レクチャーシリーズ「核時代を生きる」(全13回)は,核時代を生きた様々な人々を取り上げて,核兵器の歴史を多面的に理解することを目的としています。その第2回となるこのエピソード「原爆構想の始まり」では,原子物理学が急速に発展した1930年代に原子爆弾製造の可能性を思いついた科学者たちの考えと行動,ならびにその時代背景について解説します。
なお,このエピソードは,私(たな)が2017年度後期に大学で行った講義「科学技術と現代社会 第2回 原爆構想の始まり」の録画ビデオを元に作成しました。途中,テレビ番組の一部を観てもらう部分がありますが,そこは省略しています。
ビデオでは,スライドを示しながら説明していますので,そのスライドを下に掲載します。文字起こし欄に,そこで参照してほしいスライドの番号を【スライド1】などと記載していますので,必要に応じて参照してください。
また,録画ビデオ自体も下に掲載していますので,必要に応じて参照してください。
最後に,参考文献を掲載しました。
スライド
スライド1

スライド2

スライド3

スライド4

スライド5

補足と訂正:シラードがナチスに対抗するためにアメリカに原爆をつくってもらおうと考え,有名なアインシュタインの名前でルーズベルト大統領に手紙を出してもらおうとした,と言っていますが,実際の事実関係はもう少し複雑です。実際は次のような話のようです(『シラードの証言』109ページ以降による)。シラードは初め,ベルギー領コンゴにあるウランがドイツに渡らないように,ベルギーのエリザベート王太后(前の王妃)の知り合いであるアインシュタインにエリザベートへ手紙を書いてもらおうと考えたのですが,シラードの知り合いのストルパー博士に相談すると,ザックス博士を紹介され,シラードがザックスに相談すると,ザックスは自らルーズベルト大統領に手紙を渡すと言ってくれました(この経緯から,ザックスはシラードの直接の知人ではなかったようです)。そこで,ベルギー女王に手紙を出すのではなく,ルーズベルト大統領に手紙を出すことに変更されたようです。また,手紙の草稿は,アインシュタインが口述した草稿もあったようですが,結局はシラードが書いた2種類の草稿(短いものと長いもの)の両方にアインシュタインが署名し,長い方の手紙がザックスによって大統領に手渡されたようです。また,アインシュタインは大統領宛の手紙を出すことを躊躇したと言っていますが,これは私の思い込みからきた誤りで,実際は「喜んでこの仕事を引き受け」たようです(『シラードの証言』112ページ)。
スライド6

スライド7

スライド8

スライド9

スライド10

録画ビデオ
授業で上映したビデオ
- 「アメリカの20世紀 2 第2次世界大戦と原爆開発」NHK衛星第1,2000.12.24放送。
参考文献
- 山崎正勝・日野川静枝編著『原爆はこうして開発された』増補版,青木書店,1997年,第1章「原爆構想のはじまり」。この本は,アメリカの原爆開発に関する基本的な文献です。
- レオ・シラード(伏見康治他訳)『シラードの証言』みすず書房,1982年。1930-1945年のシラードの回想と書簡を収めたもので,原爆開発当時のシラードの考えと行動がよく分かる貴重な史料。
- 1939年8月2日付ルーズベルト大統領宛アインシュタイン書簡(山極晃ほか編『資料マンハッタン計画』大月書店,1993年,4-5頁)。原文:Albert Einstein –> FDR – 8/2/39 (Franklin D. Roosevelt Presidential Library and Museum) 参考和訳:アインシュタイン=シラードの手紙(ウィキペディア)
- フリッシュ・パイエルス・メモ(山崎正勝・日野川静枝編著『原爆はこうして開発された』増補版,大月書店,1997年,5-11頁)。原文:[1] Frisch-Peierls Memorandum, On the Construction of a “Super-bomb” based on a Nuclear Chain Reaction in Uranium, March 1940; [2] Frisch-Peierls Memorandum, Memorandum on the Properties of a Radioactive “Super-bomb”, March 1940 (atomicarchive.com)