みたいなのに常識が違うという、
そこがやっぱり不気味さがあるなという感じで、
物語の展開と魅力
話の流れとしては、ストーリーとしては、
最初ちょっとこの世界の紹介みたいな感じかな、
あまり相互につながりのない、いくつかの断片的な話があった後で、
本編、このトブクジャクという作品の本編、メインストーリーになる、
あらすじにもあった真夏の夜の庭園、川中島の旧庭園というところですけれども、
大きな茶会が行われる。
この茶会は近所の人たちが退居して訪れるような、
地域内の大きなイベントごとなんですけれども、
茶会の裏方として、茶会なのでいろんなところでお茶の席が用意されています。
その裏方で走り回っているような娘。
その娘が出てくるんですけど、
タエとスワンか、という2人が出てくるんですけど、
その2人が、あらすじに書いてあるので言うと、
苦弱に襲われて、結構不思議なことが起きて、というような話です。
ストーリーの説明のしようがない。
そのストーリーはともかくなんですけど、
この作品の魅力は、言葉遣いのすごさ。
山尾裕子さんの言葉遣いというか、日本語の巧みな、
何だろうな、綴り方みたいなものすごく、
やはりあまり似たような作品を見ないなという、
すごい不思議な感覚を感じるんですよね。
本当に幻想文学みたいな話で言うと、
ストーリー自体は別にないことはないと思うんですよ。
日常的な話だと思ったら、ちょっと不思議な世界の話で不思議なことが起こる。
ちょっと不気味な感じもするみたいな感じですけど、
言葉のリズム感がすごく独特なリズム感で、
多分山尾裕子さんの書いたものを読んだらすぐ分かるんじゃないかというぐらい独特なんですよね。
引用と描写の分析
これ多分言ってもあれなので、いくつかちょっと読んでみようかなと思います。
途中に出てくる、
「飛ぶ九尺 火を運ぶ女 一」という生こび出しのところ。
川中島旧庭園での夏の大寄せが夜に至って魔界と化すこと。
意外に九尺は飛ぶ。
その激しい風切音は泥棒を避けとして十分に有効である。
盗みの対象はこの場合、火だった。
夜の回遊。
導きの書はこの灰の書ですよ。忘れなきように。
細縁眼鏡のP夫人が言う。
この最初の一文。
あんまり突然関係のないセンテンスセンテンスで、
繋がりのよくわからないセンテンスがポンと投げ出される感じ。
これどういうこと?どういうこと?って思いながら読んでいく。
この漢字が読んでても変な気持ちよさがあるというかね。
ここで言うと、川中島宮廷園で夏の大寄せが夜に至って魔界と化すこと。
夜に至って魔界と化すというのもすごいですね。
その次、意外に九尺は飛ぶ。
まさかこんな繋がりの文が出てくると思わないですか。
みたいなところとか。
あとここが結構重要なところなんですけど、
この飛ぶ九尺の描写とかも素晴らしいですね。
飛ぶ九尺は飾り羽をたたみ、下から茶色の風切り羽の列を表して激しく飛翔する。
可烈な羽音、艶やかな光沢のある青い首を低く伸ばし、
闇の奥から冬をついて現れる。
その眼は狂気であり狂気。
異様の縁取りは血の赤。
夜の芝、夜の増殖。
続きいきますね。
近畿は次のように伝えられた。
目的地に至るまで芝を踏んではならない。
後悔することになる。
止め石、別名石盛石に注意。
これは常識中の常識。
園内唯一の乗り物である作業用トラクターは使用禁止。
荷台付きのスクーター程度の操作で運転できるが、とにかく使用は禁止。
話しかけられたら応えるのが礼儀。
口笛を吹いてはならない。
頭上にオーロラ、もしくは類似のものが来る。
地面に火を落としたらそこで終わり。
大温室はこの件に何の関係もない。
関係がないので立ち寄る理由は何もないと思われる。
いろいろあるが、とにかく芝を踏むな。育成中だから。
おおよそのところ、以上のように近畿は伝えられて、
二人の娘がそれを聞いた。
一人は恋をしていて、目的地のつい目前まで至ったところで眠りに落ちた。
一人は知力を試しに行き、彼女を軽く蹴散らした。
ここが物語の超さまりみたいなところで、
作品の構造と読書体験
この話がベースにあって、
これを変装曲みたいな感じで、
これをまた展開して語っていくのが、
この次のトブクジャク、火を運ぼうなに?っていう込み出しの話。
ここの話がメインのストーリーなんですけど、
この漢字もいいですよ。
神話というか、伝説、言い伝えのような、
すごくぎゅっと凝縮された表現で語られた、
石碑に刻まれたような物語があり、
それが語られた、ある意味三文的に、
物語として語られている非常に長い話があるっていう。
それが実はこことここで繋がっているみたいな、
それを読み解いていくっていうのが、
この話の、実際のストーリーの方も、
説明が基本的に足りなくて、
読んでて分からないんですよね。
さらっと流し読みしちゃうと全然分からなくて、
結構しっかり読んでいくと、
ここってさっきこの話をしていたところと、
ここって繋がっているんだとか、
あそこで言っていたこの話、この人って、
ここで出てくるこの人と同じ人って、
さっきの話の続きなんだなみたいなところとかが、
見えてきたりするというような。
正直最初バーッと一読したときには、
全く意味が分からなくて、
これ何の話なんだと思って、
2回目読んで、
さっきの構造ですね。
ここが物語のサマリーになっているんだ。
その構造がようやく2回目読んだときに、
なんとなく見えて、ようやく話の全体の骨格が、
やっと分かったのが2回目。
3回目にようやくなって、
さっきのこことここ繋がっているんだとか、
こういう話だったんだみたいな、
中身をちゃんと味わえるようになったみたいな感じで、
もう分かるまでに、
3回読まないと。
読んでようやく分かって、分かると、
作家と作品の評価
もしかしてこの作品すごい作品なんじゃないかと。
もちろん書を取っているので当たり前の、
私が今更言うほどの話ではないんですけど、
めちゃくちゃすごい作品。
これは不世術の幻想作家だし、
唯一無二の作品だなというような互感を得ると。
この読書は体験はなかなかないなと思いました。
実はこの本、
買ったの5年前どころじゃないな、
多分10年前までいかないですけど、
5年以上前に買って、
パラパラって読んだ時、よく分からなくて、
買ったほうがいいけどずっと置いておいたんですよね。
たまたまちょっと、
そういえばこんな本あったなみたいな話を思い出して、
改めて腰を据えてしっかり読んでみたという感じで、
気づくまでに、この作品に最初に触れてから、
すごさに気づくまでに、ある意味何年もかかったという意味でも、
非常に自分としてはそれも含めて、
すごい稀有な読書体験をしたなというふうに。
ちょっとこの作品、すごい面白いなと、
面白さが分かって、
山尾雄子さんの作品をキラホラと読み始めているんですけど、
何冊か読んだ感じでも、
結構掘っていきがいのある、掘り下げがいのある方と言うと、
偉そうな言い方です。
作家だぞというふうに思って、
これはちょっと今まで知らなかったのは、
ある意味、知らなくて、
本当に不明を恥じるところもあれば、
今ここに来てもまだ全然こんな知らなくて、
こんなに面白い世界が、
世界とか作家がまだいるんだな、
出会えるんだなという喜びでもあって、
そういう意味でもすごく読書体験をしたなというふうに思うし、
描く世界、頭の中に全然ついていける感じがしないし、
どうしたらこんなふうな世界を紡ぎ出していけるんだろうみたいな、
そういうところまで考えると、
一層味わえるところがあるし、
変な話、今のAIで、
読者への推薦
ちょっとしたものだったらもうAIで文章をいくらでも書けるという中で言うと、
これだけ、ある意味論理的に思理滅裂な話こそ、
これは山尾裕子さんという、
経由な作家にしか書けない、
その人の内面世界、
持っている内面世界の中からしか生まれない、
すごく作品なんじゃないかなというふうに思うし、
それを体験する、
こんなことを考えている人がいるんだということを、
経験するということ自体は、
すごく時代を越えて価値のある、
むしろ今のAIがどうこうみたいな世界だからこそ、
唯一意味のある体験の一つなんじゃないかなというふうに、
変に厚く語ってしまいましたが、
新たにこれ、
幻想小説みたいなジャンルでは、
もうめちゃくちゃ有名な作家、大作家なんだろうし、
今更何を言っているんだみたいな人も、
少なくとも僕としては、
本当に新しい世界を開かせる、
開けるんだなというふうに思って、
読むときには心して、
モビにも金井美恵子さんが書いているんですけど、
読者はページを前にくり、
山尾裕子のコスモスをただ心して読むべしと、
大きく書いているんですね。
本当にそれだなと、
心して読む必要があると思いますが、
心して読むだけの価値があるんです。
こちらは山尾裕子さんのトブクジャク、
文春文庫から出ているので、
非常に手に取りやすいなというふうにも思います。
最近いろんな人に、
会う人ごとに、
この本、大尾裕子さんすごいよ、
みたいなことをずっと言っています。
ということで、
はい、ちょっといつもより長めに語ってしまいましたが、
ここまでかなと思います。
では、ありがとうございました。
20:53
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