アウトプットの重要性
おはようございます、たけのむです。
昨日、インプットとアウトプットの話をしてみたので、今日はその続きに近い話ですかね。
オリジナリティを求めるがあまり、アウトプットしないしづらい問題っていう話をちょっとしてみたいと思うんですけども、
私、昔、ブログとかをやってたことも実はあったんですよね。
アウトプットの一環というところで。
この音声配信でもそうなんですけど、同じような話とか記事とかっていうのはね、やっぱり書くのを一瞬ためらうんですよね。
書いたり話したりするのを。
それはね、根底にはですね、自分は人と違うことをしないといけないというか、
人と違う話をしないといけないっていうのが根底にあると思うんですよ。
でもね、結局そこをあまり意識しすぎると逆にですね、アウトプットしなくなっちゃうんですよね。
あの人と同じような話やし、同じような意見やから、そもそもね、世の中にというか発信しなくてもいいやとか意思表明しなくてもいいやっていうね。
そういう気持ちになることあると思うんですけど、これが結構ね、アウトプットの量を減らしてしまっている原因じゃないかなと思うんですよね。
会議とかでもそうなんですけど、同じような意見だから意見を発信しなくてもいいやだとか。
でもね、結局やってみて思うんですけど、発信してるとね、実はちょっと違った角度だったり、
同じ意見かと思ってたけど実はちょっと違う意見を自分の中に持ってたりとかすることってあると思うんですよね。
なので、考え方としてはね、誰が言っている話だろうが、あまりもう気にせずにね、アウトプットした方がいいんじゃないかなと思うんですよね。
そう考えるとですね、物書きの人とかね、特に映画とか作品作ってる人いると思うんですけど、
ああいう人たちってね、たぶん過去に同じような話というか同じような作品をね、作ってるだろうなと思いながら、
たぶんね、みんなまあそこはなんていうのかな、思考錯誤しながら、あがきながら作品を作ってると思うんですけど。
結局そうですよね、人間って昔から文明を築き上げてきて、根底の考え方というか、思考の深さ。
もちろんね、文明が進歩するにあたって、その時々の思考の深さみたいなものは変わってくるかもしれないですけど、
根源的に考えるのってね、もう既に尽くされてる気はするんですよね。
そういう中でもアウトプットすることに意味があるっていうのはね、やっぱり自分の思考の整理にもなるし、
意見を発信して何かしらレスポンスをもらったら、またそこでここはこうなのかとかって考えることもできるので、
やっぱりアウトプットしないということはすごいリスクでもあるようなと思うんですよね。
オリジナリティと自己表現
仕事もね、やっぱりそういうシーン多いと思うし、プライベートでもそうですよね。
家族間でね、何か揉めたりとかね、話し合いとかすることもあるんですけど、思ってるけど言わないとかね。
そこに陥ると、もう何て言うんですかね、察してくれみたいな状態になっちゃうとね。
いやもう、そんな赤ちゃんじゃないから意思表明してね、ちゃんとその意思を表明してそれに対してレスポンスもらうというかフィードバックもらうっていうのが、それがコミュニケーションだと思うんですよね。
なのでね、同じような話をしてる人ってもちろんいっぱいいますし、どういうネタでもだいたいこすられてるというかね、話しされてることだと思うんですけど、
それでもね、そんなことを気にせずにアウトプットしていくっていうのが良質なインプットを求めてっていう、この繰り返しだと思うんですよね。
服装とかでもそうじゃないですかね。若い頃って人と同じ服装じゃなくて、奇抜とは言わないですけど、自分のオリジナリティを出したいみたいな欲が、全員が全員じゃないかもしれないですけど、あると思うんですよね。
なので、若い人らというか、自分たちもそうですけど、若い頃ってちょっと自分風のものを求めたりすると思うんですよね。
なんですけど、大人になるにつれというか、よく言えば洗練されるごとに、いわゆる本当に汎用的な、反化された服装を着るようになってくるんですよね。
ユニクロなんかまさにそうですよね。前世代そうですけど、シンプルなね。街中歩いてたら多分絶対被ってますよね。そこまであんま気にして見てないですけど。それでも気にせずにね。
ユニクロとかって売れてると思うんですけど、だから意見もそういう形でいいと思うんですよね。なので、気にせずに情報発信、意見の発信とかをしていくっていうことをちょっと心がけたいなというふうに思うんですよね。
映画の感想とかでもですね、本当に考察サイトとか見てると、自分の思った感想なんかは語り尽くされてるんですよね。
なんですけど、そこを見て自分と同じ意見やし、いっかって思って終わっちゃうのと、自分なりにこう思ったとかこう見たとかっていう意見を発信するのって、そこをやるとやらないって大きな違いがあると思うんですよね。
もちろんアウトプットしたからといって、別にそれが何か自分にとっていいことがあるかどうかっていうのはまた別なんですけど、
でも昨日言ってたインプット3、アウトプット7の比率からいくと、圧倒的にアウトプットが足りてない気がするので、
ちょっともう同じような話だろうなとか思うことも考えずにアウトプットしていく練習というか訓練をやっていきたいなというふうに思いました。
自己啓発系とかだと本当にもう同じような話ばっかりな気はするんですけど、それでも自分のライフスタイルというか人生において、
ためになったなとかこうじゃないかなとかって思ったことはどんどん話していってもいいんじゃないかということで、
この人と違うことをやろうって思わないことっていうのも大事かなというふうに思って今日発信をしてみました。
本日は以上です。ありがとうございました。