バレンシアガ・ジャパンとゴールドマン・サックスとのジョイントベンチャー
ぼくらのスモールビジネスのコウスケです。
ぼくらのスモールビジネスのコウスケです。
先週の続きです。
人生で一番辛かった出来事は何でしたか?
事前のアンケートに答えました。
その時の1つ目の回答は、リーマンショックでした。
その話をお聞きしたいと思います。
リーマンショックは2007年にオープンしましたが、すぐにリーマンショックが来たのですか?
何が起きましたか?
まだ話はしていませんでしたが、2007年のミッドタウンのオープンと同時だったのかな?
ちょっと前だったのかな?
同時か。
バレンシアガ・ジャパンも作って、
もう1つはアメリカのゴールドマン・サックスが世界初で、
僕とジョイントベンチャーを作りました。
ちょっと待って。
謎すぎる。
ゴールドマン・サックスが、金額は言えませんが、
2桁多くのジョイントベンチャーを作って、
リスティア・インベストメントという不動産会社みたいなリーシング会社をゴールドマンと僕で作りました。
これから東京の芝浦の方かな、当時。
土地を買い占めようみたいな話をしていて、
そこに今自分がやっているブティックを移設しようという計画をしたんですよ。
大きな土地を買って、そのど真ん中にリスティアを移設する。
でもお客は皆さん来てくれる。
なぜかというと、当時変なバブってたんですけど、
全員車で来てたんで、うちのお客様は。
関係ない。
でも我々が芝浦に移動すると、お客様もついてくる。
相当な人がついてくる。
そうなると、その周りの土地の地価が上がる。
そこに街を作っていこうっていう。
計画をゴールダマンと六本木ヒルズで話して、
会社でね、南海に今もあると思うんですけど、
ここでやりましょうって。
でもアパレルにやるのは初めてなんですけど、ゴールダマン。
これが大ニュースになって。
街作りみたいな感じ?
最終的にはってことですよね。
最終的にはとんでもない。
とんでもないセレブリティタウンみたいな。
新聞にも出てきちゃって、今思うとバカなこと考えちゃうなと思うけど、
直接と間接の資金調達を500億集めようとしたんで。
当時で。ゴールダマンと組んで。
すごい。
まだね、芝浦の方はそんなに地価が上がってなく、
ちょっと向上したみたいなところがあったんで、
僕は全然あっちの方がいいかなと思って。
昔、ゴールドっていうクラブがあったのね。
昔ね、僕もあまり知らないんですけど、
それを再燃するような感じで街をね、
新しくしていったら面白いかなっていうのもあって、
それが多分2007年か、6年だったのかな。
ゴールダマンとジョイントベンチャー。
あともう一つ、バレンシアガとジョイントベンチャー。
で、シャネルさんもやり、フェラーリとか何とかもやり。
めっちゃ大変。忙しい。
ミッドタウンのセン・ヘヴェのお店やり、
上場準備に入ってて。
当時の売り上げが確かまだ70億ぐらいだったのかな。
上場準備にも入りながら、
ニュース性のあることもバンバン今組んでたので、
2009年あたり、8か9ぐらいには上場っていう感じで、
2000年ぐらいが上場準備に入ってたんで。
リーマンショックとの戦い
それが2008年の一瞬でリーマンショックっていうのがあって、
世界の金融がもうおかしくなっちゃった。
全部吹っ飛んじゃったんですよ。
当然、リーマンブラザーズと同類のゴールダマンサックスも同じ。
一気に逃げないといけないっていう状況なんで、
我々のジョイントベンチャーがしてる場合ではないっていう状況にもなるし、
当然そういうところは全員も次の日いなくなるぐらい首切られる。
早いな。
アメリカらがそうじゃん。
タタタタカれたら明日から来なくていい。
海外はね。
そんな状況で当然これも解消しようみたいな話にもなるし、
あと景気がやっぱり日本もグーッと悪くなるニュースがどんどん出てくるんで、
僕らもラグジュアルにバレンシア方がやってる場合じゃないみたいな。
だってそこにもとてつもなくこれからお金を投資しなきゃいけない。
5年間で出手もしなきゃいけないからやってる場合じゃないっていうふうになるし、
一方で僕らも倒産したんで。
だからもう一個ずつゴールダマンとも解消、バレンシア方も解消。
どんどんどんどん2008年、2009年やって方あれば終えないっていうのが話し合いをもとにね。
結構長く続くんですけど1年ぐらい。
弁護士交えながらね。
それも日本の会社だったのは簡単だけど全部外資だから。
それもとてつもない会社ばっかりなんで。
だって今ケリングですよグッチ。
グッチと戦うとか破壊するのにゴールダマンサックスと戦うとか半端ないでしょ。
半端ないでしょ。
経験しちゃったんで。
うわーこれやべえなみたいな。
その時はほんと。
でもそこまで巨大なとこと戦うと開き直れるのある。
家一緒だわみたいな。
開き直れたんですねそこで。
開き直った最後。
5億も10億も50億も関連はみたいな感じ。
関係ない。
だってもうあんまり言うとあれだけど内容証明書が僕の家にバンバン届くしちゃう。
木炭の賠償がバンバン。
うわー。
一歩間違われば裁判では負けるなみたいな。
怖い怖いギリギリライン。
そんなのもあってゴールダマンサックスもいくらかお金を入れたりしながら解消したり。
バレンシャガの方はある意味バレンシャガジャパンの社長も好意的にもういいよって揉めても仕方ないからって言って好意的に解消の方にしてくれたんですけど。
まあそうは言っても借金だけでドカーンって何十億台に残るじゃないですか。
何十億台で。
残っちゃったんだ。
残っちゃいました。
アリアみたいな。
アリア。
この金どうしようかなみたいな。
これ普通の仕事では返せないなみたいな。
でも景気悪い時なんでリーバーショックなんで。
返済月いくらとかなんですか?
いや月いくらだろうね。
分かんない。
でも35億ぐらいあったから。
毎月いくらかしたの分からない。
何千万かな。
それはそうでしょうね。
そうですよね。
どれぐらい言っとかないと追いつかないね。
であとは銀行八甲の部長とか当時支店長とかでみんなと融資関係者で。
それもねどうするっていう。
だからもう毎日の話したりとあと会食。
すごいよ。
どうしようかね。
でも皆さんやっぱり返してほしいっていう。
でも返してほしいって言ってもそんなもんないし。
いや待ってもらえないと困りますねみたいな。
でなんとかリーバーショックも少し1年ぐらい落ち着いてきて。
お店の方も少し回復してきたんで。
なんとか銀行の返済は返せれるぐらいまでなったんで。
ちょっと落ち着いたのね。
すごい。
1年で。
でもその後は今度2011年東北の震災。
ありましたね。
あれでまたドカーンと一瞬止まっちゃったじゃん。
だから今度はもう銀行がもう返せ返せっていう。
なんかまたスタートしてあーみたいな感じでしたね。
それなんかちょっと気持ち的というか健康的には大丈夫だったんですか。
例えば精神的に病んじゃうとかそういうことはあんまなかったんですか。
多分ね病むと思うよあれ。
病みますよね。
ちょっと一瞬逃げると絶対病むなと思ったもん。
なるほどね。
気を抜くとやばいみたいな感じですかね。
頭の中では大丈夫でも体がついていけない。
そうですよね。
体力的にしんどいんではなくて体が変なおかしくなってるっていうのを思った。
ストレスで。
うちに前出てくれた人のエピソードだとシャワーが痛かったとか言ってましたけど。
僕はなかったかもしれないけど。
そういうようなものが多分ね。
知らぬ間に体がなんかダメージ受けてるのはありそうですよね。
けどまあねそんなこと言っても24歳で創業した時から27歳の時までにもう何回も苦労が経験してたんで。
普通の人がいきなりそういう経験をするとたぶん吹っ飛んでしまうと思うけど。
20代の時にとてつもないもう自己破産的なことはしょっちゅう経験したんで。
自己破産しょっちゅうすごいですね。
あとヤクザに追いまくられたりとか。
大阪湾に沈むなっていうのはしょっちゅう25、6の時はあったんで。
だからそう思えばその時のあれはそこまでは思わなかった。
確かにヤクザに殺されるかどうかみたいなのよりはっていう感じなんですかね。
あんま出回ってこないヤクザから。
命までは取られんですね。銀行だったらね。
お店のレジのとこに包丁がバーンって当ててブルブルブルブルとか。
ララララみたいな。
映画や。
その時が一番あったんで。
リーマンの時はお金の面も大変だったけど若い時の苦労が教科書になってる。
どうにかなるだろうみたいな感じではあったね。
なるほどね。
でじゃあ何とかちょっとずつ返せるようになってきて東北の地震が来て。
もう全くダメで追いつかない。
これどうしようと。
また会社の秘書と他のスタッフにごめんまた考えなきゃいけないんでニューヨーク行ってくるわ。
今度はニューヨークだったね。
ニューヨークに1ヶ月間くらい旅に出ました。一人で。
今度は考えなきゃいけないんでホテルがねそれもねニューヨークも確か当時タイムズスクエアにあったそこもホテルダブルの一番上。
でニューヨークの摩天楼を見ながら下にはタイムズスクエアの迷路口があってどうやって返そうかなって。
そこでそれ考えるんですね。
どうしたらいいかななんか方法なんかないよなみたいな。
こんな返せる金額じゃないしなみたいな。
と思ってる時にあれもしかしたら返せるかもしれないって出てきたよポーンと。
一瞬で。
で僕当時ホールディングスっていう会社にしたんで当時はもう子会社が8個くらいあったんで。
1つの会社がすごく優秀な会社があって利益も相当出してたんですよ。
で僕はそこほとんど立ち回ってなかったんで僕がいなくてもその会社100パーの会社だったんですけど僕がいなくてもいけるなと思ったんでもう仕方ないんでもうこの会社をもう独立させようと。
っていうので売却しようとっていうのを考えました。
東北地震と売却計画
じゃあそれを売却って言っても結構高額な金額で売らなきゃいけないし。
そうですね。
どこに売ろうかなっていうのをまだニューヨークで考えてて。
どこが一番景気がいいかなと。
いろいろ考えてどこがこういうとこ欲しいかなっていうのも全部考えて。
別に専門家や問わず自分で。
自分で全部考えるんですね。
欲しくないですかってメールでやるとしました。
自分でやるんですね。
自分で。
で資料作って当然向こうに挨拶行くときは当時の当然CFOは連れて行くけど自分で全部やるんですよ。
交渉。
そうなんですね。
そうなんですよ。
すごい。
ファイナンスの専門家とかどっかに頼むとかっていうのは僕は一回もやったことないんで。
今まで。
クリエイティブのこととかだけじゃなくてそういう会社の売却とかも含めやっぱり自分で考えたいというか。
そうですね。
数値の資料作りとかは当然僕はやらないですけどどうしたら価値がつくかなとか。
この買ってもらう根拠は何なのかなってのは当然自分で考えなきゃいけないんで。
それが理にかなってれば相手も確かにってなるし。
ただ向こうも絶対安く買いたいってなるから。
どうしたらそれが安く買いたい。
値切らないかなっていうのも当然前もって考えておくし。
だから想定問答集は気が狂うほど考えるタイプ。
こう言われたらこう言おう、こう言われたらこう言おうって全部メモでパソコンの中に書いてずっと練習してたから。
すっごいな。
で、2対1問負けずここっていうのを問わざるを得ない。
問わざるを得ない状況に持っていくみたいな。すごいですね。
ただ売却って言っても相当な金額なんで、当然デューデリデンスに1年ぐらい、1年近くはかかるし、その間も大変だしね。
デューデリ中っていうのは結構大変なんですよ、精神的にも。
もう全部会社の中調べられるんで、専門家に。
だからもう長いんでね、半年とか。
ダメっていう時もあるんで、途中で。
気が気ではないって。
そうですね。
なんも出てくんなよって感じですよね。
ドキドキですね。
そうなんですよ。
リーマンショック後の対応
だからもう一方ではね、銀行からはそんなことは勧めてるとは言ってないんで、銀行の方はもうお金返せお金返せどうにかならないかっていう。
銀行には言わなかったんですか?
いや、銀行も言いつつ、でも言わないとこもあったし、でも言われたりもするし、少しでもみたいな。
でもまあ最終的には全部終わって、クローズした時に銀行に、もう一瞬で全部返したみたいな。
うわー、かっこいい。
銀行の人たちもえー、みたいな。
金ないって言ってたじゃないですか。
どこからこの金が。
いや、一瞬で返すからみたいな。
かっこよすぎない?
で、チャラです。
かっこいい。
一日で。
じゃあその、買ってくれるところももう美体値も負けずにいけたっていうことだったんですか?
会社も当然専門家が入ってるので、ディスカウント。
なんやかんやいってきますよね。
でも結局、会社の社長が交渉してるわけではないんで、最終的には。
雇われてるやつが交渉してるんで、やっぱり本気度が違う。
ここは、上手いことを無難にクローズすればいい人間なんですよ。
上手いこと言えばいいだけなんですよ。
それ分かってるんで、絶対勝てると思った、最初から。
なるほどねー。
かっこいい。
俺は絶対に借金を返さなきゃいけないから、この額は譲れないっていう、もうその気合が違いますよね。
だから途中で、さっきの見たんじゃないけど、じゃあやめましょうって逆に言っちゃう。
ないって、これが無理だって。
これしかできない、言うしか言いようがないもん。
じゃあ、縁が無かったということでみたいな感じですね。
この会社の価値を一番分かってる人の言葉ですもんね。
こんなの通じないわけがないというか、反論できないわけがないって感じですよね。
だから相手の立場も当然色々とあると思うし、皆さんがどういうことが一番願ってるかも当然自分で考えなきゃいけないし、
変にこちらが強気で出るわけでもなく、相手のことも考えながら一番理想的なクローズがいいなと思うんで。
なるほどね。
だからそういう意味では意外とみんなに嫌われないです。
真摯ですね。
意外と好かれます。
いやいや、絶対好かれるでしょう。
新たなビジネスモデルの構築
すごいな。
リーマンを発端に色々。
全てがリーマンで、計画が上々も吹っ飛んで。
借金が残り。
借金も残り、全部上位弁は解散しなきゃいけない。
あと銀行も法務を解決しなきゃいけない。
あと最後2013年に売却して、借金はゼロになったけど、やっぱり稼ぎ頭がなくなる。
そうですね。
そうなると本体も大変って思った時に、やっぱりファッション業界、当時で20何年やってたのかな、
50いくつの時だから25年くらいやってきた時に、時代が変わってきたなって自分も思ってきて。
昔楽しくやってたファッション業界と、なんとなくダラダラやってきたけど、
ふと思った時に一回リセットしたいなと思って。
もう一回ファッションをやりたいけど、今の形じゃないなと思ったんで、その時に最後。
あともういずれこのままダラダラやってても未来がないんで、
会社ごと、本体ごとを売却を次は考え出したっていうのが2015年。
そこで今のリステアを僕が売却して、今去ったっていう形。
なるほど。で、今の246っていうとこ。
でも2015年に会社は売却して、現にトゥモロランドに参加になってるんですけど、
3年ちょいからはそのまま引き継ぎで行って、2019年からに引退しちゃったみたいな。
なるほど。
なるほどなるほど。そうなんですね。
一応ロックアップ期間が3年あったってことですか?
2年とか3年で。面白いっちゃ面白かったんだけど。そんな感じですね。
で、2019年に辞めて、夏から。じゃあ新しいこと考えてやろうって。
休まないんですか、そこ。2019年に。
いや、休んでたけどやっぱり考えちゃうんだね。
いいっすね。
それとあと辞めた後、もともと鎌倉に、今サーフィン僕趣味なんで、
もともと六本木の方に住んでたんですけど、波があるときだけ鎌倉の方の家に行ってたんですよ。
で、2019年辞めた後、東京にいても仕方がないんで、ちょっとサーフィンばっかりやろうと思って、鎌倉の方にこもってたんですよ。
で、ビジネスモデルを考えて、新しい。じゃあやろうかなと思ったら2020年、コロナになっちゃったでしょ。
それでスタートが全部遅れちゃって。そうなんですよ。
1,2年もこもらざるを得ないっていうところですかね。
まあでもそれは良かったのかもしれないけどね、充電期間としては。
すごい素敵なお家です。
いい。サーフィンには適してる。海の前なんで。
いいですね。サーフィン三昧だったんですよ、コロナ時期は。
コロナ時期はね。
そうですね。ちょうど良かったですね。東京みたいに混んでないし。
混んでないし、もう普通にマスクなしに海まで行けるし、歩けるし。
人口密度が違いますからね。
逆に東京の友達がコロナ中、みんな極の上に遊びに来るんで。
逆にそれは怖かった。コロナになるんじゃないかなって。
自分がね。
入ってくる瞬間、なんか知らないけど無意識に俺ファブリーズをかけてた。
それでも意味ねえよなって思えるから。ファブリーズじゃないんだけど。
246の立ち上げ
ファブリーズ。すっかり田舎の人みたいになってる。
特に若い人が降りてきて超怖かった。
いやでもドキドキしちゃいますよね。
10メートルくらい近寄らないでみて。
君たち大丈夫だけどって。
まあそうですよね。
2020年はね。
なるほど。
それで今仕掛けているのが246で。
この辺はさらりと言える範囲でちょっとだけ教えてくれると。
今各、僕の友達のデザイナーもそうなんですけど、
やっぱり皆さんショピファイとかeショップをブランド作ると絶対作るじゃないですか。
そうですね。
それをどうやって集客しなきゃいけないかっていうPR手法を皆さん悩んでるみたいで、
一生懸命皆さんインスタグラムとかにあげてるんですけど、
なかなかやっぱり思いがね、それを欲してる人に届かないんじゃないかなっていうのは考えてて、
そういう方たちの商品とか、そのようなものを欲してる人をつなぐプラットフォームを作ってみようかなと思って。
でもある意味、以前やってたセレクトショップも、
僕はブランドの商品とお客様をセレクトショップというプラットフォームでマッチングしてるだけの仕事だったんで、
これを今回はデジタル上で展開してみようかなっていうのが246っていうサイトをね、立ち上げたきっかけですね。
ただそれも自分たちでは今在庫持たず、各ブランドのカートに直接送客するっていう。
だからもうメディアを、新しいメディアが作れればなっていうのが感じですよね。
今僕が辞めた後でも東京のお客様から、特に誰々の誕生日なんだけど、今男性だと何送ればいいかなとか、
相談はよく受けるんですよ。
あと彼女がもうすぐクリスマスなんだけど、高橋さん何がいいかな、今流行ってるかなとかっていうのがやたらLINEで来るんで、クリスマス前とか。
ちょっとうざいなと思った。こんなのいちいち俺がこれがいいよ、今これ送るとセンスあるって言われるってめんどくさいなと思ったんで、
これを代わるプラットフォームを作ろうと思ったのが246なんですよ。
なるほどね。
ギフトがすごい楽にしてあげようと思って。
でもすごい人からLINE来るんだろうな、きっと。
いやすごい人でしょうね。
そんなあれですよね。あまり言えないですけど。
言えない人。
あとそういう方たちってやっぱりギフトがすごい多いみたいで、毎週ぐらいあるみたい。
誕生日から手土産から。
あと誕生日もすごいじゃん。特にこの港方の人たちは。やっぱりすごい困ってんだな。
あとそこで自分で選ぶのも大変です。
あと特に会社の社長さんとか、送り物って多いんですけど、そういうのを秘書の方に頼んでも秘書もそこまではわからないし。
それを秘書に渡せばすごく助かりますよっていうのを今作ってるっていう。
なるほど。
まだスタートしてばっかりなんですけど。
それでみんなが便利に思ってくれたらいいかなっていうところですかね。
めっちゃ楽しみですね。
めっちゃ楽しみですね。
やってることは変わらないんで。
はい、じゃあこんなもんですかね。2週目おしまいということです。壮絶なリーマンショックのお話。
頭痛くなるね。
今収録始めて1時間半ぐらいですけど、濃密です。
3週目は企業当初ですね。さっき役剤やらどうやらっていう不穏な言葉がたくさん出てましたが、そのあたりのお話を改めてお伺いできたらなと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
どうも今週もありがとうございました。
ありがとうございました。