こんにちは、小畑翔吾です。種市暁です。この番組、テクノロジーとカルチャーの種あかしでは、ファッション・ウェルネス・食・スポーツ・Web3など、感度の高い大人が気になるこれからの話題を日常目線で緩く語っています。
一緒にお届けするのは、BEAMS出身で今アフリープランナーとして活躍する種市暁さん。それぞれの視点でちょっと先のライフスタイルを考えていきます。
はい、2回目です。今回は種市さんのキャリアというか、その辺をちょっと聞いていきたいなというふうに思うんですけど、大丈夫ですか?
大丈夫ですよ。一応、まあそんな大したものはないですけど、前回のね、小畑君のエリーとかなんかベンチャーやってみたいな、なんかもう絵に描いたサクセスストーリー。
いやいやいや、全然そんなことない。
全く僕ない。一瞬で終わりますよ。
いやいや、なんで種市さん今オーシャンズとか、僕オーシャンズでよく考えたら知ったんですけど、種市さんに。
まあそこに至るまでどんなことやられてたかみたいなところを教えてもらっていいですか?
まあ下町の出身で東京の、高校が私服だった。
おお、はいはいはい。
で、靖国神社の隣だったんだけど、学校が。だから、私服だったから結構いろんなところにポコポコ遊びに出かけられちゃうというか隙を見つけて。
行けちゃうところがあって、それで洋服とかカルチャーとか割と好きになっていって、それで大学入って卒業するときに賞者とかいろいろちょこちょこ受けたりとかもしながら、
アメリカとかも行ってもいいかなって思って、洋服とか好きだったからサーフィンとか。
って思ってたんだけど、なんとなくビームスに受かって、で入って。入ったら面白かったから。
ずるずる20年ぐらいいて。
ビームス20年っすよね。
そう、だから小端くんみたいに軽やかに動いてないというか。
まあまあ。
ちなみに20年前のビームスってどんな感じだったんですか?
まあなんだろうな、テンポももちろん少なかったし、大きくなり始めたときぐらいじゃないかなビームスが多分。
俺が入ったときぐらいから確かそういう大卒の人たちとかもなんか面接の中に入ってきたじゃないけど、
なんか受けるようになってきた。本当に小端くんのビットフライヤーの会社の話と近いっちゃ近いのかな。
どんどんどんどん大きくなっていってる最中に自分が入ってたところで。
でまあその頃はもちろん今みたいなITの技術なんかないから、そういう棚卸しにしろね全部そういう細かいこと手書きでやったりしてたところはあったかな。
すごい牧歌的だったというか。
でまあ、ビームスが良かったのはさっき小端くんに軽やかにいろいろ動いていってっていう話したけど、
ビームスって下田社長って元々電通の出身で結構面白いこといろんなこと好きで洋服以外の。
でなんだろう多分洋服だけというかもうそののみでいったらもしかしたらね飽きて辞めちゃってたのかもしれないけど、
そこに付随するようなカルチャーというか面白いこと結構会社の中でさせてもらえたというか。
そういうところがあったから20年いたっていうのもそういうことかなっていうか今でも辞めたいと思って辞めたわけではないというか、
いろんなことが忙しくなっていったからそろそろあんまりね他のこといろいろやりすぎて会社にいるってのもあれかなって思ったから、
っていうところと更新にねみんなねディレクターってそんなになりたくてなれるもんでもないから。
なるほど。
っていうところかな。
ビームスは入られて何やってたんですか最初の方?
ビームスは最初はまあみんなそうだけど割とお店のスタッフというかお店のスタッフやりながらその中で呼ばれてというか
メンズカジュアルのバイングのちょっとお手伝いというかそういうのでアメリカに行かせていただいて、
あのショー見たりとかマジックショーっていうそういういろんなブランドが出展しているところ見たりとか買い付けのお手伝いさせてもらっていて、
ただまああの面白かったんだけど大きくなりすぎてた時だったら特にメンズカジュアルはものすごく大きくなってって分かると思うけど、
大きくなるっていうことはいろんな方々にまんべんなく売らなきゃいけないというか数字を作らなきゃいけない仕事でもあるから、
やっぱりそうなってくるとどうしても自分が好きだけでは済まされないというか、
これは売れるだろうとかこのトレンドだからっていう昔はもうちょっと仕掛けて発信することって多かったけど、
そういう意味では何となくちょっと合わせに行くというかそういうようなお仕事もする場面も結構あったりして、
でも僕は何となくまあそれは得意な人がもちろんいるしできるだろうなと思ってたから、
なんかちょっともっと面白いことをしたいなってちょっと思ってその当時できた物は売らないけど物は置くお店みたいな、
ビームスニューズっていうお店で、今もまあ新宿とかにもあるんだけど携帯を変えて、
その当時ビームスのプレスルームの横で、要はお店が売れてきて大きくなると商品たくさん詰め込まなきゃいけないから、
でもブランドって一個一個にそういうストーリーがあったりとかってあるでしょ、そういうのをちょっと掘り起こすというか、
要はこのブランドの服をこういう形でディスプレイして、そしたらこのブランドはなんかカルチャー的に音楽があるから、
ここと繋がっているバンドの人たちが来てちょっと演奏してエキシビジョンしようとか、なんかそういうようなことのお手伝いというか、
売上当たらないから、
売上ゼロってことですよね、そこで。
基本的にその店舗で売らないの。
途中から販売したりすることってあったかもしれないけど、当初は売らないで、ちょっと飾るだけというか、
店っていうか展示場みたいなことですよね。
そうだね、なんかまあまあすごい専用的なことをやってたのかもしれないなと、
それがでも広告にもなるしとか、そういう考え方もあったんだろうけど、
まあそういうところでいろんなエキシビジョンの運営のお手伝いとかさせていただいてて、
僕もお客さんとして行くんですけど、いろんな店舗あるじゃないですか。
あるね。
20年前がちょっと想像できないですけど、店舗数とかで言うと全然大きくなってるんですよ。
全然多いと思うよ、なんかもうちょっとあんまりいい加減なこと言えないけど、
自分が入った時はだって、まだ十何店舗とかだったんじゃないかな、おそらく。
それでセクションもそんなになかったから、
メンズカジュアル、そういうメンズのドレス、レディースのデザイナーズとか、
メンズデザイナーズ、そういうような感じではあったから。