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2026-07-03 19:02

373 講義 | 「ほどよい」技術

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この音源は、最近収録した今学期の「科学と技術の社会史」の講義(ビデオ教材)の最後の部分です。現在製作中のTanaRadio Piの話も出てきます。

#講義 #TanaRadioPi

サマリー

1970年代に提唱されたオルタナティブテクノロジーや適正技術の思想は、イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティ」という概念に繋がり、講演者はこれを「ほどよい技術」と訳します。イリイチは自転車を「ほどよい技術」の具体例として挙げ、人間の能力を拡張しつつも過剰ではない道具の重要性を説きました。現代の技術が「過剰な技術」に陥りがちであると指摘し、人間から生きる力を奪わず、依存させない「ほどよい技術」の必要性を強調します。特に生成AIとの関係においては、主従関係ではなくパートナーシップを築くことで、人間の能力向上に繋がる「ほどよい」活用が可能になると提案。講演者自身のTanaRadio Pi製作を通じて、AIが素人の技術習得を助け、「ほどよい技術」の普及に貢献する可能性を示唆しました。

1970年代の技術思想とイリイチの「コンヴィヴィアリティ」
1970年代の科学技術批判の中で、もう一つの技術というものが出てきたことをお話ししました。
オルタナティブ・テクノロジーとかアプロープリエット・テクノロジー、両方略称ではATとなりますけれども、
こうした技術について、いろいろな思想家、理論家が新たな技術の在り方について、いろいろと考えを発表していました。
そうした考えが実際に実現したかというと、それほど大々的に実現したわけではありませんが、
でも、例えばオルタナティブ・テクノロジーでは、再生可能エネルギーといった、例えば風車などですね、
そういった新しい、いわゆる自然に優しいなどといわれるテクノロジーが発展したなどの事例はありますし、
また適正技術ということでは、発展途上国への技術支援などで一部実現していた、
あるいは今でもそういう事例はたくさんあると思いますが、
しかし、どれも技術全体について考えれば、それほど大きな変化をもたらしたものではなかったと言えるかもしれません。
けれども、当時の、つまり1970年代に生まれた新たな技術思想は、今日でも見直されることがあります。
その一つに、イヴァン・イリイチという人が唱えた、コンヴィヴィアリティという考え方があります。
コンヴィヴィアリティというのは、日本語に非常に訳しにくい言葉ですけれども、
私は大胆に言い訳しまして、ほどよいことというふうに訳し、コンヴィヴィアルなテクノロジーというのをほどよい技術というふうに訳したらどうかと考えています。
コンヴィヴィアリティというのは、非常にいろんな意味を合わせ持っている言葉ですので、
ほどよいという言葉で表現できるようなものではないのですけれども、
でも、このイリイチが言っていることの本質を日本語のほどよいというわかりやすい言葉が表しているのではないかというふうに思いまして、
つい最近思いついたのですが、この言葉を使い始めています。
イヴァン・イリイチと「ほどよい技術」の具体例:自転車
これはどういう考え方なのかということをここで皆さんに紹介したいと思います。
まず、イヴァン・イリイチという思想家ですけれども、1926年に生まれて2002年に亡くなった方ですが、
1970年代にいろいろと世界に影響を与えるような考え方を発表していました。
その中の一つに、『コンヴィヴィアリティのための道具』というタイトルの本があります。
1973年に原書が出版され、日本語訳はいろいろとあるのですけれども、一番新しいものは2015年に出版されています。
つまり、もう何十年も経ってからまた新しい訳が出るというぐらいですから、
それだけ内容的にも、今日でも古びていないものを含むというふうに考えていいのではないかと思うんですね。
そのほどよい技術とかほどよい道具というふうに言われているもの、こう言われてもピンとこない人が多いと思いますが、
その事例としてイリイチは自転車をあげています。
移動のための手段ですね。
そして自転車というのはこのほどよい技術、ほどよい道具なんだというふうに言っているのです。
これは自転車はそれ自体では動き出しませんね。
人間が乗ってバランスをとりながらペダルをこぐことによって動くことができる。
そういう意味では、人間と道具が一体化してうまくコントロールするというか、
自分の思う通りに動かすことができる、そういう部分もありますし、
また、スイスイ歩くのとは全然違うスピードでスイスイと走ることができるという意味では、
これはやはり非常に人間の能力を拡張するものでもあるということで、
しかし自動車のように、例えば事故を起こしたときに非常に大きな被害が出るとか、
排気ガスなどで環境を汚染するとか、そういうようなことは自転車はないわけですよね。
また自転車が走るためにさまざまな大規模な施設を作る必要もない。
自動車の場合は例えば道路を整備しなければうまく走れないわけで、それだけでも非常に巨大な投資が必要なわけですけれども、
自転車は道路が良ければもちろんいいですけど、道がそんなに良くなくても走れる、などいろんな意味でほどよいわけです。
行き過ぎていない、過剰ではないということですね。
「ほどよい技術」と「過剰な技術」を区別する6つの観点
これは一例なんですけれども、このほどよい道具と行き過ぎた道具、これを対比してみるとどうなるかということで、
ここでは緒方壽人さんという方が2021年に出版した『コンヴィヴィアル・テクノロジー』というタイトルの本から私なりに抜粋して教にしたものがあります。
ほどよい道具、コンヴィヴィアルな道具というのは、人間が他者や自然との関係性の中でその自由を享受し、創造性を最大限発揮しながら共に生きるような状態を実現するというふうに大型さんは表現しています。
それに対して行き過ぎた道具というのは、人間が道具に依存し、道具に操作され、道具に連続しているような状態になってしまうということですね。
イリイチは現代の様々な道具がこの行き過ぎた状態になっているんじゃないかということで、現代の技術を批判していたわけです。
単に技術を批判するだけではなくて、それに代わるものとしてのコンヴィヴィアルな道具というものを提唱したわけですが、
ただ、具体例が自転車だけだとピンとこないという人も多いと思うんです。
ですが、これはやっぱりいろんな技術、いろんな道具でこのほどよいものと行き過ぎたものというのはあると思うんですね。
ですので皆さんもちょっと考えてみてくれるといいかなと思います。
次に、ほどよい技術と過剰な技術はどう区別できるのか、どこで違いが出てくるのかということで、
イリイチが言っていることをもとに緒方さんがまとめた6つの観点がありますので、それをここに紹介します。
まず一番目に、人間から自然環境の中で生きる力を奪っていないかという観点です。
つまり、技術が過剰になると人間は自然環境の中で生きる力を失っていくということですね。
技術に依存してしまって、自分では何もできないというような状態になってしまうようなものは過剰な技術であるということです。
例えば自動車ということについて言えば、自動車にばかり乗って歩かないと、歩いたり走ったりしないと足の筋力が弱まりますよね。
ですから、まさに歩くというのは生きる力の非常に重要な部分ですが、それを奪ってしまうことになります。
それに対して自転車はどうでしょうか。
自転車は足を動かさなければ進みませんから、当然脚力を鍛えることになりますよね。
ですので、ここでも自転車と自動車で差が出てくるわけです。
2番目、他に変わるものがない独占をもたらし、人間を依存させていないかということですね。
過剰な技術は独占をもたらすということですね。
それに依存させていくということで。
これもですね、ちょっともう例を出すのは難しいので説明しませんけれども、皆さん考えてみてください。
3番目、プログラム通りに人間を操作し、人間を思考停止させていないかということですね。
4番目、操作する側と操作される側という二極化と格差を生んでいないかということ。
5番目、すでにあるものの価値を過剰な速さで、ただ陳腐化させていないかということ。
そして最後に、その技術に私たちはフラストレーションや違和感を感じていないかということ。
この6つの点で技術を見てみるとですね、現代の技術は結構これに当たはまるんじゃないかと思うんですね。
つまり過剰な状態になっているということです。
現代における「ほどよい技術」の考察:生成AIとの関係性
では過剰じゃないほどよい技術というのはどういうものなのか。
これを考えていく必要があるのではないかなというふうに私は思うんですね。
イリイチが言っていることを現代に生かす非常に重要なポイントかなというふうに思っています。
例えば、私の講義で生成AI活用入門というのを前にやりましたけれども、その中で言ったこともこれに関係すると思います。
私たちがAIを使うときにどういう関係をAIと持てばいいか。
これが主従関係だと良くないというふうに私は言いました。
つまり私が主人でAIが奴隷のようなものとして、自分が命令してAIに何でもやらせるという関係。
これはですね、楽でいいようなものですけれども、でも何でもやらせると結局自分の能力が低下してしまうんですね。
先ほど生きる力を奪っていないかという話がありましたが、まさにAIは人間から生きる力を奪うものになってしまいがちなんですね。
だからここは本当に気をつけなければいけないものだと思います。
AIの能力が高まれば高まるほどそういう危険が高まりますね。
そこで私は、AIとの関係はパートナーシップの関係がいいというふうに言いました。
AIをパートナーとして、AIと対話をする。
その中でAIからいろいろなものを教えてもらい、吸収して自分自身がより知識や能力を高めていく。
そうすると自分とAIが一体となって一回り自分が大きくなったような、そういう感じになりますね。
これはまさに人間が自転車に乗って自分が移動する能力が一回り大きくなるようなものです。
これを知的な部分でやるのがAIなんじゃないかなと。
だからこれが自転車に、例えばエンジンをつけてオートバイのようにしますと、
これは漕がなくてもものすごいスピードで進んでしまうわけですよね。
これは危ないわけです。
ですからAIもパワーが、あるいは能力が高まれば高まるほど非常に危ないものになっていくような気がします。
ですからあえてAIを使うときに能力の低いものを使うという選択肢もあるのではないかな。
あるいは高い能力のものでもその能力を100%使わないという、そういう使い方があるのではないかなというふうに私は思っています。
私の「ほどよい技術」プロジェクト:TanaRadio PiとAIの可能性
さてもう一つ、私に関連するほどよい技術、ほどよい道具の例をここで紹介したいのですが、
それはですね、TanaRadio Piというものです。
当然聞いたことがないと思うんですけども。
これはですね、私が今この話をしている、2週間前ですね、ちょうど2週間前から始めたことで、
これ何かというと、ラジオなんですね。TanaRadio Piというのはラジオ受信機なんですけども。
ただ普通に電波を受信するのではなくて、インターネットラジオ、ポッドキャストとも言いますけども、
ポッドキャストを受信して、それでこのラジオの機械から音を出す、
そういうものを作ろうとし始めているわけです。
このポッドキャストというのは今はですね、スマホで簡単に聞けるんですね。
このスライドの左下に図を示していますけども、
スマホにポッドキャストのプレイヤーを出してボタンを押せばすぐにいろんなポッドキャストの番組を聞くことができます。
スマホを持っていれば特に何も必要ないものなんですね。
けれどもそれをあえて電波を受信して音を出すようなラジオ、このスライドの右下にあるようなですね、
こういうラジオ受信機からポッドキャストを聞きたいというですね、そういう欲求が私の中に湧いてきまして、
これを自分で作ろうと、買おうと思っても売ってないんですね。
ですから自分で作ってしまおうと思って、それで小型のコンピューターであるRaspberry Piというのが2万円ぐらいで売ってますので、
これを買ってそれに部品をつなげてプログラムを入れてですね、
それで箱に入れればこういったラジオができるだろうということで作り始めたわけです。
まだまだ完成までは至っていませんけれども、でもAIの力を借りて、
私の先生はAIで、AIに何でも聞いて教えてもらいながらやってますけれども、
AI時代というのはこうやって、それまで素人がちょっと手を出せないようなことにもですね、
AIが先生役となっていろいろ教えてくれる時代になりました。
それによって技術の素人もですね、かなりいろんなことができるようになった時代ではないでしょうか。
ですので、AIというものが出てくることによって、
ほどよい技術というものはいろんな形で花開いていく、
そういう可能性があるのではないかなというふうに私は思っているんですね。
皆さんはどう思うでしょうか。
19:02

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