本に対する感想
はい、盆トークヒデドンです。 今日は初めて本の感想です。
書評ではありません。 小学生の時に書いた読書感想文
読書感想 トークです。
今回はこの感想日記です。
これは 京都駅近くの東本願島への
で開かれた本の振り間で
お東さんブック、まあブックパークかな。 で購入した本です。
大学生の男の子から買った、200円で買ったものです。
第一印象は… 第一印象?
ざっくりとした感想で言うと、自分はもう高校生の
みずみずしい感覚はもうほとんど残ってないなっていう、ちょっとショックなところがあります。
というのも
AKBの、AKB桜坂46の
プロデューサーである秋元康さんは、まあ歌詞、いろんな歌詞を書いてて、今はね
ティーンエイジャーの女の子だったりの気持ちを歌った 歌詞も普通に書けると。
でその秘訣は?みたいなインタビューようなことあるんですけど、人間には老若男女、いろんな
自分がいると。 それはみんなも、秋元康さんだけじゃなくて皆さんもそうなんですね。
私にも中にも老若男女、いろんな
自分がいると。 それはあの文人主義っていう
平野さんかな。
確か芥川賞の方を取った 平野さん、平野圭一郎さん。
私の心を満たしなさい。 っていう、非常に
優れた小説家の方も提唱する
概念なんですけど、 仮に私、平野だとしたら平野の中にいろんな
自分を使い分けていると。 まあ例えば盆踊りの会場に行った時の私であったり
それ以外の私であったり、もっと細かく分けられるんですけど、まあ 時と場合によって
あとはその人との関係性によっていろんな自分が立ち現れてくる。 それはもう無意識にやってるんですけど
その中で秋元康さんは単に同一生の同年代の
キャラクターパーソナリティではなくて
秋元康さんの中にティーンエイジャーの女の子の人格がいると。
っていう考えはまあ私もそうだよなぁっていうふうに。 じゃないといろんな
例えば楽曲聴いても共感できないじゃないですか。
例えばアイミオンのマリーゴールドか。
あれだってじゃあ同世代の 女性にしか受けないかって言ったらそうじゃないじゃないですか。
なんであれは普遍的な
人間の 今を生きる日本人の
何かを歌っていると。 というところで言うと自分にも
高校生の 男子高生だったり女子高生の
部分は何かしらある
残ってるっていう表現がわかんないですけど存在するはずなんですけど
それが自分の年齢とともに縮小されていったなぁっていう感覚なんですよね。 多分これ私が20代30代の頃に読むともっと共感してもっとキュンキュンできたのよなぁっていう。
うん なんで
47歳の今になった私だと そんなに感じる感じはするんですけど
えー あれもっと若い時ってもっと心が動いてたよなぁ
今は結構冷静な自分がいるなっていう それが前編
最初から最後までそんな感じだったんですよね
おじさんになったなぁ
っていうのが一つ です
目から鱗の意味
あともう一つは目から鱗っていう表現がこの 小説の中に出てきて
あれ なーんか
久しぶりだなぁと思ってこの目から鱗っていう表現
普段 使わないし自分では
まあ私あんま普段小説読まないんでわかんないですけど普段読んでる本でも まあ目から鱗っていう表現は
うーん ここ10年20年読んだことないような気がするんですよね
なんで久しぶりに出会った表現で なんじゃこれこの
何かしら違和感あるなって思って もちろん意味はわかるんですけどね
目から鱗の起源というかどうしてこの例えが 読まれたのかっていうのを
調べたら非常に面白かったんですよね 調べたらってAIに聞いたんですけど
もともとは目から鱗っていう表現は 新約聖書
の
に書かれた まああれも何章か分かれてるんでちょっとこの章が忘れちゃったんですけど
に書かれた 新約聖書に書かれている
表現を
明治一新の後に近代化が日本は 一気に進むんですけど
まあそうしないとね西欧 の列強に植民地化されるって言う
ことでもう 近代化せざるを得ない生き残る戦略の一つとして
近代化を選んだんですけどその中に一つとして聖書を輸入して まあ新約聖書かな新約聖書を
輸入して翻訳して でこれが優れた
文語表現であるというふうに 牽引付けたんですよね
もうそれがまあそれイコール近代化 西欧イコール
優れた文化であるというのが近代化の側面であるので
でそれを どんどん
ルフしていったと いう中で
ん
上から鱗っていうのも 表現も使われるようになったと
で
ん たまたま
日本語まあそれが今でも現代でも 残っているっていうのは
まあその 金近代化から今まで
すべてが残っているわけではなくてその表現が もちろん淘汰されていったものもあるんですけど
目から鱗っていう表現は残っていると その理由が
目から鱗が落ちたっていう意味はまあその瞬間的に 雷が落ちたような衝撃を受けて
新たな気づきがあったと いうことなんですけどその表現が日本にはなかった
もともと 楽しかったそうなんですよねその日を表すそれを表す表現が
もともと日本だと腑に落ちるとか腹落ちするっていう表現が 近しい表現ではあるんですけどそれはちょっとじっくり
時間をかけて
腹に
内臓に 落とし込む落ちていくっていう
時間表現のスパンが長いんですよね だからその瞬間的な
ガラッと裏と表 鱗の裏と思いが手がひっくり返るような
表現がなくてそれがハマってしまったみたいな
感じなので だからこそ私はちょっとね
うん っていう違和感を感じたんですよねだ日常でいきなり
英語で言うとエンライトメントとかアウェアネスとかにもつながるんですけど そういう体験
はーっていう 今この瞬間俺は新しい
気づけを得たんだなんていうのはない それよりかは徐々になんとなく
えー 頭の中にあって無意識でで
煮詰めていった
疑問だったり 鳥がなんとなく
ふと落ちてきたみたいな方に が私にはしっくりくるのでちょっと目から鱗が落ちる
っていう表現は そのものが私にとって目から鱗が落ちる
ですよね ちょっとわかりにくいんですけど
まあ要はちょっと
身に染みてこないなぁっていう感じ でまぁ身体表現って重要だなぁっていう
オチとしては弱いんですけど まあそもそも特にオチにしようと思ってないんで
初めての読書感想トークでした ありがとうございます