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367 ブログ | TanaRadio Piは「ほどよい」ラジオなのかもしれない
2026-06-26 19:48

367 ブログ | TanaRadio Piは「ほどよい」ラジオなのかもしれない

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私がTanaRadio Piを作る意味をさらに考えてみました(チャッピーが書いた原稿を読んでいます)。

#TanaRadioPi

サマリー

TanaRadio Piは、Raspberry Piを使ってポッドキャストをラジオのように聞く装置です。スマホで簡単に音声を聞ける現代において、なぜあえて不便な方法を選ぶのかという問いから、このプロジェクトは始まりました。本エピソードでは、TanaRadio Piを鉱石ラジオの「自作性」、自由ラジオの「場所性」、そしてイヴァン・イリイチが提唱する「コンヴィヴィアリティ」(ほどよさ)という3つの視点から考察。ポッドキャストを単なるデータではなく、自分の手で作り、生活空間の中で鳴る「ほどよい」声にするための実験装置としての可能性を探ります。

TanaRadio Piの紹介と「なぜ作るのか」という問い
たなです。今日は今作っているTanaRadio Piについて、少し考えを整理して話してみたいと思います。
TanaRadio Piというのは、Raspberry Piという小さなコンピューターを使って、ポッドキャストをラジオのように聞くための装置です。
今のところ、Raspberry Piの電源を入れると、自動でLISTENのTanaRadioのページが開くというところまで来ています。
ボタンをすでにつけて、ボタンを使ってブラウザ上のプレイヤーを操作するところまで来ました。
これからさらにつまみをつけて、音量を変えたり、あるいは番組を選択したりすることができるようにし、さらに見栄えの良いケースに入れて、ラジオとして使えるものにしたいと思っています。
これは普通に考えるとかなり遠回りです。
ポッドキャストを聞きたいだけなら、スマホで聞けばいいわけです。
スマホなら簡単です。
音質もいいです。
どこでも聞けます。
アプリを開いて、再生ボタンを押せば、それで済みます。
なのになぜ私は、わざわざRaspberry Piを使い、設定をし、配線をし、ボタンやつまみをつけて、ラジオのようなものを作ろうとしているのでしょうか。
これは自分でも不思議に思っていました。
便利な方法があるのに、なぜ不便な方法を選びたくなるのか。
世界中どこでも聞ける音声を、なぜあえて特定の場所で鳴らしたくなるのか。
ただ聞くだけなら簡単なのに、なぜわざわざラジオを作りたくなるのか。
この問いを考えていて、ふと思ったことがあります。
鉱石ラジオ、自由ラジオ、コンヴィヴィアリティ(ほどよさ)の導入
TanaRadio Piは、もしかすると、鉱石ラジオと自由ラジオの現代版なのではないか。と。
そして、さらに言えば、イヴァン・イリイチの言うコンヴィヴィアリティ。
つまり、自分で扱え、生活に合わせて使い、他者との関係を生み出す道具を、ポッドキャストの時代に作り直す試みなのではないか。このようにです。
今言いました、コンヴィヴィアリティという言葉は、なかなか日本語にしにくい言葉です。
自立共生と訳されたり、共愉(共に愉しむ)と訳されたりしますが、正直それだけ聞いてもあまりピンときません。
そこで私は、少し大胆ですが、この言葉に「ほどよい」という日本語を当ててみたらどうかと考えています。
もちろん厳密な訳ではありません。
でも、TanaRadio Piで考えたいことを表すのに、ほどよいという言葉がかなり合っている気がします。
ほどよい道具、ほどよい大きさ、ほどよい不便さ、ほどよい届き方、ほどよい手間。
今日は、TanaRadio Piを、鉱石ラジオ、自由ラジオ、そしてコンヴィヴィアルなほどよさという3つの視点から考えてみたいと思います。
鉱石ラジオと「自分で作る楽しさ」
まず、鉱石ラジオについてです。鉱石ラジオという言葉を、若い人はあまり聞いたことがないかもしれません。
鉱石ラジオは、電池を使わずにラジオ放送を聞くことができる、とても単純なラジオ受信機です。
放送局から飛んでくる電波そのものの力を使って、イヤホンから小さな音を出します。
スピーカーから大きな音が鳴るわけではありません。
耳にイヤホンを当てて、ようやくかすかに聞こえるくらいです。
でも、その経験には不思議な驚きがあります。
空中を飛んでいる電波から、人の声や音楽が聞こえる。
しかも、それを自分で巻いたコイルや、自分で張ったアンテナ、自分で組んだ部品から取り出す。
これは、今のスマホで音声を再生するのとは全く違う経験です。
鉱石ラジオは、ラジオ放送が広がり始めた1920年代に、安価な受信機として広く使われました。
その後、真空管ラジオやトランジスタラジオが普及すると、家庭用の実用的なラジオとしての役割は小さくなっていきます。
けれども、鉱石ラジオは消えませんでした。
その後は、子ども向けの科学工作や、電気や電波を学ぶための教材として親しまれていきました。
今でも、鉱石ラジオのキットを買って作ることができます。
完成された製品を買ってくるのではなく、自分で部品を選び、コイルを巻き、アンテナを張り、どうすればよく聞こえるかを考える。
音は小さい。感度も不安定。うまく聞こえないこともある。
でもその不完全さが面白い。アンテナを長くしたらどうなるだろう。コイルの巻き方を変えたらどうなるだろう。この部品の配置で本当にいいのだろうか。
そうやって考えながら自分の手で音に近づいていく。
鉱石ラジオは、ラジオを買って使うものではなく、自分で作って理解するものにしてくれる道具だったのだと思います。
TanaRadio Piもここに少し似ています。
もちろんRaspberry Piは、鉱石ラジオよりずっと現代的な機械です。
インターネットにもつながりますし、ブラウザーも起きますし、ポッドキャストも再生できます。
でも考え方は鉱石ラジオに似ています。
完成されたスマホアプリをそのまま使うのではなく、自分で設定し部品をつなぎ、ボタンをつけ、つまみをつけ、
自分の生活に合った音声受信機に育てていく。
つまり、TanaRadio Piは、鉱石ラジオが持っていた自分で作る楽しさを、現代のポッドキャスト環境に移し変えようとしているのかもしれません。
自由ラジオと「場所との結びつき」
では次に自由ラジオの話に行きたいと思います。
自由ラジオという言葉も今ではあまり聞かないと思います。
これは大きな放送局ではなく、個人や小さなグループが自分たちの声や音楽を自分たちの手で発信しようとする試みです。
日本では1980年代前半にミニFMや自由ラジオの動きが注目されました。
非常に弱いFM電波を使って、大学や喫茶店、地域、イベント会場など、ごく限られた範囲に向けて放送する。
そういう実験がありました。
大きな放送局のように、広い地域に向けて一方的に届けるのではありません。
届くのはせいぜい近くにいる人だけです。
隣の町までも届かないかもしれません。
聞く人も少ないかもしれません。
普通に考えれば不便です。
せっかく放送するなら遠くまで届いた方がいい。
たくさんの人に聞いてもらえた方がいい。
そう考えるのが自然です。
でも自由ラジオの面白さは、まさにその届かなさにあります。
遠くまで届かないということは、放送している場所が近いということです。
聞いている人は話している人がどこにいるのかを想像できる。
場合によってはそこへ歩いていける。
話している人と会えるかもしれない。
会話に加われるかもしれない。
つまり、自由ラジオでは音声が場所と結びつきます。
どこからでも聞けるのではなく、ここだから聞ける。
誰でも聞けるのではなく、この近くにいる人が聞ける。
この限定性が人と人との関係を生むわけです。
今はインターネットがあります。
スマホがあります。
ポッドキャストは世界中どこからでも聞けます。
これは本当に素晴らしいことです。
でも、どこでも聞ける音声は、逆に言えば特定の場所と結びつきにくい。
部屋で聞いても、電車で聞いても、カフェで聞いても、旅先で聞いても、同じ音声です。
便利ですが、この場所で鳴っている声という感覚は薄くなります。
TanaRadio Piや将来考えているタナFMはここに関わってきます。
インターネットで受信したポッドキャストを自分の部屋や書店や小さな空間で鳴らす。
さらに将来はそれを微弱なFM電波で飛ばし、普通のラジオで受信する。
そうすると、ポッドキャストは単なるオンラインコンテンツではなくなります。
それはこの場所で鳴っている声になります。
ここに自由ラジオの現代版としての意味があるのではないかと思います。
イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティ」と「ほどよい道具」
そして、この2つをさらに深めているのは、イヴァン・イリイチのコンヴィヴィアリティという考え方です。
先ほども言いましたが、私はこのコンヴィヴィアリティという言葉を仮に「ほどよい」と言ってみたいと思います。
ほどよいというと少し日常的な言葉になります。
大きすぎない、強すぎない、便利すぎない、難しすぎない、でもちゃんと使える、ちゃんと楽しい、自分で関われる、そういう感じです。
イリイチが問題にしたのは便利な道具そのものではありません。
問題は道具が大きくなりすぎ、複雑になりすぎ、専門家や企業に管理されすぎることで
使う人の自由や工夫を奪ってしまうことです。
スマホはとても便利です。
ポッドキャストを聞くにも、録音するにも、配信するにも、とても便利です。
でも、その便利さの中で、私たちはスマホやアプリが用意した使い方に従っています。
アプリを開く、一覧から選ぶ、再生ボタンを押す、おすすめに導かれる、通知に反応する。
もちろんそれは便利です。
でも、聞くという行為がアプリやプラットフォームの設計の中に組み込まれているとも言えます。
一方、TanaRadio Piは不便です。
自分でOSを入れなければならない。
自動起動の設定をしなければならない。
ボタンやつまみを配線しなければならない。
うまく動かないときには、原因を考えなければならない。
でも、この不便さの中に、コンヴィヴィアルな、つまり、ほどよい可能性があります。
なぜなら、TanaRadio Piは、自分で理解し、手を入れ、作り変えることができる道具だからです。
ボタンをいくつつけるか。つまみを何に使うか。音量をどう変えるか。番組をどう選ぶか。
どんな箱に入れるか。どこに置くか。FMで飛ばすかどうか。
これらを自分で決めることができます。
最初から完成されていない。だからこそ、自分の生活に合わせて育てることができる。
ここに、TanaRadio Piの面白さがあります。
TanaRadio Piが目指す「ほどよい」ラジオ
鉱石ラジオは、受信することをほどよいものにしました。
自由ラジオは、発信することをほどよいものにしました。
そして、TanaRadio Piは、ポッドキャスト時代の音声メディアを、もう一度ほどよいものにしようとしているのかもしれません。
つまり、TanaRadio Piは、便利さを否定するものではありません。
スマホも使う。インターネットも使う。ポッドキャスト配信も使う。
Raspberry Piという現代の小さなコンピューターも使う。
けれど、それらをただ受け身で使うのではなく、自分の手元に引き寄せる。
音がどこからくるのか。どんな機械を通って鳴るのか。
誰がどこでどのように聞いているのか。その場所にどんな関係が生まれるのか。
そうしたことをもう一度考えるための小さな実験装置が、TanaRadio Piなのだと思います。
今日の話を一言でまとめると、こうなります。
「TanaRadio Piは、鉱石ラジオの自作性、自由ラジオの場所性、
そしてイリイチの言うコンヴィヴィアルなほどよさを、ポッドキャスト時代に作り直す試みである。」
少し大げさに聞こえるかもしれません。
でも私はこの言い方が今のところ一番しっくりきています。
これは単なる懐古趣味ではありません。
昔のラジオが懐かしいから、ラジオ風のものを作りたいというだけではありません。
もちろんラジオの形や雰囲気には惹かれています。
でもそれ以上に大事なのは、ラジオが持っていた、自分で作れること、小さく届くこと、
生活の中で聞くこと、人と場所を結びつけることです。
そしてそれらをまとめる言葉として、私はほどよいという言葉を置いてみたい。
TanaRadio Piはポッドキャスト時代のほどよいラジオなのかもしれません。
ポッドキャストをスマホの中のデータではなく、生活空間の中で鳴る声にする。
音声を巨大なプラットフォームだけに任せるのではなく、
自分の机、自分の部屋、自分の場所に置き直す。
そしてその過程を自分で作りながら考える。
まだ制作は途中です。
これからつまみをつけ、もしかするとFMで飛ばし、本物のラジオで受信するところまで行くかもしれません。
うまくいくかどうかは分かりません。
でもこの試行錯誤そのものが、すでにTanaRadio Piの大事な部分になっています。
なぜわざわざ作るのか、なぜあえて遠回りするのか、
なぜどこでも聞ける音声を特定の場所で聞きたいのか、
そして私にとってほどよいメディアとは何なのか、
この問いを持ち続けながら、TanaRadio Piを少しずつ育てていきたいと思います。
今日はTanaRadio Piは鉱石ラジオと自由ラジオの現代版であり、
ポッドキャスト時代のほどよいラジオなのかもしれないという話をしました。
それではまた。
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