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こんにちは、たまです。 こんにちは、まりかです。よろしくお願いします。
今回はですね、まりかさんとこの前話してたときに、ちょっと話題にふと上がってきた
自分らしく生きられるようになったのはいつ頃からですか?っていうトピックについて話していきたいと思います。
ことの発端って、記憶が正しければまりかさんが自分らしく生きれるようになったっていうのが結構遅めだっていう話からだったと思うんですけど、
差し支えなければ。ちょっとどんな感じだったかお願いします。
そうですね。私は結構、親が私の人生で自分の人生を生き直しじゃないけど、
自分が時代的にあんまりこう仕事を続けられる世代じゃなかったので、その私がいい学校に行っていい会社に行って、
キャリアを築いていくことをさせようとした。特に私は幼少期に結構早く勉強ができるタイプだったので、そこですごく期待をされて
親の決めたところにずっと生かされているような感じで生きてきてまして、
自分の自我はすごく強い人よりすごく強い人間だったんですけど、でもその抑圧から握られる手段がわからなかったので、
ずっとなんとなくこうするべきみたいな感じで生きてきました。
それが結婚出産を経ても、なんか逃れられているようで目に見えないレールに歩かされているような感覚があって迷子になってたんですけど、
一回その育児とか仕事の合わなさとかで体調を崩して、教席に行っていわゆるレールを降りるみたいな瞬間があったんですけど、
そこでいわゆるカズマ塾に入ったりとか、いろんな方と喋ったりとか、コーチングを受けたりとか、
自分が当たり前だと思って大したことないと思っていることが人からするとすごい価値があるよっていう風に言われたりとか、
いろんな複合的なことが重なった結果、そこで今まで自分の親の子をするべきに縛られすぎてたんだなっていうことが解き放たれた瞬間があって、
そこから30代半ばとかですけど、そこからやっと本当の意味で自分らしくしたなという、今5歳ぐらいなんですけど感覚としては。
そこから本当にやりたいことで生きていきたいなっていうのが出てきたっていう感じになります。
お話聞いてると、これこうだって自分の自我みたいなのは結構小さい頃からはっきりされていたのに、それをエグゼキューションできないっていうんですかね。
生活の日々のこととか、人生に落とし込むところが見えないレールがあってできないっていうのってすごいフラストレーションだろうなってやっぱりすごい思って。
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こういう生き方をしてる人はきっと多いんだろうと思うけど、レールがあってそれに別に抵抗を感じることなく、だから自分の意思というものが別になくスタスタみたいな感じの人も多分結構多いんじゃないかなとは思うんですよね。
それはそれで楽そうだけど、やっぱりそこの自分の意思とそれが許されない環境みたいなのがあるとやっぱりすごい苦難を強いられるよなって本当にちょっと聞いてて思っちゃいました。
なんかそれで親に決められる方が楽っていう、なんか最近よく見たXの投稿でその親子の相性ってあるよねみたいなすごく納得がいて、親も悪気がないわけで、いい人生を歩んでほしいと思ってていろいろ勝手にレールを引いていくわけで、それが楽な子供も多分いて、それが会えばすごく最高なんだけど、
それが私がすごい自分がこうしたいと思っているのははっきりしてる人間とこうさせなきゃと思っている人ってそれは合わないよねっていう話で、そこがまあ合わなかったっていうのがあって、だからそれまで結構ずっと体調不良だったんですよ。
30何年間。何かしらずっとなんか扁桃腺が腫れてるとか、なんかよく寝込んでるような人間だったので、単純に体が弱いと思ってたんですけど、ずっと自分じゃない自分を生きていたことによるストレスだったなっていうのが解放されてからすごいありますね。
身体の声はやっぱり素直ですよね。でもそれに気づくってやっぱり大人になったからだけできるわけでもなくて、そこに気づくまでには結構呪いじゃないけど、逃げたくても逃げられないみたいなところがあるなぁとは思いました。
それに比べると私は親の期待はある程度あったんですけど、レールってほどはっきりしてなかったっていう感じだと思います。
あと親はどちらかというと、子供の自分の意思で決めさせるっていうのは結構重要視してるタイプの親だったので、そういう意味では自分の意思決定で人生が歩めてるみたいな感覚は多分5、6歳の頃からあった感じがします。
習い事これやりたいとかって自分で決めた記憶とかがあったり、今後自分の人生ではこういう価値観を大事にしていこうみたいなのを1年生ぐらいから決めてるものが今もあったりとかそういうエピソードがあるので、多分それが許される環境だったのかなとは思う。
ただ一方で、本当に自分らしく生きられていたかっていうと、ちょっとそれはそれで謎なんですよねっていう。
やっぱり周りに求められている、それは家族とは限らず、例えば学校とか仕事で求められている役割みたいなのをなんとなく意識して、ってことはこういう人生かなみたいな感じでやっていて、
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私の場合は体調を崩してしっかり休んだ時期が半年ぐらいあってっていうのが今年なんですけど、その時に休みを兼ねて自営業になる準備とかもやってみたいな、体のリハビリも兼ねてみたいな感じですけど、
っていう時期を経った結果、今は割と自分の思うように生きられているなっていうのは思いますね。
たまさんの聞いていると、そこまで私のと差別化にしちゃうと、結構こうすべきっていうふうに言われるよりむしろどうしたいかを聞かれていた人生でも、自分を生きていない感覚があるっていうのがすごい不思議な感じになりますね。
すごい不思議だと思うんですけど、こうしろって言われてるわけじゃないんだけど、暗黙の了解でこうなるべきだよね、みたいなのをフォローしてた感じはします。
例えば、もともと窓際サラリーマンかもしれないけど、サラリーマン一生やっていくつもりで私はいましたし、やってないんですけど結局。
働かなければならないみたいな気持ちがあったりとか、他にもそういうエピソードがあれこれあるんですけど、
マジメな性格が災いするみたいな感じになったのかもしれないけど、私の場合はしっかり休むっていうのが、ゼロリセットみたいな感じで聞いて、パソコン再起動みたいな感じで聞いて、人生が整ったっていう感じがしますねっていう。
それ2人を聞いてすごい似てるなと思うのが、親のレールかとは関係なく、日本だからなのかわからないけど、ある程度こうすべきだよねっていう世の中の全体的なレールってあるじゃないですか。
なるべくいい学校に行って、いい大学に行って、いいサラリーマンになって、サラリーを上げていってみたいな、そういう目に見えないレールっていうのがあって、
普通にある程度生きてしまっていると、それになんとなく乗っちゃってるし、そこを降りてもいいんだけど、でもレールがあるからとりあえず走っちゃってるみたいな感じがあると、そこから実際に自分が自発的に降りて、
自分の人生を客観的に見るってすごい難しいような気もしていて、2人に共通しているのが、ある意味強制的に休まざるを得なかった期間っていうのが、自分らしいスタートな気がしているから、なかなかこのレールっていう魔力がすごい強固で、
そこから無理やりガタンとレールが脱線するぐらいのことでも起きない限り、そもそも自分の人生って本当にこっちであってたんだっけっていうのを見る機会って持つのが難しいんじゃないかなと思いました。
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海外の大学とかだと1年ギャップイヤーっていう、大学に行く前に1年なのかなとか、卒業後1年みたいな、そういうちょっとギャップを作るっていうのをやる人がいて、
それって結構モラトリアム、本当の意味でモラトリアム的な感じでは、事情が許すならすごい良いんじゃないかなってちょっと思ったりするんですけど、ただそういう時も実際蓋を開けたら旅行行ってたとか、インターンしてたとか、何かってやっぱTODOで埋まってるってことが多いので、
本当にレールが外れる感じで休むとか、一時休止っていうのが本当にできる人っていうのは結構稀なのかもなって確かに思いますね。
私は本当は休まず走り続けたいタイプだったんですけど、転職してても、何回か転職してるんですけど、転職と転職の間は1日も開けずに働いてる子どもが多かったみたいな、とにかくギャップを作りたくないみたいな感じだったんですけど、結果的にギャップができて良かったのかなと思っています。
私も確かに転職するのは必ず辞めた日の次の日から転職の所属をしてたので、間を開けることへの何か恐怖というか、何か不安みたいなのがあるんだろうなと思うから、もうちょっとそういう仕組みが世の中的に存在してるといいなと思います。
仕事を辞めちゃうとなかなか、社会保険は去年のままだったりとか、税金とかも去年の収入ベースだったりして、突然止まると結構偉いことになるっていうのは基本なので。
だから止まらず進まざるを得なくなっちゃうっていうのはね。
結果的にはやり方が適切かどうかわかんないけど、我々が休まざるを得なかったことによって自分を見れたっていうのは良いことなので、良かったなとは思っています。
自分らしく生きられるようになった人生の方が価値が高いって語弊があるかもしれないですけど、満足度は高いのは間違いないので、楽しく生きたいですねっていう。
ぜひ楽しく生きましょう。
では本日は以上にしたいと思います。
ありがとうございました。