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わたなべ夫婦のふたりごとは、動画クリエイターで不動産投資家の結婚5年目夫婦が、自分らしい幸せをテーマに日々の暮らしや頭の中をお話しする番組です。
今回は、人生をシンプルにしてくれる課題の分離というテーマをお話しします。
やたらね、ややこしいなやそれみたいなタイトルかもしれないんですけど、もしかしたら放送する間際にタイトル変えてるかもしれないですね。
どういうタイトルつけようと悩みながらだったんですけど、つまり今回お話するのは最近ちょこちょこ話題に上がってた、嫌われる勇気という本です。
これの中身についてお話ししようと、そういう回ですね。
嫌われる勇気っていうのは、7年8年くらい前に発売刊行されたのかな、ベストセラーと言える本ですごく流行りました。
今でも本屋さん行ったら多分置いてるんちゃうかなっていうぐらい読まれ続けているような本だと思います。
これアドラー心理学っていう心理学あるいは哲学の本で、簡単に言うともう生きやすくなるというか、生き方を見直させてくれるそういう本です。
最近鍋友ネームカネチカさんという方から、今まで読んできた本の中でこれを忘れられないという本はありますかというレッターをいただいてて、
何かあるかなと思って考えてたんですけど、この本はその一冊に入りそうです。
この嫌われる勇気。
それぐらいすごく衝撃があったし、今後も大事にしたいなと、一生大切にしたい考え方だなと思ったので、ぜひシェアさせていただければと思います。
中身は結構哲学っぽい思考の仕方みたいな、考え方みたいな内容が書かれているので、難しいっちゃ難しい。
噛み砕くのに結構時間かかるかもしれないですけど、文章自体は会話形式で進んでいくので、割と読みやすい方だと思います。
哲人というアドラー心理学に精通した人と青年との対話形式で書かれるんですよね。
つまりアドラー心理学はこうですよという考え方を哲人が喋って、青年がそんなわけあるかとか、それはおかしいって食い下がりながら話が進んでいくみたいな。
だから読者としては青年の立場、いやいやそんなことないでしょうってツッコミ入れながら中身が入ってくるという感じで、結構読みやすいかなって思います。
内容としてはね、なかなか衝撃的なことが書いてます。
今までの常識を覆す、言われてきたことがもう180度違ったみたいなぐらいのことを言われるんで、青年がね、物語中に出てくる青年がそんなわけあるかみたいなふうに結構吠えるんですけど、その気持ちもわからんでもないと。
それぐらいね結構アドラー心理学で書いてることって、えーみたいな、それありなのっていうことがね結構多いんですよ。
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僕もこの本が発売された、世に出た頃に読んでたとしたら多分大学生ぐらいとかだったのかなと思うんですけど、その頃に読んでもね多分青年側だったと思います。
えーみたいな、そんなことある?みたいな、非常の空論やろうみたいな、理想論やろうっていうふうにあんまり信じてなかった。
半信半疑やったかもしれないですけど、なんだかんだ今29歳になって、大学も卒業して社会人経験も経て、企業勤めしたり自分で自営業でフリーランスで働いたりとか、ある時期にはもう仕事も家もなく夫婦2人で旅してたみたいな時期もあったりして、
いろんな経験をしたり、いろんな人と出会ったりした中で、確かにみたいなふうに思えることも結構多かったんですよね。だから僕は29歳になって初めてこの本読んだんですけど、なるほどなみたいな、確かにそうかもっていう感じで結構最初から読めたかなと思います。
なので、この音声配信ね、結構僕ら世代以下の方とか20代とかあるいは10代の方もたくさん聞いていただいてるんですけど、本ね、読んでほしいです。読んでほしいんですけど、え?みたいな、なにそれ?ほんまかいなって思われる部分があったとしても、一旦はそれでいいと思います。それでいいんですけど、またある時期に振り返って読み直してみてほしいなと思います。
結構ね、なるほどなみたいな、世界の本質、人間社会の本質みたいなところを感じる部分がね、後からなってじわじわ出てくるところもあるかなと思うので、ぜひね、このアドラシン理学っていう考え方は一人一人胸の奥にね、しまっておいて、あるいはもう受け入れたよね、それがいいなと思えた人はそれをどんどん実践していくと、よりこう生きやすくなるのかなーなんて思ったりしました。
で、本の内容をね、お話しする前に、なぜ冒頭5分こんな前置きみたいなことを喋ってたかというと、それぐらいね、ちょっとこう、なんていうかな、心構えというか、読むにしても結構それぐらい衝撃的なことを書いてますよーっていうことをね、あらかじめお伝えしておこうと思って、はい。で、5分ね、そういうことをお話ししました。
そして放送の中で、まあこの本の内容こうでしたよとか、アドラシン理学ってこうなんですよってことを僕が説明できたらいいんですけど、まだね、到底できないです。申し訳ないですけどね、自分の中でもまだまだ理解を及んでないし、まあとてもじゃないけど、この15分程度のね、放送ではお伝えしきれないかなと思ったので、
今回はちょっとね、かいつまんで、僕が特に面白いなと感じた、この課題の分離っていうね、考え方について、簡単にね、ご紹介したいと思います。課題の分離。
これ何かっていうと、自分の課題と他人の課題を分けましょう。課題って言うとちょっと難しいかもしれないですけど、要するに自分と他人は、まあ人は人、自分は自分っていうね、そういう考え方を持ちましょうっていうことがね、書かれてます。
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それを聞くとね、当たり前かもしれないですけど、すごくね、大事というか、自分と他人をごっちゃにしてる、他人のことも自分ごとのように考えちゃう、あるいは自分のことやのに他人にいろいろ言われちゃうみたいなことって意外とね、世の中多いよなと。
これを自分と他人の課題を分離する、それだけすごくね、生き方、生きやすくなるよと、うん、いうことなんですよね。で、このアドラ心理学によると、人間の悩みっていうのは全て対人関係の悩みであるっていうとこから出発するんですよ。
人間、まあ皆さんもね、鍋友の皆さんも悩みってあると思います。僕もね、あります。悩みごと、どうしようかなーって思ってることとか、もっとこうならないかなーって思ってることとか、そういう悩みごと、これは対人関係、つまり人との関係の中で生じてる悩みなんですよと。
逆に言うと、地球上に誰もね、自分以外人類とか存在しなくて、宇宙空間の中に自分一人だけ存在しているような世界だとしたら、何も悩みごとがないわけですよ。比較する人もいないし、比べる人もいないし。
例えば僕やったら、このクセ毛なんですよ。クセ毛。これね、やっぱ思春期の頃はね、悩んでましたよ。悩みごとでした。なんでワイの髪はこんなにくるくるなんやろうみたいな。
当時ね、結構ウルフヘアーのね、サラサラストレートみたいな、トゲトゲストレートみたいなのが、メンズは結構流行ってたんで、なんで自分の髪はこんなにくるくるなんやろうって悩んでたんですけど、これも対人関係の悩みなわけですよ。
僕一人が存在している世界だったら、別にくるくるな髪だろうが関係ないんですよ。そこにはやっぱりストレートでかっこいいと言われている人がいる、そういうトレンドがある。
いろんな対人関係、友達がいて、恋人がいて、家族がいてとか、そういう中で悩みごとってやっぱ発生するんですよね。クセ毛やとか。
つまり人間の悩みっていうのは全て対人関係の悩みであるっていうのが、アドラー心理学の出発点、議論の出発点ですと。
こういう対人関係の悩みごと、対人関係のトラブルとか、そういうものは課題の分離っていうのができたらすごくシンプルになりますと。
そういうことが書かれています。
これも具体例を挙げると、僕ららしい例を挙げると、こういうSNS発信とかYouTuberみたいなことを活動している、お仕事にしているわけなんですけど、
今でこそ減った、今もちょこちょこあるんですけど、批判されたりとか誹謗中傷を受けたりすることってあるんですよ。
どうしてもありますと。
特に多かったのが、当時、2,3年ぐらい前、4年ぐらい前、車で夫婦で日本一周してて、
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当時は仕事も辞めて、家もなくて、車1台で日本一周して、その様子をブログを書いたりとか、インスタあげたりとか、YouTubeで配信したりとかしてたんですよ。
車中泊で日本一周みたいな。
僕らとしてはすごく目的があって、夫婦関係の修復をしたい、夫婦で今後の人生見つめ直す期間にしたいと思って旅しながら発信をやってたわけなんですけど、
発信すると心よく思わない人がいて、特にYouTubeなんですけど、
こんな旅してどないすんねんとか、早く仕事に復帰しなさいとか、将来どうするの、子供ができたらどうするのとか、すごくおせっかいって言ってくるんですよね。
信じられませんみたいな。
これは完全に課題の分離ができていない事例の一つだなって思います。
つまりそういう批判する人っていうのは、僕らがどんな旅してようがどんな生活してようが、その人にとっては関係ないわけですよ。
全然関係ない。何の影響も及ぼさない。
けど、見過ごせないでしょうね。
自分事のように捉えて、早く働きなさいとか、そんな旅なんてやめなさいみたいな、やめたらどうですかって言うわけなんですけど、本来は関係ないじゃないですか。
だからそんな関係のないことはほっといて、自分の人生に集中したらいいわけで、そこでね、SNSの炎上とかもよくあるんですけど、ほっといたらいいのに、全然他人の話なのに怒っちゃうみたいなね。
言われる側も言われる側で、なんかこうね、他人に言われちゃった、やっぱりそうなんかな、やめといた方がいいんかな、批判されるの怖いなって思うのもそうなんですけど、
逆に言うと他人は他人、自分は自分じゃないですか。自分の人生、その人が責任を持ってくれるわけじゃないし、その人の言うことを聞いてたら自分の思い通りにいくわけじゃなくて、間違いなく自分の人生って自分で選択して自分で責任を持って全うしていくものなので、
誰に何言われようが、いや自分はこうなんやって思えばそれでいいわけじゃないですか。
これは本当にね、この課題の分離っていう説明のごくごく一部にしか過ぎないので、ちょっとね誤解を招きそうな感じで怖いところはあるんですけど、
まあほんまにね、この分離する自分の課題、まあ自分のことと他人のことをしっかり分けて考える。
相手のことについては、まあそんな介入しない。自分のことについては相手に介入させない、立ち入らせないっていう姿勢。
これがね、まあいきやすくなるポイントの一つやなと。
ここで鍋友さんからのレターをちょっとご紹介してみようかな。
このまさにね、課題の分離ができたらもうちょっと気持ち楽になるんちゃうかなっていうねお悩みがいくつか届いていますので、ちょっとねご紹介してみようと思います。
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まあ分離するってね結構難しいし、ちょっと冷たくも感じるかもしれないんですけど、
まあでもね、他人のことについて自分が悩んでてもなかなか苦しいよなと。
まあそういうことをね、ちょっと一緒に考えたいなと思います。
じゃあまず1通目ですね。鍋友ネームさほさん。大輝さん、よみじさん、タソちゃんこんにちは。
いつも動画やラジオブログを楽しみにしています。
突然ですが、私は漫画が大好きでよく読みます。
最近ではアプリなどを使って読むことが多くなりました。
こないだ友達と最近読んだ漫画をお互い勧め合っていたのですが、
友達にこのサイトなら漫画が無料で読めるよーと違法サイトをお勧めされました。
漫画村みたいなやつですね。はい。
私はなるべく好きな漫画をお金を出して買いたいし、無料で読むにしても公式アプリでちゃんと読みたいタイプです。
いやそれ絶対ダメだよーと言えればよかったんですが、言えず。
私は公式アプリで読めたら読もうかなーととりあえず生ぬるい返事をしたんですが、なんかもやもやーとしました。
たまに違法サイトで漫画を読んでいることを堂々と言う人がいるのですが、どう思われますか?
リスナーさんの意見も聞きたいです。
はい、こういうお便りいただきました。
まあね、漫画の違法アップロードってイタチごっこらしくて、なかなか規制とかが追いつかないみたいですよね。
本来はね、確かにちゃんとお金を払って買う。
そうしないと作者の人にお金が回っていかないので、やっぱり活動にも支障をきたせるし、
違法は違法なんで、アップする側も読む側も良くないっていうのは事実だと思います。
そういう意味で佐穂さんの感覚とか気持ちっていうのはすごく尊重したいと思うし、
そういう疑問を感じているっていうのは素敵なことなのかなと思うんですけど、
まあね、これもね、結局他人は他人なんですよね。
自分は公式アプリで読む派、でも相手は無料で読めるんやったら違法でもいいやぐらいの感覚で、
それは伝えてもいいと思うんですよ。
私はこうしたい、こうすべきちゃうかなっていうことは。
でも最終的にその漫画村みたいなところを読むのやめるのかやめないのかっていうのは、
そのお友達次第なんですよね。
そこを強制できないし、結局その人の課題なわけで。
だからそこを自分の主張、自分の価値観と違うことをしている人に対して、
自分の価値観とそぐがない行動をしていると、
それを正したい、正さないといけないってできれば正したいと思っているとやっぱりしんどいですよね。
だってその人がそうするかもわからないし、もっと反対にどんどんそのサイトで読むのを進めてくるかもしれないしとか。
やっぱり実際どうするかっていうのはわからないし、
結局その人が例えばイホサイトで読んでて、何か不利益被る、わからないですよ、規制が進んで。
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読んだ人もすぐ罰則があるみたいな感じになって、
そのお友達が不利益被りましたってなったとしたら、その人の自業自得なわけで。
結局そのサイトで読んだことの結果はその人が引き受けるわけなんですよ。
これ本の書いてたような書き方なんですけど、
別にそのお友達がどんなサイトで読んでようが、サポさんにとっては関係のない話なんですよ。
何かメリットがあるわけでもないし、デメリットがあるわけでもないし、
何か最終的な責任を背負わされるわけではないし。
だからコミュニケーションとして普通に、
こういう普通のサイトで読むなり単行本買った方がええんちゃうかなっていう話はしてもいいんですけど、
それを最終的にどうするかっていうのはお友達次第で、そこの課題は分離するっていうね。
そうする方が気持ちは楽ですよねと。
じゃあもう一方、鍋友ネームなななさん。
マルチ商法やネズミ公についてどう思いますか。
また自分の大切な人、家族、恋人がそういったことに手を出していた場合どうしますか。
私はそんなことするなんて恥ずかしいし変だという偏見があり、そういった人から離れることを考えてしまいます。
ですがその人は私の大切な人なのです。どうしたらいいですか。
ちなみに今は辞めているみたいですが、日々の暮らしの中にそういった類の商品がいまだに溢れ返っており怪しすぎます。
引いてしまいます。
大木さん、エミさんの率直なご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。
はい、こういうお便りも届いています。
まあね、あの偏見だっていうワードがあるんですけど、偏見かもしれないですけど、
まあ嫌だから離れますっていうスタンスはね、一個はあると思うんですよ。
やっぱなかなかね、やめといたらとかね、いうのを介入してもね、なかなか変わらないし、人ってね。
自分の思い通りにね、他人をコントロールするわけでもないので、やっぱり。
だから離れますっていうのは一つあると思うし。
で、一方でね、今回大切な人だから、まあそういうわけにもいかないっていうことなんですけど、
これもね、最終的にはやっぱ他人の課題なんですよ。
もう自分はどうすることもできない。
やめといた方がいいんちゃうかなとか、自分はこう思ってんねんとか、
こういうふうにそのね、ことについて考えてるんや捉えてるんやっていうことを伝えたりする。
促すことはできるけど、最終的にやめるのかやめないのかどうするのかっていうのはその人次第なので、
まずそこは大前提ですよね。
いやいやそうは言ってもね、家族とか恋人大切な人だから、そんなね他人事じゃないし、
そんなね、ほっとくとかね、他人やからみたいなふうに考えられへんよって思うかもしんないですけど、
その辺はね、ぜひ本を読んでください。
僕が説明できるような代物ではなく、結構難しいなと。
僕ももう一回ね、2回目3回目読まなあかんなと思ってるぐらいなんで、
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ぜひね、詳しくは本をね、読んでみてください。
じゃあ続けざまに3個目のね、レターをご紹介しましょう。
こんにちはシェリシェリです。
なべともネームシェリシェリさん。
早速質問があるのですが、
自分より恵まれていると感じる人に対してお二人はどのように心をざわつかせないようにしていますか?
私の場合は語学が好きなので帰国師女が羨ましいです。
もちろん彼らにも悩みや苦悩があるとは思います。
でも大人になった時点で2、3カ国語話せる帰国師女が多くいるのも事実でやっぱり羨ましいです。
語学に限らず、生きているといろんなテーマで皆さん心がざわつくことがあると思いますが、
お二人はどのように対処していますか?
これもね、課題の分離っていうことに尽きるのだとは思うんですけど、
あのアドラー心理学、この嫌われる勇気の中でもう一つ面白いことを言っていて、
アドラーってその原因論を否定するって言ったらいいのかな。
AだからBみたいなね、考え方を否定すると。
具体的に言うと、例えば自分は顔がイケてないから彼女ができないんだって思っている人がいるとするじゃないですか。
彼女ができないのは自分の顔がイケてないからやって言ってると。
まあそうなんかなって思うかもしれないですけど、
アドラー的に言うと顔がイケてないから彼女ができないんじゃなくて、
彼女ができないために顔がイケてないという事実を持ってきてるって言ったらいいのかな。
かなりややこしいかもしれないですけど、
まあそのイケてないから彼女ができませんじゃなくて、
彼女ができないために顔がイケてないという事実あるいは認識を作り出していると。
じゃあなんで彼女ができないために、彼女ができないのを目的にしてるんやって言うと、
もっと深掘りすると、例えば好きな人に振られるのが怖い、自分を拒絶されるのが怖い、
そういうね嫌な思いをしないで済むためには、そもそも彼女ができなかったらいいやんかと。
じゃあ彼女はもう作らない、できない、作りたくない、
そのために自分は顔がイケてないっていう事実を持ってくるっていうね、そういうね捉え方をするんですよ。
逆に言うと自分は顔がイケてさえすれば彼女ができる、顔がイケてさえすれば素敵な彼女ができてハッピーになれるっていうね、
だからそういう意味で可能性の中に生きてるって言うんですよ。
もう一回言い直すと、そもそもね、女性に拒絶されたり誰かに拒絶されたり否定されたり受け入れられなかったりするのが怖い、
それは嫌だ、だからもう自分は彼女を作らない、作らないために私は顔がイケてないんやという事実を作り出す。
イケてないから彼女はできないんやと。
逆に言うと顔がイケてたら素敵な彼女もできるし、自分を否定する人なんていないし、何もかもうまくいったのにっていう可能性、
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これを信じると、つまり傷つきたくないってことですよね。
これはね、結構ドキッとする発想やなって思います。
ほんまかいなって思わなくもないんですけど、
現に本の中で青年はそんなわけないみたいな、すごい怒ってましたけど、
気持ちはわかるんですけど、でも確かにそういう捉え方も面白いよなって思ったりするんですよ。
是非ね、本読んで欲しいんですけど。
だからね、僕も人が羨ましいな、自分にもっとこういうのがあればなとか思ったりすることもあるんですけど、
やっぱね、この本読んでからは、羨ましいなとか、こういうのがあったらな、自分はこれがあるからできひんねんって思ってる時点で、
やっぱそれを言い訳にしちゃってるのかなとか、それがなかったらうまくいくのにとか、
それがあるからできひん、できひん理由を探してるみたいな、
そういうマインドになってるんちゃうかなと思うようになってからは、
あんまり人を羨ましいと感じたり、自分にはこういうのが足りてない、こういうのがあったらなみたいな、
そういうことはあんま思わないようにしようって思うようになりました。
今の僕ではこんなことしか言えない、なかなか短編的で、
もしかしたら切り取りすぎてアドラーの話とはずれてしまってることも恐れてるんですけど、
とにかく本はよかったので、興味のある方は一度読んでみてほしいです。
Kindleでも買えますし、本で一冊手元に持ってても何度もパラパラと読み返せるのでいいかもしれないです。
また鍋夫婦のふたりごとは、鍋友のあなたからのいいね、コメント、レターをお待ちしています。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。ほな。