出張と震災15年目の前日
はいみなさん、こんばんは。2026年3月10日、今日は火曜日ですね、ツカサです。 この放送は、現役ベンチャー企業の管理職、ツカサが日々の仕事や生活の中での学びや気づき、そしてビールを通じて豊かな人生をお届けする番組です。
みなさん、こんばんは。今日も元気よくやっていきたいと思います。 今日はですね、岩手県山田町に来ておりまして、出張だったんですけども、
滝小屋でペアレンビールを楽しむ会というのが、先ほどまで行われておりまして、それと二次会やって、今、ホテルに戻ってきたというような感じなんですね。
震災当日の出来事とペアレンビールの関わり
3月10日なんですが、明日は東日本大震災から15年目の日になります。
2011年3月11日は東日本大震災がありまして、その時にですね、実はペアレンビールが滝小屋でイベントを企画しておりまして、
そのイベントの時にですね、震災が起きて、ペアレンビールはイベントを開催できなかったというような経緯があって、
その翌年からですね、その日に滝小屋でペアレンビールの出張会を継続的に行うということをやっております。
この山田町というのは、三陸海岸でしょ、リアス式海岸という岩手県の沿岸地方なんだけど、そこの真ん中らへんのところに位置する町で、
ここにある町なんだけど、震災では非常に大きな影響があったんですね。
そんなことがあってね、その時のイベントが開催できなかったということをきっかけに、山田町との交流が今もなお続いているということなんですね。
語り手の震災当日の個人的な経験
今日のテーマはですね、今日はいろいろ話したいことがいっぱいあったんだけど、
今日は3月11日に向けて、私が思う震災復興の話とか、そんなことをしたいなと思うんですね。
良ければ最後まで聞いていただきたいと思います。2倍速ぐらいでもいいかなと思うんですけどね。
まずは私が思う震災復興についての話の前にですね、当時の話を少しだけすると、3月11日、2011年の3月11日、この日イベントがあったんですね。
ベアレンビールという会社が山田町という沿岸の柿小屋で行うイベントだったんです。
この時に実はビールを積んで走っていたのが私だったんですね。
ちょうどホワイトデーのちょっと前なんで、私はですね、この日本来お昼の1時ぐらいに森岡を出て、
3時半ぐらいには山田町に着いて、そこでちょっと早めに着いて、私の妻が山田町という三陸沿岸の本当に海沿い、
しかもその半島があるんですね、船越半島という半島の小さな漁村といったらあれですけども、そこの辺りに実家があって、
お父さんが当時、ホタテの養殖とかワカメとかやってたんで、その辺りに親戚回りをしてからイベントに行く予定だったんですね。
というのも、私自身は初めてのイベント対応で、それまでは今の社長の島田が行ってたんですね、そこにね。
2011年の3月の柿小屋イベントは、これまでいろいろとやってきたけれども、
奥さんの地元も山田町だし、そこでやったら、そろそろ引き継ぎをしたいなという話があって、分かりましたと、ぜひやらせてくださいということで、
その年から私が引き継ぐという、その1年目が3月11日だったんですね。
本当は、3時ぐらいには現場にいる予定だったんですけども、たまたまホワイトデー直前ということもあって、
資材やら何やら、ちょっと森岡市内の通常の仕事が追いつかなくて、出発遅れちゃったんですね。
そのために、というかそのおかげで、私は震災の、あの地震のタイミングではまだ沿岸の海沿いには到着していなくてですね、
ギリギリで津波に飲まれることはなかったんですね。
それで、今に至るんですけれども、
記憶の変化と過去の解釈
今日はこのシェアしたい話というのは、こんな昔話ではなくてですね、
あれから15年経って、人も物も景色もずいぶん変わってしまってですね、思うことがたくさんありました。
というのも、その人の記憶はここまで変わるんだっていうふうに、すごい実感したんですよね。
当時すごい大変な思いをした人もそうだし、そうでなかった人もそうなんですけども、
その前後の記憶がですね、曖昧なんですね。
そして結構忘れている人がいる。
そして、こういうのって話すことあまりないじゃないですか。
たまにこういう節目の時に思い起こして、あの年はどうだったとか、ああだったとかって話をするんだけど、
ずれてるんですよね。時間が。時間軸がずれてる。
あれ待てよと。
俺が間違っているのか、この人が間違っているのか、周りが間違っているのか何なんだみたいなふうに思ってですね、調べるんですよね。
当時の取材記録とか、だから私結構取材されて、当時の取材記録が本に残っているので、
その時の本とかを読み直すと、やっぱり俺の記憶は間違ってないとかですね。
いやちょっと間違っているとかっていうのが出てくるんですよね。
そういう復習をして、3月11日とか10日とか、このイベントとかに臨むんだけど、やっぱりね、結構みんな変わってるんですよね、記憶が。
記憶の解釈が未来への捉え方を変える
で、その記憶がこんなにも変わり、解釈によって過去が変わるんだなっていうことを思うと、
何て言うんですかね、未来への捉え方が変わるんだなって思うんですよね。
15年たって思うんですけど、僕は比較的前向きですよ。前向きな人も多いんだけど、
これマイナスに捉えている人とか、もちろん親戚とか身内の方を亡くされた方なんていうのは、逆にですね、もっとネガティブに記憶が変わっている可能性もあるなっていうふうに思うんですよね。
だから、その記憶は、いわゆる忘却曲線を描いてですね、どんどん失っていくものだなって思っていたんですけども、一方で、強化をされるものでもあると思うんだけども、
その強化のされ方がですね、解釈によって随分変わるんですよね。
これって、ちょっと中間解釈の話になるんだけど、感情で過去が塗り替えられちゃう。
つまり、前向きに考えると、過去大変なことがあったとしても、今の僕らのマネジメントで過去の記憶も書き換えられるし、
未来の自己肯定感とか効力感、俺たちはやれるんだみたいな記憶というか、気力も変えられる。
逆に、マイナスにすることもできるんだなっていうことを思うとですね、僕らの立場でやれることはたくさんあるんだけれども、責任も重いなって思うんですよね。
管理職としての責任と記憶の書き換え
今、自分の息子や娘がですね、当時震災の頃を振り返って思うと、当時3歳と5歳だったんですね。
この頃は、今20歳になって酒が飲めるようになってるし、うちの娘はもう今年一人暮らしを始めることになるんだけれども、
こうやってあんなに大変だった記憶が薄れたり、ネガティブになったりポジティブになったり、人の解釈によってまた体験によってどんどん変わっていくと。
それは相対的な関係性もあるんだけれども、そうやって変わっていくっていうことを思うとですね、
外部要員を作る僕ら管理職の立場っていうのは、とても重いなって思いました。
ちょっとね、今日はね、お酒を飲んでしまってるんで、苦毒なっちゃったんですけれども、
要するに今日の話をまとめますと、僕たちのマネジメントは、人の記憶を塗り替えられるだけの力があるっていう、そういうことですね。
長期的に見るとですよ。
未来志向で正確な記録と前進
だから、この震災を、震災15年目を前に思うことはですね、日々周りの人と接する立場にある僕たちは、
もっとですね、未来志向で正確に物事をレコーディングするというかね、記録しながら、
地に足つけた前に進んでいくっていうことが、プラスに向かっていってるっていう実感性を持ってですね、
積み重ねとともに、今現時点の立ち位置にいるっていう、そういう気持ちになれるんじゃないのかなって思うんですね。
ちょっとね、今日は取り留めもらえない話になりましたけれども、私が話したいことは今日はこんなところですっていうところですね。
放送の意図と今後の予定
ちょっとね、普段はお酒飲んでこの放送の収録ってのはしないんですけども、
今日はあえて思いのままに、連れてるなのままに収録させていただきましたという感じですね。
ということで、今日の放送は以上です。
くどかった。ごめんね、皆さん。
本当に。だけど、ちょっと答えはまだ出てないんだけれども、
いろんな人との関係性によって過去が書き換えられるとか、ポジティブにもネガティブになってしまうっていうようなヒントというかですね、
現場の経験値として、今日はものすごい感じることがあったので、あえてシェアさせていただきました。
ということで、今日の放送は以上です。
この放送が皆さんのお役に立てたら嬉しいです。
本当はね、いろいろ話したかったけど、また明日、普通にビールの話とか、マネジメントの話をさせていただきたいなというふうに思っております。
ということで、今日の放送は以上です。
それではまた皆さん、明日お会いしましょう。さよなら。バイバイ。