震災の当日体験
お疲れ様です、たけのむです。今日はですね、今日この話をされる方非常に多いかと思います。
テレビでもね、しきりに放送されていますが、
今日でですね、東日本大震災から14年が経ちました。いわゆる311ですね。
私、当時ですね、大阪、今も大阪ではあるんですが、大阪のね、当時、森口っていうところで仕事をしてまして、
確か建物2階か3階か、3階か4階かですね。で、仕事をしていました。
で、今と違ってですね、当時リモートワークなんてしてる人、ほとんどというかいなかったと思うので、
基本的にはね、みんな会社に出社して、デスクに座って仕事をしてました。
で、その日もね、普通にオフィスでみんな膝詰めでというか仕事をしている中ですね、
2時46分ですね。大阪の方でもですね、距離があるので、正確に大阪が揺れたのは2時46分から若干ずれてるとは思うんですけれども、
揺れ始めまして、大阪はどれくらいですかね、震度2ぐらいは揺れたんですかね。
で、やっぱり地震はちょこちょこあるんですよね、大阪でもですね。
ただ、その時、ちょっと違和感というか不思議に思ったのは長かったんですよ、とにかく。
で、その時はね、まさか東日本の方で起きている地震がこっちにまで伝わってるなんてことは考えもしなかったんですけど、
当時、女性の部長がいたんですけど、なんか揺れてるみたいな話になって、本当だみたいな話でみんな騒ぐっていうことではないですけど、地震やわみたいな感じで話をし始めまして。
で、その時はね、テレビとかは事務所にはないんですよね。
確かその時、携帯電話でワンセグですね。今もワンセグってあるのかな、ちょっとはっきりわかんないんですけど。
で、誰かがね、私のチームのカーの隣の人がワンセグで、確か携帯電話で地震の情報を見出したんですよね。
で、そうすると、さっき揺れたのって大阪とかじゃなくて、東日本の方やっていう話になってですね。
でもすごい揺れっていう情報がね、ちょっとワンセグでどのチャンネル見てたかわかんないんですけど、起きたと。
で、当時勤めてた私の会社はですね、群馬にも支社というか、ちょっと大きめの工場がありまして、そこでですね、群馬の人と電話を繋いだんですよね。
で、電話は繋がったんですよ、群馬に対しては。で、群馬の工場ですね、棚とかもあるんですけど、ぐちゃぐちゃに倒れて、今日ちょっと仕事にならんみたいな話になっててですね。
とんでもない大きな地震というか、そういう状況だったのはそのタイミングでね、なんとなくわかったんですけど。
で、ちょっと地震でね、いきなりどれだけの被害が出てるのかっていうのはちょっとわからなかったんですけど、それからのやっぱり津波ですよね。
揺れてから、2時46分に揺れてからですね、大体30分から40分ぐらいに津波がね、到達したというところで。
津波の恐怖
で、これね、当時私の認識というか理解としても、津波って海の波っていうんですかね。
よくサーフィンとかで大波に乗って、ザーンと波が来ることあると思うんですけど、津波って、やっぱりその時の私の理解は、あの大きな波が1回来るみたいな理解だったんですよね。
津波っていうものを勉強したこともなかったですし、実際見たこともね、当時YouTubeとかあったかな?ちょっと忘れましたけどね。
テレビでもね、津波なんて見たことなかったですし、あまり日本でその津波がどうこうっていうものも見たことなかったんですよね。
で、それから、地震揺れてから30分ぐらいしてからですかね。
で、みんなちょっとバタバタしてて、群馬のメンバーとやり取りとかしてる人もいたりして、そこともやり取りしたりして。
携帯電話で、あの時携帯つながってたと思うんですけどね、大阪は。で、いろいろ情報を仕入れるとちょっととんでもないことになってそうみたいな話になっててですね。
で、その後、映像ですけど、1セグでね、見てる中で、空港に津波が到達して水がバーッと流れてるっていうシーンが映ってたんですよ。
で、そこがね、海からどれくらいの距離っていうのはあるのかわかんないですけど、津波が押し寄せて流れていってると。
で、その時、人がどうこうっていうところまで発送いたかわかんないんですけど、津波ってこんなんになるのかっていうのはね、その時にちょっと初めて理解したっていうところですね。
で、それからはね、皆さんもテレビでもね、いろんな映像を見られた方もいるでしょうし、最近はね、もうちょっとそういう映像がセンシティブな映像っていうことで流れなくなってるんですよね、基本的には。
もちろんセンシティブな映像っていうことでも、見る人はっていうことで検索してみることもできたりはするんですけど、やたらめったら流れるっていうことはなかったんですよ。
やっぱりね、目の前で人が流れてっていうことで、すごいそれを見てショックを受ける人もいますし、実際に津波の被害に遭われた方は、それがねフラッシュバックしてっていう、PTSD的な形で辛い思いをされてる方もいらっしゃると思うので、
テレビで流すときは、流れるときもNHKでたまにあっても、津波の映像が流れますので、みたいなテロップが出るようになってたと思います。
自粛ムードと影響
で、そのとき、地震があって津波が来てるっていうのがどうやら分かって、ただ、私の会社はその後も確か普通に定時まで仕事はしてたと思いますね。
そのタイミングで、我々が手を止めて何かできることというか、そこまで発想が至らなかったですよね。
で、やっぱり家帰って、テレビ、NHKとかですよね。見てて、本当にとんでもない被害が起きていて、行方不明の方とか人数がどんどん増えていくんですよね、行方不明者数というか。
そもそも、あの段階でどれくらいの情報が精査できていたかというと、ほとんど精査できていなかったと思うんですけど。
でもね、言い方をあれすると、大阪は本当に遠かったというか。なので、目の前で被害が起きてるわけじゃなかったので、まだそこまで実感というのはそんなになかったかなという感じですかね。
で、私の親族とかも向こうの方に知り合いとかはいなかったんですけど、会社の人たちは向こうに親族いらっしゃる方とかもいたと思うんですけど。
そうですね、当時金曜日だったんですよね。金曜日なんで翌日土曜日日曜日ということで、そこからね、被害の全貌がどんどんどんどん明らかになってきて。
阪神大震災は経験してるんですけど、やっぱり地震の怖さっていうよりは津波の怖さっていうのがね、より印象深かったというところですかね。
で、あとはそうですね、それから原発のところに話があったりだとか、いろんな話があったと思うんですけど、当時よく考えさせられたのは、自粛ムードってやつですね。
なので、やっぱりそっちで大きな災害が起きてるので、当時飲み会とか宴会とかそういう席も、大阪であっても自粛するべきだみたいな論があったんですよ。
で、自分たちが月に1回やってる飲み会があって、311のね、あれはいつだったかな、1週間後とかだったかな、ちょっと忘れましたけど、飲み会があったんですよね、311の後に。
で、会社の上司の奥さんが、福島の方でこんなことになってるのに飲み会なんて、みたいなコメントがあったみたいな話をね、上司の方が言っててですね。
震災の影響と自粛
まあ確かにね、そういう考えはね、理解はできるけどっていうところだったんですけど、そこでね、大阪側でっていうとあれですけど、結構イベントとかもね、結構中止になってたと思うんですよね。自粛ムードっていうのがね、一旦こうバーッと広がって。
なんかセレモニー的な飲み会とかもね、結構中止になったりっていうのはあったと思います。ただまあそれからちょっとしてからかな。自粛っていうのがね、経済活動を多少なりとも止めてしまうっていうこともあって。自粛はするべきではないみたいな論もね、結構出たと思うんですよ。
私の考えでいくと、自粛はするべきじゃないと思うんですよね、やっぱり。東北をないがしろにするのはもちろん違うと思うんですけど。そこで自粛しちゃうと経済活動止まっちゃうっていうこともありますし。
そうですね。こっちからできることっていうのは、もちろん現地にボランティア行かれた方もいらっしゃったと思うんですけど。仕事もしながらだったので、そこまでの発想というか、そこまで気概を持ってっていうところまでは行けつかなかったんですけど。
私はそうですね、当時はお金を送りましたかね。ちょっとどこの基金だったか忘れましたけど、ヤフーだかどっかがね、そういう時って基金をパッと立ち上げてやってくれるんですよね。
それなりに自分の払える範囲でお金を払って、お金がね、一人一人がそれをやることによってある程度の力になるっていうところはあると思うんですけど。
でもそこからね、やっぱりまずはその現地の状況整理というところから始まって、落ち着くなんていう言葉が出てこなかったですよね。やっぱり津波の後って本当に壊滅的な被害ですし、建物もすべて押し流されて。
やっぱり感じたのはね、津波の怖さっていうところもさることながら、災害発生した時の自分の対応っていうんですかね。
当時なんか非常袋なんて作ってなかったですからね。今はちょろっとした食料とか水とか、災害備品っていうんですかね。そのあたりを詰めた非常袋っていうのを玄関の取り出しやすいところに置いてはいるんですよね。
ただ、何か有事があった時にそれをパッと持っていくっていう発想に至れるかなっていうのは正直疑問もあるんですけど。
やっぱり3日間とかは最低限暮らせるというか、支援がなくても過ごせるようにしないといけないという話はよく言いますけど。
あと教訓としては、やっぱりその災害に対しての備えというか、いざそういう事態になった時にどうするかっていうところですかね。
大阪で何年前かな。5、6年前でしたっけ。ちょっと大きめの地震があったんですよ。震度6くらい。5か6くらいの地震があってですね。
あの時は子供いなかって、その時は犬を飼ってたんですけどね。私と妻と飼ってた犬と3人で揺れた瞬間とりあえずマンションから出て、近くの近所の広めの駐車場に走って逃げたっていうことがあったんですけど。
逃げたのはね、その時は私たちだけでしたね。なんとなく周り見てても。結構地震に慣れてしまってるっていうところがあるのかもしれないですね。
その時はね、オフィスは映ってて、ちょっと離れたというか、大阪のビルの38階にオフィスがあったんですよ、当時。そこに勤めてたんですけど、その日はね、私行かなかったんじゃないかな。揺れても電車も確か停まってたんですよね。
ただ会社に行った人に聞くと、38階までね、エレベーターが止まってるんですよ。なので38階まで歩いたっていう話をしてて、そんな変異まで会社に行かんでいいやんっていう感じはちょっと思ってたんですけども。
311って直接的な被害に遭われた方以外もね、いろいろと考えさせられる教訓としたことっていうのはね、たくさんあると思います。
教訓の伝承
やっぱり子どもたちというかね、後世に伝えていかないといけないという話はあると思うんですよね。この時代なんでね、いろんな記録だとか、いろんな媒体にね、当時こういう状況でこういう問題があって、こういう対応を取ったみたいな記録として情報として残っていくんですけど、
やっぱりね、風化していってしまうので、自分たちが感じたことっていうのは、自分の子どもでもいいですし、後輩、修学の子どもでもいいんですけど、伝えていくっていうことがね、やっぱり重要なのかなっていう感じはしましたね。
【佐藤】そうですね。
【佐藤】ありがとうございます。
今日は311ということで放送をしてみました。ありがとうございました。