カウンセリングの枠組み
なんか一個不思議なのはね、ばなちゃんがその仕事と日常の切り替えはしんどかったりはせえへんの?
それか、なんていうの、カウンセラー自身のセルフケアってどうなってんの?みたいなことっていうか。
そうだよね、えっと、だからカウンセリングって、私たちが習っているカウンセリングは枠組みっていうのをすごく大事にしてて、
何分間の枠組みですとか、この場所でやりますっていう、その枠組みから外れたら、もう私たちはカウンセラーではないんですよ。
その枠の中だけ、カウンセリングマインドでやりますっていうところで、その他すごく切り替えはしろというふうに言われているっていうのはある。
だから、ずっと常にカウンセリングマインドではないっていうところはまずあるのと、あとはそれで自分を守ってるっていうところはあるのと、
あとは、今ずっとカウンセリング研修とかを、自習研修を受けている中で、
自分がクライアント役になったりとか、そこで起こっていることをスーパービジョンを受けたりすることで、
自分自身のそのしんどさっていうのは、とか、悩みっていうのはそこで対処しているみたいな。
っていうのが、自分の問題が対処できてないと人の話が聞けないので。
そういうところで気をつけてやってるんですね。
そうです。だから、週1回くらいか、カウンセリングの研修を受けているので、そこでクライアント役とかをして、お話をしたりとか、
自分の困った事例とか、悩む事例とかのスーパービジョンを受けて指導してもらって、とかっていうことでやってるのと、
自分自身の健康管理というか、体調悪いと聞かれるから、頭痛えとか思うんだね。
人の話でも大変だね。
そりゃそうだね。
すごい分かりやすく、病気とかにならない、心の重荷をがっつり受けそうな気がしてね。
やっぱり、共感申しなあかんわけ。
その方がやっぱり、患者の人の救いにはなるんだけど、分け与えられたものが大きすぎると、それに引きずられることってありそうだなと思うと、
本当にすごい仕事だし、考え方だなと思って。
引きずられたりする時は、私の中に引きずられる何かがあるっていう風に考えるので、
それをスーパービジョンを受けて、そういう経験とか、つながる経験みたいなことについて話をしたりすることで、
これがあるから、私はそこにすごいこだわるんやなって、ある意味分かると、そこを置いとけるようになるというか、
それも話す?
そう、それと話す。
それでも、感染があってよかったとか、あの人大丈夫かなとか、思うけど、
でも、いつも言われるのは、私たちができることは、もう本当にかすかなこと。
その人にちゃんと解決する力はあるから、自分が。
それはその、師匠からね。
だから、本当にその、一時、50分なりの、本当にそんな時間でできることなんて限られてる。
その人が持ってる力っていうのを信じて、大丈夫。
なんかそういうところも、でも教育に近いっていうか、
関われるところで全力でやる。
あまりこう全部をもらいすぎないというか、ちゃんと、同じ人間として見るってそういうことなのかなっていう。
そうかもしれない。
あなたは私だけじゃないよ、みたいなところ。
その全てサポートするって結構やっぱり支配的だなと思うんで、
そこは本当に危険なことかなと思ったりするしね。
やっぱりその他にサポートしてくれる人がちゃんといるのか、上司はどうなのか、同僚はどうなのか、家族はどうなのか、みたいなところももちろん聞いたりするし、
っていうのはあるので、
大丈夫だとは思うんですけど、
失敗だよ、みたいな。
正直な話としてね、それはまあ人間としてね、
やっぱり完全ではないので、
大丈夫だったかなとかって自分の仕事に対して思うのは当たり前かなと思うしね。
そうか。
やっぱりなかなか相談とかね、そのカウンセリング受けれない。
まあさっきも最初ハードルが高いとか。
でもそれでも受けれるような形、
まあそのオンラインとかいろいろテクノロジーが発達して、
比較的ハードルは低くなりつつも、
なんかもっと気軽にする方法みたいなのは、
パナちゃん的に何かある?
どうだろう、なんかまあもうその認知の問題なのかな。
カウンセリングって本当に気軽なもんなんだとかっていうのを、
人に伝えるしかないのか。
どうなの?
なんか社会の中に正直カウンセラーっていうのがどこにいるかも正直わからない。
わからないじゃん。
確かに。
病院に行ったらおるかってわからない。
わかんない。
だからどこそこ行ったらいますとか言ったら、
行こうかって思える人がいるかもしれないし、
僕もまあちょっと行ってみようかって、
もしくは問い合わせしてみようかとかってなるんやけども、
どうもやっぱ日本の社会そうじゃないのかなっていうのが、
海外では事例はちょっとわからへんけども、
でも普通にスクールカウンセラーがいたりとかって、
ウイルスの人たちが若者が使える医療施設があるとかね、
聞いたりもする中で、
どうなんやろな、
本当に当たり前に出会ってほしいなっていうのがつくづく思うんだけど。
確かにね、なんかここにいたらいますっていうのがわかるとね、
そうなんか今思ってたのさ、
それこそ町の図書館みたいな感じで別に、
だから保健センターとかにいたりはしないの?
いるいる。
いたりすんねん。
それを知らないからって言うとこあるね。
保健所とか、各都道府県にある精神保健福祉センターかな、
そこには臨床心理さんとか看護師さんとかいるから、
どんな相談にも載ってくれたり、電話でも無料やし、
っていうのはあるけど知らないよね。
知らない。
私もカウンセラーしてて勉強したから知ってるけど、
普通の人は知らんと思う。
知らんな。
どうしたもんかね。
どうしたもんかな、これ。
自己理解の重要性
例えばその、うちらは生駒市に生駒地っていう、
市の情報が毎月1回、
開放誌?
開放誌みたいなのが来るんですね、市の情報を。
国のこととか催しのこととか、
そういうので、いますよとかって書いたらいいかもって今思った。
例えばその医療者に関わって社協、社会福祉教育会とかで、
高齢者相手かもしれないけども、
プロのカウンセラーみたいなのね、
時間儲けるとかっていうのはありかな、職業として。
本当に誰でもが行けるようなところに、
行けるとか問い合わせできるところにね、行ってもらったらいいなと思うし。
なんかこういう質問していいんですよ、コラムみたいな。
だからさ、なんだろうな、なんか職場にちょっと気の合わない、
嫌な人がいます、こんなこと言われました。
もやもやしてません、理解してませんみたいなことを、
質問事例。
なんかカウンセラーの人が、
ちょっと多分こっちが思ってる、
なんかただの慰めみたいなんじゃないことを言ってくれるんだよっていうのがやっぱり知りたいっていうのかな。
なんか、さっき思ってたのがね、
今なんかすごい話題のアドレッセンスっていうドラマがあって、
それは12歳、13歳の男の子が、
同級生の女の子を殺した罪で捕まるっていう話なの。
で、その子がカウンセラーの人と話す場面があるんだけど、
すごい衝撃的で、
なんかすごい男の子が自虐的なことを言うと、
なんかそんなことないよって言わへん。
なんでそう思ったの?みたいなことを静かに聞かれると、
なんかすごいどんどん攻撃的になってくるんじゃない?その子が。
本性じゃないけど。
なんか出てきちゃうのがあって。
だから普通の大人はこう言うよ、みたいなことを男の子は思ってて、
みんなそうだから僕はそれに合わせてきたのに、みたいなこととかもすごい見えてきて、
とても怖いドラマなんだけど。
でも、こういう風にして見てくれるっていうか、
勝手に自分の想像の中で進めてたことが、
ちょっと待てって言われることの大切さみたいなのがすごいあって。
それこそ客観視してくれる人でも。
そういう人がいるよって、
それは自分の中をもっとバランスとってくれる材料なんだなっていうのは知りたいな。
なんかその期待される、期待してる言葉が返ってくると思ってること自体っていうのはね、
そもそもそういうところが大きな問題を抱えてる感じがするし、
カウンセリングってすごくこれから大切な仕事かもしれないな。
でもね、聞いててすごい受けたいなって思うんで。
多分、あんま目立って相談したい内容はないんですけど、みたいなところなんだけど、
でも自分のメンテナンスの一個として、
例えば誕生日に行くとかね。
刃の検診に定期検診に行くみたいな感じで、
定期カウンセリングを1年に1回とか行ってみて、
気がつくことってあるのかもしれないなとか。
確かにやっぱりその年齢ごとに役割が変わったり、
体調が変わってきたりとかね、やっぱりするから、
ライフサイクルによっても全然その人の悩みって変わってくるものだし、
私とかは研修でクライアント役するときとかでも、
別にそんな、いつもいつもは大した悩みがあるわけじゃないけど、
なんかちょっと考えたいなと思ってることとか、
ちょっと気になってることとかみたいな、
こんなんで15分とか20分ぐらいに短いセッションなんですけど、
なんか持つかなーとか思うんですけど、
なんかこう話をしてその振り返りで指導者が関わってくることで、
はあ、そうか、みたいなこともあるので、
なんかそのとってもとっても自分とって小さなことでも、
なんかカウンセリングって究極は自己理解って言われてて、
自分のことがわかれば、
そうか自分とはこういったことがあるからそうなんかっていうことで、
状況が変わらなくても物事の見方が変わることで、
自分の中に収められるものが増えていくっていうことだから、
でもそのちょっとしたことでもその見方って、
なかなか自分一人では変えられない。
ねえやっぱりすごいバイアスっていうかね、
感情の重要性
自分はこういうもんだみたいなその思い込みみたいなのがすごく強いて多かったりするから、
なかなか自分で自分のことっていうのは本当に難しいこと。
難しい。
なんか面白いやつ聞いたな、
あのiPhone?違うなんだろう、
あの時計。
アプローチ?
うん、あれってヘルスケア機能があって、
自分の感情を記録するんだって。
だから今なんかすごい嫌な気持ちとか、
今日はすごい楽しいとか、
なんかそういうことをヘルスケアの記録として入れといて、
しかもなんでそう思ったの?みたいなこともメモしておける。
でなんか別に変なアドバイスとか、
なんかもっと明るい気持ちで行こうみたいなことはなく、
とにかく自分の記録としてそれをつけていくっていうのはすごいいいって言ってる人がいて、
面白いな。
だから日記なんだろうけど、
もっとなんかこうね身近なとこで。
聞いてて思ったのが予選講座の中でね、
このクライアント役さんがどんな感情があったと思うって、
感情の言葉の話をよくするんですね。
そうすると、
そもそも感情の言葉のストックが、
みんなもう全然ないんですよ。
嬉しい、悲しい、しんどい、大変みたいな。
それはプリズンサークルでもやってた。
今現状自分がどういう気持ちなのかとかっていうのを、
例えばモヤモヤそういうオノマトペみたいな言葉を使ったりもするし、
普通に使ったりもするんだけど、
なんとか振り絞って書いてる感じがしたかなと思ったけどね。
でも確かに感情を言い表す言葉って、
知らないっていうかね、
なんかそれを出す機会がないから言葉もないんやね。
表現する言葉がないからな。
それでメモっていくと、
自分にぴったりくる感情みたいなのが、
それもなんかすごい色々あるって思うし、
でもね、大体産業活性の小学生は感情辞典っていうのを勘ですよ。
感情の言葉がいっぱいあったね、この辞典が。
わお、そうか。こんなにあるんや。
感情ってものは大切なんですね。
そう、どうしても抑え込んだりとか、
例えば怒りを抑え込むとか悲しみを抑え込むっていうのは、
本当にやっぱ不調きたす原因になるんやろうね。
去年見たインサイドヘッドっていうアニメの映画があって、
それは感情を擬人化したアニメーション。
ある少女の頭ん中を物語の舞台として、
イライラとか悲しみとか、
それぞれキャラクターがいて喜びとかっていうのがあって、
不の感情を捨ててしまうことによって、
逆にすごく大きな問題が起きたりとかっていうようなことがあって、
感情の働きってこういうことなんだなって、
すごくわかりやすく描いてるものやねんけども、
どっかで何かを抑え込むと、
自己表現の方法
違うものがやっぱり跳ね上がってくるのかなって、
すごくそれを映画見て思ったことで、
カウンセリングの場合でも感情って言葉で表現することとかもそうやけども、
認識すること自体ってのも、あまり日常でもしてないなと思う。
いちいち今のはどんな感情なんだとかわからない。
だけどそこが癒されてないから、
なんかもやもやしたりずっと頭ん中に残ってたりするわけですよ。
だから、もちろんクライアントが感情を言うこともあるけども、
感情を言わなくても伝わってくるものでかい人は、
ああ、そうかもしれない。
そこでわかってもらえた。
で、癒されていくみたいな、
そこを話せるみたいなところはあるのかもしれないし、
よくね、こうもやもやするんですとか言って、
要請コードでももやもやするんですねって言うけど、
もやもやに何を感じたーいって。
もやもやがしんどいんだもん。
もやるが簡単に言えすぎて、
言葉としてもやもやを使うよ。
もやもやとしか表現できひんから、
まだしてね。
でも日記でいろいろ書き記すこと、あれ自体もケアのひとつなのかな。
もちろんもちろん。書くことも出すことやから。
こんな嫌なことがあっていいことがあったとかってこと自体って。
そうそう書くこともすごく、一人でするなら書くに限りますよね。
殴りがきれい。
きれいに書こうとか思わず。
とりあえず吐き出す。
なんかすごい好きな考え方なんだけど全然続かないのが、
モーニングページってあるじゃん。
ずっとやりたかったことをやりなさいっていう、
めっちゃベストセラーの本があって、
それはいくつか自分がクリエイターになるために、
なんかクリエイティブな生き方をしていくための、
なんか非難書みたいな、自己啓発本みたいな感じなんだけど、
そのワークのひとつがモーニングページって言って、
朝起きたら3ページその白い紙に、
今の気持ち、何でも思いついたこと全て。
書くことなかったら書くことない、書くことない、書くことないって3ページ書きなさいみたいな。
それでもうそれはしまって一生もう見ないっていう書き出しをすると、
そのワークを経ていった人たちが皆さんすごく詩人になったりとか、
何かクリエイティブなことをできるようになっていくみたいなのが、
そういうプログラムの一環で。
何日かはやるんだから続かない私なんだけど、すごくいいなと思って。
ページってマンマンじゃん。
マンマンで。
マジで書くことない、書くことないってなるんですよ。
それを書く、続けること自体のすごい忍耐力がいる。
でも、なんかそれはもう不思議で、別に絵書いてもいいし、
私は割と、なんかね、英語だったらスラスラ書けるみたいなとこあって、
なんか日本語出てこないんだな、私は自分が、と思って。
英語だったら別に書くことないって書くのも全然苦にならない。
けど日本語で漢字で書くことないって書くことのめんどくささみたいなこととか、
なんか自分にとってのなんか気持ちいいバイブが見つかる方法として、
その3ページって結構、なんか呼吸を見つけていくみたいな、
なんか気持ちよさがあったなと思うとね。
シンプルだけど面白いワークだなと思って。
何年かに言ってるのを思い出してやっては、また続かないっていうことを繰り返す。
そう、そんなのあったなと。
書くことのね、面白い効能だなって思ったりした。
ケアの実践
いや、本当にね、殴り書きでもいいから。
私もね、その日記とかそういうものって、全然続かないんですけど。
続かへん。
続かへん。
でもね、がんになった時、なんかね、それこそ書かずに終われなくて、
なんかね、書いてたんですよ。
何月何日で、その自分の気持ちとか、なんかね。
で、もうある時プツって、入院する頃にプツって終わったんですけど、
それ置いてて、読み返すとその時の気持ちとか、すごいわかるというか、
これでバランスとっててなっていうのが、なんかわかる。
私、母ががんになった時、母と交換日記した。
なんかめっちゃ、自分でもウケるけど今から考えると。
なんか割と良かったなって思って。
改めて、やっぱり書くと言葉じゃない、
なんていうのか、話し言葉じゃないことをもう少し書けたりとか。
そうだよね。なんか正直に書けるところもあるよね。
あとレスポンスがある。嬉しさはあるね。
そうやね。
なんか、この子こういうことやっててるなみたいな。
いいかも、交換日記。
交換日記カウンセリング。
ちょっと手間かもしれんけど、人によっては。
でもまあ、面白いね。
ということで、おすすめ本をお持ちしました。
僕から?
どっちでもいいよ。どうしよう。
バナちゃんさっきでもね、出してくれた。
自然治癒力を高める生き方。
僕は漫画です。
漫画です。
富士見よい子さんの半分兄弟。
今年の3月に発売された。
どんな漫画ですか?
日本では言うとハーフと呼ばれる、
どちらか自分の両親のどちらかが日本人、
どちらかが外国人であるミックスルーツの人たち。
その人たちを主人公にした群像劇ではあるんだけれども、
僕は純粋に日本人で、普通に日本人だったから、
そのハーフの人たちが抱えている悩みとか、
受けてきた差別とか偏見みたいなものに全然無頓着だったし、
この漫画を読んで、こういう苦しみがあったんだなっていうのを初めて知って。
いろんなハーフがいるし、見た目が、
例えば黒人の人だよ。
黒人と日本人のハーフかもしれない。
白人と日本人のハーフかもしれない。
アジア系かもしれないけれども、
ここに出てくる人の中で、
父親がフランス人の黒人、母親が日本人っていう、
見た目として本当に黒人である。
その女の子が出てきたりするんだけれども、
いっぱい話がある中の一つなんだけどね。
常に、やっぱり君は日本人か的なことは常に言われながら、
例えば不動産屋とかアパートの内壇行った時に、
身分証明書を提示させられるとか、
クロンボ呼ばわりされるとか、
ハーフやのにブスだなって言われたりとか、
すごい抜群。
すごいそういう偏見を受けていることがあったりとか、
すごく辛い現実があるんだなっていうのは、
この漫画を読んでいてわかるし、
この漫画の面白いところは、
そこからどう希望を持っていけるかみたいなところが書いてあって、
その女の子のすごく大切な友人、
親友と呼ばれる女の子がおって、
それは普通の日本人やねんけども、
日本人とハーフってものの違いみたいなことは、
双方なかなか理解できない。
ある日この黒人のハーフの子が、
ぶちまける場面があって、
自分たちの苦しみみたいなのを全て言ってる。
お前にはわからないだろうって。
相手の女の子はわからないけども、
人間関係の理解
でもわかりたいっていう風に、
分からなさを受容した、
分かった上でちゃんと分かろうとするみたいなところが、
これはでもこのハーフだけの話じゃなくて、
普通に生きてて人と人との関係性。
僕ら夫婦も分かってるようで分かってないことがたくさんある。
そういうことをちゃんと理解しながら付き合っていくっていうところが、
今回のケアの話とつながるのかなと思って。
カウンセリングもそうやけど、やっぱり分からないって思った上で、
その人の話を聞いていくっていうのが、
なんか大切なのかなとかね。
そういう意味でこの漫画が、
まだ第1巻でこれからどんどん2巻3巻と続いていくと思うんですけど、
それぞれいろんな登場人物が出てきて、
話があるんで、
興味ある方はぜひ読んでもらったらいいなと思うんですけどね。
なかなか考えさせられると思うんで。
現実として切り捨てるわけじゃない。
やっぱりそこからどう希望を持って生きていけるかみたいなところを
ちゃんと描いているところが、僕はすごく好きだなと思って。
人と人との分かり合いなさみたいなものって、
なんかすごく難しいんだけどね。
この漫画の中で出てくるセリフの中で、
結局人間って両手を広げた半径1メートルぐらいしか
関心を持てないんだみたいなことを書いているわけ。
確かにでもそうかもしれない。
ほんと狭い世界の中で自分っていうのは認識しながら
生きているのかもしれないけども、
ちょっとやっぱりそれを広げていくっていうのが
僕はすごく好きだなと思って。
ちょっと相手のことを理解しようと努める。
なんかそういうところがすごく大切なのかなって。
死と喪失のテーマ
どう思って?
どうですか?
読んでみて。
なんかね、いろいろ思ったことがあるけど、
まずはなんか、
友達のことを読んでみて、
友達のことを読んでみて、
まずはなんか、
友達の子供がね、それこそハーフになるから、
その子に見せたいなぁと思ったかな。
その子に見せたいなぁと思ったかな。
でも別に見せられたくもないんだろうかみたいなこととか。
そうそう。結局なんか、
当たり前じゃんみたいな気持ちだ。
そこはグラデーションで。
例えばハーフって言葉自体も、
それが当たり前。
グラデーションがすごくあるから、
そこは本当に難しいところだよね。
でもそういう苦悩を抱えているってことを、
やっぱり知っているか知っていないかっていうのは、
大きなことかなと思ったり。
人の辛さって本当に当事者じゃないとわからないんだけれどもね。
でもそう、なんかそれは、
だからこれはそのハーフの問題をね、
なんか浮き彫りにしていると思うし、
でもその、自分の痛みは多分、
本当は自分しかわかんないということを、
なんか実感したのは、
私は微発かなぁ瞑想に行った時に結構、
怖かったつもりになってて、
なんかその11日間ね、
その瞑想をする中で、
まあ例えば1時間、
同じその体感みたいなところで、
一人で静かに座って、
そういう人たちが何十人もいる中で、
めっちゃなんか目つぶって座ってるだけでさ、
めちゃくちゃなんかしんどくなってきたり、
めっちゃ眠いとかお腹減ったとか、
そういうことをすごい自分の中で洗えることが、
思い出して、そればっかりすごい考えるみたいな、
その時間を過ごした後に、
なんか電気ついて外出たら、
めっちゃ全然みんな普通にそう、
スーッて瞑想してましたみたいなのとか見ると、
え、私の今の1時間何?みたいなさ、
え、なんでそんな平気そうなの?とかさ、
なんかこう、こんなにもすぐ近くにいても、
話さないからね、その10日間ぐらい喋らないんだわ、
その中で分かるわけねえじゃん、みたいなところで、
その人にはその人のものすごい濃厚な1時間が多分あったとして、
一切分かんなかったわ、みたいなことが、
なんかすごい面白いし、
うん、怖っ、みたいなさ、
人ってこんなにも分からないのか、
じゃあ喋るしかないな、みたいなところとか、
でも自分のことも分からなかったら、
まあそれもね、喋れない、
人のことを聞くことはできて、
あ、それ一緒みたいになる体験も最終日にあるんだ、みたいな、
で、そうなるとまたすごいその興奮、
自分1人で抱えてたものが、
他の人も何か近いものを感じてたりするときの、
なんかすごい、
うわあ、見つけた、みたいな気持ちの面白さとか、
まあなんか大興奮って感じ、
という意味ではそこにもちょっと通じる気持ち。
分からなさっていうのが前提にあって、
そこで少し混じり合うことがあったり、
それだけでちょっと近くなる、心がっていうのは、
それはすごくあり得ることだし、
でもなんかね、なんで怖いって思ったかっていうと、
多分私大学時代に、
すごく自分の心の中を開示した人に、
多分裏切られたみたいなことがあって、
それは本当は分からないけど、
多分なんかネットワークビジネスみたいなものに、
私を入れようとしてはったらしいんだよね。
なんかそれによって多分、ある意味うまく付き合いながら、
自分の中は見せないみたいなことを、
やってたことにも気づいたりしたから、
自分を出しすぎることを抑制してたりとか、
なんか分かってほしいけど、
言わないようにしてるみたいなこともすごいあって、
いろんな複雑な関係性みたいなところのものを、
思い出したりする本でもあるなと思うかな。
なるほど。
いいですよ。
いいですよ。いいですよね。
漫画好きです。
とてもいい漫画が出たなって感じがした。
じゃあ私のも。
私は前田孝博さんの
死なれちゃった後でっていう本にしました。
これはね、
去年私大学時代の親友が亡くなって、
その時に買った。
その友達が亡くなる1ヶ月ぐらい前にこの本が出てて、
あるのは知ってたけど、
友達の不法を聞いてから、
めっちゃ面白いんですよって紹介されてたの。
買ったけど読めなかったの。半年ぐらい。
だけどちょっとずつ読んで、
昨日ぐらいに最後まで読んだんだけど、
めっちゃ笑って、
やっぱり人を失うということのすごい痛みを改めて感じたし、
なんだろう、その死なれちゃった。
あらゆる状況で人は死ぬみたいな話なんだよね。
マジでこんな死に方する?みたいなのもあるし、
本当にそんなに悲惨になっていくのかみたいな死に方もあるし、
だけどその残された人は、
どうやってそれを受け止めて、
で、なんだろうな、なんか、
自分に取り込んでいくのかみたいな話だなと思うと、
私にとってはそのケアって死について考えることって、
自分は選べないとしてもどういう風に死にたいかとか、
まだ若いけど衣装を書くと言っている友達がいて、
衣装を書くっていいよなって思ったりもしてて、
死ぬということの痛みを考え続けたいなぁみたいなのは結構あります。
これね、説教の葬式。
残高3万円で死んだ父とかさ。
大丈夫かなみたいなことを。
さっきの話につながるかもしれないけど、
死について話すこと。
死を見つめながらちゃんと手放していったり、
なんか距離を持って見つめたり、
自分のこととしても考えるっていう意味では、
面白いテーマだなと思ってて。
誰しも選ばれへんからな。
それが不幸な死であれば、
家族とか近い人っていうのが苦しみを感じたりするのかなと思うし、
なぜこうなったのかって考えだすと、
すごく難しいというかね。
死についてっていうのは結構、
生きてる時から考えていく必要があるのかもしれないね。
あんまり短かったのかな。
昔の方が短かったのかなって思うけどね。
葬式とかも家でやってたりとかして。
人が亡くなる場面っていうのはね。
一番、ばあちゃんは母と一緒に、
私も一時期一緒に住んでて、
そのばあちゃんはお家で亡くなったから、
もう死んじゃうよって分かって、
病院から出て、自宅で息をしとるまでみんなで見とったから、
それはすごい貴重な体験だった。
カウンセリングでもグリーフケアっていうのがあって、
いろんな感情の中でも喪失っていうのは非常に重い。
回復しがたい。
死だけじゃなく何かを失うっていうところだし、
その死について語るモーニングワークっていうんですけど、
話すことで自分を癒していくっていうのもあるし、
なかなか受け止める、受け入れるっていうところの、
とても難しいものだし、
後悔が残りやすかったり、
逆に言いたいこと言えずに、
死を受け入れる難しさ
勝手に死にやがってみたいなところになると、
もうどうしようもないみたいなのがあるしっていうところではね。
確かに、死を受け止めるってなかなか大変なことかもしれないね。
大学時代の友達は、
死の1年前にしばらくぶりに連絡してきて、
私は乳がんの最終のステージで、
もう分かんないから来たいって言われて、
東京まで会いに行ったの。
仲良かった3人で話して、
別れてまた来年ねって言って死んじゃったみたいな感じでさ。
だからあっぱりだよなって。
すごいし、だけど寂しいなぁみたいなところは。
がんはある意味準備ができるというか、
突然ではなくていうところでは、
よくお医者さんはがんに死にたいみたいな、ちゃんと準備して、
引き継いでやることはやりきってみたいな。
そういう考え方もあるか。
心の痛みとの向き合い方
そういう考え方もあるんだなっていうところはね。
やっぱりこうあるし、さっき言ってた同じNPOの友達も、
また新たな病気になって、
ちょっと予明が分かんないみたいな感じになっている時には、
この人がもしかしたら、
この間爽快があって、その時には会ったんですけど、
元気で会おうねって言ったんだけど、
会えるの?みたいなことを思ったりすると、
すごいこう、付き合いはもう10年近くだけど、
その人のことが頭の中によみがえってきて、
不安だったり悲しみだったりが来る。
そういうのは、
誰かに話して納めたいな、みたいな気持ちがすごい湧いてくるというか、
っていうところがあるんだなって思いました。
手放していく感じなのかな?
手放すというか、振り分けるような感覚なのか、
自分の中に納める感じ?
納めきれなくてはってなっているのを話すことで、
ちゃんと整理をして納めていく感じ?
それはでもインサイドヘッドで言ってたあれかもよ。
記憶の縁にものすごい遠くに行ったやつが、
なだれを打って襲ってくるんだが、
やっぱりあるべきところにちゃんと置いてあげる。
無きものにしないということが。
でもそうかもしれないな。
なんかその、去年カウンセリング受けたときに聞いたのは、
カウンセリングっていうのは、
自分の中の感情みたいなとか記憶みたいなものを、
ずっとお尻の中に紙をプシャプシャってして、
ずっと掘り投げている。何個も何個も。
で、閉めたら見えない。でも存在を知っている状態。
それを引っ張り出して、あるべき場所にきちっと入れていく。
それがカウンセリングじゃないかっていうのを言ってあって。
確かにそうかもしれない。
ずっと見ないように閉めてたものを、ちゃんと開けて、
痛みともなるけどね。でもちゃんと開けて整理していく。
なんか、そういうことなのかなと思って。
すごく腑に落ちた。ちゃんと収める。
パナちゃんに色々聞きたいことがまた出てくる。
聞いて欲しいことっていうか。
いやー良かったね。面白かった。ケアの話。
ケアの話になったのかどうか知らんけど。
いやー、十分になりました。
最初はどうなることか。
理論的にとか体系的にやっぱり物事を考える。
ケアって心のことやしさ。
なかなかあやふやにケアって使うけど何なのかなっていうのが最初にあってね。
なぜ自己開示だそうなのかとかも、今日話し聞いてよくわかったし。
それはとても大切なこと。そうしていくことがっていうのは。
少なくとも私たちにとってね。
カウンセリングというものもすごく身近になったし。
感情の整理と自己開示
なんかその裏側にある
少なくともパナちゃんが学んだやり方のすごい意義っていうか
信頼できるなっていうところが安心感があるよね。
本当に専門家としての知見というかそういうのがある中で
カウンセリングって行われてるんだなっていうのを知って。
ラッキーですね。
本当そう思う。
そんな風に言っていただけると思う。
なかなか聞けない。こういう話は。
意味のあることだと思ってやってるけども
仕事上ではあまり意味を感じてもらえてない感じはいつもあるから
そういう意味ではすごく励まされたわ。
なんて言ったらいいんだろう。
そこまでカウンセリングを見せないところがあるなとは思う。
こんな大事なことを一言も言うわけじゃないんじゃない?
時間がかかることであり
しかも相性もすごくあり
関係性の中なので。
なかなか理解しづらいところかもしれないけども
でも専門的な知識がないとできないことなんだなっていうのは。
カウンセリングということとかケアのことだけじゃなくて
私はきっとバナちゃんをわりと長く付き合いがあると思うのだが
そのバナちゃんの歩いてきた道の筋っていうか
繋がっているということとか
自分との近さみたいなこともすごく気づけて
良き。
ありがとうございました。