N高等学校の革新
先週のカンブリア宮殿で、N高等学校が取り上げられていました。
KADOKAWAとドワンゴが設立した通信制の高等学校です。
この学校は通信制ということですが、従来の通信制の学校、教材を送ってきて、教科書などですね、
あるいは放送授業というのもあるかもしれませんが、そういうのを受講して、それで何か課題を送り返すというような、
そういう従来型の通信制の学校とはイメージが全く違いまして、インターネットを使ってオンライン授業を受ける、
また、学校に通学して、そこで自分の好きな勉強をする、そういうことも可能である。
それから、学習指導要領で決められたような内容だけではなくて、それ以外にも様々な学びの場を提供し、
またスクーリングでは沖縄にある本校に合宿をする、そういったこれまでの通信制の高校のイメージを一変するような、そういう学校が紹介されていました。
N高については名前は前から聞いたことがあって、それなりに知ったつもりになっていましてけれども、
実際に教育の内容を映像で見まして、やはりこういう既存の学校とは違ったところから新しいものが出てくるのだなと。
KADOKAWAとドワンゴという、それまで教育業界とは違うところで、エンタテインメントで仕事をしていたところが、学校を作るということがとてもいいことなのだなと思いました。
この学校を作ろうとした方は、今校長なんですけれども、通信制の高校の先生だった人でして、
ニコニコ動画を見て、こういう動画にコメントを書き込むことができ、それがスクリーンで流れていくというやり方がとてもいいのではないかと考えて、
ドワンゴに掛け合ったということなんですね。
私も実はニコ動画とかニコ生とか、コメントがスクリーン上に出てくるというのはとても面白いと思いまして、
実はあれから着想を得て、私のMOSTフェローのときの研究ですね。
私はそれを授業SNSと言っていたんですけれども、学生が受講しているときにSNSに投稿し、それが教員が教えている教室の前のスクリーンに映し出されるという、そういう試みをやってみたわけですけれども、
ということで、とても私にとってもすんなりいいなと思える、そういう感じの学校でした。
他にも小学校、中学校でもユニークな教育をやっている学校は増えてきまして、
小中高でこのような学習指導要領という縛りがある中でいろんなことをやっているにもかかわらず、なぜ指導要領の縛りがない大学ががんじがらめになって自由なことができないのかなというふうに思うんですね。
これが私の今のもやもやの最大の原因になっているわけです。もう大学はだめなのかな、そんなふうにも思ってしまうんですけれども。
でも先ほどのN高の学校法人でしょうかね、ともかく設立母体が今度は新しくZEN大学、「ぜん」というのはZENというふうにローマ字で書くんですけれども、ZEN大学という大学を設立するということで、
再来年開校を目指して準備をしているということでした。どんな大学になるのかとても楽しみしているところです。ということで、TanaRadio第10回始めたいと思います。
大学の終焉とその意味
今日のテーマは、「大学はもう終わっているのか?」というちょっと後ろ向きな感じのするテーマについて話してみたいと思います。
私はこの大学はもう終わっているという言葉、これを聞いてですね、その通りだなというふうに思ってずっとこの10年以上大学の教員をやってきました。
この言葉が出ていた、この言葉を読んだ本がありまして、それがちくま新書の『フューチャリスト宣言』というタイトルの本です。
梅田望夫さんと茂木健一郎さんが対談をしている、それを本にしたものでして、2007年に出版されているものです。
これを私は2010年に読みまして、小見出しに「大学はもう終わっている」と書いてあって、あっと思ったんですね。
そうだと、このタイトルを見ただけで同感してしまったんですが、そのことが書かれている部分をちょっと紹介してみたいと思います。
茂木さんがですね、こういう発言をしています。
「大学というシステムが終わっていることは体感でわかるんですよ。
つまり、クラスルームに行って講義をするまではいいのですが、その後宿題を出して、レポートや試験の採点をして成績をつけるという一連のプロセスが全くナンセンス。
学生の時は意味があると思っていたけれど」、と言いますと、梅田さんがですね、こう言います。
「僕は学生の頃、最後までいい成績を取ろうと考えていたんだけれど、ある時、これには何の意味があるんだろうと思い始めた。
でも、きっと何か意味があるんだろうと思って最後まで頑張ったんですが、結局意味はなかったですね」
と続けています。
そして、茂木さんがこう言います。
「おそらく教える側からしても全く意味がないと思いますよ。本音を言えばしょうがないからやっているんでしょう」
と、また答えているんですね。
私が学生の頃、いい成績を取ろうなんていうふうに考えたことは全然なかったので、
茂木さんや梅田さんがですね、学生の頃意味があると思っていたというのがちょっと驚きですけれども。
私が学生の頃、特に専門課程ですけれども、特に努力しなくてもだいたいAがついたんですね。
ですから、いい成績を取るために何か努力をするということは全くした覚えがないんです。
基本的に出たい授業に出て、出たくない授業には出ない、そういう学び方をしていたんですね。
で、この大学のシステム、これ学生の時から疑問には思っていましたけれども、
でも大学の教員になってこのシステムに合わせざるを得なくなりました。
ですので、成績をつけたり、そのためにレポートを課したり、試験をしたり、採点、大変ですけれども、やったりですね。
ずっとやっているんですけれども、茂木さんが言っているように本音を言えばしょうがないからやっているという、まさにその通りなんです。
で、ずっと疑問に思っていましたが、やっぱりこの疑問は今でも解消をしなくて、こういうことをやっているというのは無意味なんじゃないかというふうに強く思っています。
成績評価というものがなくなり、単位取得というものがなくなり、そして卒業というそういう仕組みがなくなれば、どんなに大学は自由になれるだろうかというふうに考えるようになりました。
それがどうもまだまだなくなりそうにないので、大学はもう終わっているというふうに言われると、そうだなというふうに思ってしまうんです。
ではどういうのがいいのか。これ前に私塾というキーワードで、梅田さんとそれから齋藤孝さんの本を紹介しました。『私塾のすすめ』という本があって、その中で私塾がウェブ上でも実現できるという話がありましたが、
その話がですね、あの本が出た1年前のこちらの『フューチャリスト宣言』の中で梅田さんがもう少し具体的に話しているので、そこもちょっと読んで紹介したいと思います。梅田さんはこう言っています。
「最近、いろいろな大学から『うちで教えてくれないか』というお誘いを受けているんですが、すべてお断りしています。何で断るかと言ったら、たとえば日本の大学で教えるとなると、生活の変化や授業の準備も含めて莫大なエネルギーを使うわけです。
そのエネルギーがあったら、他にできることは何だろうと考える。リアル世界で教える代わりに、インターネットに向かってそのエネルギーを全部込めて、僕が考えていること、今世の中で起きていることについて、ネットの向こうの読者と一緒にひたすら考え続けます」と言っています。
で、茂木さんが、「その方が効率がいい」と答えて、さらに梅田さんはこう言っています。
「仮にその大学が日本の一流大学であっても、そのクラスで僕の授業を聞きに来る五〇人よりも、もっと直接的に僕の話を聞くことを熱望してくれる人がネット上では集まってきます。
僕があるエネルギーを込めて書いたら、どのぐらいの人がちゃんと見に来てくれて、反応が返ってくるかというのは、インターネットで4年もブログを書いていればわかります。
僕は二〇〇三年から二〇〇四年に実験していたんですよ。
CNET JAPANというところで、「英語で読むITトレンド」というブログ連載を持って。あれはけっこう狂気の連載で、毎日毎日とにかく大量に書きました。
これは最初二〇〇〇人くらいの読者だったのが、最後は一万五〇〇〇人から二万人くらいまでいって、アクセス解析を見ていると、企業人が忙しい仕事の合間の昼休みの一二時頃に読んでくれていたりとか、全部ライブにわかるわけです。
あの連載がきっかけで、新しいことを始めたというような人たちも、後でたくさん会った、大学でいやいや教室に来る学生と付き合っている時間はないという気持ちも持っています」。
このように語っているんですね。この大学とは違った学びのあり方、あるいは教育と言っていいんでしょうか、こういう教える側のあり方というものに私はとてもひかれるものがあるんですね。
新しい学びの可能性
で、こんなことがもう今の大学ではできないんだろうか、と絶望的な気持ちになってしまうんですが、しかし先ほど紹介したZEN大学というのはN高から発展したようなものですから、当然オンラインの授業というものを重視していると思うんですね。
そうしますと、まさにここで梅田さんが言っているような、その授業を本当に学びたい学生が集まってきて、教員が真剣に話をする。
そのとき関心を持っていることについて全力で持っているものを全てそこに注ぎ込んで熱く授業をする。そういうことが可能なのではないかな、そしてきっとそこでそういう授業が行われるのではないかなというふうに期待を持ってしまうんですね。
実際どんな大学になるかはできてみないと分かりませんが、おそらくN高からそのZEN大学に進学する学生もたくさんいると思いますので、多分うまくいくんじゃないかと私は予想しています。
このようにですね、大学というのは新しいことが外から入ってくる、大学の外のところで新しいイノベーションが起こって、それが大学に影響していくというそういうパターンは歴史上もあるわけでして、
私が科学史の授業でルネサンス期を扱うときに、当時の新しい学問は大学の外で発展したということを学生に強調します。
中世以来の大学というものが古い学問を守り通すそういう場であるのに対して、新しい学問を行う、当時アカデミーというのができ始めたんですが、そういうところに集まった学者たちが新しい学問を進めていったんだと。
これは今日でもそうなんじゃないかな、もう終わっていると言われるような大学がもしかしたらここで再生するのかもしれないなという希望も少し湧いてきて、私も何かそういう流れに乗れないかなというふうに考えています。
ということで、今日はこのへんで終わりにします。